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女子高生が狼男に傘を貸す心理とは

作者: 哘 澪

「あのっ、よかったらこれ! 使ってください!」

 その言葉ともに差し出された桃色。戸惑う暇もなく男の手にねじ込まれたそれ。

「えっ」

「それじゃ!」

 走り去っていくセーラー服。行き場を失った自分の手。

 どれもこれも、男の想定外なものであった。


 ジルギス・エンデクオン、三〇歳。あらゆる種族が「人族」として生活するこの世界においては、「獣人」と分類される男だ。動物に例えるならば「狼」と呼称されるだろう容姿に、引き締まった体躯。道を歩けば、すれ違う人々が恐怖を顔に出す程度には威圧感のある外見である。

「ジルギス先輩、お疲れ様です」

「おう」

 挨拶をしてきた後輩に、短く返答する。大工として働くこの男は、今日もまた現場での仕事を終えたところだ。

(スーパーで買い物して帰るか……)

 この男、こう見えて趣味は料理である。夜の献立を何にするか考えながら帰り支度を整えていく。支度をしていると、先程の後輩が話しかけてきた。

「先輩、もうすぐ一雨来そうっすね」

「ん? ああ……」

 雨、と聞いて空を見上げる。確かに空は鈍い灰色に澱んでいて、いつ降りだしてもおかしくない様子だった。

「早めに帰らないとな」

「そうっすね。オレ今日傘忘れちまったんですよ」

 テへへと笑う後輩に、ジルギスは苦笑する。この後輩ならやりかねない。そう思いつつ、ジルギスは自分の荷物を調べる。

(……俺も傘無いな)

 後輩を笑っている場合ではなかった。男の背に冷や汗が流れる。

(天気予報見てきたんだがな)

 ジルギスは水が苦手だ。風呂は当然入るし慣れているが、突然の雨というのはどうにも不得意だった。傘を忘れるなんて初歩的なミス、するはずがなかったのだが。

(疲れてんのかな……今日は早く休もう)

 一人で納得する。後輩には言わない。そのまま支度を終えたジルギスは、後輩に別れを告げて帰途についた。


 予定通りスーパーに向かう。今日は急いで家に直行しようかとも思ったが、冷蔵庫に何もなかったのを思い出したのだ。

(さて、何を作るかな)

 品揃えや値段、財布と相談しながら食材をカゴに入れていく。

(今日は冷えそうだし、温かいものがいいな)

 本当なら鍋がよかったが、あいにくの一人暮らし。一人用の鍋もなく、そもそもジルギスに「一人で鍋を食べる」という発想がなかった。

 選んだ食材を吟味する。特に問題はなさそうだった。少しの間は買い物に来なくてもよさそうな量を購入する。

「ありがとうございましたー」

 レジ店員の声をあとに、ジルギスは袋詰めを始める。一人暮らしを始めてから、もう十年以上にもなるだけあって手慣れたものだ。どんどんと袋に詰め、荷物をまとめる。

(降りだす前に帰らなければ)

 ジルギスの胸にはそんな焦りがあった。だが焦れば焦るほど、人生というのはうまくいかないもので。

 自動ドアが開き、外気に触れる。水を含んだ空気がジルギスの毛皮をわずかに濡らす。ザーという音が耳によく響いた。――いつの間にか、雨が降り始めていたのだ。

(しまった……!)

 ジルギスは荷物を抱え途方に暮れる。いっそのこと走ろうか。そう考えるジルギスだったが、すぐに思い直す。

(走るには……距離があるからな……)

 スーパーからジルギスが住むアパートまではおよそ十五分。体力のあるジルギスといえど、荷物を持って全力疾走するには辛い距離だった。

(傘を買うか……)

 正直もったいないと思う心がある。濡れてしまうことを考えれば背に腹は代えられないが、わざわざ戻って傘を買うのはどうにも面倒くさい。

(止んでくれねーかな)

 空をじっと睨むが、一向に止む気配はない。ザーザーザーザー、耳障りな音が耳に残るだけだ。

(しょうがねえか……)

 やはり傘を買おう。そう考え、店内に引き返そうとするジルギスの視界によぎるものがあった。

 それは、白と紺の学生服。

「あ、あの!」

 唐突に掛けられた声に、思わず声の方を向いた。そこには、高校生らしき少女がいる。さらさらとした黒髪を伸ばした、おとなしそうな人間の少女だ。よく見れば、桃色の物体を握りしめている手が震えていた。

「よかったらこれ! 使ってください!」

 バッと勢いよく差し出されたそれ。細かい花柄が散りばめられた、桃色の折り畳み傘だった。ジルギスが困惑する間もなく、可愛らしい傘が彼の手にねじ込まれる。見かけによらず強引だった。

「えっ」

「それじゃ!」

 少女はあっという間に身を翻し、走って行ってしまった。ジルギスはそんな彼女に手を伸ばしたまま、下ろすこともできずに立ち尽くす。

(ええー……?)

