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天と地と人  作者: 豊臣 亨
二章  鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク
20/49

鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (九)

5/15 誤字やら訂正。



「はぁあああああーーーーッッッ!!!」


 タルトームの平原に、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクの裂帛の気合がこだまとなって響いた。


 プロンゾの誇る長弓すら凌駕しかねない、カトリーナの飛び蹴りが閃光となってほとばしる。


「グヌッッ!!」


 それを避けようともせず、腕を交差させて真っ向から受け止めるコボルド・ロード。しかし、想像したよりも強烈な衝撃に、さしもの三メートル半の巨躯と膂力をもってしても圧された。


 バランスを崩しそうになり、慌てて下肢を後ろにずらして踏ん張った、だが、それでもなお耐え切れずに圧され、数メートルは後ずさる。


「耐えるか、ならば!」


 飛び蹴りの威力が消え、それでも大地にしっかと下肢を踏みしめるコボルド・ロードに、カトリーナは驚きを隠せない。だが、防ぐことも考慮になかったわけではない。


 間断のない追撃に移る。


 たたきつけた右足を、天使の翼で空を飛翔し高々と持ち上げる。


「ぬっ!」


 コボルド・ロードは次の衝撃を予想し、腕を交差させたまま戦慄する。


「ひれ伏せ」



ガッッ!!



 天使の羽による推進力すべてを使った一撃に、空気が衝撃波となって周囲に飛散する。


 両の腕が折れたかのような衝撃を味わうのは、今度は受け止めたコボルド・ロードの方だった。鋼鉄製の篭手がゆがむ。恐るべき一撃だった。


 かつて、リリクル・プロンゾのかかと落しを易々と防いだミハエルだったが、この一撃は防げないだろう、と冷や汗をかいた。召喚天使憑依魔法術式。様々な問題を内包した魔法だが、それを実現できたものには超常の力が約束されるのだ。確かに、羨むべき突出した魔法だった。


「グ、グハハッ! そうでなくてはな!」


 軽く痩せ我慢をともなっての哄笑。コボルド・ロードとてそうそう味わうことのない痛撃に、戦慄がおさまらない。


「まだだ」


 空中で反転し、大地に降り立ったカトリーナ、さっきのお返しとばかり右フックを叩き込む。腕がしびれ、痛撃に耐え忍ぶコボルド・ロードの無防備なわき腹を狙う。


「なめるなッ!」


 コボルド・ロードが待っていた、とばかりに動く。


 一方的にやられるわけにはいかないと、カウンターを狙ったコボルド・ロードが瞬時に踏み込む。三メートル半の巨体からすれば小柄なカトリーナ目がけての、大地に叩きつけるような右ストレート。


「ガハッ!」「グッ!」


 カトリーナの攻撃にあわせての、コボルド・ロードの捨て身の反撃の拳がカウンターとして叩き込まれる。しかし、一瞬、カトリーナの拳の方が速かった。全力を受ければ頭がもがれかねないコボルド・ロードの拳は、自身のわき腹に叩き込まれた衝撃に耐え切れず、その威力を減じてしまう。鍛えようもない内臓に、信じられないほどのダメージを受け、大地に崩れ落ちうずくまるコボルド・ロード。


 コボルド・ロードの、衝撃によって狙いがそれた拳を側頭部に受け、カトリーナはたたらを踏んで数歩、後ずさった。


 ば、化け物だ………。


 ロイヤル・ガードと死闘を演じつつも、それを防ぐアルクスネ部隊の騎士、兵士たちは、コボルド・ロードとカトリーナの激闘、人間の限界をとっくに超えた人智の及ばぬもの同士の戦いに現実感を喪失していた。


「ええいッ、見事! 人間にここまでやるヤツがおるとはなッ!! 


 勢いよく立ち上がり、ファイティングポーズをとるコボルド・ロード。しかし、下肢が小刻みに揺れていることを、当然カトリーナは見逃さない。


「ふ。今ならまだ間に合う。文字通り、尻尾を巻いて逃げても、臆病者と笑わぬぞ?」


 権天使(プリンシパリティ)、ラフェキエルを召喚し、その力を純粋なエネルギーに変換して戦っているのだ。本来なら、圧倒してしかるべき状況なのである。それを、ここまで持ちこたえていることにカトリーナは素直に賞賛しても惜しくはないと思っていた。


