第一話 炎の夜 中編
「シーラ様――!!!!」
瞬時に落下した場所に向かう。
(間に合わない――!)
走りながら、タンタの姿は豹変していた。
体中から毛が生え、爪が伸び、顔は人ではなくおおよそ獣のそれに近いものになった。
そして、先ほどの倍以上の速さでシーラの元へ急いだ。
(臭い――!)
悪臭が鼻をつんざく。
この姿は五感が遙かに鋭くなる。
屋敷の焦げた匂いと死体の匂いが、私を襲う。
我慢しながら先へ進む。
(見つけた!)
視界に人影が映る。
遙か先に誰かが立っている。
遠目から確認できたのはそれくらいだった。
「シーラ様!ご無事ですか!」
私は炎の中の人影に向かって叫び、速度を落とさずその映え向かう。
反対に、近づくにつれて希望的観測が薄れていった。
シーラ様よりも遙かに高い背丈、腰までかかるほど長い黒い髪、間違いない、彼女は――
「ヌヌ様...!」
海の向こうから亡命してきたコイワ人、異国の知識と強い探求心を買われ、ここ数年最も魔女の研究に貢献してきたお方だ。
そして、シーラ様と私を救って下さった方でもある。
「遅かったわね、タンタ」
ヌヌ様はゆっくりと私に問いかける。
「申し訳...ございません...」
私が来るのを待っていた?
なぜ?ここに来たのはシーラ様の姿が見えたからだ。
そうだ、このあたりにはシーラ様がいたはず...
「あの、先ほどこのあたりにシーラ様の姿が見えました!まだ近くにいるはずなのですが、ご存じないでしょうか...?」
恐る恐る問いかける。
「疑問の種を放り投げるのは悪い癖よ?直しなさい、タンタ」
「はっ、申し訳ございません」
「まぁいいわ、シーラのことだったわね
もうここにはいないわ、探しても無駄よ」
ヌヌ様はゆっくりと優しく、だがきっぱりとそう答えた。
「それはどういう事でしょうか...?」
私は膝を地に着け、跪きながら問い直す。
全身の毛が逆だつほど、体が緊張している。
心臓の鼓動が早くなる。
ここは、彼女は危険だと、ここから逃げろと訴える。
だが、聞かなければならない。
シーラ様の事を少しでも知っているなら。
私はシーラ様に救われた。
泥のような飯を食わされ、重い鉛の枷をはめられ、ずっと牢の中で外の人間の見世物にされていた地獄から、解放してくれた。
私には大人の人間よりも力がある。
同じくらいの年ながら小さく弱々しく見える彼女を、守りたい。
私にできることはそれくらいなのだから。
改めて私は覚悟を決めた。
「そんなに守りたいと思うならどうしてもっと早くその姿にならなかったのかしら?」
見透かしたように問いかけてくる。
「その姿なら、屋敷全体くらい嗅ぎ分けることなどできたでしょう?」
その通りだった。この姿ならこの屋敷のどこにシーラ様がいるかくらい分かったかもしれない。
でも、
「でも、臭いものね。
屋敷や死体の焼けた匂い、鋭すぎる嗅覚じゃその身に余るかもしれない。
でも絶対耐えられないって訳でもなかったはずよ。
でもあなたはそうしなかった。
結局自分可愛さにその姿にならなかった」
ヌヌ様の言うとおりだった。
すぐにこの姿にならなかったのは、きっと大丈夫だろうという甘えが確実にあった。
「結局その甘えのせいであなたはシーラを見つけられなかった、いや違うわね
あなたはシーラを見殺しにしたのよ」
見殺しにした?
どういうことだ。
まだシーラ様は見つかっていない。
いや、やめよう。
おそらくシーラ様を、この屋敷を襲ったのは...
「そう、私よ」
見透かしたように心の疑問に答える。
「私が屋敷を爆破して回って、シーラを手にかけた。
その間、わざとゆっくりシーラを追っていたのに、あなたは間に合わなかった」
「なんのためにこんなことを...?」
ヌヌ様は元は余所者とはいえ、その実力を評価され待遇は悪くなかったはずだ。
むしろ現当主からは血筋の方々を除けば最も可愛がられ、屋敷の中ではもちろん、好きなときに外出したり必要なものがあれば屋敷がすべて用意したりとかなり融通が利いていた。
それなのになぜ。
「今のあなたには分からないわ」
ヌヌ様は冷たくあしらった。
その顔はどこか寂しげで、何かを憂いているようだった。
「さ、話は終わりよ
あなたは自分に甘かったせいでシーラを救えなかったし、力が無いせいで敵を討つこともできない。
それとも決死覚悟で私に挑むのかしら?」
私は黙ったまま動かない。
いや、動けなかった。
頭が混乱して、現状の理解が追いつかない。
シーラ様が...死んだ...?
ヌヌ様が裏切った...?
私は...間に合わなかった?
「...ともあれ最後に......
せいぜい......」
ヌヌ様が何か言っている。
うまく聞き取れない。
頭が回らない。
待って...?
なんで...?
どうして...?
ヌヌ様が手で銃の形を作り、指先を私へ向けている。
え...?
「バ~ン」
言葉と同時に、私の胸は何かに打ち抜かれた――