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天と地と人  作者: 豊臣 亨
序章  騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード
2/49

騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (二)

5/12 誤字やら色々色々訂正。



「怖いかい?」


 自分にまたがる少女が震えたのがわかって、ケット・シーのニーモが気遣って言う。


「………大丈夫」


 大丈夫ではなかった。


 リリクルがディルツ騎士団の手によって篭絡されたという情報が、集落に戻った同胞から聞かされて、その晩、いてもたってもいられずプロンゾ集落を飛び出してきたのだった。


 少女の名はミミクル・プロンゾ。


 リリクルの唯一の妹である。


 そして数少ないプロンゾ族の巫女たる役目を受け継ぐものでもあった。


 年は18。リリクルの二歳下で、リリクルと同じく整った容姿の持ち主だが、18という年齢にしては幼い顔立ちだった。彼女は年齢のわりには成長が少し遅い。平均的なプロンゾ族からいうなら脆弱と言い切ってもよいくらいであった。


 いつもならとっくに寝ている時刻。


 一族が寝静まったのを待って飛び出してきたのだ。春が近づいているとはいえ北方ユーロペタの夜は相当冷え込む。しかし、寒さで震えたわけではない。ニーモのはった空気の結界によって外気は遮断されている。だから、高速で飛行している最中にあってもそこまで寒くは無い。とはいえ単身敵地に乗り込むなど、ミミクルのいままでの人生では考えられなかったことだ。寒くはなくても身が震えるのは当然だった。プロンゾ族の次代の巫女として大事に守られてきて、まともに母なる大樹から外の世界を知らないミミクルにとってここはまったくの未知の領域である。


 あのリリクルがディルツ騎士団に捕縛されたとはいえ、あっさりと篭絡されるとは思えない。何らかの汚い方法をもって手篭めにされたに違いないと一族の者が言っていた。その、手篭め、というのが具体的になにをさすのかは判然とはしなかったが、間違いなく、汚い方法だ。


 ディルツ騎士団を本気で憎んでいるのはプロンゾ族なら誰しも当然のことだが、中でも一層恨みを募らせていたのがリリクルである。長年にわたる戦闘によって多くの同胞を失い、二人の兄というかけがえのない家族も失った。無残な方法で殺されたのだ。その亡骸は、リリクルらには決して見せられぬほどのものであったと、聞かされている。そんなリリクルが、正気でもってディルツに下るわけがない。


 助けなければいけない。


 ディルツ騎士団がどんな愚劣な連中で、どんな卑怯な魔法を駆使するのかは人づてに聞いているだけだが、自分と、ケット・シーのニーモと力を合わせれば解呪できるはずだ。そう思うといてもたってもいられなくなったのだ。


「待ってて、リリ姉様」


 また、ぶるっと震えて、決意を新たにする。


 心配そうに少女の様子を伺うニーモ。


 ケット・シーというのは、長寿を生きた猫の魂がやがて妖精になったもの。もともと猫は魔力の強い生き物であるが、その中でも高位の魔力をもった猫が死後になるのがケット・シーだ。猫の背中に羽が生えた妖精であるが、このニーモは300年以上にも渡る年月を存在し、れっきとした神格をもつ。


 猫の姿ではあるが、大きさはプロンゾ族の体格のよい戦士にもひけをとらないほど大きかった。もっとも、神格にある妖精にとって姿かたちは仮のもの。いくらでも改変は可能だが。


 本来、神の座にまでいたった存在はそうそう人の世界に下りてこない。言うなれば、悟りにいたった聖人のようなものだ。俗世の喧騒を嫌い神聖な山にこもるように、その姿をほとんど消してしまう。また、俗臭ふんぷんたる並みの人間の召喚になど簡単には応じない。人間が操る魔法の中には妖精の意志を奪い、奴隷として使役するものもあるが300年以上の年月に渡って存在するケット・シーともなればそんな呪文などあっさり無力化できる。





