84 ユグドラシルの苗木
ずっしりと重たいお腹をさすりながら、医務室に戻る。まだ、体が怠いので、早くベッドに戻りたくて医務室の扉に手を掛けると、中から涙まじりの声が聞こえた。
「ルナ。まさか私が死ぬとでも思っていたのか? 少し疲れて寝ていたぐらいで、そんな風に泣きつかれては堪らない」
「だって! だって! あんなに無理して! 本当に目覚めないって思ったのよ! 確かにハルは強いわ。でも、それでも、心配なのよ」
俺は涙の再開を前に手を止めていた。流石にこの中に入る勇気はない。
でも、そうか。ハルも目が覚めたのか。同じような症状だった身として、少し心配だったんだよな。少しだけだけど……。
他の人ならもう少し素直に喜べるけれど、相手はハルだ。たとえ彼の行動に常に理由があったとしても、その言動や態度の大きさから、あまり好感がなかった。俺の中では、友達のウェードよりやや下ぐらいだ。
「……はぁ。とは言え、色々と話はしないとな。奴隷市の事もあるし」
俺は茶色い木製の扉から少し離れた場所で呟いた。
ハルには奴隷市での借りがある。レフィのピンチを救ってくれたし、奴隷商人の壊滅にも大きく貢献してくれている。それに侵略戦では街を守り、ついでに高額で俺に押しつけたぬいぐるみは、俺の身を守るのに大いに役に立った。
やってることだけ挙げれば凄いんだけどな。もう少し性格が……
長い黒髪の下にある、切れ長な目の温度は冷たい。その外見と同じように、言葉の温度も平温以下だ。
はぁ。やれやれ。少し待ったら何食わぬ顔で皮肉でも言うか……。
そんな風に壁に背を持たれ、もう少しだけ待とうと決意していると……
「アイト・グレイ。まさかとは思うが、私を気遣って入室を躊躇っているのか? ハッキリ言おう。要らぬ世話だ。とっとと入ってこい」
と、マナ感知もしていない筈のハルの声が、扉を越えて俺に突きつけられる。この人はどうなっているのやら。警戒心の塊なのか?
俺は何ならこのまま逃げ出して、ハルの盛大な勘違いの一人言にしてやろうかと思った。けれど、爪先を扉と違う方向に向けた瞬間に、ルナが扉を開いていた。
「アイト君。ごめんね。待たせちゃってた?」
「いや、全然。戻ってきたばかりだし」
やや、鼻声のルナ。目は腫れぼったいものの、悲しみの涙ではなく、喜びの涙だ。だからこそ、俺は変に気を遣わずにいつも通りに接した。
俺はルナの向こう側にいるハルの姿を捉える。相変わらず寝たきりのようだったが、その緑色の目はきちんと開かれており、相変わらずの眼光でこちらを見ていた。
「起きたんだな。ハル」
ぶっきらぼうに言い放つ。すると、ハルの方も相変わらず。
「ふっ。ルナ。感謝をしておこう。お前が付き添ってくれたお陰で、最初に見る顔がこいつにならなかった」
「俺もよかったよ。あんたとじゃ絶妙な空気で重々しくなるだけだっただろうからさ」
そんな風に仲が悪いように言い合う俺とハルを、ルナは不思議そうに眺めていた。
「あれ? 二人って知り合いだったの? 仲良さそうだけど」
「仲の良さは断固として否定するけど、知り合いではあるんだよ。貴族街でレフィに魔法を食らわせられた仲」
「えっ!? 何してるのハル?」
「その後、レフィと言う獣人を奴隷市から解放する手伝いをした筈だが? そして、ルナ。仲が良いなどとは二度と言うな。私にとってこいつはルキウスの次ぐらいに嫌いだ」
「じゃあ仲が良いじゃない」
すると、ルナがハルの視線で射殺される。俺だけにこんな風なのかと思っていたが、案外そうではないようだ。
俺はルナを軽く押して医務室に入ると、窓際にあるハルのベッドから斜め前にあるベッドに座った。
午後の日差しに黒髪を輝かせるハル。俺と違ってその外見はかなり整っていて背も高い。不思議なことに、口を聞かなくてもその雰囲気だけで苛つく。
「やれやれ。イケメンは。我が強くて困るな」
「内面も印象には大きく関わってくる。確立した自我を持つ私だからこそ、外観が整って見えるだけだ」
