鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (五)
「あっけないもんだな」
ふん、と鼻息をつく、カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク。
クモの子を散らすように逃亡するコボルド・ウォーリアをふんぞり返って見る。
コボルド指揮官、コボルド・コマンダーを撃砕してコボルド軍は一挙に崩壊した。先ほどまでの高い戦意や忠義はどこへやら、われ先へと逃亡する敗残兵へと成り果てた。そんな様を見せられると、さすがにカトリーナも鉄拳を振るう気にはなれなかった。振るえない理由はそれだけではなかったが。
ミハエルも追撃をしなかった。
ノルベルト・グリモワールも、逃げるコボルドを追討せよ、という気にはならなかった。ミハエルは、決して戦意のない兵士を背後から襲い掛かる真似はしないからだ。逃げる敵を追い回す。様々な状況下で発生する戦闘行為においてこれほど最高の戦果をあげられる状況はないのだが。それがどれほど後々の戦術的、戦略的優位につながろうとも。
「さて、援軍ご苦労。まあ、わらわの術式はギリギリで間に合ったであろうがな」
コボルドがあらかた逃げ終えたのを見送り、振り返るカトリーナ。すでに魔法を解いて着地している。下馬し、兜を脱ぐミハエルを見る。援軍など、もともと無用、という尊大な態度だ。
夜を日についで、五日の雪原を長駆してきてコボルドを追っ払ったのにその態度かよ、と思うものもいたが、ひとっ飛びでコボルド・コマンダーを撃砕した脅威の能力をもつカトリーナに表立って憤慨できるものはいなかった。
驚異的な戦闘能力だけではない。
彼女の、明らかな高貴なる雰囲気と飛びぬけた美貌の前には、貴族出身のものでもないかぎり口を利くことすらはばかられるのだった。平民出身が多いディルツ騎士や兵士は王侯貴族の血筋を引くであろう彼女がふんぞり返っている、その姿だけでただのまれていた。
「はあ、恐縮です。改めまして、ミハエル・フォン・ヴァレンロードです」
同じ貴族出身であるミハエルなら対等に口を利ける。
「うむ。………これまた、融和策にふさわしい優男だな。しかし、なるほどそれだけにあらず、か」
兜をとったミハエルをしげしげと眺めるカトリーナ。想像した以上の美男子が現れて感心する。しかし、その表情にあるのは確かに戦士の顔つきだった。しかも並みの戦士の力量ではない風格、風韻を感じた。
「………恐縮です」
さらに、しげしげとぶしつけに見られ苦笑いするミハエルが天の恩寵を受けるほどの選ばれた者であることをカトリーナは見抜いていた。
戦士としても一流にして、融和策を主導する恩寵を受けた存在。
実に興味深い、とにやっと笑うカトリーナ。
「まあ、よい。しかし、あそこまで水際立ってコボルドを撃退した手並みは見事である。あの弓部隊はディルツ騎士団のものか?」
ぞろぞろと集合しつつあるディルツ騎士団と、プロンゾ長弓兵をみて。
ピウサ修道院の上からでも、見事な矢の放射は見えたのだ。
「あ、いえ、あの長弓隊はプロンゾ独自の部隊です」
「ほう。プロンゾは樹上にて生きると聞く。なるほど、弓の扱いに長けるのも道理か」
ふむふむ、と長大な弓をみてうなずくカトリーナ。
「そなたが長弓隊の長か」
プロンゾ長弓隊を率いるリリクル・プロンゾを見て。隊長格でいうのなら、それらしい風体のビーククト・ブロンゾもいるが、カトリーナはリリクルが指揮官であろうと見ていた。両者の力量と、立ち位置をみたのだ。
「リリクル・プロンゾだ。ピウサ修道院に被害がなくてなによりだ」
リリクルはというと、突然の、しかも絶世の美少女の登場に少なからず意識をしていた。
「うむ。すまないが、弓を貸してもらえるだろうか」
「構わないが、並みのものには引くことすらできんぞ?」
