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天と地と人  作者: 豊臣 亨
序章  騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード
3/49

騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (三)

5/12 誤字やら訂正




「………いや、迷惑をかけた」


 事態の収束を終えたあと。


 リリクル・プロンゾは執務室にてミハエルとノルベルト・グリモワールに頭を下げていた。リリクルの横には副官として常に側にしたがっていたビーククト・ブロンゾも控えていた。


 襲撃したものの説明を終えたのだ。


 襲撃犯はリリクルの妹、ミミクル・プロンゾ。そして、神格のケット・シーのニーモ。一人と一柱は1000人の騎士らを眠らせて、リリクルの安全を確かめるととっとと帰還した。要は、それだけである。


 しかし、それだけでもとんでもない話ではあった。


 ビーククトは本日の輸送馬車襲撃に参加していたが事態の不利をさとって真っ先にリリクルを逃がしたあと時間稼ぎをするべくミハエルと戦闘を挑んでいた。だが、まるで赤子の手をひねるかのごとくに打ち負かされていたのだ。しかもすでにミハエルとは二度も戦って手も足もでなかった経緯がある。


 年は37。歴戦の勇士として名をはせ、ディルツ騎士団との戦闘でも常に活躍をし、プロンゾ族長筋とは近縁でもあるし戦士としての経験と力量を見込まれてリリクルの副官として抜擢されていた。だが、ミハエルにはまったく通用しなかった。一度目なら若い騎士風情が、となめてかかっていたのだが、当然、二度目ともあれば油断も慢心もない、それどころか屈辱を晴らさんと決死の覚悟で挑んだのだ。だが、そんなビーククトの決意をあざ笑うかのごときミハエルの次元の違う強さに、戦士としての誇りもなにもかもすっかり打ち砕かれていた。


 しかも、その後のリリクルの驚天動地の叛心である。プロンゾ族の誰も、リリクルの胸中など知る由もなかったのだ。


 しかし、ミハエルの驚異的な強さ、プロンゾの今後の運命を考えると、リリクルのようにディルツ融和をすすめるべきなのではないか、と徐々に思考が変化していたのも事実であり、リリクルと行動を共にすることにしたのだ。


 プロンゾはこのまま滅びるべきさだめにあるのであろうか。いや、そうではなく、もし、リリクルの決意がプロンゾ族の命運を切り開く重大な選択であったとしたら、副官として補佐すべきは、まさに今なのではないか。平均的なプロンゾ人としてかたくなな思考をもつビーククトであったが、リリクルの思い切った、はっきりいえば気でも狂ったか、と当初は思った行動にも理解を示し始めていた。


 ちなみに、ミミクル襲撃の時にはほかのプロンゾ人と同様、歓迎の宴の真っ最中だった。ディルツ騎士、兵士がばったばたと倒れる中、プロンゾ人は魔法に耐性があるので眠らなかった。リリクルと同様の思考で、襲撃犯と戦うべきなのか、襲撃犯が同胞ならば協調すべきなのか判断がつかなかったのである。もし、襲撃犯が本当に同胞ならば、仲良く酒盛りをしていたのがばれたら面倒なことになるな、と考えていたくらいだ。


「いえ、何事もなかったのですから問題はないですよ」


 朗らかに微笑むミハエル。


 問題がないわけではない。


 ディルツ本国から遠く離れた小さな駐留砦とはいえ、そこはれっきとした軍事施設である。


 ディルツ騎士、兵士が1000人規模で駐留していながら、たった一人と一柱の仕業とはいえあっけなく全員が一瞬にして無力化されてしまっていたのだ。他国は当然、本国にだって軽々しく報告できることではない。もしこれが本当に敵意、悪意ある集団の侵入工作であったのならば、いまごろ皆殺しの憂き目にあっていた筈だ。ミハエルはともかく、ノルベルトは深刻に受け止めてはいた。