「おいおい。それならきちんと不細工になれよ」
精一杯の皮肉を込める。残念なことに俺にはハルに勝てるものは一つもなかった。
悔しくて歯軋りをしていると、見かねたルナが仲裁にはいる。
「ちょっと。二人とも病み上がり……上がってもないんだから! 大人しくしなさい! そして仲良く。アイト君もハルちゃんも」
「黙れ。ルナ。何度言えばその呼び方をやめる?」
「仲良くするのならやめるわよ? どうする? ハルちゃん?」
ぐっと奥歯を噛んでハルがルナを睨む。けれど、同じギルドのルナは慣れたものだ。
「貫禄が違う」
「ちょっと黙ってアイト君。折るわよ?」
「ごめんなさい」
思っていたより百倍物騒で、現実味のある脅しに、俺は早口で謝罪。顔を伏せて敵対しないように気を付ける。ルナ様は危ない。壊しても治せるから倫理観がずれてる。
ゴタゴタとしたやり取りが収集できなくなりそうなところで、最初に折れたのはハルだった。ちなみにこの折れたとは、骨とか体とかじゃない。安心して欲しい。
「はぁ。いいだろう。私もそこまで元気ではないからな。仲良くとは言わないまでも、ギルドの奴らと同じ程度の扱いを心掛けよう」
「よし。ハルも言えばわかるんだから」
茶化そうかなぁ。とも考えた。けれど、これ以上は本気で心配なのでやめておく。
口こそ達者だが、ハルは本当に重症なのだ。俺がハルと同じ状態のまだマシな部類。自分の体の不調がわかるから、それ以上と思われるハルの状態は察してあまりある。
俺の無言が、互いを尊重すると言った結論になったのか、ルナは一つ溜め息を溢した。
「……ルナ。ここまでの治療感謝する。そのついでだ、少し休んでこい」
「いやだ……って言いたいけれど、そう言うことなんでしょ? 私が言及しても言葉を濁されるから訊かないけど」
「紛れもない本音だ。ギルドマスターとして労っているのだ。ありがたく休め」
「はいはい。じゃあ、晩御飯の時間になったら戻ってくるから。それまでにやることをやっておくのよ」
そう言ってルナは身支度を整えると、手を振りながら医務室から出ていった。端から見ていた俺にはよくわからないが、二人ともやることがあったのだろう。
「アイト・グレイ。私はまだ今回の侵略戦の結果を殆ど把握していない。が、四天王『双』ロゼといた貴様が、こうしてこの場にいると言うことは、期待通りの成果を上げたのだろう?」
珍しく人を評価するハルの姿勢に感化されて、俺は真面目に話を受け取った。
「まぁ、期待通りかはわかんないけど、勝ったし、ロゼも殺さずに済んだよ。ミリアの方はどうしようもなかったけど」
「助けた味方ではなく、敵の命の話をするのか。やはり変わった男だ。どこかの勇者に似ている」
あー。確か、師匠も特級魔物と仲良くなったとかだっけ。四天王と仲良くなった俺もその仲間入りか。『魔獣魔物弱点S』の人間が、なにをやってるんだろうな。
けれど、本心ではロゼはもっと別だと思っている。魔獣や魔物ではない。魔人も突き詰めれば人だし、ロゼはヴァンパイアでエルフだ。同じ言葉で語らえ、同じように喜怒哀楽がある。それはフェンデルの特級魔物に対する感情とは別だ。
まっ、それでもいいんだけど。
「そやつらの処遇については、また後の話としよう。お前の目で見たもの、耳で聞いたものを詳しく話せ」
「了解」
それから、淡々と話を進めていった。俺はあまり感情を介入させずに、出来事だけを要所を押さえつつ話す。それを斜め前のベッドに背を凭れるハルは、黙々と聞いていた。たまに質問を挟んできたが、不快感などはなく、三十分程度で大まかな話は終わった。
「……成る程な」
話の緊迫感から解放されたハルは、長く息を吐き出した。要所要所でハルは眉を微かに動かして、何やら考えていたようだった。もしかしたら、俺に見えていないものがあったのかもしれない。
「今回の侵略戦は三つの陣営があった。ロゼ率いる魔王派、ミリア率いる反魔王派、そして、私たち人間。考えるにこの侵略戦は反魔王派によって仕組まれたものだろうな」
