騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (四)
2018/1/15誤字などを修正。
「こんなもんか」
礼服を着たミハエルが自身の姿を鏡で確認していう。
十字軍が発祥のサーコートをまとっていた。
ディルツ騎士団の礼服、サーコートは青を基調としている。北方らしく体の前後を足元まで届くゆったりとしたキルト地をベルトでまとめている。普段のサーコートなら甲冑や鎖かたびらの上などに頭からかぶるものだが、今回はそういった武装は中にはいっさい着用していない。胸に貴族を示す家紋が刺繍されており、背中には十字軍を示す十字が縫い付けられている。
外面にこだわるタイプではないが、プロンゾ族族長との会談の場に出るのだ。必然、身なりも整えなければならない。式典などに着てゆくのが礼服なら、作業着でもあり普段着ているのが略装だ。
騎士らしく、いかにも見た目は壮麗だ。
死地におもむく者は美麗であれ。
命がけで戦地に赴くものに対する敬意と、これから騎士を目指すものの憧憬を湧き起させる目的がある。いつの時代も、戦士は憧れの職業である。戦場で大きな手柄をあげれば、平民とて貴族になれる可能性がある。ほぼ、唯一の出世の道なのだ。
ここはアルクスネ砦から一日ほど離れた森の中。
プロンゾ族集落であった。
ミハエルやノルベルト・グリモワールは、リリクルや帰化したプロンゾ人の先導で集落で一夜を明かしたのだ。
プロンゾ族の住まいは樹上にある。大きな大樹であるから、そこに穴を掘ってその中で暮らしているのだ。きちんと密閉されれば真冬の寒さをも防げる、しかも、当然木材だから季節によって湿気が出たり入ったりするので思った以上に快適な住まいだ。さらに、夜間に出没するモンスターの襲撃からも木々が守ってくれる。非常に暮らしやすい住まいといえた。
ただ、その家にゆくまでの縄ばしごが、なれぬものからすると難儀なのだが。
家屋部分までゆくと階段がつくってあったり渡し橋が架かっていたりと移動には苦労はしないのだが、家の下の数十メートルは他者に簡単に侵入されないように縄ばしごになっており、しかも上から垂らしてもらえないとあがれない。ミハエルはともかく、右手が満足に動かないノルベルトなどは相当難儀な宿となった。
ミハエルが泊まった家は、リリクルらが住まう族長のいる大樹とは別の、アルクスネに近い集落である。
それはつまり、もっともミハエルらの魚の供給の恩恵を受けた人々でもある。
リリクルが戻ったことにも驚いた住民だが、事の顛末を聞き、ミハエルを紹介されたときにはさらに驚き、涙を流さんばかりに感謝の意を述べようと人々が集まってきたのには、当事者であるミハエルやノルベルトもさすがに驚きを隠せなかった。
普段、魚などの魚介類の流通は、帰化したプロンゾ人が担っており、ミハエルが直々にプロンゾ領内に入るのは今回が初めてだったのだ。プロンゾ人が感謝しているのは伝え聞いて知ってはいたが、実際に対面するとここまで敵意などなしに歓待してくれるものだとは想像もしていなかったのだ。プロンゾの老婆など、拝み倒さんばかりの感謝だった。
プロンゾ族のディルツ憎しの感情は、ここまで薄らいでいたのだ。
この二年間は確実に実っていた。
ディルツ騎士団と、プロンゾ族との融和もこれならばうまくゆくだろう。ミハエルらの一抹の不安は確信へとかわったのだった。
初めてのプロンゾ領内の訪問に、幸先のよい交流となった。
家屋の窓はすでに開け放たれている。
森の、水蒸気を含んだ清冽な空気を、ミハエルは胸いっぱいに吸い込んだ。
「おう、じゃあ、そろそろいこうか」
同様に礼服に着替えたノルベルト。カバンの中身を確かめていた。
