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天と地と人  作者: 豊臣 亨
二章  鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク
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鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (三十八)~授爵記念祭 後編~



「最終戦だ。両者前に出ろ」


 リリクル・フォン・プロンゾがレスリング会場と同様、射的会場でも大将戦を告げる。


 白熱した熱戦や、もしくは逆にあっけない幕引きもあるレスリング会場に比べ、たんたんと試合を消化していた射的会場でもほとんど同じタイミングでの大将戦の開始であった。


「はい」


 静かに、練りこむように心を高めていたヨハン・ウランゲルがすっと立ち上がる。


 弓のごとく引き絞られた弦はいまや最高潮。あとはただ、放たれるのみ。完敗を喫し、言葉も何もなくうなだれるディルツ弓兵のテントにあって、濃密な敗残兵の雰囲気すら目に入っていないかの如く。


 高ぶるでもなく、気負うでもなく、ただ、尋常。


 朝起きて、おはようのあいさつをして、神々に感謝の祈りを捧げ朝食をいただき、食後に両手を合わせるかのように、自然と、普通に、ヨハンは開始位置についた。


 そして、対する一方。


「かしこまりました」


 プロンゾ側のテントから立ち上がったのはシシスナ・プリムゾ。


 プロンゾの勝利数は実に九。圧勝の中にあっても勝利におごるでもなく、喜ぶでもなく、まるで始まったばかりのように静かに開始位置に進む。


「ほう」


 思わず感嘆の声が漏れるリリクル。


 大将に恥じぬ見事な精神集中。両者、これまでの試合の流れや結果などなかったかのごとく、ただ己の射に心が向かっているのだ。そして、それが試合だからという高揚も興奮もない、ただ日常生活のように向かっている。


 見事の一言だった。


 特に、完全連勝のプロンゾに比べ、完全連敗のディルツ側にあって一切心に曇りも引け目もないヨハンの精神集中は素晴らしかった。恐らく、現状でヨハンが至れる精神性の最高の状態にある。


 そして、両者、各々の呼吸で矢をつがえ、放つ。



トッ



 示し合わせたかのように両者の矢は50メートル先、50cmの的の中央を射抜く。


「見事。シシスナに弓の稽古をつけてもらって心まで飛躍的に向上したようだな。それが射にまで現れている」


 リリクルはそれを見てまた、感嘆の声。ちなみに、リリクルには50メートル先の的が見える。さらに言うと、ここにいるほとんどの人が見えている。プロンゾ人だらけの射的会場が両者の見事な射に歓声をあげていた。


 前の、いかにもディルツ弓兵丸出しであった、野趣あふるる立ち姿ではない、まるで天井から糸でつるされている人形のような見事な立ち姿勢。ただ、立っているだけでも絵になる美しい立ち姿であった。


「はい。シシスナさんにはとても感謝しています。わたしも、まさかここまで自分の悟道が至れるとは思いませんでした。いまはただ、その感謝を、この一射に込めお見せするのみです」


 そう、話しながら静かに弦を引き絞り、第二射を放つヨハン。


 またも中心に的中。


 見事な精神コントロールであった。


「いえ、わたしなどはただ、ヨハンさんの眠っていた資質に呼び掛けたにすぎません。いまのヨハンさんは、言うなれば本来あるべきお姿なのです」


 そう、言いながらもまったくぶれることなく射を放つシシスナ。そして当然のごとく中心を射る。


「ありがとうございます。されど、いくら資質があったとしても呼び起こしていただける存在なくしては死蔵もいいところ。やはり、感謝の念を強くするばかりです」


「鈍い人は呼び掛けても応じられないもの。それに気付けることも、また資質ですよ」


 第三射。


「気づいていただけたことこそ、わたしの幸せです」


「まっすぐに感謝できる心根の素直さこそ、まごうことなき資質です」


 第四射。


 褒める


 第五射。


 褒め合う。


 第六射。


 褒めまくる。


 第七射。


 褒めちぎる。


 第八射。


 褒めに褒める。


 お互い一歩も譲らぬ大絶賛の中、一切的を外さない両者。試合の流れそのものは大将戦にふさわしい見事と言う他無い成績であった。しかし、そんな射的会場にあって、うろん気な目つきをするものがあった。


 そう。


 リリクルである。


 九射連続、両者的の中央に的中という、完璧な流れにあるが、二人の仲睦まじい様子に、イライラというか、とある懸念が雲のごとく沸き起こり、ついに、思わず言ってはならない言葉を発してしまうのであった。


「……お前ら、付き合ってるだろ?」


 と。


 一瞬の静寂。


 直後。


「な、な、な! 何をおっしゃるのですか! わッ、わたしは修道騎士ですよ!?」


「そ、そそッ、そうですよ、リリクル様! わたしとて未亡の身、この期に及んでどなたかに懸想するなど!」


 先ほどまでの素晴らしい精神統一はどこへやら、まるで池に落ちた猫のような大パニックであった。


 その両者の慌てようを、うろん気に見ていたリリクルが、ニヤ、と笑う。


 哀れな獲物が罠にかかった時にするくらいの笑みだった。


「うん、いや、いいのだよ。うんうん。修道騎士、つっても辞めればいいんだろ? どうせミハエルもそのうち辞めてわたしの婿になる身。だったら、先行して先例を作り、ミハエルに自慢してやればいいのだよ。そうは思わないか、ヨハン君?」