好奇心から二メートルもある長弓を触りたくなったカトリーナ。ミスリル銀の鉄拳を外す。
ドシッ
と、ミスリル・ナックルが見た目以上の音を立てて雪の大地にめり込む、その音にディルツ騎士ですら驚く。ミスリル・ナックルには硬化と重量増加の強化魔法がかけられている。カトリーナですら、魔法を解いた状態でずっと持っているのはつらかった。
リリクルが背に斜めにかけていた長弓を渡す。
「重いな。なるほど、だからあんな飛距離を出せるわけだな」
普通の弓の感覚ではたしかに引くことができない。カトリーナは力を込めて弓を引いた。
「いきなり引けるのかっ」
リリクルが驚く。
プロンゾの誇る長弓は、ディルツ騎士団の弓兵ですら軽がると扱えないのだ。ヨハン・ウランゲルでも引っ張るのに精一杯でこれで矢を放つことができなかったほどだ。並みのディルツ兵士よりはるかに膂力に優れたプロンゾ人だからこそ扱える代物である。
「単純な力だけなら、なんとかなる。これは、なかなかの強弓だな。確かに、これを引いて狙いをつけるには熟練の技が必要であろうな。うむ、もう十分だ。感謝する」
「あ、ああ………」
「ご無事でなによりです。カトリーナ様」
武人のごとき大男の修道士、ギルス・バッテルンが下馬し、カトリーナに頭を下げる。
「おう、ギルスか。援軍要請の任、ご苦労であった。わらわはこれこの通り、ぴんぴんしておるぞ」
「それは何より」
「ブラウツヴァイク家の令嬢の危機、ともなればそりゃタイルドゥ司教も目の色変えるわけだな」
ノルベルトがずいっと前にでる。
その目は興味津々と言っていた。
「うむ、そなたは?」
「ノルベルト・グリモワール。わたしの副官です」
「なるほど。そうであったな。そもそも、なぜわらわらがこの地にいるのか、それはだ――――」
「危ない!」
後ろ向きに倒れるカトリーナ、それを慌てて抱きとめるミハエル。
ふんぞり返って得意げに説明を始めたカトリーナ、しかし、その最中突然倒れたのだった。
「ど、どうした!?」
リリクルも慌てて駆け寄る。
「気を、………失っていますね」
「なんだと………?」
「珍しいことするから疲れたんだろうね」
その様子をみて、ケット・シーのニーモが近づく。その横にはミミクルもいた。
「珍しいこと………?」
ミハエルがニーモの言葉に首をかしげた。
「それについては、わたしが説明いたしましょう」
そこに現れたのは修道服を着た女性だった。
「わたしはセシリーニ・フォン・ブラウツヴァイク。その子の母です」
カトリーナの母、セシリーニ。
長くストレートの金髪で、幾分貴族にしては生気にとぼしく、修道服による質素な見た目だが、それでも高貴な雰囲気は身にまとっていた。知的で玲瓏な目つきだが、優しげな視線をカトリーナに注ぐ。
「カトリーナさんの………」
「と、言いたいところですが、このような場でお話することでもないかと。申し訳ありませんが、その子を上にまで運んでいただいてよろしいでしょうか」
「………そうですね」
すでにコボルドは去ったとはいえ、いまは真冬。外気温は果てしなく低い。
そんな場所に気をうしなった軽装の女性をいつまでも置いておくこともできない。
ミハエルは戦後処理を始めた。
気を失って倒れたカトリーナはニーモとミミクルが修道院にまで運ぶこととなった。重量あるミスリル・ナックルもニーモが運んだ。
一番の問題は5000を超えるコボルド兵の死体の処理だ。それらはまとめて穴に入れて焼くようにミハエルは指示した。死体が怨霊に乗っ取られ、ゾンビ化して再度襲い掛かってくるのを防ぐためだ。こうした戦場跡ではどうしても無念の思いを抱えたままの魂が怨霊化し死体に憑依しやすい。ちなみに、骨、スケルトンだけで復活することはほぼない。さすがにそこまでいくと暗黒魔法による介在がないと蘇ることはない。完全にバラバラになった骨格を新たに統一して組み上げるのには怨霊だけでできることではないからだ。
