鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (三十五)~武辺~
「では、始めるとしよう」
さらに翌日。
生ける砦を両脇に抱える『アトゥーレトゥーロ』の前方にあたる敷地は練兵所と相成った。
辺りは昨日まで水辺の森だった所。足場は落ち葉や枯れ枝で覆われ、豚の餌場や、燃料となる枯れ木採集以外には人の立ち入りも少なかったところであり、土質も非常に柔らかかった。それが、木々が蠢き出す、という大騒動によってしっかりと踏み固められた土地となった。
手の空いているプロンゾ兵たちで掃除をし、樹の城門からまっすぐに石畳を敷いて道、として整備し体裁を整え、大きく開けた前庭になる場所に、射の的やら木やワラ人形を置いて兵たちの訓練の場へと整えた。
武を重んじるプロンゾを全面に押し出した居館となったのであった。また、砦はすでにプロンゾ兵たちが居住するべく最善の場所を確保している。砦は一万人以上の兵士が寝起きできる規模があるのである。
その練兵場に、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクと、シシスナ・プリムゾ、自薦他薦を問わない潜在的に魔力をもつプロンゾの兵士たちが集合していたのであった。
これまで無用となっていた魔力が、戦闘力に変換できる新しい魔法があると知り、皆一様に緊張の中に期待にあふれる面持ちだった。見れば、兵士たちは割合として女性の方が多い。プロンゾ人は女性の方が潜在的な魔力が多いのであろう。巫女たるディレル・ピロンゾ、ミミクル・フォン・プロンゾの二人も女性であるから、女性の方が体力ではなく、魔力の方に生命力が流れているのであろう。
ちなみに、ミミクルやミハエルらはライ麦に魔力を注ぐべく、すでに農地を巡っている。それなのに、なんやかんやと言い訳をしてさぼったノルベルト・グリモワールや手すきのディルツ騎士たちが、うらやましそうにプロンゾ兵たちの稽古を指をくわえて眺めているのであった。
「すでに話は伝わっているものと思う。知らぬものからすれば魔力を変換する、などと言われても半信半疑であろうが、すでにわたしの属する天鋼聖拳の門弟の中でもこの魔法をモノにしているものもいるから、効果の程は確かだ。安心してほしい。では、シシスナ、教えた魔法を唱えてみよ」
「はい」
カトリーナに促され、緊張の面持ちのままシシスナが精神を統一する。
多くの門弟を抱える天鋼聖拳の後継者として、幾多の指導経験があるカトリーナである。見た目は明らかに若さを幾分残した妙齢の女性であるが、稽古をつけるその姿は実に堂に入ったものである。明らかに年上であるシシスナも、教えを乞う、という立場を抜きにしてもカトリーナの、武の天辺にいち早く至りつつある堂々たる立ち姿に感じ入っていた。血族の故をもってしてもカトリーナの武人としての実力、気迫は相当なものだ。その若さでやすやすと身に着けられるようなものではない。どれほどの血のにじむ鍛錬を経ればそこにまでになれるものか。人の身で至れる武の、あまりの高みの壮絶さに、シシスナは自身のふがいなさに歯噛みする思いだった。
とはいえ、武の天辺が奈辺(どこらへん、とかの意)にあろうと、とにもかくにも、まずはその一歩を踏み出すのみ。シシスナは散りかけた集中を高めた。
「我が拳は天を突き、我が脚は地を覆う! 音に聞け! 我が武威に瞠目せよ! 我が飛べば天を飛翔し、我が鳴けば世界を驚かす! ――――三身駆陽魄!」
気迫のこもった声音とともに、己の発した言葉の意味に高揚するシシスナ。
呪文、という言霊によって魔力を制御し、身に帯びる。いままではただ垂れ流すだけであった魔力が、まるで血液のように体を巡ってゆくのを確かに感じる。しかし、その瞬間、全身を駆け巡る慣れない感覚に、ぬぐいがたい違和感に、シシスナは戸惑いを覚えた。