 だから、逃げ帰っても当然である、という、強者ゆえの尊大な物言いなのである。


 しかし、


 コボルド・ロードの脳裏に、尻尾を巻いて逃げ出す腑抜けたコボルドの映像が浮かび、激怒する。


「その言葉そっくり返すぞ! 小娘よォッッ!!」


 言われた側からすればただの侮辱。


 コボルドの、君候の地位にまで至ったものとって戦争とは、敵を完膚なきまで撃滅するか、敵の大軍に撃破されるか、という二択しかない。それがコボルドという存在である。それが、たった一人の人間にここまでいいようにあしらわれ尻尾を巻いて逃げ出すなどという無様を、配下の兵士に見せるわけにはいかない。いや、何より自身の尊厳にかけて、そんな有様を見せるわけにはいかないのだ。


 打撃によるダメージだけではない、赫怒で身を震わし、今一度力を充溢させるコボルド・ロード。


「尻尾があれば巻いて降参といえただろうにな! 尻尾がないことを後悔させてやろうぞ!!」


 地獄の猛犬ケルベロスですら気迫におされ、ひるみそうな鬼の形相となり、跳ぶ。


 激怒のあまり、狂気の笑みを浮かべて渾身の右ブーメランフックをお見舞いする。


 ガッッ、と火の噴きそうな衝撃を受け止め、カトリーナは舌打ちをする。


 衝撃の度合いからすれば、最初の痛撃よりも威力は上がっていると思えた。


「しぶとい奴ッ……」


 しかし、次の瞬間、口の端に笑みを浮かべ、コボルド・ロードの後ろ回し蹴りをかわし、ダッ、と踏み込むのであった。




「ええい、うっとうしい奴らよ!」


 リリクルが目の前に迫ったロイヤル・ガードに自慢の長弓をお見舞いする。


 リリクルやビーククト・ブロンゾ率いるプロンゾ長弓隊は、範囲を広げ包囲せんと迫るロイヤル・ガード目がけ、強力な矢を放っている。300メートルでは効果は薄いが、至近距離ともなれば鋼といえど貫通して倒せる。


 ケット・シーのニーモやミミクル、長弓隊を守るアルクスネ部隊の騎士、兵士の数はたった600。しかも、それは前方にいるだけであり、三人の女性司祭を守るべく左側に500の兵が展開していて、右側はほとんど無防備になっている。


 ロイヤル・ガードはこの無防備な長弓隊にも当然、襲い掛かってくるのだ。いや、コボルドとて弓隊のやっかいさは理解している。その弓隊が無防備にさらされているなど、攻撃してくださいと言っているようなものだ。ロイヤル・ガードたちは、ここを急所と心得て襲い掛かっているのである。


「ニーモ様たちの魔法があるからといって慢心するな! アルクスネ部隊の主戦力は、いぜん我らぞ! 我らの実力をここに示せ!!」


 飛び上がって剣を振り下ろさんとしてきたロイヤル・ガードを二本、矢をつがえて目前で射殺したリリクルが気炎をあげる。


「プロンゾは死をも恐れぬ強兵たること、見せつけよ!」


 ビーククトも叫び、ロイヤル・ガードの剣をもつ右腕を弓をもつ左手でとどめ、すかさず下からうなるような膝蹴りで意識を刈り、崩れ落ちるロイヤル・ガードに向けて必殺の矢を放つ。


 中には弓を背負い、剣や槍をふるって仲間を守るプロンゾ戦士もいた。


「応!!」


 プロンゾ戦士の誰もが、生き残ることを諦めてなどいなかった。


 ロイヤル・ガードは残り半分といったところか。


 ケット・シーのニーモとミミクルの放つ魔法の間隙をつき、さらに広範囲に分散し襲い掛かってくるロイヤル・ガードの総数を把握するのは難しいが、迫ってきたロイヤル・ガードを軽々とミスリル・ソードで吹き飛ばし、ミハエルは状況をそうみてとっていた。


 ニーモとミミクルは最前線にあって、最大級の魔法を駆使している。半数のロイヤル・ガードを撃滅したのはほとんど魔法によってだ。それを、護衛しているのがミハエル、ノルベルト・グリモワールと、大男の修道士ギルス・バッテルン。魔法の射程からはずれ間隙をつき、横合いから襲ってくるロイヤル・ガードを蹴散らす。魔法戦力がなければ、たかが2400のアルクスネ部隊など緒戦で蹴散らされていただろう。


