騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (七)
金床戦術。
複数の異なる兵科によって運営される戦術のこと。一方の部隊が敵をひきつけている間に、もう一方の部隊が敵の背後や側面を攻撃し包囲殲滅を狙う戦術である。
敵を真正面から受け止めることになるため、ひきつけ役は装甲が厚く、耐久力に優れる兵科、主に歩兵が担う。
一方が真正面から敵をひきつけている間に背後に回って襲い掛かるのは機動力にぬきんでた兵科、主に騎兵が担う。
一方がその場に踏みとどまって敵を止め、もう一方が攻撃する様子から、金床とかなづちの関係に見立てたことから金床戦術と言う。
古来、多くの王が好んだ戦術であり、密集陣形を取ることによって敵の圧力を受け止め、味方同士で防御しあって生存率をあげる歩兵が十分な時間を稼ぎ、遊撃隊の騎兵が包囲を狙う。おのおのがきちんとした働きをなすと確かな戦果をあげることのできる戦術であり、さらに、そこに攻撃魔法という存在が加わると凶悪さをます。
歩兵で敵を受け止め、騎兵で包囲し、魔法で敵中央を焼き払う。
ディルツ騎士団が古プロンゾ族との戦争が始まる前から好んで使う戦法であり、対騎兵、対魔法に対して効果的な反撃を考案しえなかったプロンゾに対して圧倒的な勝利を得てきた。当然、プロンゾ側はそれ以降平原で戦おう、などと無謀をあえてすることはなく、森林をいかしたゲリラ戦、奇襲戦によってディルツに対抗してきた。
それが、二年前のアルクスネ平原において行われた大決戦は様相を異にした。
四万という、動員できるすべてを結集したディルツ騎士団。
それに対するプロンゾは8000。
整然たる戦陣を組み、各兵科の連携も十分、優れた指揮官と優れた騎士を取り揃えたディルツ騎士団の戦意はいやが上にも高く、戦術も陣形もなにもない、ただ烏合の衆とばかりに集まっただけのプロンゾを一瞥しただけでもはや戦闘の帰趨は決していると誰もが思った。
それが、異様としか形容のしようのない咆哮をプロンゾ戦士があげた瞬間、戦場は誰もが予想だにしなかった経緯をたどる。
地の底の亡者がうめき声をあげたかのような、凶悪なドラゴンかリヴァイアサンが咆哮したかのような、生けるものなら誰しもが恐怖を感じざるを得ない不気味でおぞましい雄たけびをあげた、次の瞬間、プロンゾは疾走しはじめたのだ。
騎馬すら凌駕する速度で。
これまでの戦闘なら、散兵に配置された最前線の弓隊が戦闘開始を告げるかのように弓の応酬をし、彼我の距離が肉薄すると弓隊は後方に避退、替わっておし出て来た歩兵が敵とがっぷり四つという流れなのだが、そんな常法は初っ端から叩き潰された。
8000もの、たけり狂ったモンスターへと変貌したプロンゾ戦士たちがあっという間にディルツ騎士団に襲い掛かったのである。
最初の咆哮からいままでの常識をくつがえす猛速での強襲に、ディルツ騎士団指揮官たちは虚を衝かれた。弓で攻撃するも効果的なダメージを与えることはできず、弓隊を後方に下がらせる命令を出すも間に合わなかった。ほとんど無防備に近い弓隊への強襲、その最初の衝突で弓隊は殲滅され、そのまま歩兵隊へとなだれ込んだのである。
そして襲い掛かられた歩兵は、まさしく文字通り蹂躙される。
襲い掛かる蛮刀を受けた盾が、腕ごと消えてなくなるという衝撃を味わう。
次の瞬間に、自身の頭が高々と打ちあがる光景を、本人はどれほど空中でみていただろうか。
受けた剣もろとも兜をひしゃげさせて大地に叩き潰される兵士。
放たれた投擲槍によって次々と体を貫通される騎士や兵士。
ほんの一太刀、二太刀、プロンゾ戦士の攻撃を受けただけで、勇猛をもって周辺を圧していたディルツ騎士、兵士がでく人形のように何ら効果的な反撃もままならずに肉塊へと姿を変えてゆくのである。
