33 ワイバーンの群れ
「おっ、来たね」
「勿論です。あっ、おはようございます」
「おはよう。うちもまぁ、厳しいからね。すぐに音を上げて来なくなる奴も多いんだ」
私が医務長に挨拶をすると、そんな悪態をついていました。私はヒイラさんの屋敷でのお仕事の方が忙しく厳しかったので、ここでの仕事で苦と感じることはないのですが、普通の人にとっては辛いのかもしれません。
「それは、あんたの当たりが強いからじゃないのか? 医務長さん」
「レフィ。あの患者、昨日の治療じゃ不十分だったみたいだよ。――やったげな」
「はい!」
「ちがっ! やめてレフィちゃん! ぎゃゃーー!!」
今日も昨日と同じで患者さんは喜んでくれているようです。癒しがいがあります。
そうやって、最初のお仕事をしていると、医療班の人と思われる人が部屋に入ってきました。
「おはようございます」
「おはよー。君が新人ちゃんね。宜しく」
「はい。レフィです。よろしくお願いします」
騎士団の医療班に配属されて、初めて医務長以外の医療班の人を見ました。
「えーと。医務長ー! 今日は私と医務長が治療で、この子が応対と診察でいいんですか?」
「そうだね。それでいいよ。覚えてもらわなくちゃいけないからね」
応対と診察……。つまりは外からの患者さんの対応がメインとなるのでしょう。
「軽い怪我は昨日みたいに治療して、重い奴とか、判断ができない奴は私たちのどっちかに振りな」
「はい。わかりました。お客様が来たときはどうすれば……」
「上司なら媚びへつらって、ムカつく騎士なら殴り帰す!」
「承知しました」
多少暴力的かなとも思いましたが、医務長命令です。仕方ありません。といっても、私にとってのムカつくような騎士は、ヒイラさんのパーティーに来ていたような、性格のネジ曲がった人ぐらいですので、そんな事態は起きないでしょう。
そして、時間は流れます。忙しくはないまでも、ちょくちょくと人の出入りがあるため、暇ではありませんでした。
たまにやってくる怪我人を治療して、唯一骨折していた人を医務長に任せて……。そうこうしていると、お昼の時間がやってきたのか、鐘の音が鳴りました。
「レフィ。休憩行ってきな。私は後で交代で行くから」
「はい。わかりました」
さて、お腹が減りましたので、ここはお言葉に甘えましょう。お昼は何にしましょうか。……あれ?
私は咄嗟にあることに気付いて鼻をひくつかせました。
消毒液などの清潔な印象を覚える医務室に、鉄の匂いが流れてきたのです。単なる鉄の匂いであればいいのですが、明らかに生々しく、血の匂いだと判断できます。同時に、重々しい足取りや、鎧がぶつかり合う音も耳から伝わります。
「これは」
私は急いで自分の空間ポーチを手にとって、中からエクストラマナポーションを探し始めました。
「何やってるんだい? ご飯には行かないのかい?」
「いえ、怪我人が来るようですので……」
「怪我人って、そんなの私たちでどうにかするから」
「でも……」
言いかけたタイミングで、扉が蹴破られるような勢いで開かれました。それと同時に微かに流れていた血の匂いが、むせ返るほど濃く部屋を満たしました。
そこには二人の騎士がいました。片方の騎士はもう片方の騎士を背負い、汗と血と泥で汚れ、必死の形相を携えて、肩で呼吸をしています。もう一人の方は、逆に小綺麗に見えるほど青白く、ピクリとも動いていませんでした。
その状態を見て、医務室の空気は一気に張りつめました。
「こいつを! 助けてやってくれ! 死にそうなんだ!」
「わかった! 早くベッドに!」
そして、医務室は戦場へと変わり果てました。今までの緩やかな雰囲気はどこへやら、切羽詰まった様子で、患者の容態を確認していきます。
肩から胸にかけて生まれた裂傷。いえ、もはやそれは穴と言ってもいいでしょう。傷の奥には、先程まで真っ白だったベッドのマットの姿があります。
この怪我は『フルヒール』かそれ以上の治癒魔法を使わなければ治療が間に合いません。見る限り出血量も多く、『ハイヒール』程度では傷を塞ぎきることはできないでしょう。
「リル! 傷口を押さえて! 『ハイヒール』!」
二人係で必死に傷口を押さえ、医務長が治癒魔法をかけていますが、結果は目に見えています。失われた血肉、裂けた筋繊維。それらが簡単な魔法でくっつくなどあり得ないのです。
今ここで治せるのは私だけです。『フルヒール』を扱える私だけ。
私は高価なエクストラマナポーションの栓を抜き、飲み干しました。後悔はありません。お金一つで命を救えるのなら、私はいくらでも貧乏になりましょう。
「どいてください! 医務長!」
「レフィ! あんたの出る幕じゃ……」
心苦しいですが、一刻を迫るので、体格のよい医務長を押し退けました。その力になのか、はたまた命に対する執念を見たせいなのか、医務長は口を開けて唖然としていました。それでも、私にはやることがあります。
――マナの高まりを感じますーー
「『フルヒール』!」