「いえいえいえ! とんでもない! それにそもそもシシスナさんにご迷惑ではないですか!?」


「め、迷惑かどうかはおいといて、試合中ですよ、リリクル様!」


「その試合中にイチャイチャしておったのはどこのどいつだ」


「い、い、い、イチャイチャ!? わたしたちは真剣な試合を行っていたのであって、い、い、イチャイチャなどと!」


「ほほう。お前ら、そう思うのなら落ち着いて回りを見渡して見ろ」


 ふ~やれやれ、と肩をすくめるリリクルに、はっとなったヨハン、シシスナが恐る恐る会場を見回す。


 そこにあったのは。




ニヨニヨ




 若い恋人たちを冷やかす者共特有の顔が、会場一杯に並んでいるのであった。しかも、先程までうなだれていたはずのディルツ弓兵までそろってニヨニヨしていたのであった。


「たいちょ~、隅に置けないっすねぇ」


「最近お二人して熱心でしたからねぇ。弓の稽古を、手とり足取り、こ……プフッ!」


「お! お前ら!」


「まあ、シシスナさんもまだまだぜんぜん若い身空、やはり、男手というのは必要だと思いますよ」


「こんなことで怨んで化けて出るようなディディクトさんではないですよ!」


「あ、あなたたち!」


 リリクルの笑みがますます強まる。


「そうだぞ。シシスナとてディディ兄を喪ったとはいえ一門扱い。二人が結ばれれば、もしかするとヨハン・フォン・ウランゲル、もあり得るかも知れんなぁ。ディルツ弓隊隊長から、プロンゾ長弓隊を率いるお貴族様。をを、おめでとう、ヨハン君!」


「わたしが、き、貴族に」


 目に見えて動揺するヨハン。


 貴族か否か、はこの世界の人間にとって天地の相違がある。貴族はその位に応じた最上位の扱いがあるのに対して、平民など奴隷、家畜と大差など無いのだ。この世界の人間は貴族になれる可能性があるのならそれに賭けると言って良い。


 ましてや、ディルツに攻められていた時とは違い、いまやリリクルは押しも押されもされない方伯である。格は辺境伯と同等であり、その一門ともなればもしかすると子爵位、男爵位が望め、最低でも騎士として取り立てられれば禄(給与)に、家屋敷も与えられ一族がずっと暮らせるだけの身分を保証されるのだ。


 それは、修道騎士として信仰の道に生きるものにあってもうかつに見過ごせる話ではないのであった。


「それに、だ」


「そ、それに?」


 この時の状況を振り返った第三者は後にこう語る。この時のリリクルの顔は、まさしく地獄に引きずり込まんとする悪魔そのものであった、と。


「未亡人。この響きに感じるものはないか?」


「み、みぼうじん……」


 ゴクリ、と盛大に喉が鳴るヨハンであった。


「リ、リリクル様、お戯れが過ぎます! それより、試合進行を妨げないでください!」


「おっと、すまんすまん。まあ、どうせ九連勝じゃないか。もう決まっているだろ」


「それでもです!」


「ははは。まあ、そう怒るな。続けたまえ」


 ニヤニヤが止まらないリリクルである。


「もう! ヨ、ヨハンさん、最後まで続けますよ」


「わかり、ました」


 そう、これで最後である。そして、ヨハンよりはやく精神集中を取り戻したシシスナが先に射を放つ。先程までの動揺が嘘のように狙い(あやま)たず的の中心を射抜く。その完璧な立て直しに、さすがと歓声が上がる中、リリクルが密かに舌打ちをしたのは内緒だ。


 ヨハンもそれに続かんと、改めて前方の的に精神を集中する。


 矢をつがえ、引き絞り、放つ。そう。そうだ。感謝の気持ちを、シシスナに。


 ヨハンの脳裏に微笑むシシスナの表情が浮かんだ、瞬間。



ヒョロヒョロ



 あらぬ方向へ矢が飛んでゆくのであった。


「ああ……!」



orz



 色々精神に限界がきて、がっくり、とくずおれるヨハンであった。


 先程の緊張感ある試合の流れもどこへやら、というか、先程が緊迫感ある素晴らしい試合運びであったがゆえに余計に、凄まじい落差のあまり会場はどっと笑いが起こったのであった。






「よし。んじゃおっぱじめようぜ!」


 レスリング会場。が、急遽、打撃戦の格闘会場へと転じたのであった。革手袋を装着したノルベルト・グリモワールがばしばしと手を叩いて気合を入れる。対するビーククト・ブロンゾも皮手袋を装着し、会場に現れる。さすがに素手では手を故障するからである。


「もう。どうなっても知りませんよ」


 困った顔のミハエルである。


「大丈夫大丈夫。ガキじゃあるまいし、怪我するようなことは起こらないって。な! ビーククトの旦那」


「ええまあ。しかし、懸念としましては我々中年の殴り合いが見栄えがよいかどうか、ですが」


「はは! 見栄え良くすればいいんだって」


 開始位置につく両者。


 開始と同時にがっぷり組み合うレスリングの時と違って、ほんの少し距離が開いている。


「では、改めまして最終戦、始め!」


 ミハエルの宣言と同時に、高々とあげられたノルベルトの左手。


 その左手に合わせるようにビーククトが自分の左手を当てる。


「へッ」


 一旦距離を取る両者、しかし次の瞬間、まず仕掛けたのはノルベルトである。


 距離を詰め、左のジャブを繰り出すとすぐさま右ストレートを放つ。お手本のようなワンツー。


 ステップで距離をとってかわすビーククト。


「フッ」


 かわしたその足の踏み込みで左ハイキック、続けざまの後ろ回し蹴りを放つ。


 こちらもお手本のように美しい体捌きであった。


 両者の卓越した体の動きに会場がどっと沸き立つ。レスリングと違って見た目が派手な分、わかりやすいから盛り上がりやすいのである。


「いいねー、なんか長年戦ってきたライバルみたいな安心感があるぜ」


「ですね。お互い無理せず、されど相手にダメージを与えやすい打撃を知っている。若者にはなかなか真似できない戦いができそうです」


「よよ。さっき見栄えがどうとか言ってなかったかい?」


「気が変わりました」


 にっこりと微笑むビーククト。


 苦み走ったナイスミドルが見せる魅力にあふれていた。


「ハッ! いいねぇ!」


 軽いステップを踏んで一気に距離を詰めるノルベルト。


 そんな傍で。


「ぬっ! わらわのいない間に楽しげなことを始めおって!」


 巨漢のプロンゾ戦士をボコボコにしてウサを晴らしたカトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクが戻ってきて不満げな顔をする。自分が一番やりたかったことを目の前でされるとなんか悔しいのだ。


