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天と地と人  作者: 豊臣 亨
二章  鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク
21/49

鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (十)

5/15 誤字やら修正。



 ガッ、とロイヤル・ガードの胸元をつかみ、渾身の力で投げつけた!


「なにッ!?」


 生きたものを投石のごとく投げ込むとは!


 人間には絶対に真似できない、亜人ならではの方法。


 常識を外れた戦いに、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクも虚をつかれた。


 絶対に真似できないし、予想とてできない行動に、とっさに防御の態勢をとる。


 投げつけられるロイヤル・ガードに動揺はない。


 どんな目にあおうと、上官の意に従う。それがコボルドなのである。ましてや、それが近衛兵、ロイヤル・ガードでもさらなる忠勇に秀でたコボルドともなれば、地獄でもどこでもついてゆく、という堅固な意思があるのである。


 さほど離れていない距離からのまさかのコボルド投擲に、カトリーナとて満足な判断ができず、思わず衝撃に備え防御態勢をとってしまう。


 しかし、それこそロイヤル・ガードの、投げつけたコボルド・ロードの狙いだった。


 カトリーナにぶつかると、そのままカトリーナの左腕に噛み付いたのである。


「なッ!」


 ミスリル・ナックルではなく革のアーム・ガードに噛み付いているので傷はない。しかし、問題はそんな瑣末なことではない。


 噛み付き、カトリーナにしがみつこうとするロイヤル・ガードを振りほどくべく、右の鉄拳を叩き込もうとする。しかし、その鉄拳がコボルドの頭部を粉砕する前に、カトリーナの視界には新たに豪速で飛来するコボルドが飛び込んできたのであった。


 次は右手かッ!?


 驚愕に、カトリーナの目が見開く。


 左腕に噛み付き、顔を猛烈に振って己が牙をめり込ませんと面構えにふさわしい獰猛さを発揮し、カトリーナのとっさの注意を引くロイヤル・ガード。瞬時の出来事にあっけに取られ、的確な反撃ができないカトリーナに、さらに飛びつき右腕に噛み付くロイヤル・ガード。


 人間には到底真似のしようもない戦い方。兵士を消耗品として扱える、亜人ならではの戦闘。


 戦闘になれたカトリーナですら、この方法にはただ面食らった。


「しまっ!」


 コボルド・ロードの豪腕で投げ付けられる衝撃に、さしものカトリーナも地に倒れ付す。


 両の手を拘束されとっさの反撃を封じられ、さらに地に倒れあせるカトリーナ、それはコボルド・ロードにとって絶好の好機。


「ぐっはっは! それそれい!」


 次々にロイヤル・ガードを投げつけるコボルド・ロード。


 普段から100キロを超える重量の鋼鉄の戦槌、スチール・ハンマーを振り回すコボルド・ロードにとって、コボルドを放り投げることなどたやすいことだったのだ。

 

「カ、カトリーナッ!」


 ミミクル・プロンゾが悲鳴をあげる。


「くッ!!」


 地に倒れても必死に振りほどこうともがくカトリーナ。だが、噛み付きしがみつくロイヤル・ガードも鋼鉄の意志だ。死んでも離さぬ、と血走った眼差しをカトリーナに向ける。


 あっという間に、右足、左足にもかみつかれ、総重量400キロの重さで拘束され身動きが取れないカトリーナ。


「いけない!」


 ミハエルがとっさに飛び出す。


 腕に噛み付くコボルドのわき腹にミスリル・ソードを叩きつける。


「グガッッ」


 肋骨を何本かへし折られ、肺の空気をすべて強制的に排出され、決死の覚悟のロイヤル・ガードも苦鳴をあげる。しかし、それでも拘束は緩まない。


「邪魔をするな!」


 コボルド・ロードのコボルド投擲。


 だが、すでに意図を知るものに通用はしない。ミハエルは投擲をかわし、今は一刻も早くカトリーナを救うべきだと、拘束をはがすべくミスリル・ソードを振るう。ミハエルとて手加減している場合ではない。カトリーナが倒されてしまえばもしかするとこの力の均衡の崩壊が、すなわち全滅につながってしまいかねないのだ。ミハエルの攻撃を食らったロイヤル・ガードは血反吐を吐いていた。拘束が解かれるのは時間の問題。


