鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (三十六)~授爵記念祭 前編~
「ジャンから送られてきた食材はこれで以上か?」
祭りの準備が着々と進む。
作成されたリストを見ながら、大量に運ばれてきた食材の確認作業に追われているリリクル・フォン・プロンゾ。ディレル・ピロンゾによって依頼されたジャン・ウブリアムが港町リーグで大量に食材を買い付け、アルクスネに搬送するよう手配していたのだ。
場所はディルツ騎士団の砦。
リーグ港町にはこんなに馬車があったのかと思うほどのたくさんの馬車が積荷を降ろして返ってゆく。
晴れてプロンゾが貴族に仲間入りしたことを祝う祭りの開催とあいなって、この夏二度目の祭りの開催にアルクスネの町は大わらわとなった。
一度目はというと夏至祭である。
北方ユーリッパでは夏の盛りに祭りが催される。大きなポールを立て、かがり火をたき人々で円を作るように囲んで夜通し踊るのだ。若い男女にとっては貴重な縁を育む催しでもあるが、北の地にとっての夏の盛りは六月の中旬から下旬であり、二か月も前の話である。
それが、リリクルの授爵という、正式に神聖ガロマン帝国の貴族の仲間入りを祝う祭りが催されることになり、さらに、プロンゾの祭祀である『黄泉帰り』もあわせて挙行されることとなっての盛大なる祭りの催しともなってしまった。北の地にとって八月の終わりは秋の香りのする頃。ライ麦の収穫も控えており大慌ての祭りの準備ともなってしまったのだった。
すでにディルツ騎士団との戦争も終結、復興を開始して二年が経過するとは言え、まだ、二年である。危機的な食糧問題は解決の目処がたったとはいえ、祭りともなれば三万人のプロンゾ人や、2000人を超えるアルクスネの町の人々、近郷の農夫たちと同じく農地に散らばった1000人のディルツ騎士、兵士たちがこぞって押し寄せてくるということになれば、さすがに食料備蓄が心もとないことを看破したディレルが、リリクルの帰還をまたずしてジャンに大量の食料買付を依頼していたのである。
貴族の身分ともなれば、祭りの開催に民衆に食べ物や酒を存分にふるまうのが器量というものだが、しかし、そのための必要な経費もバカにはならない。ジャン、ひいてはマタライに対しての大きな大きな貸しとなるが、それを今後返済してゆくと考えるとリリクルは頭が痛い問題である。結婚すればチャラにします、などと言われて断り切れるかどうか自信がないところではあった。
「はい。小麦に魚介類、ソーセージなどの肉類、チーズに香草、また大量のワインにエールと、この度の、祭り用とのことです」
ビーククト・ブロンゾが小麦の袋を仕分けながら答える。
「当日はわたくしも調理に回りますのでご安心ください」
ジャンとともにおもむいた三人の従者のうちの一人、ジャカム・ファゼカスが一人、リーグで手の空いていた調理経験者たちを率いて戻ってきていた。
「調理人まで手配するとは、至れり尽くせりだな」
ジャンは主人マタライ・フォン・ヴィルダッシュと話し合うべく本国に戻っており、祭りに参加できないので、ガラタリア料理を指南できるものが必要とのことでジャカムが一人戻されたのだった。祭りに供されるのは小麦粉を水でこねて円形に整え、その上にスライスしたウィンナーや魚介類、チーズをのせてから焼いて香草を添えた食べ物。古代から人類が食してきたパンの派生形フォカッチャである。
かたいパンを食器代わりにして料理を乗せて食べるのが庶民の日常である。祭り向きの食べ物、となれば食器もいらず気軽に持ち歩いて食べられるものが選ばれたのであった。
「リリクルさん、参加者ですが、プロンゾ側は何人になりそうですか?」
プロンゾが貴族として主催する祭りではあるが、当たり前のように開催主催者を押し付けられたミハエルが忙しく祭りの段取りをつけていた。急遽の開催だが周辺勢力への周知や人員の配置と割り当て、商店へのこの度の祭りに使用される物品の買い付けと、やるべきことならたくさんあった。
「ああ、ビーク、どうだった?」
「はっ、候補としては10名ほど、と聞いております」
「そうか。ディルツはどうなんだ?」