 とはいえ、ミハエルやノルベルトに重大なる非がある訳でもない。


 ディルツ騎士団が古プロンゾ族と戦争状態に突入して30年あまり。その間、プロンゾ族から魔法攻撃を受けたことはただの一度もなかったのである。油断していたわけではないが、しかし警戒していたわけでもなかった。


 さらにいうと、二年前のアルクスネ防衛戦においてディルツ騎士団は戦力の半分も損害を受けるほどの大ダメージをこうむってしまったのである。1000人しかいないような、しかも魔法を使用する能力がないと思っているプロンゾ族への警戒に魔法使いなどはただの一人も割く余裕などないのである。


 そもそも、アルクスネ攻防戦において大打撃をこうむったディルツ騎士団首脳部が考えたのは、ディルツ騎士団回復までの時間稼ぎとして、という考えと同時に、アルクスネ砦は捨石でもかまわないという腹だったのだ。プロンゾ戦士は追い詰められれば恐るべき反攻をみせる。このままプロンゾ族を追い詰めれば、いつまた攻防戦の悲劇を繰り返すかもわからない。よって、プロンゾ族の恨みや怒りを吐き出すはけ口があってもよいのではないか。


 そういう狙いもあって、名ばかりの管区という監督部をたかだか最前線の吹けば飛ぶような砦にすえたのである。本来、管区とは各地の騎士修道施設の監督機能であり、大体の管区は当然そこそこ大きな街や都市にすえられる。アルクスネに管区を設置したのは、プロンゾの怒りのていのよい矛先とすることでプロンゾの鬱憤を晴らす目的があったのである。


 それほどまでに、周辺各国に蛮勇で恐れられるディルツ騎士団をもってしても鬼神と化したプロンゾ族の反撃は心胆を寒からしめた。常識離れしたプロンゾ族の反撃は圧倒的だったのである。


 窮鼠猫を噛む、という。


 プロンゾ領のほとんどを占領し終え、もはやディルツ騎士団の優位はこゆるぎもしない。前線の一砦を失ったところでさしたる損失ではない。ちょこっと反撃をして管区、監督部を破壊してプロンゾが気焔をはいてくれているくらいのほうがディルツとしてはまだ安心できるのだ。そうディルツ首脳部が考えるほどに、追い詰められたプロンゾの反撃は恐ろしく、二度と味わいたくなどなかった。もし、再度あの鬼のような猛反撃を受ければ、もはやディルツ騎士団としてもプロンゾ族を徹底的に根絶やしにせねばならなくなるだろう。そのような危険な存在を許しておくわけにはいかないからだ。とはいえ、老人や女子供に至るまで全員皆殺しにしてしまうような掃討戦など、もはや正気の沙汰ではない。そんなやりたくもない民族浄化の殲滅戦でディルツ騎士団にどれほどの損害が発生するか予想などつくはずもない。


 できうるなら、ディルツ騎士団としても今後は穏便にことをすすめたかった。


 もちろん、そのためにはそれ相応の能力が必要である。


 そこに白羽の矢が立ったのが、ミハエルというわけである。


 常人離れした戦闘能力をもち、しかも徹底した殺生嫌いときた。まだまだ全然若く、管区長に推戴されたときにはミハエルはまだ18歳。騎士見習いからはれて正式な騎士に取り立てられて日の浅い青臭い騎士だったのではあるが、今回のディルツ騎士団首脳部はもとより、騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンは対プロンゾ軟化作戦の要、と見込んだのだ。


 できなければそれはそれでかまわない。できるならやってみろ、と。


 そして、ミハエルはアルクスネ砦をよく維持しているし、二年間、プロンゾからの反撃を受けることもなければ、それどころか、徐々にプロンゾ族の融和をすすめていたのである。レオポルトも舌を巻くほどの成果である。


 もちろん、基本的な行動のほとんどはノルベルトの入れ知恵ではあるが。


 そして、二年もの間、対プロンゾ征伐ではなく、プロンゾ融和に重きをおいた行動をとっていたため、砦の警戒に関してはほとんど考えのらち外だったのである。さらにいえば、そんな資金的余裕もない。


