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天と地と人  作者: 豊臣 亨
序章  騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード
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騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (六)




                   上  奏



「発 アルクスネ管区ミハエル・フォン・ヴァレンロード


 宛 ディルツ騎士団司令部


 

 本職プロンゾ族長と直接会談に挑めり。結果帰化受諾を得たり。


 本職生誕前より始まりしディルツ騎士団と古プロンゾ族との30年来の戦争はここに決着を見たり。


 ただちに双方戦闘状態を解除融和に向けた対話に移行せり。


 ディルツ騎士団の長年の宿願を達成しまことに祝着至極に存じ奉り上げ候。


 本職行政能力の欠如につきプロンゾ融和に向けた支援を請う。


 されどプロンゾを侮ることなかれ。


 プロンゾに秘中の秘あり。


 そは巫女なり。


 巫女とはプロンゾの統治の象徴にして実質的支配者なり。


 族長とて巫女の武威に抗する事(あた)わず。


 巫女の戦闘能力はディルツ騎士団の総力をもってしても屠ること(あた)わず。


 侮って挑めば必ずや報復を受けること必定。薄氷を踏むが如き慎重さで融和に向けた対話を推進すべし。


 いま少し状況を細かく伝えり。


 アルクスネ二年の融和が奏功しプロンゾ族から敵愾心を払拭し此度の会談に至れり。


 こはすべて武威によって圧迫せしめたるに(あら)ざるなり。人徳によるものなり。


 今後ともプロンゾ融和にはこの人徳による推進が肝要にて旧来の暴を以って暴にかえるが如き振る舞いは上述の巫女の逆鱗に触れる事疑う事なきものなり。


 旧来の族長グナクト・プロンゾは巫女によってその地位を剥奪されり。現族長はグナクトの息女リリクル・プロンゾ。グナクトも巫女の逆鱗に触れたり。


 されど全プロンゾ人が本職に悦服するには(あら)ざるなり。


 本職はディルツ騎士団との融和を強固に反対せるプロンゾの戦士を率いしグナクトの子息ディディクト・プロンゾとの決戦に挑む。


 されど此度の一戦はプロンゾの総意にあらず。古きを切捨て膿を出す治療なり。此度の決戦を以ってプロンゾの怨恨を一掃するための仁術なり。

 

 しかるに此度の決戦は二年前の悪夢の再来を想定せり。


 アルクスネ全将兵あげて此度の決戦にてことごとく討ち果てるともプロンゾに恨みなし。


 万一、アルクスネ全将兵討ち果てし時は融和を継続下さること願い奉り上げ候。


 プロンゾは素晴らしき文化と伝統を受け継ぎし優良なる民族にて樹上生活に特化せしその文物はただただ感嘆の一言にて、必然我が栄えあるディルツとはその差異もはなはだしく、すべてをディルツ風にて染め上げることは野蛮なる暴虐にてここに従来の統治に一考の要を認む。プロンゾに対し、後世格別の御高配を賜らんことを」



「やりやがったか………! あの小僧!!」


 にやり、と凄絶に笑うレオポルト。


 ここはブデラングル城。ディルツ騎士団本国。レオポルト・フォン・シュターディオンの執務室。


 ミハエルらの会談から早馬を飛ばしての二週間たっての報告書の到着であった。


 帰化成功だけでも驚嘆に値するが、それ以外も驚愕の連続だ。


 巫女?


 そんな隠し玉があるとは驚きだ。しかも、族長グナクトをはるかに凌ぐというその戦闘能力とは、ミハエル、いやこの報告書を書いたのはどうせノルベルト・グリモワールだろうが、そのノルベルトの書いたことが真実か、嘘か、にわかには信じがたいものがあった。