「……これが、魔力が全身を駆けるかんしょ、く?」
気のせいではない、酒を飲みすぎた時のような酩酊感、もしくは病を得てしまいバランス感覚を喪失してしまったかのようなめまいを覚えて、まるで自分の体が自分のものでなくなったような違和感に、シシスナは我が身を見つめた。
戸惑うシシスナの姿に、軽く動揺するプロンゾの兵士たち。
「うむ、わらわも最初は己の体の制御にてこずった。はじめは戸惑うであろうが、すぐに慣れる。むしろ、これがない方が喪失感を覚えるほどだ」
「……なんと」
本来、備わっているはずのバランス感覚が、魔力を全身に流すという急激な変化に耐えられないのだ。まるで世界がでんぐり返るかのような違和感に襲われ軽く吐き気を催すシシスナ。
「すでに説明はしたが、念のためもう一度言うぞ。この制御魔法は、己の魔力を全身に巡らせることによって筋力を数段強化するものだ。いうなれば、筋肉をさらに張り付けるもの、と想像してかまわない。それによって、膂力はもちろん、打撃に対する防御能力まで向上する。だが、体力と魔力を両方いっぺんに消費するという状態になるから、慣れぬうちの疲労感は激しい。皆も、そのことをわきまえて欲しい」
カトリーナの説明に、ツバキを飲み込むプロンゾ兵。
「そうはいうがカトリーナ嬢よ、一対一なら分かるが、戦場は短期決戦ですべて終わるものではないぜ?」
ノルベルトが茶化す。
内心まざりたいのである。だが、魔力の素養が一切ないディルツ騎士、兵士はお呼びではないのであった。
「戦場の流れも読めん雑兵に用はない」
それに対するカトリーナの答えは非常に簡潔であった。
「それとも何か、ディルツの騎士どもはともかくプロンゾの民よ。諸君らは猪突しか知らん烏合の衆か?」
「い、いえ! プロンゾ戦士もさらなる雄飛を誓います!」
間髪を入れず、シシスナが叫ぶ。実は、プロンゾ兵の多くが猪突ぎみだったと、図星を突かれた気になっているものたちがたくさんいるであろうことを素早く察したシシスナの機転である。
ノルベルトのいらぬ茶々で、何故か流れ矢が飛んできて自尊心を傷つけられたディルツ騎士、兵士たちがノルベルトを軽くにらむ。
「申し訳ありません、中断してしまいました、続けます!」
場の空気を入れ替えるべく、もう一度シシスナが呪文を唱える。自身の魔力を全身にまとい、奇妙な違和感に耐えるシシスナ。とはいえ確かに、普段はまったくもって無用に体から放出されているだけの魔力が、筋力に転化されているのがなんとなく分かる。ジャンプすれば普段よりはるかに跳躍できそうな、パンチを繰り出せば丸太でもへし折ってしまいそうな、そんな小気味いい高揚感を、違和感の中に感じ取ることができた。
「最初に言った通り、その状態はいままでの膂力とは一線を画す。試しに走ってみよ。うまく体が言うことを聞かんはずだ」
「は、はい」
言われた通り一歩踏み出そうとして、大地を蹴った瞬間、何故か、盛大に飛び上がってしまうシシスナ。
「わ、わ!」
慌ててバランスをとろうとするも、完全に制御を失いどうしようもなくなって仕方なしにいったん力をすべて抜き、何とか地に手を突くシシスナ。
「じ、自分の体が自分のものでなくなったような、想像を絶する難しさです……」
軽く呆然となるシシスナ。
物心つく前から弓を持ち、鍛錬に励むのが当たり前のプロンゾの戦士ですら、急激に増大した膂力に振り回される事態であった。
プロンゾの長として武芸に長けているはずのシシスナですらこのありさまである。他のプロンゾ戦士たちの動揺は激しかった。
「落ち着け。そなたは魔力量が多い、そのため全身を巡る魔力が比例して多く制御がうまくいっていないのだ。それも、日々の鍛錬で慣れる。一度深呼吸をせよ。見たところ、プロンゾの民は呼吸法を知悉しておるようだしな」
