鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (四)
5/15 誤字やら修正。
「………こちらです」
ピウサ修道院まで雪中行軍を急いで五日の道のりだった。
広大な雪原が続いたかと思うと、眼前に断崖絶壁が出現する。その断崖の頂上付近に作られたのがピウサ修道院だ。
武人のごとき大男の修道士、ギルス・バッテルンの先導でついに到着した。
急峻な崖に、横一列で数人が入り込めるほどの切り込みがあり、そこに唯一の防衛施設である鉄製の堅牢な門が入り口を守っている。門を入ると切込みを削って階段がつくってある。その切込みをさらに掘削して壁面を縫うように、羊腸、と形容したくなるほど通路、回廊が延々と続き、もうそろそろ頂きという辺りに天然の空洞が開いており、その天然の空洞を利用する形で人が生活できる建物が設けられている。古くはそれが砦とされていた。非常に簡素な建物だ。周辺監視に適していたのだが、老朽化と別の場所に城砦が築かれたこともあって完全に放置されてあったのを、修行の地にふさわしいということで修道会が修繕改築しているのが現在だ。また、入り口はひとつしかないので、防衛しやすいといえばそうだが、隙間を利用したこともあって大兵が駐留できないし、包囲されてしまえば逃げ場がないという欠点も持つ。
内部はそれなりの居住空間を確保してはいるが、老朽化などの影響で隙間風がかなりあって、冬場の寒さは異常なほどだ。
ピウサ修道院から少し離れたところに、まさしく寒村としかいいようのない小さな村があるだけだったが、すでにコボルドによって壊滅しているのが眼に入った。打ち壊され、踏みにじられた残骸だけが空しくさらされていた。恐らく人間はすでに殺されたか、連行されたものと考えられた。
そのコボルドは陣を敷き、三基設置した投石器で門を攻撃し、散発的に矢を浴びせていた。少し離れたところに陣営を張ってほとんど遊びのように攻略を楽しんでいるようで余裕の様子だった。恐らく、中にいるのが女性だけであることを知っているのだろう。
防御側のピウサ修道院は投石と矢を防ぐ防御結界を展開するだけで精一杯なのか、なんら効果的な反撃はなされた様子はなかった。
雪原に到着し、ミハエルたちはただちに陣を展開する。
「まじぃな。あの結界どれほどもつんだ?」
ノルベルト・グリモワールが結界と門を見据えていう。
結界のすきを潜り抜けたらしき投石によって門は相当なダメージを負っているようだった。攻撃するだけなら一瞬でよいが、常に展開していなければいけない防御結界はかなりの魔力を消耗するはずだ。何日も結界を維持していたはずで、それを想像するだけでも相当な負担が予想された。しかも、目に見えて、結界は弱々しい雰囲気だった。
「全力のときがわからないけど、あれじゃあたいしてもたないだろうね」
ケット・シーのニーモが結界をみて魔力量を推測する。
「ふっ。結界が完全に消滅してしまう前に決着をつけるまでだ!」
最前線でリリクル・プロンゾが轟然と宣言する。
リリクルはプロンゾ人だけで編成された部隊を率いていた。
それが。
「にっくきコボルドめ! 今日という日のために開発したプロンゾの新兵器の威力、目にものみせてくれる! プロンゾ長弓隊、前へ!」
プロンゾ兵による長弓部隊である。
意気揚々と前進するリリクルとビーククト・ブロンゾ率いるプロンゾ人部隊1000人。リリクルのいう新兵器とは長弓、ロングボウである(ちなみに、ロングボウのロング、とは縦の状態で使うという意味)。
その長さ実に二メートル。プロンゾイチイの木を用いた弓で、表皮の側は剛性に優れ、内側の木材部分は適度な柔軟性をもつ。その材質の特性上複合素材に匹敵するか、それ以上の性能をもつ。もちろん、並みのものには弓を引くことすらできない。この弓を扱える精鋭たるプロンゾ兵が集められたのだ。最大飛距離は500メートルを超える。有効な殺傷距離300メートル。長い弓にふさわしい長く鋭いやじりをもつ矢をもって至近距離ならばどれほど頑丈な鉄製の鎧だろうがあっさり貫く貫通力をもち、射撃間隔は一分間で10射以上。ボウガンが複雑な構造上一分で一~二射であることを考えると相当な攻撃を相手に加えることができる、プロンゾの誇る強弓である。