 全ディルツ騎士団総力をあたっても殺せないほどの実力者などと、虚言も大概にしろ、といいたいが報告書にあからさまな偽りを紛れ込ませるとも思えない。


 そんな手練れが今のいままで戦場にでてこなかったのは何故だ。最終手段的な存在だからこそ戦場に出られないのが理由ということか。


 しかし、あの、グナクトを引き摺り下ろしたというのが本当なら、確かに、本物であろう。


 レオポルトはかつて、グナクトとじかに剣を交えた経験がある。


 それはプロンゾと戦争が始まってすぐのこと。


 まさしく、悪鬼羅刹。


 いや、指揮能力なら凡将もいいところだが、たった一人で文字通りの一騎当千、いや、こんな言葉など存在しないがこう言い換えても不自然ではない。一騎当万。たった一人で前線を支え、ディルツ騎士団を翻弄する。まるで指揮をとらないがあってもなくても関係ないのだ。プロンゾたちはグナクトの後を追うだけでこと足りるのである。


 戦場を我が物顔で支配するその有り様は全ディルツ騎士団にとっては恐怖そのもの。

 

 蛮刀一薙ぎで歩兵十人以上が吹き飛ばされ、まとったドラゴン甲冑で突進するだけで騎馬部隊がその鋭鋒をくじかれた。


 様々な精神系魔法に対し強い耐性を示し、攻撃魔法を駆使しても即座に逃れる俊敏性、戦場をすばやく認識しただちに弱点をついてくる戦闘感覚、人を殺すためだけに生まれてきたといわんばかりの戦闘技量、すべてにおいてあの鬼と同等の戦士などディルツにはいやしなかった。それはレオポルトとて同様。悔しいが、別格だった。その時はまだ騎士団総長になる前の、現在のミハエルと大差ない、若さと力と自信と誇りにあふれた騎士だったが、レオポルトは鼻っ柱をたたき折られた。数度刃を交えただけで吹き飛ばされ、顔に大怪我を負った。しばらくは恐怖で戦場に立てなかったほどだ。


 存在そのものが別次元だった。


 あの鬼はもはや人という種族の次元をはるかに超越していた。


 ディルツ騎士団はしばらく、ドラゴンの甲冑をみただけで戦陣が崩壊するという情けない現象に陥ることとなる。そこから『ドラゴンの皮をかぶった魔神』『人食い暴龍』『ドラゴニック(ひぐま)』などと呼ばれ恐れられた。


 必然、ディルツ騎士団首脳部が頭を悩ませたのはこのグナクトをどう排除するか、ということだった。


 その結果至ったのは、弱兵などいくらあてても無駄。こちらも相応の手練れで包囲しわずかでも傷を負わせること。わずかな傷でも殺傷できる方法をもってこれにあたること、だった。


 つまり、毒による殺傷、という手段しか考えられなかったのだ。


 ドラゴン甲冑をまとい、あらゆる刃物を跳ね返すほどの防御力を誇るとはいえ、すべての皮膚を覆っているわけではない。


 わずかに露出している手や顔などの部分を手練れで包囲し、斬り付ける。


 到底ほめられた戦闘スタイルといえたものでなかったが、しかし背に腹は代えられないのも事実だった。普段ならそういった小悪党なやり口はレオポルトは唾棄すべきものだが、グナクトによって一敗地にまみれ、顔の左側に大きな刀傷を残すことになり、恨みを晴らすことだけがその時のレオポルトの執念だったのだ。その当時の騎士団総長の決定に、半ば喜んで従うこととなった。


 レオポルトを含む二十人もの精鋭騎士で取り囲み、交代して切りかかり消耗を強い、ついに右手に毒傷をつけることに成功。


 その切り傷が致命傷に至る毒だと瞬時に判断したグナクトは、あろうことか自身の右腕を二の腕から真っ二つに切断したのだ。自身の誇るドラゴン甲冑ごと。


 そして退却し、それ以降戦場に姿を見せることはなかった。


 グナクトなき戦場ならばディルツ騎士団に魔法があるぶん分があった。しかし、プロンゾ戦士は並みのディルツ兵士の二、三人と同等の強力な戦士であり、しかも主戦場は大森林。ディルツ騎士団は森林資源をも欲していたこともあってすべての森林を焼き払ったわけではない。よってプロンゾの地の利を得た戦場で戦うことになり、戦場では常に苦戦を強いられ、常に辛勝だった。また、十字軍遠征に従軍することもあるし、別の紛争に主力を大きく割かれることもあり、対プロンゾ戦だけで歳月を送ってきたわけでもない。