昨夜のプロンゾ人のあまりの熱烈な歓待に、族長との会談でつかうはずだったザーモスをすでに三匹もふるまってしまっていたのだ。あそこまで手厚い歓迎を受ければさすがに返礼しないわけにはいかなかった。とはいえ、まだバルバル海の魚介類も手土産として残っている。量的に不安はあるが、ないよりはましだろう、という気持ちだった。
「ん。準備できたのか」
部屋を出るとリリクルが待っていた。
リリクルはいつもどおりの毛皮をまとった姿だ。
素朴なプロンゾ族に礼服などというものはない。
「ミハエル殿、もう出立されるのか」
集落の長もミハエルを出迎える。
ここは長の家だ。
すでにそれなりの高齢だが、戦士として名をはせたのだろう、堂々たる体躯だった。それほど体に衰えは見せてはいないが、高齢のゆえなのか、温かい柔和な表情だ。プロンゾ族としては珍しいほどだった。
「はい、昨夜は大層なもてなしをいただき、感謝の言葉もございません」
「なんの、ミハエル殿からいただいたものに比べれば、まだまだ………。どうか、族長との会談を成立させてくれ。このような不幸は、早急に終わらせるべきだ」
「はい。必ずや」
差し出された長の手をがっしりと握るミハエル。
30年間、垣間見ることができなかった光景だ。
もはや、和平は時間の問題と思われた。
「長も、達者でな。いや、これからは同胞として手を携えることもあろう、これでお別れというわけでもないな」
「んむ。そうだな。お前らはプロンゾ復興の先駆として馬車馬のように働いてもらうぞ」
「が、頑張ります」
「だっはっは! それはいい! 救国の英雄をこき使おうとは、さすがリリクル様だ! ………それはともかく、ミハエル殿がいなかったら、今日、我々はこうしていられなかっただろう。プロンゾを、救ってくれてありがとう。これからの活躍に、期待している」
深々と頭を下げる長。
「………はい。失望されないよう、頑張ります」
微笑を返すミハエル。
プロンゾの人々が、かつての仇敵に希望を見出す。
ミハエルが、確かに変化をもたらしたのだ。
多くは蛮勇でもって名をはせてきたディルツ騎士団に、確実に新風が吹いていた。
「んむ。ではゆくか」
リリクルが先に立ってゆく。そして縄ばしごを降りる。
「お気をつけて」
見張りのプロンゾ戦士が最大限の敬意を払う。
「はい、ありがとうございます」
ミハエルが縄ばしごを降りようとしたとき。
「ミハエル様ーーーーッ!! また戻ってきてくださいねーー!」
プロンゾの人たちが出迎えに出てきたのだ。そして、若い娘たちが声を張り上げていた。
昨夜の歓待で、ミハエルの秀麗さはすでにプロンゾ集落の噂の的だったのだ。特に若い娘たちの。困ったような笑顔で手を振るミハエルに、娘たちの黄色い歓声が届く。
「残念だな! こいつはすでにわたしのものだ!」
「ええーーーっ、うそーーー!」
「………嘘いわないでくださいね」
縄ばしごの途中でえっへんと大きな胸をはるリリクルに、娘たちのやっかみとも祝福ともとれない声がかえる。そして、小声で非難するミハエルであった。
「………大差はあるまい」
「けっこうあると思います」
「細かいことを気にする奴だな。どうせそうなる」
「………いえ、ならないと思いますよ?」
ミハエルの静かな抗議を聞き流し、とっとと下りるリリクル。ミハエルは見送りにでてくれた集落の人々に深々と頭を下げるとリリクルの後に続くのであった。
馬は、巨大な枯れ木をくりぬいて改造された倉庫の中に入れられている。魔よけ、モンスターよけの香をたいて安全を確保してある。
飼葉を与え、じっくりと世話をしてから騎乗し、出立する。
プロンゾ族に騎乗するという習慣は、当然ない。
樹上生活に馬を使用する機会などないからだ。なので、リリクルは当然のごとくミハエルの後ろにつく。帰化プロンゾ人たちは徒歩だ。
