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天と地と人  作者: 豊臣 亨
二章  鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク
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鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (三十七)~授爵記念祭 中編~



 ゾンビかな? 



 死者もかくやという能面で戻ってきたフランコ・ビニデンに対するノルベルト・グリモワールらの脳裏に浮かんだ一言が、これである。


  華々しく緒戦を制してやりますよ! と意気揚々と出て行きながら子ども扱いをされたあげくに敗北を喫し、恥ずかしいやら情けないやらで何も言えないのは分かるが、さすがにそんなウォーキング・デッド面されれば味方も何と声をかけてよいものやら反応に困る。誰も彼もが慰めの言葉もかけづらい様子であった。


 仕方ねぇ、とため息をつきつつ、ノルベルトが立ち上がってフランコに近づき。


「こぉんのバカやろうが!」



ごっ!



「いだっ!」


 脳天直撃の力いっぱいのげんこつ制裁である。強烈な一撃にさすがのフランコもくずおれる。


「何だそのしょぼくれた顔は! 恥を知れ!」


「ううっ」


 会場いっぱいに届かんばかりの怒声。踏んだり蹴ったりとはこのことか、と軽侮の視線を送っていた人々も同情的な眼になる。


「だがまぁ、相手が悪すぎだ。向こうもそれなりの手駒を出してくるだろうとは思ったが、ありゃ俺達でも勝ち負けだろうな(いい勝負になるということ。競馬用語)。お前にはまだ早かったということだ」


「……はい」


「だが、いいか」


 うずくまるフランコの腕を引っ張って強引に立たせるノルベルト。そして、睨みつけながらもニヤリと笑う。


「次は勝て」


「は、はい」


 鬼迫にたじろぐフランコ。


「声が小さい! もう一発くらいてぇか!」


「はっ、はい!」


「なんだぁ!? 聞こえねぇぞ!」


「はいいッッ!!」


「よっし! 罰として今から湖を百周して来い!」


「はいっ! …えええっ!?」


「ああぁん!? もっとキツいのが好みか!? 「立ち切り」がやりてぇか!?」


「い、行ってきます!」


 逃げるように飛び出すフランコ。


「立ち切り」とは、木剣による立合を一日200回、それも一週間連続で行う荒行のことである。一日200回ということは一日で10時間試合を行うとしても1時間で20試合はこなさねばならない。一試合三分のペースとなる。それを、他のディルツ騎士や兵士相手に死に物狂いの稽古だ。それを一週間連続。普通に死ねる。


「……まあ、今のフランコにはああ言うのがいいでしょうしね」


 やれやれ、という風情のバルマン・タイドゥア。


「へこむ若者を導いてやるのも、先達の努めってわけだな」


 苦笑しつつもノルベルトの慰め方(?)に感心するガンタニ・ティーリウム。


「そんなところだ。でもまあ、あのヘタレのおかげで雰囲気が丸くなったのも事実」


 会場を見回すノルベルト。


 先程まで、そこはかとなく殺気が流れていた人だかりだが、いまや剣呑な雰囲気は晴れていた。思い切りぶん殴られた、というのもあるが、フランコが子供のようにあしらわれ、痛めつけないように地面に下ろされたことによって人々は分かったのだ。このレスリングはあくまでも友好のためのものであるということが。ここにいるディルツ騎士団たちが、以前の、プロンゾ民族に苛烈にあたっていた連中とは違うのだ、ということに。


 プロンゾ虐殺を積極的に行っていた群狼のごとき古参のディルツ騎士たちは、四年前のアルクスネの町ができる前、プロンゾ・バーサーカーとの一大決戦によってそうとうな数が討ち死にか、もしくは負傷、さらに精神に甚大なダメージを負って一線を退いた。


 アルクスネの町誕生から、ミハエルに率いられたディルツ騎士たちはミハエルの融和思想に共鳴し結集したものたちが多い。いまこの時を作り上げた功労者たちなのである。そのことをプロンゾ戦士が会場の雰囲気を察し、手心を加えてくれたことによって人々に教えてくれたというわけである。