「ええい、わらわもま――」


 まぜろ、と言い出しかけたその時。


「リヴァリア征剣騎士団、総長ディートリッコス・フォン・ウンガーハブ様と騎士の方々、着到!」


 プロンゾ兵士の声が響く。


「む」


「邪魔をする。おお、ブラウツヴァイク家のカトリーナ嬢ではないか。久しいな。確か、ディルツに帰国すると伺ったが、戻っておったか」


 白い十字模様が染め抜かれた、それ以外は真っ黒なナイトケープに身を包んだ巨躯の騎士が現れる。


 ディートリッコス・フォン・ウンガーハブ。


 コボルドとの戦闘時に、全身重装の甲冑に身を包んで現れたリヴァリア征剣騎士団の総長である。カトリーナと一悶着あったが、逆にその一騒動があってカトリーナやミハエルらと友誼を結んだのだった。


「ああ。コボルド・ロードとの決着をつけにな。しかし、リヴァリア征剣騎士団は総長自らお出ましか。……暇なのか?」


「うっはっは! 当たらずとも遠からずだ。こんな辺境の地に、方伯という枢要の家門が出現して気にならぬ訳があるまい?」


「……そうか」


 いまや、プロンゾはガロマン帝国の最北に位置する方伯位。


 ディートリッコスの言葉の通り、本来、神聖ガロマン帝国からすれば、位置的に遠すぎてまったく関係のない、興味すら起こり得ないようなド辺境の地に、方伯という地位を与えたのは異例の事態といえる。


 単純に理解すれば、それほど神聖ガロマン帝国がプロンゾを重視しているということになる。もっと言うなら、貴族化を献策したディルツ騎士団に皇帝フリーデルン二世が相当に入れ込んでいる、ということになるわけで、そのディルツ騎士団が併呑することなく手厚く遇すプロンゾなるものがどのような家門か、気になるのは当然と言えた。


 そのディートリッコスを先頭に、いずれも劣らぬ優れた騎士たちが続く。その中にあって紅一点。女性の姿にカトリーナは目を細めた。タイルドゥ防衛戦の後、ディルツ騎士団とリヴァリア征剣騎士団の面々で祝勝会を催した時にも顔を合わせたことがあるのを思い出したのだ。


 名は確か、レオノール・ホルシュタヒム。


 ここからはるか東方の地から流れに流れてやってきたそうで、優れた騎士たちが多いリヴァリア征剣騎士団の中にあって、さらに優れた雰囲気を持つ。直刀の剣を携えている騎士たちの中にあって唯一、変わった細身の曲刀を持つ。いわゆる、緑の黒髪という、輝くような真っ直ぐな長い黒髪に、怜悧な雰囲気の女騎士であるが、目の覚めるような美姫でもあった。


「お初にお目にかかる! リーグの地を本貫としリヴァリア征剣騎士団を率いておる、ディートリッコス・フォン・ウンガーハブと申します! こたび、神聖ガロマン帝国より方伯の地位を賜ったときき、馳せ参じた次第、プロンゾの皆様にはお慶び申し上げます!」


「うむ。かたじけない。ディートリッコス殿。何分、田舎の粗忽者ゆえ、礼儀も何も知らぬことを許されよ」


 荒くれの集う十字軍騎士団の中にあって、一頭飛び抜けたリヴァリア征剣騎士団総長ディートリッコスの挨拶に、重々しく応じるディレル・ピロンゾである。

 

「はッ。多少距離は隔たっているとはいえ、すでに商いで交わりのある我ら。今後もなにかあればいつでもお声がけをくだされ」


 ディルツ騎士団総長、レオポルト・フォン・シュターディオンの手回しによってプロンゾの交易品はリーグ港から出荷されているのだ。


「重ね重ね、かたじけなく思う。そうだ、ディートリッコス殿、こちらがグナクト、我らが田舎者だった時に一族を率いたものだ」


「急の申し出にも関わらず集っていただいたこと、まずは感謝したい。ワシがグナクトだ」


「噂は僚友レオポルトから、かねがね」


 注意深くディートリッコスがグナクトを伺う。レオポルトからも話は聴いているしガロマン帝国にて海賊を相手に大暴れした、という話もすでに耳に入っていた。


 だが、改めて思う。


 聞きしに勝る、とはまさにこの事。


 歴戦も歴戦、そんじょそこらの騎士風情なら雑魚扱いできるディートリッコスだが、眼前に悠然と座るグナクトは別次元の存在だった。こんな化け物がこの地上にいて良いのか、とディートリッコスは思う。知らず、冷や汗を感じるほどに。だがしかし。レオポルトによればこの化け物すら凌駕するのが、この巫女、ディレルであるという。


 レオポルトが、一見してひれ伏した、というのであるから穏やかではない。


 他にも、今もノルベルトと戦う戦士や、テントに控える者たちも、やはり手練だ。なるほど、レオポルトが踏み潰すことなく厚遇するのもうなずけるというもの。


「これを機会に、皆様とは深い友誼を結ばれんことを、伏して願います」


 深々と頭を下げるディートリッコスに、平静を装いながらも驚愕を禁じえないリヴァリア征剣騎士団の騎士たち。気に食わぬものなら撲殺も通常運転な自分たちの長が、ここまで平身低頭なのはやはり尋常ではない。


 ド辺境、ド田舎の、張り子の虎の「方伯」などではないのだ。


 彼らもようやくこの事態を理解しつつあった。


「我らも、伏してお願いする。ディートリッコス殿。我らも今後いろいろ迷惑をおかけするかも知れぬが、助けていただければありがたい。また、長駆、ご苦労であった。いただいた身分に見合ったもてなしもできぬ不佞ふねいの身だがゆっくりとくつろがれてくだされ」