その一言と共に柔らかな黄色い光が医務室を包み込みます。光に当てられた傷口は、みるみるうちに小さくなっていきました。骨が生まれ、穴が埋まり、最後には白い傷跡だけを残し綺麗に治りました。
「はぁ……」
それまでの仕事と空腹のせいか、想像以上の倦怠感に襲われ、力なく膝をついてしまいました。
――疲れました。とても……
「大丈夫かい! レフィ!」
「はい。大丈夫です。それよりも、もう一人の騎士さんの治療と今の人をお願いします」
「でもな……」
医務長はなにか言いたげでしたが、私と患者とを見比べて優先順位を判断すると、舌打ちをしてから治療に向かいました。
「大丈夫? 『フルヒール』すごかったけど、マナの消費が激しいんだよね?」
「はい。そうです」
もう一人のリルと呼ばれていた医療班の女性は、私の様子を確かめるように、膝をつきました。
「マナポーション飲む?」
「いえ。ちょっと疲れてただけです」
あとお昼も食べていませんし……。
言葉にはしませんでしたが、仕事量とマナ不足のせいか、とても空腹に感じていました。マナもお腹も空っぽです。
「お昼だし、あんたお昼ご飯貰ってきてあげて」
「はい」
「いいえ、いいですよ! 後で自分で行きますので」
ありがたいとは思いましたが、忙しい中、新人のためにご飯を食堂から持ってきて頂くのはとても心苦しかったので、立ち上がれないなりに努力して止めした。
しかし、止めようとした意思とは裏腹に……
グゥゥゥ。
と、羞恥心を置き去りにしたお腹が、自己主張していました。
突如として顔に熱が上ります。端から見たらとても綺麗な真っ赤に染まっていることでしょう。トマトみたいに……。
食べ物を思い浮かべてまたお腹が鳴ります。流石に恥ずかしくて、目が回ります。
「沢山貰ってくるから、待っててね」
「はい……お願いしましュ」
もういいです。諦めます。
羞恥心と空腹に負けた私は、笑いながら部屋を出ていくリルさんの背を見送りました。
*
お昼の食事は思いの外豪勢なものとなりました。理由は二つ。リルさんが両手に収まらない程の食べ物を持ってきたこと。もう一つが、患者さん用の食事が人数分よりも多く運ばれてきたこと。
結果、医務室はとても医務室とは思えない量の食料で満たされてしまい、頑張ってみんなで処理することになったのです。
「あんた……よく食べるね」
「はい!」
体つきのわりには少食だった医務長を横目に、私は余った料理を全て平らげました。残すのは勿体ないですし、仕方のない処置だと思います。
「ところで、えーと、騎士さん? 先程の怪我はどうしたんですか?」
私は、一緒にご飯を食べていた怪我の程度が軽い騎士さんに訊きました。すると、騎士さんはその時の事を思い出したように苦々しい表情を浮かべました。
「西の郊外でワイバーンが出たんだ」
「ワイバーンですか?」
ワイバーンと言えば、C級程度の魔獣だった筈です。足に生えた鋭いかぎ爪。小さいながらに生え揃ったノコギリのような牙。あとは下級魔法程度の火のブレス。
いくら騎士さんが弛んでいたとしても、ここまでやられるのでしょうか?
「俺たちは最近クレリッツ支部長から、外部の警戒をするように言われてたんだ。五人体勢で二十部隊。それぞれ別の場所を担当して、街の周囲を警戒してたんだ。そしたら……」
騎士さんの言葉が詰まりました。恐怖と言うよりは、トラウマなのかもしれません。目が完全に下を向いていて、その時の光景がよみがえっているようでした。
「そしたら……黒い雲がやって来たんだ。雨雲だろうなって思ってたんだ。……でも、それにしては近付いて来るのが速いし、色も黒々としていた。そして、気付いた頃には周囲をワイバーンの群れに囲まれてたんだよ。十や二十じゃない。少なく見積もっても百は越えていた」
頭を殴られたような衝撃でした。百を越えるワイバーンなど私は人生で見たことも聞いたこともありません。最低C級の魔獣の百の群れ。考えるだけでゾッとします。災害です。
「逃げようにも、俺たちは既に狙われてたんだ。とても逃げられるような状況じゃなかった。だから、俺とそいつ以外の三人が命を懸けて囮になって、俺たちを逃がしたんだ」
騎士さんは歯を噛み締めながら、涙ながらにそう言いました。考えたくはありませんが、他の三人は……。
「でも、あんたは助かったんだろう? そこのも。だったら前を向いて戦うしかないんだよ。わかるね?」
「はい。でも……」
「あんたは何を託されたんだい?」
「俺は……」
騎士さんが続けようとしていた弱音を飲み込んだように見えました。そして、溢れた涙を乱暴に手の甲で擦ると、眉間に力を入れて真っすぐに医務長を見ていました。
「ワイバーンの事を知らせて、奴らを殲滅すること!」
「だね。じゃあ、腹も膨れたことだし、行ってきな!」
「はい!」
騎士という在り方を体感した私は、つい息を飲んでいました。
これが私たちの疑わなくてはいけない騎士たちの姿なのか、はたまた、そもそもの犯人と騎士とが無関係なのか……。私は正直迷い始めています。