 とはいえ、プロンゾ・バーサーカー相手に死闘を演じたフランコがまさかああも赤子のごとくあやされるとは、ノルベルトとて予想外だったわけだが。幾分入れ込んで(興奮状態にあったこと。競馬用語)いて、弁明のしようもない無様な猪突猛進であったにしても。やはりプロンゾ戦士は手強いのだ、と改めて認識させられる。反対側のテントに座ってこちら側をうかがうプロンゾ戦士たちに、ノルベルトは凄絶にニヤ、と笑う。


「さすが俺らが死物狂いで戦った愛しき怨敵よ。……ミソついちまったが、気を取り直していくぞ、おめぇら!」



応!



 プロンゾ風に(?)檄を飛ばすノルベルトに、気合を入れるディルツ騎士。


 そんな様子を尻目に、ほっと安心するミハエルである。進行役として出ている以上、ディルツ側に声をかけるのが気を引けたからだ。だがしかし、そもそもで言えばディルツ騎士たちを実質的に率いていたのは兄貴分のノルベルトである。ミハエルの心配も杞憂と言えるだろう。


 いっとき殺気立った会場も、和やかになり双方、互いを尊重しつつレスリング会場は何事もなく試合を消化してゆく。


 ディルツ、プロンゾ、双方勇者を繰り出し勝った負けたのいい試合となっていた。


 しかし、一方の射的会場は予想されたとは言えひどいものとなった。50メートル先に置かれた直径50cmの的めがけて矢を射る。的には円が何重にも描かれ中心に矢が命中すればするほど得点が高いのだが、プロンゾにほとんどはずれ無し。ディルツ弓兵たちはちょいちょい外すというありさまであった。


 しかも、弓は双方扱いやすいもの、ということでプロンゾは自慢の長弓である。


 その気になれば最大500メートルは遠射できるプロンゾ長弓で、その十分の一の距離を狙うのであるからプロンゾにしてみれば当たって当然、という距離感である。一方、プロンゾ長弓に比べれば、半弓と言ってもよい弓を扱うディルツ弓兵にとっては50メートルとてそれなりの距離だ。しかも、的は直径50cm それだけ離れれば的に当てるように射るだけでも一苦労だ。そんな射を、鼻歌気分で行うプロンゾが普通ではないのだ。


 初めから勝負にならない、と分かってはいてもそれでも実力の違いをこれでもかと見せつけられるディルツ弓兵の落胆は並大抵ではない。どんなものか、と見に来ていた見物人たちもプロンゾ人以外は見ていられなくなってレスリング会場の方に足を向けるのであった。射的会場の進行役となったリリクル・フォン・プロンゾですら、一方的な展開に苦笑いが禁じえない。


 変な笑いすら漏れ始めたディルツ弓兵の中にあって、一人、ヨハン・ウランゲルだけは精神統一の最中にあるのであった。すでにプロンゾ五連勝で、決着すらついている。その中にあって。



「次! 第八戦! 両者前へ!」


 ミハエルが次の選手を呼ばわる。


「応!」


 席を立ったのはガンタニだ。


「かましてこい!」


「負けたら全員におごりですからね」


「任せとけや!」


 ノルベルトやバルマン、ディルツ騎士たちの声援を受けつつ、歩を進める。現在、試合の流れは三勝四敗、負け越しだ。バルモンが九戦で、ノルベルトが最後の十戦目を戦う。ここで勝ちの流れをつけて逆転勝利といきたいものだ、とガンタニも気合が入る。と、同様に、プロンゾのテントからも次の戦士が姿を表した。


 ほう。


 思わずガンタニから感嘆の声が漏れる。体躯堂々、という点では自分も劣らないつもりだが眼前のプロンゾ戦士も威風堂々。見事なものだ。それでいて目つきや体さばき、足運びがすでに並ではない。相当の修練を積んでいることが明らかだ。レスリングでは両者とも裸足だが、足音などというものはもちろんでないし、まるで滑るかのように歩み寄るのは見事と言う他ない。ガンタニよりも少し若く、膂力もあわせて生命力が溢れんばかりだ。