「まぁ。そうなんだろうな。侵略戦に見せかけてロゼとロアを殺そうとした訳だしな」
ここ最近の魔人絡みの事件には反魔王派が大きく関与している。そして、今回も例外ではなく、かなり入念に計算された反魔王派の動きだった。
「ん? でも、あれは違うのかな。師匠の死自体は魔王派の動きの筈だし。オーグエだったかな? その魔人が師匠を殺したとかロゼが言ってた気がする」
「師匠……フェンデル・ノルンか。奴の死に関しては、そのオーグエとやらが反魔王派に誘導されたと考えるべきだろう。まぁ、オーグエが元々反魔王派だった場合はその例ではないがな」
真実は今の情報からはわからない。けれど、オーグエが反魔王派だろうと、違かろうと、俺にとっては師匠を奪った敵だ。いずれ仇は取る。
密かに俺は胸に復讐と言う熱を灯すが、今の話はもっと別なので、落ち着いて深呼吸をした。
その様子をハルは見守ると、こちらの準備が整ったタイミングで話を再開した。
「となると、王都の輩も反魔王派と考えるのが普通なのだろうな……」
「王都の輩……あー。チャックの事か。本人もそう言ってたし、間違いないよ」
「違う。そちらではない。……まあ、いいが」
そちらではない? 何か他に反魔王派がいるみたいな話だな。
訊こうかと思ったが、相手はハルだ。おそらく、俺よりも何歩も先を見て言っているのだろう。俺が訊いたところで理解できないのが落ちだ。
「今は誰が後処理をしている?」
「まぁ、主力はセシアさんとヴォルさんとトロさんだったかな? ルーファス君は帰ったらしいけど。あと、副マスターのオリバーさんもいたけど、強いかは知らない」
「そのメンバーか……。まあ、想定できる最悪だったな。そっちはルキウスがどうとでもするのであろう」
そんな風に、また一人納得したように頷くハル。頭の出来に差があるのはわかるし、譲歩するけれど、なんか俺としては一人で喋ってるみたいでつらい。
俺、思ったより頭悪かったんだな……。
空しく天井を見つめた。ここが屋外で雨が降っていたらさぞ絵になっただろう。
「何をやっている?」
「いいや、ただ才能の差を嘆いていただけ」
「そうか。だが、残念だが才能の差ではない。努力の差だ」
「嫌みだろ」
ハル程の人間が努力だけで出来上がる筈はない。だってハルは……
「私は、元は才能一つない孤児だ」
「あっ」
そうだった。確かヘイルンが言っていた。妹と二人で過酷に路上で生活していたと。
「ごめん。そっか、路上生活だったよな」
「ん? 何故それをお前が知っている? アイト? いや、待て。そうか。お前は奴隷市にも入っていたな。つまりは、少なからず工業区の人間と関わっている筈だ。そして、見ず知らずの人間と打ち解けて人の話を吹聴するのは、ヘイルン。奴しかいない」
ハルの洞察力で一瞬でバレた。多分ヘイルンは怒られることになるが、まあいい。人のプライバシーをそこそこに軽視してたから仕方ない。俺には親切で教えてくれてたけども。
一人納得しているハルの言葉に同調する。
「そう。ヘイルンさんが教えてくれた。妹さんと二人で路上暮らし。そこから奴隷の話まで」
「成る程な。であればわかるであろう。私に才がないくらい」
確かにそう……なのか。身分がその人間の力を表すわけではない。けれど、路上生活で女神スキルを与えられなかったハルは、三種類のスキルの内、一種を欠いていることとなる。つまり、その時点で才能の一部を失っているとは言える。
「お前は確か特級冒険者に詳しかったな? 私についてはどの程度知っている?」
「まぁ、最速で魔法を放ったり、五属性全部を使ったり。あとは、結界の技術が高いとか?」
「私に五属性の適正がないことは?」
「……一応。都市伝説みたいな感じで、たまに話には出てた」
五属性全てを扱える。そこは間違いない。けれど、その全てを詠唱せずに使う。『無詠唱』持ちであると言うのが巷の推測だったが、今本人から直接聞いて確信するのは別の方だ。
