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天と地と人  作者: 豊臣 亨
序章  騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード
8/49

騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (八)

5/13 もろもろもろもろ訂正。


 朝靄(あさもや)けむる早朝。


 円形で切り取ったかのように森が開け、小さな平原が広がる。この地がヴィルグリカス平原。さらに南下すると広大な平原が茫漠と拡大してゆく。


 集結するミハエル率いるアルクスネ部隊。


 いよいよ決戦の日が到来した。


 森から出て進軍し、言葉なく平原全体を見渡す。


 森に取り囲まれるかのように半円を描く平原、その反対側にディディクト・プロンゾ率いるであろうプロンゾ戦士が視界に入った。お互いの姿がちょうど確認できる程度の距離。五キロは離れてはいないだろうが、しかし十二分な距離はある。


 その数はおよそ100。ディレル・ピロンゾが把握している数と同数。


 やはり陣形もなにもない。ただ、集っているだけにみえるプロンゾ戦士たち。


 時はすでに春。日が差すとぽかぽかとした暖かい風が平原を包む。短い春の到来を逃すまいと、様々な草花がその生を謳歌していた。時が時でなければ、のんびりとシートでも敷いて弁当を広げて空腹を満たして、仲間たちと戯れながら居眠りしたい、そんなのどかな風景だ。


 しかし、ディルツ騎士団にそんな精神の弛緩など許されない。自身の生がここで尽きるかどうかの、重大局面である。


 気を引き締め、直ちに陣形を整えるミハエル。


 わずか1000名のアルクスネ駐留部隊ならば陣形を整えるのに30分もかからない。


 この時代の十字軍は、騎乗した騎士に従卒やその部下たる兵士が護衛し援護する、というのが基本だ。従卒は騎士修道会に入った騎士見習いという立場で、平民や農民の優れた子か、貴族の子供が担う。普段は日常生活の面倒や馬の面倒などをみる。そしていざ戦場ともなれば予備の武器をもったり、負傷した馬に替わる馬を引いたり、戦いに参加しながら主の補佐に徹する忙しい役どころだ。


 軍が装備の一切を支給する時代ならともかく、この時代の装備は各々の家の財力に比例する。しかし王侯貴族に仕え給金で生活する騎士たちとは違って十字軍たる騎士修道会に属する彼らにはこの時代、多くの喜捨、寄進があり財力は豊かである。よって装備はある程度整えられている。


 騎士たちは鎖帷子(くさりかたびら)、全身を覆い膝まで届くチェイン・メイルを着ている。チェイン・メイルは鎖をつなぎ合わせて作られており体の各箇所でベルトでまとめる。体の動きを阻害しにくくしかも軽度の斬撃や刺突にも守られる優秀な鎧である。その上にキルト素材のサーコートをまとっていた。そして片手剣ショート・ソードを主武器として、騎士の誉れとも言うべき十字軍紋章が描かれた下部が丸みを帯びた逆三角形の形状のヒーター・シールドで下半身をも守る。兜はいわゆるバケツ型とよばれるバレル・ヘルム。頭部全体を守る頑丈な兜だ。視界は悪いし息苦しいが、堅固さでは優秀な兜である。


 騎兵などは動きやすさを重視して板金鎧である胸甲によって上半身を守るがそれ以外の部分は革の鎧とキルトのサーコートで守る。剣や槍を装備し、ほとんどの騎士は弓や弩などの投射武器の使用を嫌う。騎士の誉れとは直接相対して相手を屈服せしめることだからだ。


 多くの兵士もチェイン・メイルと古代から連綿と続く形状の兜、バルビュータにラウンド・シールドを装備していて、武器は剣や槍、ハルバードなどだ。分厚い鎧をまとった人間同士の戦いなら剣などより鈍器、戦斧やハンマー、メイス、フレイルなどが有効だが、プロンゾ戦士との戦いならば剣が有効となる。もっとも、グナクトのようにドラゴンなどの堅固な革をまとった戦士もいるため必ずしも斬撃が有効となるわけでもないが。


 弓兵はほとんどがまともな鉄製甲冑も着ないが唯一、ケトル・ハットという鉄の兜をかぶっている。弓兵ならば上空からの攻撃の恐ろしさを誰よりも知っているからだ。そしてごく簡単な革鎧に腰にバックラーと呼ばれる小型盾とダガーなどを装備して護身につとめる。弓兵は基本的に中長距離攻撃が主で、敵と交戦中ともなれば支援で矢を降らせるのがメインであり、自身が格闘することは多くはない。とはいえ、敵が目の前にあって攻撃を受ければバックラーで相手の攻撃をそらしつつダガーで反撃したりバックラーそのもので殴打することもある。