 しかも、顔つきがまた素晴らしい。鼻息を荒くするでもなく、対戦相手を見下すでもなくごく自然体。


 こういう手合が一番やりづらいのだ。これは大変な相手が出てきたな、とガンタニも苦笑がこぼれた。


「位置について」


 両者、指定の位置に立つ。


「お手柔らかに頼む」


「こちらこそ。ダンタニさんですね」


 差し出されたガンタニの手をがっちりと掴んで握手する。


「お。どこかで会ったか」


「はい。ピウサ修道院での一連の戦いではわたしも長弓で出ておりました。騎馬隊を率いる勇姿はプロンゾでも有名です。わたしも憧れておりました。この度は胸を借りるつもりでお願いします」


「たはは。やりにくいことを言ってくれるぜ。だが、胸を借りるつもりなのはこちらも同じ。お互い全力をつくすぞ」


「はい!」


「両者構えて」


 ミハエルの声に同時に腰を落とす両者。


 その瞬間、先程まで静かであった両者が、凄まじい気迫をほとばしらせ始めた。


 空気がたちまち変わる。


 それまで声援を贈りつつもディルツ、プロンゾの白熱の試合を楽しんでいた観客ですら、空気の激変に声をなくし、ごくりとつばを飲み込んだ。これから始まる戦いはこれまでとはまるで違う。そう感じたのだ。


「始め!」


 弓のごとくたわめられた気迫が弾ける。


 両者の立ち位置は試合開始前からすでに目と鼻の先。パンチやキックが禁止されているレスリングであるから勝負は相手を掴んで、背を地につけるという簡単なルールだ。当然、いかに相手の手を阻害しながらズボンをつかんだり、背に両手を回して相手をぶん投げるか、にかかっている。


 まずは小手調べ、と両者、お互いの両手をガッチリと掴む。


「はぁっ!」


「えやぁっ!」


 気合一閃、膂力にものを言わせて押しつぶそうとする。だが、両者、恐るべき力を込めているのは分かるのだが、小刻みに揺れはするものの両者の手は天を向いたまま微動だにしない。両者の膂力がつり合っているのだ。


「ガンタニとどっこいどっこいだと…」


「恐るべき若者ですね」


 ディルツ騎士の中でもガンタニは剛の者として他の騎士たちより頭ひとつかふたつ分は抜きん出ている。そのガンタニと力比べで同等というのはすでにして相当の強者であるという揺るぎない証明だ。ノルベルトとて戦慄の表情である。


「プロンゾってのはどんだけ人材が豊富なんだよ。いっそ、フランコと取り替えてもらうか……」


「気持ちは大いに分かりますが、本人聞いたら泣きますよ」


 年齢でいればフランコと大差はないのに、戦士としての完成度は非常に高い。ヘッドハントしたくなる気になるのも、むべなるかな、であった。その時、湖を必死になって走っているフランコがウワサをされて、くしゃ、…はいいとして。


 埒が明かねぇ。


「でうりゃ!」


 そう判断するや瞬時に、押し込んでいた力をすかさず引き上げるガンタニ。自分の体を使って相手を持ち上げ、足を払って引き倒す。


 しかし。


 押し込んでいた自身の力すら瞬時に利用されて引っ張られたのに、まったくバランスを失うことなく半円を描くようにガンタニの右側面に大きくジャンプし、足を大きく広げ体勢を整えるプロンゾ戦士。


 窮地はすなわちチャンスとなる。引っ張って投げようとした不安定な体勢のガンタニを、今度はガンタニの右側面から強力に引きながらガンタニの下半身に体を差し込み、体勢を整えようとする足の自由を奪ってそのまま畳み掛けた。


