鉄拳修道女 カトリーナ・フォン・ブラウツヴァイク (二)
5/14 誤字修正やらいろいろ訂正やら。
プロンゾ復興着手から一年目。ミハエルたちはリリーアンブルグ城に出向いていた。
リリーアンブルグ城はディルツ騎士団に寄贈された城で、その規模や立地条件からディルツ騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンは本拠地にふさわしいと、ブデラングル城から移動してきたのであった。
ミハエルらが復興途中で騎士団本拠地にやってきた理由は三つ。
プロンゾ復興の経過報告。
復興中の出来事である第六次十字軍遠征の顛末を聞くため。
そして、ミハエルにとって兄の嫁であるエリジュビア・フォン・ジューリッケンの慰問、であった。
ミハエルとエリジュビアは幼馴染でもあり、今回の一時帰還における一番の関心事はこのエリジュビアにあった。
それはこういった次第である。
エリジュビアの夫、ジューリッケン方伯ルーイヴィール四世が第六次十字軍遠征中に風土病によって病没してしまったのだ。ミハエルはこのジューリッケン方伯の一門出身であり、ルーイヴィールは次男、ミハエルは四男になる。
ミハエルの兄であるルーイヴィールには跡継ぎとして三人の子供がいた。ルーイヴィール自身が24歳とまだまだ若かったこともあり長男のエルム二世はいまだ五歳だった。なので後見役としてミハエルの兄で三男のヒッリム・カスボが摂政に就任することになったのだが、それが問題の発端であった。
いや、問題を言い出すと、エリジュビアの人生そのものが過酷な問題だらけものだったのだが。
バンガルア国の王女として生をうけたエリジュビアはその当時の政情をにらんだ策謀家たちの手によってわずか四歳にしてジューリッケン方伯領に政略結婚の具として送り込まれたエリジュビア。まだまだ家族の愛情に満たされねばならない年頃に、わずかな女官のみを供にして放り出されたのである。当初は長男であるヴィッヒルーダに嫁ぐはずだったが、このヴィッヒルーダが成人になることなく夭折、そのため次男であるルーイヴィールに嫁ぐこととなった。
周囲の予想に反してルーイヴィールとの中はむつまじく、家族も味方も誰もいないエリジュビアのことをルーイヴィールは心から愛し、二人の間には三人の子宝に恵まれたのであった。
それでも、血筋だけで仕組まれた政略結婚の具にされたエリジュビアは、だからなのか失われたものを探し求めるかのように、はやくから信仰の道に埋没する女性だった。誰もが見捨てて省みないような奇病にかかった患者を看護するなどその情熱はすさまじかった。そんな、周囲からの奇異の目も多いエリジュビアを常に守っていたのが、夫であり最大の理解者であるルーイヴィールなのであった。そんな彼がまだまだこれからという時に病没したことによって、長男のエルム二世の摂政となった三男のヒッリム・カスボから、エリジュビアを守るものは誰もいなかった。
未亡人となってしまったエリジュビアが夫を失った悲しみを信仰の道でのみ癒そうとして、残された資産を惜しみなく喜捨という形で使おうとしたことにヒッリムは激怒。彼女を着の身着のままで放逐したのである。
その後の家族の流浪の生活は過酷なものだった。一時期は金銭的に非常に困窮し、子供たちと馬小屋に寝泊りしたこともあったという。そんな家族の窮状を知った親戚の手によって保護され、いまは彼女の信仰上の師父であるコンコッド・フォン・リリーアンブルグの下に庇護されているのだった。コンコッドはその名のとおり、リリーアンブルグ城をディルツ騎士団にぽんと与えた大貴族でもあり、大司教の座にあって異端審問を発足させた宗教上での実力者にして、十字軍の熱心な唱導者でもあった。ルーイヴィール四世を十字軍に参加させたのもコンコッドである。
その後、コンコッドの後見によって、ガロマン教皇グレゴッグス九世からジューリッケン方伯の相続問題の調停が行われ、ヒッリムはそのままジューリッケン方伯としての地位は残すものの、エリジュビアには遺産として莫大な財を相続させることになり、一応の解決はみた。それによりエリジュビアはその莫大な遺産を使って病院を建て、しかも自ら病気に苦しむ人々を献身的に看病していたのだった。
