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天と地と人  作者: 豊臣 亨
二章  鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク
19/49

鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (八)

5/15 誤字やら訂正。



 コボルドの君候、コボルド・ロード。


 名はヴォルゴノーゴ。


 輝かんばかりの白銀の体毛が全身を飾る、身長三メートル半の巨躯。漆黒に染まる鋼の甲冑を身にまとい、白銀の体毛と相まって見事なコントラストをなす歴戦の勇将である。顔つきは、勇壮な狼、というよりは地獄の猛犬ケルベロスかと見まごう桁外れの威圧感を発する形相をしていた。


 多くのコボルドが茶色かこげ茶、灰色などの体毛なのに比べると絶対数の少ない、見とれるほど美しい白銀の毛並みの戦士だ。


 彼は、数あるコボルド戦士の中でも類まれなる身体能力を有し、数々の戦場で他者を絶するほどの功績をあげ、君候位、ロードの地位を得た。良く知られたことだが、コボルドは、指揮官から狙われるという運命にある。よって、雲霞のごとき戦士を擁するコボルドといえどロード位に到るまで生き残れるものも実はそう多くはない。彼は稀代の傑物なのである。


 また、コボルドは生き続ける限りずっと成長し続けるという特徴も持つ。ロード位にまで到る頃には、身長が三メートルを超えるのはそのためだ。それだけ数々の戦場を経験し、生存を果たしたコボルドならば、純粋に身長と比例するように膂力も増大し並みのコボルドの比ではない。


 しかも、彼は成長と比例する長大な身長と、他者をはるかに凌駕する鍛え上げられた筋肉と、その体格からは想像もできないほどの優れた反射神経、そして、数々の戦場を経験し数多の兵士を自由自在に操る類まれなる指揮能力を持った司令官だった。


 出世したとたん慢心し、手ごまとなった兵士を操るだけで自らは戦おうとはしない凡百の指揮官とは格が違う。それどころか、状況によっては自らが前線に踊り出、傑出した膂力と武器で敵を蹴散らし、叩き潰してきた。指揮官を失えば全軍が瓦解する、というコボルドの運命すらかえりみず、しかも結果、敵対するものすべてを撃破してきた猛将。


 現王、コボルド・キングが身まかられることがあれば、次代の王はヴォルゴノーゴであると目するものも少なくはなかった。


 コボルド世界では、血脈は重視されない。あくまで、より強いもの、より強大なるものが全種族を統治するべき、というある意味野蛮な習慣しかもっていない。しかし、だからこそ強者は絶対であり、コボルドは強者の命令には絶対服従なのだ。


 戦場を睥睨し、采を振るうか、思考するヴォルゴノーゴ。


 前面に展開するコボルド・ウォーリアは約7万。


 タルトームに取り付き現在も戦闘を行っている兵はおよそ3万。死者、戦闘不能、負傷者は恐らく1万5000から2万。予備戦力として陣形を維持したまま攻城兵器を操る部隊が2万。


 払暁の戦闘開始からすでに三時間。戦死者等を含めると、5万のコボルドがタルトームを陥落すべくすでにタイルドゥ軍と死闘を演じている。


 状況は有利だ。


 タイルドゥ軍の魔法による反撃は想定したほど苛烈ではなかった。早々に魔法使いを潰せたのだろう。三時間での戦闘推移からすれば戦闘不能者はまだ少ないほうだった。攻城櫓の五分の一は城壁に取り付き、順調にコボルドが城内に突入を果たしている。このまま逐次の投入をしなくとも現状での3万のウォーリアたちでも制圧可能かもしれない。戦後の占領や維持を考え戦力を温存すべきか、それとも徹底抗戦すらねじ伏せるため止めの投入か。


 中に突入を果たしたコボルドも続出してはいるが、城門を開けるにはいたっていない。いまだ城門付近の完全制圧にはいたっていない。しかし、それも時間の問題であろう。


 とはいえ、この城壁の突破を果たしても街の中心にそびえる教会は徹底的に要塞化されており、その教会を陥落させるにはさらなる犠牲が必要であろう。


 完全なる征服か、


 それとも、街の住人をありったけさらうだけの収奪か。


 損得を思案する。


 この城を占領したとしても、ここは人間世界からも近く、年間を通しての占領維持はたやすくはないであろう。確かに、攻めるに難く守るに易い難攻不落の形容を与えてもよい、立派な要塞である。しかし、数で押し切ればそれとて絶対ではない。現に今、タルトームの街は敗色が濃厚になりつつある。


 ちなみに、持久戦、長期戦となった場合、圧倒的に有利なのはコボルドだ。なにせ、人間の三~四倍の繁殖能力がある。しかも、人間がいっぱしの戦力として機能するのにかかる時間は最低でも約15年、しかし、コボルドなら10年で戦士として戦える。圧倒的な繁殖能力と育成の早さ、これがコボルドの強さの根幹だ。個々の戦士としての力量とて決して引けをとるものではないが、ここまでお手軽に戦力補充がなされるコボルドの有利は小揺るぎもしない。


 兵隊をどんどん生み出せる、という圧倒的、絶対的なアドバンテージ。兵隊を文字通り捨て駒として遣い潰しても、それでも何の問題もなく次々と補充が利く、というのは軍を運用するものからすれば笑いが止まらない。