「ここからならあと六時間といったところだろう」
大きな木が広大な森を形成し、足元は枯れ葉で埋もれ、うっそうとしてはいるが馬の通行に支障はない。とはいえ、駆けさせるほどでもないが。
リリクル・プロンゾの帰還と同時に、アルクスネ管区長ミハエルを伴っての和平会談のためビーククト・ブロンゾがいちはやく出立し、プロンゾ族長に意向を伝えに戻っていた。
「で、リリクル嬢よ、族長ってのはどんな感じの人物だい?」
ノルベルトが問う。
「んむ。父グナクト・プロンゾはプロンゾ一の戦士であった。戦闘技量、膂力、体格、すべてが郡を抜いていたな。それも、かつての戦闘で右腕を失って戦場にでることはさすがになくなったが、それでもその迫力たるやいまでも一の戦士であることには変わりない。そして、頑固だ」
「俺らがのこのこでていって、いきなりくびり殺されたりはしねぇよな?」
「………と、いいんだがな」
「おいおい」
「冗談だ、といいたいところだが、族長がその気なら本気でやりかねん。一応、精一杯止めはするが、その時は諦めてくれ」
リリクルの表情にからかいの雰囲気はない。
「………まじで引き返したほうがいいんじゃねぇか?」
「ここまで来て引き返せるか。まあ、ミハエルの名は当然親父とて耳にしている。それに親父もアルクスネやバルバル海の海産物を口にしている。ミハエルの行為をいきなりなかったことにはしないだろう。そうでなかったらわたしとていきなり連れ帰ったりはしないぞ」
「………なら、いいんだがよ。やはり、プロンゾの食料事情はあんまり改善してないんか」
「んむ。ミハエルが一切の殺傷行為を止め魚を廻してくれるようになって、プロンゾも狩りにでるようにはなっているが、依然、三万のプロンゾを養うにはあまりにも領土を失いすぎたしな。この森は住むには最高のゆりかごだが、悲しいかな、食料をそこまで産んでくれるわけではない。あと、親父は頑固者だが、親父とは真反対で我が兄ディディクトは開明的だ。戦士としての戦場にたてなくなった親父にかわって族長の跡を襲うべきものだ。その兄もいるし大丈夫だと、思うぞ」
「ふむ………」
もし、プロンゾが正式にディルツに帰化するようになったとすれば、この三万ものプロンゾ人の生活のめどをたてるのもミハエル、ひいてはノルベルトの仕事になるだろう。
いままでは一方的に収奪するだけだったが、これからはプロンゾの森林を資源として交易にまわし外貨を稼ぐ方策をたてることになるだろう。あとは、一万以上もいる戦士を傭兵として出す、という方法もあるだろう。この時代、戦争はどこかで起こっている。亜人の拡大に、戦士はいくらいても足りない。貧しい村や町で腕に自信があるものがあるものは十字軍に、あるものは傭兵として各地を放浪するのは見慣れた光景だ。まあ、それも本当に和平がなってから、だが。
集落を出立して早足に馬を駆けさせ四時間ほど。小休憩をとってから。
「リリクル様」
ビーククト・ブロンゾが出迎えにでていた。
「おう、出迎えご苦労。よく場所がわかったな」
「はい。ディレル様がこの道をくると、教えてくださいました」
「なるほど」
「ディレル、っていえば、巫女様でしたっけ。予知能力まであるんですか?」
「いや、巫女ディレル婆はこの森でおこる出来事、すべてを知りうるのだ」
さも当然、とリリクルが答える。
「………すさまじいですね」
感嘆の声をあげるミハエル。
「んむ。婆はプロンゾ随一の魔力をもつ。齢100をこえているというが、本人も忘れたといっていた。それほどの齢でありながらまったく衰えを感じさせない驚異的な婆だ。この森に住む神々や妖精、精霊、霊、すべてに干渉することができて、それらから情報を得ることができる。まあ、婆を本気で怒らせなくてよかったなお前ら」