「わ、分かりますか?」
「わらわを見くびるでない」
にんまりと笑うカトリーナ。
「おいおい、何だ、呼吸法って」
聞き捨てならないと、ノルベルトがこりもせずに声を発す。
「フン。お前らディルツ騎士は脳みその中まで筋肉でできておるから分からんであろうが、武闘家というものは呼吸を素早く全身に巡らし、気力に変える呼吸法を身に着けておるのだ。プロンゾの戦士のすべては、これを当然のものとして身に着けておる」
「呼吸法? 息を吸って、吐く、それだけだろ? そこに違いなどあるのか?」
分かりやすくバカにされるノルベルトだが、あおられている場合ではないと重ねて問う。
ただ、呼吸をするだけで戦士としての力量に違いが出る、などということでもあれば重大問題だからである。確かに、プロンゾの兵とディルツ騎士を比べるとプロンゾ兵の方が一人一人の能力で見ると上回っていることが少なくないからである。
「ふむ。ノルベルト、ちなみに、息を吸って吐くのはどこだ?」
多少は真剣なノルベルトの様子に、カトリーナも小ばかにするのをやめる。また、多くのディルツ騎士とは違い、ノルベルトは自分のいう呼吸法を、自然と、本人もあまり自覚のないままに行っているのが分かるのだ。
「……いや、肺だろ?」
医学的見地だの、人体の構造だの、詳しいことはまるで分らなくとも、息をしている器官が胸にあることくらいは分かる。だが。
「腹だ」
「腹!?」
「そう。腹だ。正確には、へその下、指で四本くらい下のところにあたる、臍下丹田。ここに呼気を集約することによって全身にエネルギーがみなぎるのだ」
「おいおい、初耳もいいところだぜ」
「例えばだ、ノルベルト、プロンゾの誇る長弓、引けるか?」
「そりゃ、力いっぱい引けば、まあ」
「そこだ。そこが、すでにして違う」
「全然わからねぇ……」
まるで訳のわからない謎かけを吹っ掛けられている気分だった。なんだ、説破! とでも言えばいいのか? とノルベルトは混乱気味に匙を投げる。
「お前らディルツ騎士は、戦闘を筋肉一辺倒で行うものだと思っている、だが、プロンゾの戦士は呼吸で行う。なにゆえ、ディルツ騎士が引けない、あの強弓をプロンゾ兵はやすやすと引けるか」
「それが呼吸による、ってのか?」
「そうだ」
「まじかよ………」
「本当です、プロンゾは子供のころから鍛錬を積んでおりますが、その最初の鍛錬は呼吸を身に着けることにあるのです。プロンゾといえど、もし、この呼吸法を身につけないまま長弓を引けば、体の左右の筋肉のバランスが崩れて普段の生活にすら支障をきたしてしまうことでしょう」
到底信じられない、といった風のノルベルトに、シシスナも説明に回る。
「で、では、わたしでもその、呼吸法とやらを身に着ければ、長弓も引けますか!?」
見物人の中に混じっていた暇人Aであったヨハン・ウランゲルも、たまらず、といった感じで挙手して声を上げた。アルクスネ唯一の弓隊を率いる隊長でありながら、プロンゾ長弓兵に完全にお株を奪われこのままザーモス飼育要員として埋もれてしまうのか、という葛藤があったのだ。ちなみに、ザーモス飼育委員委員長たるヨハンの本日の仕事は、つつがなくすべて終了している。
「うむ。すべては鍛錬次第だ。とはいえ、それを自然と行えるまでにはそれなりの時間はかかるがな」
「どれだけの時間がかかろうと身に着けます!」
ふんす! と鼻息を荒げるヨハン。
「かしこまりました、ディルツの弓隊の方々にもプロンゾの呼吸法を伝授いたします」
「やっほい!」
シシスナの提案に飛び上がって喜ぶヨハンをしり目に、半信半疑のままのノルベルト。
「あー、そのセイカタンデン? ってのが腹の中の臓物として収まってるのかよ?」