 すべては時間が解決する、のはまさしくコボルドの側の言葉だ。


 とはいえ、都合よくこの攻城戦で5万の兵が生き残ったとして、短期的に考えればコボルドとて生命体、腹が減っては戦えない。街をまるまる支配したと考えると、それだけの戦力を年間を通して維持できるのかどうか。5万の兵を養う食料や生活物資を付近から強奪するか、本国から輸送せねばならない。そこまでして守り抜く価値が、果たしてこの街にあるのかどうか。


 しかも、窮鼠猫を咬むともいう。タルトームの住人が追い詰められたものの必死さで抗戦すればこちらにどれほどの被害がでるかは現時点ではまだまだ不透明だ。


 ここは、いったん占領を諦め、全戦力でもって速やかに街の側だけを陥落させ、人間共をしょっ引いて本国に帰ったほうが得策なのではないか。ならば戦力を温存している場合などではない。


 しかも、ピウサ、あの古ぼけた修道院とやらに送った別働隊からはその後、報告も何もない。


 たったあれだけの修道院が、十日を過ぎてもなお陥落できないはずはない。


 ならば、人間の軍に撃退された、と考えるのが自然だろう。


 この地に至ってすでに結構な時間が過ぎてしまった。大きな城砦都市を目前にし攻城を完全なものにすべく時間を費やしたが、そろそろ各地から人間の増援がきても決して不思議ではない。この攻防に時間をとられ、包囲されるのは面白くない。


 今は、とりあえず城壁を突破し、人間をさらい、とりあえずの戦果を獲得すべき、か。


 三時間、微動だにせず戦場をただ眺めるだけだったヴォルゴノーゴがついに采を振るう決断をする。


 椅子から腰をあげ、丸太の如き右腕を持ち上げようとした時だった。


 その時、兵が騒ぐ。


「どうした」


 兵が言うには、左手に敵の増援が見えた、とのこと。やはりだ。時間をかけすぎたようだ。左手、というからにはピウサから来たに相違ないであろう。ピウサに送った別働隊は1万。それを撃破してきたということは、それ以上の戦力できたのか。ヴォルゴノーゴは包囲される状況を考え顔に渋面を作った。もっとも、見た目からして渋面の化身のような顔だが。


「数は?」


 兵の報告を受け、ヴォルゴノーゴは立ち上がり、陣幕を出て、増援を確認する。


 たった2000とちょっとだと………?


 気でも触れたか? それとも、ピウサ別働隊を破ったのとは全然違う軍で、タイルドゥ軍の遠征部隊が帰還した、とでも言うのか?


 コボルド戦における常套、指揮官を狙え、そのつもりなのだろうが、こちらは数の上でも8000ある。たかだか2000ちょっとの小勢など物の数ではない。


 敵はタルトームの状況にやけっぱちになったのか、とヴォルゴノーゴは嘲り笑った。


 数でも上回っているが、それだけではない。こちらは最精鋭。我らの実力など、人間風情にはまったく理解できないのであろう。馬鹿な者共よ。


 わざわざ迎撃に出向くまでもない。蹴散らしてやれ。兵に伝令し、やってくる2000の敵部隊に向かってヴォルゴノーゴは虫けら共がという侮蔑の視線を注いだ。しかし。


 ………まて。


 彼我の距離が一キロになったあたりでヴォルゴノーゴは違和感に気づく。


 澄み切っている………。


 歴戦の勇将たるヴォルゴノーゴの目が眼前の敵部隊に釘付けになる。


 彼奴らは、やけっぱちでも、自暴自棄でも、捨て身の特攻でも何でもない。


 進軍してくる姿勢が、動きが、音が、澄んでいたのだ。


 やけっぱちの、諦め半分の決死の突撃ならば、そのような部隊は精細を欠くのだ。動きに乱れや無駄な力みを感じるものだ。それが、眼前に迫る部隊には見当たらない。


 すでに彼我の距離一キロを過ぎた眼前の敵兵は、整然とした、すべての者共がひとつの意思によって信念を固めたような、旋律のごとき澄んだ気配を感じるのだ。


 勝機があって、ここに向かっている。


 こちらが8000の戦力を有していることなど、敵だとて重々承知のはず。それでも、勝利を信じてこちらに向かっているのだ。


 もしかすると、やはり奴らこそがピウサ別働隊を撃破した増援なのではないか?


 ヴォルゴノーゴは、確信に近い結論に達する。


 ピウサに送った指揮官は、確かに自身が掌握する部隊でもレベルの低いコボルド・ウォーリアだった。だから別働隊にしても惜しいとは思わなかったのだ。とはいえ、それでも人間からすれば十二分に脅威のはずだった。決して、やすやすとやられるような奴らではない。その1万のコボルドを撃破して、それでも向かってくる敵部隊。


 恐らく、ピウサ別働隊と苦戦して向かってきておるのではないな。


 ヴォルゴノーゴはまたもや確信する。


 もし、1万という同数同士で決戦に至り、その残兵が2000であったとするのなら、この8000に対して向かってくるはずがない。恐らく、あの戦力、2000でコボルド・ウォーリア1万を蹴散らし、しかも我ら8000と戦っても十二分に勝利を得られる、その結論に達し向かってきておるのだ。眼前の人間共は。


 ヴォルゴノーゴは不敵に口の端をゆがめて笑った。


「おもしろい」


 どうしますか、兵が問う。


「ただ、無策に突っ込んでくるのならばせいぜいひきつけて、貴様らがただのウォーリアではないことを思い知らせてやれ。だがもし、おかしな動きを見せれば………、何か秘策があるに違いあるまい。わし自ら出向く。総力で叩き潰す。温存した戦力も反転させ、敵増援を叩きつぶす」