「考えたくもないですね」
「まったくだ。この木々を相手にするなんて、ありえねぇ。ディルツ騎士団の誇る精鋭魔道騎士団でもどうなるか、だな」
木ならば、燃やせばよい。しかし、これほどの大量の木々を燃やすほど魔力がもつかどうか。いや、燃えたとてその燃え盛る木々が止まらなかったらどうする。木が燃えたからと言って、窒息することも火傷で死ぬこともあるまい。燃え盛りながら津波となって怒涛のごとく襲い掛かる木々。圧巻の光景だろうが、少なくとも自分が受けたくはない。
「で、ビーククト、族長や母様はどんな様子であられたか」
「はい、いますぐ帰化に応じるか、はおいておくとしても、ミハエル様には会ってもよい、とのお返事でありました」
「………そうか、重畳だな。少なくとも、族長に挨拶できれば時間はかかろうとも融和はなる。ディルツ騎士団本国の馬鹿どももこれ以上の無法はできん、ってもんだ」
これまでの経緯を考えれば、壮挙といえた。
ちなみに、これまでの行動はすべてディルツ騎士団本国には当たり障りのない報告しか送っていない。食料援助なども人道支援といった程度の、些少な行為というくらいの報告に留めていた。とはいえ、1000名もいれば本国の意向をうけた誰かが内偵を進めているものがいるかもしれないが。しかし、それもプロンゾ帰化が成功すればたいした問題ではあるまい、とノルベルトは思っている。
捨石のごとく据え置かれたアルクスネ管区だけでここまで話をこぎつけたのだ。しかも、犠牲を極力出さないで。本国の援助もないかわりに横槍を入れられることもなく、ここまで話をすすめることができたのだ。
勲章ものの働きといえた。
とはいえ、この歴史的、といってもけっして過言ではない会談を成功に導かねば、すべてが徒労に終わってしまいかねない。
八つ裂きになんかされたかねぇぞ、と思うノルベルトは背中に冷たいものを感じつつも、しかし、決して悲観はしていなかった。
ビーククトと合流して二時間ほど馬を走らせる。すでに族長の支配する集落に入ったらしく、生活する人々が驚愕の声をあげたりしていた。それをリリクルやビーククトが説明する。初のディルツ騎士団との会談ということもあってことを穏便にすませるよう、という風な説明だった。族長集落の人々も当然ミハエルやその周りにいる帰化プロンゾ人のこともしっており、敵意や謝意のないまぜになった複雑な感情の入り乱れた人々とのふれあいとなった。
ミハエルらディルツ騎士団への敵意や謝意もあるし、帰化したプロンゾ人への感情も一様ではなかった。
すでにディルツにて家族をなしたもの、アルクスネで兵士として働くもの、行商など様々な仕事につくもの、すでに帰化したプロンゾ人にもいろいろな立場のものがいる。その中には樹上生活に飽き飽きしたものや、別に生きがいを見出したものだっている。すべてがすべて樹上であることに誇りをもつもの、というわけではないのだ。
そういうプロンゾ人に対して、同胞として頑張ってほしいと思うものもいれば、裏切り者、と隠そうとしない敵意や蔑視の顔をするものもいる。いちはやく帰化すればディルツが保護することにもなるから、嫉妬というか、やっかみに似た感情のものもいた。程度の差こそあれ、そこにはもつもの、もたざるものの格差があるのだ。
帰化したプロンゾ人にももはやディルツ人、という誇りも芽生えつつあって、そういう人たちによる同胞への説得もあれば、新たな対立の火種となることも、ないではなかった。
そうこうしているうちに、ついに族長の住まう大樹が見えた。
プロンゾ族長の住まう樹は樹齢数千年以上といわれる巨大なもので、一説にはこの世が発生したときからこの地に存在するという。