 勝負あったか。誰もがそう思った。


 ガンタニが膝を屈しかけた、その瞬間。しかし、ガンタニは驚くべき跳躍力をもって、宙を舞ったのであった。


 若いプロンゾ戦士の頭を、まるで塀を飛び越えるかのようにぽん、と手をおいて背後に着地。


「なっ!」


「もらったぜ」


 がっちりと腰に両手を回してのバックドロップ。


 今度こそ終わりだ。誰もがそう思った。


 だが。


 盛大に大地に背が叩きつけられるはずの光景はそこにはなく、逆さになりながらガンタニがみたのは、見事にプロンゾ戦士が大地に両足をつける光景であった。


 思い切り振り上げられながら、信じられないほどの身体能力をもって背を叩きつけられることを防いだのである。


 直後、息を呑んでいた会場が、熱狂で爆発した。

 

 慌てて体勢を整え、プロンゾ戦士から離れるガンタニ。驚愕の表情から、すぐに不敵な笑みへと変わる。


「やべぇ。俺の電光石火の投げをかわした奴に初めてあったぜ」


「わたしも同じ気持ちです」


 ぐい、と汗を拭って微笑む。


「そういや、名前を聞いてなかったな」


「マタタクル・ブロンゾと申します。お見知りおきを」


 ぺこり、とお辞儀をするマタタクル。


「ブロンゾ? リリクル嬢の副官のビーククトのおっさんの一族か」


「はい。父です」


 にっこりと微笑むマタタクル。


「なぬ!」


 ディルツ騎士たち、全員の目がテントに座るビーククトに突き刺さる。


「子持ちだったのか!」


「……ええ、まあ」


 困った顔をして苦笑いのビーククト。十字軍騎士でもあるまし、妻帯は自由なのではあるが。ましてやビーククトは族長、方伯の一門である。嫁取りは相当前の話であり、いまさら取り立てて言うほどのことでもなかったということである。


「か、はっは! そりゃ手強さもうなずける」


 驚きから笑いへとかわり、納得へと転ずる。


「恐縮です」


「こりゃ、ますます負けられねぇ! さっきから全力だったがもひとつ全力だ!」


「わたしも、すべてを出し切ります」


 両者、がっちりと腰に手を回して互いに渾身の力を出す。


 会場の熱狂はいまや最高潮。


 そこに。


「タイルドゥ司教からのご使者着到!」


 プロンゾ兵が使者の到着を告げた。


「おお、やっとりますなぁ」


 にゅ、と顔を出したスキンヘッドの大男。それは、ピウサ修道院コボルド襲撃で救援の要請にやって来た、武人のごとき大男の修道士、ギルス・バッテルンである。


「む。ギルスではないか。息災であったか」


 貴賓席に顔を見せたギルスに声をかけるカトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク。うずうずがすでにイライラに変わっていたのでよい気分転換であった。


「はい。カトリーナ様もご機嫌麗しく。ミミクル様に、ニーモ様もお久しぶりです」


「はい! お久しぶりですね」


「元気だったかな」


「はい。皆様、ご機嫌麗しく。この度はプロンゾ族が見事ガロマン帝国にて授爵されたとのこと、まことにおめでとうございます。わたしだけではありません、かつての戦友ともいうべき三人娘もおりますよ」


「皆さん、カトリーナ様、ごきげんよう。そして、この度の授爵、おめでとうございます」


 ギルスの後に続いて、ドリエス・エンゲーハルン、アルマシア・キーハン、ジョゼリーヌ・バリアーダの三人の女司祭が顔を見せた。


「おう。久しいな。息災でなによりだ」


「ありがとうございます! 皆さん来てくださるなんて嬉しいです!」


 ミミクルが満面の笑みで出迎える。


「リリクル様、プロンゾ一族が貴族になられたとミハエルさんから知らせを得て、駆けつけてまいりました。お噂はかねがね伺っております。プロンゾの誇る巫女様に、鬼神グナクト様に拝謁がかないこれほどの喜びはございません。この度の授爵の義、心よりのお祝いの言葉を述べさせていただきます」