 そして、自分の家や名誉や土地を守る通常の貴族騎士とは違って、十字軍騎士を律するのは宗教教義であり修道会の厳しい戒律である。たとえば敵前逃亡は味方を裏切る恥ずべき行為とみなされた。よって他の世俗騎士よりはるかに勇敢だ。


 当然、世俗を捨てた修道会に属する騎士たちは一代限りの身分である。よってその存在理由はいかに勇敢であるか、いかに名を残すか、であるから世俗騎士よりはるかに勇敢であるのは当然なのかもしれない。そういう意味では勇敢なる戦士は戦士にふさわしい楽天『ヴォールホン』に召されると信じているプロンゾ戦士に近い立場なのだろう。


 そんな勇猛なる騎士団、アルクスネ部隊を統率するのがミハエルとノルベルト・グリモワール。


 ミハエルはミスリル銀製の聖騎士甲冑に身を包む。斬ることを捨て護身を優先させた木刀のように刀身が太い剣を()いている。左手には矢じりを半分に切ったような形状のカイト・シールド。兜は軽度の装飾をあしらったシュガーロート・ヘルメット。面頬(めんぼう)と呼ばれる顔の部分を覆う箇所が開くようになっている。がぽっとかぶることになるバレル・ヘルムよりはるかに呼吸がしやすい。唯一のミスリル銀甲冑装備者であり、全装備重量でも五キロほど。徐々に上ってきた朝日に照り映え神々しく輝く。


 ノルベルトは使い古した金属甲冑に身を包み、その背には大きなバスタード・ソードを斜めに下げていた。長さはおよそ150センチ、幅は20センチはあろうかという幅広で長大な剣だ。馬上で戦うことに主眼を置いた長い剣もあるが、ノルベルトは傭兵時代からこのバスタード・ソードを愛剣としていた。両手で扱うため盾は装備しない。その戦闘スタイルは剛より柔。相手が切り込んできたのならそれを受け流して相手の力をそのまま流すように滑らせて反撃で切りかかる。しゃにむに切りかかるのではなく、相手の勢いを逆手にとるやり方だ。これは特に怪力をもって襲ってくる南方の暗黒地帯に蛮居(ばんきょ)する亜人に有効な戦い方だが、相当な手練れでもないかぎりは人でも有効だった。ここ数日、忘れていた勘を取り戻すべくミハエルを相手に猛特訓に励んだのだ。かつての力を取り戻した今、落ち着いて戦場にたたずむその泰然とした姿は、数々の戦場で勇名をはせた歴戦の剣士としての面目躍如たるものがあった。


 800の歩兵が中央に展開、存在感を漂わせる。いまは弓隊が前方にあるが、敵軍と激突となればミハエルやノルベルトが最前線に打って出る。その一部で一隊を率いるのがフランコ・オイゲン。徒歩(かち)で歩兵を率いている。騎乗するのが何もすべて騎士というわけではない。中にはメン・アット・アームズ、徒歩(かち)騎士だっている。


 左右に50ずつ展開するのが遊撃隊たる騎兵。バルマン・タイドゥアが剣騎兵を、ガンタニ・テューリンゲンが槍騎兵を率いる。


 そして最前線で散兵に配された弓隊100を率いるのがヨハン・ウランゲルだ。


 もはや生簀管理が主な仕事になりつつあったヨハンたち弓隊だったが、最前線にあってプロンゾバーサーカーの激流をいの一番に受けることになるかも知れない恐怖に、訓練に一番励んだのが彼らだ。


 この二年間まったく殺傷行為を、いやそもそも戦闘行為すらやめてきたが、己の命を捨てて襲い掛かってくるであろうプロンゾバーサーカーに遠慮など無用、とミハエルやノルベルトの決断により全力排除を決めた。さすがに今回ばかりは人命尊重などいってられない。本来の蛮勇の闘志を取り戻すべく死に物狂いの猛特訓だった。しかも、どれほど肉体を酷使しても寝ればミミクル・プロンゾとケット・シーのニーモの魔力供給によって翌日に体力は全快、それどころか本来もてる以上の力がみなぎってくるのである。張り切らないわけにはいかなかった。