名は『アトゥーレトゥーロ』大地の老人という意味だ。
高さは優に200m、幹周りは30m以上、直径でも10m以上はある。樹齢数千年もあるとされる巨大樹だが、それでも巫女ディレル・ピロンゾの魔力でいまだに成長を続けており青々とした葉を茂らせている。
見た目だけなら現状、世界一高い城といえるだろう。
この樹だけは集落のような構造とは違い、巫女の魔術によって高層建物に仕立てられている。螺旋階段を上るとそこに中に入る扉がありそこから内部にまた螺旋階段が巡っているのだ。途中途中に家屋が作られているが、とはいえ200メートル分ぎっしりと人々が暮らしているわけではなく、族長筋に連なる人々が十数世帯暮らしているだけだ。ビーククトの家族もここで暮らしているが、30年来のディルツ騎士団との戦争によって、多くの空き家が存在している。
生活用水は背後の山からといが渡されてそこから真ん中当たりに接続され各戸に供給されている。トイレは樹の外に作られた螺旋の管におまるを使って入れられ、それが数年を経て地上の小屋に落ちるようにつくられている。管から臭気が漏れるとモンスターを呼び込むことになるため密閉されているが、そこからガスが発生するので、そのガスも定期的に燃料として収集されている。数年を経た排泄物も貴重な肥料となる。水道やガス、汚水処理まで整ったとうてい未開の蛮族とはいえない開明的な住居だった。
「………す、すごい」
見上げたミハエルは言葉がない。近づいている間に、リリクルに説明を受けていたのだ。
「首が疲れてきたぜ。まさか、族長ってのがこんなすごい宮殿におわしたとはな。どんな王侯貴族だってこんな立派な城には住んでねぇよ」
石造りの堅城なら各地にあるし、山の上につくられた城ならこれ以上に高い城もないわけではないだろう。しかし、自立した状態の住居、となるとここ以上はない。
「ふっふ。もっと驚いていいんだぞ。ちなみに、頂上には祭礼用の祭壇がしつらえてある。夏にはご先祖様の御霊を呼び寄せる盛大なお祭りがあるんだ。祭壇で灯りを焚いてご先祖様の道しるべとなすのだ。それは見事なものだぞ。それに付随して怖いのが火災だな。なので火の取り扱いに関しては厳重の上にも厳重に取り決めがなされている」
「だろうなぁ………」
すべて樹だ。燃えたらさぞかし壮絶なことになるだろう。
「もちろん、ディレル婆が目を光らせてはいるがな。正確には使役する霊たち、となるが。とはいえ、婆におんぶにだっこというわけにはいかんから、火の取り扱いの掟は相当に厳しい。違反すれば一族残らず腕きりとなる」
「おっかねぇなぁ………」
両手を切られたらもはや生きてはゆけない。それほどの厳罰を科せられるのだ。とはいえ、厳しすぎる、という感じはしなかった。
「まあ、だから我々は相当寒いときでも毛皮を何重にもまとって、炊事以外では火を扱わないようにしているけどな。リリクルだ! 帰ったぞ!」
見張りの兵士たちにいう。
帰化したプロンゾ人たちはここで待って、ビーククトだけが付き従う。
「おかえりなさいませ、リリクル様」
すでに来訪の報に接していた兵士たちはミハエルたちをみて緊張の面持ちだ。
ミハエルらに、というのではない。
「親父の怒声に緊張しているんだ」
螺旋階段を上りながら、リリクルが説明した。
「ここまで届くんですか………?」
族長の部屋がどこにあるかは分からないが、きっと数十メートルは離れているはずだ。
「んむ」
神妙な面持ちでうなずくリリクル。
会談が決裂したら、その族長の怒声が響くことになるのか。その間近で浴びることになるかもしれないノルベルトは軽く頭痛を覚えた。
螺旋階段を上って、警備につく兵士が扉を開ける。集落と違って扉があるのは、警備に絶対の自信がある証拠だった。どんなものとて中にはいれない、という自負が、地上部分に扉をつくらせたのだ。