「く、時間がないかッ」


 コボルド・ロードとて焦燥がないわけではない。


 人間には真似も、予測もできない方法でもって初めて不意をつくことに成功し、カトリーナの自由を奪うことに成功したのだ。


 次はない。


 拘束を解かれたカトリーナに同じ行動をとっても、ミハエル同様にかわされるか、殴ってそらされるであろう。


 並みの兵士ならともかく、カトリーナはコボルド・ロードとて感嘆し、畏怖する戦士なのだ。もはや不意をつく以外に勝機は見出せないのである。


「どけぇぇいッッ!!」


 置き去りにしていた相棒、鋼鉄の戦槌、スチール・ハンマーを振り上げ、渾身の力で突進する。


 拘束しているロイヤル・ガードごと100キロ以上のハンマーをたたきつけ、カトリーナを潰す。超越的戦士といえど、100キロのハンマーの直撃を無防備に浴びては無事ではいられまい。


 戦士としての矜持、誇りをかなぐり捨てても、目前の勝利をつかむ。内心、複雑な心境でコボルド・ロードはいびつに笑った。


「させないッ!」


 はっと、突進してくるコボルド・ロードに、剣を向け構えるミハエル。


 コボルド・ロードはいびつな笑みのまま、吼えた。


「お前如きが相手になるかァッ! かかれ!」


 向かってくるのならばよし。まずは邪魔な指揮官を叩き潰す。


 コボルド・ロードとて、この2000の人間部隊に、自身を凌駕せんとする強力な戦士はカトリーナしかいないと見抜いていた。目前の戦士は指揮官であり、見事な能力をもっていることも大体把握している。だが、カトリーナには遠く及ばない。


 豪速を誇るハンマーの一撃で、肉のかけらも残さず、潰す。


 コボルド・ロードの意を受け、複数のロイヤル・ガードが突進し、ミハエルの動きを阻害せんと、口を大きく開ける。もはやなりふり構っていられるときではないのだ。


 ロイヤル・ガードは拘束を狙ってミハエルを取り囲む。五人のロイヤル・ガードが、一斉に襲い掛かる。


「はァッ!」


 ミハエルの瞬速の剣技に四人が吹き飛ばされる。だが、残った一人が右腕をへし折られながら左腕の盾を捨て、ミハエルのミスリル・ソードをつかみ動きをとどめ、その瞬間、腕に噛み付く。


「ぐっ」


 一瞬の拘束。


 しかし、一瞬でよいのだ。目前に迫ったコボルド・ロードにとっては。


「死ねい」


 ぐっとスチール・ハンマーを握り締め、自分の腕に噛み付いたロイヤル・ガードに気を取られた哀れな獲物に狙いを定める。


「ばかやろうッ! ミハエル!!」


 とっさに、ノルベルト・グリモワールが走る。


「ミハエル殿ッ!」


 大男の修道士ギルス・バッテルンの悲鳴に近い声。


 横殴りに襲い掛かってくるハンマーを視界に捉えつつ、ノルベルトはミハエルに向かってタックルをした。


ゴッッ!!


 壮絶な打撃音が響く。


「ッッ!!」


 ノルベルトのタックルは一足遅かったのだ。タックルで吹き飛ばされながら、ミハエルは頭部をしたたか打ち据えられたのである。声なき声をあげ、意識を落とすミハエル。


 大きくひしゃげさせ、外れて転がる、ミスリル銀製の兜。


 折り紙つきの堅固さと軽さを誇るミスリル・ヘルムが大きくへこむ。ありえないほどの衝撃を物語っていた。


「ミハエルッ!!」


 ミハエルに噛み付き、同じように吹っ飛んだロイヤル・ガードに止めをさし、応援に迫るロイヤル・ガードに必殺の剣を叩き込みながら地に倒れるミハエルに声をかけるノルベルト。

 

「先にこちらを潰すか、むっ!?」


 ロイヤル・ガードではとどめはさせないとみて、ミハエルに視線を投ずるコボルド・ロード。だが。

 