 戦闘開始ともなれば、騎兵以上の高速で突進してくるであろうプロンゾバーサーカーに対して、初撃においていかに有効な弓を浴びせられるか、バルマンやガンタニ率いる騎兵相手に弓の角度を練磨したのだ。そしていざとなれば速やかに後方に避退、それからも状況が許せば矢を雨あられと浴びせる。魔法部隊が存在しないアルクスネ部隊にとって唯一の支援兵科であるのだ。いきおい、自身の活躍いかんに全軍の命運がかかっていると気を張っている。


 そして、ミハエルらから左後方の森に沿った小高い場所にリリクルとミミクル、ニーモ、ビーククト・ブロンゾが戦闘を見届けるためにやってきていた。


「ミハエルらは生き残れるであろうか………」


 できるだけの手は打ったとはいえ、不安は尽きない。リリクルは言いようのない焦燥に胸が焦がれる思いだった。戦士として優れた力量をもつと信じる自分たちより、はるかにミハエルたちは優れていた。そのミハエルらにミミクルやニーモが加護をもたらしたのだ。ならば、と思う。


 しかし、プロンゾバーサーカーの脅威は別次元であることを知ってる。


 リリクルたちはあの二年前のアルクスネ大決戦において族長の居城たる『アトゥーレトゥーロ』でディレル婆の遠見の術で状況を見ていた。


 もはや過去の物語、プロンゾに禁忌ありと子供に教え諭すくらいのものだった狂戦士。それが現代によみがえったのだ。しかもそのありようは常軌を逸していた。


 見ているだけで恐怖で身がすくんで体が震えたほどに。


 あんな狂気の激流をこれからミハエルらは浴びねばならない。自分なら、到底耐えられないと思う。


 あの場に立つだけでも、ディルツ騎士団はすごい、とかけねなしに思う。


「ミハエルさんなら、きっと………」


 リリクルの服のすそをつかんで、ミミクルが震える。自分にできることは精一杯やったつもりだ。だが、これが本当にこれで十分だったのだろうか。できることは他にもあったのではないか。ミミクルにも不安などつきるはずもなかった。


「信じるしかない。ミハエルはミミと同じ、天に選ばれたものだ。それが、この程度の戦いで命を落とすわけがない。そう、信じるんだ」


 ニーモが諭す。


 天に選ばれた存在。


 確かに、ミミクルもミハエルも天に選ばれた存在だが、だからといって絶対に命を落とさないという保障などなにもない。進化とは、生命、人間の進化とは、ある種の偶然にも左右される。本人がどれほど頑張ろうと、死力を尽くそうと、絶望的なまでに運に見放されたものも、いないわけではない。


 それは天に選ばれた存在だからとて同様、天がどこまでえこひいきをしてくれるかは不透明だ。


 いつ何時、天が目をそらすかなど、天ならぬ身に推し量れるわけもない。


 いま自分でいったように、天に選ばれた存在が、この程度の戦闘で死ぬわけがない、と信じるほかはなかった。




「どうだ、ミハエル。緊張してるか?」


 静かにたたずむノルベルトが視線をプロンゾ戦士から一切そらさずにミハエルに問いかける。


「どうでしょう………、確かに彼らは恐るべき存在です。ですが、加護のおかげか、やれそうな気がします」


 普段と大して変わらぬ様子のミハエル。それなりの戦場を経験しているとはいえ、まだ若いミハエルである。少しは緊張とか恐怖とかあるのかと心配したノルベルトが肩透かしを食う気分だった。


 加護のおかげで充実した元気がみなぎっている。


 元気がみなぎっているばかりか、ミハエルらアルクスネの将兵にはリリクルとニーモの加護の証ともいうべきかすかな光が全身を覆っていた。元気がみなぎるだけではなく、少しの打撃なら無効化できるという。バーサーカーの前には気休め程度だが。


 その充実した元気を発揮したくて仕方ない、そんなミハエルだった。


 そこに気負いとか客気(きゃっき)、空元気などなかった。


「――――上等! おまえと一緒なら死ぬわけがねぇ、そんな気がするぜ。今日はいい戦いができそうだ。む、誰かこっちにくるぞ」


 プロンゾ戦士の一群から、一人、歩いてやってくるのが見えた。


「おそらく、ディディクトさんでしょうね」


 ディルツ騎士団に一人で向かってくるとなれば、それは指揮官か交渉の使者くらいしか考えられない。この場なら、指揮官だろう。


「だろうな。なら、俺たちも挨拶に出向こうじゃねぇか」


「――――はい」

 