 はっ。兵が敬礼する。


 ヴォルゴノーゴの、司令官とも思えぬ吶喊(とっかん)はヴォルゴノーゴ軍の代名詞ともいえるものだった。しかも、並みの戦士を圧倒する鬼のような強さをもつ戦士なのだ。そのヴォルゴノーゴが自ら出る、と決断を下すほどの軍勢。コボルド兵は、接近する人間部隊がただの小勢ではない、と分かった。


 敵増援がこれだけに止まらないとするのならば攻城戦は失敗となる。包囲される前に全軍をまとめあげ戦線を離脱せねばなるまい。ヴォルゴノーゴはこれだけの準備を整えておきながら、何らの戦果も出せない時を思うと渋面を作る。しかし、心はすぐに別のことを考えていた。


 きっと、敵は手ごわいのであろう。


 ならば、ますます楽しみだ。


 そんな、強敵を、豪腕をもって粉砕し、文字通り叩き潰す。絶望と恐怖の悲鳴をあげさせるのが何よりも楽しいのだ。


 ヴォルゴノーゴは陣幕に戻って、立てかけてあった自慢の鉄槌を持ち上げた。


 鋼鉄製の戦槌。スチール・ハンマーだ。


 その重さは優に100キロを超える。


 数々の戦場を共にしてきた。ところどころへこみ、傷つき、不恰好な有様だが、すでに何百、何千もの命を叩き潰してきた相棒なのだ。敵の血と脂にまみれ不気味な黒金(くろがね)色の光を放っている。


 スチール・ハンマーを軽々と肩にかついで改めて迫る人間共をにらむ。


「誉れある手足ども、蹴散らしてやれ」


 ロイヤル・ガードに下命する。


 ロイヤル・ガードは方陣、密集陣形ファランクスではない。敵の血を求めて戦場をせましと暴れまわるヴォルゴノーゴに追走するべく近衛兵、ロイヤル・ガ-ドたちも軽快に動けるよう最低限の装備に止めている。武装は立ち回りやすいロング・ソードと鋼のカイト・シールドに鎖帷子、チェイン・アーマーに心臓など重要部はプレートで防御している。


 太鼓や陣笛が盛大に吹き鳴らされる。


 タルトームに向かって布陣していたロイヤル・ガードが左手から突進してくる人間共に向いて布陣を敷きなおす。驚くべき迅速さで2000の人間部隊に向き直り、その剣で屠らんと、静かにその時をまって鎮座する。


 短期決戦を望むのが何も人間だけではないということを教えてやる。


「恐怖にゆがんだその面ごと、喰ってやる」


 人間共をにらみすえたまま、ヴォルゴノーゴは凄絶に笑った。





   ※     ※     ※     ※     ※      





「そろそろ目測500メートルです」


 ビーククト・ブロンゾが報告する。


「よし、全軍速度を落とせ! ここからは慎重にいくぞ!」


 リリクル・プロンゾが手で部隊を制する。


 今いるコボルドがどれほどの精鋭かは知らないが、いまだ長弓も知らないような奴らだ。


 ピウサ修道院でのコボルドと同じ行動に出るはず、とリリクルは予想していた。直前までひきつけ動かずに迎撃だけすればよいだろう、と思うはずだ。そして、こちらもそれにつけ込んで、前回と同様の状況で散々に打ち破ってやる、と意気込んでいた。


 前回の胸のすくような勝利に、リリクルはまだ浸っていた。


 じりじりと距離をつめ、緊張しながらもこの一歩が勝利に近づく一歩でもあるのだ、とプロンゾ戦士も勝利を期してごくりとつばを飲み込む。


「いよいよ、目測300です」


「よし、止まれ! 敵はまだ動かんな! 矢をつがえろ! 必殺の雨を奴らに見舞ってやるのだ!!」


 リリクルが全軍停止の合図を送り、矢筒から矢をつがえて構え、矢を放とうとした。


「我らの勝利の歴史を、また刻むのだ、はな、――なッ!?」


 その時だった。


 上空に向かって、プロンゾ長弓部隊がきりきりと弓を引き絞った、その時、異変が起こった。


 微動だにしなかったコボルド軍が、こちらの停止と攻撃態勢をみて、まるで我らこそが弓から放たれし一条の矢だと言わんばかりに突進してきたのだ。


 しかも、その動きはピウサ修道院のコボルドの比ではなかった。こちらの思惑などお見通しであるといわんばかりの、まるで突風のような、恐るべき突進だった。


「は、放てッ!!」


 逡巡していても仕方ない、リリクルはとりあえず敵前方に矢を放つ。 



ザアッッ!