 プロンゾ最強、と噂に聴くディレルに、グナクトを眼前にし、ギルスにも緊張の色が浮かぶ。ミハエル目当てに無理を言ってついてきた三人娘たちも緊張を隠せない。


「うむ。急な招待にも関わらず、よく来てくだされた。大したもてなしもできぬが、祭りを楽しまれてくだされ」


「ミミが世話になったと聞いている。こちらこそ、感謝する」


「我らプロンゾと、ミミがお世話になりました」


 ディレル・ピロンゾ、グナクト、イーナム・ディームがそれぞれ言葉を交わす。


「いえ、お世話になったのはこちらの方です。コボルドですら度肝を抜かれた長弓に、ミミクル様、ニーモ様の魔法に我ら命をつなぎました」


「コボルド・ロードを相手に一歩も引かぬカトリーナ様のご活躍は、いまでもわたしたちの語り草となっております」


「ほう」


 アルマシアがカトリーナをほめると、グナクトの目がきらりと輝く。


「しかし、少々出遅れた感は否めませんな。皆様に召し上がっていただこうとベーコンやソーセージをできうる限りかき集めたので時間がかかってしまいました」


「馬車でたくさんお持ちしましたのでどうぞ召し上がってください」


 ドリエスが御者に指示して荷物を降ろさせる。


「おお。これはかたじけない。誰ぞ、手伝ってくれ。では皆さまも席についてくだされ。プロンゾ名産として売り出し中のはちみつ酒がありますぞ」


 満面の笑みのディレルが席をすすめる。貴賓席は来賓用に何席も用意がある。馬車数台に満載された肉類が取り分けられ、町の人々の屋台の方にも回される。


「ほお、復興を開始して間もないと伺っておりますが、もう特産品を生み出されたのですか」


「うむ。若い者たちが知恵を出し合ってプロンゾを支えてくれる。頼もしいことだ」


「なるほど。確かに、あのミハエル殿率いるディルツの面々でしたら、びっくりする案も百出しそうですな」


「そうですわね、で、そのミハエル様はあちらですね……ハッ!」


 三人司祭の目が獲物を狙う目でミハエルに注がれる。だがすぐさま、立派な筋肉で鎧われた上半身むきだしでがっぷり取り組みあうガンタニやマタタクルに視線が吸い込まれたのであった。


「これは……なかなか」


 陶然とした表情を浮かべる三人であった。


「ははは。プロンゾの祭りにレスリングとは、また痛快な催しですなぁ」


 プロンゾ民族というものを伝聞でしか知らないギルスであるとはいえ、誰が発案したかなど聞かなくとも分かる。血気盛んなディルツ騎士たちがせっかくの機会に盛り上がらないわけがないのだ。むしろおとなしい方だ、と思うくらいであった。


「実に、素晴らしい発案ですわね」


 ミハエルも見られた上に、屈強な戦士の肌と肌の触れ合う取っ組み合いも見られて、実に至福な表情の三人娘であった。


「そろそろ地にまみれさせてやるぜぇ」


 さっきから全力の上にも全力を出し切ったガンタニとマタタクルはすでに限界であった。腕がプルプル震えだすのを根性で抑え込んでいるくらいに。短い夏も終わりのアルクスネにあって両者大量の汗にまみれていた。


「……ハァハァ、まったく同意いたします」


「ほざけぇ! うりゃあ!」


 最後の気力を振り絞って振り回した、その瞬間にマタタクルの脚をひっかけるガンタニ、しかし、バランスを失いかけたマタタクルが最後の悪あがきとばかりにガンタニに飛び掛かるようにしがみついたのであった。


「な!」


 もはや突き飛ばす余力すらない。


 二人分の体重を持て余し、バランスを失うガンタニ。だが、悪あがきという点ではガンタニも負けていなかった。倒れつつマタタクルを押し込み先に地に触れさせようとするのであった。