 弓隊が左右に分かれてミハエルらに道を開ける。


 森に取り囲まれているかのような平原の両端に相対する陣営からそれぞれ出で、中央で対面する。


 下馬し、兜を脱ぐミハエルとノルベルト。


 じっと、ディディクトをみる。


 ミハエルと同じく、そこに気負いも追い詰められたものの悲壮な覚悟もなにもない。実に晴れ晴れとしたやわらかい表情をたたえたプロンゾの戦士らしからぬ面持ちのディディクトだった。

 

 これから、殺し合いをしようという表情ですらなかった。


「約束どおり、来ていただいて感謝しております。来ていただけなかったらどうしようかと思っておりました」


 にっこりと微笑んで、約束を果たしてくれたことに礼を言うディディクト。


「………約束やぶって、アルクスネの町中でバーサーク起こされちゃ、目も当てられねぇからな」


「ああ、そういう手もありましたね」


 ふふ、と笑うディディクト。


「――――おい」


「冗談です。では、狂戦士対策はされた、ということですね。ああ、そういえばその加護の霊光は巫女の業ですね。………ますます安心です」


 ミハエルらを覆っているかすかな光を見て取るディディクト。巫女の能力であることを理解したのだ。


 それはとりもなおさず、巫女がミハエルらに加担したことを示している。


 プロンゾがディディクトたちを裏切った、という感情的な判断より、ミハエルらディルツとプロンゾが融和に向けて着実に進展していることのほうを喜ぶディディクトであった。


 つまり、自分の、プロンゾ戦士の死が、ある意味融和の架け橋になっている、といえなくもないのだ。融和のためにこそ死を決断したディディクトならば、それも喜べるのであった。


「………はい」


「結構です。ならば、我々も心置きなく死力を尽くせます。こんな陽気な天気のなか戦える。………今日は死ぬにはいい日だ」


 平原に目をやって、少しだけ、感慨深げに目を細めるディディクト。


 草花は一生懸命に命を生きている。世界は、命は、果てることなく続いてゆく。


 ならば、自分の死も。


 死してのち、生きるものもある。


 これから生きて、死を生へとついでくれるものたちをことほごう。


「手ごわき怨敵あれかし。………では、お互いの神々に恥じぬ戦いをしましょう」


 剣を胸に掲げるプロンゾの礼をとるディディクト。


 そんなディディクトにミハエルはためらいながらも声をかける。


「………いまさら、ここにきてやめよう、などといいません。ですが、それでも………、ディディクトさんが生きて、………生きる意味もあると思うのです」


 悲しげに言葉を探すミハエル。


 こんな未来ある、素晴らしい人物を、こんな戦闘で失ってしまうには、得るものより、損失のほうが大きいではないか。


 そう思えてならないのだ。


 さすがに、ディディクトも困った顔をした。


「………だからこそ、貴方にプロンゾの命運を託したいのです。これから、殺し合いをする貴方になんですが、リリクルのこと、ミミクルのこと、どうかよろしくお願いします………。戦士の往くべき楽天『ヴォールホン』に旅立つ戦士たちに、長がいないとしまりません。これも、………長の責務ですから」


 初めて、悲しげに眉根を寄せるディディクト。


「――――ッ」


「よせミハエル。ディディクトの、戦士の決意を踏みにじるな」


 さらに言葉を発しようとしたミハエルをノルベルトが制止する。ここにきてなお命の尊厳を前に迷いをみせるのはミハエルのいいところでもあり、悪いところでもある。そんな心根の持ち主が騎士になったのも、どういう運命か。


 しかし、戦地に赴いた戦士として、ここは黙って剣を取るのが、礼儀というものだ。


「………です。戦士に言葉など不要。ただ、剣で語るのみ。では――――」


 深々とお辞儀をし、後は後ろを振り返らずに去るディディクト。


 その歩みが、来たときとはかすかに違って見えるのであった。


 ディディクトを呼び止めようとした手を、力なく下ろすミハエル。


「………わたしは、いまほど騎士になったことが悲しいことはありません………ッ」


「言うな。………そんな顔、戻ったら見せるんじゃねぇぞ」


 くしゃっと、ミハエルの頭をなでるノルベルト。


 かくいうノルベルトも、ミハエルのような好青年であるディディクトをこんなさしたる価値もない戦闘で失ってしまうことに悲しみを覚えないわけではない。


 しかし、敵味方という陣営に分かれて戦う以上、もはや後は戦うだけ。そして、ノルベルトにできることは、副官としてミハエルを守り、戦うのが責務。


 数々の戦場に生きた身ならば、そういう、死ななくてもよい人の死を、数多見ることになる。ミハエルはまだ、そこまで心が摩滅していないのだ。騎士という身分ならば、それは否応なしに今後も見なければいけない宿業となる。