「は。そうだ、祭りに遅れたのは皆様に味わっていただきたく、漁に出ておりましてな。丸々と太ったザーモルをたんまり持ってきましたぞ」


「おお! これは助かる! 何よりの馳走!」


 大喜びのディレルである。


 ザーモルとは、ザーモスの海洋型の名のこと。


 本来、海から生まれたザーモルが長い年月をかけて陸封されたのがザーモスというわけである。海の豊富な栄養によってザーモスより大型に育ち脂も豊かで美味い。


「氷魔法によって一旦凍らせ、運搬中に解凍しております。生でとろけるような脂を堪能できますぞ」


 ニ。と笑うディートリッコス。


「かたじけない。これは楽しみだ」


 ザーモルの手配を部下に任せ、貴賓席に案内されたディートリッコスが、挨拶に近寄ってきた大男の修道士、ギルス・バッテルンの肩を大笑いしながらばっしんばっしん叩くのであった。


 タイミングを逸したカトリーナが会場を見据える。


 ビーククトの右ハイキックを身を屈めて避けたノルベルトが距離を詰めて右ボディーブローを放つ。


「グッ」


 瞬時にステップを踏むが打撃を食らったビーククトに、ノルベルトの追撃の右ストレートが左頬に突き刺さる。さらにすきを狙うノルベルトのブーメランフック、だがそれをスウェーイングでかわし軸足を狙ってローキック。


「ウッ」


 動きが止まったノルベルトに、右ストレートを放つビーククト、それを左腕でガードし迫るミドルキックを防ぐと同時にそれを抱えて、ボディーブロー。


 だが。抱えられた足をそのままにジャンプしたビーククトが膝蹴りでブローを防ぐ、と同時に眼前にあるアゴを狙う。


ゴッ!


 モロにアゴに膝を食らったノルベルトが足を放してたたらを踏む。


 ベテラン戦士の激戦に会場は大盛りあがりだ。


「ぐっは! いいねぇ、燃えるねぇ!」


 下手をすればあの一撃で勝敗がつきかねない強烈な膝蹴りだったが、そこは頑強な十字軍騎士たるノルベルトである。一瞬脳震盪を起こしかけたがすぐさま立ち直りファイティングポーズをとる。


「つくづく戦闘狂ですな」


「はっは! お互い様じゃないか? さっきとは比べ物にならん面構えだぜ」


 開始前とは打って変わって剣呑な光を目に宿したビーククトが、にい、と笑う。


「最近、副官業務が多いゆえか、体がなまっておりましてな。いいストレス発散になります」


「お互い副官同士、似た苦労もありそうじゃねぇの」


「まあ、お互い苦労のしがいはありますな」


「違いねぇ!」


 距離を詰めたノルベルトが息もつかせず乱打を放つ。それを喰らいつつ、防ぎつつ、ビーククトも応戦する。


 それを見ていたカトリーナがまたもやイライラし始める。


「弱卒どもが。楽しそうにじゃれ合いおって」


「駄目だよカトリーナ。邪魔しちゃ」


 肋骨を数本へし折られた巨漢のプロンゾ戦士の治療を終えたミミクルがやってくる。


「フン。あの程度の弱卒ども、わらわにかかれば、秒でのしてやるわ」


「……あはは」


 あながち冗談とも言い切れないのが冗談ではない。


「ああやって殴り合わないとどっちが強いか分からないとか、人間というのは未熟だね」


 呆れた雰囲気をだすケット・シーのニーモ。


「神様なら戦わなくても分かるの?」


「もちろん。一見しただけで力量、エネルギー量というか波長が分かる。例えるなら、湖に石を落とすと波紋ができる。精神世界なら力量が波となって見えるんだよ。岩を落とせば大きな波紋が起こるように、強いものは強い波を常に起こしているんだ」


「ふえ~。カトリーナは分かる?」


「うむ。だいたい分かるぞ」


「そーなんだ」


「二流以下は目に見えるものしか信じぬ。目に見える以上のものを感じ始めたら一流だ。立ち合った瞬間相手の力量が読める、一流ともなると戦わずして勝敗が見えるのだ」


「でもカトリーナ、ミハエルさんとも戦おうとしてない?」


「ん? ふ、それは遊びよ、遊び」


 朗らかに、剣呑な笑みを浮かべるカトリーナである。


 遊びで精強な格闘家が襲いかかってきてはたまらない。


「せりゃあッ!」


「フンッ!」


 ヒートアップしたノルベルト、ビーククト両者がそれぞれ回し蹴りを放つ。


ガッ


 強烈な回し蹴りがジャストタイミングでそれぞれの腹部に炸裂し、その威力に両者吹き飛んで盛大に地面をすべる。


「チッ」


 小さく舌打ちをしたノルベルトがすかさず立ち上がって続きといこうとした、その瞬間。


「両者、同時に接地! この勝負引き分け!」


 無情なミハエルの宣言が響くのであった。


「はぁ!? おい、嘘だろミハエル! 今のは無しだ。ただのスリップだろ!?」


「上半身が地につけば試合終了、最初からそのはずです」


「って、オイオイ! そりゃレスリングの話だろうが!」


 若干興奮気味のノルベルトが、主審たるミハエルに噛み付く。え? 終わり? と、会場がざわつく。


「フルコンタクトは両者合意の上として認めましたがルール変更まで行っておりませんのでこれで勝負はつきました。この戦いはディルツ、プロンゾの引き分けとなります!」


「はぁ~!?」


「ハッハッハッ! ルールも把握できん雑魚どもは引っ込んでおれ! さあ、ミハエル、わらわの相手をせい!」


 かんらかんらと高笑いのカトリーナが会場に颯爽と侵入を試みる。ミミクルとニーモはあ~あ、といった表情だ。


「いや、しゃしゃってんじゃね~よ、このわがまま娘が。お前さんはグナクト前族長と戦ってろ」


「ぬ! 体格差がありすぎるだろうが!」


「知るか! ここは普通の人間が戦うところなんだよ! 人外は及びじゃねぇよ!」


「わ、わらわを化け物扱いするか!」


 煽り耐性の低いカトリーナであった。だいたい、コボルド・ロード、ヴォルゴノーゴと激闘を繰り広げていた時点で体格差などものともしないのだが、自分の父、ジョヴィルリッヒとまったくの互角で戦い抜いたグナクト相手だとさすがに分が悪いと思っているのである。はっきり言えば勝ち目はないと分かっているので、さすがにグナクトとは戦いたくないだけである。