 こんなことってあるのか。まさか見ず知らずの人、それも女子高生が傘を貸してくれるなんて予想だにしていなかった。ジルギスは握らされた傘を見る。女子高生愛用の傘らしく少し小ぶりで、ジルギスが使うには小さいものだった。とはいえ、何もなしで歩くよりは水を防げるだろう。

(使わせてもらうか)

 ジルギスはその傘を開く。持ってみるとやはり可愛らしい傘で、いかついジルギスには到底似合わないものだった。

(あいつらが見たらなんて言うか……)

 職場の面々を思い浮かべる。笑われることは目に見えていた。後輩に至っては、立場など考えず爆笑するに違いない。

 決して誰にも見られるまい。そう決意を固めたジルギスは、足早に自宅へ向かって歩き出した。


「やっと……着いた……」

 家に入って扉を閉めた途端、座り込む。なにやらどっと疲れた。

 すれ違う人々の視線がいつも以上に痛かった。もうあんな思いはしたくないと感じるほど。

「とりあえずシャワー浴びて乾かそう。そうしよう」

 買ったものを冷蔵庫やら戸棚やらにしまい込む。その作業が終わったら、流れでシャワールームに向かう。濡れたままでいるのは、どうも気持ちが悪い。いっそしっかり洗ってから、カラっと乾かしてしまいたい。

 次にジルギスが傘のことを思い出したのは、風呂から出て夕食を作っているときだった。

「そういや、あの傘……返さないと困るよな、あの子」

 少女が着ている制服には見覚えがあった。確か、徒歩で行ける範囲内にある高校だ。見ず知らずの獣人に傘を貸す、優しい生徒の話を高校にも伝えておくべきではなかろうか。

「連絡先、調べてみるか」

 電話をする時間帯をどうするかが不安だが、まあどうにかなるだろう。高校にも傘を届け……られるかが微妙だが。ジルギスはそんなことを考えながら、調理を進めていった。


 結論から言うと、ジルギスが高校に連絡をすることはなかった。持ち主に思いがけず出会うことができたからである。

 それは、ジルギスが傘を借りた翌朝のことであった。

「やべ、茶買ってねえ」

 茶葉を切らしかけていたのを忘れていた。昨日の買い物で買う予定だったのだが、買いそびれていたらしい。

「買いに行くか……」

 今日、ジルギスは休みである。茶葉だけを買いに行くのも面倒だが、今日行っておいたほうがいいだろう。扉を開けて、外へ出る。それと同時に、右隣の扉も開いた。

「行ってきまー……」

 隣から出てきた少女の挨拶が、途中で止まる。彼女の視線はジルギスへ向けられていた。

「君は……」

「ああああ‼」

 ジルギスは「傘の」と続けようとしたが、少女の叫びに遮られる。少女の家の奥から「何⁉ どうしたの⁉」という声が聞こえてくるが、少女はそれを無視して扉を閉めた。

「えーと……昨日傘を貸してくれた子、だよな?」

「はははは、はい!」

 突然の出会いに緊張しているのか、少女の声が上擦っている。目線はそわそわとせわしなくジルギスの周囲を彷徨っていた。

「傘を忘れててな。おかげで助かった。あ、今返してもいいか?」

「はっ……はい!」

 部屋へ戻り、傘を手に取る。ジルギスは玄関先で待っていた少女に傘を手渡そうとした。

「わっ……!」

 渡す瞬間、お互いの手が触れた。そう思ったとき、かしゃんと傘が地に落ちる。

「すまない」

「すっ、すみません!」

 同時に謝り、同時に傘を拾おうとする二人。そのことに気が付いた少女は、バタバタと手を振って慌てた様子だった。

「ほ、本当にすみません!」

「いや、気にしてないさ。ほら」

 ジルギスは傘を拾い、今度こそ少女に手渡した。少女はまるで宝物を手にするかのようにそっと受け取ると、傘を抱きしめる。

「……そんなに大事なものなのに、貸してもらって悪かったな」

「え、あ、ち、違います!」

 赤い顔をした少女が叫ぶ。俯いた少女は、ポツリと呟いた。

「や、やっと……お話できたから……」

「え?」

「な、何でもないです!」

 ジルギスは少女の呟きを聞き取ることができなかった。少女が再び手を振って否定する。

「えっと、その、ありがとうございました……?」

「……礼を言うのはこっちなんだが」

 少女のとんちんかんな発言に、ジルギスが破顔する。少女がバッと顔を上げ、じーっとジルギスの顔を見つめた。

「ん……? 俺の顔に何かついてるか?」

「い、いいえ! 何でも! ないです!」

「? そうか」

 ジルギスは不思議に思ったが、これ以上少女を拘束することもないだろうと追及しなかった。

「それじゃあ俺は買い物に行くから、じゃあな」

 そのまま去ろうとするジルギスを、少女が声を裏返しながら呼び止める。

「ま、待って、ください!」

「……どうした?」

 少女はぷるぷると震えていたが、意を決したように頷く。

「わ、私! 恩樹笑実(おんじゅえみ)っていいます! 高校二年生です!」

 突然名乗った少女――笑実に、ジルギスはくすりと笑みをこぼした。続いて自身も名乗る。

「俺はジルギス・エンデクオンだ。――よろしくな、お隣さん?」

「! は、はい!」

 笑実は嬉しそうに笑う。いったい何がそんなに嬉しいのか、ジルギスに知るすべはないが悪い気はしない。

「じゃあ、俺はこれで」

 今度こそ去ろうとするジルギスを、笑実は呼び止めなかった。代わりに、ジルギスが見えなくなるまでその場に立ち尽くしてぼーっとしていたのだ。

 ――ジルギスは、知らない。

 このあと、笑実が自分の家に飛び込んで妹に抱きつくことを。「エンデクオンさんとお知り合いになれちゃった!」とはしゃぐことを。

 ――今後も、笑実とかかわることになることも。彼女の想いも。ジルギスは知る由もなかったのだった。


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