まるで夢を見ているかのようなありうべからざる光景だった。それを眼前にしたディルツ騎士、兵士たちは異常事態と恐怖のあまり、まるで催眠術をかけられたかのように意識が朦朧とした。普段なら機敏に対応、反応できたはずの彼らが、思考と身体が麻痺を起こしてしまったのだ。もっと言うのなら、現実逃避をしてしまったのである。
戦闘のさなかに。
彼らはたったいま、殺し合いをしているさなかに現実を受け入れることを拒否してしまったのである。
それほどの、認めがたい光景だったのだ。
ディルツの歩兵は約三万あった。それがひとつの陣形につき配置された兵員の数は1000。左右に展開し、15列ある。
その15列もの歩兵の陣形が、ものの30分で破られた。
この瞬間、戦闘開始から30分で、実はすでにディルツ騎士団は壊滅していたといってよい。戦力の半数を失えばそれは壊滅である。
最終的な戦死者は8000、重傷者14000であるが、このときすでに戦死者は6000を突破し、重傷者も13000を超える勢いだったのだ。それほどまでになすすべもなく蹂躙されていたのである。それでもなお、大混乱に陥り、逃げ惑わなかっただけでもディルツ騎士団は偉大であった。十字軍騎士団にとって敵前逃亡は仲間を裏切る恥である、という考えがあったにしても、一方的に叩き潰されていながらも、逃げ惑う兵士は多くはなかった。もっとも、逃げようにも思考が麻痺し、現実逃避に陥った兵士たちにまともな判断力などなかった、というのが正確かもしれないが。
ここに至ってようやくディルツ騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンは騎兵に対して背後からの強襲を命令する。得意の金床戦術で打開をはかったのだ。
そして、15列もの歩兵の陣が破られ、殺到するプロンゾの怒涛を受け止めたのがレオポルトら本営を守る近衛たる精鋭騎士だった。その精鋭騎士に対して、背後の魔道部隊がバーサークの魔法をかけていた。
魔法によるバーサークは、麻薬などの劇薬に比べると効果も低いが、副作用もあまりない。効果が切れた後の強い倦怠感ぐらいである。
マジックバーサークによって強化された精鋭騎士や兵士たちがプロンゾの波濤を受け止める。
初めて、ディルツ騎士団はプロンゾの強襲に立ち向かうことができたのである。
直ちに背後や側面を襲う騎兵。
この瞬間にいたって、ようやく状況は変化を見せた。
いや、プロンゾ戦士たちが足を止めた瞬間、もはや戦闘は終わっていた、といってよい。
精鋭騎士がプロンゾをおしとどめ、騎兵が包囲をなした、その刹那、大規模魔法が炸裂したのである。
おそらく、まだ生き残っているであろうディルツ歩兵もろとも。
中央のプロンゾ戦士を消し炭にし、広く散らばっていたプロンゾ戦士を騎兵がなんとか背後から貫いて、戦闘はほぼ終結した。
四万対8000もの軍勢同士の決戦が、たった50分ほどで決してしまったのだ。
勝ったディルツ騎士団に勝利を祝う余裕などあるわけがなかった。本来なら、戦後処理をめぐってプロンゾと約定を交わしたりもするのだが、生き残ったプロンゾ戦士はいなかった。誰一人とて、生きていなかったのである。いや、殺されたわけではない。戦っていた戦士が動きを緩慢とさせた次の瞬間、大量の吐血をして死んでしまったのである。それは咆哮から一時間後ほどのことだった。
約一時間で、プロンゾ戦士はすべて死に絶えてしまったのである。
話すべき相手はもはやどこにもいなかった。森から新たにプロンゾが派遣される気配はまったくない。
レオポルトは戦死した騎士や兵士の遺品を集めると、それら死体をプロンゾ戦士とまとめて焼却させて墓を築いた。そして、アルクスネ湖畔に浮かぶ小島にかろうじて砦を築き、精神にも肉体にもダメージの少ない健常な兵士を置いて周辺に移民を配して町を興す手配をすますと、すごすごと本国に引き上げるのみであった。