 よって、アルクスネ砦には魔法使いは一人もいない。


 しかし、だからといって無警戒というわけでもない。


 他者の接近を感知して警笛を発する術式を組み込んだ宝玉がアルクスネ砦にはある。それなら小さな宝石でも十分であり、貧乏なミハエルたちでも十分買える。その分、砦全体に警笛を発するほどの高性能なものではない。見張り員詰め所に設置してあるだけで、警笛に気づいた見張り員が砦全体に知らせる、という程度のものだ。


 それが今回は、警笛が発するはるか前にすでに砦の全員が眠らされていたのである。


 そして、全員がばったばたと倒れてしまったディルツ騎士団はともかく、魔法がきかなかったプロンゾ人たちへの説明は、何らかの妖怪か妖精のいたずらだろう、ということで誤魔化している。正直に巫女がやってきた、というには余りにもそれは深刻な問題だったからだ。


 つまり、被害は何もなかったのでここは何事もありませんでした。黙っておきましょう。ということで始末をつけた。

 

「しかし、巫女、だっけか………? そんなすげぇ魔法使いがいるなんて初耳もいいとこだぜ」


「そうですね。1000人程度とはいえ、砦全体に魔法を行き渡らせるなど、並みの魔力量ではないですね」


 30年来プロンゾとの戦争を経験してきたディルツ騎士団ですら、魔法使いはおろか、巫女、という存在とて知らなかったのである。それほどまでに、プロンゾが秘匿してきた最重要機密なのだ。


「ああ、プロンゾには本来、外界にはいっさいでることを許されない、唯一の魔法使いがいるのだ。それが、我が一族においては祖母であり、ミミクルもまた巫女なのだ」


「ほ~。で? その巫女、ってのは普段なにをしているんだ?」


 プロンゾ融和、はっきりいえば対プロンゾ族征服作戦もいよいよ大詰めにかかってきた。ノルベルトは感慨深いものを感じざるをえなかった。ついに、ディルツ騎士団がプロンゾの最奥に手をかけているのだ。しかも、それを行っているのは自分たちだ。捨石とまで考えられた我々だ。ノルベルトは当然、ディルツ騎士団首脳部の意向は理解していた。だからといってレオポルト総長を恨んだりはしていない。同様の状況なら、自分もそれを行った可能性は高いからだ。


 二年前のアルクスネ攻防戦。


 ディルツ騎士団はプロンゾの息の根を止めるべく大作戦を実行に移した。


 動員できる最大数、四万もの軍をアルクスネ平原に進駐させたのだ。


 のどもとに刃をつきたてられたプロンゾは必ず撃退に出る。レオポルトや首脳部はそう見立てた。


 かつては20万もの規模を誇ったプロンゾ族ももはや総人口三万程度。その半分が戦士であるとしても圧倒できる。そのはずだった。


 結果、ディルツ騎士団の戦死者8000。重傷者14000。軽傷3000という壊滅的打撃をこうむったのである。


 精鋭魔道騎士団が大規模魔法によってプロンゾ戦士を文字通り封殺しなければ、全滅していた可能性すらあった。


 そして、プロンゾ征伐の総仕上げに人道主義など振り回されると指揮に関わると、休養回復を理由に作戦からはずされていたミハエルを急遽アルクスネ管区長に抜擢、レオポルトは戦後処理もそこそこに引き上げたのだ。


 あの絶望的な攻防戦を経験すれば、自分とて同様の行動をとらざるをえない。ノルベルトはそう理解している。


 とはいえ、回復さえすれば自分たちの手柄を横取りして全権を奪った挙句にプロンゾ征伐を強行しかねないデイルツ騎士団首脳部に対して、ぐうの音も出ないほどの、横槍をいれる余地すらないほどの圧倒的な功績をあげるチャンスが巡ってきたのである。