騎士さんが立ち上がり、報告に向かおうと動き始めた瞬間、タイミング良くか悪くか、ドアがノックされました。受け答えをしようと声を出そうとしましたが、それよりも先に無許可で扉が開かれました。
「お前か。血だらけで帰ってきたというのは……。確か、コリン・ロガードだったか」
男性は怪我をした騎士さんを見ると、そう言って近付いてきました。名前を知っているところから知人なのかもしれません。
そんな男性の整った顔と、深く刻まれた眉間のシワを見ていると、私と男性と目が合いました。
「お前は確かレフィ・キュアルだったか。新人の」
どうして私のことを知っているのでしょうか? 気になりました。けれど、私が答えるよりも先に、医務長が説明していました。
「そうですよ。支部長。この子がそこの寝てる騎士の治療をしたんです。私でも治せないような、死にかけを治したんです。今回の功労者ですよ」
「そうか。そうだったのか。――感謝しよう。……うむ。となれば同席させても問題ない……か」
必要な情報だけが次々と飛び交っています。たった一度のやり取りで、概ね互いの伝達事項が伝わり、次の用件へと話が進もうとしていました。
支部長さんは、どうやら新人の私をこの場から外そうとしていたようです。中々に刺激の強そうな話になりそうですので、気持ちは理解できますが。
そして、私の想像が当たっていたのかはわかりませんが、支部長さんは再度私の表情を確認してから、騎士さんの前に座りました。
「話を……」
そこから、私たちにしてくれた話よりも具体的な話が始まりました。どの方角からワイバーンが来たのか。一斉に百匹来たのか。種類は同じなのか。大きさは? 色は? 攻撃方法は?
それら全ての質問と報告が終わるのに、約三十分もかかりました。そして、話の終わりに支部長さんは呟きました。
「百余りで足りるか……」
「はい?」
「討伐隊の人数だ。百名程度。C級とB級で最低限事足りるだろう」
「いえ、ちょっと待ってください! 大々的に騎士団の総戦力を持って、対応にあたるべきではないのですか!」
騎士さんは驚きと若干の苛立ちを乗せてそう言いました。
私の意見も同じで、この街でただのんびりとしているくらいであれば、有事の際、正に今動くべきだと思いました。災害級の魔獣の群れ。その対処に最大の戦力を当てる必要があっても、最小の戦力で戦う必要はないのです。
しかし、支部長さんは頑なでした。
「その必要はない。必要な数と性能があれば問題はない筈だ」
「その数と性能が足りていないでしょう! S級やA級もいるんです! もっと上手くできる筈です! なんなら『歯車』に応援を要請してハル・ノシアンを……」
「ないな。必要戦力については私の方が判断できる。個々の能力についてもだ。お前が口出しすることではない」
「だったら、俺は何のために伝言を託されたんだよ……」
悔しげに唇を歪め、小さな声でぼやきました。その姿がとても辛そうで、先程までの気力を回復させた姿が嘘のようでした。
ワイバーンが百匹ですか……
「あの、少しいいですか?」
私は冷静に今ある知識を元に考えをまとめあげます。正確に、無駄なく。それでいて、興味が持たれるように……。
「ワイバーンの数は本当にそれだけなのですか?」
「それだけ? とは?」
掴みは良さそうです。あとは的確に……。
「あくまで今の話では、この騎士さんがいた段階での話ですよね? もっと増えている可能性もあると思いまして」
「ふむ……」
興味深そうに支部長は顎に手を当てました。
「それに、ワイバーンがこれだけの動きをしたのであれば、他の魔物や魔獣たちも動くかもしれません。生態系に敏感な生き物であれば、大規模な移動をとることも」
「成る程な。となれば人員の見直しが必要か……」
「はい。最低限度柔軟に対応が出来るS級は必用だと思います」
「であれば、S級三人と、その者らの下に四人ずつA級と言ったところだな。どうだ?」
異論はないのかと訊かれたようでしたが、私には上手く判断は出来ません。ですので、実際にその場を目にした騎士さんに判断を委ねるために、目で合図を送りました。
「はい。その戦力であれば問題ないかと」
私の代わりに騎士さんは頷きました。取り敢えずこれで第一段階はクリアしたようです。
「わかった。すぐに手配する。討伐は明日になる。一応だが、医療班も借りるが、今ここに居る者を呼び出しはしない。レフィ。お前の友人も経験不足なので討伐隊には加えない。伝えておくように」
「はい。かしこまりました」
少し歯痒い気持ちもありましたが、仕方ないでしょう。
そして、ようやく話は締めへと向かい、足早に支部長は部屋を出ました。
すると、先ほどの騎士さんがこちらを向いて勢い良く頭を下げました。
「本当にありがとう!」
「はい。満足していただけて良かったです」
騎士さんの仲間を思いやる姿が、アイトさんの姿と重なり、私は笑顔で感謝を受け取りました。