「………これが、二年前のアルクスネ平原の悪夢だ」
ノルベルト・グリモワールは説明を終える。
ここはアルクスネ砦。
ミハエルらは一日半かけて戻って夕刻に帰還、ただちに全兵士を招集し、事の顛末を報告したのである。
まずもって、待望の戦争終結を宣言した。
一緒に同行したのはリリクル・プロンゾとミミクルと、ケット・シーのニーモ、ビーククト・ブロンゾである。
彼女らの同行が、わかりやすい戦争終結の証明でもあった。リリクルが新族長として擁立されたこと、次代の巫女たるミミクルも一緒にいること、これからのプロンゾの帰化推進に向けてディルツ本国の支援を待つことなどが話された。
そして。
もっとも重要なディディクトとの決戦についても。
そして、プロンゾバーサーカーの危険性の説明も、たったいま行われたのであった。
その上で、ノルベルトは言葉を続ける。
「俺は二年前の戦場にいたからな。あの恐ろしさはわかっているつもりだ。他にこの中で、あの地獄を知っている奴はいるか?」
バルマン・タイドゥア、ガンタニ・ティーリウムが静かに手をあげる。他にも、騎士や兵士で手をあげるものが百名ほどいた。あの戦闘後、ミハエルが管区長として就任したときに改めて兵の配置を行ったのだが、戦闘からしばらくして精神に異常をきたすものが現れた。それら心に深い傷をおったものを本国に送還したが、それでも百名はあの恐怖を乗り越えたのだ。それだけでもすごいことであった。
「我々はあの時、騎兵として背後から襲い掛かる役目を受けました」
バルマンが答える。
「………そうか、なら、直にまみえたわけだな。どうだった?」
ノルベルトはその時伝令役として配置され、恐ろしさは眼前にしつつも実際に剣を交えたわけではない。実際に剣を交えたものの経験は重要だ。
「………槍で背中を深々と貫かれて、それでも振り返って蛮刀を振り回してきた。普通なら即死の傷でも、だ。………無傷のものの攻撃も、サイクロップスのハンマーの直撃を受けたかと思うくらいの衝撃だった。受けた槍ごと馬が吹き飛ばされるほどに。もし、他の騎士による援護がなければいまごろ俺もくたばっていただろうな」
ガンタニが思い出したくもない過去を振り返る。
「わたしなんて、襲いかかろうとした瞬間、逆に襲い掛かられましたからね。とっさに馬首をひるがえしてよけましたが、直撃を受けた部下が兜ごと頭を引きちぎられました。いったい、どれほどの力を有せば、生きた人間の頭を引きちぎれるんでしょうか」
聴くだに凄惨な状況である。
軽くめまいを起こしつつ、ノルベルトはつとめて冷静に言葉を発す。
「………その上で、問う。このアルクスネだけで今一度、プロンゾバーサーカーと戦って、生き残る自信は………?」
「ないです」「ねぇな」
きっぱりと言い切る両名。
「数にもよるが、いや、少数であったとしてもあれは別次元だ。真正面から突っ込まれて、しのぎきれる自信は正直ない」
「そうか………、いや、そうだな………」
ノルベルトも過去を振り返って、自分も断言できると思った。
あんなのとやり合って、無事にすむわけがねぇ。
ノルベルトも健常なころに下級なドラゴンの退治をしたことがあるが、尻尾の一撃を剣で受け止めただけで全身の骨がきしむ音が聞こえた。いや、実際に肋骨の数本は折れていた。無我夢中でそのときは気がつかなかったが。
プロンゾバーサーカーは個々が大型モンスターに匹敵する強烈な力を発揮していた。人が真正面からやりあえるような存在ではない。
「ノルベルトさん………、その決戦、回避できないんですか………?」
フランコ・ビニデンがもっともな質問をする。
あの場にいないものからすると、どうしてそんな無謀をあえてする気になれよう。ましてや、フランコは二年前の決戦に参加はしていない。伝え聞いただけだ。当然、避けられるものなら避けたいと思うのが当然だ。
