鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (十一)
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粛々と撤兵するコボルド軍を見送ったミハエルたちには、ただ、休息が必要であった。
生き残った。
彼らの胸中に去来するのは、その一言だった。
プロンゾ前族長グナクト・プロンゾに匹敵する化け物、コボルド・ロード、ヴォルゴノーゴにその近衛、ロイヤル・ガード8000、タイルドゥを包囲して温存されていたコボルド・ウォーリア2万。それだけの大軍を相手取って、損害は500名。2400のアルクスネ部隊が、10倍以上の敵兵を相手にして、二割の損害ですんだのである。逆に、敵の損害はロイヤル・ガード6000に、コボルド・ウォーリア1万。
数だけで言うのなら、圧勝と、言える。間違いなく。
だが、大きな戦果をあげても、今の彼らの心中は、ただ、生き残った、それだけなのだ。
生き残ったことを、ただ素直に喜びたい。
そう思えるほど、全員がここで死ぬ、その覚悟を決めて挑んだ戦場だったのである。
生き残った騎士や、兵士、三人の司祭たちが、思い思いに抱き合ったり、肩を叩き合ったり、涙を流して、生を永らえたことを喜び合った。とはいえ、瀕死のもの、浅くない傷を負ったものもいる。それら人にあまる重傷者はニーモが治癒の魔法をかけてまわっていた。
「ボロボロだな………」
治癒を終え流血を拭っているミハエルと、大きくへこんだミスリルの兜をみて、ため息をつきながらリリクルが言う。
そういうリリクルも、死に物狂いで矢を放ち、そして矢がつきたので蛮刀を振るっていたのだ。筋肉を限界以上に酷使し、小刻みに震えていた。良く耐えた。自分を少しは褒めてやってもよい、そんな気分だった。
「はい………。よく、助かったものです。リリクルさんも、ご苦労様でした」
「まあ、わたしはあんな化け物、相手にしていないからな………」
ちらりと、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクをみる。
ミミクルのねんごろな治癒魔法を受け、満身創痍だったがもはや外傷もない。リリクルも、カトリーナの活躍は少しは見えていた。グナクトと錯覚するような三メートルを超す巨躯の化け物と、真っ向から相対し撃退せしめたのだ。この戦いにおける一番の殊勲は、間違いなくカトリーナだ。
「竜巻で巻き上げろ、何て言うからびっくりしちゃった」
ミミクルの膝の上に、カトリーナの頭を乗せて。
雪原の上でくつろいでいるわけではない。不要となったコボルドの陣幕を敷いている。自分たちのテントである営舎はまだ回収の途中だ。
「ふ、あの状況を一挙に挽回できる方策を、あれ以外では思いつかなかったのだ。むしろ、よく決意してくれた」
心優しきミミクルにとって、信頼するとはいえ、いや、信頼するからこそ、たった七日間の付き合いとはいえ友を己の強力な魔法の渦中に放り込むなど、胆の冷える決意が必要であったろうと思う。
一瞬一瞬の判断が生死を分かつ戦場において、あの決断の早さは、ミミクルの性格を考えると賞賛すべきであった。
柔らかく、暖かなミミクルの膝の心地よさを味わいながら、傷がほぼ癒えたとはいえ大量に血液を失ったカトリーナは薄れそうになる意識を引き止める。
自分を見下ろし、慈愛に満ちた瞳を向けるミミクルを見上げ、カトリーナも満面の笑みを浮かべた。
「だ、だって、し、信じてたから」
絶世の美少女に、とろけるような微笑を向けられ、ミミクルはどぎまぎした。もちろん、ミミクルも超のつく美少女だ。
自分にまさかこんなディルツの上級貴族の令嬢と友達になれる日がこようとはと、いまさらながらに思ったのだ。
「………ああ。ミミの情け容赦のない魔法を浴びて、死を覚悟したがな」
「ひどっ!」
「ふふ。確かに、強力な魔法だった。あれがもし逆の立場なら、わらわは決断できなかったやもな。よく、助けてくれた」
ミミクルの操る魔法の強力さを理解し、
そして、カトリーナの超越的な身体能力を理解し、
双方の実力を理解し、信頼したからこそ、あの危地を脱出することができたのだ。
そうでなければ、どちらもあんなこと実行はできなかっただろう。