また、コボルドの放置した野営テントや物資はまだまだ十分使えるため、輜重隊の到着までディルツ騎士団が使うことになった。幾分、獣くさいのが難点だが。一万ものコボルドの野営テントである。あまった分は火葬のための燃料となった。
すでに鉄門はカトリーナによってめちゃくちゃに壊されており、もはや応急修理すらできる有様ではない。再度のコボルドの襲撃に備えて、とりあえずディルツ騎士団が野営をすることで門の代わりとなることになった。
そんな時。てきぱきと処理を行っている最中。
「ミハエル、ミハエル」
「どうしました」
リリクルが呼ぶ。
「これ、もらってもいいかな?」
リリクルが示すのは、コボルド・コマンダーであった物体だ。カトリーナに撃砕され、もはや原型をとどめていない。
しかし、もはや文字通り、体をなさないとはいえ、かつてその身にまとっていた過剰に荘厳なミスリル銀は、ひしゃげながらも輝きを失ってはいない。甲冑や兜一式分のミスリル銀である。
「は、はあ、まあ、コボルドに返すのも、なんですしね………」
血まみれの、哀れな成れの果てに鎮魂の祈りをささげるミハエル。全身の骨が砕け、内臓が破裂したことだろう。二目とみれない有様だった。
戦闘後の略奪、追いはぎは戦場の常だ。騎士修道会、ディルツ騎士団といえど金目のものなら剥ぎ取りはする。
しかし、ミハエルはそういった行為には加担しない。それをリリクルがなそうというのだ。止めるべきか、価値あるミスリル銀だし大目に見るべきか。コボルドに返還するほど、向こうもミスリルに困ってはいないであろうし。ミハエルは瞬時に返答にあぐねた。
「もらっとけもらっとけ。その量だったらでかい城が買えるほどの値段になるぞ」
それをみたノルベルトがにやっと笑いながらねこばばをすすめた。
「やった! あ、一応、修道院の方にも聞いたほうがいいか?」
何せ、コボルド・コマンダーを撃破したのはカトリーナだ。
「過度な金銀など奴らの求めるもんじゃねぇし聞く必要はあるまい。輜重隊が追いついたら運んでもらえばいいだろう。なぁ、ギルスの旦那」
「は、………まあ、そうですな」
ギルスも是とも否ともいえず、おざなりだ。
「よし! これでこのミスリル銀はわたしのもんだ。やらんからな!」
小躍りで、降ってわいた一財産を喜ぶリリクル。
「わたしは大丈夫ですけど………、鎧でも作るんですか?」
「それもいいが、これで武器をつくろうと思う」
コボルド・コマンダーの過剰な装飾のおかげで鎧一式と武器ぐらいはどうにかなりそうな分量だった。
「なるほど、ミスリル銀は重宝しますからね」
「んむ! いい拾いもんだ」
「ミハエル様、穴掘りも終了しました」
ガンタニ・ティーリウムが報告する。
穴を掘ってそこにコボルドを放り込み、火を放つのである。そして焼却がすめば埋め戻す。とはいえ、5000体分の穴である。2500人総がかりでも六時間は要した。
長駆をして、戦闘を終えてからの土木作業である。
体力自慢のディルツ騎士団ですら骨の折れる作業であった。
「ご苦労。では、後は頼みます」
後を託し、修道院の壊れた門へと足を向けるミハエルとノルベルトとギルスに、リリクル。「はっ」と敬礼で送るガンタニ。回廊を上る四人の、その視界の斜め下でコボルドの火葬が始まっていた。血のにおいに染まっていた戦場に、何ともいえない臭気が辺りを覆う。
すでに暮れかけた夕闇に、どす黒い煙が立ち上っていた。
30分ほど上った先にある修道院は、洞穴を利用して築かれた木造建築だった。ほそぼそと修繕を繰り返したのであろう、老朽化を何とか誤魔化ししのいでいる、といった風情だった。
「ディルツ騎士団の方々、援軍、感謝いたします」
修道院の扉の前で、女性が二名、静かに立っておりミハエルらの接近によって頭を下げた。どちらも、まだまだ若い。
「あなた方は?」