 これは、ミハエル自身が耐えなければいけないことなのだ。


 こればっかりは、補佐しようもない。


 ノルベルトは率先して騎乗することで、ミハエルを促した。


 顔をぬぐって、兜をかぶりなおしたミハエルの表情は、もとの、指揮官としての表情だった。




 ミハエルとディディクトらの対面を遠方から見ていたリリクルとミミクル。


 これが今生の見納めになるかもしれない、とミミクルは胸が押しつぶされそうになるのであった。


 同様に見ていたニーモも、かすかに違和感を感じた。


『あの気配、懐かしい感じがしたけど、誰だったかな………思い出せない』


 立ち去るディディクトの気配に、微妙に、誰か別のものの気配を感じたのだ。それは、知っているものの気配な気がしたが思い出せないほどのもの。


 古プロンゾの大森林には神々もいれば妖精、精霊、プロンゾ族の霊だっている。ならば誰かが、何かが憑いていてもぜんぜん不思議ではないし、見慣れたものだ。つねにそういう存在に目を光らせてきたニーモや、使役するディレルが見逃すはずはない。しかし、そんな雰囲気はこれまでディディクトからわずかといえど感じたことはない。『アトゥーレトゥーロ』を去ってからのものだろうか。


 気のせいではないはずだが、だからといってそれが何なのかまではわからなかった。ニーモは何もいわずに推移を見守る。




 ミハエルとノルベルトが戻って馬首をひるがえした、その時。




ヴグヴゥゥオオオオオオーーーーーー!!!




 天地を圧するが如き咆哮が炸裂した。


 初めて耳にするミハエルは、ぞっとした。


 確かに、地獄の亡者が叫び声をあげたかのような、凶悪なるモンスターが吼えたかのような、尋常の世界に生きるものなら誰しも不快に感じざるを得ない雄たけび。


 そして、疾駆。


 騎兵の突撃よりはるかに速く、たけり狂うドラゴンの突進に勝るとも劣らない圧倒的な恐怖をもって迫るプロンゾバーサーカー。


 あの怒涛をこれから受けねばならないのか。覚悟はしていたが、それでも篭手がじんわりと汗ばむのが感じられた。ミハエルはどんな戦場でもあまり恐怖を感じたこともなかったし、人並み以上の膂力をもって軽々とこなしてきた。それが、初めて得体の知れない圧迫感を感じていた。ひっ、と誰かが小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。それをたしなめる気には到底なれない。


「抜刀!!」


 面頬(めんぼお)を下げ臨戦態勢に入る。


「構え!」


 同時にヨハンも弓を引き絞る。


 100人の弓隊に対して、眼前に襲ってくるプロンゾバーサーカーは100人。これが並みの人間であったのなら、一斉射で片がつくだろう。しかし敵が敵だ。どれほど倒せるか見当もつかない。わずかでも減らして負担を軽くせねばならない。緊張でのどがからからに渇いた。先ほど感じていたぽかぽか陽気は頭の中から消し飛ばされた。


 あっという間に彼我の距離をつめてくるプロンゾバーサーカー。


 最大遠方投射を狙うのではなく、必中投射を狙って待ち構える。


 プロンゾバーサーカーの眉間がぎりぎり見える距離。敵の速度も合わさって山なりの傾斜を描く必要はない。



――――いまだ!



「放てッ!!」


 全身の力を込めた、必殺の一射。


 100の矢は狙いをいっさいはずすことなく、プロンゾバーサーカーに降り注ぐ。


 しかし。


 反射神経すらバーサークによって強化されているのか、ヨハンの放った矢は眉間を打ち抜くことなくプロンゾバーサーカーの手によってはっしと握られてしまったのであった。


 しかも、他の矢も確かに当たった、命中しているのに、倒れるプロンゾバーサーカーは一人とて出なかった。


 目に矢を射られたもの、胸に矢を受けたもの、体や腕に二、三本刺さったままのものもいた。


 しかし、その突進は止まらなかった。


 もてる力をすべて振り絞った全力投射がまったく効いていない。ヨハンは信じられない光景に一瞬忘我にあった。



――――いけない。



「弓隊下がれ! 歩兵隊前へッ!!」


 無防備な弓隊に激流がほとばしるのは時間の問題だ。ミハエルは迅速に命令を下す。


 必死の攻撃すらいっさい効かない、一瞬我を忘れて虚脱状態にあったヨハンたちは命令を受けてやっと意識を取り戻す。弓隊は訓練どおりに左右に別れ歩兵と騎兵の間をすり抜け後方に退避する。その弓隊を守るようにミハエルたちが前進した。




ガァァアアアアアッッッッ!!