その点で確かに、カトリーナはミミクルを、ミミクルはカトリーナを、守ったのだ。
「………うん。でも、あんな危険なこと、もうしたら駄目なんだからね。今回はたまたま助かったけど、命がいくつあっても足りないよ」
コボルド・ロード、ヴォルゴノーゴに向かって落下したことを言っていた。
「ふ。そうだな。わらわも、何度も味わいたくはないな」
「わたしだって、あの爆発を見て、こっちまでショックで死ぬかと思ったんだから!」
「うむ。………まあ、こうして膝枕してもらえるのなら、悪くはないぞ」
「………ば、ばか。知らない」
頬を染め、ぷい、とそっぽを向くミミクルに、カトリーナはまた、微笑を浮かべた。
死を覚悟をしたわけではなかった。
あの戦いで、コボルド・ロード、ヴォルゴノーゴをぶちのめすことしか頭にはなかった。狙いが外れたのはたまたまだ。あの戦いで倒すことができなかった、そして次の戦いを期しての別れ。
ヴォルゴノーゴは己をさらに鍛え上げてくるのであろうか。
ならば、コボルドが大挙として押し寄せてくることがあれば、奴が出張ってくる可能性は高い。当然、わらわを探すであろう。奴がせっかく己を鍛えて、わらわがいなければ落胆するであろう。そして、怒り出すであろうか。その八つ当たりを受けるものがでるであろう。一番のとばっちりをうけるのはミハエルであろうな。母セシリーニと共にディルツ本国に帰り、父ジョヴィルリッヒの下に戻って鍛錬を重ねるつもりであったが。
いや、こうしてミミクルと共に過ごせる言い訳ができた。
カトリーナは今後の展望に少し、思いをはせた。
それでも、こうしてミミクルの暖かさを感じて、また生を生きられることに、いま、生きていることに、カトリーナは心から安堵したのであった。ふん、と大きくため息をついた。
そんな二人の様子をみて、リリクルは微笑を浮かべた。
ピウサ修道院からの二人の親密さは、これでもかというくらい見せ付けられたのだ。ミミクルが、家族以外で心から笑える同性を見つけた。しかも、アルクスネ部隊を、ミミクルを死力を尽くして、ミハエルまでも、守ってくれたのだ。カトリーナには感謝してもしきれない。
さらに重要なことがある。
カトリーナはミハエルに異性としてまったく興味はないようだった。
これは最重要問題と位置づけて間違いはない。
カトリーナにとって、男の価値は拳の強さにこそある、らしい。
ミハエルとて惰弱な兵士ではないが、それでもカトリーナからすればまだまだ、ということなのだろう。あの、天使召喚魔法を抜きにしても、確かにカトリーナの戦士としての実力は抜きん出ていた。
とはいえ、己のライバルではない、と理解したリリクルの安堵たるやなかった。ミハエルと同じディルツの上級貴族の出であり、何よりカトリーナはここの誰よりも気品と美貌に勝っていた。そして、誰もを圧する武闘家である。リリクルが勝てる要素など、これっぽっちもなかったのだ。それがカトリーナの方から食指が動かない様子。誰にも気づかれぬようこぶしを握り締めたのは秘密だ。
なのだが。
「ミハエルさんッ! 何ということでしょう!」
ドリエス・エンゲーハルン。三人の司祭たちも戻って、ミハエルの様子に悲鳴に似た声をあげた。
そして、まるでそうするのが当然、といわんばかりにミハエルに抱きついた。
「何て大怪我を! 大変な激戦だったんですね! お待ちください、いま治癒魔法を!」
「生きていてくださって、ありがとうございます!」
アルマシア・キーハン。ミハエルの手をとり、丁寧にさすってさらに頬ずりをする。
「さすがディルツ騎士団の指揮官様!」
ジョゼリーヌ・バリアーダ。負けじと、ミハエルに後ろから抱きつく。三人の中で一番の己の豊満な体をこれでもかと誇示して。
「あ、ありがとうございます」
疲れきったミハエルに、切り抜ける余力はなかった。
「………おい」
司祭たちをつかんで、引っ張るリリクル。
「ミハエルの治癒はあらかた終わっている。他の兵士をみてやれ!」
「あ、あらそうなんですね」
「それは、良かったような、残念なような」
「それなら、いたし方ありませんですね………」
とぼとぼと重傷の兵の治癒に回る司祭たち。治癒魔法をかける、とはいえ、先ほど魔力の底をつきかけたのだ。そう簡単に回復はしてはいないのだが。
「おい、おいでなすったぞ」