 それで30年という恐ろしく長い期間を要して、ついに本拠地にまで攻め上ったのである。


 もはやグナクトの恐怖も過去のもの、そうなったはずだった。ディルツ騎士団の将兵からとうの昔にトラウマは消えうせた。長年の紛争に決着をつけプロンゾの息の根を止めるべく集結したアルクスネにて、しかし、またもや恐怖の体験をすることになる。


 二年前のアルクスネ攻防戦。


 いままでのプロンゾ戦士とは桁違いの戦闘能力。


 四万もの強大な戦力をかき集め、その半数を失うという、まさしく壊滅の憂き目にあったのだ。


 原因をレオポルトたちは麻薬か何かのバーサークだと分析している。


 麻薬などによるバーサーク化は戦場ならそれほど珍しい事例ではない。


 恐怖を消し、催眠暗示か、宗教的暗示によって一個の殺意の塊となす。そうなったものは尋常ではない能力を発揮する。そして、恐怖を消すということは、己が肉体の損壊に対する恐怖をも消し去ることを意味する。


 火事場のくそ力という言葉があるように、人間は肉体を維持するにあたって、常に無意識化での制御を行っている。筋肉や骨の限界以上の酷使を防ぐことによって自身を守るのだ。


 それを消す。


 そして暗示による殺意のみの思考。


 そうなったものはまさしくバーサーカーだ。


 どれほどの傷を負おうと、腕が千切れようと足がもげようと、かまわず襲ってくる。


 自身の命が燃え尽きるその時まで戦うものへと成り果てる。


 しかし、二年前の攻防戦におけるプロンゾバーサーカーはそれ以上の殺意と戦闘能力だった。


 数々の戦場を疾駆し、もはやプロンゾとの戦いにもなれたディルツ騎士団が壊滅状態にまで追い込まれた。


 最後、精鋭魔道騎士団による包囲殲滅がなければレオポルトとて危うかったであろう。それほどまでに追い込まれたのだ。


 たけり狂うドラゴンの群れを相手にしているかのような、圧倒的な力。言葉通り、魂消(たまげ)る、ほどの絶望。


 グナクトの再現。


 かろうじて生き残った兵士の中には、おびえ震えながらもそうつぶやくものがいた。またもやディルツ騎士団はトラウマに悩まされることとなった。


 傷が癒え、体の調子が元に戻っても、心の傷は簡単には癒えない。


 プロンゾ戦士を見ただけで恐怖がよみがえってしまってはもはや戦闘どころではない。ディルツ本国に引き返した将兵の多くはそういったプロンゾ恐怖症をわずらっていたのだ。とりあえず急場をしのぐためにアルクスネに管区を設置したはよいが、その後十分な時間を稼ぎ回復して再度兵を発したとはいえまともな戦となりうるのかどうか。レオポルトの悩みの種はそこにあったのだ。


 それが新たに兵を発することなく、捨石のごとく据え置いたアルクスネだけであのプロンゾの帰化を認めさせた。


 数万の将兵の命を、心を、見事に救ったに等しい。


 まさしく値千金の大活躍だ。


 いや、大成功にすぎる、といってもよい。


 それどころか今後、ディルツ騎士団の従来のやり方が本当に真っ当かどうか、(かなえ)軽重(けいちょう)を問われることになるだろう。


 いや、すでに歴史的事実として、暴を以って屈従を強いる方法は悪法の典型だと証明されてしまったのだ。これは正直に認め、反省し、今後の征服事業に大きな転換を迫られることにならざるをえない。