 獣の雄たけびをあげ跳躍して上空から襲い掛かってきたのは、もはや人としての理性をかなぐり捨てたディディクトだった。もはや思考も何もないはずのくせに間違いなく、ミハエルを認識して襲い掛かってきた。


「ミハエルッ!」


 思わずノルベルトが叫ぶ。


 血が沸騰する。


 ミハエルは自身の頭を狙って飛来するディディクトの蛮刀を視認するや瞬時に判断する。


 ただ剣で受けるだけでは圧倒される。


 いや、判断、反応というよりは反射というべきだろうか。


 騎士として限りない訓練を受け、戦場でも活躍してきたものに備わったとっさの反射行動。頭で考えるよりさきに体が順応した行動をとったのである。


 下から剣を光速で振り上げた。




――――ギンッ!!




 剣と剣が衝突した瞬間、爆発的に発生した衝撃波が周囲をほとばしり、ディディクトを弾き飛ばすことに成功する。


 もし、あの蛮刀を受け止めていたら馬ごと倒され、そのままねじ伏せられて首を掻っ切られていただろう。瞬時に、攻撃に攻撃で返すことによって、ディディクトを弾き飛ばすことに成功したのであった。それもこれも、ミハエルの並々ならぬ膂力あって初めて可能な芸当だ。ノルベルトですら真っ向から切り返すなどそうそうできない。さらに、斬ることを無視して耐久だけを求めた木刀のように太いミスリル剣のおかげである。並みの剣なら折れていても不思議はない。


 ディディクトが反転して大地に降り立つと同時に、ディルツ騎士団になだれこむように襲い掛かるプロンゾバーサーカー。


 ミハエルに遅れじと騎士たちも応戦する。


 フランコも身長二メートルを越す大男と対峙した。こちらが攻撃をするより大男の攻撃のほうがはるかに速い。十字軍の紋章入りの盾、ラウンドシールドをとっさに構えて初撃をしのぐ。




 ドゴガッ!




「――――ぐふッ!」


 アイアンハンマーの直撃をくらったような衝撃に襲われた。


 くっそ! 冗談じゃねぇ! こんな攻撃なんどもしのげねぇ!


 腕だけでは足りないだろうと体全体で受け止めたが、衝撃が内臓に響く。幾度も受ければ間違いなくそれだけで全身の力が抜け継戦能力はなくなる。


 とはいえ、腕ごと吹き飛ばされなかっただけでもまだましだったろう。二年前の戦闘では受けた盾ごと腕がもがれたと聞く。加護があってもこの威力だ。加護がなかったら、ニーモのいうとおり10分で皆殺しにあっていただろう。自分なら初撃で腕を飛ばされ、次の攻撃で頭を吹き飛ばされていた。数秒で終わる命だったわけだ。



「………だけどなァ!!」



 フランコが盾で弾き飛ばす。


「おうよ! 数で当たればなんとかならぁ!」


 別の騎士が援護で切りかかる。大男の左手を斬り飛ばすことに成功する。


 しかし、まるで何事もなかったかのように大男は蛮刀を振り回す。


「そうだ! 数で当たれ! 唯一こっちが勝ってるのが数だ! 一人でしのごうなんて考えるんじゃねぇぞ!」


 単純な兵力差なら10対1。プロンゾバーサーカー1人に対し10人で当たればどんな猛撃を一人が受けても別の人間が援護に入れば耐えられる。


 ノルベルトが切りかかってきたプロンゾバーサーカーの跳躍をブロードソードで受け流し、返す刀で胴をないだ。一瞬にしてプロンゾバーサーカーを真っ二つにしたのである。上半身だけになったプロンゾバーサーカーが、かわらず動きかけたがそれもわずかな時間だった。血を吐き絶命する。