 

 1000の矢が、美麗な放射を描く。


 しかし、その矢はロイヤル・ガードの掲げた盾にほとんど阻まれた。矢を受け、絶命したものは、十数名に止まる。鋼鉄製のカイト・シールドには、長弓の脅威の貫通力であっても300メートル離れていれば絶対的な破壊力とはいかなかったのだ。十数名の脱落など8000のコボルド兵からすれば、ほぼ誤差の範囲だ。ロイヤル・ガードの驀進に遅滞はない。


「な、なんだと!」


 ほとんど被害がでない事態に、リリクルの顔は蒼白になる。


 まだ敵の接近まで時間はある、あと二~三斉射はいけるはずだ。しかし、直前まで敵の接近を許せばロイヤル・ガードに虎の子の長弓隊は蹂躙される。ぎりぎり直前での前後列交代、などと悠長なことをしていては陣形入れ替えの無防備なアルクスネ部隊に怒涛の如く押し寄せてくるだろう。元も子もなくすほどの被害を受けかねない。


 攻撃か、後退か、リリクルは顔面蒼白のまま迷った。


 たった一射だ。たった一射しかしていないのだ。


 1000のプロンゾ長弓隊が、アルクスネ部隊の命運を握っているといっても決して過言ではないのだ。ピウサ修道院にて1万のコボルド・ウォーリアを駆逐したのも長弓隊の活躍あってのもの。その長弓隊がおめおめと引き下がってよいものか――――。


 圧勝の余韻が忘れられないリリクルは、まだ勝利へのこだわりが捨てきれなかった。


 しかし、異変はさらに続く。


 最後尾のコボルド軍の太鼓や陣笛の信号隊が、けたたましい騒音を発し新たな信号を送り始めたのだ。


 そして、その音を受けて一斉に回答する、タルトームを包囲し温存されていたコボルド軍、2万。攻城兵器もすべての操作をやめ、コボルド・ロードの救援に駆けつけようというのだ。


「ばっ、ばかな………」


 絶望に目の前が真っ暗になるリリクル。


 たった2400のアルクスネ部隊を撃退すべく、いま動ける戦力のすべてを投入しようということなのであった。


 ミハエルは、最悪の状況になったことだけはわかった。


 これだけの少ない戦力であるのなら、前回と同じく敵は慢心するはず、という目論みはあっさりと費えた。むしろ、8000の強敵に向かってくる2400など、決して弱兵ではない。と敵を最大限に警戒させてしまった、ということだろう。


 だから、有無を言わさず叩き潰すという、ある意味もっとも安全な策にうって出たのだろう。


 攻撃は最大の防御だ。


 今、向かってくる敵指揮官、コボルド・ロードは、前回の指揮官とは大違いの判断力をもっている、ということなのだった。さすが、君候というべきか。


「こちらを完全に粉砕する気だぞ、コボルド・ロードは。恐るべき慎重さだ」


 ノルベルト・グリモワールがあせった声を発する。さすがに、十倍以上の敵が向かってくればあせりもする。


「に、逃げますか?」


 フランコ・ビニデンが率直な気持ちを吐露する。直後、頭部に衝撃。


「ど阿呆。この状況で逃げられるか。無防備な俺らを奴らが見逃すかよ」


「ぐぐぐ………ですよね………」


 ノルベルトの本気の拳骨をくらって軽く脳震盪を起こすフランコ。


 恐らく、全力で猛ダッシュすれば、何とか逃げ切れるだろう。しかし、2400の集団が一斉に回頭し怒涛となって押し寄せるコボルドから無事逃げおおせるわけがない。前がつっかえてもたもたしている背中を情け容赦なく、いや、ここまできて逃げ出す臆病者にはそれこそ嗜虐心すらかき立てられ、嵩にかかって攻め立ててくるはずだ。それこそ、骨すら残らない、奴らのいいエサに成り果てるだろう。


 敵が猛然と迫ってくる以上、戦って退ける、それ以外にもはや、活路はない。


「はい、長弓で敵を削っている場合ではありません………前後列後退!」


 ただちにプロンゾ長弓隊と1100の歩兵を入れ替えるミハエル。ちなみに、アルクスネに向けて避難するピウサの修道女を護衛するのは弓隊100だ。


「ま、まさか、まさかコボルドがここまで我々を恐れて襲ってくるとは………!」


 大男の修道士ギルス・バッテルンは絶望的な状況に顔面が蒼白だ。


 タイルドゥ司教区への援軍を要請したのは彼だ。つまり、今あるミハエルらの死地も、彼の責任、といえなくはない。その責任を感じて血の気が引いているのである。もちろん、安請けあいしたミハエルらに、彼を責めるつもりはない。


 もともと、8万のコボルドが包囲するタイルドゥ司教区に対して、たかだか2500のアルクスネ部隊で援軍に行こう、と請け負ったからだ。


「く、仕方ない………」


 ほとんど何の活躍もできないまま後退せねばならないことに歯軋りするリリクル。


「はい、ですが、今回はいったん下がりましょう。活躍の機会はまだあります」


「そう、だな………。ニーモ様、ミミクル、頼んだ………」


 まさか、こちらの攻撃を見ただけで一斉に突撃をかけてこようとは、予想できるはずもないのだ。ビーククトはリリクルを慰めた。同じように最前線にあって敵を蹴散らすはずだったニーモとミミクル、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイクに、悄然とした顔を向けるリリクル。


「わ、わたしたちは、このまま………?」


 軽く恐慌にかられたミミクルがニーモに問う。


「うん、ここでわたしたちが食い止めないと、………全滅する」


 ニーモにも、少しあせりの色がみえた。このまま8000のロイヤル・ガードと、2万のコボルド・ウォーリアの一斉攻撃を浴びれば、いかなアルクスネ部隊とてもつはずがないのだ。それは、すなわちミミクルの死とも直結する一大事なのである。