                     ※




 長の年月殺伐たる世界をみてきたケット・シーにとって、この世はすでにうんざりするほど嫌なところであった。だから、低俗な人間が容易に立ち入れない妖精界でただ静かに、さらなる上位の神になるべく心を練磨していたのだが、いまから18年前、つまり、ミミクルが生まれたとき、森がざわついたのに興味を覚えて古プロンゾの森にやってきたのだ。


 妖精や、精霊、はたまた気配に敏感な魔物の類にいたるまで、とある人間の誕生を噂していたのだ。


 神の子が生まれた、と。


 人の身でありながら神格をもつものなどそうそう現われるはずがない。そう思った。


 軽い好奇心と、暇つぶしのつもりだった。顔でもみて帰るか、そう思ってミミクルの産屋に入って赤子のミミクルを覗き込んだとき、


 一目でとりこになった。


 確かに、神の存在に近い波長をもつ神聖な子だった。


 自分も他の存在と同じく、神の子の生誕を喜んだと同時に非常にその未来を危ぶんだ。


 こんなすさんだ世界で、こんな純粋な子が長生きできるわけがない。そう、思ったのだ。


 いや、神に近い存在なのだから死んでしまえば修行も必要なく神の座にいたれるのだろうと、そう思わないでもないが、悪なる存在に目をつけられれば、せっかくの神の子もただのえさとして食われかねない。この世界には魂ですら食ってしまう存在もある。


 いや、そんなもっともらしい理由ではない、理由などどうでもよかったのだ。


 ただ、


 自分をじっとみつめる、宝石のような輝きをもつ瞳の赤子に、その、宝石のような輝きで笑みを浮かべられて、心を奪われないものがあろうか。その瞬間、ニーモは夢中になっていたのだ。本当に、思わず差し出した手をぎゅっと握る、その力強さに、まさしく心をわしづかみにされてしまったのだ。そして、自身の尊厳をかけて守ろう、と決意したのだった。


 思えば、神格にあってとんだ気まぐれ。


 まあ、いい。と、ニーモは笑う。


 どうせ時間は腐るほどある。途中、やることが多少かわってもさして気にするほどでもない。さらなる上位の神格にいたるまで、あと何百年何千年かかるかわかったものではない。人の世の数十年など、物の数ではない。


 さっそく、神々しい精気を吸い取ろうとやってきた低俗な魔物を消し飛ばし、それからミミクルが物心つくまでニーモはその身を人目に触れさせること無く護っていた。


 そして、ミミクルが十分に物事が把握できる年齢になったとき、夜分にひっそりとその寝室に現れた。


「だぁれ?」


 気配に気付いたミミクルがゆっくりと、まぶたをこすりながら体を起す。


 そこには、大人の身長を超す、大きな翼が背中から生えている猫が、二本足でふわりと立っていた。だが、恐怖は感じなかった。


 ミミクルにとって、たびたび感じる気配だったからだ。


「妖精だよ」


 神だ。といえばたしかに正確だが、それでは威圧になってしまいかねない。


「妖精………さん? いつも、わたしを守ってくれてた人?」


「やはりわかってたね。そうだよ。君のそばにいた。ずっと。ずっとお話したいと思っていたんだ。………だから、やってきた」


 おびえないでほしい。とは言わなかったが、そう強く、願っていた。


「うん、わたしも。悪い魔物をいっつもやっつけてくれたんでしょ? ………そう、感じてた」


「まあね」


「お名前は、なんていうの?」


「名前?」


 そういわれれば、名前なんてもっていない。かつて生の中に命を得ていたときにはあった。だが、それはもはや300年も前のこと。覚えてなどいるはずもない。300年もの間、ただの妖精としてあったにすぎない。