「適正がないから詠唱で魔法が発動できない」
「そうだ。つまり、言い換えれば大きなデメリットだ。才能とはかけはなれた足枷だ」
俺は『魔獣魔物弱点S』というスキルによる不自由。けれど、ハルはもっと根本的な才能が存在していなかったのだ。
「じゃあ、どうやって」
「知っているであろう。私がマナの糸を用いて魔方陣を描くことは。光属性のマナの糸を完璧扱えるように鍛え、その間に頭に魔方陣を叩き込み続けたのだ」
ハルがこめかみを叩く。そのあまりに人間離れした行いに俺は言葉を失っていた。
「私は妹と離れてから、すぐにこの街の男に拾われてな。かなりの富豪で、屋敷に図書室があった。本人は魔法に関してそこまで詳しくはなかったが、そこにある魔法書は非常に為になるものだった」
「だからって、魔方陣を覚えるってそんな簡単な事じゃないだろ」
適正がある魔方陣は頭に入り易いそうだが、それ以外は全く別だ。簡単な魔法でさえも普通は頭に馴染まない。それを完璧に記憶し、必要な時に思い出せるようにしているハルは、とても常人のレベルではない。
「勿論、時間はかかった。だが、当時の私はそれを一切苦とは思わなかった。むしろ、魔法に触れない時間の方が辛く、不安だった。今過ごしているこの一瞬。その一瞬が妹の寿命を削っていくようだったからな」
そこで俺は気付いた。ハルの強さの本質に。
妹さんを助けるための力。それがこのハル・ノシアンと言う天才を形作っていた。いや、天才ではないのだろう。ただひたすら、恵まれていない者が、たった一つの事のために研鑽し続けた結果だ。
「魔法を使い続ける。魔方陣を描き発動し続ける。幼い時から信念を持って学び続けると、いつの間にか膨大なMPと高い魔法攻撃力になっていた。……だが、私に得られたのはその副産物のみで、本当に求めていた、追い続けていたものは、まだこの手の中にない」
ハルは握っていた拳をゆっくりと開いた。妹のその手を今一度握ろうと、手を伸ばし続けても、その掌に温もりが残ることはなかったのだ。
「妹さん見つかってないんだっけ。情報は?」
「北の端の町で目撃されたのが最後だ。これも十年以上前の話だがな」
十年以上前。それを皮切りに情報がないとなると、自然といやな推測が頭を過る。
「どうなったとかは?」
「さあな。だが、その時、奴隷商人と奴隷が共にいたらしい。しかし、その奴隷商人らも行方知れず。完全に手詰まりだな。なので、今は妹に気付いてもらえるように名を広めている。私のぬいぐるみもその過程の一つだ」
「ぬいぐるみってあれか。俺からぼったくったやつ」
「ただのぬいぐるみではなかった筈だが? 役には立ったであろう?」
俺はぐぬぬと引き下がる。侵略戦で犬の群れから俺を救ってくれた代物であることに間違いはない。
「リンのぬいぐるみ店だったよな。あの熊の」
「犬だ」
どの動物とも言いがたく、決して可愛いとも呼べない、何もかもが微妙なぬいぐるみ。けれど、どこか落ち着く雰囲気があって、値段が高い以外に文句はなかった。
「リン……ってもしかして妹さんの名前だったり?」
「そうだ。あのぬいぐるみ自体も、昔、私がごみ捨て場から布切れと針を持ち出して作っていたものだ」
「成る程な」
名が轟くように強くなり、記憶を呼び起こすために思い出のあるぬいぐるみを作り続けた。自分がここにいるのだと、妹に知らせるために。そのハルの努力で、俺を含めた国民の殆どはハルの名を知っている。名を広める目的は達せられた。けれど、それでも妹には届かなかった。それがこの世界にいないからなのか、ハルの名と声が届かないような場所にいるのか。
「ハル。あのぬいぐるみをもう一つ欲しい」
「なんだ? あれ一つでは、私の懐を肥やすことはできんぞ?」
「違う。一応俺も手伝うよ。その妹さん探し」
すると、ハルは初めての表情を見せた。驚愕といったところだろうか。