 ロイヤル・ガードは確かに、亜人としても強力な戦士だった。


 一人一人が常に状況を把握し、最適な方法を見つけて瞬時に行動に移す柔軟な作戦行動能力をもっていた。命令を忠実に、愚直に遂行することしかできないコボルド・ウォーリアよりはるかにやっかいな相手であることは確かだ。


 これらロイヤル・ガードがさらに成長すれば、ゆくゆくは、君候位、ロードへと出世するのであろう。彼らは、すでに指揮官、コボルド・コマンダーと同等か、もしくはそれ以上の能力を持っているようだった。


 他のアルクスネの騎士や兵士は、魔法の射程から逃れ襲い掛かってくるロイヤル・ガードに大いに苦戦していた。そして、ノルベルトと大差なくロイヤル・ガードを撃破するギルスの実力に、騎士や兵士は内心舌を巻いていた。司教区に勤める修道士。それだけで、荒事を本職と心得るディルツ騎士団よりは数段劣るであろう、という彼らの予想は大いに外れたのであった。


「ほい、ほいと」


 流れるような体さばきでロイヤル・ガードの猛攻をひらりと受け流し、そらし、かわし、そして反撃となれば一撃必殺の剣を叩き込むノルベルト。彼らは下馬し、戦っていた。瞬時の判断を要求される今この時に、乗馬のままでは俊敏な動きが取りづらいからだ。


 ニーモやミミクルに襲い掛かってくるロイヤル・ガードたちを、しかも魔法の邪魔にならないように計算ずくで動き撃破してゆく。


「はは、あの武闘家のご令嬢もぶっとんでますが、貴公も大概ですな」


 ロイヤル・ガードの盾を強引に跳ね上げ、その下から剣で串刺しにしたギルスが苦笑ぎみに笑う。


 誰もが死に物狂いで、生を求めてあがいているのに、ノルベルトだけはまるで遊んでいるかのようにみえるのだ。しかも、高度に計算して敵味方の位置を捉え、完璧な護衛をつとめ、さらに疲れないように振舞っているのである。並みの技量ではない。


「そういうあんたも、なかなかじゃねぇの」


 ギルスは、なだれ込んでくるロイヤル・ガードの攻撃を真っ向から受け止めながら、それを強引にはじき返し、ねじ伏せ、命を刈り取っているのである。


 強力なロイヤル・ガードの上をゆく膂力など、当然、並みの騎士にできる芸当ではない。


 ノルベルトは、ギルスの膂力をミハエルに次ぐ怪力とみていた。ミハエルはミスリルの甲冑、剣で武装しており、その働きはギルスをはるかにしのぐが、同等の装備だったのなら遜色はないとみていた。


「いえいえ、わたしなど。まっこと、アルクスネの方々は素晴らしいですな。フンッ!! このような事態に到りましたが、貴公らと剣をともに振るえること、我が誇りでございます」


「コボルドを叩き潰しながら、話するあんたも、大概だって」


 苦笑するのは今度はノルベルトだった。


 ギルスはしゃべりながら、シールド・チャージでひとかたまりになっていたロイヤル・ガードを押しつぶしていたのだ。シールド・チャージの直撃をくらったロイヤル・ガードは口から泡を吹いている。


 そして、ギルスが飛びのいた刹那、団子となって倒れたロイヤル・ガードを、ニーモの魔法がなぎ払う。


「楽しそうで何よりだよ。その調子でミミを守ってくれればいい」


「一命にかけて、ミミクルさんを守ります」


 ミハエルがミスリル・ソードを構える。


 コボルドに向けて強力な魔法の竜巻や烈風が襲い掛かるなか、その間隙をついてやってくるロイヤル・ガードを弾き飛ばし、ミミクルへの絶対の防壁となすミハエル。


 強力な魔法の至近距離からの放射に耐え、しかもカトリーナと互角の戦いをしているコボルド・ロード。これを撃破することはたやすいことではない。それどころか、カトリーナがついてくれていなければ、間違いなくミハエルらは蹂躙されていただろう。


 指揮官を直接狙って倒し、早期解決をはかるどころか、その指揮官から皆殺しの目にあっていた。コボルド・ロードが強力であるとはニーモもそう指摘していたが、想像のはるか上をゆく猛将だったわけだ。


