最後に名前を呼んでくれたのは
「ねぇねぇ、もう一回クラス分け見ようよ!」
式が終わり、体育館シューズから上履きに履き替えている時、また少女が話しかけてくれた。
ふたりでクラス分けを再度確認すると、何の偶然か同じクラスだ。
少女は息を呑むと「やったあ! これからよろしくね!」と、小さくガッツポーズをした。
「どうしようかな……」
仕草や言動が可愛らしく、ついいたずら心が芽生えた愛海は、わざとらしく悩んでみる。
「えぇ、そこは『私こそよろしくね』って言うとこでしょ〜!」
厚い唇をすぼめ、セミロングの髪の毛をクルクルと指に巻き付ける仕草をする。
本気でやられるとかなりめんどうだが、目の前のこの子はおふざけでやっているらしい。すぼめた唇の端が不自然に上がっていた。
「ごめんね、つい」
「わぉ、いい笑顔。ごめんなんて思ってないでしょうが!」
「ふふっ」
ほとんど初対面にも関わらず冗談まで言える相手だ。これからきっと長い付き合いになるだろう。
中学ではろくに友達が居なかった愛海はそう実感した。
「ほら、君たちも教室に行きなさい」と教師に催促されるまで、ふたりは談笑を楽しんだ。
教室では定番の自己紹介が行われた。少女の名前は本町友梨香と言うらしい。これからの呼び名も決めた方がいいだろう。早速出来た友達に浮かれる。ホームルームの話なんて愛海には聞こえなかった。
入学初日は午前までだ。午後からは下校となる。
友梨香と売店で適当に済ませた後、ふたりは喫茶店に行くことになった。
友梨香の話しに相槌を打つだけで予定が決まる。愛海にとって楽な事だった。
喫茶店に着くと、友梨香はお冷を一気に流し込む。
「春とはいえ、ちょっと歩くと暑いなぁ」と友梨香は言った。パタパタと制服をはためかせ、体に風を送る。
「うん」愛海はハンカチで汗を拭う。
高い天井にぶら下がったプロペラが回っているが、時計の秒針の方が速いだろう。
快晴の中、十分ほど歩けば汗ばむ陽気だ。少しくらい冷房を付けないと、不要なクレームまで入りそうなものだが。あいにく上品なお客ばかりで、冷房は入らなさそうだった。
ふたりはアイスココアを注文し、しばし涼む。運ばれたアイスココアは、ホイップはもちろん、さくらんぼもミントも無い至極シンプルなものだった。
「ここ雰囲気いいね」
「でしょ。高校生になったら通いたかったんだ」
友梨香は照れたようにはにかむ。
お店の雰囲気はとても落ち着いている。確かに中学生には行きにくいのかもしれない。値段設定もファミレスより高めの設定だ。オシャレなカフェ、というより大人の喫茶店、という第一印象だった。
「チェーン店のカフェより落ち着けて好きかも」
「愛海は普段から来てそう」
愛海は名前を呼ばれ驚いた。随分と久しぶりに呼ばれた。最後に名前を呼んでくれたのは──。
「呼び捨ては嫌だった?」友梨香は眉を下げる。「馴れ馴れしかったかな。ごめんね」
「……いいの。ちょっとびっくりしちゃって」
「うんうん、びっくりした顔してる」
「どんな顔?」
「こんな顔」
友梨香は大きく目を開き、口を半分閉じた。なるほど、これは驚いた顔だ。この顔を自分がしていたのかと思うと恥ずかしい。
「友梨香」
「な、何?」
「って呼んでいい?」
「もちろん! 私も愛海って呼んでいい?」
「どうしようかな」
「またそれ? 愛海って案外イジワルだなー」
「もう呼んでるじゃない」
ふたりは笑い合い、半分ほど飲んでしまったアイスココアで乾杯した。音が鳴らないように、優しく。