「――――すごい!」


 フランコが驚嘆の声をあげる。


「伊達に砂漠で地獄をみてきたわけじゃねぇ!! プロンゾ戦士たちよ、俺が相手だ、かかって来い!!」


 ノルベルトが普段の雰囲気から想像もつかないほどの裂帛れっぱくの気をはく。これこそがノルベルトの本来の姿なのだろう。


 周りのプロンゾバーサーカーがノルベルトの気配に手ごわい強敵をみつけた、と歓喜して踊りかかる。


 ディディクトの猛撃を受け流すミハエル。心なしか、確かにバーサーク状態だが、他の戦士に比べると狂気の具合が少ない気がした。とはいえ、族長一族にふさわしく他の戦士よりはるかに膂力に勝りフェイントを使ったからめ手を用いてくる。人間としての意思をすべて放棄したはずだが、それでも相当高度な攻撃だった。重く、速く、自身の命を燃やして打ち込んでくる一撃は、軽々しく反撃を許してくれない。盾と剣を駆使し、なんとか猛攻をしのぐだけで精一杯だった。とはいえ、加護のおかげでディディクト一人の攻撃ならしのぐことが可能だった。


 プロンゾバーサーカーが疾駆すると同時に左右に展開していた騎兵隊も動いていた。直撃を受けるともろいのは弓隊と大差がない騎兵は真正面から受け止められない。ただちに左右に展開し、猛攻のすべてを歩兵が受けもってくれるのを待つ。そして、プロンゾバーサーカーがすべて歩兵に向かったのを見てただちに後背をつく。


 命令も何もなくても、バルマン、ガンタニの動きはまるで示し合わせたかのようにぴたりと一致していた。


「ディルツお得意の金床だァ! くらいやがれ!」


「お命頂戴!」


 左右の騎兵がひとつとなり、100の一団となってプロンゾバーサーカーに逆に襲い掛かる。加護のおかげで攻撃にも鋭さをましていた。騎兵の接近に気づいて振り向いたプロンゾバーサーカーをガンタニの槍が貫いて動きを封じる。それでも攻撃をしようと蛮刀を振り上げたその腕ごとバルマンの剣が斬り飛ばす。


 一人なら無理でも、数人がかりなら。


 尋常を捨てたプロンゾバーサーカーに対してディルツ騎士団は盾役となった屈強で頑丈な騎士が最初の突撃を防ぐ。そして勢いを止めてから複数で取り囲んで切りかかり、すぐには即死に至らしめられなくとも徐々にその力をそいでゆく。槍やハルバードによって周囲から串刺しにされるプロンゾバーサーカーもいた。


 ニーモによって膝を治療された巨躯の騎士もタワー・シールドのような大きな盾で蛮刀を防いだあと、これまた巨大なメイスでプロンゾバーサーカーの頭部を叩き潰していた。


 後方に下がったヨハンも隙があれば攻撃を見逃さない。足をすくわれて倒れ付す兵士に襲い掛かるプロンゾバーサーカーのこめかみに矢を直撃させる。どんな屈強な戦士といえど、ピンポイントに急所を狙撃されれば命はない。真正面から相対せば矢を防ぐこともできようが、視界の外から飛来する矢にはプロンゾバーサーカーといえど反応はできなかった。


 全アルクスネ将兵は、押されるどころか徐々に押し返していた。


 数に勝る有利と、加護のたまものだった。


 プロンゾバーサーカーはひとり、ひとりと攻撃する能力を失い倒れてゆく。


 戦闘開始から30分が経つ頃には、アルクスネ将兵はプロンゾバーサーカーを包囲殲滅の態勢に入っていた。しかし、それでも全周囲を囲まれた状況であろうと理性をかなぐり捨てたプロンゾバーサーカーに恐怖もあせりもない。ただただしゃにむに蛮刀を振り回し、変わらぬ圧倒的な力を爆発させる。


 

 ズドォッ!!


 

 プロンゾバーサーカーの一撃を受け止めるフランコ。これで何度目か、すでに体はばらばらになりそうな痛みを感じた。加護のおかげで少しの痛みなら消してくれているとはいえ、こうも何度も人の限界を超えた猛撃を叩き込まれては体がもつはずはない。そしてラウンド・シールドもそろそろ限界だろう。あと数回攻撃を受ければ割れてしまいそうだ。


 肩で大きく息をつく。


 こちらの死者は20名はいるまい。けが人も少しだ。


 もはや生き残ったプロンゾバーサーカーも30人をきっているだろう。あと少しでこの絶望的な戦いも終わるはずだ。重くなった体をやっと動かして周りの騎士や兵士が援護に回ってくれるのを待つ。


 しかし、援護が来るより先に、盾をがっとつかんでプロンゾバーサーカーがはがしにかかる。


「くそったれ!!」


 どんな獰猛なモンスターにも劣らないような血走った目でにらまれてフランコの恐怖が逆に力へと昇華する。


 盾をはがされ蛮刀を叩き込まれるそのまさに直前、フランコの剣がプロンゾバーサーカーのあごを突き抜けるのが先だった。頭蓋を貫通されてさすがにプロンゾバーサーカーといえど力なく崩れ落ちる。