 名とは、その者にとって重要な意味をもつ。


 親が子に名をつけるときは、その名、その文字にふさわしい存在たれ、という願いでもあるし、命に名をつける、命名とは、命令でもある。


 その者を支配する意味をもつものだ。もし、正しき名をもらっておきながら、正しき名を冠しておきながら、名に反した行いをすれば、その者は自らの名を汚したものとして侮蔑の対象となる。親への恩をあだで返したふとどき者となる。


 だからこそ余計に、人と違って精神世界に身をおくものは束縛を嫌って名を持たないし、名をつけないし、つけさせない。


「名は、ない。だから、君が好きなように呼んでいいよ」


 だから、人から、名をつけられるということは、主従を認めたことになる。


 彼女の使役する妖精になる。


 この世というものに失望し見切りをつけた、神格をもつ存在にとって、それは新たな喜びですらある。


 誰にも知られず神になるということは、世界そのものになるということ。つまり、消え去るということと大差は無いことだ。それでも別にかまわないと思っていた。ミミクルに出会うまでは。


 長い年月を存在する妖精にとって、人の一生などあっという間のこと。


 それでも、一緒にいたい、と思える存在に巡りあえたのだ。


 そんな時くらいは、腰を折って、仕えたっていいじゃないか。


「じゃあ、じゃあ、………ちょっと待ってね。う、ん、う~ん、うん。と、ニーモ! ニーモがいい!」


「それ、猫につける名前? ………まあ、いいけど」


「ううん、違うよ!」


「えっ」


「ニーモっていうのは、もっと古いプロンゾ族に伝わる言葉で、意味が『永久(とわ)の親愛』っていう意味なんだよ」


「………」


 もし、涙がでる身だったら、ぽろぽろとこぼれていただろう。とっくの昔に失われた、飼い主の膝で眠っていた時の安からな、穏やかな、温かな血潮を取り戻すかのような心地だった。


 ニーモは、すっと膝をついて、こうべを垂れた。


「………その名に、たがわぬことを、存在をかけて誓う」


 猫の手を差し出す。


「よろしく。ミミクル」





                     ※





 ニーモが危惧したとおり、ミミクルが普通に生きてゆくのはなかなか大変だった。


 古プロンゾ族は、自然信仰で生きる民族であるため、そもそも妖精や精霊、下位の神々と交わることができる民族だった。


 だが、そういったシャーマンとしての存在は徐々になくなっていった。

 

 力に比重を置いたからだ。


 戦闘民族として力を強く求めたので、魔法や呪術、召喚術といったものの修行をほとんど顧みなくなってしまったのだ。唯一残ったのが、森林を育てる魔法を受け継ぐ巫女のみだった。巫女は、プロンゾ族からほとんどなくなってしまった魔力を豊富に有して生を受ける。そして、その魔力を、森林育成のためだけにふるう。プロンゾ族の住まう普通にはありえない巨木は、巫女たちの手によって育てられたものだ。だからこそ、プロンゾたちは巫女を一族のもっとも大事にすべき存在として守る。巨木を育成する巫女が他に奪われればプロンゾたちは存在する意義を失ってしまう。木とともにあるのがプロンゾなのだ。


 その巫女という特別な存在で、ミミクルはさらに稀有な存在だった。


 ほぼ、闘争心というものをもっていない。


 いや、闘争心はおろか、人を憎んだり、ねたんだり、悪口をいったり、人の心の負の面を、すっかり忘れて生まれてきてしまったようだった。


 この、人の心の黒い部分をまったくもっていないということが、神の子であり、ニーモが惹かれる理由であるのだが、人の世で生きにくい理由でもあった。人として生きるということは、良くも悪くも、人でなければならない。


 ニーモが一族以外のよからぬ存在を排除しなければ、とっくにミミクルの命はなかっただろう。そして、一族の中にあっては、リリクルがおとなしすぎるミミクルを守っていたのだ。