 ロイヤル・ガードは残り半分。ニーモやミミクルを完璧に護衛して魔法で漸減できても、これで終わりではない。


 リリクルたちプロンゾ長弓隊も気になるが、彼らもディルツ騎士団の兵士を上回る戦士、易々とやられるようなことはあるまい。それより、気にすべきは、視界の端に捉えるコボルド・ウォーリア2万。


 ロイヤル・ガードとは違い、彼らは方陣、密集陣形のファランクスだ。そこまで急激な行動はできず、迫ってくるとはいえまだ、幾分か対処しやすい相手のはずだ。


 頼みは三人の女性司祭。


 剣騎兵を指揮するバルマン・タイドゥアと槍騎兵を指揮するガンタニ・ティーリウムは馬を降り、防御の姿勢をみせていた。


 コボルド・ファランクスはすでに目測数百メートル。すぐなだれ込んでくる。


「この剣にかけて、あなた方にコボルドの指一本たりとて、触れさせません」


 剣を胸元から垂直に構え、女性司祭たちに向かって、流麗に微笑むバルマン。


「はい、ありがとうございます」


 ミハエルに次ぐ容姿をもつバルマンに、司祭たちもこわばらせた表情を落ち着かせる。


「おうよ! 生きるも死ぬも、司祭さんたちにかかってるんだ。命がけで守るぜ!」


 ガンタニが槍を振り上げる。


「わ、わたしだって、死力を尽くしますよ!」


 ヴィルグリカス平原にて、プロンゾ・バーサーカーの猛攻に耐えたのだ。あの時だって死を覚悟して死に物狂いで戦って生き残った。


 今回も、そうするだけだ。


 あの戦いで散った騎士たちの代わりに、これからも頑張って生きねばならないのだ。フランコ・ビニデンが気合を入れる。


「プロンゾ長弓隊ほどではありませんが、我らもその実力をお見せしますよ」


 ヨハン・ウランゲルも気合なら負けてなどいない。


 誰も彼もが、あの死闘を生き延びた勇者なのだ。誇りにかけて、死ぬわけにはいかない。


 死を覚悟したからと言って死を甘受するわけではない。むしろ、命を捨てるほどの覚悟をもって、生を求めあがくのだ。


 ヴィルグリカスの死闘を思い出し、武者震いする。


「この前の戦いで、わたしたちの身を守るのは、あの鉄の門ただ一枚でした。あの門を壊されたらと思うと、怖くて怖くてたまりませんでした………」


 アルマシア・キーハンがあの時の恐怖を思い出して身震いする。


「ですが、今ははるかに頼もしい方々に守られています。こんなに心強いことはありません」


 ジョゼリーヌ・バリアーダが微笑む。


「皆さん………生き残りましょう!」


 ディルツ騎士団の頼もしい面々に囲まれ、ドリエス・エンゲーハルンは気勢をあげた。


「応!!」


 生き残れるか、ではない。生き残るのだ。


 彼らは、一致団結して困難を撃退するのだと、決意をさらに固めた。


「わたしたちは召喚に入りますと、身動きがとれません。私たちの命、皆様に預けます」


 ジョゼリーヌが言う。


 燃えるような戦意に満ち溢れた瞳でうなずく騎士たち。


 三人の司祭も、その瞳に、全幅の信頼を寄せた。


「いきます!」


 ドリエスの合図に、三人の司祭がうなずく。


「天の父よ! 母よ! 子の願い、お聞き届けくださいませ! 地にはびこりし悪意の浄化を! 渦巻く暴力に鉄槌を! 消えぬ悲しみに癒しを! 今ここに天の御使いを下賜くださりまして奇跡をここに顕現せん!!  ――――御煌上照尊!」


 三名同時の唱和が響く。


 するとまるで、雲間から差し込むように、すっと、天から光が差す。


 その光が周囲を圧するかのように急激に輝きをまし、誰もが見続けることができなくなった、次の瞬間、


 空に、輝く戦乙女が忽然と現れたのであった。


 神聖の気配があたりに満ちる。光に包まれた戦乙女の姿はアルクスネの騎士や兵士にはまぶしくてきちんと捉えられない。


 光を放つ翼を広げると、まるで雪のように輝く羽があたりに舞う。


 全長六メートルはありそうなきらめく勇壮なる投擲槍、ピルムと、身の丈ほどの大きな楕円を描く盾、スクトゥムを構え、古代の貫頭衣の上から甲冑に身を包んだ、身長四メートル以上の光輝なる天使が、天意を実現すべく降臨したのである。