「……私が探して見つからなかった妹をお前が探すと? 何のために?」
「何のためって事じゃない。ただ、丁度、俺のギルドのマスターのヒイラさんの屋敷に、昔奴隷として連れてこられた人が沢山いるんだ。だから、そういう話には詳しいかなって」
そう言うと、ハルが解せないような表情をしていた。大方自分が助けられているとでも思っているのだろう。でも、残念ながら俺はそんなつもりはなかった。
「俺はあんたに借りがある。奴隷市で助けてもらったし、レフィの治療にも一役買ってくれた。だから、俺はその借りを返すだけだ」
「――そうか。ようやくお前の本質が見えてきたな」
ハルは視線を落としてから、重そうな体を動かして、枕元に置かれた空間ポーチに手を伸ばした。
「……受け取れ。魔法はかけてはいないが、おまじないがかかっている」
「おっと。わかった。やらせてもらうよ」
投げられたぬいぐるみを受け取った。少し年期が入っていて、商品とは言えないものだった。相変わらずその外観は微妙で、少しだけ商品よりも不恰好だった。
俺はそのぬいぐるみを空間ポーチに入れながら、自分の話に変えた。これ以上話を掘り下げても、暗くなるだけだと思ったからだ。
「ハル。手伝う代わりって言うのもあれなんだけど、ちょっと俺のスキルについて訊きたいことがあったんだけど。いい?」
「いいだろう。その程度であればな」
「『ユグドラシルの加護』って言うんだけど。知ってる?」
俺は遠回りすることなく訊いた。すると、ハルは顎に手を当てて目を伏せる。ここで、すぐに否定から入らないあたり、心当たりがあるのかもしれない。
「知らぬな」
「あれ? 俺の推測なんだったんだろう」
一瞬で俺の期待が裏切られた。
「しかしだ。ユグドラシルという名は聞き覚えがある。エルフのお伽噺の一つに登場していた。確か、巨大な木で神樹と呼ばれているのではなかったか」
「おぉ。流石だな。他の人は全く検討がつかない感じだったけど」
概ねアリシアの言っていた話と重なっている。つまり、二人の情報に裏付けられて、ユグドラシルの苗木が神樹であることに信憑性が出てきた。
「そのお伽噺ってどんな内容?」
「簡単な話だ。エルフの国にそのユグドラシルと呼ばれる巨大な木があり、それが国を守り続けていると信じられていた。しかし、平和ボケしたエルフたちがユグドラシルを蔑ろにし、挙げ句の果てには枯れさせた。その結果エルフは痛い目を見るという話だ。主にエルフの子らに植物の命も大切にしろよと言い聞かせるための話だと思っていたがな」
本物のユグドラシルが存在すると知ると、自然別の解釈となってくる。
「ユグドラシルの大樹を枯らした後悔。教訓ってところかな」
「負け惜しみとも言えるがな」
相変わらずハルの言葉は鋭利だった。エルフには聞かせられない。
「無論、解釈はそれだけではないがな。そのユグドラシルのお伽噺が先に伝聞し、後からその特徴に類似した植物にその名が付けられた可能性もある」
「成る程。そういう考えもあるのか」
一つの考えに固執しない。だからこそハルは未開拓の技術を手に入れている。人としては見習える。人格は見習わない。
「そして、私のお伽噺の知識と現状から、貴様のベッドの脇に置いてあるそれがユグドラシルではないかと推測するが?」
「そこまでわかるのか……。そう。ルナさんとも話してたけど、これがスキルに関係してるのかなって」
「成る程な。……先程お前は自分の『ユグドラシルの加護』について知りたいと言っていたな。だが、その様子、ある程度スキルの効果も把握しているのだろう?」
「まあ、少しはね。お伽噺の通り。加護をきっちり受けているみたいで、魔法を使ってもMPが減らないんだよ」
「MPが減らない?」
ハルが眉根を寄せる。
「あれ? おかしいこと言った?」
「……普通に考えればな。しかし、例外はいる。わかりやすい例が丁度この街に二人来ていたようなので、その二人を例として説明しよう」
わかりやすい例? 誰だろう?