 否応なしに、慎重にならざるをえない状況だった。


 巫女の存在をディルツ騎士団本国に報告すべきか、隠匿すべきか。大きな分かれ道となる。


「基本的には、お前たちの神父と大差はない」


「……なるほど」


「しかし、巫女の役目は他にもある。例えば、木々の育成だ」


「育成」


「そうだ。プロンゾの住まう木々が巨大なのはお前たちも知っているだろう。その木々を育てているのが巫女の役目だ。巫女が常に魔力を注ぐことによって、木々は際限もなく成長することができる。それもこれも、他の種族やモンスターからプロンゾを守るためだ。巫女は木々を守り、木々はプロンゾを守り、プロンゾは巫女を守る。これがプロンゾの生活だ。もし、プロンゾから森が、木々が失われたのなら、プロンゾはプロンゾたる所以を失う」


 自身の立つ所以、自分を自分たらしめる存在価値を失うということである。


 なくなるのならば、いままでの生活を捨てて新しく始めればよい。


 いうのはやすいが、それは人としての根幹を失うということだ。半端な覚悟でできることではない。


 ディルツ騎士団が高度で魅力的な文明生活を提案しようと、簡単に捨てられるものではないのだ。


「とはいえ、プロンゾが力に固執して魔法や召喚などを軽視して以来プロンゾから巫女がどんどん失われていった。だから、いまではプロンゾ族の族長たる我々の住まう森にしか巫女はいなくなってしまったのだ」


「……ふむ」


「しかし、巫女の巫女たる所以はもっとはるかに深刻だ」


「………と、いうと?」


「巫女が常に魔力を注いだ木々に、妖精を憑依させて使役することができる、とすればどう思う?」


 にっ、と笑う。リリクル。


「数百メートル級の木々をか!? そんなことが可能なのか!?」


 普段は冷静なノルベルトですら、驚きの声は隠せない。


 数百メートルもの木々がいっせいに動き出し、敵対勢力に攻撃を開始したらどうなるか。


 想像するまでもない。


「そうだ。しかし、それはプロンゾの決死の覚悟あってのものだ。プロンゾが森を捨て、故郷を捨て、一族郎党すべて討ち死にでもかまわない、という悲壮の覚悟あってのものだ。………それも、かつては考えられたこともあった」


「………二年前に、か」


「そうだ。しかし、二年前には別の問題が持ち上がってそれどころではなくなってしまった。まあ、あれはプロンゾにとっても忌むべきことだからこれ以上は蒸し返さんが、この、アルクスネの地を失って、プロンゾは深刻な食糧危機を迎えるところであったのだ。だが、ある男の出現によって、その危機も回避された。………全、プロンゾを代表して礼をいうぞ」


 リリクルが頭を下げる。ビーククトも同様にした。


「いえ、当然のことをしたまでです」


 アルクスネという、プロンゾにとっての重要食料補給地を失ったときにその命運は尽きたかに思えた。ディルツ騎士団の圧力をうけつつのん気に狩りになどでていられない。後は死に物狂いの玉砕しかない。そう、プロンゾは悲壮な覚悟を固めつつあった。


 しかし、そこで運命が変わったのだ。


 ミハエルの登場によって。


 ミハエルは、夜な夜なプロンゾ人がアルクスネ湖で密漁をしているという情報が兵士によってもたらされたことから、アルクスネがプロンゾにとって重要な地であることをすでに帰化したプロンゾ人によって知りえたのだ。すると、ただちに兵士をつかってアルクスネの魚を、帰化したプロンゾ人を通じて供給し始めたのである。


 本国には知らせず独断によって。


 ミハエルとしては困っている人を助けなければ、という単純な思いからだったが、ノルベルトはこれこそプロンゾ融和の最重要方策であると確信し、いまではバルバル海の海産物なども供給しているのである。


 当然、それは簡単な道のりではなかった。ディルツ騎士団憎しのプロンゾ族から襲撃を受けることもあれば、帰化したはずのプロンゾ人から裏切りをうけることや、逃亡もないわけではなかった。帰化したプロンゾ人の逃亡は、ことが本国にしれたらさすがに軽視できる問題ではない。情報漏洩は重罪だ。