「いい加減、離さんかァッ!」


 血の泡を吹くロイヤル・ガードを引き剥がしにかかるカトリーナ。大きく息を乱しつつも、決死の拘束をほどかんと渾身の力を込める。


「ええい、やはりこちらが先よッ!!」


 カトリーナの拘束が完全に解かれれば終わる。


 コボルド・ロードは焦燥に駆られてカトリーナに向き直る。雑魚は後でどうとにでもなる。今は、最大の障害を排除すべき。その焦りが隙を生む。


「おい、どこ見てんだ、この化けもんが。無視すんな」


 ズガッ、と背中に衝撃。


 ノルベルトが、周囲のロイヤル・ガードを蹴散らし、無防備なコボルド・ロードの背に切りつけたのだ。しかし、強固な鎧と、筋肉に阻まれ深手には至ってはいない。ノルベルトも、そんなことは分かっている。陽動だ。


 決死の覚悟でミハエルが時間を稼いだのだ。


 もはや、カトリーナに組み付くロイヤル・ガードの排除に乗り出す余裕はないが、コボルド・ロードの邪魔をして時間を稼ぐことぐらいはできるはずだった。


「雑魚どもがァッ!」


 血走った目をむけるコボルド・ロード。


 雑魚に構っている暇などないのだ。しかし、このまま背後を襲われ続けることも許せることではない。


「ええい、手足ども何とかせいッ!」


 何のための近衛兵、ロイヤル・ガードか! とコボルド・ロードが激怒で叫ぶ。コボルド・ロードの激怒の叱咤に、ロイヤル・ガードが怒涛の如く押し寄せる。


 それによって暗転した意識を取り戻すミハエル。


 完全に落ちた意識が、ロイヤル・ガードの起こす震動が契機となり目を覚ましたのだ。


 そうか、ハンマーを食らったのか………。


 瞬時に状況を判断し、体を起こすミハエル。だが、強烈な頭痛に襲われる。


「ぐっ!」


 混濁とした意識のまま、自分の頭に手をやる。髪は血に染まってぐっしょりと濡れており、いまだ出血しているのか、ぼたぼたと地に落ちる。かなりの深手を負っているのか辺りは血まみれだった。大きくへこんだミスリル・ヘルムを目にし、よくも生きているものだ、とぼんやりとする意識で一瞬、他人事(ひとごと)のように思う。


「ミハエルッ! 生きてるか!」

 

「………な、何とか」


 ミハエルにも襲い掛かってくるロイヤル・ガードの猛襲を必死にさばくノルベルト。


 もはやまともに戦うことすらおぼつかないミハエルを守りつつ、カトリーナ復帰のための時間を稼ぐ。


 なかなか難易度がたけぇじゃねぇか。


 ノルベルトは途方にくれながらも戦意を燃やす。


「生きてるのなら立てッ! 立って活路を開けッ!」


 自分でいいながら無茶だな、とは思う。完全ではないとはいえ、あのハンマーを頭部にくらったのだ。普通なら即死していてもおかしくはない。ミスリル銀製の兜でなければ、間違いなく死んでいただろう。叫ぶことで戦士としての闘争心の炎が再燃すればいいのだ。


「………はいッ」


 ミスリル・ソードを手に取り、ゆらりと立ち上がるミハエル。


 視界はいまだぶれている。言われていることも、あまりよくわからない。でも、己の中にある強靭な意志が剣を取ることを選択させた。


「そうだ、その意気だ!」


 ノルベルトはにやりと笑った。


「ミッ、ミハエルさんが!」


 もしかして死んでしまったのではないか、そんな絶望に囚われかけたが、何とか立ち上がったミハエルに歓喜の声をあげるミミクル。ただちに回復にかけよりたい衝動にかられつつも、しかし、倒れ付すカトリーナのことが心配だった。


「風の結界を張りたいけど、そうすればロイヤル・ガードの猛攻は止められない。ここまで乱戦になれば逆に強力な魔法が仇になったね」


 ケット・シーのニーモの声。風の結界を張って、ミハエルやカトリーナを守る。しかし、そちらに魔法をさけば、いまアルクスネ部隊に襲い掛かってくるロイヤル・ガードへの抑止は消える。