 日ごろ召喚魔法に縁のない、ましてや天使を見る機会などないアルクスネの騎士や兵士は感嘆の声をあげた。


 三人の司祭たちが戦場に視線をやると、同じように、三柱の天使たちも戦場を睥睨する。


 そして、物言わぬ表情のまま、ピルムを投擲した。


 ピルムは放物線を描き、地上に落ちる寸前、軌道をかえ地表すれすれを飛んでコボルド・ファランクスに襲い掛かった。コボルドたちは槍を強く構え、飛来する槍に備える。


 しかし、その防御はまったく無力だった。それはまるで例えるなら、破城槌が自由に空を飛んでいるかのようなものだ。重く、強烈な破城槌の一撃が城門を粉砕するように、三柱の天使から放たれたピルムは、コボルドたちの重装防御をまるで紙でも引き裂くかのようにたやすく、その戦陣を打ち砕くのである。


 さらに、隊列を貫通したピルムは、それ自体が意思をもっているかのように自由に動き、次々にコボルドの隊列をかき乱す。


 絶対に防ぐことがかなわない、傍若無人な槍がコボルドたちを無慈悲に蹂躙した。あちこちでコボルドの悲鳴と金属を打ち抜く重厚な音が響いた。その様は、ひとつにかたまることで大きな生物であるかのように見せる小魚の群れを、何の意味もないと我が物顔で突っ込んで食い破るクジラのようだった。


「す、すげーな………」


 ガンタニが呆然とつぶやく。その言葉に、誰もが同意のうなずきを返した。

 

 それでも、コボルドたちは愚直に、忠勇に、前進を止めることなどない。どれほど自分たちの常識を覆す超常の力に踏みにじられようと。


 天使が無力なコボルドに天罰を執行するが、その総数2万。到底簡単に撃退できる数ではない。目前に迫るコボルド・ファランクスに、一柱の天使が、ピルムを手に戻す。


 ドリエスが、投擲槍の攻撃だけではバルマンたちに突撃してくるコボルドの対処がおろそかになると判断したのだ。


 地上に降り立ち、ピルムを振るう。


 アルクスネ部隊に襲い掛かろうとしたコボルドたちは、先ほどと同様、無慈悲なまでの超常の力にいいように蹴散らされる。戦列を整え、猛然と駆け怒涛のごとく槍を突き出すも、その槍衾(やりぶすま)は天使のピルムに、まるで並んだろうそくの火があっさりと吹き消されるかのように軽々とへし折られ、吹き飛ばされるのであった。


 一柱の天使が圧倒的なまでの威力でコボルドから、バルマンたちの前面を守り、二柱の天使が意思あるかの如きピルムを操り、コボルドを撃破してゆく。


 召喚魔法とはこれほど強力なものだったのか、と誰もが驚嘆の声をあげた。


「来きます!」


 バルマンが、天使の猛攻から外れたコボルド・ファランクスの槍をはじく。


 いくら天使の攻撃が人智を超越したものであっても、それでも2万のコボルドを瞬時に撃破はできず、こぼれたコボルドが向かってくる。


「かっは! 俺たちの仕事もないかと思ったが、少しは分け前があって嬉しいぜ!」


 ガンタニも殺到するコボルド相手に槍を振るう。


 そんな軽口が叩けるくらいには、無謀な戦闘ではなくなったのだ。


「この前は、分け前もありませんでしたからね!」


 フランコが飛び上がり、ファランクスの槍のど真ん中に己が身をさらし、その槍を叩いて隙間をこじ開けコボルドに剣を突き入れる。


「はは、どこに射ても敵に当たる。狙いをつける必要がありませんよ!」


 ヨハンが轟然と言い放つ。万を越す大軍が目の前にいるのだ。


 しかし、その声は内心の怖気(おぞけ)の裏返しでもある。


「リリクル様ッ!」


 ビーククトがうながす。


「んむ、ビーククト隊はコボルド・ファランクスを狙え! ロイヤル・ガードは我が隊が討つ!」


 左側面でついに戦端が開かれたのを知ったプロンゾ長弓隊が援護の矢を放つ。


 超常の力を行使する三柱の天使。圧倒的な敵戦力に囲まれていながらも、それでもいけるのではないかと、幾人かは思った。しかし、それが非常に危うい綱渡りであることを知るものは少ない。天使を召喚し続けることは、膨大な魔力を必要とするのだ。そして、三人の司祭に、ニーモやミミクルのような魔力は持ち合わせてはいない。他にももっと強力な攻撃はできるが、それを行うと魔力消費量が跳ね上がる。