 ミミクルは元気だけは人一倍あるが、人の世で生きるには無邪気に過ぎる。


 今回、リリクル救出で、生まれて初めて集落を飛び出したのは、ミミクルにとってはよい経験となるかもしれなかった。殺戮を事とする連中のど真ん中にいくことは危険きわまりない、巫女を連れ出して敵地潜入など本来なら許されない行いだが、いざとなれば全存在をかけて守るつもりだった。神格にまでいたった妖精は、並みではない。


「見えてきた」


 アルクスネ砦が眼下にみえた。


 外界をぜんぜん知らないミミクルはともかく、ニーモはアルクスネ砦の場所も知っている。


 アルクスネの地はもともとはプロンゾ族にとって重要な水資源の地だったのだ。付近で唯一存在する大きな湖であり、安定的に獲れる魚介類は重要な食料であった。生物の少ない北方にあって食料を確保することは死活問題である。プロンゾ族が死に物狂いで防衛しようとしたのも当然だった。


 現在、ディルツ騎士団が奪取して砦を築き、ディルツ人の入植を行ってからは交易の拠点となっている。バルバル海の海洋貿易で発展を遂げつつあるリーグ港町の物資やポンドランドからの品物など、様々な物資が取引される。たった二年しか経っていないことを考えれば驚異的な発展を遂げていた。


 アルクスネ砦は大きな湖の中に浮かぶ小島に築かれている。全周を湖に囲まれた天険の要塞といえる。いざとなれば橋を落とせば周囲はすべて水。篭城には絶好の立地だった。島の面積は大きく、一万の兵が楽に駐屯できるし、食糧備蓄も万全で数年は篭城できるだけの備えがあった。


 もっとも、巨大な石材や木材を大量に運搬できるほどの街道整備はまだなので、小規模な砦だ。やぐらを要所要所に配して空からの奇襲に備え、島の北端に土を掘って土塁を盛り、盛地に屋敷や宿舎などを建てただけの、急ごしらえのものだった。また、島南端に宿舎や厩舎や教会、訓練場などがある。


「リリ、って呼んで、いいぞ」


 ミハエルににじりよって言うリリクル。


「あ、いえ、わたしとしましてはもう少し建設的なお話を」


「かしこまる必要はない。いずれ、伴侶になるのだ、もっとお互いを知るべきではないかと、わたしは思うのだ」


 ここは管区長執務室。


 一度戻ってプロンゾ族の了承をとってからの方がよいのではないか、というミハエルの意見を無視してリリクルは強引についてきたのだ。簡単な歓迎の晩餐を行ったので、今後のディルツ騎士団とプロンゾ族の融和について話し合う、はずだったのだが。


 何度か、妻帯できない旨を説明したはずなのだが。


 ミハエルにはびっくりするほど欲はない。もちろん、女性に対する欲もない。いままで、女性に言い寄られることはあったが、持ち前の怪力で逃げていたのだ。しかし、ここは執務室。逃げ場などない。ディルツ騎士団とプロンゾ族の融和政策を劇的なまでに推進する絶好の機会が到来した今、是が非であろうとも事をなさねばならない。


