鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (二十一)
5/17 誤字やら訂正。
「死にさらせやァッッ!!」
屈強な海賊で周囲を取り囲んでいるにもかかわらず、誰よりも真っ先に、袈裟斬りに切りかかる船長。
しかし、歴戦の船長とて誤算があった。
それは、酔っ払っていたこと。
しこたま飲んでいたこともあって、本来の身体能力が十全に活かしきれていなかった。それもあって、先程のブーメランフックにもすべての力が入っていなかったのである。もし、酒がまったく入っていなかったらノルベルト・グリモワールとて、一瞬の気絶ではすまなかったはずである。
そして、誤算のもうひとつが、冷静さを欠いていたことである。
ここまでおちょくられて誰よりも真っ先に切りかかるほど、船長は冷静さを欠いていた。ノルベルトの煽りに逆上し、本来ならばもっと冷徹なはずの男はいきり立って正常な判断を失っていた。酒のせいで勢いだけで突っ走ってしまっていたのである。
さらに、相手が悪かった。
一メートルの曲刀を振り回せば、普通のものならすくみあがって身動きもとれなかったであろう。
そう。普通のものなら。
ノルベルトは、船長の酔いがかなりのものであることを理解していた。それに対して、自分はすでに酒は抜けている。酒場を出てすでに小二時間ほど経っていた。動きが鈍くなるほど酒は残ってはいない。そして、酒が入った勢いで軽々しく挑発に乗ってしまうほど冷静さを失っていることを完璧に把握していたのだ。
そんな状態で長大な曲刀をただ激情に駆られて振り回すという迂闊な行動にでた。軽く小ぶりな剣に較べて、長大で重い剣は一度振り回すと勢いが殺せない。本来の船長の経験からなら、猪突猛進してよい相手かどうか見極められることができたはずだ。それが、酔いと赫怒によって完全に正常な理解を失っていたのである。こんな好機を見逃すようなノルベルトではなかった。
袈裟斬りに切りかかってくる船長の動きを、完璧に捉えていた。武器がない状態であったとしても、決定的な不利などではない。武器を失った状態で敵と組することなど戦場ではいくらでもある。しかも、相手は酔っていて、酔った勢いもあって感情を爆発させているのだ。これほど御しやすい敵はいなかった。
瞬時に、懐に潜り込み右腕をつかむ。
「ふんッ!」
「ぬはァッ!?」
そして、右腕をとっての、華麗な投げ。
豪快な一本背負いだった。
ドダァッ!
完全に油断して満足に受身が取れず、固い甲板に叩きつけられる。
「グフォッ!!」
肺の空気をすべて吐き出した苦鳴。体格のよい船長の体重は推定で100キロ以上。その、自身の体重も加わって甲板に叩きつけられた衝撃で完全に動きが止まり、視界が明滅する。気絶寸前だった。
「野郎!!」
このままでは船長が捕虜となってしまう。危機を察した、船長の横にいた副官らしき歴戦の海賊が直ちに動く。左目に眼帯をつけた男だ。船長程ではないが、亜人か魔物の革の鎧を着込んだ歴戦の海賊だった。
さらに副官が動いたのを見て、右側から二名、左側から一名、もっとも戦闘になれた手練れがノルベルトに襲い掛かって来た。
船長を背負い投げしたノルベルトからすれば、副官は背後になる。
副官は船長ほど激してはおらず、包囲した場合のもっとも周囲の邪魔になりづらい攻撃を仕掛けてきた。突きだ。襲った哀れな獲物から奪ったのか、見事な細工の施された美麗な直刀サーベルで突いてくる。美麗だがただの装飾品ではなく刀身は太く実用性が高い。ちらり、と後ろの副官の動きを見るノルベルト、サーベルがわき腹に突き刺さる、まさにその時、サーベルをよけつつ後ろ回し蹴りを放った。