「護衛についていた司祭です。ディルツ騎士団の到着があと少し遅れていれば、もしかすると中に踏み込まれていたかもしれません。本当に、ありがとうございました」
彼女らは修道女ではない、なので服装はクルダス教信徒の服装、しかも司祭服を身にまとっていた。コボルドからの物理的な損害はほとんどなかった、とはいえ、終日結界を張ってコボルドの攻撃を防いでいた彼女らには濃い疲労の色が浮かんでいた。それでも、こうして院の前で待っていたくらいに、指揮官に、ミハエルに礼を言いたかったのだ。ちなみに、もう一人は疲労のあまり寝込んでいた。
「ああ、結界を張って防いでた方々ですね。いままで、ご苦労様でした」
「いえ………、我々は、撃退することもかなわず」
「敵が大軍で攻め寄せ、しかも長時間にわたる包囲をしのいだ、それだけでも並大抵のことではありません。お勤め、ご苦労様でした」
ねぎらいに出て逆にねぎらわれた挙句に、天使のごとき笑みを送られ、司祭たちは歓喜の表情を浮かべた。コボルド一万に包囲され、死をも覚悟したあとの極上の微笑みである。とろけるような心地だった。
「いっ、いえ! この時のためにがんばったようなものです!」
過酷な極北の、修道院という厳格な生活を日々生きてきた彼女らに、ミハエルの登場はあまりに刺激が強すぎたようだった。先ほどまでの戦士としての顔はどこへやら、乙女の表情になった彼女らにノルベルトは苦笑した。しかし、それをなしたミハエルにそんな状況はまったく理解できていない。この時、とはどういうことだろう? と軽く考えたほどである。
むっ、とした表情のリリクル。どんっ、とミハエルを押す。
「早く入れ。寒いし、臭いだろうが」
「は、はい。では、入りましょうか」
「はい!」
もちろんリリクルの不機嫌の理由もわからないミハエルは言われるがまま、司祭らを先に入らせてから修道院の中に入った。
修道院の中、玄関に当たる部分は樽や机などが乱雑に積まれていた。コボルドが攻め寄せたさいの最後の抵抗にする予定だったのであろう。ノルベルトはそれらをちらりと一瞥した。無駄な努力とは言うまい。
廊下をすぎ、扉を開け大広間に入る。
まず視界に入るのは暖炉が焼べられたその正面、暖炉の上に飾られた聖女ダリマの石像だった。幼子であるクルダスを抱き上げ見守る表情はどこまでも優しい。
しかし、壮麗なダリマ像以外は、ほとんど調度品もない、極めて質素な室内であった。
100人から生活する修道院にしてはあまりに質素だ。
中にあるのはろうそくを灯す燭台と、安物の椅子が2、30人分座れるほどまばらに置かれている。机など大きなものは玄関に積んであるのだろう。戻す余裕はなかったと見える。当然、ガラスなど高級なものなどない修道院である。臭気と寒さを防ぐため窓を閉め切れば、暖炉とろうそくの火しか明かりはない。しかし、隙間の多い修道院である。コボルドを焼く嫌なにおいが漂っていた。
他に、壁には小さな三段棚の書架が置かれてあり、数十冊の本が並べられている。目に付く調度品といえばこの程度だった。皆がくつろいだり話し合ったりするための広間だ。調度品は必要ないのであろう。
暖炉に近い数少ないソファーに、老齢の修道女が座っていた。
「ようこそ、ディルツ騎士団の方々。わたしはこの修道院を預からせていただいているダレマナ・ピラトスと申します。窮地を救っていただき、感謝の言葉もございません。まずは、冷えた体を温めてください」
数少ないソファーだがそれもなんとか形を保っている、といったくたびれ具合だった。そのソファーにいた修道院長、ダレマナが立ち上がり、一礼をする。厳格な修道院を取り仕切るだけあって老齢ながら固い表情ではあるが、それでも慈愛を感じる面持ちだった。