 とはいえ、だ。


 それが可能なのはミハエルという英雄、があってのもの。凡人が軽々しくまねできるものでもないこともまた、事実だ。


 絶対に戦場で自分は死なないという、自信。


 想像しただけでレオポルトは苦笑を禁じえない。以前の自分なら噴飯物、いや、大激怒ものだった。


 英雄譚でもなければ絶対に登場できるはずのない英雄。


 そんな英雄が、実際にいるのだ。たまったものではない。


 今後の征服事業、帰化事業に参考程度にはさせてもらおう。レオポルトは口の端に笑みを浮かべて一人ごちた。


 しかし、そのミハエルはプロンゾバーサーカーを相手にする、という。


 手紙が到着するまでに、すでに戦闘は終えたのだろうか。いままさに戦闘の真っ最中であろうか。


 あのプロンゾバーサーカーを相手にして、たかだか1000のアルクスネ将兵などひとたまりもあるまい。


 いっかな英雄とて、………いや、もしかすると。


 レオポルトは、あの英雄なら、という可能性を捨てきれない。




『アルクスネ全将兵あげて此度の決戦にてことごとく討ち果てるともプロンゾに恨みなし』




 文面からも決死の覚悟が伝わってくる。


 しかし、悲壮な感じはいっさいない。それどころか、見事なまでに未来を信じた天晴れな覚悟だ。


 不思議と、ミハエルが死ぬだろう、という気持ちにはならなかった。


 それどころか。


 今一度文面を読み返す。


 プロンゾに肩入れしまくったこの文面。そくそくとして心情に訴えて実に涙をさそうではないか。


 判官(ほうがん)びいきというわけか。


 強者にへつらうよりも弱者にこそ寄り添いたい。


『むしろ鶏口(けいこう)となるもあえて牛後(ぎゅうご)となる事なかれ』


 そういう心情もわからないではない。


 しかし。


「どっちの味方だ。ど阿呆」


 またもや苦笑がもれる。


 この報告書を握りつぶす、無視するなどたやすい。


 だが、それを行ったら、もはや自分で自分を許せなくなる。


 部下が命を捨てて未来を切り開こうとしているのに、上官たるものがその未来を叩き潰してどうする。


 何にせよ、プロンゾ帰化を完全に履行するために行かねばならない。


 レオポルトは立ち上がった。


「アルクスネに行くぞ!! あの小僧の死に水をとってやろうじゃねぇか!」


 そう言いながらも、レオポルトは満面の笑みだった。





                       ※





 時間は会談にさかのぼる。


「………すまぬ。婆が日陰者に甘んじたおかげで、未来ある若者の芽を摘み取ってしまった………」


 ディディクト・プロンゾが立ち去った大広間で、ディレル・ピロンゾはうつむき、そうつぶやいた。


 リリクルは力なく立ち尽くし、ミミクルは滂沱(ぼうだ)と泣き崩れている。


 ミハエルは自身の無力に打ち震え、ノルベルトは来るべき決戦に心を奪われている模様だった。


 他のプロンゾたちも、立ち去ったもの、ことの成り行きに呆然となるもの、到底、そこは平和会談という場ではなかった。


 もっとはやくにグナクトを解任し、ディディクトに族長の座を明け渡すべきだったのだ。


 後悔してももはや遅いとはいえ、後悔せずにはいられない。


 とはいえ、グナクトにも期待していた部分が大きかったことも事実。


 確かに、性格に大きく難があるとはいえ、族長としてこれほど頼もしい男がいないのも事実だったのだ。プロンゾが30年にわたる敗戦につぐ敗戦によってその繁栄を失い、一気に生活難にあえぎ滅亡の憂き目にあっても、プロンゾの希望はグナクトにあった。


 むしろ、右腕を失い、慣例によって予備役に回ったことで、族長として一族を精神的に支え続けたグナクトの存在ははてしなく大きい。


 ディルツとの戦争にグナクトの長男ガガナト、次男ネネムタが戦場にあるとき、その弱体化に乗じ後背を襲ってきたディーム族との戦争で出陣したグナクトは、右腕などなくても何の遜色もないということを証明した。いや、それまでの鬱憤を晴らすが如き恐るべき鬼神とみまごう大活躍だった。