自分の腹をまさぐるノルベルト。腹が減ったときとか、ヘンなものを食べて痛いときには気にする程度だった場所だ。改めて認識するが、そんな御大層な臓器があるようには思えない。
「内臓ではない。経絡という、人体に流れる気をつかさどるものがあるのだ。気穴とか経穴とも呼ぶが、これを活性化させることによって気、精神、胆力を鍛えるのだ」
「ケイラク? キケツ? ケイケツ?」
「第三の目、とか聞いたことはないか?」
「第三? 目が三つある亜人でもいるのか?」
「はぁ、埒が明かんな」
耳慣れぬ単語のオンパレードにそろそろ思考が焼け付いてきたノルベルトである。そんなノルベルトに、そろそろカトリーナもじれてきていたのであった。
「ノルベルト・グリモワールッ!!」
カトリーナの大喝。
「お、おう」
「それは、何だ?」
「………何だとは何だよ………」
まさしく禅問答に、あごに手をあて、しばし黙考するノルベルト。
そして。
「くッそ、そういうことかよ。俺を俺たらしめるもの、それは心とか精神をいう、目には見えないもの、影も形もないもの。そういうことかよ」
「ほう。腐っても鯛か。体の九割が筋肉でできておっても少しはオツムが回るようだな」
期待した以上の回答が引き出せて、にんまりとほほ笑むカトリーナである。とはいえ、小ばかにすることは忘れない。
「うっせ。残り一割はなんだよ」
「腹に詰まったクソであろう」
「けっ、あおりやがるぜ」
「フン! 考えてもみよ、戦に慣れぬ、敵を前に震えておった新兵が、やがて場数を踏んで白刃煌めく戦場に疾駆できる、死の恐怖に打ち勝つその胆力はどこから湧いてくる? 経験や記憶、そんなものだけで死の怖さに打ち勝てると思うか?」
「………確かに、そうだな。気合、気迫、それだけじゃねぇ、欲だの野心だの希望だの、人間を本質的に動かすものはすべて、目に見えないものだ」
「そうだ。日々の鍛錬によって体だけではない、心身共に鍛えるから、戦場にあっても日常のように、尋常の心構えができるのだ。何故、毎日剣を振る? それを、お前らはただ筋肉をつけておる、としか考えておらんからそこまでの体さばきしか身につかんのだ。目に見える肉体だけに気を取られるな。この肉体の奥には心が、精神が宿っている。また、わらわもそこまで至ってはおらんが、そのさらに深奥には神とつながっているといわれる。本来、我々は、生きながらにして神と同等の存在なのだ」
「おいおい、話がでかくなりすぎだぜ」
「まあよい。つまりは、神ともつながっている、人体の神秘の一端を活性化させる、ということだ。それによる恩恵を、ただの気のせい、で済ませるつもりか?」
「そう言われると、すげぇありがたいものに思えるな」
「当たり前だ。お前らは人間という存在をなめ過ぎなのだ。もっと人を、己自身を敬え。自分自身を敬うこともできん雑魚に、内に秘めたる力が解放されるものか。まあ、ノルベルト、お前はある程度はこの呼吸をものにしておるがな」
「何だよ、最初っからそう言ってくれよ!」
「フン。バカをバカにするほど面白いものはないのだ」
「くっそ!」
ふふん、とあざ笑うカトリーナに、盛大に大やけどをおったノルベルトであった。
「ほれ、部外者はどいておれ。邪魔である。シシスナ、続けよ」
「は、はい」
憤慨しながらも、とぼとぼと暇人集団に帰ってゆくノルベルトをしり目に、だいぶん気を殺がれたシシスナであったが、改めて気を練る。ディルツ騎士の皆からバカにされるノルベルトのありさまがさらに集中力を削ぐが、つとめて視界から排除し、集中する。先程は溢れんばかりの膂力に振り回されてしまったが、今度は無様な姿を見せないように、力の流路を感じ取り、制するように静かに精神を集中させるシシスナ。
「では、次に正拳突きだ」
「はい!」
軽く腰を落とし、構える。
「フッ!」
そして、放たれる渾身の突き。
ブワッ!