 ヒートアップしたノルベルトに、食って掛かるカトリーナ。急転直下の事態についていけないミハエル。完全に蚊帳の外において置かれるビーククト。ますます混沌の度合いを深める、旧レスリング会場。


 そこに。


「うっはっはっは! ここはリヴァリア征剣騎士団総長、ディートリッコス・フォン・ウンガーハブが預かる! 両者、控えい!」


 ディートリッコスの登場である。


 またややこしいのが現れた……。


 会場にいる人々の偽らざる気持ちであった。


「お、お久しぶりです。ディートリッコスさん」


「おう! 息災であったかミハエル殿よ!」


「……どうするってんだ」


「伺えば、この祭りは毎年開催するのであろう? ならば来年、レスリングとフルコンタクトを両方開催すればよい! そして、いまこの場はカトリーナとの相手を我らが剣士レオノール・ホルシュタヒムが務める!」


「はぁ!? ちょっ待てよ! あんたそれ自分とこの手駒を出したいだけ、うがっ!」


 ドッ、と大地にばったりとくずおれるノルベルト。カトリーナの恐ろしく早い手刀によって意識を刈り取られたのであった……。


「ふ。ディートリッコスの申し出とあらば受けぬ訳にはいくまい。良いな? ミハエル」


 蛮勇をもって恐れられたディルツ騎士団副長をあっさりと地面に沈め、にやり、と悪い笑みを浮かべるカトリーナ。先程まで素晴らしい格闘戦を行っていたノルベルトをあっという間に黙らせたカトリーナの手腕(?)に会場に寒風が吹きすさぶ。しかも、それを美貌の貴族令嬢がなんの躊躇も遠慮も善意もなくやってのけたのであるから、ブーイングをする猛者はここにはいなかった。


「もう好きにしてください……」


 もはやミハエルの統率力の埒外であった。


「しかし、レオノールと申したか、あの女剣士。一見して手練であることはわかるが、業前は確かか?」


「安心せい! 剣の腕だけなら我らの中でも敵なしよ」


「ほう。そなたよりもか?」


「おうよ。の、おかげで若干天狗になっておって困っているがな」


「面白い」


「おい、こっちは終わったぞ。ミハエル。で、何をやっとるんだ?」


 射的会場をつつがなくプロンゾの勝利で幕を閉じ、選手全員にガラタリアの名品であるワイングラスを贈呈し終えたリリクルが合流する。


「はっはっは! 久しいなリリクル殿! プロンゾ族長から方伯に大出世だな! 今からそこなカトリーナと我らが誇る剣豪の試合が行われるところだ。楽しみに致されよ!」


「お、おう?」


 さっぱり訳が分からないリリクル。貴賓席に戻りレオノールを呼びに戻るディートリッコスを尻目に、なんでこんなことになっている? とミハエルに聞くが、わたしにも分かりません、という返答が帰ってくるのみであり、完全においていかれたビーククトが慌てて出てきたガンタニ・ティーリウムらとノルベルトを抱えあげて会場の外に運び出す始末であった。


 そして、いきなり呼び出されたレオノールがディートリッコスに背中を押されるように、本当に渋々、といった雰囲気で木剣を携え、会場に現れる。カトリーナにも木剣が渡され、素振りをして手触りを確かめる。


「ディートリッコスよ、レオノールとやら剣技は確かのようだが、わらわは体術まじりの剣しか扱えぬ。それでよいか?」


 嫌々剣を上段から素振りを始めるレオノールをみて、カトリーナが言う。嫌々だろうがなんだろうが、レオノールの剣筋は本物であった。まるで空気を切り裂くような剣の鋭さに、一層警戒を強める。


「おう! 戦場で卑怯も糞もないわい! 好きにやれい!」


 にかぁ! と極上の笑みを巌のような顔面に貼り付けるディートリコッスである。


「言質は取ったぞ」


 に、と笑うカトリーナ。会場の中心に歩を進めると、観念したのか、自分たちの総長の強引な指図はいつものことなのか、黙ってカトリーナと相対すように位置につくレオノール。


「木剣といえど、防具もなしに戦うのは危険ですから一本、いいのが入ったら終わりですからね」


 そして、これまた渋々審判に入るミハエル。木剣といえど、頭に直撃すれば、普通の人間なら死んでもおかしくない。まあ、普通の人間ならの話だが。


「分かっておる。ようは、当たらねばよいのだろう」


 直後。


 カトリーナの一言に、先程までうんざりした雰囲気をこれでもかとダダ漏れさせていたレオノールの雰囲気がガラリと変わる。それまで、据物(すえもの)でも見るような目でカトリーナを見ていたその目が、冷徹に爛々と光り始めたのだ。つまり、こちらも煽り耐性が低かったのであった。


 ほう、プライドをいたく刺激されたと見える。……それでなくてはな。


 にぃ、と底意地悪く笑い、中段に構え、レオノールを見据える。


 会場は突然の成り行きとはいえ二人の美貌の戦士の戦いに、またしても固唾を飲んで見守ることとなる。一方は貴族らしい高品質のシャツやズボンに身を包み、うねるような豪華な金髪を後ろに流す貴族令嬢。


 一方はナイトケープに身を包み、ポニーテールの輝くような黒髪の美女。


 竜虎相搏(あいう)つ。


 まさしくそう表現するのがふさわしい対象的な戦士の対峙であった。


「はじめ!」


 ミハエルの合図。


 しかし。


 開始はしたものの、両者はぴくりとも動かなかった。


 レオノールはともかく、カトリーナはまったく動けなかったのだ。レオノールの完璧な立ち姿に、一切付け入る隙きがなかったのである。


 八面鉄壁、斜め正眼。さすがだな。一分の隙きもない。


 騎士が使うような剣筋とはまったく別世界の立ち姿とその流派に、どう戦えばよいかまったく見えてこない。様々に打ち込む状況をイメージするが、ことごとく完璧なカウンターを食らう己の姿しか想像できないカトリーナであった。