 ならないのだが、ここまで過剰に友好的な姿勢を示されると逆にどうしたらいいのかさっぱりわからないミハエルである。


 戦闘向きに加工した毛皮をはずしたリリクルは、戦士にしては女性らしい、というか、かなりメリハリが利いた魅惑的な肢体をしていた。胸も、結構な分量を誇っていた。


「結婚もできないとは、つまらない宗教だな! そんなつまらん神の教えなど捨ててしまったほうがいいぞ」


 改宗を迫った相手に棄教を迫られる、という珍事がそこにはあった。


「そういうわけには」


「一生独り身を貫くなど、何がおもしろいんだ? お、いい事を考え付いたぞ」


「な、何でしょうか?」


「わがプロンゾの古神道信者になればよかろう。巫女といえど結婚可能な、おおらかな宗教だぞ!」


「わたしに改宗を迫らないでください………」


「悪いか?」


「大変魅力的なご提案ですが、わたしにはすでに忠誠を誓った神がおわしますれば」


「なんだつまらん」


 少しむくれた仕草。もちろん、本気ではない。


 と、そこに部屋の扉をノックする音がした。


「ど、どうぞ」


「邪魔するよ。お、本当にお邪魔だったかな。こりゃ失礼」


「んむ。そのとおりだ。邪魔するでない」


「ま、待って。ノルベルト、用件をお願いします」


「ちい」


 ノルベルト・グリモワール。ミハエルの智慧袋といって良い人物だった。


 もともとは傭兵で、各国を剣一本で渡り歩いた経歴をもち、第四次十字軍遠征にも参加したこともあるのだが、その際、右手を負傷して剣を握ることができなくなって傭兵家業を引退したのだが、騎士団に入会し、作戦参謀的な働きをしていた。


 ミハエルは人間離れした戦闘力をもつものの腹案、謀略という才があまりない。正確にいうのなら無欲に、無邪気にすぎるのだ。そんなミハエルを危ぶんだ、別の言い方をすればちょろい奴だ、と見抜いて管区長就任を機についてきたのだ。昼間の捕縛作戦を考えたのも、もちろんノルベルトである。ミハエルに猪突猛進的な作戦指揮はできても深謀遠慮はできない。それもミハエルの人物の故だが。


 ノルベルトは元傭兵、ということもあり、堅苦しい修道会にあってはざっくばらんな兄貴分、といった人物だった。適当にあしらえるミハエルのそばこそが一番気楽、と見抜いているのである。しかも、最前線のうまくいけば手柄となる場所だ。剣士としての道を諦めざるをえなかったノルベルトだからこそ、ミハエルをうまく補佐して、もっと言うと操縦して美味しい目に与ろう、という気だった。


 なので、ミハエルとリリクルがどういう関係になろうがあまり気にしない。


 ばれなきゃいーんだよ。


 が、彼の口癖だった。


 とはいえ、ミハエルは助けてくれ、と言っていた。目がそう言っていた。お子様を放置しすぎるのも保護者としては多少気が引ける。


「あー、ディルツ騎士団とプロンゾ融和がこれこの通りうまくいって、実にめでてぇことなんだがな。リリクル嬢よ、そいつを手篭めにするのはちいーっと待ってくれねぇか」


「さ、さすがにそこまでは考えてはいないぞ!」


 図星をつかれたわけではないが、そこまで言われるとさすがに気が引けるというものである。


「誰が誰を手篭めにするかはおいといても、この微妙な状況下でそこまでいっちまうと反感を買う恐れがでけぇ。族長の娘をよくも手篭めにしやがったなぁ、とプロンゾ族が激昂してもおもしろくはないだろ?」


「う……」


「わかってもらえて幸いだ。と、いうことで、本日はお開きだ。さあ、寝な………」



どっ



 最後まで言葉をつむぐことなく、ノルベルトが倒れこんだ。


 ぎょっとしたリリクル、倒れたノルベルトをみる。暗殺された様子はない。魔法で眠らされているのだろうか。


 次の瞬間、ミハエルもずずっと体をずらして倒れこむ。眠っていたのが分かった。


 敵の侵入?


 盗賊の類か?


 ディルツ騎士団が他にどんな敵を抱えているのかなど知る由もないが、何者かの襲撃を受けていることは明らかだ。しかし、ミハエルの昼間の常人離れした戦闘力からするなら、ここまですんなり魔法にやられるのは意外な感じがリリクルはした。倒れこむミハエルの頬をつまむが、命に関わるような危険な様子ではない。確かに周囲には強力な睡眠の魔法がかけられている。しかしそれはプロンゾ族の者なら耐えられるレベルのものだ。プロンゾ族にはかつての魔法は失われたとはいえ、魔法の耐性は強い。