「いや、俺だってさけてぇよ? でもよ、考えてもみろよ、死ぬ気で戦うからよろしく、って言われて、やっぱ怖いからやめます、ってこそこそ逃げ出すような腑抜けと、これから一緒に仲良く同胞としてやってゆけるか? 逆の立場ならお前はこいつらなら信用できる、って思えるか?」
「そうかも、知れないですけど………」
今後のプロンゾ融和政策を推進するにあたって、決戦を避けた腰抜けか、真正面からやりあった英雄か、でプロンゾ人の反応は劇的な差異を生むだろうが、桁違いの化け物と戦え、といわれて、わかりましたよしやります、などとさすがに口が裂けてもいえない。言えるものは頭がおかしい。
実力者がそろっているディルツ騎士団、その精鋭たちがなすすべもなく蹂躙された話は、そこに所属しているものなら、恐怖をもって伝え聞いている。
「まあ、さすがに荷が勝ちすぎる………、この決戦で、俺たちはすでに命を捨てる覚悟だ。しかし、お前たちに無理強いはできねぇ。わかっている。相手が悪すぎるからな。だから、こればっかりは挙手でいい。………俺たちと一緒に、命を捨ててもかまわねぇ、そんな本当の勇あるものの参加を求む」
ノルベルトが左のこぶしをぎゅっと握って熱弁をふるう。
「ず、ずるいですよ、ノルベルトさん、そんなこと言われて、俺は命が惜しいです、なんて言えないじゃないですか………」
フランコが困惑しつつ挙手する。
騎士修道会に参加したじてんで、すでに命を捨てる覚悟ならあったはずだ。死線を何度か越えて、最前線のアルクスネに配置されミハエルに付き従った時点で、いつでも死ぬかもしれないということはわかっていたはずだ。
ならば、化け物と化したプロンゾバーサーカーといえどもミハエルとノルベルトが戦う、というのなら逃げ出せるわけがない。
居並ぶ1000名のアルクスネ兵たちは、全員、手をあげた。
悲壮な顔のものもいるし、覚悟をきめた顔つきのものもいる。しかし、一様に、臆病さはそこにはなかった。
ノルベルトは、彼らの心意気の高さ、忠誠の高さに舌を巻いた。そしてにやっ、と意地悪く笑う。
「いや、正直、全員賛同してくれるとは驚きだ。ありがてぇ。ま、とはいえ、だ。今回はさすがに状況が最悪なこともあって、秘策がある。ということで喜べ、野郎ども。朗報だ。リリクル嬢、頼む」
対応策なら、帰る道すがらに練っていた。いや、正確にはディレル・ピロンゾから申し入れがあったのだが。
リリクルがえっへん、と前に進み出て豊かな胸をそらしていばる。
「んむ。我が身内のやることながら、さすがにあまりにも相手が悪い。よって、我々が手助けすることになった。さすがに直接戦闘に参加することはできんが、プロンゾ族長として惜しみない支援を約束する」
アルクスネ兵たちが喜びの顔をする。
しかし、困惑するものも多い。
「で、でも姐さん、プロンゾと戦え、だからプロンゾが手助けする、ってのは、あまりにも………」
フランコがもっともな意見を述べる。
本来、女性のいない、いるはずのない騎士修道会に突如として現れた美貌の女性の存在にフランコは軽くリリクルに陶酔していた。といってもミハエルの恋人、くらいの認識だが。
事の顛末、経緯を十二分に知らないものからすると、まさしくフランコの発言のとおりになる。
これまでミハエルの融和策に賛同して従ってきたが、ついに融和はなったから、プロンゾバーサーカーと戦うことになりました。だからプロンゾが手助けします。といわれてもちんぷんかんぷんだ。
え、どういうこと? となるのも無理はない。
「確かに、道理がたたんな。しかし、これは先ほどもいったように、すべての怨恨をこれによって一掃する、プロンゾの怨恨も、ディルツの怨恨も、これによってすべて淘汰する、これで手打ち、といういうなれば儀式のようなもの、禊のようなものなのだ。まあ、ミハエルに関わったものとして諦めてほしい」