 2万のコボルドを撃破する前に、魔力が底をつきるかも知れない。


 三人の司祭は、必死に召喚魔法を維持しながら、内心の恐怖を押し殺して戦場を見ていたのであった。




「グワッ!」


 渾身の飛び込み後ろ回し蹴りを防がれ、さらに蹴りを繰り出した足にミスリル・ナックルを受け、数回体を回転させて大地に着地したコボルド・ロードが悪鬼の形相のまま苦鳴をあげた自身を恥じる。


「た、たかが人間の小娘がここまでできようとはな………」


 いい打撃を打ち込んではいるが、冷静にみても六:四で負けていた。


 今までの人生で、ここまで劣勢に追い込まれたことなど、ただの一度もない。それも、こんな小さな人間の女に、である。


 ぺっと口にたまった血を吐き出し、すっと腰を降ろし気力を充満させ構えを取るカトリーナに、コボルド・ロードは畏怖と脅威を感じ始めていた。


 数々の戦場を渡り歩き常に常勝であった尊厳も、これまで培った経験による誇りも、いや、それどころか自身の命すら、もしかすると奪われ潰されるのではないか。そんな、ありえないはずの想念がコボルド・ロードの脳裏をよぎる。


「ぐうぅ、見事だ。人間よ。ならば、これからは勝つために手段を選ばんぞ」


「ふっ。どのような手段であろうと叩き潰すまで。遠慮せずかかって来い」


 鋼より強固な意思を示し、美麗な顔を端整に引き締め、瞳に生命力を躍動させつつもまるで澄んだ泉の如く静止したままのカトリーナ。


 明鏡止水。


 あの若さでどうして、並みの武人を凌駕してはるかに隔絶し、すべてのものが目指しながら結局、多くのものが至れないその頂きに上ることができるというのか。


 もしかすると、武道だけではなく、すでに精神においてもはるかに隔たっているのやもしれぬ。


 コボルド・ロードとて驚嘆が禁じえない。


 しかし、ここは戦場。


 どれほどの高みに至っていようとも、一瞬の油断であっさりと命を散らすこともある。どれほどの強者であろうとも、死は平等に振りまかれるのだ。


「………天晴れ。なら、恥も見栄もなしだ」


 ピー、とコボルド・ロードが口笛を吹く。


 すると、コボルド・ロードの後ろに付き従っていたロイヤル・ガードが、見事な速度で周囲に控える。8000のロイヤル・ガードのその中でもさらに忠勇に秀でたものたちだ。


 何をする気だ、一斉に襲い掛かってくるのか? 


 警戒を強めるカトリーナ。


 気配からして、コボルド・ロードの周囲に参集したロイヤル・ガードは特に武に秀でたものであるとカトリーナは瞬時に理解していた。数はおよそ十数名。コボルド・ロードの背後にはまだまだいる。


 攻守を入れ替え戦場を狭しと暴れまわる二人に、ニーモやミミクルは広範囲を巻き込む魔法は放射できなかったのだ。よってコボルド・ロードの背後には本来の任務である近衛として近侍すべくロイヤル・ガードがひしめいていた。


 しかし、カトリーナにとってどれほどの数の雑魚をかき集めても、一撃のもとに叩きのめせばよいのだ。気をつけるべきはコボルド・ロードだけなのである。


「不利を悟っての数合わせか。そなたも凡骨よの」


 戦場であるからどのような状況であろうと勝てばよいのだ。そんなことはカトリーナとて理解している。


 しかし、せっかく一定以上の力量をもったもの同士の武道での決着を望んでいた身からすると、落胆は禁じえなかった。


「………凡骨ですまぬな。だが、凡骨なりの苦肉の策よッ!!」


 周囲を取り囲むロイヤル・ガードたちは、何故か、剣と盾を落とす。


 戦場で武器を捨てるなど、無意味な行動がわからないカトリーナ。


 そんなカトリーナの軽い混乱にさらに拍車をかけるような事態が起こる。


 ガッ、とロイヤル・ガードの胸元をつかみ、渾身の力で投げつけたのだ!


「なにッ!?」


 生きたものを投石のごとく投げ込むとは!


 人間には絶対に真似できない、亜人ならではの方法。


 常識を外れた戦いに、カトリーナも虚をつかれた。




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