 待ちわびた勝負の場に、これまた好都合に手練が出てきたまではよかったが、カトリーナをもってしてもレオノールの剣の腕前にまったく勝ち筋が見えず内心で苦笑する。膂力、反応速度、実戦経験、すべてにおいて一流を自負するカトリーナでも、単純な剣の腕前にあっては眼前のレオノールには勝ち目がなかった。


「だが、それも織り込み済みよ」


 ぽつりとつぶやくカトリーナ。


 素振りを見たときから、剣の腕前だけなら勝ち目などないことなど分かっていたからだ。


 ならば、どうするか。


 す、と中段の構えから、大上段に構えるカトリーナ。そう。超攻撃型の構えをとったのだ。


 単純な、剣の腕前だけなら一段は劣るカトリーナが超攻撃型の構えをとる、その結果は覿面(てきめん)だった。それまで冷静な風を崩さなかったレオノールの表情が怜悧な表情にあっても明らかに、憤怒に彩られたのだ。


 目つきだけで人が殺せそうなほどに。


 どこまでも煽り耐性のないレオノールであった。


 しかし、それでもあってもなお、両者は動かない。


 攻撃を仕掛けるということは、同時に隙きを生み、相手に弱みを作るということになる。優れた腕前をもつ戦士同士の戦いともなればその一瞬の隙きで生死を分けるがゆえに、迂闊に動くことなどできないのである。


 まるで彫像のようにぴくりとも動かない両者。


 それを見守るリリクルたちは、会場に流れる戦士の呼吸に見入ったままいつまでも見ていられるものだ。だが、それに耐えきれず、じれたのは会場の人々であった。


 酒を飲みすぎ、秋の風にブルっと震えたどこぞのおっさんが、大きなくしゃみをしたのだ。


ハァーックション!


 その刹那。


ドッ!


 神速の歩で地を蹴ったのはレオノールであった。しかも、まっすぐにカトリーナの喉めがけて突き込むつもりであった。


 正気か!


 自分で煽っておきながら恐怖するカトリーナ。だが、レオノールの神速の突きは、普通の人間が相手なら喉を突き破ってもおかしくないほどの速度と威力が込められているのは明白だった。


 背筋に戦慄を走らせながらも、カトリーナは数々の実戦経験によって支えれた反応を見せる。寸前に迫る突きを避けるべく、体を左に倒したのだ。


 しかも、狙いは避けることではない。


 これまた神速の右ハイキックを繰り出していたのである。


 赫怒かくどし、カトリーナの喉めがけて、視界が極端に狭くなっていたレオノールは、その神速の蹴りに気づくのが一瞬遅れた。そう、一瞬の隙きで良かったのだ。



ゴッッ!!



 強烈なハイキックがまともに入り、吹っ飛ぶレオノール。


「し、勝負あり! カトリーナさんの勝利!」

 

 ミハエルの声が高らかに響く。


 ウオオオオッ! と会場がこれまでで一番轟いた。


「うっはっは! 見事見事! 我がレオノールに大地を舐めさせるとはさすがよ!」


 ディートリッコスが、呵々大笑しつつやってくる。


「純粋な剣の腕だけなら勝ちは薄かったからな。あのようにならざるをえんかった。許せよ」


「よいよい! 我がじゃじゃ馬も少しは現実を知ったであろう!」


 凶悪なハイキックが側頭部に完璧にクリーンヒットし、気を失っているレオノールに活を入れるディートリッコスである。


「かはっ! ……そ、総長」


「どうだ? 己の慢心によって地に口づけした気分は?」


「己が非才を思い知りました……」


 がっくりと項垂れるレオノール。


「うっはっは! 精進せい!」


 破顔大笑。


 あれ、これ体よくダシに使われたんじゃ? そんな懸念がちらりとカトリーナの脳裏をよぎるのであった。






 その後。一応、レスリングはお互い三勝ニ引き分けということで仲良く勝者なし、ということになった。

 

 また、レスリング一般の部は武器屋のせがれが勝利した。名はパトリック・ヘンデル。ヴェッティネア産のグラスワインが賞品として渡される。さらに、一般の部ではもう一つ希望者にはディルツなら騎士、プロンゾなら戦士としてどちらかで取り立てられるというものがあったが、パトリックはディルツでの騎士を希望したのであった。


 昼の部も終了し、祭りは夜の部、『黄泉帰(よみがえ)り』の始まりである。


 町の人々は広場で夜通し踊り明かし、ミハエルたちは『アトゥーレトゥーロ』の頂上部に集まる。そこは木の天辺なのだが、何十人と集まれるように平たくならされてあった。そこに、祭壇が組み上げられ、大きな篝火が焚かれた。


「プロンゾの祖霊を祀る催しに、参集していただいて感謝の言葉もない」


 ディレルが巫女として祭りを主導する。


 本来、プロンゾ族長一族しか立ち入ることが出来なかった、もっとも厳かなるべきお祭りである。だが、貴族として世に出でんとするプロンゾなら、最重要の祭りと言えど秘匿すべきではなかろうとの考えから、プロンゾ一族、ディルツ騎士団はもちろん、マタライ・フォン・ヴィルダッシュ子爵の使いであるジャカム・ファゼカス。大男の修道士ギルス・バッテルンに三人司祭、リヴァリア征剣騎士団の面々も、せっかく祭りに参加してくれたのだから、と黄泉帰りも続けて参加するように願われたのである。


「いまやクルダスの教えを受けた我らだが、とはいえ、祖霊を祀ることまで禁止されたわけではない。これまでと同じく、死者をお呼びし、我ら生者と一時の団らんを楽しんでいただく儀式を執り行う。御霊をお呼びすると、その魂と一週間ほどの時を家族と過ごす。そして、また御霊が『ヴォールホン』楽天へと帰られるのをお見送りするのである。では、祈り子たち、参れ」