「そうですね、ならこちらも10名を選抜いたします」
「んむ」
急遽祭りを開催する、となっても具体的な催し物がないプロンゾである。町をあげて一日中祭りを挙行する、といっても何をどう盛り上げればいいのかそういった知識も経験も乏しいのでミハエルらに聞いたところ、やはり、木剣を使った剣術試合や馬上槍試合に、レスリングや射的、やり投げなど、簡単に盛り上がる競技がよい、と案が出されたが、あまりに血気盛んになりすぎるのも困るので、レスリングや射的を試しに開催することとなった。
何せ、荒事に関して一日の長があるディルツ騎士である。馬上槍試合ともなれば平然と死者が出るのだ。祭りの場に死者を出しては話にならない、と大事にはならないであろう競技が選ばれたのである。
祭りは昼の部と夜の部に分かれ、昼の部は競技がメインとなった。ディルツ側とプロンゾ側に分かれ、お互いの勇者を繰り出しての競技大会となったのである。また、住民たちも参加できるレスリングや射的も開催される。猛者を相手にするのは心もとないが、若いディルツ騎士や兵士、プロンゾの若者に混じってなら大丈夫だろう、ということで別に場を設定して参加者を募ることとなった。
夜の部はかがり火をたいてアルクスネの町では踊りが、アトゥーレトゥーロでは黄泉帰りが行われる運びとなった。
ちなみに、レスリング、と聞いて目を輝かせたのがカトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクである。相手をつとめるに足るのがディルツ側、プロンゾ側をみてもミハエルくらいなのでカトリーナ直々の指名となったのだが、常人離れした闘いを見せられてはカトリーナ以上に目を輝かせかねない人物がもう一人いるのでこの度は沙汰止みとあいなった。何せ、それでガロマン教皇から大目玉を食らった経緯があるだけに、カトリーナも頬を膨らませつつ我慢をすることとなった。さすがにカトリーナも、ヒグマと取っ組み合いをする気はなかったのである。
また、この他に闘志を燃やしているのがヨハン・ウランゲルである。
レスリングともなれば、ディルツ騎士にはミハエルやノルベルトをはじめ猛者は大勢いるが、射的ともなれば一番頑張らねばならないのが、数少ない弓部隊を率いるヨハンだからである。しかも、対するプロンゾはほぼすべての戦士が弓の名士。圧倒的な劣勢の中、当日は使い慣れた弓を用いるとはいえ、シシスナ・プリムゾに長弓の扱いを教わりつつの必死の猛特訓に明け暮れているのであった。
「んむ、まるでガラタリアに行った時のような慌ただしさがあるな」
砦からは町の様子が少し見える。
町の人々がお祭りの準備を急ピッチで進めているのだ。広間では夏至祭りに建てられて一度撤去された白樺のポールが再度建てられている。このポールを中心にして人々が踊るのだ。レスリングが開催される予定の地は整えられ、大きな石が取り除かれていた。
大都会、ガラタリアに比べれば本当にささやかだが、それでも祭りを準備する人々の息遣いは楽しさと高揚感を伝えてくる。過酷な日常をひと時でも忘れられる祭りは、人々にとって貴重なものなのだ。
「我らがプロンゾも、こうして平和に祭りを催せるまでになったか」
「感慨深いものがありますね」
隔世の感あり、とビーククトともどもしみじみと祭りの準備の空気を味わうリリクルである。
「んむ。褒めてつかわすぞ、ミハエル」
「お褒めに預かり恐縮にございます」
上から目線のリリクルに、ふんわりと微笑むミハエルである。
※ ※ ※ ※ ※
そして、祭り当日。
「急な伝達となってしまったにも関わらず、快く手伝ってもらったことにまずは感謝したい。ありがとう」
居並ぶアルクスネ町民や、近郷の農夫、多くのプロンゾ人たちが見守る中、リリクルが開催の挨拶を初めていた。
多くの視線がリリクルたちに集まる中、ひときわアルクスネの人々や農夫たちの視線を集めていたのが、グナクトであることは言うまでもないことではある。三メートル近いヒグマがぬぼっと立っていたら誰でも見る。また、祭りが始まる前、集まった多くのプロンゾ人たちが、両腕が復活したグナクトに涙を浮かべて祝意を述べ、それをなしたミミクルを称賛した。やはり、多くのプロンゾ人にとって鬼神グナクトの存在ははてしなく偉大だったのだ。プロンゾ民族としての強さの象徴だったのである。それが復活を遂げたことによる喜びようはなかった。