その近くに気を失ったままのカトリーナを膝枕するセシリーニがおり、ニーモとミミクルもいた。ミミクルは疲労の頂点にあったのかすでに眠りに落ちていた。修道院の毛布にくるまって安らかな寝息を立てるミミクルをニーモが見守っていた。ニーモはカトリーナを運んでいたときは二メートル近い巨体だったがいまでは猫ほどの大きさだ。他に、まとめ役と思しき修道女もいた。ダレマナ同様、ミハエルらに一礼をしていた。他の修道女たちは自室ですでに休んでいるのだろう。
「は、ありがとうございます」
「たいしたものではありませんが、体を温めるくらいはできるでしょう。スープをお持ちいたしますわ」
ダレマナではない修道女が立ち上がり、ミハエルらのために食事を用意してくれる。
「恐れ入ります」
ミハエルらも手近な椅子に腰を下ろした。司祭たちもミハエルの表情を伺えるような位置に腰を下ろす。
「………では、なぜブラウツヴァイク家のものがここにいるか、ですね」
セシリーニが口を開く。
「カトリーナさんの尋常ならざる速度と力に、関係が?」
「もちろんです。………わたしはもともと神聖ガロマン帝国魔導学院の研究員でありました。その研究内容とは、天使召喚魔方陣の転用。人体内部に天使を召喚し、天使の力を転化し肉体を強化するという研究です」
「人体、内部………」
魔法にさして詳しくないミハエルにはぴんとこない世界だ。
「例えていうのなら、わたしがミミクルの中に入って、ミミクルが数倍、数十倍の力を出す、といったところだね」
ニーモの説明でなんとはなしに理解できたミハエル。
「よくはわからないのですが、それは簡単にできるのですか?」
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
修道女からスープを頂くミハエル。残念ながら、外で野営する2500のアルクスネ部隊に行き渡らせるほどはない。ノルベルトやリリクル、ギルス、司祭たちもスープを飲んで一息ついた。
「いえ、やはり様々な難問が立ちはだかりました。そもそも、天使は人に使役されるだけの存在ではない、ということは置いておくとしましても、純粋な高エネルギーである天使を不完全な魔方陣で人体に召喚すれば人体がそれに耐えられない、という問題とか………」
「大問題じゃないですかっ」
ぎょっとするミハエル。
「はい………、他にも、召喚者と天使の極めて均質な相性の問題とか、たとえ召喚がうまくいったとしても召喚者が倍加する能力に振り回される、とか、倍加した能力を十全に発揮できる高い基礎身体能力が大前提とか」
「え、ええっ」
さらに驚くミハエル。
鉄の門を吹っ飛ばしてしまったのも、その倍加した力に振り回された、ということだろうか。難問だらけをよくぞ実用化しようと考えたものだった。
「ちなみに、だ。人体が耐えられなかったら、どうなるんだ?」
ノルベルトが怖いことを問う。
「………爆発します」
怖い答えを返すセシリーニ。
彼女らがこんな僻地に飛ばされてきた理由がわかったノルベルトである。ミハエルはもはや言葉がでない。
「さらに、ちなみに、だ。いままでその魔方陣は何人くらいに試したんだ?」
さらに恐怖の質問をするノルベルト。
「十人は、いなかったと思います」
「生存者は?」
「………」
さすがに顔を背けて口をつぐんだセシリーニ。恐怖の人体実験を行う、恐怖の研究員がそこにはあった。
ミハエルはもはや頭を抱えていた。他の修道女たちも苦々しい顔をしていた。
「で、ですがようやく研究も完成し、魔方陣も完成の域に達しました! 後は、相性の問題を解決できて、天使召喚ができ体力に自信のあるものならば超常の力を発揮できるのです! これで、亜人に対して優位性を誇ることができるはずです!」
「その、相性、ってのは召喚者と天使との相性のことだったな。確立的には?」
ノルベルトがさらに突っ込んだ質問をする。
「………そこまで低くはない、はずです」
さきほどの熱弁はどこへやら、またもや視線をそらすセシリーニ。
「よ、よくカトリーナさんはご無事でしたね」