そもそも、プロンゾ戦士は弓の扱いに長けた狩猟民であった。
極北、雪に閉ざされ自在に駆けることのできない地での狩猟に弓矢は欠かせない。剣や槍の扱いにも優れたプロンゾ人だが、特に弓矢の扱いに関して一日の長がある。プロンゾの子はごく自然に、幼い頃より叩き込まれるのが弓の扱いだ。
その弓の腕前が発揮されたのがディルツ騎士団との防衛戦だ。魔法をもたず、それ故に平原での戦いに圧倒的に不利なプロンゾが、大森林に侵入してくるディルツ騎士団を樹上からもっとも効果的に反撃できたのが弓だ。直接、剣や槍を交えることなく、ゲリラ戦法で神出鬼没に四方八方から狙撃できる弓の有用性ははかりしれない。
数十メートルもの樹上から狙撃する必要上、当初は通常とたいして変わらない大きさの弓だったが、徐々に巨大化し強弓と呼べるにまで至ったのだ。ミハエルがアルクスネに駐留しての平穏な二年の間に生産が始まった弓でありほとんどミハエルらとの戦いに使われることはなかったが、本来はディルツ騎士団を想定して防衛用に作られた弓であり、リリクルのいうようなコボルド戦を想定したものではない。
プロンゾ弓兵1000と合わせてアルクスネ部隊は1500。
雪原を踏破し、着陣したのであった。
自信満々のリリクルやビーククト率いるプロンゾ長弓隊1000が前面に展開し、その後ろに展開するのがミハエルやノルベルト、ニーモにミミクル、フランコ・オイゲンに統率されるディルツ・プロンゾ混成歩兵部隊1100。左右に分かれるのがバルマン・タイドゥア率いる剣騎兵100、ガンタニ・テューリンゲン率いる槍騎兵100。ヨハン・ウラウデルは弓隊200を率い、騎馬隊同様左右に分かれて敵軍を覆うために鶴翼の陣形、逆八の字のかたちで配置につく。逆八の字を形成することによって、敵に肉薄すれば十字に射撃することが可能となる。ちなみに、ヨハンたちにはプロンゾの誇る強弓は扱えなかった。
対するはコボルド軍一万。
ミハエルらの着陣に気づいて、陣太鼓と陣笛がけたたましく鳴り響く。
投石器を含む包囲部隊を残し、20名でかつぐ輿に乗っている指揮官、コボルド・コマンダーを中心に大部分がぐるりと陣形ごと向きをかえた。その数およそ九割。包囲を継続しているコボルドは一割程度とみられた。小勢の修道院など捨て置いても気にするほどではない、ということだろう。とはいえ、ミハエルの接近によって陣形の向きをかえつつも、投石はやまなかった。小勢の修道院とはいえ、司祭は召喚術を使用できる。攻撃の手を休めれば天使の反撃を受けると、コボルドは熟知しているのだろう。
そして、コボルドの戦術は重装歩兵による密集陣形、方陣によるファランクス。
全身を隠すタワー・シールドをかまえ、槍をそろえ前方に突き出して、いわゆる槍衾を形成している。タワー・シールドは木製ながらゆるやかに湾曲しており攻撃や矢、投石を受け流す効果がある。最前線の兵は盾を前方におしたて、二列目以降の兵は盾を頭上にかかげ矢からの攻撃を防ぐ。初期の、威力の低い弓ならば無敵の防御能力を持っていた。
槍の長さは五メートル。16人で16列、これでひとつの方陣を形成し、前後左右に十分に距離をとった方陣が横一列に八個。それが四列と少しある。左右には弓隊が500名ほど配置されていた。人間の陣形ならさしたる機動性もなくのろのろ前進するのが関の山だが、コボルドゆえかほとんど走っているのと変わらない速度で迫ってくる。
そして、ピウサ修道院を背後にしている。それはつまりファランクス最大の弱点、背後を完全に防衛しているということだ。前方、ミハエル部隊のいる雪原ははるかに広がっており密集陣形を阻害される地形的要因はない。1万対2500なら、采配に遅延を生じればあっというまにコボルドに蹂躙されるであろう。