ノルベルト・グリモワールがミハエルを促す。
「………はい」
彼らの視線の先には、コボルドの追滅を果たしたリヴァリア征剣騎士団の面々が近づいてくる。如何にも司令官らしき重々しい雰囲気だった。
「貴公が、こちらの指揮官か」
先頭の、騎士が声を発する。
ディルツ騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンを数倍凶悪にしたような、剣呑な眼光を放つ豪壮な騎士が現れたのだ。自然と、背筋を正すミハエル。
「はい。ディルツ騎士団、アルクスネ管区、管区長のミハエル・フォン・ヴァレンロードであります」
「………ほう。噂には聞き及んでおる。それがしがリヴァリア征剣騎士団総長ディートリコッス・フォン・ウンガーハブだ」
ディートリコッス・フォン・ウンガーハブ。
誰も見たこともないような、冗談のようないぶし銀の重厚なプレート・メイルに身を包んでいる。兜は従卒がもっており、鎖帷子を頭から被り顔だけを出した姿だ。本人も恐ろしく重装備なら、騎馬もプレートをまとわされており、あえていうのなら超重装というべきだろう。もし、この超重装騎馬が突撃をかけたら、誰も止められない。敵側にとって悪夢のような突撃となるだろう。
剣呑な眼光を放つディートリコッス。年齢は四十代半ばを過ぎたあたり。戦士としては下り坂のはずだが、そんな雰囲気を微塵も感じさせない。恐らく体力も並みの騎士をはるかに上回る戦士なのだろう。なにより、着装している甲冑や槍の全備重量は50キロくらいは十分あるだろう。そんな甲冑を着て走破してきたのだ。ディルツ騎士団総長レオポルトといい、グナクトといい、このあたりの四十代、五十代に年齢による衰えという概念はないらしい。
噴出する威圧感もすさまじい。手ずから屠ったのだろう。コボルドの返り血を浴びて凄惨さをましている。別の従卒が騎乗槍、ランスを抱えており、それが血みどろになっている。
他の上級騎士たちも似たり寄ったりだった。ランスを従卒に持たせ、ディートリコッス同様全身に血を浴びながら、それでもなお血に飢えた剣呑な目を放っていた。
しかし、一人だけ違ったものがいた。兜を被ったままで己の素顔をさらさず、別の方を向いたものがいるのだ。従卒にランスを持たせている雰囲気もない。おまけに他の騎士と違って、返り血を浴びた形跡がまったくないのだ。ノルベルトは、異質の雰囲気を醸すその騎士を興味深く伺う。
すべての騎士が護身用の剣を腰に佩いているが、その騎士はひときわ大きな剣を佩いているが、別の剣を腰にも帯びていた。
腰に巻きつけたベルトに装着した剣帯で剣を吊るすことを、佩くといい、
腰のベルトなどに直接剣を差し込むことを、帯びるという。
他の騎士はランスを主武器とし、剣は護身用にしか使っていないようだが、その騎士はゆるやかな湾曲を描く大きな剣で馬上から敵を斬り、腰に帯びた剣は護身用として下馬状態で使っているようだ。
大きな剣もそうだが、ノルベルトは腰に帯びた剣に目が吸い寄せられるようだった。まったく造りの様相を異にする剣を帯びていたのだ。鞘からして造りが違う。だいたい鞘といえば木か、革、金属などで剣さえ納まればそれでよしとばかり、無骨なものだ。王侯貴族ともなれば貴金属で飾り付けたおよそ実戦とはかけ離れたものだが、その剣の鞘は朱塗りでてらてらと光っていた。何らかの樹脂でコーティングしてあるのだろう。うっとりするような美しさを放っていた。
佩いた剣は下向きで身につけているが、帯びた剣は上向きで、優美な線を描き、ゆるやかに湾曲していた。大きな剣は馬上から切りつけるように、腰に帯びた剣は徒歩状態で斬り合うようにしてあるのだろう。
ほとんどの騎士や兵士が持っているのは直刀、まっすぐな剣だ。それが、大した太さもなく緩やかなカーブを描く独特な雰囲気をもつ剣に、ノルベルトは魅入られた。
「北方十字軍のもう一方の雄に、お目にかかれて光栄であります」
腕を胸で掲げ、精一杯の誠意を示すミハエル。
少しでも機嫌をそこねれば何をしでかすかわからない。そんな雰囲気を感じたからだ。
「………ふん。世辞はよせ。プロンゾをいかように下したか、聞き及んでおる。それがしらを、時代に固執した野蛮な連中と、見下しておるのであろう」
ぎろり、と見据えるディートリコッス。