これがちょうどルーイヴィール没後から七ヶ月目ほどの出来事である。
そして、ルーイヴィール病没の原因ともなったのが、プロンゾ講和がなると期せずして起こったのが第六次十字軍召集である。
帰国したレオポルトたちは神聖ガロマン皇帝フリーデルン二世の呼びかけに応じ第六次十字軍遠征に出陣していたのだ。ミハエルはこのときプロンゾ復興を本格的に進めようというタイミングで、実行責任者として十字軍遠征からははずされていたのである。
第六次十字軍遠征じたいは、第五次に比べると戦闘の面では楽な遠征といえた。第五次が三年間の、内紛につぐ内紛による悲惨な消耗戦を強いられたのに比べると、たった一年で聖地奪還、という目的は果たすことができたからである。
それは、敵の内紛に乗じることができたからだ。
ユーロペタの真南、地中海を挟んで広がる暗黒大陸アブロガンや中央大陸南方の砂漠地帯は、亜人族が支配する人類の手が及ばない暗黒大陸である。ゴブリンやオーク、トロールなどの亜人が割拠している。かつては人類の祖がいたが、そこも極北と同様に現在人類は駆逐されていた。彼ら亜人は、時には共同で人類に敵対し、時には亜人同士で抗争したりと、絶え間ない血で血を洗う戦いの日々に明け暮れている。
特に砂漠に特化したともいえるのがレプティリアンである。
蜥蜴と人間を合わせたような外見であるが、沼地に多く生息するリザードマンをさらに人間に近似させたような姿かたちをもち、人間との外見上の違いは、若干、肌の色が特徴的な灰色がかっていることと、背中部分に広がる爬虫類独特の皮膚、手足の指に特徴を残す以外はほとんど人間との差異はない。尻尾もなく、縦に伸びた瞳孔もない。リザードマンが、巨大な二本足でたつワニかトカゲと言ってよいかのような存在であることを考えると、ほとんど人類といってもよいほどの種族である。
沼地に生息地を得るリザードマンからここ最近分かたれた新種族であるが、砂漠に適応した種族で、極度の乾燥や灼熱にも耐え、人類よりはるかに少ない水でも生きていける。人間と似通った姿かたちでありながら膂力は人間以上、優れた戦闘力をもち、思考や思想、宗教哲学も人類と近似、また繁殖力も旺盛、人間に近い姿、ということは文化風土も当然のように人間と同質、いまのレプティリアンたちの文化はユーロペタとは一風変わった文化をもっているものの、多くの亜人たちが古代の人類程度の文化しかもたないのに比べ、レプティリアンたちは現在のユーロペタの文化水準と比べてもなんの遜色もない優れた文化を築いており、人類よりはるかに砂漠に適応した生態ゆえに砂漠地帯において瞬く間に勢力を拡大した。
そして、彼らの特徴的な文化制度のひとつが奴隷戦士と呼ばれるものだ。
他種族を攻め滅ぼし、そこの種族を奴隷として確保すると、その奴隷を戦士として戦わせる。
その奴隷は、優れた戦士なら妻帯することも許されるし、さらに戦士としての力量を示せばを一部隊を率い、最高位ともなれば一領地をも得、王の近衛として一個軍を統率することもある。子飼いの奴隷ともなれば並々ならぬ忠誠心を発揮する。
奴隷という良質な戦士を常備でき、しかもユーロペタの貴族に比べてもはるかに忠誠心の高い戦力を保有できる特徴的な文化をもっていた。
魔法などを駆使する能力はいまのところはないが、戦士として優れた能力を有し、優れた戦士を統御する優れた将帥がおり、卓越した戦術思考をもっている、人類にとっても非常にやっかいな種族なのである。
十字軍とは、そもそも、そのレプティリアンとの歴史的な紛争のことなのだが、今回は、レプティリアンの王と書簡でやりとりをするというガロマン皇帝フリーデルン二世の言語が十二分に発揮された。フリーデルンは人間の言語を複数操るだけではなく、レプティリアンの言語であるレプラビア語にも堪能であったのだ。その優れた知性を発揮させての交渉であり、レプティリアンの王は他の亜人との抗争に備え、十字軍を味方に確保しておきたいとの目論見から、聖地を明け渡すことを約束していたのである。
