私、あなたを見た事があります
しんと冷える深夜、一軒家の二階の部屋だけが煌々した灯りがあった。愛海の母は夜に帰宅したが、父は帰らないそうだ。
理由を聞くと母は「浮気をしているのよ」と冷たく言い放った。よほど疲れているのだろう、日付が変わる前に床についたようだ。
通学路は、朝の騒々しさは姿を消し、遠くから自動車やバイクのエンジン音が響いてくるだけだ。
愛海は、受験勉強の疲れが溜まっているのだろうか、ただ底冷えしているからか、とにかく腰痛と肩こりがひどく重く感じる。
椅子から降り、体を反らすと腰がポキポキと鳴った。
心無しか、小腹も空いてしまったようだ。なにか暖かいものを、とキッチンへ向かうものの、どうせならコンビニの冬季限定の中華まんが食べたい気分になってしまった。
部屋着のままコートを羽織り、小銭をポケットに突っ込み家を出る。
外の切りつけるような寒さに、前屈みになってしまう。月はなく、まちまちにある街頭を頼りに夜道を歩いた。
五分ほど歩くと、一際明るい建物が浮かび上がるように建っている。コンビニに着いた亜美は、店員の気の抜けた「いらっしゃいませ」に会釈をするし、ハッとする。
──あの人だ。
無造作にまとめられた髪に、灰色の瞳。よく見ると、黒髪によく映える紫のピアスをしている。
不思議だった。自分と同じ瞳のはずなのに、目を逸らす事が許されなかった。
お世辞にも愛想がいいとは言えない表情の彼女が「何か?」と声を発するまで、愛海は彼女を見つめていた。
「あの、公園の……」
「は?」
あまりに突然の出来事に、愛海の思考は未だ追いつかず、舌を回すのが精一杯だ。
「朝、公園に居ますよね。私、あなたを見た事があります」
「はぁ……」
彼女はさらに怪訝な顔をする。それはそうだ。来店した客に『あなたを見たことがある』なんて言われれば気味が悪い。一歩間違えたらストーカーとして通報されてもおかしくないだろう。
ち、違うんです、と付け加え狼狽する愛海は、怪しいの一言だ。
「さ、寒くないのかなー……。なんて」
「そりゃ寒いですよ」
「そう、ですよね」
愛海はついに言葉に詰まってしまった。
いつか話してみたいとすら思った人物が目の前に居る時、つまらない質問でさえ降りてこないのを、愛海は初めて知る。
モジモジと次の言葉を探しているうちに、彼女が口を開く。
「えっと……、あなた何をしに来たの?」
「あっ、中華まんです。期間限定の」
「しょうがまん? あれ結構美味しいですよ。温まるし」
「そうなんですね! 実はずっと気になってて」
「へぇ。いくつ?」
「えっ? あの今年で十五になります」
「いくつ食べるの?」
「あっ、すみません、ひとつで結構です!」
可笑しな会話にも彼女は、にこりともしない。
穴があったら飛び込みたい気持ちだ。その後、会計を済ませ店を後にする。
ホカホカのしょうがまんを食べながら、数分前の出来事に思わずスキップをした。跳ねる度、ぽろぽろと具材が落ちたがどうでも良かった。
しょうがまんを食べる前から、心身ホカホカで、とてもいい気分だ。やがて疲れ、レジ袋にゴミを入れてのんびり歩いていると、熱も冷め、冷静さを取り戻す。
「名前、聞けば良かったな」
玄関の重い扉を開けると、教材と睨めっこの再開だ。窓からコンビニは見えず、夜の闇に紛れた愛海の瞳は到底、彼女の瞳の美しさには適わなかった。
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