かかとがアゴをとらえ、見事に吹っ飛ぶ副官。
そしてすかさず体勢を整える。左から襲い掛かってきた海賊はノルベルトの足を狙って短槍で高速のなぎ払いを仕掛けてくる。その短槍を飛び回し蹴りでよけつつ側頭部をぶったたく。空中で一回転して完璧に頭部を捉えた動きは、芸術的なまでに美しい。副官と左側から襲いかかる海賊への連続蹴り技は、まるで武芸をみているかのように流麗で洗練された動きだった。
しかし、次の瞬間、視界の端に弩が発射されたのをほとんど偶然捉えた。
目で追うことが困難な高速で飛来する弩の矢を、無理矢理体勢を崩してかわす。
近距離にいる弩から発射された矢を見てから避けるなどという芸当はノルベルトだからこそなしえた行為だろう。ほとんどのものなら、見てはいてもそこまで体が迅速に対応できない。とはいえ、正確に胸部を狙って飛来してきた矢を、無理矢理に避けた影響で体勢が大きく崩れた。そこを見逃すベテラン海賊ではなかった。
副官と同様、強力な突きを放ってくる。
たたっ、と何とか足を入れ替えて体勢を整え、右側から襲い掛かるベテラン海賊の剣を避けると、くるりと一回転し、左のひじをこめかみに叩き込む。だが、避けるのに精一杯で、背後から襲い掛かるもう一人の斬撃には対処できなかった。
背中を向けてほっと息をついたノルベルトに、重いロングソードが迫る。
強力な斬撃が背中に叩き込まれる、まさにその瞬間、弩の矢をかわして体勢を崩したノルベルトを援護するべく、ガンタニ・ティーリウムが捨て身で海賊にタックルする。
ザリッ
「くっ!」
だが、一歩遅かった。
ガンタニの決死のタックルは一歩間に合わず、ノルベルトは背中に斬撃を受けてしまう。しかし、海賊はタックルを受け、体勢を崩してしまい致命的な一撃は何とか逃れた。
次々と弩から放たれる斉射をかわし、ガンタニともども倒れ伏す海賊の右腕を力いっぱい踏んづけ、ロングソードを奪うと、有無を言わさず倒れ伏す海賊のぼんのくぼ、首の裏側にロングソードを突き立てる。そして、すかさずガンタニの後ろ手の拘束を解く。
「助かったぜ」
「間に合わなかった………」
猿轡を剥ぎ取って、紫色に変色した腕をさすりつつ、ガンタニが申し訳なさげに言う。
「なに、十分だ」
飛来する弩からの矢を剣ではじき、襲い掛かる海賊をほとんどついでで斬り倒し、倒れる副官の息の根を止めるとサーベルを拾い上げ、天高く放り上げる。
放り上げられたサーベルは、ガッ、と甲板に突き刺さった。その意味が分からないディルツ騎士はここにはいない。
甲板に突き立てられたサーベルでただちに拘束された縄を切るバルマン・タイドゥア、ヨハン・ウランゲル。さらに、ノルベルトは倒れるベテラン海賊の首に剣を突き立てると、転がる短槍をガンタニに向かって投げ渡す。トライデントを振りかぶってきた海賊が襲い掛かる、しかし、トライデントの木製の柄を瞬時にばらばらに斬ってそのままの勢いで首を斬って頭を落とす。
拘束からようやく開放されたバルマンはサーベルを抜き放ち、猿轡を斬ると、
「動かないで」
剣を一振り、正確にヨハンの猿轡も切り落とした。確かな腕がないとなかなか出来ない芸当だ。受けたヨハンも、仲間を、バルマンを信頼しているので一切の恐れもなく猿轡を切り落とす一連の行動に身を任せていた。
「助かりました」