聖地イェルサロス。
レプティリアンの奴隷身分であった古代ウダユ人。そのウダユ人が祖地を逃れて数十万という民衆が新天地を目指して逃亡。その数多の民衆を率いて追撃していたレプティリアンと壮絶な防衛戦をしていたのがクルダス教の始祖、クルダスだった。
そのクルダスがレプティリアンの巫女王と死闘の末、相打ちし果てた、クルダスの肉体が眠る地こそ、イェルサロスである。
クルダス教にとって、始祖クルダスに永遠なる安寧を約束せねばならない聖地であると同時に、レプティリアンの巫女王の肉体の眠る地であり、その巫女王の最後の遺言が、両者の安寧を守れ、であった。
レプティリアンの巫女王はその名の通りレプティリアンの宗教的な祭祀王である。
遺言の意味を、宗教的、民族的対立ではなく、融和を願うことであると理解できなかった後の人類やレプティリアンは、一方の宗教によっての安寧である、としか了解できずこの地における異教を排除することだけが、信仰上かかすことのできない宿命となってしまったのである。
聖地を巡って人類とレプティリアンは限りない紛争を経験していた。それでもなお、聖地を巡っての状況は混沌としていた。そんな状況下での十字軍発足だったのである。
聖地を奪還した戦士には、天国への救済が約束される。
そういった謳い文句がクルダス教から発せられ、まさしく言葉通り熱狂の十字軍は発足した。
亜人の撃退と、人間支配の拡大はすべての人類にとっての悲願といってよい。ましてや、文明の成熟によって増加の傾向にあるユーロペタの人口をさらに安定的に拡大させるためにも聖地奪還と、それに続く領土拡大は決して緩められない命題ともいえた。
そして、初期の十字軍遠征は精神的な安堵と、物理的な欲望を合体させいくたびかの成功を収めた。
が、亜人の、人類よりはるかに強靭な生命力と、底なしに繁殖する軍勢の前に十字軍遠征の成功もかすんでしまうのだ。いや、かすむどころか、人類の側の内紛と度々の敗戦によって、初期の熱狂ももはや冷めてきていた。
そして、今回の第六次十字軍遠征は、遠征前に把握していたレプティリアンと亜人同士の抗争を利用することをフリーデルンは決めており、聖地奪還も交渉で方がついてしまった。うまくいったと言ってもよいのだが、実はそもそもこの十字軍遠征前に問題が起こっていた。
それは、フリーデルン二世は神聖ロウマエ教皇グレゴッグス九世によって破門中の身であったからだ。
すでに前教皇との約束として、フリーデルンは十字軍を率いて出陣せねばならない状態であったにも関わらず、ぐずぐずと遠征を引き伸ばして今日まで至ったのを、フリーデルンに対して懐疑的なグレゴッグスが教皇に就任したことによって両者の関係は完全に破綻。強硬派として知られるグレゴッグスはただちにフリーデルンを破門。関係修復を試みたフリーデルンだったがグレゴッグスはかたくなに拒否。しかたなしの十字軍遠征だったのである。この時代は、王権よりも教権が優位にあったのだ。
破門中の皇帝に喜んで従う勢力などほとんどなく、腹心ともいってよいレオポルト率いるディルツ騎士団や他がわずかに付き従うのみだった。
そして交渉によって譲歩させ聖地を奪還したものの、その評価もひどいものだった。
交渉によってことを進められるのならどうして軍隊を進出してさらに成果をださなかったのか、それだけの軍勢を出してほとんど戦わずに何が十字軍か、など。また、聖地イェルサロスは亜人との連戦によって城壁はぼろぼろで裸城も同然の状態であり、和平期間が終わってしまえば防衛は容易ではないことから現地の十字軍騎士たちにも不評だった。
また、グレゴッグス九世は、現地で戴冠しイェルサロス王を名乗ったフリーデルンに対して十字軍を編成し始める、という事態にまでいたったのだ。なんと、十字軍に対して十字軍を差し向ける、という異常事態にまで発展したのである。驚いたフリーデルンはただちに帰国したのだった。当然、その豪腕を振るうことなく、グナクト・プロンゾもむなしく帰国していた。