 ノルベルトやギルスはともかく、ロイヤル・ガードと戦ってまともに反撃できる騎士や兵士はそうない。彼らを放置すれば数に押しつぶされるのは間違いないのだ。どちらかを優先的に守るか、となる。


 しかも、ここまで敵味方が入り乱れると、味方を巻き込むような魔法が使えなくなってしまうのである。カトリーナやミハエルに襲い掛かるコボルドに魔法を放てば、確実に巻き込むのだ。だからといって威力を抑えた魔法を使っても、風の結界のように守ることもロイヤル・ガードをまとめて攻撃もできない以上、中途半端な結果に結びついてしまいかねない。激戦のど真ん中にあるここは、大威力の魔法を放ち続けるしかないのである。


「ギルスさん、すまないけど、コボルド・ロードの陽動に動いてほしい」


「しかし、ここの守りがっ」


 ニーモの頼みに、ギルスが動揺する。


「もはやわたしを抜けるほどのロイヤル・ガードはここにはいない。それより、ミハエルのほうが心配だ」


 三人の司祭を守る部隊の側面に襲いかかろうとするロイヤル・ガードと、コボルド・ファランクスを一緒くたに魔法でなぎ払いながら。


「そ、そうですな! わたしも微力を尽くしますぞッ!!」


 ここが正念場だと理解しているコボルド・ロードが、有力なロイヤル・ガードたちをノルベルトたちの排除とカトリーナの拘束に力を注いでいる。そのコボルド・ロードを自由にさせておくわけにはいかないのだ。


 ギルスがコボルド・ロードに突進する。


 ミミクルはカトリーナを見つめて口をかみ締める。


 守ると誓った。


 どちらかのピンチには必ず、助けると。


 今がまさしくその時なのに、その力はあるのに、それができない。己の無能に憤った。


 こみ上げる感情に胸が締め付けられた。呼吸が苦しい。


 魔法を唱えようとするのに、詠唱がつっかえた。


「ミ、ミミッ………!」


「カ、カトリーナ!」


 カトリーナから搾り出すような声が届く。


 武器を捨て、カトリーナにのしかかるロイヤル・ガードは、死に物狂いで噛み付き、しがみついており、超常の力でもってしても簡単に振りほどけない。主のハンマーの一撃を待っているのだ。自分の命とひきかえに、圧倒的強者であるカトリーナを屠る。彼らとて、その重要性は十二分に理解している。この戦いの分水嶺、勝つか負けるかはカトリーナに掛かっているのだ。


 コボルドも、自身の死が、仲間の生へとつながることを知っており、己が主を信じて、最後の気力を振り絞っているのだ。血反吐を吐き、血の泡を吹かせながらも、ほとんど精神力だけで噛み付き、しがみつくコボルドに、カトリーナも引き剥がすことは容易ではない。


 そのカトリーナから、己の死を賭した要請が飛ぶ。


「わらわごと、竜巻でこやつらを吹き飛ばせッ!!」


「正気かいッ!?」


「で、できないよそんなことッ!」


 カトリーナの提案に驚くニーモとミミクル。


「わらわが………ッ、その程度でくたばると思うてかッ!? むしろ、高々と打ち上げよ!!」


「カトッ………!」


 逡巡するミミクル。竜巻の魔法は、凶悪な風圧でもって巻き込んだものを押しつぶし、切り裂き、それでもなお空中高く放り投げ地に叩き落す魔法だ。


 そんな魔法に巻き込まれたら、普通の人間では絶対に助からない。


 だが、カトリーナが普通ではないことをミミクルとて理解している。


 しかも、高々と、空に打ち上げよ、と。


 その刹那、カトリーナの言った意味を理解したミミクル。


「………うんッ!!」


 友を信じ、ただちに詠唱に入るミミクル。


 ニーモも、カトリーナの決意に感嘆した。


「さ、させるかァッ!」


 コボルド・ロードが意図に気づき、ギルスを蹴飛ばしてカトリーナに迫る。一撃。一撃を叩き込めば勝てるのだ、と。


「風の精霊、シルフ、願いを聞き入れたまえ。巻き起こすは想いの強さ! 渦巻くは信念の気高さ! その孤高の志を我も共にいま吹かせん!! 