「この子は父親が武道の達人でもありますし、また優秀な召喚術師、基礎的な能力は非常に高いです。ですが、完成したばかりの魔法陣を刺青という形で背に彫ったゆえ、そのダメージも相当に蓄積していたのでしょう」
篭城が始まって十日あまり、ずっと刺青を彫る作業は続いていたのだ。魔法によって傷そのものは治療できても、内部にたまった疲労はそう簡単にとれるものではない。
そしていきなりの実戦。
カトリーナが突然気絶したのも、天使のエネルギーの制御に体が悲鳴をあげたのだろう。ニーモが「珍しいこと」といった意味がわかった。刺青を彫るダメージを受け続けた肉体的疲労と、術式の制御、並みの人間なら耐え切れないほどの負担だったはずである。
「なるほどな」
ちらり、とカトリーナをみるノルベルト。
奇跡の存在、ということか、とひとりごちた。
奇跡といえば、天の恩寵を得たミハエルも奇跡的存在だが、ここには同様のミミクルもいる。奇跡的存在がどれほど集まってんだよ、と思わないでもない。
しかし、爆発四散する危険を承知で、このカトリーナは母親の研究に賛同してついてきたことになる。恐るべき親子愛、ですませてよいのだろうか。まあ、セシリーニも、わが子を爆発四散させたくなかったからこそ、こんな辺境の地で研究を完成させたのだろうが。また、カトリーナも超常の力を欲して研究に賛同したのだろう。確かに、一瞬にしてコボルド・コマンダーを撃砕したあの力をもてるのならば、ありえないほど低確率の奇跡的成功を信じたくはなるが。あの鉄拳、ミスリル・ナックルは天使を肉体に召喚して使うことを想定してつくってあった。成功する以外考えていなかったのであろう。ノルベルトには、毎夜魔方陣の魅力だけを吹き込むセシリーニの姿が脳裏に浮かんだ。
恐らく、この悪の研究者セシリーニを最果ての辺境に飛ばしたのはグレゴッグス九世の枢機卿にして近衛隊長ジョヴィルリッヒ・フォン・ブラウツヴァイク、彼女の夫だろう。
貴族の奥方と娘が、辺境の地に飛ばされて極寒と貧乏生活に根をあげないはずがない。
おかしな研究は捨てるから家に戻してくれ、くらいに泣きついてくれれば御の字、などと思っていたのではないか。
それが根をあげるどころか、逆境をばねに完成させてしまった。
見たこともないジョヴィルリッヒの嘆く姿が眼に浮かぶようだ。いや、愛娘が爆発四散しなかっただけでも救いだろう。
「まあ、ブラウツヴァイク家の奥方と、そのご令嬢がいる理由がわかったとして、問題はこの修道院だな」
「そうですね………」
修道院長ダレマナが応える。
唯一の防御である鉄門は吹き飛んだ。今後、コボルドが攻めてくれば司祭だけで防ぎきれるはずがない。
「もはや、ここは捨て去るしかないでしょう。ミハエル殿の部隊に護衛をつけていただいてタイルドゥか、もしくは南下して安全な地に移動するのが最善策となるでしょう」
大男の修道士ギルスが言う。
「そうなるでしょうね。………幸いにも、わたしの研究も完成したことですし、一度本国に戻って魔導学院に論文の提出をせねばなりません。皆も一緒に本国に戻ればよいでしょう」
誇り高く胸を張るセシリーニ。
もうもはやこんなおんぼろ修道院など用はない、と顔にでかでかと書いてある。
「そうですね。輜重隊到着を待って補給を整えて、ひとまず全員をアルクスネに護送いたしましょう」
「………助かります」
ミハエルの発言に、修道院長ダレマナが頭を下げた。
門を完璧に直したとしても、根本的問題であるコボルドは何の解決もしていない。今後も継続的に攻め寄せてくるだろう。頼みの綱ともいえるカトリーナがセシリーニとともに本国に帰ってしまえば、あとはタイルドゥ司教区のみ。しかもそのタイルドゥにも八万からの大軍が押し寄せる事態ともなれば、もはや小さな修道院にこだわっている場合ではなかった。しかも、コボルドはどんどん数を増やしている。八万が今後十万、二十万にならないとも限らないのだ。