空気を切り裂く激烈な正拳に、それを放ったシシスナですら、総毛立つ。
腕が千切れんばかりの強力な正拳突きだが、確かに、強靭さも数段アップしているのかみなぎる膂力に体が悲鳴を上げることはなかった。
「す、すげぇ」
ディルツ騎士か、プロンゾの戦士か、誰ともなく、感嘆の声が漏れる。
速度といい、威力といい、あれを食らったら一撃でのされる。そこにいた誰もがはっきりと分かるほどの強烈な突きであった。
目をまんまるにし、己の拳を呆けたように見つめるシシスナに、カトリーナはにんまりと微笑んだ。
「悪くない。正拳突きはバランスを乱しにくい分、御しやすいであろう」
「は、はい」
「正拳突きとは、拳を放つ時、腕や肩だけで放つのではない。かかとから太ももと、足腰すべての膂力を用いて放つものだ。しかし脚は、腕と違って筋肉量が多い。さらに、魔力によって増えた分とも合わさって膂力に勢いがつきやすく制御しにくい。この魔法によって増加した足腰の膂力を完全に制御できた時、見違えるほどの戦士へと生まれ変わるであろう」
「………はいッ!」
ただ、魔力を体力に転換する秘術を授けてもらえるだけではない。
優れた武道家の鍛錬も手ほどきしてもらえる。
曲がりなりにも武を身につけた者にとってこれほど嬉しいことが他にあろうか。シシスナだけではない、この場に集ったすべてのプロンゾ人たちは言い知れない感動に打ち震えるのであった。
「おいおい、ずっこいぞ、俺達にもできることを教えてくれや」
そんな特別扱いをしてもらえるプロンゾ人たちにぶーぶーと不平を漏らすノルベルトたち。
「ノルベルトはともかくお前たちはまず呼吸法を身に着けよ。それもできぬひよっこが、でしゃばるではない」
「あ~、そーだ、俺は大丈夫だったんだ、ワリーなお前たち、頑張って吸って吐くんだぞ」
じゃ。と、一人、ディルツ騎士や兵士の集団に手をふるノルベルト。そんなノルベルトに、ふざけんなこの野郎! 裏切り者め! と罵声が飛ぶのは当然のことといえた。
「しかたねーじゃん? その、セイカタンデン? で呼吸ができてからだしなぁ。武芸の道は厳しいのだよ」
うんうん、と独り合点でうなずくノルベルト。
そんなノルベルトに、きらり、と目を輝かせたカトリーナがすたすたと近づく。
「せっかくだ、今日は珍しいものを見せてやろう。これは、魔力ゼロのものでも会得できる技だ」
「ほう!」
「ノルベルト、そのまま立っておれ」
「お、おう」
すでにして嫌な予感が脳裏をよぎるノルベルトではあるが、魔力ゼロでも会得できる技、といわれては好奇心が勝る。
言われた通り、直立不動。
「これは、実力ある武闘家なら会得できるもので、そこまで難しいものではない」
そう、言いながら掌底をゆっくりとノルベルトに近づけるカトリーナ。
魔力を膂力に変える魔法とは思えないスローな動作に、何だ大したことねぇな、と一瞬こわばった緊張をほぐしたノルベルトであったが、カトリーナの掌底が己の体に触れた、次の瞬間。
「のぶわっ!?」
強烈な衝撃を食らって吹っ飛ぶのであった。
100キロ近い屈強な戦士であるノルベルトが軽々と吹っ飛び、ディルツ騎士たちはもちろん、プロンゾたちも騒然となる。
「これは発勁と言ってな。先ほどのように、かかとから、手の指先からと全身の筋肉から生み出されるエネルギーを、この手のひらに集約して解き放つ、というものだ。勁とはエネルギーのことで……、それはまあよい、こうして、エネルギーを一点に放つことで多少のものなら吹き飛ばせる。とはいえ、実戦で使うことなどまったくないであろうが」
「ないなら使うな!」
派手に吹っ飛んで土まみれになったノルベルトから非難の声があがる。だが、同情するものはほとんどいなかったことは、改めて贅言するまでもない。ヨハンですら、雰囲気を読んで堅く沈黙を守ったのであった。
