10 組み込まれた不純物
ろくに魔獣の対策も考える間もなく、俺は必死でサリスたちの元へと足を動かしていた。心肺機能はギリギリで顔を赤く、息は荒い。
「そんなに焦らなくてもいいんじゃないかい? アイトだって、彼等なら問題ないと踏んで、引き留めなかったんじゃないのかい?」
説明もせずに飛び出した俺に、咄嗟に付いてきたアリシアが問う。ちなみにアリシアの方は、相変わらず余裕そうで、呼吸一つ荒げていない。
「そうだった。でも、状況が変わったんだ。サリスたちが言った策が通じない状況になってる」
「策って言うとあの小瓶の……」
「そうだ。あの小瓶だ。あれは本来であれば、サリスたちの臭いを誤魔化すというか、紛らわす事が出来る」
「それはわかっているけど。それなら問題無し。じゃないかい?」
今日、アリシアの腕を引っ掻いたであろう尖った木の先端に、走っていた俺の体がぶつかり易々と折れる。緊迫した状況の中での密かな復讐に特に思うことなく、頭を回す。
「いや、問題があるんだ。覚えてるか? さっきサリスたちは、生き物の臭いを紛らわすって言ってただろ?」
「うん。でも、だから大丈夫なんじゃないのかい?」
「俺もそうだと思ってた。でも、さっきので、香草焼きで、気付いたんだ。あの香草の臭いは明らかに匂い瓶で誤魔化せない」
俺の不安を最後に確信へと変えたのはベーコンだった。あの料理の香りは獣臭さを打ち消す清楚感のある香りだった。そんなものが匂い瓶の効果範囲の中に漂えば、何処に居るのか明瞭に分かってしまう。
「でも、確かに香りが付着したままかもしれないけど、それは普通に彼らが食事をしても結果として同じじゃないのかい? この森での食糧なんて、肉や魚になるんだからさ」
そうなのだ。俺もそこに躓いた。けれどよくよく考えれば分かる話だったのだ。単純にこの森での食事に集中しすぎて、食べ物は森の中で調達できるものと視野を狭めてしまっていた。
俺はアリシアの疑問に共感しながら一呼吸を置く。走って息苦しいからではなく、確信を持った一言への心の準備だ。
「確かに肉や魚なら、結果は変わらないだろうな。でも、サリスたちがそれ以外の別の食糧を持ち込んでいるとなれば話が変わるだろ」
それを聞いたアリシアは、これでもかと眉を上げて、驚きを示した。驚きのあまり足元が疎かになったアリシアを俺は体を使って支える。
「なんでそんなことになるんだい! 食料があるなら空腹で倒れることなんて、なかったんじゃないかい?」
「確かにな。けど、持ち込んだ食糧が、あのタイミングで食べるために準備したものじゃないとしたら?」
驚愕して一瞬冷静さを失っていたアリシアが、俺の言葉を念入りに咀嚼する。そんな考え込むアリシアに、すぐに理解しろなどとは言えない。俺だって半信半疑の中、仮説を作って辿り着いた答えなのだから。
アリシアを焦らすことなく静かに見守っていると、彼女は小さく口を開いた。
「……仮にそうだったとしても、飢えて倒れそうな窮地でも食べなかった物をいつ食べるんだい?」
一つ一つ自分の中で整理する。ただでさえ口下手なのだ。落ち着いて話さなくてはアリシアが理解出来ないだろう。
「蒼の森深部に入る寸前、もしくは入っている時に食べる物だ」
「深部での食料……」
「そうだ。臭いに注意を払った食糧。多分パンやクッキーだと思うが。まあ、持ち込んだ食糧が何かはこの際どうでもいいか。とにかく、深部で作業をするために必要な食糧を持ってきていたわけだ」
アリシアはまだ納得がいかないようで小首を捻る。
「でも深部までの食糧が無かったのはどう言うことなんだい?」
「それは、予想外の事があったから用意出来なかったんだ」
