鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (二十)
5/17 誤字やら色々訂正。
「へっ。今の気分はどうだよ? 騎士さんよ」
ごりっ、と靴をノルベルト・グリモワールの頭に押し付けるフードの男。
ノルベルトたちは後ろ手に縛られ、猿轡をかまされて船に座らされていた。周囲にはいかにも、な男たち。ふへへ、といかにもな下卑た笑いをあげていた。
ここは船上。
子供たちをエサにノルベルトたちの抵抗を封じたローブの男に促された先。ルルサマの港町を北に進んだ岬に海賊のカッターボートが待機しており、その後、海上で待ち構えていた海賊船に連行された。
海賊船の総数は五隻。一隻あたり20~30人はおり、総数150人以上。
ノルベルトたちが乗せられたのは五隻の中でも大きい指揮官が乗る帆船だった。大きいだけあって他より船員が多い。50人はいるだろう。そこには別の船でさらわれたのか、海賊によって五人の子供たちが縛られ転がされていた。
もはや正体を隠しもしない海賊に囲まれ、子供たちはおびえ、泣いていた。
大丈夫か、と声をかけようにも、猿轡が痛いぐらいにかまされ、何とも声の発しようもない。子供たちにとって頼みの綱ともなるべきノルベルトたちがこんな有様なので、なおさら子供たちは絶望のそこに沈んだ。
万事休すであった。
さすがのノルベルトも、腹をくくった。
「ほんとにこいつらが俺らに逆らった愚か者なのか?」
船長と思しき屈強な男が大きな木のコップ片手に問う。子供と四人の騎士をさらうだけの簡単な仕事だと思っているのだろう、しかも、それも完璧に遂行したせいか、ビールをがぶがぶ飲んでおりすでに出来上がっていた。
「はい。間違いありません」
「ふぅむ………? 運搬役を含め、マツェーラ・デ・ルバッロのアジトが捜索を受けたそうだが………ほんとうにこいつらがそんな大それた事をなぁ?」
ノルベルトを含め、バルマン・タイドゥア、ガンタニ・ティーリウム、ヨハン・ウランゲルをじろじろと値踏みする船長。
爬虫類系のものとおぼしき亜人か魔物の革で作られた革鎧を身にまとう、一見しただけで堅固な装甲であることがわかる。それでいて動きを阻害するほどの重さもなさそうだ。船上で戦うのに適した鎧であると思われた。革鎧は数多の血を浴び、それが風化したのかどす黒い色合いをなし、さらに脂が嫌なてかりを放っていた。近寄るとおぞましい匂いがした。
腰には長大な曲刀を抜き身で下げており、一メートルはありそうなその曲刀も様になっていた。これも数多の血を吸ったのだろう、刃の部分は変色してはいるが手入れは欠かさないと見える。錆びはなく磨き上げられていた。持ち主の性格を示していた。
頭の頭頂部は見事なまでに禿げ上がっているが、側頭部は毛が残りそれを伸ばしまくって後ろにまとめていた。さらに、頬やアゴに豪勢なヒゲを蓄えている。
筋肉隆々、身長190cmはある体躯は立派で、肌が見える体のいたるところに矢傷や刀傷の痕が残っている。ノルベルトと同様、数多の戦場を疾駆した男だ。体つき、装備、雰囲気、すべてが重厚で目に、力があった。
酔ってはいるが、決して侮れないつわものであることが見て取れた。ビールをあおるその仕草にも、無骨な威厳が漂っていた。
ノルベルトは、ますます死に近づいたことを自覚し、嫌な汗が流れるのを感じた。
子供たちをさらった、ということは間違いなく亜人の渦巻く暗黒大陸に行くはずだ。
その途中で自分たちを始末するか、子供たち同様に亜人のえさにするか、奴隷として売り払うか。
海賊にも利になるのが奴隷として売り払うことだが、報復が主目的だ。まず、十中八九はなぶり殺しになるだろう。それも、尊厳を木っ端微塵に打ち砕く、苦痛と絶望にのた打ち回る死が待っているのだろう。戦場では別に珍しい光景ではないし、自分も敵にとっつかまればそんな目にあうことぐらいの覚悟はある。だが、今際の際ともなれば、悪あがきで一暴れして一人でも地獄の道連れにしてやるもりだが、相手が悪かった。
何が悪いといって、縛っているロープだ。
船で使うロープは亜麻やサイザル麻でできており、ちんけな藁などを使ったロープとは比べ物にならない強度をもつ。さすがに船で使うようなロープはノルベルトと言えどびくともしなかった。これまで黙って力を込めてはいたが、まったく切れる様子はなかった。しかも、さすが本職なのか縛り方も上手く手も足も出ないとはまさにこのことだった。
あの船長があっさり片付けるつもりなら、ほとんど抵抗も出来ず首をはねられるだろう。完全な状態なら五分以上の戦いをみせる自信がある。いくら経験豊富な男といえど、しょせん海賊と本物の騎士だ。格が違う。だが、後ろ手に縛られ、うずくまり、完全に包囲された状況ではいかんともしがたい。変なそぶりを見せた瞬間、あの曲刀は野蛮なきらめきを発するだろう。