「はい」


 しずしず、と祭壇に集まるのは、リリクルやミミクルに、魂を模したものか、純白の衣装に身を包むうら若い乙女たちである。


 この日のために祖霊の御霊を呼ぶ、歌を歌うために訓練された子らなのだ。


「これより、祖霊をお呼びする。我らが伝統儀式を見守っていただきたい」


 ディレルの言葉とともに、リリクルたちが静かに歌い始める。



「帰りなんいざ。深緑、まさに萌えんとす。なんぞ帰らざる。


 形をなみす。されど魂は不滅となさん。なんぞ悲しまんや。


 既往の咎められずを悟り、往者を追うべからざるを知るも。


 まことに道に迷うこと、遠からずして、昔も今も近からんことを覚ゆ。


 木々は古と変わらず緑風を運び、時の差などあってなきが如し。


 見よ。わらべは走って来たり、子孫は新しい命をつなぐ。


 朝露は変わらず瑞々し。樽の酒は満々たり。


 窓によりて外を眺めよ。景色は古も今も変わりなし、安らぎとともにあり。


 帰りなんいざ。こう、楽天での剣戟の音もいまは止めよ。


 祖霊と子孫と、今は睦みの時。


 新しい子らの息吹を感じ、我らが歌声に耳を傾けよ。


 化に乗じもてなさん。永遠の今を楽しむは、この時」



 静かに、歌が止む。


 それと時を同じくし、篝火にさらに木がくべられ、天を焦がさんばかりに轟々と燃え盛る。


「この篝火と歌声によって、御霊は迷うことなく我らが身許に、家族のもとに戻られる。では、皆の者、下に降りて祖霊とともに酒宴とゆきたいが、もう一つ、大事なことがある。今宵は、我らが大恩人、ミハエル殿にも歌を捧げたいと思う」


 ディレルの言葉に、皆の視線がミハエルに向く。


「えっ、聞いてないですよ!」


 びっくりするミハエル。


「サプライズを事前に教えるものがあるか。まあ、プロンゾにできる恩返しなどこの程度。大したものではないが受けてくだされ」


「は、はい」


「リリクル嬢が練習してたってのはこいつかよ」


 苦笑するノルベルト。


 ディレルの音頭に、リリクルたちがまたもや歌い始める。



「始まりは闇の中。希望はついえ、未来は閉ざされたまま。


 皆は恐れおののき、日々悲しみにさいなまれるだけ。


 一族ことごとく祖霊のもとへ向かうを待つばかり。


 そんな中、あなたが現れた。


 我らに降り注ぐ光、育まれる絆。


 失われかけた希望を、閉ざされかけた未来を、我らはふたたび取り戻すことが出来たのです。


 ありがとう。


 ありがとう。


 勇者よ。慈悲深きお方よ。


 あなたがいたから、わたしたちは新たに命をつなぐことができる。


 あなたがいたから、わたしたちは父祖に誇りをつなぐことができる。


 あなたなしには成し得なかったこと、あなたなしには望むことさえ出来なかったこと。


 我らは一度その手からこぼれかけた未来を、再び取り戻すことができたのです。


 我らは誓う。


 新しく生を寿ぐ子らに。家族の憩いの中にあろうとも。


 強く、優しく、恵み深い英雄によって、我らは今を生きていること。今も、生きていられること。


 英雄ミハエルに幸あれ。


 プロンゾ、皆の命をもってすべての神々に祈り奉る。


 英雄ミハエルに永劫の幸あれ!」



 歌い終わり、しばしの余韻を味わってから、ディレルが口を開く。


「大げさでもなんでもなく、今、我らがこうして一同に介していられるのも、すべてはミハエル殿のおかげ。まこと、天は素晴らしきお方を使わされてくだされた。我らプロンゾ、永劫に誓おう。


 我ら生ある限り、ミハエル殿と共にあらんことを」


 ディレルがミハエルに向かって頭を下げると同時に、グナクト、リリクルらも揃って頭を下げる。そして、アトゥーレトゥーロの樹上に集ったすべての人がミハエルを讃えた。


「いえ。使命を全うしたのみ、にて」


 面映い顔でミハエルが笑う。


「ならば、我らも使命をまっとうするのみ。我らプロンゾ、ミハエル殿が地獄を戦場と定めるのなら、一人も遅れず従う所存」


「い、いえ、それは!」


「気になされるな。我らプロンゾ、受けたご恩は必ず報いる。まあ、地獄は言葉の綾よ。さあ! 皆のもの、今宵は祝宴ぞ! 飲めや歌えや!」


 ディレルの大号令に、皆がぞろぞろとアトゥーレトゥーロの螺旋階段を下る。


 そんな中、一人、篝火を見つめるリリクルがあった。


「………ディディ兄。ディディ兄の想いを、わたしは実現できているであろうか」


 族長どころか、方伯の地位までいただいた。


 だが、プロンゾの、一族の未来を誰よりも気にかけ、誰よりも命をかけたディディクトの想いを、汚すことなく、裏切ることなく紡いでいけるかが一番不安だったのだ。


 一族、皆をそろってきちんと食べさせることも大事だ。それは、何より大事なことである。だがしかし、プロンゾをプロンゾたらしめる誇りや伝統が失われてしまってはそこにあるのはただ人という生き物が存在しているにすぎない。プロンゾ、という歴史が失われては元も子もないのだ。歴史とは、勝者だけが持つことを許される特権なのであり、敗者は勝者の中に埋没することしか許されない。ディルツに飲み込まれることなく、プロンゾの伝統を子々孫々に至るまで、語り継いでゆくことが、ディディクトに後事を託されたリリクルの使命なのだ。


 とはいえ、そんな大理想を背負ってゆけるほどの才覚が、人格が、己の備わっているのかどうか。


 リリクルの不安はつきないのである。


 秋空ゆえの寒風だけではない、冷風がリリクルの心を吹き抜けた時、ふと、懐かしい香りが鼻腔を満たし、リリクルの目が驚きで見開かれた。


「ッ!」



 ―――そう。悲しい歴史ではなく、奮闘した物語になって、新しいプロンゾの子らも、恥じ入ることなく後ろ向きになることなく、ぐっと前を向いて胸を張って、日々を力強く生きてゆける。祖霊が、命をもって命をかけて、子らのために死力を尽くしたということ。プロンゾの血を受け継ぐ者ならば、間違えず、語り継いでくれます―――