 プロンゾ族にここまでたくみに魔法を操るものなどいない。


 いや、いない訳ではないが、可能性としてもっとも低い。虫も殺せないような子だ。それに危険な外界に出るなど許されるはずもない。


 そういえば、今頃何をしているのか。悲しんでいるだろうか。にく、むことはしないな。心配しているだろう。泣いていなければよいが。


 護ってやる、と言っておきながら、置いてきた。


 申し訳なさに心が痛む。


 とはいえ、異常事態にリリクルはソファを立ち上がって状況を確認しようとした。もしディルツの敵が現れたのだとすると、わたしはどちらの側に組すればいいだろうな、と苦笑しながら立ち上がる。


 すると、その時。


「リリ姉様!!」


 執務室の湖に向かってつくられたバルコニーの大きな扉をばーんと開けて飛び込んできたのはニーモと、そのニーモにまたがるミミクルだった。


「な………ミミ、クル?」


 あまりの驚きで動きが止まるリリクル。そのリリクルめがけて、ミミクルは飛び込んだ。


「無事でよかった!」


「ま、まさか、プロンゾ族総出で討ってでてきたのか………?」


 巫女は外には出ない。それがプロンゾの掟だ。その巫女が出てくるほどの、プロンゾが一大反攻作戦でもおこしたというのか。


 まさか、ここまで大事になるとは、とリリクルは自身の迂闊さを呪った。


「いや、来たのはミミとわたしだけだよ」


「ふ、二人だけ!? ミミッ、巫女の立場を忘れ―――」


「それでも!! それでも心配だったんですッ!」


「ッ!」


 ここまで激したことはいままで一度もなかった。


 ミミクルは、祖母ディレル・ピロンゾと二人しか残っていない、プロンゾ族のかけがえのない巫女。だからこそこれまで過剰なまでに守ってきた。ことの重要性がわかるミミクルだからこそ、不満も言わず、希望も口にせずおとなしく生きてきた。


 そんなミミクルが、リリクルの身を案じて掟や、自身の立場などをかなぐり捨てて救出に来てくれた。


 自身の色恋の感情を優先させて、とんでもない迷惑をかけた、とリリクルは本当に自身の迂闊を嘆いた。


「さあ、いまならこの砦すべての兵が寝ているはずです! いますぐ逃げましょう!!」


「ま、待て、わたしの身を案じてくれているのは大変ありがたいんだが、これはわたしが望んだことでもあるんだ」


「なんでッ!? きっと、それは手篭め、にされて操られているのです!」


 手篭め、の意味はわからなくとも、洗脳的な悪辣な方法なのだ、と見当をつけたミミクルである。


「いや、ミミ、リリに変な魔法はかけられていないよ。それに、ソファで眠っている、この男、ミミと同質の人間だよ」


「どういうことっ?」


「この男と、そこで寝ているやつが指揮官クラスのものだ。エネルギー量からわかる。そんなものがミミと同じ、神に祝福された存在だとは驚いた。こんな存在が同時期に二人も現れるとは……。天も、すごいことをするもんだね。まあ、少なくともこの男は女を手篭めにするような真似はしないってことさ。逆はありえても、ね」


「ごっほんごほん! ニーモ様も落ち着いて聞いてほしい。これは、このディルツ騎士団とプロンゾとの将来を見据えたからこその行動なのだ」


「意味がわかりません………」


 一族を滅びの淵に追いやろうとしている者と手を携えようというのか。


 いや、自分はともかく、以前のリリクルならばそんな思考にはならなかったはずだ。やはり、どこかで洗脳的なものにやられているのではないか、ミミクルは疑う。


「信じられないのも無理はない。わたしとて煩悶した。憎さでいうのなら皆殺しにしてやっても足りやしないだろうな。しかしこのまま、ディルツ憎しで反攻ばかりを策していてもいずれば先細る。プロンゾはこの30年、住処を奪われ、一族を失い、このままでは、プロンゾ族そのものが地上からなくなってしまいかねない。我々の感情はどうであれ、このままではこの事実は揺るがないだろう。しかし、我が母なる神木は我々に一条の光を差し伸べたのだ。それが、この男、ミハエルだ」