並みの軍隊ならば数に物を言わせて迫ってくるコボルドの行進をみただけで戦意を喪失してしまうであろう。
そして、9000ものコボルド・ファランクスが、ものの三十分ほどで陣形の反転を完成させる。恐るべき速さだった。
盾を構え、槍をつきだして槍衾を形成し、その時を待って、静かに陣を整えて静止した。
「………ミハエル、亜人と本格的に戦りあったことは?」
眼前に、ハリネズミのごとく槍を突き出してその時に備えるコボルドの陣容に、ノルベルトはミハエルに問う。
「………いえ、まだ」
「そうか。いいか、決して油断するんじゃねぇぞ。奴らを人類の亜種だと、侮るな。確かに、文明レベルでいうなら亜種と蔑んでいいんだろうが、こと戦闘となったら亜種どころじゃねぇ。理性やら正気やら慈悲やら、たがにはめたがる人間と同列に扱えねぇ、まさしく野獣のごとき凶暴さで襲い掛かってくるぞ」
南方の砂漠にて、過去の十字軍遠征で亜人とさんざん戦ってきたノルベルトである。亜人の怖さは、ここにいる誰よりも熟知しているつもりであった。
人類と亜人の関係をたとえるならこうなる。人類がその必要上、本来持っていた凶暴を消し、従順なる家畜にしたのが豚なら、本来の野生を失っていないのが猪。人類が豚で、亜人が猪となる。
家畜として飼いならされるだけの豚では、決して猪には勝てないのと同様、文明によって個としての生命を弱めてしまった人類には決して野蛮な亜人には個々の力量では勝てない、という宿命をもつ。
火を用い、言葉を駆使し、思考を発達させ、武装と群れで文明を築いてその勢力を拡大してきた人類だが、皮肉にもその文明によって毒され、生命として劣化しつつある。しかし亜人は、古代の、劣等なる文化しか持たない分、単体としての生命の強さは、古代の人類と同等かそれ以上のものをもつ。
もし、人類に魔法という超常の力がなかったら、とっくの昔に亜人によって駆逐されていたはずである。
「………わかりました」
改めて気を引き締めるミハエル。
「あと………、もう何度も言ったし、諦めてるが………慈悲をかけるな。いま少しでもすり減らさねぇと、次にすり減らされるのはこっちだ。人間との戦と、亜人との戦を混同してくれるなよ」
ミハエルの殺傷嫌いは熟知しているが、それでも亜人との生存競争の前には何度でも警告を発せざるをえないノルベルトなのだ。リリクルも言っていたが、コボルドは一度に三~四人産む。人類が一度に生める子供の数は普通なら一人。数倍もの繁殖力があるのだ。そして、その繁殖力は間違いなく、人類に向かって襲い掛かってくる兵士の数でもあるのだ。減らせるものなら、少しでも減らさないと次に苦戦するのは間違いなく人類の側なのである。自分の身を確実に守れるミハエルだけが襲われるわけでもないのだ。
「分かっては………、いるんですけどね」
苦笑をするミハエル。
何度言われても、忠告されても、自分はできるだけ殺生を控えたいという信念は揺るがない。
とはいえ、手加減できるかどうかは抜きにしても、ミハエル部隊に余裕はない。
雪深い平原での五日間の長駆によって、すでに体力は相当以上に磨り減っていた。ミハエルでさえそうなのだから、他の兵士も何とか不平もなく、言葉にもしないが疲労の色が濃い。しかも敵は四倍。
頼みの綱は、前方に位置し、すでに勝ちを確信しているかのようなリリクル率いるプロンゾ長弓隊。そして、いざ接近戦ともなればニーモとミミクルの魔法戦力がその恐るべき魔力をみせつけるであろう。
さらに、コボルドの最大の弱点ともいえるのが行軍中でリリクルの言っていた、
「いいか、コボルドは指揮官を狙うのが常套手段だ。奴ら兵士は並々外れて忠誠心が強い、それは返すのならば指揮官に依存しているということでもある。指揮官さえ倒してしまえば後はほっといても瓦解するはずだ」
という言葉。
「………いいか! まずは長弓隊にて敵をすり減らし、接敵したら我らは弓隊を死守する! 指揮官の守りが少なくなった瞬間を狙って騎馬隊による強襲をかける! 我らは長駆によって長対陣には耐えられない、一気に片をつけるぞ!!」
応!