「予想外?」
未だに気付いていないアリシア。そしてその事に気付いてしまった俺。そっち側に立っていたら、気楽だっただろう。
はあ、と息を吐いて今回の原因。今回の計画に混ざり込んだ不純物を指差した。
「俺とアリシア。お前だ」
「えっ! 私たちが彼らに何かしてしまったかい?」
動揺を隠せないアリシアを宥めるようにすぐに付け加えた。
「結果的になんだ。結果的に」
「結果的……」
「さっきも言ったが、サリスたちは深部での食事は用意していた。でも、浅部での食事を用意していなかった。何故か。簡単だ。現地調達するからだ。普通の食事であれば、一日やそこらで臭いがとれる。だから、浅部での食糧は肉や魚で事足りる」
「それなら、何故現地調達をしなかったんだい?」
そうだ。アリシアの言う通りだ。一ヶ所だけ指摘をするなら、『しなかった』ではなく、『出来なかった』と言う点だろうか。
俺は既にたどり着いていた答えに、罪悪感を覚えながら口を開く。
「簡単な話だ。俺たちが先に森に入って、ろくに金にもならないモンスターを狩り尽くして、森を荒らした。それが結果的に、後に続くように森に入ったサリスたちの食料の供給源を断つ結果になった」
アリシアが思い出したように声を漏らした。
草食動物などの食糧となり得る生き物には俺たちは手を出していない。しかし、俺たちや逃げ惑うゴブリンの姿を見て、危険を察知した生き物は俺たちから遠ざかってしまった。こうなると、例え罠を使ったとしても食糧は調達できない。なにせ、狙いとなる生き物が居ないのだから。
「そして、食糧に恵まれず途方に暮れた三人と俺たちが出会ったわけだ。深部用の自分達の食糧を食べる選択肢はないが、他に食糧も無い。そんな中で俺たちの食い余るほどの肉を見れば答えは一つしかない」
「私たちの食糧を分けて貰うって事だね。そうして、ナンシンの香りの影響を受けることになった……」
話の終着に俺は手を打った。ここでようやく俺たちの実際の経験と交差した。これで説明は終わりだ。
話が終わり、限界近くまで回した俺の頭が、ゆっくりと熱を放出する。思考中の独特の頭部の締め付けから解放されて、ほっと一息をついた。
しかし、ふと低い轟音と共に、風が足元を駆け抜けた。重々しい風が草花を地面に撫で付け、俺たちの身体に緊迫感を植え付ける。
「くそっ。急がないとな」
俺ははぐれないようにアリシアの手を掴んだ。焦りと共に手を引くと、思いの外重い手応えで、俺は不審に思い振り返った。
すると、俺の視界に俯いたアリシアの姿があった。よく感情の出るアリシアの丸い瞳は長い前髪で覆われ、何処か弱々しく見えた。
「私たちのせいで結果的に危険に陥っているって事なんだね」
「偶然ではあるけどな」
奇跡的な不運によって訪れた危機だ。本質的には俺たちの責任ではないのだが、罪悪感がひしひしと胸を満たす。
アリシアも同じような気持ちなのだろう。普段の明朗な姿から想像できないほど表情を曇らせている。
そんなアリシアに対して、落ち着いて俺は言う。
「冒険者である限りリスクは付き物だ。俺たちに責任なんて無い。しかも、騙されてたしな」
「アイト……」
「……でもな」
不安がるアリシアに向かって不敵に微笑む。
――俺たちは、
「ギルドに着くまではパーティーだ。だから絶対見捨てたりするもんか」
暗く淀んでいたアリシアの瞳が、期待したように夜の森に煌めいたのを見て、俺は決意を再び固くした。
この話がホントに難所だった。やっぱり説明パートは難しい。もっとスマートに書けるように練習練習!
*楽しんで貰えたら高評価、ブックマーク是非是非お願いします!励みになります!