「う………」
はい、そーですね。
とも軽く受け流せない。
「まあ本当に、これですんだのだから双方喜ぶべきなのだぞ。もし、ミハエルがいなかったら、プロンゾとディルツはお互い全滅するまで戦っていた可能性もあるわけだからな。お前たちはまだ我が巫女、ディレル婆の恐ろしさを知らんだろうが、かつての族長我が父グナクトをすら凌駕するのがこのディレル婆だ。婆が本気をだしたらグナクトとて赤子も同然。婆がおとなしくしているのが一番なのだ。ちなみに、グナクトの恐ろしさは、ミハエルもノルベルトも身にしみてわかったはずだ。なあ?」
「あ、ああ………。お前たちも話くらいは聞いたことがあるだろう。30年前の緒戦において鬼がでた、という。あれだ。あれが、いた………」
「えっ!? まだ生きてたんですか!!」
30年前、ともなれば当然死んだものとして認識するのが当然というものだ。ディルツ騎士、兵士は騒然となった。
実際に相対したノルベルトの表情も、まるでお化けをみたかのような陰気な雰囲気だった。
「ああ、いた………。レオポルト総長が若かりしころ実際に剣を交えたという30年前がどれほどかは知る由もねぇし、こんなこと言うのもあれだが、いまでも十二分に、レオポルト総長よりつええぞ。ありゃ。人の域を軽くぶっちぎってやがる………。見た瞬間気づいたよ。勝てるわけがねぇ、ってな。そんな鬼神が会談の場でたけり狂ってたのに関わらずだ、そのディレル婆さんは軽くいなしてたんだよ………。まじで………」
あのときの情景を思い出して身震いをするノルベルト。
歴戦の戦士として各地の戦場で戦ってきて経験といい風格といい堂々たる勇者であるノルベルトの怖気は、ディルツ騎士、兵士にも生々しい恐怖として実感できた。
ミハエルがいなかったら、下手すると二年前以上の地獄を見たかもしれない。少なくとも、最前線のアルクスネは間違いなくその洗礼を受けたはずだ。
そう考えるのなら、プロンゾバーサーカーと戦う、のも、まだましなのか? という気がしないでもない騎士たちである。
しかも、そのプロンゾが手助けする、という。
なんだかゴーストに化かされたような心地だが、しかし、どうやら最悪の状況だけはなんとか回避できるようだ。それだけでも納得すべきなのだろう、という空気が広がりつつあった。
「でも、いいんですか………? こちらはありがたい申し出ですが、リリクルさんが手を出したら同胞を裏切るような行為になりはしませんか?」
バルマンが疑問を呈する。
同胞が死を決して覚悟を決めた、これから死をもって戦おうとする同胞に対して、よりにもよって族長が敵側の援護に回るのは確かに利敵行為、裏切りに相当する。
それは倫理的にどうなのだ、誇りあるプロンゾの一族としてそれはどうなのか、プロンゾ内部での火種になりはすまいか、という疑問が沸き起こるのは当然だ。
「………まあ、仕方ない………。これから未来をつくってゆかねばならないという時に、ミハエルに死なれては困るのは、何もディルツ騎士団に限った話ではないということだ。もはや、プロンゾとて、ミハエルなしにこれからのよりよき未来を描けるとは思えない。これから、プロンゾとディルツ本国で融和に向けた実際的な話し合いがなされるであろう、そこに、緩衝となるミハエルがいるかいないかは、我々にとっても死活問題なのだ。ならば、どちらに加担するか、は知れたこと。それに、そもそもの話をするとだな、狂戦士は我々としても強い禁忌だからだ」
プロンゾが今回の融和、帰化に折れたのも、そのすべてはミハエルが作り出したもの。
そのミハエルが今回の決着のための犠牲、禊のような戦闘で失うということは今後の展望を考えると損失だけしかないのだ。
確かに、ディルツはミハエルでもって変わった。劇的な変化をなした。
だが、本国はどこまで変わった?