フリーデルンは帰国後、教皇に属して皇帝に反旗をひるがえす勢力に対して攻勢を仕掛けるなど、ガロマン国内は非常に混乱動揺し、そしてディルツ騎士団総長レオポルトはこの反目する両者を友好の食事の場に引きずり出すことに成功、破門を解かせることができたのであった。レオポルトは皇帝フリーデルンの腹心として、政治家として世にその名を轟かせていた。
それらの期間が一年ほどであった。
ミハエルらが大変ながらもおだやかな一年を過ごしたのに比べると大きな落差があった。
「義姉上も、ご無事で何よりです」
エリジュビアに声をかけるミハエル。
晩餐席上。
十字軍から帰還したレオポルトたちの祝勝会、アルクスネ騎士たちの慰労と、プロンゾ復興の成功と歓迎をかねて盛大に宴が開かれていた。
ディルツ騎士団総長レオポルトはもちろん、首脳部や文官たる修道士、リリーアンブルグ大司教コンコッドや、エリジュビアも招かれているのだ。
また、グナクトやリリクル、ミミクルやケット・シーのニーモ、ビーククト・ブロンゾなどが新たなディルツ騎士団の盟友として大々的に喧伝された。改めて、リリーアンブルグ城内というディルツ騎士団の本拠地にて、プロンゾとディルツの友好が示されたのである。
十字軍出立前にすでに多くの騎士はその姿をみていたものの、伝説的龍革戦士グナクトの威容に騎士たちは圧倒され、リリクルやミミクルの美しさに眼を奪われ、ニーモの脅威にどぎもを抜かれたのであった。
はるかな僻地にいる野蛮人という偏見がまったくなくなったわけでもないが、レオポルトと、グナクトの握手は、多くのディルツ騎士にとっても生涯忘れることなどできるはずもない、脳裏に焼きつくほどの強烈な情景だった。
そんな光景が一段落した後の晩餐である。
エリジュビアとミハエルは一族ということもあって、近くの席が割り当てられていた。
わずか四歳にして親元から引き離され、ジューリッケン方伯領にとどめ置かれたエリジュビアだったが、ミハエルとは子供の頃からいつも一緒におりまるで兄妹のように二人は仲が良かった。ミハエルとは一歳下の年齢になる年の近さもあるが性格も二人は似通っており、二人とも王侯貴族としての振る舞いやしきたりよりも、木々や花々を眺めてのんびりすごすことを喜ぶような野心も欲望もない心根の持ち主だった。そして、苦しんでいる人を見るとなによりも心を痛めるエリジュビアの、太陽の如き暖かな心根がミハエルは大好きで、彼女もミハエルといると周囲の者とは違ってよく屈託なく笑っていた。
エリジュビアにとって、家族の愛情など無縁のものだった。国許から同道してくれた女官たちも、ただ王女だからと付き従う貴族の娘という立場以上の情愛などそこにはなく、ただ任務としてそばにいるだけの間柄でしかなかった。そんな中で唯一、そういった冷淡な周囲の反応とは間逆の存在がミハエルであったのだ。裏表もなく、真心からそばにいてくれるミハエルの存在が、だからこそエリジュビアにとってはなくてはならないものだった。
味方などただの一人もいないジューリッケン方伯領で、ミハエルだけは心から優しくしてくれたし、そしてエリジュビアもまた何の気兼ねもなくそばにいられた。
大人の都合などまったく知らないエリジュビアにとって、ミハエルこそが生涯の伴侶、そう思った時もあった。
ミハエルが修道会に入れられるまでは。大きくなって、だから、ミハエルは修道会に入れられたのではないか、と思った。
ジューリッケン家の跡継ぎの后として送り込まれていながら、ミハエルと結ばれたのでは政略結婚の意味がない。ならばどうするか、という選択肢の中でミハエルを修道会へおいやる、という方法が選ばれたのだろう、と思った。しかし、今は亡き義理の父親の決めたことなのでもはや真意はわからない。
「………はい。いまは、忙しく働いております。子供たちの世話もあって、本当に忙しくて。でも、楽しんでいますよ?」
どこかに、影をまといながらも、ほがらかに笑うエリジュビア。
ルーイヴィールの遺産を惜しみなくつかって病院を建設しながら、それでもその中でもっとも献身的に働くのがエリジュビアであった。それは、師父コンコッドの指導の影響でもあった。