全兵士が応える。
しかし、意気に乏しい。その反応にミハエルは不安を覚えた。
それで。
「ヴィルグリカスの死闘を思い出せ! いまがそれほどの危地か? 絶望的状況か? 取るにたらん! 我らには頼もしい援軍がいるではないか! リリクルさん率いる長弓隊がいる! ニーモ様やミミクルさんがいる! あの絶望に比べればどれほど今が恵まれている!? 我らに負ける要因など何もない! 臆するな、思う存分戦えッ!!」
……応ッ!!!
兵士の、魂の呼号。ヴィルグリカス平原を生き残った、という誇りが、頼もしい援軍と共にある、という安心感が、全身からほとばしった。
「抜刀!!」
戦力に劣る不利、雪原を疾駆してきた疲労という状況、それらをミハエルは振り払った。そして、それを上回るどころか、はるかにしのぐ闘志が、ミハエル全部隊からみなぎっていた。
抜刀し、進軍を開始するミハエル部隊。不利な状況や疲れなど、頭から吹き飛ばされた。ちらり、とミハエルをみるノルベルト。指揮官として順調に成長してゆくミハエルを頼もしげにみて小さく笑った。
ミハエル部隊の進軍をみるも、コボルド軍に動きはなかった。コボルド・コマンダーはミハエル部隊を睥睨し悠然たるものだった。
「奴ら、迎え撃つつもりですな………」
ビーククトがぴくりとも動かないコボルドをみていう。
「とった! 奴らの失策を思い知らせてやる!」
ニッ、と笑うリリクル。
背後を完全に守っており、接近戦にめっぽう強い重装歩兵による密集陣形、ファランクスだからこその迎撃策なのだろう。ミハエル部隊が少数であることから迎え撃つ必要を感じなかったようだ。
「そうしてじっとしてくれたほうがありがたいのだ!」
ふっふっふ! と不敵な笑みをこぼすリリクル。
「我がプロンゾの必殺の矢、奴らに思う存分味わわせてやりましょう」
「無論だ!」
ミハエル部隊2500に対し、コボルド・ウォーリア一万。
彼我の距離は一キロ以上。
大胆にその距離をつめるリリクル率いるプロンゾ長弓隊。
コボルド・コマンダーは、救援に来た小勢のミハエル部隊を撃退すればよい、という判断だ。なので無駄に前進することもない、適度にあしらってやれ、ということなのだ。10日程度着陣し、接近戦闘もしておらず疲労もない。輿に乗った指揮官コボルド・コマンダーはミハエル部隊を静かに見据え、余裕の表情を崩さない。
それに対してミハエル部隊は五日間の長駆による疲労の頂点にあり、さらに極寒のなか体を引きずっての対陣。しかも、人間にとって雪原での戦闘はその気温もさることながら、ただ歩くだけでも雪原に足をとられ体力も減る。しかし、ミハエルらの戦意は天を衝くかのごとき高揚があった。
少なくとも、リリクルに敗北の二文字は頭の片隅にもない。
「無理しなくていいんだよ。後方にいてくれたほうが、わたしとしても安心だ」
ニーモがミミクルを気遣う。
「ん~ん、大丈夫! みんなに役に立つってところを見せないと。それに、ニーモがいるし、心配はしてないよ」
懸命に走りながらミミクルはミハエルの背を追う。小柄なミミクルにとって、屈強なディルツ騎士団に併走するだけでも一苦労だった。とはいえ、新雪を踏み固めて歩くリリクルたちに比べると、踏みならされ、固められた雪ならば足をとられる恐れもない。