「いや、なにな、コボルドに噛みつかれて、あの状況を素早く脱す方法を模索していたら、ここにたどり着いたということだ」
ふふ、と不敵な笑みをこぼすカトリーナ。してやったり、とご満悦だ。美貌の貴族令嬢の満面の笑みともあって非常に美しいが、それに見惚れるものはここには一人もいない。
コボルド戦において、両手両足をコボルドに噛みつかれて、そのまま倒れてしまいミミクルの竜巻の魔法によって危地を脱したときのこと。あの時、全力のミスリル・ナックルでコボルドを殴りつければどうにかなったのであろうが、とっさのことに反応できなかったのだ。それが、カトリーナにとってしこりとなって残っていたのである。
よもや、コボルドを投げつけるなどと非常識な行動に出たからとっさに反応できなかったが、あれは受けるのではなく、避けるものだったのだ。そうやって、後から考えれば対処法などすぐに思い浮かぶが、実戦の最中にとっさに対応できなければ、待っているのは死しかない。もはや同様の目にあうことは二度とないだろうが、それでも対処法を模索するのは当然のことと言えた。こうして吹き飛ばしてしまえば、ミスリル・ナックルがなくても対処が可能となる。
武闘家に同じ技は二度は通用しない、を体現したいのである。
「くっそ、それこそあんな状況めったに起こらねぇじゃねぇか!」
パンパン、と服をはたいて立ち上がるノルベルト。ただ体当たりを食らって吹き飛んだようなものとは違う違和感、何やら奇妙な脱力感を覚えながら。たった一撃くらっただけで足にきていたりするが、そこは根性とやせ我慢で何とかごまかす。
これがそんじょそこらの人間だったら殴りかかっているところだが、カトリーナ相手にそんなことをすれば完全無欠なカウンターを食らうことは火を見るより明らかであって、それが分からないノルベルトではないのであった。ぐぎぎ、と悔しさで歯ぎしりするもこらえるのである。
「めったには起こらん、だが、あらゆる状況に対処するのも戦士として当然であろう。わらわも、二度とあのような無様な姿はさらせんしな。ほれ、身に着けたいならまずは、この樹城壁を百周でもしてまいれ。発勁はみずみずしい膂力によって生み出されるのだ」
「冗談じゃねぇ!」
にんまりと笑うカトリーナに、さすがにふてくされて帰るノルベルトであった。
「うむ。邪魔者は消えた。……よもや、お前ら、まさかとは思うが邪魔はすまいな?」
ちらり、とディルツ騎士たちに一瞥をくれるカトリーナに、震えあがるディルツ騎士たちであった。
※ ※ ※ ※ ※
その夜。
「ミミ、ライ麦はどうであった?」
ディレルがミミクルに声をかける。
ミハエルらとライ麦に魔力を注いで回り、アトゥーレトゥーロに帰ってきたミミクル。
本来、秋に種まきをして、夏に収穫するライ麦であるから、春播きのライ麦の面積はそこまで多くはない。春播きのライ麦は収穫量も多くはないからだ。プロンゾとの戦争状態が終了し、暇を持て余したディルツ騎士や兵士が畑を拡大しているので、秋の種まきとは時期がずれてしまった耕作地に、とりあえずライ麦の種を播いているのである。
「はい! すくすくと成長しました。これを何回か繰り返せば実りも豊かになるだろう、とのことです!」
「ほう。あのジャンの献策もけっこうなものであったか」
ライ麦が成長した、ということよりも、ミミクルの朗らかな笑顔に相好を崩すディレルである。
「そういえばその、ジャンはどうしましたか?」
リリクルがジャン・ウブリアムを探す。早朝から出回っていたので、彼らの動向を知らなかったのだ。
「うむ、今後のプロンゾとの交易や作付けする新たな作物の選定など、ジャンでは決めかねることが多々ある故、マタライ殿と話し合うと、リーグ港に向かったぞ」
「左様ですか」
陸地ならガラタリアまで三か月はかかるが、海路ならうまく風を捕まえればひと月だ。あと、海獣に捕捉されなければ。もしくは、マタライ・フォン・ヴィルダッシュ子爵がガラタリアではなく本国ディルツにいるのならひと月もかからない。