「ディディッ………!」



 ―――ふふっ。見ておりましたよ。リリ。わたしが思った以上の頑張りでした。よく頑張りましたね。大丈夫、何も案ずることはありません。リリはこれまでもやってこられた。だから、これからも、やってゆけます。わたしが保証します。それに、リリ一人ですべてやるわけでもないでしょう?―――



「あ、ああ、もちろんだ!」



 ―――ほら。何を心配することがあるでしょう。ミハエル殿を信じて、皆を信じて、より良い道を歩めばよいのです。アトゥーレトゥーロのように、どっしりと構えていればよいではありませんか」



「ああ、……そうだな……!」



 ―――ガガナト兄、ネネムタ兄と一緒に、リリたちをいつも見守っています。孤独だ、なんて言わせませんよ―――



「……ああ、すまなかった。わたしには、多くの人の支えがあったのだったな。……わたしもそっちに行く時、胸を張って会いにゆくからな。ディディ兄、これからも見守っていてくれ!」



 ―――言われずとも。自慢の妹を、祖霊に紹介しますよ―――



「ああ。楽しみにしている」


 振り返り、皆に遅れじと螺旋階段に向かうリリクル。


 その瞳にある輝きは、確かに長としての力強さをたたえていた。






「帰りなんいざ」から始まるこれは超有名な『帰去来辞』という詩ですね。漢詩といえばこれ、みたいな詩です。陶淵明もよもや自分の詩がラノベで使われるとは夢にも思わなかったでしょうね~。


 後悔はしていない(キリッ


 また、苦労するような上司ほど副官冥利に尽きる。


 これの元ネタ(?)は『晏子(あんし)春秋』にありまして、これは斉の国の君主景公と名宰相晏子との問答からとっております。ちなみに、「夾谷(きょうこく)に会す」で景公は孔子様に赤っ恥かかされてます。


 晏子という人は、孔子様が、




晏平仲(あんぺいちゅう)、善く人と交わる。久しうして人、これを敬す】




 と称賛した人です。晏子という人は人とよく交際した人であった、そして、交わる人は晏子を常に敬った、ということ。


 昔はここから久敬(きゅうけい)といいまして、長年その人と一緒にいても畏敬の念を薄れさせないほどに優れた人物、という意味であったとかで、晏子という人は人から久敬されたお人であった。そんな晏子の逸話です。


 ある時、景公が不機嫌そうに言ったそうな。


景公「何か願いを言え」


晏子「何もありません」


景公「何か言え」


晏子「……それならば。畏れてくださる君主があり、頼り切ってくれる妻があり、後をつがせたい子があることです」


景公「ほう。よいな。もっとないか」


晏子「君、聡明にして、妻は多才、家にそれなりの財あって良き隣人に恵まれることです。君が聡明なれば我が意をくんでくださる、妻が多才ならばどうして捨てることなどできましょうか。家が貧しくなければ付き合いに恥をかかずにすみます。良き隣人あれば素晴らしい人づきあいができるでしょう」


景公「なるほど。よいな」


晏子「実はまだあります。骨折って(たす)けねばならぬ君があり、離縁したくなるような妻があり、怒鳴りつけたくなるような子があることです」


景公「なるほど善いわい」



 骨折って苦労するほどひいひい言いながら補佐せねばならぬ君主は、ある意味迷惑な存在であることはいうまでもない、ですが、実はその苦労して忙しくしている状況こそが実はやりがいがあって、充実していたりするもの。


 なんでもかんでもそうですね。


 たとえば、ゲームにしたって何が一番面白いって、苦労して足りないオツムをひねくって攻略している時が一番面白いのであって、LVが上がって強くなってかつての強敵が雑魚になったときが実は一番つまらない時なのです。ましてや、チートで攻撃力をマックスにしてボスを瞬殺したって何の面白みもない。すぐ飽きます。


 また晏子(あんし)にはこういうお話もあります。


 斉の君主景公の愛娘が晏子に嫁ぎたいと言ったそうで、景公は晏子の家に出向いたとか。


 そして、二人して酒を交わしていたときに、景公は晏子の女房に目をやった。


景公「そなたの妻か?」


晏子「はい」


 その女房が席を外した時に景公はこういった。


景公「こう言ってはなんだが、随分と年を召して容色も衰えたのではないか? どうだ、わしの娘をもらってくれんか。親ばかだが見てくれはいいぞ」


晏子「確かに、みすぼらしい有様ですが、あれは若い頃からわたしに尽くして苦労をさせてしまったからです。それを、いまさら放り出してその信頼を裏切ることができましょうや」


 と。


 年食って、糟糠の妻をあっさり離縁する人間が、とある有名人でもおりますが、こういうのを知っていると、そういう行為がどれほどみっともないかすぐに分かります。どれほど音に聞こえようが金があろうが、学のない人間の行いなどしょせんその程度ということでしょう。今太閤という言葉は、本当は褒め言葉ではないと思います。


 さらにちなみに。「八面鉄壁、斜め正眼」とは。


 昔のNHKの鳴門秘帳という時代劇で田村正和さんが演じた侍の流派だとか。「八面鉄壁斜め正眼、無住針剣(むじゅうしんけん)夕雲流(せきうんりゅう) 」というセリフがあったそうな。


 ま、わたしが最初に聞いたのは「トップをねらえ!」ですけどね。これがいいたかっただけだったりする。


 というわけで、本日はこれまで。


 しかし、あとがきでここまでごちゃごちゃやってるヒマヒマ星人もそうはおりますまい。後悔はs(略


 したらばな~。





 ビッグオーのOP EDを聴きながら。


 久しぶり聴きますと特にEDの味わいが実にイイ。


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