 敵の一斉突撃。およそ考えられるこちらの最悪の状況である。それはつまり、敵にとってはこれこそが最良手、ということだ。こちらが最善を講ずる以上、向こうも最善を考える、それだけのことだ。とはいえ、状況は相当に厳しい。長弓によって敵を漸減できない今、2400のアルクスネ部隊にとって、頼みの綱は唯一、魔法戦力、ニーモとミミクル、そして三人の女性司祭とカトリーナだけなのである。


「何があってもミミはわらわが守る。ミミは、思う存分魔法を振るうがよい」


「………う、うんっ!」


 カトリーナの自信に満ちた微笑に、ミミクルも少しは安堵する。

 

 カトリーナにとっては危機的状況は歓迎すべきだ。それが危険であればあるほど、この研究を否定した神聖ガロマン帝国魔導学院に対して、背中の魔方陣の有用性を示せるからだ。しかし、これだけの敵から本当にミミクルを護衛しきれるのか、カトリーナとて不安がないわけではない。


 いや、約束は必ず守る。


 カトリーナは指が痛くなるほど鉄拳、ミスリル・ナックルを握り締めた。ミミクルを守ることは、自分を守ることにもつながるのだ。決して、弱音を吐いてよい状況ではないのだ。


 ふん、と鼻息をつき、気持ちを整える。


「ミハエル。前方の敵は魔法で押さえ込む。これからやってくる2万のコボルドは司祭たちで抑えてほしい」


「わ、わかりました………」


 ニーモの言葉に、ミハエルは前方をみて、ついでタルトームを包囲していた、こちらに向かってくるコボルド・ウォーリア2万をみる。直線距離で1キロ半、といったところか、まだまだ到着に時間はかかるが、しかし、コボルド・ロードとロイヤル・ガードに苦戦していれば、完全に包囲され退路すら絶たれて壊滅は免れない。


「ドリエスさんアルマシアさんジョゼリーヌさん、天使召喚でもって、あの2万のコボルドを食い止めていただいてよろしいですか?」


 ミハエルの後ろにぴったりと付き従っていた三人の司祭に振り返ってお願いする。


 苦しい決断であり、頼みごとである。


 2万ものコボルドを、たった三人で押し切れ、というのだ。ついこの間、1万のコボルドを、三人で防いでいたというのに。しかし、恐ろしい勢いで迫ってくるコボルド・ロードとロイヤル・ガードの相手とどちらが楽か、と言えば、どちらも大差がないと思われた。


「かしこまりました………ここに至っては、仕方ないですね………」


 絶望的状況に悄然とするドリエス・エンゲーハルン。三人の中ではまとめ役だ。アルマシア・キーハン、ジョゼリーヌ・バリアーダも困難な依頼にごくりとつばを飲んだ。


 天使は確かに強力だ。


 しかし、それで2万ものコボルドをどれほど撃退できるのか………。


 できない、ではない、やるしかないんだ。ドリエスは必死に己に言い聞かせた。役に立つ、とついてきた以上、無様な姿は見せられない。


「そのための護衛を500、おつけします。フランコ、護衛を任せてよいか?」


「は、はい、お任せください」


 女性司祭を守れ、といわれてフランコは背筋を伸ばす。


 司祭を守るために一命をもって壁となれ、といわれたのだ。フランコの顔つきは決して明るくはない。しかし、やらなければ全員が同様に死を迎えるだけだ。フランコは思考を切り替え、生き残るために死力を尽くす、と決意した。


「あ、あの時は門を守ることだけを優先させましたが、今度はコボルドを蹴散らせばよいのです。必ず、お役に立ちます」


 本来の、戦うものの顔つきで、ミハエルに決意を示すドリエス。


「困難な役目を押し付けてしまい、申し訳ありません」


「いえ。わたしたちでなければ、できないことですから」


 にこり、と笑ってミハエルから離れる司祭たち。しかし、その笑顔は悲愴なものであった。ミハエルは伝令を飛ばし、後方のヨハン・ウランゲルにも、弓隊100をもって司祭の護衛につくよう指示をする。三人の司祭は左手に展開する槍騎兵率いるガンタニ・テューリンゲンと共にその時に備える。ガンタニたち騎馬隊は、もはや機動力など不要、と下馬し武器を構えていた。決死の防御態勢なのだ。バルマン・タイドゥアも、やがてやってくるであろう。