十字軍を熱狂的に提唱するコンコッドは清貧をもって自身の存在をその証明としており、民衆から厚く支持されていた。そのためなのか、自分の弟子にも容赦がなく、王族出身であるエリジュビアにもそれは例外ではなかった。
自らに清貧を課すのを当然のように、弟子にもそれを求めた。
日々を病人の看病にあて、忙しく立ち働くエリジュビアにも清貧を要求し、時には鞭を打つこともあった。
そんな、常人にはとうてい耐え切れないような日々にあってエリジュビアは、確かにやつれてはいた。だが、王族の血を引く気品と美貌に翳りはみられない。いまだ20歳、三人の子供をなしながらもまだまだ若く美しい。一度ならず再婚の話もあったが、中睦まじかったルーイヴィール以外の人間と結婚するつもりはなく今のままと意思を貫いた。
ルーイヴィールの葬儀はディルツ騎士団をあげて盛大に執り行われた。その時のエリジュビアの憔悴さかげんは、正視に耐えられないものだったという。
だからこそ、いまこうして元気に振舞うエリジュビアの姿は、ミハエルに安堵をもたらしてくれていた。それが、空元気であっても。
「しかし、ヒッリム兄上がああも薄情な人間だったとは、かの者を見損ないました」
自身にとっても兄であるヒッリム・カスボであるが、珍しくミハエルは憤慨を隠さなかった。
「………いえ、それも仕方のないことと、今では認識しております」
「ですが」
「いえ、いくら、信仰のためとはいえ、財を際限なく使えばよいというものでもありません。世俗と信仰は分けてしかるべきでありました。残されたエルム二世の今後のためにも。それをわからなかったわたしが愚かなのであります。ヒッリムのことは恨んでなどいません」
「………」
強がりでも負け惜しみでもないことは、表情から明らかだった。
「それに、その後の財産分与で相応の財を頂きました。その財で病院を建て、貧しい人々のためにこうして働いております。これ以上、何を望むことがありましょう。後は、ルーイヴィールが父たちに並ばれることを祈るだけで十分です」
「………そうですか。義姉上が心穏やかにおられるのであれば、わたしはよいのですが………」
エリジュビアが本心からそう言っているのであれば、これ以上文句のつけようもない。
少なくとも、すでに修道会に身をおいているミハエルが、俗世のことにくちばしを突っ込むべきではない、と思えた。
「わたしのことはもう問題ありませんが、リリクルさんに、ミミクルさん、といいましたね、ミハエルは優しくしてくれますか?」
「はい、そろそろ嫁をとってもよいのではないか、と言っても聞き分けません」
心からむくれるリリクルをみて、エリジュビアは本当に楽しそうに笑った。
「修道士ですからね。それに、彼は言い出したら聞かない、頑固な子なんです。ミミクルさんもミハエルのことを?」
「い、いえ! わたしは、その、姉の仕事の手伝いをしているだけです」
顔を赤らめるミミクル。
姉妹そろって一人の男に嫁ぐという事例も、珍しい話でもない。
「そうなのですね。でも、珍しいですね。女子禁制の修道会で、お二人もミハエルと一緒に住んでいるなんて」
ちなみに、修道院じたいは女子禁制が多いが、決してただの一人も女性がいないというわけではない。
女性だけの修道院もあるし、修道院入会を希望したときからすでに妻帯していたという事例もあるし、患者や保護を求める女性を看護、介護するための修道女という存在もある。そのため、厳格に教えを実践する修道士が異性と積極的に触れ合うことがないように、別々に生活することが普通なのである。
「そうですね。アルクスネはプロンゾ復興の本部ということもあって、修道院でありながらいまは政務中心の場所となっておりまして」
「そうなのですね………。プロンゾ復興も早く済みそうでなによりですね」
「はい。プロンゾ人の戸籍も徐々にまとまり、プロンゾの産業もこれから興ってくるでしょう。ディルツ騎士団からの支援も、早々に不必要になりそうです。まだまだ一年目で、端緒についたばかりですが、しかし確実に復興はなっています」