「思えば、プロンゾにとっても思い入れ浅からぬこの湖の地に町が開かれてはやくも四年になるわけだな。我らプロンゾを差し置いてこのような町を勝手に造り上げたことを知った時には、どうやって地獄の業火で焼き尽くしてやろうかと、わたしの方こそ復讐の炎に身を焦がしたものだ」
のっけからの剣呑な物言いに、苦笑いしかでない人々。
「なれど、ここに一人の英雄が現れた。それまでの、暴力と蹂躙と屈服による支配ではなく、情愛と協調と思いやりによる融和を目指すという、これまでの自分たちのありかたを大きく塗り替え、日々の食べ物にすら事欠く有様と成り果ててしまった我々に、救いの手を差し伸べてくれたものが現れたのだ」
ぐい、とそばにいたミハエルの手をとって前に押し出すリリクル。
「そう、ミハエル・フォン・バレンロード、その人だ。ディルツ騎士団総長ですら、無理だ無謀だ阿呆だと思うようなことを、誠実に愚直に、我らに手を差し伸べ続けてくれたからこそ、復讐の炎に身を焦がすばかりであった頑迷なるプロンゾですら、こうしてその差し伸べられた手を取ることができたのだ。そういう意味では、ここにいるすべてのものが、たった一人の慈悲に救われたと言っても決して過言ではないと思う。そう思うものがいるのなら、拍手をもって賛同してほしい どうだ?」
リリクルの一言に、割れんばかりの拍手をもって応える人々。急に前に出されて、居心地悪そうにするミハエルに、ほれ、手を振れとうながす。
そしてその、あまりの大きな拍手に、笑顔をもってうなずくリリクル。そして、拍手が静まってきた頃合いをみて、手をあげて制す。
「ありがとう。こうして、我々は、ひとつ、賢くなれたのだ。思いやりは、恨みをも溶かしてしまうということを。そして、我々だけは誇れるだろう、世界がどうであれ、人の世がどうであれ、我々は、思いやりによって生きられる、思いやりを失わずに皆とともに生きられるであろうということを。人は素敵なものなのだということを、今更ながらに教えてくれたミハエルに、皆で今一度、感謝したいと思う。ありがとうミハエル」
静かに頭を下げるリリクルに、また、割れんばかりの拍手が、ミハエルを襲う。
当のミハエルは、いたたまれない気持ちで笑みを浮かべるばかりであった。
「そして、このミハエルのおかげで、今こうして我々は神聖ガロマン帝国の貴族に列せられる栄誉に預かった。ただ、一族郎党ことごとく滅びを待って、ガタガタ震えていたことを思えば、天にも昇らん心地だ。だから、この我々の心地を皆にも感じていただきたく、この度の催しとなった。そして、この度の主催者である、英雄ミハエルにも、一言賜りたいと思う。ミハエル」
「えっ、あ、えっと」
朴訥に服を着せたらこうなりました、といった風情のミハエルが慌てて口を開く。とはいえ、風情は朴訥だが、見栄えは完璧に貴公子である。
自然、そんなミハエルの声を聞き逃すまいと、人々は静かに一言を待った。
居並ぶ人々に目をやって、にっこりと、ほほ笑むミハエル。
そこには、アルクスネの町の人々だけではない、近郷の農夫も、樹上から集ったプロンゾの人々も混じっている。多くの、本当の多くの人々が詰めかけていた。
「わたしは、ただ、信じただけです」
ぽつり、と話し始めるミハエル。
「人を、仲間を、みんなを。殺伐とした時代だからこそ、悲嘆に暮れてしまう世の中だからこそ、人は、そこに救いを求める、平和なる世を求めるものです。
……昔の言葉にこうあります。
【危困にあればすなわち死亡を憂う。死亡を憂うればすなわち理を思う。理を思えばすなわち教え易し。しからばすなわち乱後の教え易きは、なお飢人の食し易きがごとし】
危険にあれば、困難にあれば、人は己の死を恐れます。そして、死を恐れるなら、当然、平和を求めます。なればこそ、平和を求める人々は世を平和にする方法を素直に受け入れるもの。その受入やすさは、例えばお腹をすかせた人が食べ物をがつがつと食べるようなもの。