 一人であげた首級は5000は下るまい。


 そのまま本拠地に襲い掛かって降伏させ、新妻イーナム・ディームを得たのだ。ディーム族は二度と歯向かえぬ傷を残すことになった。


 グナクトあるかぎりプロンゾに敗北なし。


 意気消沈していたプロンゾが、やはり我らは戦士なのだと、誇りを取り戻したのも事実だった。


 そんなグナクトを、さしたる理由もなしに放逐すれば巫女の立場にも関わる。決定的な亀裂を、プロンゾに惹起(じゃっき)しかねないのだ。どうしてもグナクトの横暴にそこまで強くたしなめることもできなかったのだ。


 それが今回の丸腰の会談相手への一方的な攻撃は、さすがに否やは言わせぬ理由となる。


 二年のミハエルの辛抱強い融和策によって多くのプロンゾは、もはや徹底抗戦にこだわってはいなかった。それどころか、ミハエルと共にあるのならディルツ帰化もやむなし、という声が、小さいながらも出始めていたのだ。力に対抗するに力によって報いても、その先はもはや決まっている。そんな絶望に向かうなど愚の骨頂。いまは再興にこそ力を尽くすべき。すでに帰化したプロンゾ人のありようを目の当たりにし、プロンゾにも様々な生き方がありうるのだ、生き方は固定ではないのだ、という考えがわずかながらでも興りつつあったのだ。


 ディレルも、辛抱強く我慢した。


 グナクトがここに至って変化をみせるのならばそれでよし、駄目なら、というわけだ。


 しかし、ディディクトの内心までは読みきれなかった。一部のプロンゾのぬぐえぬ怨恨を知らぬわけではなかったが、それを水面下でディディクトが取りまとめていたこと、突然の族長交代劇にも、知っていたといわんばかりの対応。


 さすが、とディレルとて舌を巻かないわけにはいかない。


 そんな、族長としてもっとも優れた、グナクトの血を色濃く引いた長男ガガナト次男ネネムタよりはるかに優れた器の持ち主を、ここで失ってしまうのがあまりにも損失が大きい。


 しかし、これですべての未来が閉ざされたわけではない。


 リリクルはこの美形の英雄にご執心だ。ミミクルはこれからニーモとともに大きく成長するだろう。


 こと、ここに至って変化を強いられたのは、何もグナクトのみではない。


 プロンゾそのものが大きく変革する。


 若者たちがそれを実現してゆくことだろう。

 

 ならば、まずは。


 ここは、自分が音頭をとらねば。


 自分以上に世故長けたものがこの場にいようか。


 起死回生の機知をいまこそ振るうべき。




グ――――――――




 頭を使ったその瞬間。


 ディレルの腹の虫が大きな音を立てた。

 

 場の空気が変わる。




――――しまった!




 ディレルは赤面する。


 機知を発揮する前に腹の虫が騒ぎおった! 好物のザーモスが目の前にあったせいだ!


 一応の言い訳を内心で考える。しかしもはや手遅れ。綸言(りんげん)汗のごとしとはいうが、まさか腹の虫とは、恥ずかしいやら面白いやら複雑な心地だ。しかし、場の空気が変わった以上、利用しない手はない。


「………腹が減ってはなんとやらだ。その生ザーモスをいただこうではないか。それに客人を、いつまでも立たせたままにもゆくまいて。皆のもの、忘れたかいまはどんな場だ。共存共栄に向けた笑顔であるべき場ではないか!」


 よし、威厳を取り繕った。


 照れ隠しにしては満点だ。


 ディレルは満面に笑みを浮かべた。


「………そ、そうだな。ミハエル、いつまで突っ立っている。座れ」


「………はい」


 改めて座りなおすミハエル。


「ミミ、一緒に料理をもってくるぞ」


「は、はい………」


 リリクルが差配し、そして、ミミクルを助け起こす。


 ようやく、本来予定されていたものが動き始めた。


 料理を出すべく待機してそのタイミングを逸していたプロンゾの女性たちと共に、リリクル、ミミクルが料理を会場に並べる。


 ノルベルトが手際よくザーモスを人数分切り分ける。


 こういってはなんだが、人が減った分、配分が助かったと内心安堵しているノルベルトである。ここにいるのは一族に連なるものばかりではなく、別の集落の長と思しき老人も左右にはいて、およそ20人ほど。二匹のザーモスでなんとか足りる。脂の乗ったおなかの部分と、少ない尾の部分とを均等に人数分皿に盛ってゆく。バルバル海の海産物は乾燥しているのですぐに食べられるものではない。後で食していただこう。