 しかし、ミハエルたちは辛抱強くいっさいの殺傷行為を封印し、あくまでも食料供給を続けたのである。逃亡したプロンゾ人に対しても穏便に帰還をうながした。それが二年も続き、ついに、リリクルという族長の娘の心を解きほぐすことに成功したのだ。


 いまでは、ミハエルの存在はプロンゾ人に広く認知されていた。悪魔の化身たるディルツ騎士団にも唯一、温情の士あり、と。


 簡単にいままでの恨みを流すこともできないが、現状の恩義も忘れられない。


 プロンゾは、相反する感情で揺れ動いていたのである。


 当然、アルクスネを返せ、という声もないではなかった。しかし、誇りある戦闘民族として、戦いで敗れた以上その結果には文句は言わない、のがプロンゾとしての最低限の矜持である。


「それほどまでに、プロンゾにとって巫女は大切なものなのだ。わたしの唯一の愛する妹である、ということをひいてもな」


「なるほどなぁ。こりゃあ、とっとと帰ってもらってかえってよかったかな。問題がデリケートすぎる」


 本国への報告、などもちろんありえない。


 もし、首脳部がこの報に接したら、拉致して来い、などと言い出しかねない。そうなったら、いままでの融和策は水泡に帰すだろう。しかし、とノルベルトは思う。もし、ミハエルがミハエルでなかったら、いまごろその巫女が最前線にたってプロンゾの死に物狂いの猛攻を仕掛けていたことになるのだろう。そうなったらディルツ騎士団が決定的な大損害を受けていた可能性は高い。何が運命の分かれ目となるかわからんものだ、と神の采配の妙を感じた。


「んむ。そうだな」


「なら、いまはリリクル嬢の人徳を信じてプロンゾ族に帰化をうながしたいんだが、リリクル嬢が言えば何人がディルツにくると思う?」


「そうだな………。ビーククト、どう思う?」


「恐らく、動いて少数、多くて一割でしょう」


「なんだ………」


「わたしもそう思う。決定的な影響力をもつのは、さっきも言ったわたしの祖母である巫女か、現族長の決定でもなければ、一族はそうそう動きはしないな。プロンゾは掟にはかたくなだ。頑固、とかいうレベルじゃすまない。盲目的、狂信的、とすら言ってよいだろう。なので、わたしもプロンゾの命運を危惧するものとして、説得にいったん帰らねばならんな。さすがにミミクルがやってくるとは思わなかったからな。軽々に行動はできんものだ。………ミハエルも来い」


「なぬ?」


 驚きの声をあげるノルベルト。今までの働きがあるとはいえ、さすがに族長の膝元へ乗り込むのは気が引けた。とっ捕まって八つ裂きにされたらさすがにしゃれにならない。


「………いえ、しかし、虎穴にいらずんば虎児を得ず。リリクルさんがここにいらしたのも、事態が動く絶好の契機なのでしょう。ノルベルト、明日早速、二人でお邪魔しましょう」


「二人だと!?」


「我々はもはや戦うべき相手ではない。それを、我々が示さずして誰が示せ、と?」


「………そりゃ、お前は死地にあっても生きる自信があるんだろうけどよぉ。こっちはただの人だぞ」


 しかも、すでに戦傷を負った引退戦士だ。

 

「何かあっても、わたしが守ります」


 にっこりと微笑むミハエル。


 無敵なまでに説得力があった。


「あー、わかったよ。確かに、リリクル嬢と一緒なら向こうも無体はできねぇだろうしなぁ。それしかねぇか」


 がりがりと頭をかくノルベルト。


 二年間、彼らが作り上げたプロンゾ人のミハエルに対する信頼感も、すでに形をなしている。それは、リリクルや他のプロンゾ人の反応からも読み取れる。以前の、まさしく不倶戴天の敵という絶対的な敵意もいまではおさまりつつある。