 そして。



ドダンッ



 いささか泥臭い音色が、熱戦終了を告げる。


 先ほどまではじけるように歓声が轟いていた会場が、ぴたりと静まり返って進行役の裁定を待った。


「両者同時! この勝負、引き分け!」


 一瞬の静寂。そして静寂を破るミハエルの判定に、そのミハエルの声をかき消すばかりにまるで爆発したかの如く会場が怒号に包まれたのであった。


「かーっ! まじか!」


 がしがしと頭をかいて悔しがるガンタニ。


「でも、勝つでもなく負けるでもなく、実にいい戦いでした。胸を借していただき、ありがとうございました」


 若さゆえか、疲労を感じさせずすっと立ち上がったマタタクルがガンタニを助け起こす。


「まったくだ。だが、次に上から見下ろしてやるのは俺の方だぜ」


「はい。そのお言葉を後悔されるほどにはがんばります」


「ぬかせ」


 にっと不敵に笑い、すっと手を出すガンタニ。がっちりと組みかわす爽やかな表情のマタタクル。


 お互いの総力を出し切った取り組みに、会場から暖かい拍手が自然と咲き、それはすぐさま大輪へと咲き誇った。



「次、第九戦! 両者前へ!」


 ガンタニたちがテントに引っ込むとまもなくミハエルの声が響く。


「よくやった。勝てはしなかったが祭りの趣旨は完遂したようなもんだ」


 ノルベルトがねぎらいの言葉をかける。プロンゾの授爵がこのお祭りのメインだが、他にもディルツとプロンゾの、さらなる融和のためのお祭りというのがこのお祭りの目的でもあり、それはさきほどの大きな拍手でもって狙いは間違いなく果たされたことになるのだ。


「まあ、それでも勝ちたかったんですがね」


 悔しがるよりは、誇らしげな表情のガンタニ。


「相手があれじゃしょうがねぇ。次も強烈なのが出てきそうだしな」


「では参ります」


 プロンゾ側のテントに視線を送るノルベルトを横目にみつつ、バルマンが立ち上がる。あそこまで見事な戦いを見せられてたぎらないわけがない。物腰柔らかな中にも隠し難い闘志が湧いて出ていた。


「おう。気を引き締めてゆけ」


「はい」


 テントを出て、円形の闘技場に足を進めると同時に、プロンゾのテントからも次の戦士が姿を表した。


 その姿に、声なきバルマンの眼がキラリと光る。


 プロンゾの戦士は身長ニメートルに近い巨漢の男だった。さらに、これでもか、と筋肉が全身を覆い吐き出す気迫が並ではない。グナクトをコンパクトにしたらこうなる、といった雰囲気だ。つまり、あの、グナクトにも及びそうな強力な戦士が登場したということなのだ。


 抱き上げられたらそのまま背骨をへし折られるのではないか。そんな想像をさせられるほどの男が登場したのである。


「位置について」


 小さく息をついたバルマンは、それでも表情に変化なく開始位置につく。


「お互い怪我のないように頑張りましょう」


 にこやかに微笑み手を差し出すバルマン。


「一分もいらねぇ。数秒で片付けてやるぜ」


 バルマンと握手を交わしながら、凶悪な握力でバルマンの手を握りつぶそうと仕掛けるプロンゾ戦士。見下ろしたまま、そのままバルマンを見下し、小さくそんなセリフをつぶやいたのであった。


 ……そう、来ましたか。


 にこやかな表情の中にあって、バルマンの眼にさらに輝きが増す。


「構えて」


「む」


 ミハエルの言葉に腰を下ろした両者、そんなバルマンの様子を見たノルベルトが、驚きの声をあげた。


「どうしましたか」


「バルマンがマジギレしてやがる」


「ほんとですかっ」


「ああ、ありゃ間違いねぇ。眼がマジだ」


 とはいえ、それが識別できるのはノルベルトくらいのものだ。ガンタニでもこの距離ではよくわからない。


「あの巨漢プロンゾ人、何かやったんですかね」


「だろうな。あいつがキレるなんてそうねぇぞ」


 数年来の付き合いになるが温厚という字を人間にしたらこうなりました、といった風情のバルマンが本気で怒るなんて場面などそう記憶にない。だいたい、普段怒らない人間ほど、怒った時の爆発力というのは大きいものなのだ。