それでも、わずかな隙でも見逃さない、と、必死に生をあがいてチャンスを待つ。ちらり、とバルマンやガンタニ、ヨハンを見る。
誰もが、いまだ死に泥んではいなかった。目に輝きが失せていない。
さすがだ。
こんな状況に放り込まれて、誰も絶望に沈んでいない。
諦めの悪さは、まさしく正しいディルツ騎士だ。
猿轡をかまされているにも関わらず、ノルベルトはにや、と頬を吊り上げた。こうでもして、無理やりにでも気を高めるのだ。
「はい。情報に間違いはありません。で、上からの指示ではマストに逆さ磔にしろ、との事ですが」
それを聞いたノルベルトたちの表情がゆがむ。
逆さ磔は拷問のひとつで、逆さに縛って放置することで脳に血がたまり恐ろしい苦痛にさいなまれるというものだ。そのまま放っておくと血圧でほどなく死んでしまうため、血管を切って血を流すことで苦痛を長引かせるという方法もある。
「ふぅむ。上からの指示は了承した。だが、ここはこっちの領分だ。こっちで決める」
ノルベルトたちに視線を落としたまま、船長はポツリと言う。
「上の指示を無視したら、また怒られますよ」
「文句があるのならここまで来いといってやれ。ここは、俺たちの仕事場だ。俺たちの流儀で決める。それが、契約だったはずだ」
「………はぁ」
フードの男も説得を諦める。
状況が上向いてきた。ノルベルトはさらに頬を吊り上げた。
フードの男の属する組織と海賊たちは、どうやら契約で結ばれた関係らしい。周囲の海賊集団も、船長の意見に大きくうなずいていた。人の縄張りに口出しするな、ということだろう。さもありなん、といった感じだ。騎士団も縄張り意識がある。その点はどこも同じらしい。
「………では、どうするんですか?」
「そうさな。新人どもの矢の的にしてもいいし、ペットの大王ダコのえさって手もあるな。いや、せっかくだ。この前仕留めそこなった海龍を釣る生餌が一番か」
がっくり。
どれもろくなもんじゃねぇ、とノルベルトはうなだれた。
しかし、新人、ね。
と、それでもノルベルトは周囲に視線を巡らす。確かに、船長の周りは屈強な、むくつけき、風呂なんて人生で数回しか入った事がないんだろ、と言いたくなるような男たちを遠巻きに、まだ若い、フランコ・ビニデンと同程度の年齢の、実戦経験の乏しい、漁師をスカウトしてきましたといった風情の若造たちがいた。二十名近くはいるか。
海賊だからとて、すべて実戦経験豊富な荒くれ者ではないらしい。これだけの数の敵に囲まれて見逃していたが、実態はそうでもなかった。船はとにかく人手がいる。帆を張るのも命がけだ。実戦経験に乏しい若造といえど、いてもらわないと困るのだろう。
「まあ、ぶち殺すんでしたら、方法は何でもいいんですが………」
「そうだ。どうせ殺しちまうんだったら、面白い方がいいだろ?」
にたぁ、と笑みを浮かべる船長。
まっすぐにノルベルトを見下ろしていた。
船長は、強い。間違いなく。そんな、自分の腕に絶対の自信をもつ男が、うわさだけに聞くアジトを襲った騎士とやらがどの程度の腕前をもつのか、興味をもたないわけはなかったのだ。先程の値踏みの視線も、そういう視線だったのだ。
ここだ。
渾身の眼光を放つノルベルト。
「もが、もが、もが! もが!」
猿轡をかまされながらも声を上げる。
「うるせぇ!」
「ほう。その目つき。随分威勢がいいじゃねぇか。おい、とってやれ」
「ですが………」
「俺が恩情をかける、とでも言いてぇのか?」
フードの男を威圧する船長。
「い、いえ」
戸惑うフードの男に代わって、ノルベルトの猿轡を外す船員。
「ふえぇ。きつかった、やっと口だけは開放されたぜ」
「ほほぉ、この状況で、大した度胸だ。やはり、ただのひじき野郎じゃあないようだな」
値踏みをするように、あごひげに手をかけ思案顔の船長。にた、と笑う。
「まぁな」
船長以上の、壮絶な笑みを浮かべるノルベルト。虚勢だとしても、すさまじい笑みだった。
「ふん、マツェーラ・デ・ルバッロのアジトに襲い掛かる、なんて野郎共だ。そうこなくっちゃな。このままなぶり殺しでは面白くねぇし、お前らもただ死ぬより最後まであがいた方が納得がいくだろ」
「せ、船長!」
「黙ってろ!!」
「………いいのかい?」
ぽつり、と言葉を吐いて、周囲をなめるように見回すノルベルト。
情感たっぷりに。
「どうやらこの中で、一番強いのは俺らしいぜ。最後まであがいたら生き残るのは俺になっちまうだろうな」
ふんっ、と尊大に鼻息をつく。
どこぞの誰ぞの真似だ。
その瞬間、船長の目に殺気がこもった。
尋常ではない眼光を発して、ノルベルトをにらみ、凄絶に笑う。
「おもしれぇじゃねぇか。………立て」
促す。
いきなり切りかかってくるわけではないようだ。そう理解したノルベルトが立ち上がった、その時。
ゴッ!!!