「そりゃ、絶対に守るけどね」
ミミクルだけでも相当な魔力をもつが、神格を得たるケット・シーのニーモが護衛ともあれば百人力、いや千人力だ。
「いざとなれば俺がミミクルさんを守りますよ!」
フランコがミミクルに笑いかける。
「はい! ありがとうございます!」
にこやかに微笑むミミクルに、フランコが相好を崩す。
どっちが守られる立場になるかな、とニーモは思ったが口には出さなかった。
「そろそろか………」
目測で500メートルといった距離につめた。リリクルが彼我の距離をよむ。
「プロンゾ隊矢をつがえよ! ここからは慎重にいくぞ!」
リリクルの号令一下、矢筒から矢をつがえる1000のプロンゾ兵。
新雪をぎゅっ、ぎゅっ、とゆっくり踏みしめながら彼我の距離を少しずつつめる。
「リリクル様、プロンゾの力が世界に轟くと思うと痛快であります」
静かに、しかし力強く、ビーククトが言う。ディルツ騎士団との講和成立後、久しぶりの実戦である。しかも、長弓の威力を試す絶好の機会でもある。
この長弓の威力いかんによって、今後予定されるプロンゾ傭兵の命運が決まると言ってもよい。
騎士がどれほど剣や槍にこだわり、誇りや自尊心を見出し、重装騎馬による突撃を愛そうとも、ゆらぐことなく戦場の主力は弓だ。統計によると、戦場における死傷者の六、七割は矢傷や投石によるものという。それほど矢による攻撃は重要なのだ。
接近することなく遠方から射出し、一方的に攻撃できる弓はやはり強い。コボルドとて弓隊がいるが、プロンゾ長弓は有効射程300メートル以上。コボルドは100メートル以下。少なくとも200メートルは一方的な展開を期待できるのだ。
コボルドをどれほど鮮やかに撃退できるか、それが今後傭兵として各国に売り込むことになるであろうプロンゾ長弓隊の宣伝にもなるのだ。そして、コボルドと同様、騎馬で突撃してくるであろう各国騎士も、長弓の餌食になる。
どれほどの地位や身分であろうと、降り注ぐ矢は、一切の差別なく、無慈悲にその命を刈り取るのだから。
「当然だ! 我らプロンゾが弱小民族ではないことを、歴史に証明して見せるぞ!」
泰然たるリリクル、にやりと笑う。
「プロンゾ兵たち、クソ生意気なディルツ騎士団のせいで散々辛酸をなめたが、これからはそのディルツ騎士団を利用してのし上がってみせるぞ!」
おおいばりで宣言するリリクル。プロンゾ兵たちも応! と応えるわけにもいかず苦笑を浮かべた。しかし、リリクルの心情には大いに共感できるものがあることも確かだった。ディルツ騎士団と融和したとはいえ、その実情はディルツに屈したといっても決して過言ではないプロンゾ人に必要なのは今は何よりも自信だったからだ。
「うーん、まあ、いいんだがね」
ノルベルトたちも苦笑する。
そんなリリクルたちの内幕など無関係なコボルドに動きはまだ、ない。
「そろそろ、目測で300メートルです」
ビーククトが必殺の距離を告げる。
500メートルからでも攻撃可能だが、300メートルまで近づいての射撃である。それは、コボルドの突撃を受ける恐れの増す距離でもあると同時に、確実にコボルドを撃滅できる距離。
「全部隊停止! プロンゾの威光、見せるときだ! 放てッ!!」
リリクルの叫び一閃。
ザアッッッ!!