 そして並べられるのはプロンゾ料理。野草や香草を煮込んだスープに、木の実をすりつぶして練って円形に焼いた古代のパンのようなもの。これがプロンゾの主食である。さらに狩りでとってきたのだろう、鹿かイノシシの燻製肉が並べられた。果実を発酵させたお酒も添えられる。


 族長一族が食べるものだから十二分に豪華なもののはずだが、ディルツ本国の豪華な晩餐を経験したミハエルらからすると相当質素だった。


 それは、昨夜の集落での歓迎の晩餐でも感じたことだ。


 戦士として、戦場を疾駆するものにこれで栄養が足りているのか疑問視せざるをえない。それほどまでにプロンゾは食糧問題が深刻なのだ。


 まずは食料問題の改善。


 プロンゾ帰化がなった以上、まずは眼前の問題から立て直してゆかねばならない。とはいえ、それはアルクスネ単独でなしうるものではなく、本国の支援を仰がねばならないことも事実。


 しかし、いまはそれ以上に問題となってくるのが一週間後の一戦。


 ディディクトはずるをする、といった。


 本来の戦闘スタイルにさらに何かをもってくる、何かをする、ということだろう。


 考えられるとすれば、二年前のアルクスネ攻防戦での死闘。


 その時、突如としてミハエルは休養を申し渡され本国に帰っている間に起こった出来事だった。ノルベルトは後方の伝令役を担っていた。


 アルクスネ平原に集結したディルツ騎士団四万に対して、プロンゾ戦士は8000ほどだった。しかも、プロンゾ本来の主戦場である森林を捨て、平原にわざわざ出陣するという一戦だ。五倍差という戦力差に加えて、魔法を思う存分振るえる平原。


 ディルツ騎士団の誰もが勝利を確信し、プロンゾはもはや捨て鉢になった。誰もが当然そうとらえる状況だった。


 しかし、結果がディルツ騎士団の壊滅。8000のプロンゾ戦士も大規模魔法に焼き払われた。


 圧倒的不利をあっさりと覆すほどの秘策をプロンゾはもっているのだ。


 しかし、リリクルはいった。


『あれはプロンゾにとっても忌むべきこと』


 と。禁忌を犯すことなのだろう。


 大概の場合、バーサークには大きな代償がつきものだ。自身の命に関わるほどの。だからだろう。


 誇りある戦士として、ご先祖様に見守られながら力を振るうプロンゾとして、自身の命をその場で捨てる行為は、たとえその成果がなんであれ自殺と同様。


 そうか、だから今回の帰化とは無関係に、と断りを入れたのだ、とミハエルは思う。


 やはり、彼らは死を覚悟してバーサークするつもりなのだ。そして、ノルベルトは知っていた。知っていて、ミハエルに捕縛しろ、といって状況の進行を促したのだ。ここに来て、一戦を回避する方法を模索する余裕などないし、決死の覚悟をなしたディディクトらに反故をさせることなどほぼ不可能であろう。それよりは申し出を受け、融和に向けた対話のほうを優先させるべき。


 プロンゾバーサーカーの恐怖を知っているのはミハエルではなく、ノルベルトのほうだ。


 そのノルベルトが、一戦を受けるべきだと判断した。


 ノルベルトは、瞬時に自分の命をも天秤にかけて、よりよい未来を選択したのだ。


 ぐずぐずと、命の大切さばかりに気がいって事態の推移にまで頭が回らなかったミハエルより、はるかにノルベルトは状況を的確に理解していた。どちらが指揮官にふさわしいんだか。