わたしは、天然自然の人の心の求めるものに従って、それを無理のないように、その筋道を指し示しただけに過ぎません。そう見れば、平和を求めたのはわたし一人のみにありません。すべての人が心の底から平和を欲したからこそ、それが、春がくれば草花が芽吹くかのように当たり前のようにそうなっただけなのです。功績は、わたしにはありません、むしろ、それは皆さんのお力なのです。皆さんの思いがあればこその、この日のお祭りなのです。わたしの方からお礼を申し上げます。ありがとうございます」
す、っとごく自然に頭を下げるミハエル。
称賛される側からお礼を言われてしまい人々は戸惑う。そんな人々の当惑を見て、リリクルは困った顔をして笑った。
「急に小難しいことを言い出すから皆がきょとんとしておるではないか。困った奴め」
「……え、あ、すいません」
「だがまあ」
ミハエルの言葉を、ゆっくりと噛みしめる人々を眺めるリリクル。そして、リリクルもまた、ミハエルの言葉を己の中に反芻した。
「だが、間違いはない。我々は、確かに、心の底から平和を求めた。血による支配ではなく、笑い合い手に手を取り合って共に歩んで行ける、そんな世を、どこかで求めていたのだ。だから、幾多の障害があったとしても、まるで当然のように、そうなるべくして今に至るわけだな。春に草花が芽吹くように、雪解けの水が川を潤すように」
自然に。そう言うのは、口に出すだけなら、恐ろしく簡単だ。
だがそれを、暴力でも謀略でもなく、支配でも抑圧でもない、自然体で行えるものがいたことが、どれほどの奇跡的なことであるか。それを咀嚼できるものが、どれほどいるだろうか。
そして、それをなしていながら、いばることも、偉ぶることもないような人間が、自分たちの眼前に立っていることの凄さを、誰ほどのものがわかるだろうか、とリリクルは人々を見回して考えた。
こうして、晴れて貴族になったプロンゾではあるが、この、ミハエルの姿こそが目指すべき究極のありようなのだな、としみじみと噛みしめた。ミハエルを遣わしてくれた天の配剤に改めて感謝した。
「木々のごとく大地に根を下ろし、風雪を皆で乗り越えよう。種の芽吹きを皆で祈り、草花の香気を皆と歌おう。プロンゾは、まさしく自然とともにある貴族を目指そう。
何より、太陽のように、風のように、水のように、あって当たり前のように錯覚してしまう、偉大なる恩恵に見限られてしまわぬようにな」
ちらり、とミハエルを見て、ふっと微笑むリリクル。
雲を掴むような心地であった人々も、リリクルの一言にようやく気づいたものもあった。その偉大さに、そして、偉大すぎるがゆえにその姿を見誤ってしまうという事実に。
本当の偉大さとは、偉大である、ということすら分からないのだ、ということに。
「雨の一滴が、やがて集まり集まって大河となりゆくように、一人から始まったこの想いを、いつまでもいつまでも絶やさぬように。その、大切な一歩を皆と祝えること、これほど嬉しいことはない。まだまだ復興の緒についたばかりの我々であり、皆の期待には応えられないかもしれないが、ささやかながら心ばかりの用意をさせてもらった。今日ぐらいは皆で喜びを分かち合おうではないか。さあ、祭りを楽しんでくれ!」
大きな歓声がはじけたのであった。
「では、我々はレスリング、射的会場に向かいます。出場者の皆さんは集まって下さい」
ミハエルの誘導で人々が移動する。
祭りの会場では夏至祭をはるかに上回る屋台が軒を連ねていた。ワインやエールや果実酒に、子供でも飲めるぶどうジュースにはちみつジンジャージュースがあり、ジャカム他十数名の調理人が一生懸命焼き上げるフォカッチャ、鹿や猪の肉を焼く屋台もあれば、虎の子のザーモスを提供する屋台も出されていた。
この時のためと、遠方の大樹からやってきたプロンゾの民もおりアルクスネはいまや人で溢れかえっていた。予想していたとは言え、それでもびっくりするぐらいの人出に、ジャカムたち調理人はすでにてんてこ舞いだ。
人はもちろんのこと、たくさんの食べ物、飲み物が用意されそれを楽しむ人々がいるが、やはり、今回の一番の注目はレスリングであった。