後ろに控える騎士たちも、沈黙のまま同様の気配を醸す。
アルクスネ管区。ミハエルがプロンゾに対して融和を旨とし、平和裏に三十年来の戦争を終わらせたことは周知の事実だ。血による解決ではなく、信頼と友誼による融合。相手にも、自分にも被害を最小にとどめる最も優秀な方法だ。
しかし、力で屈服させ刃でねじ伏せ、相手の反抗心も自立心も、意思ですら叩きおってしまう従来の十字軍騎士からすれば、何を生ぬるいことをやっておるか、という感慨しか抱かないのだろう。
すべては奪うもの。その土地を、人間を、資源を。すべてを奪って我が物に納める。それこそが十字軍の本懐ではないのか、と。
何より、その目が、まるでコボルドでも見るかのような目が、雄弁に物語っていた。
「いえ、そのようなことは決して――――」
「これはこれは、お互い、タイルドゥ司教様の危難に駆けつけていただいた同士ではないですか。今は主義主張を戦わせる場ではありますまい」
大男の修道士、ギルス・バッテルンが割って入る。
「ふん。分かっておるわ。………しかし、みれば相当な激戦だったよし」
ミハエルの痛々しい様子をみて。もはや乾いているとはいえ、後頭部から相当量出血しているのが分かるのだ。
こちらが追滅をしている最中、のんきに休憩とは返答によっては殴ってやろうか、と思ってはいたが、指揮官自ら血まみれになるような激戦だったのがわかったのだ。その点だけは黙っていてやろう、とディートリコッスは思った。しかし、
「総大将は潰したのか?」
冷徹な声が、有無を言わさぬ声が発せられた。
「い、いえ、取り逃がしました」
「………ほう」
すっと、ディートリコッスの目がさらに険悪さをまして細められる。
指揮官自ら血まみれになるような激戦を繰り広げた、ということは間違いなく接戦。指揮官同士がぶつかるほどの大接戦を演じたはずだ。
コボルドを相手にするようなら、鉄則は知らないはずはない。
コボルドを相手にするのなら、指揮官を真っ先に潰せ。
にも関わらず、その指揮官を取り逃がした、とはどういうことか。ディートリコッスの視界には、明らかに本陣とおぼしきコボルド集団が見えた。しかも、その本陣が粛々と撤兵してゆく様も、だ。アルクスネ部隊は、その指揮官部隊と間違いなく死闘を演じたのに、それを取り逃がす、などという事態が発生しうるのか?
コボルドとの戦いは、その趨勢上、勝つか、負けるか、しかない。
指揮官を討ち取っての瓦解か、指揮官もろともほとんどを潰す勝利か、あるいは散々に打ち砕かれる敗北か。楽勝か、辛勝かの区別はあれど、帰趨は基本、どちらかしかない。
それが、敵指揮官を、取り逃がすとは、どうしたことだ。
「詳しく、問うても、よろしいか」
護身用の剣に手をかけながら。
その目は、明らかに不信感で彩られていた。
敵指揮官を取り逃がす。
そんなことは、裏取引したとか、そういった薄汚い方法でしか発生し得ないのだ。
「そ、それは」
離反行為、利敵行為とみなしている。ミハエルも、ギルスもどう答えたものか、とうろたえた。
「待て――――」
ずい、とディートリコッスの眼前に立ちはだかるカトリーナ。
「な、何だこの娘は………」
戦場に場違いな美少女。
しかも、まともな甲冑など身にまとっていない、軽装な革の防具をまとった程度の少女が、威風堂々と現れたのだ。しかも、コボルドとの戦闘でやられたのか、装備はぼろぼろ、全身血まみれだ。
魔法で癒したのだろうが、無残な様に、さすがに面食らうディートリコッス。
コボルドと戦うのなら、少なくとも全身をチェーン・メイルなどで覆わねばならない。コボルドの武器は剣や槍だけではないからだ。それが、最低限の防具のみ。ほとんど、旅人と大差ない有様。だからコボルドとの戦いでこうまで損害をこうむったのであろう。
コボルドとの戦闘の作法を知らぬと見える。
場違いで、しかもオツムも弱そうな少女の有様、とみたディートリコッスはさらに不快な顔になる。
「敵ははるかに強大であり、これ以上の追撃を行う余力などなかった。取り逃がしたのではない。剣を持つ力すら使い果たしてしまったのだ。それほどの激戦であったことは、このわらわ、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクの名にかけて証明する」