 何でもかんでもノルベルトにおんぶに抱っこの自分のふがいなさに、ミハエルはため息をついた。


 そんなミハエルの様子を横目でみたノルベルトは、無言だった。


 誰しも自身の未熟に打ち震える時がある。それは、誰しも避けられぬことだ。その、自分の未熟を認識し、それを改められるか、否か。ミハエルが成長する器かどうか、それはミハエル自身で答えを出さねばならない。自分だけで答えを導かねばならないのだ。


 善導なら、補佐ならいくらでもしてやるさ。それが、年長者の役割というものだ。


 まだ若いじゃねぇか。これからどうとにでもなる。


 ノルベルトは口の端に笑みを浮かべた。


「準備も整ったな。では僭越(せんえつ)ながら、新族長として選任されたわたしが此度のめでたき日に挨拶をしたいと思う。わたしも若輩ゆえ至らぬところもあるだろう、まだまだ前途は多難ではあるし、すべてが順調に行くわけでも、すべてのものが幸せになるわけでもないと思う。しかし! 今日、この日よりもはや我らは同胞。手に手をとって共存共栄の道を探ってゆくのだ。この喜びに勝るものがあろうか。もはや、色んなことは過去になるのだ。過去に、するのだ! では、ミハエルも挨拶を頼むぞ」


 てきぱきと音頭をとるリリクル。


 突如として信任された族長という大役であるはずだが、リリクルは立派に勤めを果たしていた。若い族長がその覚悟を示しているのなら、それをきちっと補佐するのが年長けたものの役割だ。


 居並ぶプロンゾたちの顔は晴れ晴れとした決意でみなぎっていた。


「はい。いまはただ、感謝の言葉しかありません。わたしは、ディルツのやり方にずっと疑問を抱いてきました。相手を屈服させ、相手をねじ伏せ、誇りも尊厳も奪い去るやり方に。そうではなく、人として、人をきちんと敬う。敬意をもって、相手に接する。そうするからこそ、相手も敬意をもって接してくれる。そんな、当たり前のことすら、人として当然のことすら、我々は見失ってきたのです。それを、わたしは捨てたいと思います。古いディルツを、新しいディルツに。そして、その想いが、いわば、たった二年で、ここまで受け入れていただけたことに、わたしは感謝と畏敬の念をもって、プロンゾの方々にありがとうといいたいと思います。そしてこれからも、改めまして、よろしくお願いいたします!」


 深々とお辞儀をするミハエル。


 しばし、広間に至福の時間が流れる。


 感極まったリリクルにも、しばらくの時間が必要だった。


「んむ………。かえって、我々は幸福だ。お前がいたのだからな。………では、巫女ディレル婆のお言葉をもって乾杯といこうではないか。婆お願いします」


「うむ。こういう言葉もある。『至誠にして動かざる者は いだこれ有らざるなり』ミハエル殿の至誠が、天に通じたのだ。いや、通じないことなどあろうものか。こうして、ミハエル殿、リリクル、無駄に強情で、無駄に頑固で、無駄に器と成り果てた年老いた我々ではなく、柔軟性に満ち、可能性に満ちた、若く、力にあふれたものたちがこれからのプロンゾを牽引してゆくのだ。これほど頼もしく、また嬉しいことがあろうか。すべてはうまくゆくであろう。プロンゾもその古きを見直し、新しき世に向けて変革せねばならぬ時がきたのだ。いまはただ、若者たちを祝福しようではないか。古プロンゾの神々も、ご先祖様も、きっと祝福してくださるであろう。もはや、我々に残されたのは絶望ではなく、希望なのだから! 乾杯!」


「乾杯!!」


 いまはただ、皆が祝福に酔いしれるのであった。


 いまはただ。

ラノベ、とウタっておきながらこんなに古典を引用していいのかな、とは思いつつ書いております。まあ、いまどきはすぐにネットで調べられるし、問題はないかと(笑)。ネットで調べても簡単にでてこない言葉とかはさすがに避けていますし。とはいえ絶対出ない、とは断言できませんけどね(笑)。

老荘思想家のおっさんがラノベ書くとこうなる、ということでご寛恕いただきたいと思います(笑)。

その分、普段ブログで申しておることを吹き込んでいますので、少しでも小説を読みつつ学問になれば幸いでございます。ではまた。

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