「わたしも、戦います」


 大男の修道士ギルスが、覚悟をもって前進する。


「よいのですか………」


「いいのです、あなた方をこんな場所に導いたのもわたしの責任です。最後まで、責務は果たします」


 ミハエルの言葉に、無骨な武人といった相貌にふさわしい覚悟を示すギルス。


 その間にもロイヤル・ガードは迫っている。たった300メートルの距離である。その彼我の距離など一瞬にしてつまった。


「我らの命運は魔法のいかんにかかっている! 死んでもニーモ様をミミクルさんを守れ! 魔法戦力さえ無事なら我らに敗北の二文字はない!! 抜刀!!」


 切迫した、緊張に満ちたミハエルの声に、騎士が、兵士がここが死地、と思い定めた。


 アルクスネ部隊、全員が死を決し、眼前のコボルド軍をにらみすえる。


 迫るロイヤル・ガードが彼我の距離、50メートルに到った時。


 ピューイ、と合図らしき口笛が聞こえた。


 その口笛がミハエルらにも届くとまもなくして、ロイヤル・ガードの列が後ろから左右ふたつに分かれた。その幅、馬二頭が並んで走れるほど。


「な、何だ!?」


 誰かの声が響く。


 まるで、道を譲るようだな。


 ノルベルトがそう感想を抱く。


 その感想はまさしくその通りだった。もちろん、ミハエルらに道を譲るためではない。


 鮮やかにロイヤル・ガードが左右ふたつに分かれた瞬間、その背後にいたコボルド・ロードが猛然と駆け出してきたのだ。馬のような、いや、馬より速く。


 漆黒の甲冑からガッシャ! ガッシャ! と轟音を発し馬より早く駆けるコボルド・ロード。


 そして跳躍。


 十数メートルを鮮やかに飛び来る、その体格では想像もできない化け物じみた跳躍であった。


 目指す先は、ミハエルだった。空中で黒金くろがね色の戦槌を構える。


 三メートルを超す巨体が甲冑を身にまとい、恐るべき身体能力を発揮する。


 その姿は、まるで。


「くッ、来るぞ!!」


 ノルベルトが警告を発する。


 ミハエルは、飛来する巨躯を見上げた。その時、巨躯と目が合った。三メートルの巨躯を有するコボルド・ロードは、間違いなくミハエルを睨みすえていた。そして、その顔に浮かんだ狂気をはらんだ形相も。しかし、並みの人間には振るうことすらできないほどの巨大な戦槌を握り締めていることは、下からは見えない。


「………ッ!!」


 ミスリル・ソードを握り締めるミハエル。戦慄が走る。かつて、ディディクトも跳躍してから攻撃してきた。バーサーカーとなったプロンゾ戦士の猛攻を耐えてみせた。三メートルを超す巨躯といえど、その経験上、耐えしのげるはず、とミハエルは剣を握る手にいっそうの握力を込めた。


 しかし。


「ばかものッ!!」


 後ろから声が上がった。その声の主は驚異的な瞬発力で上空のコボルド・ロードに迫る。



ドゴォッ!!



 轟音を発して互いにぶつかる、戦槌と鉄拳。飛来するコボルド・ロードのスチール・ハンマーを打ち返したのは、カトリーナだった。


 必殺の一撃を退けられ、巨躯とは思えぬ身のこなしで上空で体をひねり、着地するコボルド・ロード。


 三メートルを超す巨体と全身甲冑に身を包んだその威容、その姿は、まさしくプロンゾ前族長グナクト、だった。


 直接グナクトの武威にさらされたノルベルトなどは生きた心地がしない。恐らく、グナクトとコボルド・ロードと比べてどちらが上かといえばグナクトの方が幾分か凶悪の度をますのであろうが、今この時には気休めにもならない。グナクトを知るプロンゾ兵たちも恐怖におののいていた。


 その巨体に見合わぬありえないほどの運動能力に、騎士や兵士たちは絶望に満ちてどよめいた。


「気をつけよ、ミハエル! あのハンマーを受けていたら頭をかち割られていたぞ!」


 戦士として相手の実力くらいはかれ、と叱咤するカトリーナ。


「は、はい、ありがとうございます」

 

 コボルド・ロードが手にするスチール・ハンマーをみて、ぞっとするミハエル。ミハエルとて、人間としては並み以上の膂力をもつ。だが、あの上空から振り下ろされる巨大なスチール・ハンマーの一撃を食らえば、間違いなく死んでいただろう。しかも、馬ごと粉砕されていたに違いない。それを防げたのはここではカトリーナだけだ。そして、その一瞬の判断を、カトリーナはしていたのだ。ミハエルすらしのぐ戦闘センスであった。


「はっは! よもや、我が一撃をしりぞけるものが出ようとはなッ!! 間違いない、お前らがピウサ別働隊を退けた部隊であろう!!」


 哄笑するコボルド・ロード。


「人の言葉を解するのか!?」


 ギルスが驚く。


 人間の言葉を解する亜人の存在は広く知られてはいたが、コボルドがしゃべることは知られていなかった。そもそも、コボルドは人の言葉を話すような種族ではないと思われていたのだ。


「だ、大丈夫………?」


 ミミクルのそばに戻ってきたカトリーナを気遣うミミクル。


「いま、あの化け物を相手に出来るのは、わらわしかおるまい。すまぬが、わらわはあの化け物にかかりきりになりそうだ」


「気をつけて………。大丈夫。ニーモと一緒に、頑張るから!」


 自分も怖いであろうに、必死にカトリーナを心配させまいと気張るミミクル。


 ふ、とカトリーナは微笑んだ。


「いざと言うときは、必ず守る。ミミも、いざというときはわらわを守ってくれ」


「うんッ!」


 ミミクルの必死の笑顔に、ますます戦闘意欲が高まるカトリーナ。


「よしッ!!」


 ゴイン! とミスリル・ナックルを打ち合わせ、気合を入れなおし、コボルド・ロードに対峙するカトリーナ。


「はっは! ますますもって面白い! まずは誉れある手足と遊ぶがよい!」


 その言葉と同時に殺到するロイヤル・ガード。


 コボルド・ロードほどではないにせよ、恐ろしい形相のコボルドが大挙として押し寄せてくるのだ。高い忠誠心と勇猛を誇る屈強な軍隊が、一団となってまるで津波のように襲い掛かるのは、受けるものに心の底からくる恐怖をもたらす。