これから統治に向けてしゃしゃり出てくるであろうディルツ騎士団首脳部が、ミハエルのこれまでの功績に報いて自分たちの非をあっさりと認めるであろうか。それどころか、これまでとなんらかわらない強圧的な支配を押し付けてくるのではないか。プロンゾの疑団はそこまで晴れたわけではない。もし、ディルツ首脳部が強権をもってこれまでと同様の一方的に屈従を強いるだけの、民族の伝統も文化も誇りもすべてないがしろにするかのごとき支配をもってするのならば、それこそプロンゾは最終手段の報復に打ってでるであろう。
そういうプロンゾの不安と、ディルツ首脳部との橋渡しは、ミハエルしかありえないのである。
よってプロンゾは理の当然として、ミハエルを橋渡し役に要求するのである。
もし、ミハエルを他の戦場に飛ばして、旧態依然たる強権を押し付けてくるのなら、交渉もこれまでだ。両者、絶望的な状況が待っているであろう。
だからこそ、どちらも平和裏にことを進めたほうが両者にとって最大の利であることを強調しなければならないし、そういった根回しというか、ディルツにプロンゾの真実を敷衍するのもミハエルの役目になる。
プロンゾにとっての一縷の希望こそ、ミハエルなのである。
だからこそ、プロンゾバーサーカーを生み出したプロンゾこそがその危険性を熟知している以上、ミハエルらアルクスネ将兵になんらの救済策も講じないわけにはいかなかったのである。それほどまでに絶望的な戦力差なのであった。
もちろん、リリクルの個人的な願いであることも確かだが。
「お前たちのいうプロンゾバーサーカー、狂戦士の秘密を暴くとだな、あれはジシンの呪粉という調合麻薬によって起こすものだ。古代のプロンゾが編み出した劇薬で、大昔に、戦で逃げ帰っておめおめと生き恥をさらした軟弱者に飲ませて敵陣を襲わせていたらしい。敵陣で大暴れをさせて、その後をプロンゾが再度強襲する。そしてやすやすと敵地を掠め犯してきたのだという」
「ディルツも大概だが、そっちもけっこうえぐいことしてんなぁ」
ノルベルトが苦笑しつつ言う。こと、野蛮に関してはどっこいどっこいということか。
「まぁな。だからさすがに強い禁忌とされたわけだ。製法も毒物の採取場所も絶対の秘匿にされたのだが、数年前から何者かが復活させていたのだ。敗戦続きでやけになった、ということだろう。もちろん、二年前に使用されて改めて破棄されたのだが、それをまだ密かに隠し持っていたようだな。プロンゾの掟では、ジシンの呪粉を使ったもの、所持したものは追放処分、ということをかんがみ、ミハエルたちには我が身内の不始末を押し付ける形となって申し訳ないということで、巫女ディレル婆も今回は特例、ということになった。ここにいるミミクル。次の巫女の魔力を数日かけて注ぎ、加護を与えることになった。ほら、ミミ。挨拶をして」
「は、はい、みなさま、改めましてよろしくお願いします」
ぺこ、と頭を下げるミミクル。
かわいい、という声が自然とあがる。
「巫女の大切な仕事のひとつに、プロンゾの大樹に魔力を注ぐ、というものがあります。それを転用して、皆様に毎夜魔力を注ぎます。それによって発生する加護の力で本来以上の力を発揮できるはずです」
「本当ですか!? やったーッ!」
手放しで喜ぶフランコ。
他の騎士や兵士も、プロンゾバーサーカーと戦え、といわれて悲壮なる覚悟を固めたところだったが、俄然色めきたった。
「ただ、あまり過信はしてほしくないね」
ニーモが釘をさす。
「これはあくまでも、ないよりはまし、といった程度のものだから。加護がなければ、冗談抜きで10分程度で皆殺しにされてもおかしくはないからね。………人間の寿命を、命のともし火を、数時間に凝縮させて燃焼しつくす、というのがジシンの呪粉だから。それが、どれほど強烈なものかは実際に経験したものもいるし、大丈夫だと思うけどね。まあ、ミミの魔力に合わせて、わたしの魔力も上乗せするから、中には古傷が治ったり、病が癒えたりするものもいるかもしれない」