 とはいえ、フランコももはや最後の力を振り絞った一撃だった。


「ぐうう………ッ!」


 もはや我慢ができないほどの全身の痛みにさいなまれ、その場に崩れ落ちる。全身の筋肉が、内臓が、いままで感じたこともないほどの悲鳴をあげていた。生きているのが不思議なくらいに。


「よーし、よくやったフランコ! 下がってろ俺がやるッ!」


 ようやく援護の騎士がフランコの前に立ってプロンゾバーサーカーの猛撃を食い止める。兵士の肩を借りて後方に下がるフランコ。若い騎士でありながら、プロンゾバーサーカーの猛攻を一番受け止めたであろう。味方を守るために必死に戦ったのだ。誰もがフランコの活躍を褒め称えた。


 騎兵たちも波状攻撃でプロンゾバーサーカーを翻弄する。


 どれほどの効果があるかはわからないが、弓隊も中央に集められたプロンゾバーサーカーに矢を射掛けていた。


 もはや戦力差は大きなものになっていた。


 フランコのようにプロンゾバーサーカーの猛撃を受け動けなくなるほど全身の内部にダメージを蓄積した騎士や負傷した兵士が後方に避退して代わりの騎士たちが戦う。


 そして50分が経過する頃にはついにプロンゾバーサーカーはディディクトを残すのみとなっていた。


 ちらり、と周囲をみてもはや戦士は自分だけになったことを理解するディディクト。


「………もはや、ディディクトさんだけとなりました。薬の副作用の刻限はそろそろのはずです。それとも、薬の服用を少な目にしましたか?」


 視線を周囲に移したことで、やはりディディクトが完全に我を失うほどにジシンの呪粉を服用していないことを知るミハエル。理性が残っていたのだ。


「………さすが、ディルツ騎士団。さすが、ミハエル殿。………さすがです」


 観念して蛮刀を下ろし動きを止めるディディクト。


 ジシンの呪粉の薬効によって真っ赤になり濁った目であるが、それでもディディクトとしての理性のきらめきは完全に消え去ってはいなかった。




 空中高く浮かんでリリクルとミハエルをその背に乗せて戦闘終結を見たニーモが叫ぶ。


「終わった! いくよ!」


「あ、ああ!」


「うん!」


 もしかすると、ディディクトの最後を看取れるかもしれない、リリクルもミミクルも気が急いた。




「服用を抑えると、死ななくてすむんですか? ………もはや、他の戦士たちは死に絶えました。できるなら、ディディクトさんだけでも………」


「………いえ、ジシンの呪粉はそんな生易しいものではありません。いままで限界以上の力を振るいすぎました。これから息果てるまで副作用にさいなまれることでしょう」


「………そんな」


「それすら、わたしが受け入れた運命。貴殿が気に病むことなど何もありません。それに、お気をつけください………」


 静かに言葉をつむいでいたディディクトの気配が、何か異質なものにかわってゆく。


 まるで始まった副作用に苦しみだしたかに見えたディディクトがはっと顔をあげる。


「ズルをする、といいました。………ズルは、まだ」


 白目を剥いた目で。



「………コレカラダ」




 まだかすかに残されていたディディクトの理性が消えるとか、そういった次元ではない、ディディクトそのものが変質した。


 ぐぐぐ、と白目を剥いたディディクトが苦しげに身をよじる。


 次の瞬間。


「ディルツのクソどもォォッ!! 皆殺しの時間だァッッッ!!!」


 爆発的な衝撃波を発して周囲を取り囲んでいた騎士たち吹き飛ばし、かつてディディクトであった何かが怨恨の雄たけびを上げる。


 いや、衝撃波ばかりでない、恐らく怨念、怨霊の発する負のエネルギーを周囲に垂れ流し始めた。


「くッ、何事!?」


 衝撃波や暗黒波動の直撃を浴びたミハエルが気おされる。聖騎士甲冑と加護の力で防いだものの、生身だったらそれだけで気を失っていたかもしれないほどの、地獄の釜の蓋を開けたかのような禍々しい気配が恐るべき勢いで周囲に撒き散らされてゆく。


「そ、そうか!! あれはガガナト!! ガガナトの魂をディディクトは取り込んでいたのか!!」


 普段驚きを発しないニーモが驚愕の声をあげた。


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