 しかし、それを防ぐのはアルクスネの強大な魔法使い。


「風の精霊、エアリアルにお願いだよ。我が言葉、我が願い、我が心を風の刃へと変える手助けを! させないよ! 何人も近寄らせない! ――――風鋭切葉!」


 ニーモの渾身の魔法が解き放たれる。


 圧力をともなった烈風が、爆発的に発生しロイヤル・ガードに襲い掛かった。


 あるものは風にずたずたに切り刻まれ、あるものは天高く吹き飛ばされる。しかも、その範囲は広範囲に及ぶのだ。アルクスネ部隊を撃破しようと襲い掛かったロイヤル・ガードは、まるで台風にさらされた木の葉のようにもてあそばれた。


「わたしだって! 風の精霊シルフ、我が願いを聞き入れたまえ。巻き起こすは想いの強さ! 渦巻くは信念の気高さ! その孤高の志を我も共にいま吹かせん!! ――――風昇旋蛇!」


 ミミクルも術も発動する。


 天高く渦巻き飛翔する龍の如き魔力が幾本も吹き抜ける。


 巨大な竜巻が何本も生み出され、襲い掛からんとしたロイヤル・ガードが巻き込まれ、凶悪な圧力に押しつぶされ、切り刻まれ、そして天高く放り投げられる。そして、竜巻は後方のロイヤル・ガードを盛大に巻き込んでゆく。


 ニーモやミミクルが強力な魔法を使うと期待してはいたが、それでも手加減なしの壮絶な威力を目にしミハエルらも戦慄を禁じえない。


「……はっは! さすがよ、そのような強力無比な魔法で別働隊を屠ったか!」


 ふたつの魔法に翻弄されその身をさらされたにも関わらず、吹き飛ぶことも押しつぶされることもなかったコボルド・ロードがにやりと笑う。しかし、風の刃を全身に浴び、切り刻まれてはいるが、まったくダメージにはなっていないようだった。


 精鋭たるロイヤル・ガードがこうも手もなくひねり潰され、蹴散らされる事態に、しかも自身も強烈な魔力の洗礼を浴びさすがの歴戦の勇将とて内心穏やかではない。しかし、それら内心の怖気(おぞけ)を、勇猛心が吹き飛ばす。


「ぐははっ!! ますますもって面白い! お前らを粉砕しその首引っさげて、この戦の自慢話にしてくれよう!」


 殺意に満ちた視線を、新たな強敵、ミミクルに向ける。明らかに妖精であるケット・シーのニーモを相手にするより、人間を先に叩き潰すべし、と組しやすさを優先したのだ。凶悪な鋼鉄のかたまり、スチール・ハンマーを振り上げ、ミミクル目がけて襲い掛かろうと巨躯に見合わぬ瞬発力を発揮したコボルド・ロード。


「させんッ!」


 それを阻むカトリーナ。鉄拳、ミスリル・ナックルでハンマーの一撃をくじく。


「ぐうっ! お前も、人間のくせになかなかの力、はっは! わしをここまで奮い立たせる人間がおろうとは!」


 飛び退りハンマーを構えなおし、武者震いに感激を催し、歓呼の声をあげるコボルド・ロード。


 その次の瞬間、その目が剣呑に輝く。


「手加減をしたつもりなどないが、それでも次は本気でいくぞ」


 コボルド・ロードが爆発的な瞬発力を発揮して跳ねる。カトリーナを吹き飛ばすべく、ハンマーを振るう。並みの兵ではその動きを捉えることすら難しいほどの駿足だった。


「ふ」


 数多の戦士と戦ってきたカトリーナに、瞬足を誇る身長三メートルを超す巨漢の戦士といえど決して恐れるべき相手ではない。ましてや、敬愛する権天使(プリンシパリティ)、ラフェキエルの力がみなぎっているのだ。すべての身体能力が大幅に底上げされている。決してコボルド・ロードとて絶望的な脅威ではない。ふん、と鼻息をつく。


「ウゥオリャァァッッ!!」


 裂帛の気合とともに迅雷のごとく振り下ろされるスチール・ハンマーを見切り、コボルド・ロードの懐に潜り込むカトリーナ。


「なっ!?」


 驚愕の目で見開くコボルド・ロード。


「くらえ」


 全身のばねを生かした一撃、渾身のアッパー。ハンマーを振り下ろし、大地を盛大に叩き雪を含んだ土砂を巻き上げるコボルド・ロードには逃げようがない。それどころか、ここを打ち込め、といわんばかりの無防備な姿をさらしていた。鋼の堅固な兜をかぶっていても、コボルドの兜はあごを覆うような構造ではない。その無防備なあごにミスリル・ナックルが叩き込まれる。



ゴツッッ!!



 誰もが怖気(おぞけ)を震うような嫌な音がし、コボルド・ロードが宙を舞う。


 ゴイン、とスチール・ハンマーが鈍重な音を立てて地に落ち、ついで、ドガシャッ! とコボルド・ロードが倒れ付す。


「お、おおーッ!」


 誰かが歓声を上げる。これで決まった、と思ったのだ。


 しかし。


 コボルド・ロードが無様に地に崩れ落ちようとも、ロイヤル・ガードに乱れはなかった。


 司令官が地に崩れ落ちようと、魔法で数多の味方が吹き飛ばされようと、変わらぬ勇猛さと忠誠心で飛び掛ってきたのだ。それをまたもや吹き飛ばすニーモとミミクルの魔法。


 いや、変わっていないわけではなかった。そうどころか、より以上の圧迫をもって、ロイヤル・ガードたちは、アルクスネ部隊に襲い掛かってきたのだ。散開し、先ほどより広範囲な包囲と、より熱意を増した戦意で襲い掛かってきたのだ。