ぞろぞろとレスリング参加者たちがディルツ、プロンゾに分かれてテントの下に集合していた。それを観戦する貴賓席にはザーモスをたくさんお皿に盛って上機嫌のディレルがおり、イーナム・ディームが世話を焼くグナクトが座っている。ミミクルやカトリーナ、ケット・シーのニーモもジュースを片手に観戦だ。若干、カトリーナはむくれてはいる。
その中でフランコ・ビニデンが張り切っている。一番手は彼だ。
「見ててください。まずは初戦を制し勢いをつけてきますから」
皆で編成を決めたときから一番手に名乗りを上げており、意気揚々とテントを出てゆくフランコに、頑張れよ~、と他人事な声援を送るノルベルト・グリモワールたちであった。なぜなら、初戦を制して士気を盛り上げんとするのは何もディルツ騎士たちだけではないからだ。むしろ、本来の主催者たるプロンゾが張り切らないわけがない。
それこそ手練を送り込んでくるだろう、そう見て取ったのである。
フランコもディルツ騎士の中ではもちろん腕は立つが、それでも猛者ぞろいのプロンゾ戦士に比べればまだ一段下がる。結果は自明であった。さらに、射的に関してはすでに勝敗が決した感があって注目度は低めだ。物心付く前に弓と矢をおもちゃがわりに与えられていたプロンゾにディルツ弓兵がかなうわけはない。すでに皆があきらめムードである。だが唯一、ヨハンだけは気炎を吐いてはいるが。
「うっ」
テントをくぐったフランコが目にしたもの。
ズボンだけをはいて、上半身むき出しのプロンゾ戦士がテントを出てきたのだ。
年齢も、上背も、筋肉も、目の前にゆうゆうと歩み来るプロンゾ戦士はフランコのそれよりはるかに上回っている。戦士としての経験の差は明らかだ。すでに軽く入れ込んで(興奮状態にあること。競馬用語)いるフランコに比べ、悠然とはこういうことだぞ若造、という雰囲気である。
しかも、思いっきり気合を入れて出てきて、相手を威圧してやる、とちょっと勘違いしていたフランコに比べ、素敵な笑みを浮かべているのだ。人間の器のデカさまで見せつけられた気分である。
「両者、位置について」
審判はミハエル。
ミハエル、カトリーナ、グナクト、この三名は出場禁止枠である。
両側にテントを配し、円形に軽くロープを張って観客が入れないようにしているが、すでに周囲は黒山の人だかりである。なにせ、この前まで殺し合いをしていたディルツとプロンゾである。すでに友好関係が築かれているとはいえ、内心そこまで綺麗サッパリ切り替わっているわけではない。ましてや、プロンゾはさんざん辛酸をなめているのだ。祭りの名のもとにケンカが出来るわけで、これをよい機会にボコボコにしてやれ、などと思っているものも少なからず、いや結構いるのであった。
一人、闘技場に立ったフランコはようやく気がついた。
周囲にそこはかとなく流れる殺気に。
普段は友好の名のもとに抑えつけられていたプロンゾ人の怒りやら恨みやらが、好機とばかりに漏れているのだ。しかも、祭りともあって普段は遠方にいる、アルクスネにあまり関わっていなかったプロンゾ人たちもいる。闘技場にいる居並ぶプロンゾ戦士、ディルツ騎士たちに、皆が軽く興奮状態なのである。
声にこそ出さないが、ぶちのめしてやれ! という雰囲気がそこにあったのである。
「フランコにいちゃんがんばれーっ」
町の子供たちが送るフランコへの声援も今はどこか遠くから聞こえるようであった。
「よろしくな」
「は、はい、よろしくお願いします!」
にっこりと微笑むプロンゾ戦士に、つい若輩感丸出しで深々とお辞儀してしまうフランコ。あっ、と思ったがもはや手遅れ。
「構えて!」
ミハエルの声に慌てて腰を落として身構えるフランコ。
「始め!」
雰囲気に飲み込まれそうになるフランコ、だが、ディルツの今後の勢いに関わる大事な先鋒である。その責任感がフランコを突き動かした。
「うっしゃぁぁぁぁ!」
気合を入れ、突っ込む。
普通の人間だったらそれなりのものであったろう。だが、同じく先鋒を任されたプロンゾ戦士からすればただの猪突猛進。恰好の獲物であった。
相手を捕まえた、とフランコが思った次の瞬間、プロンゾ戦士の巨体はフランコの予想を超える動きを見せた。体を沈め、右腕をフランコの肩に、左腕を股ぐらに差し込んだのである。
「うわ!」
何も考えずに突っ込んだ、その勢いのまま大きく持ち上げられた。