 やばいことにならなきゃいいが。


 ゴクリ、とノルベルトがつばを飲み込む。多少のいざこざは予想の範囲だったがまさかここにきてバルマンがブチキレるとは想定外だった。


「始めッ!」


 バルマンの雰囲気が変わったことに気が付きながらも、とはいえ中途でやめるわけにもいかず、ミハエルが開始を告げる。


「うおおぉぉぉりゃぁぁッ!」


 咆哮一閃。


 巨漢のプロンゾ戦士が雄たけびをあげると、まるで叩き潰さんばかりの勢いでバルマンに襲い掛かる。


 しかし、二メートルの巨漢であるが、逆にその大きさがあだとなった。バルマンの首を締めあげようと狙いすませて襲い掛かってきた両の手から姿勢を落とし、すかさず逃げ出すバルマン。さすがに渾身の筋力を以って襲い掛かってくる相手に真っ向から立ち向かうには分が悪かったのだ。


「しッ!」


 逃すか、と巨体に似合わぬ速度で、逃げるバルマンを追いすがるプロンゾ戦士。


 捕捉せんと迫る右腕から逃れ、バルマンは素早い動きで大きく距離をとった。


「臆したか!」


 吠える巨漢のプロンゾ戦士。


 だが、その罵声もある意味当然のものだった。打撃をメインとした試合とは違い、レスリングにおいては組み合うほかはない。逃げてどうにかなるものではないのだ。


 とはいえ、二メートルの巨漢に襲い掛かられては逃げたくなるのも無理からぬこと。試合開始と同時にプロンゾ戦士が見せた動きは明らかに、普通の人間だったら絞め殺されかねないほどの勢いだったからだ。バルマンの逃げ腰を惰弱、とののしるものはいなかった。


 それに、バルマンが距離をとったのは、何も弱腰になって距離を取ったのではない。その目は炯々(けいけい)と輝き眼前の戦士を屈服せんとしているのが明らかだったからだ。ただ、闘志を燃やしている痩身のディルツ騎士が巨漢の戦士を相手に何をしでかすのか。会場はその趨勢を見逃すまいと目を凝らすのであった。


「どうした! 掛かって来いよ! 叩き潰してやるからよ!」


 自分の戦場に引きずり込もうと吠える巨漢のプロンゾ戦士。


 しかし、その罵声にバルマンはふっ、と小さく鼻で笑って。


 巨漢の戦士に向けていた左の手の平を、くるりと自分の側に向け。


 くいくい。


 と挑発したのであった。


「なッ、なめるなァッッ!!」


 激昂するプロンゾ戦士が、猛突進する。


 まるで猛牛の突進かと思うほどの迫力で迫るが、バルマンは微動だにしない。


 くびり殺してやる。


 眼で、そう語るプロンゾ戦士がバルマンの目前に迫った時、狙いすませて距離をはかっていたバルマン、大きな手が自身の首根っこにかかるその、刹那、前方に俊足で踏み出したのであった。


「なにッ!?」


 くびり殺す勢いで迫っていたプロンゾ戦士である、瞬時に迫ってきたバルマンに対処できなかった。


「フンッ!」


 絶妙にタイミングをずらしての、巨漢のプロンゾ戦士の右腕を捕らえ猛牛のごとき勢いも利用して巻き込むように投げた。


 神速の一本背負い。



ドダァッッン!!



 自重100キロは優に超える巨漢が、まともに受け身も出来ず地面に叩きつけられ、轟音が地響きと共に会場に響く。


「グハァッ!」


 まともに受け身も取れなかったプロンゾ戦士が肺からすべての空気が抜ける勢いで叩きつけられ、苦鳴をもらす。


「やりやがった!」


「おおうっ!」


 ノルベルトたちが思わずガッツポーズをとる。


 土煙がもうもうと舞い、それが静まった時、悠然と体勢を整えたバルマンが、静かに相手を見下ろした。


「柔能く剛を制す。覚えておくと良いです」


「勝負あり!」


 ミハエルの声に、会場が湧き上がった。


 相手の驕り高ぶりを利用した、見事な作戦勝ちであった。


 だが。


「ふざけるなァッ! 小賢しい真似しやがって! ぶっ飛ばしてやる!」


 さらに激昂するプロンゾ戦士であった。


 レスリングという試合も忘れ、自身が敗れたことも棚上げにし、猛然とバルマンに拳打を食らわせんと迫るのであった。しかし、まるでこの事態を予想していたかのようにバルマンはひらりひらりと拳をよける。