 ミハエルがいうとおり、融和をさらに加速する絶好の契機といえた。


「………よし、俺もはらぁくくるか。そうと決まれば夜も遅いし。明日に備えて寝るとすっか」


 異論はなかった。




                      ※




 朝。


 ミハエルらは砦のある島の北端にやってきていた。


「おはようございます。ミハエル様。言いつけどおり、丸々と太ったのを獲っておきました」


 にっ、と笑っているのはヨハン・ウランゲル。弓部隊隊長である。しかし、いまでは訓練以外では弓を扱うこともなかった。


 剣ならば振り下ろした途中で止めることもできる。しかし、一度放たれた矢はそうはいかない。ミハエルの融和作戦に弓兵は不要であるため、主にアルクスネ湖の漁にその仕事の大半が割り当てられていたのだ。


 ヨハンの生まれは地中海の島、チチリカ島。しかもかつては漁師だった。十字軍遠征に参加した流れでいつしかディルツ騎士団に参加することになった者だ。温かい南方の生まれで北方勤務は身にこたえた。しかし、仕事そのものに不満はない。本来ヨハンがアルクスネ駐屯を志願したのはミハエルのでたらめな強さに触れたためだ。ミハエルのもとなら楽に手柄があげられる。そう見込んだのだが、まさかこうなってしまうとは予想外もいいところだった。しかし、悲しいことにヨハンは弓を扱うことにも長けてはいたが、魚を扱うことの方がはるかに長けていた。


 広大なアルクスネ湖に大量にザーモスという魚がいる。大きくなれば一メートルもの大きさになる、赤い身は脂がのってうまい魚だ。栄養価も高く乾燥させれば保存もきき、有用性は高い。ヨハンはそのザーモスを投網を投げて獲ることにも長じていたが、いまでは養殖にも一日の長があった。浅瀬に集まったザーモスの稚魚を確保して改良したエサを与えてさらに増やす。いまでは生簀もいくつかあって、労せずして確保が可能だった。そのザーモスはプロンゾ族への供給はもちろん、アルクスネの街から各地へ出荷され少なからぬ外貨を稼ぎだしていた。


 ヨハンは、プロンゾ族長に挨拶にゆくというミハエルらの手土産に、新鮮なザーモスを獲っていたのだ。


 少なくとも、漁師ならば危険な目にあうことも少ない。当初は弓兵としての勤務を削られて腐ってはいたが、いまでは魚を扱っている日々に、自身の天職を得た気分だった。


「ありがとうございます。本当にまるまると太ってますね」


 たるに生きたまま入れられたザーモスは五匹。


 保存食として乾燥させるか煮込むか焼くか、という方法しかしらなかったミハエルらだったが、地中海生まれのヨハンは刺身で食べる方法を知っていた。生で魚を食べるなど衛生面から信じられない思いだったが、ザーモスの脂を最大限味わうことができる刺身という食べ方に、いまではミハエルらも一番の好みだった。海で育った魚や川魚と違って、養殖の管理されたえさを与えられたザーモスは寄生虫がほぼいない。生で食べてもさして問題はなかったのだ。


 それをヨハンが手際よく活き締めの処理をほどこす。


 ちなみに、刺身という食べ方はプロンゾ人にはまだ供給していない。二年でようやくここまでの規模が整ったからだ。昨日はリリクルたちも初めて刺身を食べたのだが、その驚きたるやなかった。


「んむ。皆にはやく刺身、というものを教えてあげたいものだ」


 食べ物といえば火を通して安全にする、というくらいしか気にも留めなかったが、生で食べる管理技術を知ってすごい衝撃を受けたのだ。三万ものプロンゾ人が必死に生きている現状からすれば、ものすごいぜいたく品だった。


 つまり、高度な技術を盛り込んだ、ただ食べて飢えを満たすのが目的ではなく、味を楽しむための食事ができるという状況にいたったのだ。


 それは、平和な状況だからこそいたった事実である。


 ディルツ騎士団とプロンゾ族がいまも戦争状態にあれば、絶対にそんなぜいたく品は発生しえなかった。


 これはひとつの帰結である。


 ミハエルの登場によって、すべてがよい方向に向かっている。


 リリクルは期待に胸を膨らませていた。


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