 カトリーナ、信じてる!! ――――風昇旋蛇!!」



 ゴウッッ!!



 カトリーナを起点に、竜巻が巻き起こる。


「ぐふっ!」


 カトリーナはもちろん、のし掛かるロイヤル・ガードも巻き込まれる。眼前で巻き起こった強風に、さしものコボルド・ロードも視界を奪われ、風の刃を顔面に浴び、後ずさる。振り下ろそうとしたスチール・ハンマーが、強力な風圧に圧し戻された。


 強力な風の圧力に潰され、風の刃にその身は引き裂かれ、暴力的な抗えぬ風の力に、体ごと天空高く打ち上げられる。


 打ち上げられたロイヤル・ガードはもちろん、地上に叩きつけられる。


 だが、カトリーナには少なくとも、その心配は無用だった。


「ふっ」


 天使の羽を大きく広げ、竜巻よりはるかに高く飛ぶカトリーナ。


 とはいえ、風の刃に身をさらされ、無事というわけにはいかない。容赦なくずたずたに切り裂かれ、強力な風圧にひねりあげられ体中悲鳴をあげていた。権天使(プリンシパリティ)、ラフェキエルの加護がなければ、死んでいたとしてもおかしくはなかった。


 少なくない量の血を撒き散らしながら、眼下を睥睨するカトリーナ。拘束さえ解かれれば、どうとにでもなる。


「く、くそが!」


 はるか上空を見上げ、完全に勝機は逸し去ったことを理解するコボルド・ロード。


「今度は、こちらの番だ」


 カトリーナの目が、冷徹にコボルド・ロードを捉える。


 鉄拳、ミスリル・ナックルをそろえての垂直落下。しかも、天使の羽の推進力をすべてつぎ込んでの飛翔。


 それは、例えるのなら、一筋の流星。


 恐怖にかられ、一歩、二歩とふらつくコボルド・ロード。直撃を受ければ、間違いなく死ぬ。本能が、そう告げていた。


 これで終わりだ。


 コボルド・ロードもカトリーナも、同時に思った。


 しかし、その時不測の事態が起こった。


 竜巻によって引き裂かれ全身傷ついており、まっすぐに伸ばした腕から流れた血が、目に入ってしまったのだ。


「ッ!」


 拭っている余裕はない。一瞬、視界がゆがむ。




ドゴバァッッ!!!




 大地が爆発した。


 そう、表現するしかないほどの衝撃が走った。


 盛大に雪を含んだ土砂が巻き上げられ、周囲のものに容赦なく襲い掛かる。その一番の被害者は、コボルド・ロードだった。全身に土砂を浴び、もはや戦意も何も失って、巨大な戦槌、スチール・ハンマーをずるりと落としてへたり込む。ただ、死ななかった、ということだけは理解して。


 カトリーナの落下は、外れてしまったのだ。


 雪によって湿っていた層のさらに下の土の層まで吹き飛んで、もうもうと立ち上る土煙。


 さっきまで死闘を演じていた、すべての者が、星が落下してきたかのような衝撃に、声もなく呆然として剣を、槍を、下ろしてしまった。へたり込み、うなだれるコボルド・ロードの様子に、流星と化したものの安否に、もはや、戦闘どころではなくなっていた。


 その様子は、徐々に、戦場に伝染した。


「カッ、カトリーナッッ!!」


 戦闘は、終わった。自然と。


 そう理解したミミクルは一目散に駆け出した。


 巨大な穴を穿った、その中心で倒れ付したカトリーナ目がけて。


 コボルド・ロードを目がけ、すべての力を出し尽くしたカトリーナは最後の最後で、目標をそれてしまったのだ。したたかに、地面に激突し、ぐったりと倒れていた。本来なら、人としての形すら失ってもおかしくないほどの衝撃を浴び、それでも何とか生きていた。