 さしものニーモとミミクルをもってしてもすべてを吹き飛ばすことは出来ず、魔法をすり抜けたロイヤル・ガードがアルクスネ部隊に襲い掛かる。


 ニーモとミミクルが操る魔法がとてつもなく強力であろうとも、散開すれば幾分かは被害を抑えられる。そして、散開すればするほど、アルクスネ部隊を包囲できる。ロイヤル・ガードたちは瞬時に判断し、行動に移したのだ。


 そして、彼らは知っているのだ。自分たちが畏怖し、魂を捧げる指揮官は、この程度でつぶれるような腑抜けた戦士ではないと。


「ぐっふっふ………ぐっはっは!!」


 倒れたままのコボルド・ロードが笑う。


 ぐっ、と体を起こし、心底楽しそうにカトリーナを見据える。あごを砕かれるかのような衝撃をくらって、それでもなお痛みを受けることもすべて、戦の高揚の中に飲み込んでいるのだ。


「己の拳に鋼をまとうて武器とするか! 珍しき武人よ。面白い。わしも久しく忘れておったわ」


 ハンマーをすっかり忘れたかのように、鋼の篭手に包まれた拳を握り締め、格闘のポーズをとるコボルド・ロード。


 拳を胸の前で合わせ、半身に構える。身長三メートル半の巨躯が格闘の姿勢をとるのは、むしろ、ハンマーを構えるよりはるかに恐ろしい威圧があった。それが驚異的な瞬発力と膂力を誇る猛将であるから、なおさら。


「わしとて体術にはちっとばかし自信がある。並々ならぬ力をもつお前となら、楽しくやりあえそうだな」


 ニヤ、と凄絶に笑って、その瞬間、その姿がかき消えるコボルド・ロード。


「ぬっ!」


 かわすこともできず、強烈な右ストレートを鉄拳、ミスリルナックルを交差させて防ぐカトリーナ。そうでなくとも速い踏み込みが、さらに鋭さをましたのだ。


「ハンマーは言うなれば、敵の心胆を寒いからしめる威嚇よ。それと………」


 左ボディフックを叩き込み、注意をそらせると刹那、ミドルキックが襲う。もちろん、コボルド・ロードにとってのミドルキックは、通常の人間からすれば頭部を襲うハイキックと同様。コンマの一瞬の油断が生死を分ける急所だ。身長三メートルを超す巨躯を支える下肢から爆発的な瞬発力を生み出し、なおかつ鋼鉄製の甲冑に包まれ、ハンマーにも勝るとも劣らぬ威力を放つ。


 ぎりぎりのところで蹴りを受け止めるカトリーナ。


 左腕が、スチール・ハンマーを叩きつけられたかのごとき衝撃を味わう。憑依によって権天使(プリンシパリティ)、ラフェキエルの力で肉体強化されてなかったら骨が折れていたかもしれないほどの衝撃と重さだった。


「重しよ、重し。あまりにわしの足が健脚すぎて重しがないと誰も追従できんでな」


 ニヤァ、とそうでなくとも壮絶な顔に、さらなる凄絶な笑みを浮かべ笑うコボルド・ロードに、カトリーナは余裕の笑みを崩さないまま、背中を伝う冷や汗を自覚していた。


 確かに、ハンマーは重しの意味合いがあったのであろう。敵を粉砕し、叩き潰す。100キロ以上の重さがあるハンマーである。それを受ければ人間など跡形もなくぐちゃぐちゃにされてしまう。しかし、100キロのハンマーを常にもつことも容易なことではない。コボルド・ロードは、100キロ以上のハンマーを手にもってなお、恐るべき瞬発力を発揮していたのだ。そのハンマーを、意図的ではないにせよ、捨てた。


 重苦しい縛りを取ったのだ。脚力を、隔絶された身体能力を、存分に生かすべく。


 ミドルキックを受け止めたその一撃は、100キロのハンマーほどではないにせよ、それでもカトリーナ以外の人間に軽々と受け止められるような威力ではない。


 コボルド・ロードはハンマーを相棒と定め、常に戦場でハンマーを振るってきた。しかし、コボルド・ロードが密かに好む戦闘スタイルは己が肉体を駆使して力のすべてをぶつけ、相手の膝を折らせることにある。今まではそんな相手にめぐり合うこともほとんどなかったが、今日こそは思う存分戦える。


 コボルド・ロードが強敵見つけたり、と歓喜の殺意を放った。


 まさか、このような地に、武道家の血を騒がせるものがいようとは。


 カトリーナも、凄絶に笑う。


「ふ、武道の達人気取りやも知れぬが、わらわはこのユーロペタ唯一の武道流派、天鋼聖拳の使い手、ガロマン教皇近衛隊長ジョヴィルリッヒの娘にして一の弟子である。たかが、図体がでかいだけの輩に、引けをとるわけがあるまい?」


「はっは! そうでなくてはな! いいだろう………かかってこい!!」


 鬼のようなコボルド・ロードの雄たけびが轟く。


 ニッ、と口の端をゆがめるカトリーナ。ぐっと踏み込んで、超常の力を大地に叩きつける。


「はぁあああああーーーーッッッ!!!」


 タルトームの平原に、カトリーナの裂帛の気合がこだまとなって響いた。


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