僕はビンボー道を極めて幸せになりました!
十六
お金と幸福度の関係については経済学や経営学などの分野で日々研究されているが、私たちの経験法則にも合致する研究結果が多く発表されている。
たしかに、資本主義の世の中において、お金がないと生活が成り立たないので、お金と幸福度の関係には一定の相関があるだろう。しかし、年収一千万円と年収三百万円のサラリーマンの間には、幸福度に大きな差があるのかといえば、必ずしもそうではない。
最近、エッセンシャルワーカーやソーシャルワーカーがコロナ渦において注目されている。文字通り、社会に必要不可欠な仕事をされている方々だが、こういった仕事が必ずしも高給取りではないことは余人の知るところである。
「ありがとう」の数と収入の過多は比例しないのだ。
そんなお時勢にあって、ビンボー道とは幸せを追求する道であることを、今一度明記しておきたい。
そして、聖職者と性職者の関係…。いや、聖職者と性職者は表裏一体の関係である。
思い返せば、私が中学生の時に体育を担当していた先生が、ある日突然、電車で痴漢をやらかしてしまい、学校を更迭された。その先生は朝から晩まで一日中、サングラスをかけていたのだが、なるほど、サングラスは運動場に照り付ける強い日差しを遮るためではなく、いやらしい目の動きを周囲にバレないための道具だったのだ。モノには、それ相応の役割がある。
天下の公立学校の先生(エッセンシャルワーカー兼ソーシャルワーカー)もたった一日で世間から抹消される。最近は情報技術の発展が目覚ましく、日本も情報統制社会に移行しつつあるので、天気予報のゲリラ豪雨よろしく、「聖職者のち性職者」となるケースが急増していくだろう。
また最近、何を思ったのか市井の爺さんや婆さんたちが市中警察に成りあがるケースが目につく。一見すると、彼らは正義なのか、それとも偽善者なのか判断が難しいところだ。さらに若者も手持ちのスマートフォンでパシッと証拠となる写真を撮影して、軽いノリで聖職者を弾劾するための証拠を、役所にメールで送りつける時代である。
あちこちから漏れ出る情報で聖職者が堕天使になり、社会から抹殺される…。いやはや、ビンボー道とは堕天使と無縁であることを願うばかりである。