「えっ!? まじですかい猫神様! 古傷が癒えるんですかい!?」
ノルベルトが驚愕の顔をする。飄々とした人格が変わってしまうほどの衝撃だったのだ。
「………あれ、言ってなかった?」
「聞いてないぞ! いや、俺にも古傷があってだな、右腕の筋をやっちまってな。………治りますかい?」
ノルベルトの太い右腕をニーモに見せる。
ノルベルトの右腕には大きな傷跡があった。かつて剣で刺し貫いてしまったもので、ほとんどの筋が切れてしまったのか満足に動かせない。利き腕が壊れてしまえばもはや戦士としては廃業だ。高名な人間の治癒術師をいくつかあたったが、人の業では治せないほどの損傷だったのだ。
「見せてみて。………ああ、これなら治せる」
あっさりと答えたニーモ。
人間では到底癒せない傷でも、神域にいたった妖精ならばたやすいのであろう。
「いいいっやっほぉぉぉう!!」
狂喜乱舞するノルベルト。
戦士、傭兵として廃業し、いまでは十字軍に参戦した縁故から騎士団に居座ることになり、もはや戦争が起こっても伝令役などを勤めて敵と直接相対することもなくなったノルベルト。もはや俺には戦いなど無縁、若者だけでやってろ、と軽口をたたくこともあったのだが、とんでもない。本心では剣を振るいたくてうずうずしていたのだ。
戦士として長い生を戦場で生きて、剣を捨てて生きていられるはずがない。
死ぬのならば戦場で。
それがノルベルトの覚悟だったのだ。
また戦場に立てる、一線で活躍できる。
これに勝る喜びなどどこにもない。
一方的にやられるだけに思えたプロンゾバーサーカーとの決戦にも、少しばかりとも希望が見えてきたのだった。
「まじか、お、俺も膝をやっちまって足に痺れがあるんだよ!」
ノルベルトの狂喜乱舞をみればもはや黙っていられない、と他の騎士もすがりつく。
身長二メートル半を超える大巨漢の騎士。ありえないほどのぶっとい足をむき出しにする。ニーモがふよふよと空中を浮かんでその騎士の膝を調べる。
「これなら数日の加護で治るだろうね」
「まじかよ! 神様!!」
普段は寡黙な騎士が天に祈るポーズで大はしゃぎをする。どっしどっしと大地が揺れた。
数々の戦場で活躍をしてきたディルツ騎士団の面々に、傷がないもののほうが少なかった。中にもノルベルトのように筋を痛めて活動に支障がでるものもいた。肉や血管は傷がふさがっても、神経だけは治らない。しかも人間の魔法治癒術師には神経の損傷は癒せなかったのだ。それがあっさりと治るといわれて喜ばないものはいなかった。早速、アルクスネ将兵はプロンゾの恩恵をこうむることになったのだ。
アルクスネ砦は歓喜の声がとどろいた。
「………いよぅし! これで万全だ。おめぇらやるぞ!!」
さっそく古傷を治してもらい、かつての握力を取り戻して感動に打ち震えるノルベルトがガッツポーズを決めると、アルクスネ全兵士が鬨の声を上げた。
まるですでに決戦に勝ったかのような雰囲気がそこにはあった。
「しかし、相手はあのプロンゾバーサーカーだということを忘れずに」
見かねたミハエルが静かな口調で改めて釘を刺す。
「決して油断しないように。決戦まであと五日。それまでに傷を治して、そして今以上に訓練に励んでください。何より、生き残るために。もはや我らはここに捨て置かれたのではありません。いまや、ディルツの輿望を一身に担う存在へと成り代わったことを忘れてはなりません。ここで死ぬことが我らの運命では、もはやないのです。新たなディルツの命運を切り開かんがために、我々はここにいるのです。無事に生き残って、ディルツ首脳部の鼻を明かしてやろうではありませんか!!」
ミハエルが剣を抜いていままで耐えに耐えた決意を語る。
その瞬間、全アルクスネ将兵は一体となった。
「応!!!」