疑いもなく、そこはプロンゾの心臓部、中心部なのだ。ミハエルとても、緊張しないではいられなかった。
「ディルツ騎士団のご使者到着ー!」
兵士が声をあげる。すると、その内部でも同様の声が連続して続いてゆく。
内部の螺旋階段を上がる。その途中途中にある各戸から、恐る恐る覗き込む人々があった。子供たちなどが好奇心をおさえられずに扉を薄く開けてみていたのだ。それを母親らしきひとがひっぱって扉を閉める。
住居部分の途中では見張り所もあった。200メートル級の大巨木ともあって枝もそれに見合った巨大なもので、その枝をくりぬいて見張り所となし兵士が立っているのだ。ところどころに穴をあけ監視窓となっていた。それらの兵士も緊張の面持ちだった。いままで殺し合いをしてきたものたちとの初めての平和的な会談だ。内心複雑な感情が渦巻いていた。
後ろから刺されやしねぇだろうな、とノルベルトなどは気が気ではなかった。
「ところで、リリクルさん………?」
「なんだ?」
「さっきから思ってたんですが、この螺旋階段、大きくないですか?」
ミハエルが問う。
「そういや、そうだな」
ノルベルトも同意する。螺旋階段は筒状に伸びているが、その高さはゆうに四、五メートルはある。それが緩やかな角度で階段が作られている。普通ならそこまで高く作りはしない。
「………そのうちわかる」
またもや神妙な面持ちのリリクルに、ミハエルもさすがに黙る。
二十分近くのぼっただろうか。
屈強をもってなる兵士といえどさすがに荷物を抱えての階段での移動にノルベルトも疲労を感じだしたころ。
視野が開ける。大広間へといたったのだ。
「ディルツ騎士団のご使者到着!」
警備の兵士が声をあげる。
ミハエルの目に飛び込んできたのは居並ぶプロンゾの人々、そしてまず目に飛び込んできたのは奥に座っている族長と思しき人物だ。
座っているはずだ。
しかし、座っているだけでもその巨体の存在感が半端ではなかった。
ヒグマか………?
ノルベルトは素直にそう思った。
「よく来た」
静かにそういい、立ち上がるヒグマ、もとい族長。
身長は三メートルを超える。立ち上がったその威圧感は、まさしくヒグマが両手を広げた様に等しい。
顔つきはオーガと言われてもそのまま信じそうなくらいの鬼顔だ。猛々しい、などという形容でおさまりきっていない。筋肉の隆々たる様もオーガに勝るとも劣らない。人の身でそんな肉体が可能なのか、と疑わざるをえないレベルだ。しかも、それだけでなく子供とおぼしき上位ドラゴンの革を鎧のようにしてまとっていた。子供といえど、龍鱗は鋼を上回る強度をもつ。下手なミスリル銀甲冑よりも強固な防御を誇る。上位ドラゴンは非常に希少な種族でめったにいない。当然、その子供ともなれば巣で親が死に物狂いで守る。一生出会うこともないほど希少なものだ。そのドラゴンの巣を襲撃して狩った、という誇示もあるのだろう。
この男に比べれば、ディルツ騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンもまだまだ人の子だった。レオポルトに怒られてもまだ何とかなるが、この男に怒られれば即座に食われる。そう思わずにはいられなかった。
ミハエルらが友好を示すべく丸腰、無武装で現れたのに、この大広間に居並ぶプロンゾ人のなか、警備の兵士を除けば族長だけは完全武装だ。背後の壁には巨大な蛮刀がかけられておりいつでも襲い掛かれる勢いだ。その姿格好を見ただけで言わんとしていることがわかった。
「わしがプロンゾ族、族長グナクト・プロンゾだ」
緊張と恐怖のあまり、ごくり、とノルベルトはつばを飲み込む。
プロンゾ族長との直接会談が始まった。