1000の矢が一斉に放たれる。
プロンゾ長弓隊の放った矢は優美なまでの放物線を描いて、それは死をもたらす雨へと変化した。
頭上で構えたタワー・シールドで防げる。コボルドはそう考えていた。
しかし、それが大間違いであることに気がつくのはすぐだった。
長大な、300メートルという距離を飛翔した鋭鋒はさしたる音もなく、さしたる衝撃もなく、さしたる苦悶の声もなく、数百のコボルドたちを絶命せしめたのであった。木製のタワー・シールドでは、プロンゾイチイによって進化した強力な長弓の攻撃を防ぐことなどできはしなかったのである。
タワー・シールドをいともたやすく貫通し、その下に装着した金属鎧すら貫かれる。
どしゃどしゃ、と地に倒れ付すコボルド・ウォーリア。
たった一射で、数百ものコボルド・ウォーリアが死に絶え、肉を咬むことなく、雪と土を咬むことになる。
その時に至って始めて、コボルドの指揮官、コボルド・コマンダーは見たこともない脅威の存在に気づかされたのであった。慌てて采を振る。コボルド軍から陣太鼓と陣笛がけたたましく鳴り響く。コボルド迎撃部隊全軍に突撃命令が発せられた。
長弓の存在など知らないコボルドこそ、いい面の皮だったろう。彼らの常識に300メートルもの飛距離がある弓など存在しなかったのであるから。
それが、決定的にして危機的な状態であったと、たったいま知ったのであるから。
堰を切ったように静止状態から解き放たれ、猛然と駆け出すコボルド。
しかし、リリクルの笑みはまったく曇らない。
「ふはは! もはや手遅れよ!」
仁王立ちとなって高笑いだ。
「ここに来る頃にはどれほど生き残っておろうな!? それ、休まず射よ! 射続けよ!!」
リリクルは連続射撃を下命する。
言われるまでもなくコボルドの接近を目前にするプロンゾ長弓隊は連続射撃を行った。
プロンゾ長弓兵の連続射撃は一分間で10射以上。コボルドは300メートルの距離をつめるのに一分程度はかかる。単純に、10000以上もの矢を、コボルドたちは受けることになるのだ。
しかも、当然リリクルたちは前方のコボルドを狙う。
そして、コボルドたちは倒れ付した、自分たちの仲間の死骸を踏み越えて前進し続けなくてはいけない。
大きな盾と、五メートルもの長大な槍、そして自分たちの仲間の死骸を踏み越えて、走らなければいけないのだ。
コボルドは、障害物競走を強いられることとなったのであった。
圧倒的だった。
ワンサイドゲーム、一方的な展開。
死は、すべての生命に無関係な、ある意味平等な結果をもたらす。
コボルドにとって、永遠の眠りを与える慈雨が降り注いだのであった。
密集隊形による突進しかしらないコボルドに、新型の矢から身を守るすべなど知るよしもない。
1000の慈雨が降り注ぐたびに、数百ものコボルドがその命を散らす。
一射、一射と矢を受けコボルドたちは声もなく、数百単位で雪原に屍を築いてゆく。そして屍を踏み越えようとするコボルドにも情け容赦なく矢は降り注ぐ。
粛々と、整然と、忠誠心高く、愚直に進軍するがゆえにコボルドの被害は甚大であった。
そして、コボルド・コマンダーも起死回生の一手を放つ。コボルド弓隊も100メートルの距離につまったときに矢を放った。
しかし。
「ほい、と」
「ええい!」
その矢はリリクルらの頭上に降り注ぐ寸前、ミミクル、ニーモの風の魔法によって威力を殺され地にただ落とされることとなる。極端なまでに一方的だった。こちらの矢は一撃必殺、あちらの矢は無力。
自らの矢を完全に無効化され、コボルド・コマンダーは茫然自失となった。