 完全に気を失い、ほとんど虫の息のカトリーナに、すぐさま治癒魔法を唱えるミミクル。


「カトリーナ! 死なないで、カトリーナッ!!」


 ただ、ミミクルの悲痛な声だけが響く。


「危険な状態だね。わたしも、魔力を注ぐよ」


「お、お願い!」


 ニーモが、一番の重態であるカトリーナに同じように治癒魔法をかける。


「………で、どうする? まだやるか?」


 ノルベルトが、ミハエルを支えながらコボルド・ロードに、問う。


 ようやく、ミハエルもようよう朦朧とした意識から立ち直りつつある。


 本来なら、ここで戦意を失ってへたり込んでいるコボルド・ロードの状態は、絶好の機会だ。ここで首を取るのが正しいあり方なのだが、カトリーナが自分の身を捨てて突入して、戦意を殺いだのだ。そこに付け込むのは、何とはなしに気が引けた。ミハエルではないが、戦意がないものに刃を突きつけるような気分に、どうしてもならないのだ。


 正直言って、もはや戦える状態のものが少ないのだ。コボルド・ロードが戦意を失ってくれたからいいものの、周囲は依然として数でもおされている。仕切りなおしでもう一回、などと言われたら目も当てられないのだが。


「………」


 間一髪、生き延びたコボルド・ロードは、すぐに声がでなかった。


 初めての経験なのだ。


 死を覚悟した。


 間違いなく、自分は死ぬはずだった。それが、どういうわけか、突入した人間の娘は自分からそれて、地面に激突した。いつもなら、嗤うべき事態なのだが、死、そのものにべろりと全身を(ねぶ)りあげられ、ただ、助かった、という気持ちだけでもはや何の感慨も沸いてこなかった。


 本当に、頭が真っ白になってしまったのだ。


 投石器から打ち上げられた岩石が耳元をかすめて一命が助かった、とかいう話ではないのだ。そういうありふれた話ではない。世界の常識を凌駕した超常の力を見せられ、ただ、一瞬の手違いか何かで、自分は助かったにすぎない。死ななかったにすぎないのだ。


 あの時、人間の娘は、間違いなく、自分を見ていた。必殺の眼を、向けていた。自分を助ける理由などない。ここは、戦場だ。命をとる、だからこちらも命を狙われる。それだけのことだ。単純に、ミスをした、ミスをして、狙いがそれたのだろう。戦場で一瞬のミスが、生死を分けるなど、いつものことだ。


 それだけのことだが、言ってみればそれだけのことだが、自分は心の底から恐怖し、震えた。死に、怯えた。


 どんな戦場でも、死地でも、笑って乗り越えてきたはずだ。すべてを踏み潰してきたはずだ。その自分が、心の底から畏怖し、震えた。絶対的な、絶望的な、力の差というか、格の差というものを、見せ付けられた気分だった。


 地に倒れ付す、小さな人間の娘に、心の底から怯えたのだ。


 今は、もはや戦意のひとかけらも残っていない。それが本音だった。


「………フ。わしも、まだまだ未熟よ」


 小さく、独りごちた。


 さて、この事態をどうしたものか。


 今は帰って、鍛錬に励みたい気分だった。無性に未熟な己を、徹底的に鍛えぬきたい気分だった。


 周囲を見回すコボルド・ロード。その時、遠くの彼方からラッパの音が響いた。


 後ろを振り返る。最後尾にいる信号兵ではない。もっと別の音が響いていたのだ。誰もが、音の発生源を探した。


 見えたのは、タルトームの街の横合いからだった。


 それは、タイルドゥ司教を防衛するべく発せられた新たな増援だった。いまではラッパだけでない大地を轟かせて迫る新たな軍。少ない数ではない。目に見えて数を増やす増援は、タルトームに取り付いたコボルドたちに襲い掛かる。万を超す軍勢だった。


「ありゃ、どこの軍だ?」


 ノルベルトが、新たに出現した軍を見る。


「あの旗印、リヴァリア征剣騎士団かと」


 遠目に優れた騎士が、旗印を確認する。


「ああ、リーグに本拠がある騎士団か」


 リヴァリア征剣騎士団。


 ディルツ騎士団よりはやく北方においてガロマン教皇グレゴッグス九世から認可を受け、十字軍征伐を行っていた先駆者だ。いまは大規模な商業港リーグを本拠地としている騎士団である。


 獰猛と残虐においてはディルツ騎士団を上回ると評判の、荒くれを能事とする騎士団だったが、大きな港街を手に入れて最近は貿易に力を注いでいるという、一風変わった騎士団である。