そしてそのままの体勢のまま投げつけた。さらに、地面に思い切り叩きつけるのではなく、ご丁寧にフランコを抱きかかえるという手加減のおまけ付きだ。
どす
小さな、周囲の熱気に比べてあまりにも小さな音が周辺を打った。
その瞬間。
ふっ
冷笑。
戦士が手心を加えてもらうとは。ガキあやしてんのかよ。という冷笑が、会場を満たしたのであった。
何の負傷もしなかったフランコは、かえって心に大きなダメージを負うこととなったのであった。さらに、子供たちの悲鳴が、深く深く肺腑をえぐる。
こうして、プロンゾ授爵記念祭り、レスリングの部はディルツ側にとって最悪のスタートとなったのであった。
さて。
「上から目線」
目線、という言葉がありますね。何年前から使われているのかわかりませんが、わたしはこの言葉を極力使わないようにしております。なんでかと申しますと、ザギンでシースー、と同等のギョーカイ用語を使う気にはならないからです。
言葉には品とか、感性というものがあるとわたしは思っておりまして、正しい日本語を遣いたい実行委員の一人としまして、目線、という単語単品では使いたくはないですね。ですがそういう意味でいいますと、この「上から目線」というのが実にいい塩梅で品がない。上から視線、では収まりがつかないですね。やはり、上から、という品のなさに、目線、という品のなさが丁度いい塩梅なのでこれなら熟語として面白いと思います。
あと、
【危困に在ればすなわち死亡を憂う。死亡を憂うればすなわち理を思う。理を思えばすなわち教え易し。しからばすなわち乱後の教え易きは、なお飢人の食し易きがごとし】
これは『貞観政要』という唐の太宗とその優秀なる家臣たちの言動をまとめた書物にある言葉ですね。北条政子が翻訳して頼朝公に読ませたといいますし、明治大帝も関心なされたという、東洋にとってのバイブル的名著です。
本文はもっと長い文章ですが、こういう名臣の手助けもあって、
【遠戎賓服するを得たり】
遠方の蛮族ですら、中華風の衣服に身を包み礼を尽くして友誼を結ぶようになった。という古今名高い文明国家を築くに至った。文明とはこういうことを言うのです。
文化も科学技術も劣る民族を蹂躙し踏みにじるのではなく、その遠方の民族ですら憧れてその国の服を着たくなる。こういうのが東洋の本当の理想、文明国の所以なのであります。まあ、今時はこういう東洋の精神を理解できる東洋人は滅亡してしまった感がありますが。本当の偉大とは、偉大であることを人々に実感させないものなのです。久しぶりに東洋思想を開陳して面白うございますた。-人-
また、リリクルのセリフ。
「木々のごとく大地に根を下ろし、風雪を皆で乗り越えよう。種の芽吹きを皆で祈り、草花の息吹きを皆と歌おう」
ん? と思った人もいるかも知れません。そうです。ラピュタのゴンドアの谷の歌をパk、りすぺくとっす。正しくはこちら。
「土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう」
まあ、わたしとしてはあんなすごいもんがあったら、ムスカみたいに、
「ラピュタは滅びん! 何度でも蘇るさ! ラピュタの力こそ人類の夢だからだ!」
って言いたくなる気持ちも分かりますけどねw
今宵はこんなところで。
岡崎律子 4月の雪
岡崎律子 Ma Memoire~さよならはまだ言えない~
を聴きながら。
この二曲は『ミンキーモモ』の後期型の方、俗に「海モモ」とも呼ばれますが、そのドラマCD『魔法のプリンセス ミンキーモモ 雪がやんだら…』に収録されている岡崎律子さんの名曲ですね(物は試しと、タイトル名を検索したら…w モモが大人に変身したりしながら淡い恋を味わう、という味わい深い内容です。ヒマヒマ星人さんは聴くといいかもw)。岡崎さんも今時の若者には縁遠いお人になってしまったでしょうか。しみじみと岡崎さんの歌を味わいますと、最近放映されている『フルーツバスケット』に物足りなさを感じてしまうのもそういうことなのかも…。
こういう曲を聴いて感性を磨くのもよきことです。ルピピもドラマのなかで「女の子は感性を磨かなくちゃ」って言ってましたしw
オールヴォアール