ヨハンの拘束が解かれ、ノルベルトは手にもっていたロングソードをヨハンに投げ渡す。弓の扱いにもっとも慣れているとはいえ、剣が扱えないわけではない。痺れた腕で、剣を振り感覚を確かめるヨハンに、短槍の重心を確認するガンタニ。恐らく、王侯貴族用にしつらえられたであろう美麗なサーベルを振って気に入った様子のバルマン。
「よし。お前ら、死んだぞ?」
にやり、と笑うノルベルト。
背中の傷が激しく痛む。出血も無視していいレベルではない。早く片付けないと命に関わる。だが、すでに勝敗は決したようなものだった。この四人が拘束から逃れ、しかも武器を手に取ったのだ。周囲は強力な亜人ではない。ただの海賊。雑魚だ。
「こ、殺せ殺せ!!」
へたり込んでいたフードの男が無様に逃げつつ叫ぶ。
しかし、すでに立場は逆転していた。襲い掛かるよりも防戦一方な海賊。バルマンとガンタニがこれまでの鬱憤を晴らすかのごとく海賊を打ち倒す。
「クソッ、なめやがって」
肺の空気をすべて失うほどの衝撃から、ようよう立ち上がる船長。しかし。
「………寝てろ」
ゴツッ
船長の頭をつかんでの、ノルベルトの強烈な膝蹴り。
「グハ………」
背負い投げにはなんとか耐えた船長も、さすがに気を失う。
ノルベルトは船長のもっていた長大な曲刀を振り上げた。
「そいつらに手を出してみろ、殺すぞ!!」
「ひぃっ!」
子供たちを使って脅しにしようとした船員の動きが止まる。幸いというべきか、子供たちを取り囲んでいたのは新米海賊たちだ。ノルベルトの気迫一発ですくみ上がった。その間に、気絶した船長を、ヨハンが縄で縛る。
ずい、と曲刀を肩にかついで歩み始めるノルベルト。子供たちを包囲しようとしていた海賊たちが、気おされて後ずさる。弩や弓を捨て、新米たちは抗戦の意思を捨てる。新米たちはそれですっかりすくみあがってしまった。だが、ベテランたちはそれでも継戦の意思は捨てない。
次の弩の矢を装填しようとしていたベテラン海賊たち。弩は非常に強力だが装填に時間が掛かるのが難点で、しかもこんな狭い船内でのうのうと次の矢を装填していればどうなるかは言うまでもない。
だっ、と駆けるバルマン。
弩や弓をもった海賊を守るべく、曲刀をもった海賊が立ちはだかるがあまりにも戦闘能力に差があった。
数合打ち合っただけで次々に倒れる海賊。
弓で矢を放つ海賊がいるも、不意をつけないのなら回避は容易だった。船尾楼の階段を駆け上がり弓を構える海賊たちを打ち倒す。
ガンタニは短槍を使った神速の突き。バルマン同様、受けた海賊はさしたる抵抗も出来ずに胸や腹を貫かれ、次々に命を散らしてゆく。
「こっ、殺さないでくれ!」
自分たちよりはるかに強いはずのベテランが手もなくひねられ、新米海賊たちは悲鳴をあげるように降伏した。船首楼にたどりつく頃にはもはや抵抗するものはいなかった。
さすがに、降参した新米海賊を問答無用で打ち倒す気にはならず、バルマン、ガンタニは周囲を警戒しつつ武器を下ろす。
「大丈夫か、お前ら」
一塊で縛られていた縄を切り、子供たちを開放するノルベルト。
「こ、怖かったです!」
「もう駄目かと思ったぁ!」
「これで大丈夫なんですよね!?」
口々に泣き叫び、安堵の声をあげる子供たち。あの利発な子、エルンスさんちのルドルート坊、もこの前の知的な雰囲気もどこへやら、涙やら鼻水やらででろでろになっていた。わっ、とそのでろでろになった顔のままルドルードがノルベルトにしがみつく。一瞬、げんなりとした顔をするノルベルト。汚ねぇなぁ。とも言えない。
「いや、残念だが、これで終ったわけじゃねぇ。この包囲を突破しないことには、家には帰れねぇ」
「そ、そんな………」
「とりあえず、こっちに来い」