 同じ北方十字軍を掲げる騎士団として、命令系統、指揮系統はまったく異なるもののディルツ騎士団とは同盟にあり友好的関係を築いていた。


 タイルドゥ司教区の南西にある位置だが、アルクスネからタルトームに向かうのに比べると、リーグからタルトームへは二倍の距離がある。その道のりを走破してきたのだろう。

 

「さて、どうする? リヴァリアの奴ら、荒事が大好きな連中だ。ここをみたら、喜んで襲い掛かってくるぞ」


 ノルベルトが、再度コボルド・ロードに問う。


 援軍が到着したいま、まさしくこちらの有利。いまこそ総力をあげて叩くとき。なのだが、コボルドの心配とは、俺も焼きが回ったな、と苦笑を浮かべながら。


「………ひとつだけ、問いたい」


 重い口を開く、コボルド・ロード。


「何だい」


「そこの、人間にはありえぬ力をもつ娘、名は何と言う?」


「あー……」


 簡単に教えてよいものか、思案にくれるノルベルト。


「………カトリーナだ」


「カトリーナッ!? 気がついたのッ?」


 必死に治癒魔法をかけていたミミクルが歓喜の声をあげた。小さく体を起こしたカトリーナに、手を添えた。


「世話を、かけたな。わらわは、もう大丈夫だ………」


 決して大丈夫ではない声をあげて。


「カトリーナ………。それが、わしの肝を潰したものの名か」


「カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク。再戦を挑むというのなら、いつでも相手になってやるぞ」


 よろ、と体を起こし、それでもなお、消えぬ闘志を見せ付けるカトリーナ。


「………ふ、ふっはっはっ!! 今回は、わしの完敗だ。見逃してくれるというのなら、喜んで退こう。だが、次に会うときはカトリーナに失望されぬ技を、磨いておくぞ」


「………待て」


 去ろうとしたコボルド・ロードの背に、声をかけるカトリーナ。


「………」


「名は?」


「ふ。そうだな。名を問うて、名乗らぬのも無礼。よもや、人間に名を問われることになろうとは。生きておれば、おもしろいことがあるものよ。生きておればこそ、だな。………ヴォルゴノーゴ。人のような姓はない」


「ヴォルゴノーゴ。次は、小細工なしでかかってこい」


「………肝に銘じよう」


 人の真似をして、深々と頭を下げるヴォルゴノーゴ。スチール・ハンマーを持ち上げ、肩にかつぐとピュー! と口笛を吹く。


「全軍、撤退だッ!!」


 その音がタルトームの平原に響くと、信号兵が、新たな信号を発した。


 全面撤退だ。


 ロイヤル・ガードも、三人の司祭に襲い掛かったコボルド・ウォーリアも、タルトームに突入したコボルドにも、撤退の合図が送られたのだ。ただちに、攻城をやめ、撤退に入るコボルド。しかし、攻城に向かったコボルドの撤退は至難の業だった。すでにリヴァリア騎士団が待ち構えていたからだ。


 包囲殲滅に入るリヴァリア騎士団。タイルドゥ軍は、追撃に入る余力はないのか、誰も出てこなかった。


 治癒魔法を受けるミハエルや、ノルベルト、アルクスネの兵は、それをただ見送った。


 撤退するといっても、ロイヤル・ガードには2000の残存兵がおり、コボルド・ウォーリアにも1万の残存兵がいた。疲弊したアルクスネ部隊が容易に手が出せる数ではない。


 三人の司祭たちも、魔力はほぼ底をついており、追撃をかけるどころか撤退してくれて助かった、というのが本音だったからである。


 誰もが、座り込み、疲れ果てた体の休息をとる。それ以外には何も出来ない。何もしたくない。


 そんな光景が、そこここで見られた――――。



 こんな描写しか思いつかなかったよ………。


 せっかく登場していただいたヴォルゴノーゴさんはまだまだ活躍してほしいのに、でも、あんな直撃くらったら絶対ちんでしまうし。


 しょうがない。魔法という空想手段があることだしと、流星と化したカトリーナさんには自爆していただきますた。

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