「その、マタライとやらがどんな男かは知りませんが、せいぜい金の成る木を見繕っていただきましょう」
ふふふ、と笑うリリクル、取らぬ狸のなんとやらである。
「せいぜいその黒い腹を見透かされぬようにな」
はう、とため息をつくディレル。
「さて、飯もすんだことだし、今宵も稽古を始めるぞ」
「……はい」
ディレルの言葉に、今度はリリクルがふてくされたような、ため息をつくのであった。
さて。
わたしが新しく学んだ言葉ではありませんが、正しい日本語を遣いたい実行委員会のコーナーや~。
間髪を入れず
間に髪の毛を挟むこともできないほどの隙間がないこと、という意味でありますが、本来の読みは、かんはつ、であります。IME ウィンドウズの日本語変換では「かんぱつ」でしか出ませんね。ちなみに、グルグル変換だと、変換予測では「間髪を入れず」とかでますが、変換予測を使わずにそのままスペースキーで変換すると「缶はつ」とか出てきます。ヲイ。また、発音するときも、かんはつ、と続けて言うよりは、かん、はつ、と間で切るのが雰囲気がでる気がします。
「綺羅、星のごとく」と間で切るのと同じですね。きらぼし、などと言ってしまいますが、綺羅とは美しい絹などの衣装のことで、豪華なパーティーなどで絹の衣装に身を包んだ美女たちが集まる様を言ったもので、光を反射して、その綺羅が光り輝いて星のようであるから間を切って「綺羅、星のごとく」
次に、
「曲がりなりにも」
下手くそなりに、とか、どうにかこうにか、などという意味ですが、これとよく似た言い回しで、
「仮にも」
とかありますが、この二者はまったく意味合いが違うような気がします。
曲がりなり、は今言ったように、下手くそなりに、とか不完全ながらも、という未熟でも何とかやってます、といったニュアンスですが、仮、はしょせん仮。一時だけの、とか上辺を飾る、とかいう意味合いになる。つまり、しょせんは偽物であって本物ではない。
たとえば、
「曲がりなりにも勇者として」と「仮にも勇者として」という文章があるとして、後者はやはりこの勇者は(仮)程度で、バッタもん(大阪弁で偽物)という意味合いが拭い難い。
ついつい、曲がりなりにも、といったニュアンスで仮にも、と使ってしまいそうですが、相当に相手をバカにした言い回しであることを理解すべきでしょう。
では、正しく日本語を遣いたいコーナーはここまでとしまして、あと、カトリーナが大喝するシーン。
ちなみに、喝! の意味は馬鹿者! でありますが、これは楠木正成公の逸話を下敷きにしております。正成公がある時、とある僧侶と話をしてた時のお話だそうな。
とある僧が「楠木左衛門尉正成!」というので、「はい」と答えると「それは何だ!」と言われて返答に詰まってしまい、その後正成公は真剣に学問するようになったとか。
自分を自分たらしめるものとは何か? 俺ってなに? それを真剣に考え始めると、己をいい加減に扱わない、自分自身をきちんと敬う、ということになる。
中共肺炎の引きこもりの影響か、おかしな犯罪が雨後の筍のごとく増加しておる昨今だからこそ、己を敬う、ということの意味を、今一度問い直すべきでしょう。
ま、こんなラノベ書いて、いきなり説教始めたって何の意味もないでしょうけどね。
ちなうんですちなうんです。
本当の説教とは慈悲の心の発露であって、相手をバカにしてとか、見下してするのは小言と言うのです。まあこれも、最澄の教えにして、安岡先生が強調された教え、一燈照隅、万燈遍照であります。
かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
なのであります
ー人ー
したらば今回はこれまで。
したらばな~
フリップフラッパーズのEDを聴きながら。