最初にパッと思い付いたのは『乱雲』ルーファスだった。確か、彼は、雲がある限り魔法を撃ち続けられるという話だったった筈。
すると、ハルの口から真っ先にその人物の名が出てきた。
「『乱雲』ルーファス。奴の気象魔法は雲がある限り無限に発動できる。しかし、マナの消費がゼロなわけでもない。最初に雲を自分の支配下に置くために、魔法を必要とするのだ。そのため完全なマナの消費が0なわけではない」
そう言えばそうだった。確かにルーファスは、最初、椅子に座りながら雲に向かって魔法を放っていた。雲から敵への魔法はMPを消費しないが、自分から雲の場合は別のようだ。
「そして、もう一人。これも同じ『南雲の風』の男。オリバーだ」
「オリバーって、あの丸っこくて、ちょっと頼りのない?」
「『ちょっと』ではなく、『かなり』だがな。ともあれ、奴の実力は確か。『無限』と呼ばれ、次期特級冒険者とも言われている程だからな」
「マジか……」
流石に驚いた。見かけや雰囲気からして、戦えそうではなかったが、人は見かけに依らないものだ。
「オリバーは『フルバースト』と呼ばれる、MP消費の激しい魔法を使う。だが、基本的には自分のステータスプレートからMPが減ることはない」
「さっきの話からして、種がありそうだな」
「そうだ。奴は『還元』と言うスキルを持っている。生物の体をマナへと還元し、魔法を放つのだ。なので、生物の死体や肉体が存在する限り、それを消費し魔法を放ち続けられる」
「こわっ!」
つまり、魔法を使って敵を倒して、その死体でまた魔法を使って敵を倒す。どれだけイカれたスキルなんだ。持ち主がちょっと抜けたオリバーでなければ許されない。
「貴様の感想はわかるが、それは後回しにしろ。それよりもだ。今のがMPを減らさずに魔法を使う例だ。この二人も、あくまでステータスプレートのMP表記が減らないだけで、どこからマナを消費して魔法を発動している」
「……ってことは、俺のステータスプレートも、MPの消費がないように見えるだけで、どこからマナを持ち出してるってこと」
「魔法はマナ無くして発動は叶わんからな」
確かに。ほんの少しだけ魔法に関しては知識があるが、MP消費0は聞いたことがない。まあ、当たり前言えば当たり前で、燃料や空気がなければ火が燃えないのと同じだ。
「貴様に起きている現象は大きく二つに考えられる。一つが今言った別の場所のマナをつかってある可能性。もう一つが普通に減っている可能性だ」
「普通に減ってるって……ん?」
ハルは先程ぬいぐるみを取り出していた空間ポーチから、何かをこちらに投げつけた。それを反射的に受け取って、俺は注意深くそれを見た。
丸くて中央にボタンが一つ。
「着火装置?」
それは、よくアリシアが野外での料理の際に用いていた着火装置だった。形状は少し違うが、用途はよく知っているし、それこそどの街でも見かけるような馴染み深い魔道具だった。
「ステータスプレートをよこせ」
「あっ、うん」
着火装置を渡された理由を訊く間もなく、俺は流れでステータスプレートを渡していた。話はどんどん進んで行くが、俺の頭は置いてけぼりだ。
「火をつける。つけるだけだ。燃やすな。燃やせば二人共々死ぬぞ」
「特級冒険者だろ? 火ぐらいなんてことないだろ?」
「火はな。だが、この場所を破壊するとどうなるか。私は魔法を使えない。そして、医務長とルナはどう考えても肉体派だ」
「あっ……」
自分よりも一回りも体の大きな医務長と、物理攻撃力800越えのルナが頭に浮かぶ。対するこちらは病み上がりで魔法が使えない長細い男二人。
うん! 死ぬ!