「ブラウツヴァイク………あの、か」
ブラウツヴァイクの名を知らぬ貴族はいない。
「とはいえ、どうやって?」
「何だ?」
しかし、それでおとなしくはいそうですかと、引き下がるディートリコッスではない。リヴァリア征剣騎士団ではない。
「教皇に顔が利く、高貴な貴族の名を出されても、だ。ここまで明白な離反行為の現場を押さえたのだ。納得できるだけの証拠がないとな」
「………そうだな」
やれやれ、と肩をすくめるカトリーナ。おもむろに、鉄拳、ミスリル・ナックルを手にはめた。
「カ、カトリーナ………」
心配そうに見守るミミクル。
心配するな、と口の端で笑むと、権天使、ラフェキエルを召喚する。そして、ファイティングポーズをとって構えるカトリーナ。
「その槍を、渾身の力で打ち込んで来い。わらわが、一歩でもたじろげば、ここの全員を征討すればよかろう」
「なッッ!?」
その発言に、例外なくすべてのものが仰天し、大声を発した。
いきなりアルクスネ全員の命を天秤にかけられ仰天するミハエルたち。
騒ぎにやってきたケット・シーのニーモやミミクルも、カトリーナの状態を知っているから、その申し出に仰天した。まだまだ戦えるような状態ではないのだ。本来なら、立っている事だってやっとのはずだ。
そして、たかが小娘に、力試しをしてやるから全力でかかってこい、と挑発されたディートリコッスたちも、例外なく驚嘆した。
当然、そう直に言われた本人は心中穏やかではない。
「ふ、ふはは、ふぁーっはっはっ! 娘、そのなりだからとて、こちらが手加減すると踏んでの所業であろうが、あの世で後悔させてやろうぞ!!」
怒りに目を血走らせ、従卒から血まみれのランスをひったくるように手に取るディートリコッス。
荒事を能事とするリヴァリア征剣騎士団だ。そこいらの娘をもてあそんだことなど、数え上げるのもあほらしいほどだ。異端の娘を慰み者にし、奴隷として売り飛ばしたことも、星の数ほどもあろう。そんなリヴァリア征剣騎士団の人間に、温情も、憐憫も、この流れる血の中に一滴とて残されてなどいない。そんな人間に大言壮語を吐いたのだ。
ブラウツヴァイクの令嬢だか何だか知らぬが、戦場で死んだものに口はない。
数多の戦場で蹂躙を行ってきた歴戦の猛将が、この程度の小娘に、離反行為に及んだかも知れない連中の面前で侮られ、おとなしく引き下がるわけがない。
ディートリッコスは槍を振り上げた。
ミハエルら、アルクスネの面々もいざとなったら、と剣に手をかけた。
そして、その気配を察し、臨戦態勢に入るリヴァリア征剣騎士団の面々。
ニーモも、この程度なら瞬殺だな、と思っていた。もちろん、彼我の力量差がわからないニーモではない。
「最後だ、小娘、全裸で泣いて謝るのなら、許してやらんことはないぞッ!!」
もはや、先ほどコボルドを追滅したのよりはるかに嗜虐に目を濁らせながら吼えるディートリッコス。
「能書きはいらん。凡骨が吼えるな」
「クッッ!!」
冷厳なカトリーナの視線に、さしてない理性の糸がぷつり、と切れたディートリッコス。その小生意気な頭部ごと貫いてやる! とランスを繰り出した。
しかし。
ゴッッ!
ファイティングポースのまま固められた鉄拳、ミスリル・ナックルに、完全に阻まれたのであった。
もちろん、カトリーナは一歩たりとて、一ミリたりとて、下がりなどしていない。
見た目は、軽く立って足を構えているようにしかみえない。しかし、まるで大地にそびえる巨岩かと思えた。圧倒的質量を誇っているかのようだった。
「ヌッ!?」
鋼鉄のかたまりに槍を突き出したかのように、衝撃が丸々跳ね返って来てしびれる腕。
憤怒の表情のまま驚愕するディートリッコス。それは、彼を良く知るリヴァリア征剣騎士団の面々とて同様だ。いくら騎馬による突進という加速がなくとも、ディートリッコスのランスの刺突はやすやすと鋼を穿つ。それがたとえミスリル銀製の武器で防いだとしても小さな娘ならば吹っ飛ぶほどの衝撃がある。それほどの膂力をもつのだ。それが、ありえないほどの軽装の少女に止められたことに、驚愕が隠せない。
「それだけか?」
「ばっ! 馬鹿にしおってッ!!」
さらなる渾身の力をもって、貫き通さんとするディートリッコス。しかし、その目標のカトリーナの姿が一瞬ぼやける。
目の錯覚か?