アルクスネ、と聞いて密かに、司祭たちの顔がきらめいていた。ミハエルがそのアルクスネからの援軍であることはすでに周知である。
それを目ざとくみつけ、むすっとした顔になるリリクル。
「あの、恐縮ではありますが、ミハエル殿、補給がすみ次第、タイルドゥに援軍に来ていただくことは可能でしょうか」
ギルスが言う。
「タイルドゥ軍だけでは撃退できそうにはないか?」
ノルベルト。
「は………、タイルドゥ軍はその数二万、司祭や魔法戦力の力量を合わせても三万あればよい、という程度です。八万の軍勢に攻められれば籠城しか策はありますまい。後詰、援軍の到着なしにはとても。ミハエル殿の部隊は長弓隊といい、ケット・シー様の魔法援護もあり援軍としてとても頼りになります」
どちらもプロンゾの戦力ではないか、とリリクルは鼻高々だ。
「かしこまりました。微力ながら力を尽くします」
「おお、ありがたい!」
「で、でしたらわたしも!」
「わたしも!」
司祭たちが立ち上がる。ひく、とリリクルの笑みがこわばる。
「よろしいのですか、過酷な戦いになりますよ」
「せっかく天使召喚の術をもって任地について、何もしないでおめおめと引き下がるわけには参りません。しかも敵は多勢、戦力は少しでもあったほうがよいでしょう!?」
「正論だな」
ノルベルトがにやにやと笑いながら、ミハエルとリリクルをみた。ノルベルトの視線に気づいたリリクルがじとっとした目をノルベルトに返した。
「………かしこまりました。お願いいたします」
「いっ、いえっ、こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
きゃー、と手に手を取って喜び合う司祭たち。ちっ、と誰にも聞こえないレベルでリリクルが舌打ちをした。
「では、今後のこともありますし、男子禁制の地にいつまでも留まるわけにもまいりません。われわれは野営に戻ります」
立ち上がるミハエル。
「い、いえ、あなた方は我らの命の恩人、そのようなことは………」
ダレマナがおろおろと引き止める。司祭たちも軽く落胆した。リリクルはにや、と笑ってミハエル同様立ち上がった。とはいえ、ミミクルはここにおいてもらうつもりだが。
「部下が、待っております」
にっこりと微笑むミハエル。
「………左様でございますか。ならばわたしの口からはこれ以上は………」
「スープ、ありがとうございました。とても美味しかったです」
スープを運んでくれた修道女にもにっこりと微笑んだミハエル、そのまま立ち去ろうとした。その時。
「………援軍な、わらわもゆくぞ」
小さく、声がした。
カトリーナだった。
「起きたのっ? あ、貴方はいいのよ!? このまま本国に帰れば………!」
セシリーニが当然のように引き止める。カトリーナにはまごうことなき愛娘への愛情を向けている。完成した研究品に傷をつけてなるものか、という利己的視線ではない。
カトリーナは元気よく体を起こし、びしっ、と親指を突き出した。
「帰るにしても、でかい手柄のひとつもあったほうが、魔導学院の連中も無視はできまい」
「そうかもだけど………」
「案ずるなお母様。タイルドゥ司教には世話になった。その礼もなしに帰るほど、恩知らずにはなりたくはないではないか」
辺境の地に飛ばされた母子を、タイルドゥ司教は何くれと世話をやいたのだろう。
それが、単純なゴマすりであったとしても、極寒の地に生きざるをえなかった二人にはどれほどありがたいものであったか。
「………わかりました。わたしは一足先にアルクスネにお世話になりますが、貴方も無理をしないでね?」
「ああ、もちろんだ」
にっ。と笑うカトリーナ。
まるでわらべのような無邪気な笑みだった。
ミハエルの後ろについていたリリクルは、また悩みが増えた、と頭をおさえていた。