「ストップ! 勝負はつきました!」


「うるせぇ!」


 ミハエルの静止を振り切り、追いすがるプロンゾ戦士。


 しかし。


「やめんかァッッ!!!」


 グナクトの大喝。


 全てのプロンゾに怖れられたグナクトの大怒声が、会場にまるでドラゴンの咆哮のごとく轟いたのであった。当然、その周囲にいたミミクルなどは大声に耳がキーンとなって、遅まきながら耳をふさいでいる。


 さすがに、グナクトの一喝を受けて恐怖のあまり身がすくむ巨漢のプロンゾ戦士。


「この痴れ者がァッ! プロンゾの誇りを汚しおって! 恥を知れィ!!」


「……で、ですが族長」


 自らの非を認めないプロンゾ戦士。


 しかし、そんな男の前に、迫るものがあった。


「ほう。どうやら暴れたりぬと見える。奇遇だな。わらわも暴れたいと思っていたところだ。その方、相手をせい」


 カトリーナだった。


「なぁッ!? い、いえ、わしでは荷が勝ちすぎて、イデェッ!」


 バルマン以上に眼を爛々と輝かせ、獰猛な笑みを浮かべるカトリーナに臆した巨漢のプロンゾ戦士に、言い訳を許さぬカトリーナの地獄のローキックが襲ったのであった。


 いきなり太ももに激烈な攻撃を受け、膝をつくプロンゾ戦士。


 その頭を、むんずとカトリーナが握ったのであった。


「やかましい。いいから来い」


「イデ、イデデデェ! は、放してくれ!」


 一切の抵抗を許さず、頭髪を掴んで引きずるカトリーナであった。


 その光景を、ただ呆然と見つめるミハエルたち、だったのだった。


「ミハエル、続けろ!」


 ノルベルトの声に、はっとなるミハエル。


「で、では最終戦! 両者前へ!」


「気を取り直してゆくぜ!」


 雰囲気を入れ替えるべく、わざと大げさに声を張るノルベルトであった。


「やれやれ、不甲斐ない者をだしてしまい、申し訳ないですね」


 頭をボリボリをかくビーククトが立ち上がる。


「ところでビーククトの旦那」


「はい?」


 両者開始位置についたところでノルベルトがにやりと笑って言う。


「せっかくの大将戦だ。特別ルールでフルコンタクトはどうだい?」


「え、いいんですか? ビーククトさん」


「いやまあ、みっともない選手を出してしまいましたし、わたしは異論はありませんが」


「よっしゃ! 決まりだ! あんたとは一回全力でやりたかったんだ。お手柔らかに頼むぜ」


 ばしっ、と右拳を左手で叩きつけるノルベルト。


 フルコンタクト。


 打撃戦が始まったのであった。


 一気に緊張が高まる会場である。


 その片隅で、ぎゃぁー! という悲鳴が響いたり、いかん、勢いあまって肋骨数本折ってしまった。ミミ頼む、とか、わーっ! とかいう声が風にのって流れながら。


「立ち切り」とは、山岡鉄舟先生が開いた一刀正伝無刀流において、弟子が免許皆伝に際して最後に行う試練のことだとか。一日200回の立合を一週間連続で行う荒行で、合計1400回も試合を行えばどんな音に聞こえた剣豪でも手足はぼこぼこに腫れ上がり、正座をしてお辞儀をすることも叶わなかったとか。で、そんな満身創痍の弟子に、山岡先生は腑抜けがッ! 的な罵声を浴びせたのだとか。


 鬼か、って感じですが山岡先生の若い頃のあだ名は、「鬼鉄」だったそうな。


 ちなみに、そんな立ち切りを行った山岡先生は、次の日けろりとされてたのだとか。にんともかんとも。


 では、今宵はこれくらいで。


 したらば。




 コレクターYUI 一期OP 二期OP EDを聴きながら


 一期のEDはちょっとおっさんの肌には合わんすw



 ゴミ箱ポイポイのポイよ!

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