ディートリッコスが己の目の不調の心配をした、次の瞬間、突き出したはずの槍は高々と打ち上げられ、さらに、カトリーナのミスリル・ナックルが、己の眼前に突きつけられたのを、知ったのであった。
「な、なっ!」
一瞬の早業に、なすすべもないディートリッコスに、にやりと嗤うカトリーナ。
「たじろぎはしない、とは言ったが、進みもしない、とは言ってはおらんぞ」
すた、と地に着地するカトリーナ。瞬発力をいかして跳躍すると、迫り来るランスを跳ね上げ、そのまま飛翔し、ディートリッコスのあご先につきつけたのだ。あっさりと、その不遜なアゴごと砕けるのだ、という脅しを込めて。
「これで分かったであろう。わらわの力を持ってしても、やすやすと屠れぬほどの強者と死闘を演じておったのだ。全員が、間違いなく全力で戦った。後からのうのうとやってきて敗走兵を蹴散らしたくらいで、偉そうに吼えるな。凡骨が」
もはや後ろを振り返ることなく吐き捨てる。
その言葉に、ミハエルをはじめ、アルクスネ全将兵の思いを代弁してくれたカトリーナに、皆が胸を詰まらせたのであった。ギルスなどは感動のあまり号泣していた。
「ぐ………」
うつむき、小刻みに震えだすディートリッコス。さらなる爆発か、と全員がついに決戦かと身構えた。だが。
「ぐわっはっはっ!! なるほど、了解した! そうだな、みれば2000あるかないかではないか。よくもまあ8万のコボルド相手に挑む気になった。その力量あって、初めてできる芸当であろう!」
先ほどの怒り心頭に発した真っ赤な顔もどこへやら、ディートリッコスは破顔大笑した。一転、まるで好々爺のような、人懐っこい大笑いをするのである。
その大笑をもって、両陣営剣を収めた。
ノルベルトは思った。この切り替えの早さ、いったん認めれば懐深く受け入れる度量。なるほど、総長とはこういうものか、と。
「おお、ならば戦後処理は我が兵に預け、まずはタイルドゥ司教にせびって一杯といこうではないか! のうミハエル殿!」
「え、あ、はい」
もはや事の成り行きについてゆけず、あいまいな返事をするミハエル。
「そうだな。まずはギルスのだんなに案内してもらって、タイルドゥ司教にお目通り願おうや。司祭さんたちも、自分の街に戻りたいだろうからな」
「はい、そうですね」
アルクスネの騎士、兵士にとりあえず街にて休養を言い渡すミハエル。
しかし、三人の司祭たちの表情は複雑であった。
せっかくミハエルと出会い、これから親密な関係を構築せねばならんというのに、これでお別れではないか。と。
そんなしょぼくれた三人を横目に、はらはらしていたリリクルは、嬉しそうにミハエルの腕にしがみついて歩き出すのであった。
おお、何だ、戦場に女づれとは、融和の英雄も隅に置けませんな!
というディートリッコスの冷やかしを受けながら。
「わたしたちも行こうか」
ニーモがミミクルを促す。
「うん。カトリーナはすごいね。わたし、すごく怖かった」
「うん? ふふ、戦士たるもの、彼我の力量くらい計れんとな。ただ………」
「ただ?」
「いや、一人、兜をとるどころか、深々と被っておった騎士がおったろう」
カトリーナもノルベルトと同じく、リヴァリア征剣騎士団の面々を把握していたのだ。
「え、見てない、見る余裕なかったもん」
「ふ、そうか。その兜を被った騎士、あれは、傑物だな」
「そ、そうなんだ………」
カトリーナをして傑物と言わしめるほどの騎士。それはどんなおっかない人物なのだろう、きっと、ミハエルやノルベルト、あのディートリッコスと同列の人物なのだろう、と怯えるミミクルであった。
その後、タイルドゥ司教に歓呼の声で向かえ入れられ、ミハエルらも、ディートリッコスらも、熱烈な歓迎を受けたのであった。
ましてや、召喚術式を完成させ、その召喚魔法をもってコボルド・ロードを退かせたというカトリーナの活躍を聞き、飛び上がらんばかりに喜んだのは、言うまでもない。
ピウサ修道院への救援要請に始まった連戦は、ここに終結したのであった。
目処がついたので一挙お届け。
戦闘も終わったのでちょいと軽めな感じで。