船長の拳が、ノルベルトのアゴにぶちかまされた。
まるで、その瞬間だけ時が止まったかのような錯覚を、船上のすべてのものが感じるほどの一瞬。子供たちが悲鳴をあげた。
痛烈な一撃だった。
並みの人間だったら、その一撃で死んでいてもおかしくはないほどの強烈なブーメランフック。不安定な海の上という環境で鍛えられた強靭な足腰と、丸太のような腕から繰り出される拳は、猛獣すら屠ってしまう一撃だった。
しかし、耐えた。ノルベルトは覚悟を決めていたのだ。
歯を食いしばり、口からしたたる血をそのままに、にやり、と笑う。必死に生を求めて。最後まであがいて、生をもぎ取ると決めたのだ。この程度で崩れ落ちるわけにはいかない。不屈の信念があって初めてなせることだった。とはいえ、正直、殴られた瞬間、意識が軽く吹っ飛んだのだが。
「口ほどには………あるようだな」
「………だろ?」
渾身の一撃を、まさか耐えるものがいようとは思わなかった。
船長も、驚きを隠せず、初めて動揺の表情を見せてしまった。
当然、周囲の船員も、船長の本気の鉄拳に耐え抜くものがいるなどとは夢にも思わず、あっけにとられていた。フードの男にいたっては間近に船長の一撃を目撃して、驚愕のあまり腰が抜けていた。
「俺こそ最強。お前らごとき、俺一人でのしちまうだろうな」
あの拳を耐え抜いたものの、煽り。
何人かが、ごくり、とつばを飲み込んだ。ごまかしようのない事実と、威圧。確かに、言うだけの男なのだ。
「ふ、ふはは」
そんな中、船長が笑う。
「ふははははっ!」
ノルベルトの威圧に少しのまれた自分を叱咤するように、心の底から。
「がーっはっはっはァッ!!」
ひとしきり笑い、天を仰いだ姿勢を元に戻した時、全身から怒りの闘気を放出させた。
「いいだろう………。ここまでなめられて、黙ってられるかよッ!! お前ら! 相手してやれいッ!!」
火がついた。
それは一気に燃え上がる。猛火だ。
「応ゥッ!!!」
屈強な海賊が、怒号を発す。
この世界で、矢の雨の中だろうが白刃きらめく死地だろうが、己の体ひとつでどんな危険な状況下であろうと、船に乗り込み、哀れな獲物を屠ってきたものなのだ。獰猛な猛獣のごとき猛り狂った生き物なのだ。血の滾りを、感じずにいられるわけがないのだ。
ここまで屈辱を受けて黙っていられるようなものが、海賊になど、なるはずがないのだ。
一気に、船長に負けじと眼光に殺気をほとばしらせ、得物を抜き放つ。
ノルベルトに気おされた空気はどこへやら、瞬時に戦場のそれへと変わった。
「おいおい、やる気になったのは分かるが、縛ったまま、ってのはねぇよな?」
一身に海賊たちの殺気を受け、背中の怖気を払いながら、ノルベルト。
「なんだ、そのままでもいけるんじゃねぇのかよ?」
うすら笑う船長。
「一斉にこられて後ろ手で対処できるかよ。せめて縄を切ってくれ」
「………おい」
その後ろ手の男に煽られ、ぶちぎれたとはいえ、確かに後ろ手では面白みがないと判断した船長。船員にノルベルトの縄を断ち切らせた。
「これで、文句はねぇな?」
「ああ。問題ない」
腕をさすり、痺れをとる。紫色になっていた。このまま放っておけば腐っていたかもしれない。ノルベルトですらそうなのだから、他の三人はいうまでもないだろう。
いま、苦境をこじ開け勝利をもぎ取るから、もうちょい我慢してくれ。
バルマン、ガンタニ、ヨハンに視線を送る。
三人も、ノルベルトに全幅の信頼をおいていた。不安な顔など、微塵もださない。
それどころか、そのまま殺しておけば良かったものを、煽られて、激情にかられて、ノルベルトを放ってしまった。束縛を解いてしまったのだ。
それがどんな結果を生むか。
思い知ることになるだろう。
視線だけで、ノルベルトたちは会話した。
「で? 最後に残す言葉があるんなら、聞いといてやるぞ?」
ノルベルトたちの思いなど知るよしもなく、余裕の笑みを取り戻す船長。
「そうだな。ま、この程度、ルルサマのワインのようなもんだ、とでも残してくれや」
「………どういうことだ」
「軽く飲み干せて、おかわりが欲しくなる、って事だよ」
ふっ、と勝ち誇る。
そんなノルベルトを見やって。
しばし、うつむき、沈黙に落ちる船長。
先程を上回る激情をほとばしらせる。
「言いたいことは、それだけだな。………なら、死にさらせやァッッ!!」
ためにためた怒りが、ついに爆発した。