俺は細心の注意で、着火装置を布団から離れるように持って、ボタンを押す。軽い手応えがあった後に、視界が暖かなオレンジ色に包まれる。
「よし。次は?」
「消せ。それを何度か繰り返す」
「了解」
あまり了解と言える程、この行為の意味を感じなかった。けれど、ハルを信じてボタンを連打する。瞬いては消えて。また、瞬いては消えて。そうこうして、おおよそ十回目程度で、ようやくハルの声がかかった。
「もういい。理解した」
「よかった、よかった。で、何を?」
俺がそう尋ねると、ハルは気付いていなかったのかと、軽蔑したような目をした。
「MPが減るかどうかだ」
「あー。成る程ね。でも、減ってないよね?」
「残念だが減っていた」
「えつ!? 嘘っ!?」
俺は驚いてハルのベッドに飛び乗った。軽いとは言え二人分の重量にベッドが軋むが、俺はそれさえも気にせずに、ハルの手元にあった俺のステータスプレートを見た。
MP 35(緑)
「嘘じゃんかっ!」
信じられないとは思ったが、まさかホントに嘘とは。ハル許すまじ。
「貴様の勝手な勘違いを人のせいにするな。言った筈だぞ。減っていた。とな」
ん?
そこで俺はますます眉をねじ曲げる。元来頭は良くないので、この程度の事ですぐに頭が痛くなる。
減っていた。つまりは、ハルはその減った状態を見ている。けれど、俺がベッドに飛び乗り確認するまでの一瞬でそれが元に戻ったと言うこと。
「もしかして、MPが回復したって事?」
「そうだ。しかも、尋常ならざる速度でな。瞬きをすれば元に戻っている」
「これが『ユグドラシルの加護』なのか。自分のスキルだけど、凄いな」
MPの急速回復。これがどれだけ凄いのか。その正しい評価言い表すのは難しい。けれど、これがなければ、侵略戦はおろか、奴隷市で死んでいたと考えれば色々と実感しやすかった。
「MPの急速回復。これは類を見ないスキルだ。少なくとも、私が知るものに、これだけの早さでMPを回復するものはない。女神スキルで表すのであれば、腕二、三本の代償でギリギリ得られるかどうかの代物だ」
「そこまでのスキルなのか……」
初めて現れた誇らしいスキル表記。それが今までの努力に対する報酬のようにも感じられて、冒険者として嬉しかった。
「――このスキルについて私以外誰に話した?」
「うん? 話したのはルナさんとアリシアとレフィぐらいだけど」
「そうか。であれば、絶対に他の人間には話すな。スキル名も効果もだ」
冗談ではなく真面目な念押しだった。眼光は鋭いが、それは脅しではない。むしろ、心配からの強い忠告に感じられる。
「狙われる可能性があるとか?」
「あり得る話だ。何よりの問題が、その木が貴様の『ユグドラシルの加護』に関係していると考えられるところだ。条件はわからないが、これがもし、身近に置くだけで破格のスキルを得られるとなれば、欲しがる者も多い。単に力を求める人間以外もな」
スキルを与える木。そんな代物であれば、もちろん高額で取引される。さらには、元々はエルフのお伽噺に登場する神樹だ。その信憑性が高まれば高まるほど、その方面から狙われる可能性も増してくる。
「喋っても何一つ得しなそうだな。ありがとう。気を付けるよ」
「ふん。せいぜい気を遣え。私はそろそろ寝る。貴様のパーティーの二人にもちゃんと伝えておけ」
ハルがこちらに背を向けて布団を被った。普段通りに接してくれてはいたが、まだ、万全ではないのだろう。
「ユグドラシルの苗木か……」
俺はハルに感謝しつつ、自分のベッドに戻った。
何もなければいいんだけどな……。
そんな風に思っていると、頭の中でアリシアが「フラグ!」と言ってこちらを指をさしてきた気がした。