子供たちを従え、倒れ付す船長のところに戻る。
「いいか、俺たちの後ろに隠れていろ。絶対、動いたり顔を出したりするんじゃねぇぞ」
「は、はい」
側舷と船長の間に子供たちを伏せさせる。船長がのびている間は矢が飛んできても船長の体で矢を防ぐことができる。船長を縛り終えたヨハンが子供たちを守るべく立つ。
「さて、これで決まりだな。このまま船をルルサマに戻せば船長は無傷で返してやる」
すでに船長は捕縛され、ベテラン海賊はあらかた打ち倒された。残っているのは戦闘経験も継戦する戦意もない新米だけ。新米たちは降参の意思を示し手をあげている。この船で戦えるものはもはやいない。
「そ、そんなこと、出来るわけがねぇだろ。それに、船長は人質であると同時に、お前たちの命綱だ。船長を殺せばどうなるか、わからないほど馬鹿でもあるまい。周りを見てみろ」
フードの男が、怯えつつも、周囲の船を見てそれでも何とか強がりを言う。
「………」
周囲の四隻の船ではすでに弓や弩を構えた海賊が側舷に張り付いていた。しかも、船を寄せつつある。接舷して乗り込むつもりだろう。
船長が殺されれば、その瞬間100以上の矢は一斉に放たれる。四隻から襲い掛かる矢をかわしながら、子供たちを守ることが出来るのか、さすがのノルベルトも余談は許されない。とはいえ、子供たちは側舷と人質にとった船長の間にうずくまっている。周囲の矢からは守られ、船長の体が盾となって少しは矢は防げる。
すでにほぼ船は制圧したも同然。後は、周囲の船に対する警戒を怠らなければいい。コボルドを相手にした時に較べれば、そこまで絶望的な状況ではなくなった。後ろ手に縛られ、座らされてたという最悪の状況は完全に去ったのだ。
「かもな。だが、大事なことを忘れてねぇか?」
「何が、だよ………」
「この船を無力化するのにどれほど時間がかかったと思ってるんだ? 有象無象が数そろえたからって、俺たちに勝てるとでも思ってんのかよ?」
「………だったら、どうするんだよ。俺たち全員殺すまで戦うつもりかよ」
「俺たちは、どっちでもいいんだぜ? 船長の命が惜しいか、皆殺しにされるのがいいか、お前たちが決めろや」
すでに、船長は捕らえられ、ベテラン海賊はあらかた死んでしまった。
いくら周囲を船がとり囲み逃げられないとはいえ、たった4人で50人の船員を完全に無力化したのだ。これ以上続けてもどうなるか、誰の脳裏にも結果は見えていた。
「………くそっ」
もはや答えは出たに等しい。
後は、それを素直に認めるか、抵抗するか、しかない。
フードの男は、新米海賊たちを見、いまだ気絶した船長を見、周囲の船を見る。
100の矢があろうと、100の船員がいまだいようと、結果が覆るであろうという予測は立てられなかった。そう予想している時点で負けを認めているに等しい。諦めのため息をついた。
「………わかった」
「よし。できれば、これ以上関わらない方が、俺たちのためじゃなくて、お前たちのためだぜ」
凄みを利かす。
できれば本当に、諦めてほしい、というのがノルベルトの本音だった。
「言っておく」
ローブの男が強い意思を込めた目を向ける。
「亜人たちをなめるなよ。次こそ必ず、お前たちを殺すからな」
「………吐いた唾飲むんじゃねぇぞ」
内心ため息をつくノルベルト。
次は亜人海賊との戦闘か。
背中の痛みが増した気がした。しかし、時間が稼げるのはありがたい。
増援がやってくるのは、何も敵だけじゃない。
次こそ、海賊を完膚なきまで叩き潰せるはずだ。
背中の傷に手をやり、はやく魔法で治してほしいなぁ、としみじみと思った。