そして。
彼我の距離が0メートルになる頃には、実に、半数以上のコボルドが地に己がむくろをさらすことになってしまったのである。
「………す、すごい」
半数の戦力を失えば、それはまさしく壊滅である。全滅といってよい。半数もの数を失ったということは残りその数4000程度。その戦力差は半分以下にまで下がっていたのであった。
たった一分でコボルドを事実上撃滅したプロンゾ長弓の威力を眼前でまざまざとみせつけられ、また、それでも愚直に進軍してくるコボルドに、ミハエルはただ感嘆の言葉しかでない。
「あ、あのコボルド兵をここまであっさりと………!」
感動で震えが止まらない大男の修道士ギルス。
「呆けてる場合じゃないぞ、ミハエル! 弓隊を守るぞ!」
「は、はい! 前後列交代!! でるぞ!」
ノルベルトの叱咤を受け、慌ててミハエルが号令を下す。二名が一組となって平行に並んでいたプロンゾ長弓隊が、前後に並び替えることで隙間を作り、その隙間をミハエルら騎士団が進み出、プロンゾ長弓隊は静かに後退する。
「やりましたね、リリクル様!」
油断なく矢を構えながらも、ビーククトは興奮を抑えきれなかった。
「ああ! 我らの底力、思い知ったか!」
ぐっとこぶしを握り締め、圧勝の余韻に浸るリリクル。
思えば、ディルツとの戦闘が始まって以降、こうした一方的な攻撃などまったく無縁であったプロンゾだ。
なにより、プロンゾ人自身にとって、この確かな勝利はかけがえのないものだった。ミハエル率いる部隊の後方に布陣を整え直し、プロンゾ兵たちは喜びをわかちあったのであった。
大きな仕事を成し遂げた長弓隊を後方にし、ミハエルはコボルド・ファランクスを見据えた。
必殺の矢雨を潜り抜け、いよいよ干戈を交えんと迫るコボルドの槍。その長さは五メートルもの長槍だ。雪原を疾走しそれでも4000のコボルド・ファランクスが2500のミハエル部隊を押しつぶす、はずだった。
そのはず、だった。
「残念だったね! わたしたちに出会った不運を呪ってくれ!」
「ごめんなさい!」
待ち構えていたニーモ、ミミクルが風の魔法を解き放つ。
コボルドに備えて用意されていたのは、長弓だけではなかったのだ。
ゴウッ!
烈風がコボルドを襲う。
爆発的なまでの風のかたまりがコボルドの眼前に生み出され、その牙を向く。
土砂が、雪が、烈風によって地面ごと削り取られ、吹き飛ばされコボルドに降り注ぎ、さらに風のかたまりにあおられた前衛が陣形を維持できずにあるものは倒れ、あるものは槍を地にたたきつけられた。
強力な攻撃力を誇るはずだった長大なコボルドたちの長槍は、逆にその重さと長さがアダとなって即応性に欠ける。烈風にあおられて即座に立て直せるものではなかった。さらに、たたきつけられた土砂と雪に視界すら奪われ、コボルドの鋭鋒はあっさりと消滅したのであった。
「機を逃すな! 全軍突げ――――」
コボルドの突撃力が完全に消滅した瞬間。こここそが勝敗を決する瞬間、ミハエルは全軍突撃の号令を下しようとした。
その時。
ドッゴォッッッ!!!
背後のピウサ修道院の門が吹っ飛んだ。
その轟音に、誰もがついに結界が消滅し投石器の攻撃によって門が倒壊したのだと思った。
しかし、門は前方に吹き飛んでいた。
そして、小さな人影が視界に入る。
その小さな人影がふっ、と見えなくなる。次の瞬間。
ゴガァッッ!
やぐらのように組まれていた投石器が倒壊する。
続いて、目にも留まらぬ速さで周囲のコボルドたちがなぎ払われた。
さらに、
ゴバァッッ!! グガァッッ!!