 眠りこける男を示す。


「こいつはそれまでのディルツのやり方を捨てて、プロンゾとの融和を優先させた指揮を行っている。どうしてだ? ディルツにもいままでのやり方だと自分たちにも被害が大きいことを理解するものができてきたという証拠だろう。得るものに対して、損害が割りに合わないということだ。プロンゾも、この流れに乗っからない手はない。いままでの恨みを横において、プロンゾを、未来に残す術を、模索すべきなのだ」


 リリクルが、ミハエルへの恋慕の情を断ち切るかどうか、煩悶に悩んでいたときに至った思考がこれだった。


 暴力を以って暴力にかえ、その非を知らず。


 怨みに思っても、怒りに焦がれても、滅亡してしまってはすべてが無に帰す。怨みも、怒りも、受けつぐものあってのことだ。


 それよりは生存し、プロンゾの命を、文明を、伝統を、宗教を、言葉を、子孫に残し受け継いでいかなければいけない。


 そう、思えるようになったのも、間違いなく、恋慕の情があったからだ。


 生きたい。


 この恋を成就したい。


 この恋が、敵と敵という、悲しいさだめに打ち負けてよいものだろうか。


 ましてや、いま融和の中心の指揮をとっているのが、その恋の相手ではないか。


 思い切って、その者の胸に飛び込んでみるのも、打開策になるのではないか。


 リリクルは、自身の思い切った行動こそが本当に大事なことなのだと思ったし、そしてそれは的中したと信じている。確かに、戦闘のときは絶望的な気持ちにはなったが。しかし、実際のミハエルはそんな気持ちを上回るほどに純粋な男だった。美しいうえに、純粋なディルツ騎士。自身の旦那にこれ以上のものはいないというものだ。


 しかし、恋などわからない、ましてや大義も正義もわからないミミクルには思考の範疇外だ。


「なるほどね。面食いなリリらしいといえば、らしい。しかし、リリはいいとしても、多くのプロンゾたちがはいそうですか、と納得すると思うかい」


 リリクルの本心がどこにあるのか、瞬時に見抜いたニーモである。だからこそ、私情を優先させたリリクルの言い分を誰が納得するだろうか、という懸念はある。たとえ、リリクルの言っていることが事実で、それ以外に道はない、としても。


「………しなければ、プロンゾに未来はない」


「やれやれ、どう転ぼうと前途多難だね。なら、わたしたちは先に帰るよ」


「ニーモ!」


「ここにいるのはリリの意志。それが分かった以上、わたしたちがここにこれ以上止まるのは愚だ。いまなら誰にも気づかれずに家に帰れる」


「そうだな。巫女まで失った、となったら一族が崩壊しかねん。安全なうちに帰ったほうがいい。わたしならいざとなれば逃げ出す自信はある。………助けに来てくれて、ありがとう。まさか、お前がここまで行動できる子だなんて、思いもしなかった。お前を見くびっていたな。わたしは大丈夫だから。さあ」


 優しく、ミミクルの頭をなで、謝意を表する。


 その表情は、いつもの、リリクルのものだった。



 コクン



 これ以上は言っても仕方ない。


 そう悟ったミミクルは静かにニーモにまたがった。


「きっと、帰ってきてくださいね!」


「わたしが帰る家は、ひとつしかないぞ?」


「はい!」


 朗らかに微笑んだミミクル。後は振り返ることもなく大空に飛び出すのであった。


 闇の彼方に消え去るのを見送ったリリクル。執務室に戻って、ため息をつく。


「しまった。魔法をといてもらってからのほうがよかったか………」


 説明がめんどうだな、と頭をかいた。


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