残りの投石器も見るも無残に打ち壊され、同様に周囲のコボルドたちがなぎ払われる。
異常事態が起こった。
少なくとも、コボルドにとってとても悪い事態が出来してしまったようだ。
恐るべき速さと力でコボルドの包囲網を一瞬にして瓦解させた『何か』が、背後にいる。
この時にいたってもはやミハエルらも、コボルド・コマンダーも、異常事態にあっけに取られ戦闘どころではなくなっていた。ただただ、ことの成り行きを固唾をのんで見守るだけだった。
そして、その『何か』は、すぐにやってきた。
「ひゃっほ―――――!!!」
空を飛んで。
「軽い軽い! やはりお母様の術式は完璧だな!」
自在に空を飛び回り、新しいおもちゃで遊んでいるかのように現れたのは、少女だった。
「むっ!」
あっけに取られ、言葉もないミハエルらとコボルド・ウォーリアに気づき、自由飛行をやめ、ミハエルらの眼前にまで飛翔する少女。背後のコボルドの存在など、まるで眼中にない。
「援軍が来ていたんだったな! さて、貴公らはどこの手の者か!?」
完全に己のペースで誰何を始める少女。
髪は長いウエーブのかかった金髪。相当高貴な血筋をひくらしく、相貌から輝くような品性があふれ出ていた。年のころはまだ二十歳にも満たない幼さが残るものの、血筋にふさわしくかなりの美少女だった。鼻筋はすっと通り、目はぱっちりと大きい。赤みのさした頬はつやめいて美しく、唇もぷっくりと朱くきらめいていた。しかし、王族か貴族にしか見えない容姿には不釣合いにも思えるほど元気があふれまくった活発な気性がありありと出ていた。さらにそれを強調するのが、修道服ではなく武闘家のような胴着の上に動きを阻害しない程度の革の鎧を着込み、両の手を覆う異様な金属のかたまり。
それは、ミスリル・ナックルだった。
両の手を包み込んでなお余りある大きさのミスリル銀のこぶし。ハンマーにそのまま手を突っ込みました、と言われても不思議ではない。ミスリル銀特有の白いきらめきを放っていた。そのミスリル・ナックルが、まばゆいばかりの美貌とは対照的な異彩を放ち、摩訶不思議な光景となっていた。
しかも、空中を浮かんでいる。魔法で翼を形作っているようだ。まるで天使のような翼だが、羽ばたいているわけではない。ニーモのように風を操って推進しているのだ。
「デ、ディルツ騎士団です。アルクスネ管区から参りました」
場違いな誰何に相当たじろぎながらも、問われれば応えないわけにはいかないミハエル。
「ほう、ならば貴公がかの高名なミハエルとやらか」
すっと、目を細めてミハエルを見据える少女。援軍にきたミハエルをみる目は、感謝というより値踏みに近い視線だった。戦士としての力量を測っているのだ。年齢で言うなら明らかにミハエルが年上だが、しかし少女の放つ威圧と、異様な風体に場をわきまえろ、などといえるものはいない。
「わたしを………ご存知で?」
「ふっ、当然であろう。着任以降、プロンゾをほとんど無血で融和せしめた博愛精神に富んだディルツ騎士と、近隣で知らぬものはあるまい。なるほど、確かに援軍が来るとなればアルクスネか。おお、人に名を問うて自らが名乗っておらなんだな」
にっ、と不敵な笑みを浮かべる少女。
「わたしはカトリーナ。カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク、うぐっ」
優雅に右手を胸に添えお辞儀をする、はずだったが、どすッ、と重い音がして咳き込んだ。
「ブラウツヴァイク! なるほど、だからか!」
名に反応したのはノルベルトだった。
「そういうことですか」
「ああ。ブラウツヴァイクといえば現教皇グレゴッグス九世の枢機卿の一人にして近衛隊長。確かに、とびきりの要人だな」
「ま、まぁな」
けほけほ、と咳き込みながら。
「なるほど、タイルドゥ司教が慌てて援軍を要請したのはそういうことでしたか」
ちらり、とミハエルが武人のごとき修道士ギルス・バッテルンを見る。
「は、はぁ………。隠すつもりなどありませんでしたが」
「うむ。お母様の術式が未完成だったものでな。ようやく完成したというわけだ」
「術式………?」
「うむ。おっと、話は後だ。コボルドは、指揮官をたたくのであったな」
ゆっくりと振り返るカトリーナ。
その目が輿に乗るコボルド・コマンダーをとらえるのにものの数秒もかかりはしなかった。
あっ。
誰もが、―――コボルドですら、その後の結末に予想がついた。
そして。
カトリーナの高速飛翔、そして鉄拳の一撃。
豪壮な、しかし無骨で何の魔力強化もなされていない、重厚なミスリル銀をまとったコボルド・コマンダーはあっけなく、まるで木の葉のように宙を舞ったのであった。