「………そうなのですね。ミハエルが管区長就任と聞いたときには、あの虫も殺せなかったミハエルが大丈夫かしらと思いましたが、立派に勤めを果たしてわたしも一安心です。これからもミハエルをよろしくお願いしますね」
「んむ。任されたい」
鷹揚にうなずくリリクル。
そんなエリジュビアの様子をちらちらと盗み見るリリクル。
移動中、ノルベルト・グリモワールからエリジュビアは、もしかするとミハエルの妻となるかもしれなかった女性だった、という話を聞いており、どんな女性かと関心も少なくなかったからだ。確かに、やわらかい人当たりだがこうと決めたらてこでも動かせないような信念をもった気性も、雰囲気はミハエルそっくりだった。
しかし、とリリクルは思う。
二人は似すぎているな、とも思うのだ。
人というのは、多少違ったほうが馬が合うこともある。
グナクトと母、イーナムでは状況が違いすぎるが、自分とミハエルならば、違った気性をもつからこそ、夫婦としてうまくいうのではないか、などと考えていた。主に婦唱夫随として。
そして、それをエリジュビアと接してますます確信を深めるリリクルである。ミハエルが妻帯するかとか、ミハエルの気持ちはどうか、という大事な要素を一切無視して。
「しかし、こちらは順調といってよいが、問題は親父だな。あれは相当不満を溜め込んだ顔だな」
ミハエルたちがいる席と、レオポルトたち幹部やグナクトのいる席は少し離れている。リリクルはちらりと、グナクトをみた。
借りてきた猫のように押し黙ったグナクトではあるが、明らかに渋面を作っていた。今回の十字軍遠征によって一番活躍を期待された、そして自身も期待していたであろうのがグナクトであったのだ。それが、フリーデルンの初期の想定どおりの推移で戦闘らしい戦闘もおこらずに聖地は解放、無血でイェルサロス入城となり、その後の状況の混乱による撤収である。
何のために砂漠地帯くんだりまで出向いたかわからぬ今回の十字軍遠征に、一番フラストレーションを溜め込んでいるのだろう。しかも、かつて敵として死闘を交えたディルツ騎士団で超VIPとして扱われ、かつてのような敵意をむき出しにするわけにもいかず、とはいえ、グナクトの性格から自分から進んで仲良くなろうなどと行動がとれるはずもない。所在なさげなグナクトの姿がそこにはあった。
「でもまあ、『アトゥーレトゥーロ』で青白くなっていたことを考えると、砂漠で日焼けした今が元気そうではあるな」
ノルベルトがのんきにそう評す。
プロンゾ族長の居城、『アトゥーレトゥーロ』にこもりきりだったことを思えば外で活動している今のほうがまだましといえるかもしれなかった。本人には悪いが、しかし、亜人との戦いに終わりなどない。そのうち出陣する機会もあるだろう、とノルベルトはさして気にもとめなかった。地獄の悪鬼ともさしで喧嘩ができそうなグナクトを心配する必要性を感じないのだ。とはいえ、厳しい北国でずっと暮らしていたグナクトが龍革甲冑に身を包まれて、砂漠の灼熱に難渋していたであろう様子を想像するだけでノルベルトは笑みがこぼれたのだが。
「そういわれますと、あのお方がリリクルさんたちのお父上とは、ちょっと信じられない思いですね………」
エリジュビアがリリクルとミミクルをみて、改めてグナクトをみる。
普通の女性として育っている二人と、身長三メートルを超える巨漢に、同一の血が流れているとはどうしても思えないのだ。
「わたしたちは、母の血を濃く受け継いでおるのです」
「まあ………。それは、何といいますか」
微笑んで口元に手を当てて、言葉を濁すエリジュビア。
素直に、よかったね。と言ってよいものかどうかさすがに逡巡したのである。女性なのだからさすがに三メートルの巨躯にならなかったことを素直に喜んでもよさそうではあるが。
「お気遣いは無用です。わたしたちも、あれにならなくて今さらながらほっとしておるところですので」
自分の父親をあれ呼ばわりするリリクルである。
「まあ………」
とはいえ、その非礼をたしなめる気にはならないエリジュビアである。逆の立場ならどう思う? と問われれば返答に窮しそうだからである。
しかも、女の子にとって父親は恐ろしい存在だ。
それが身長三メートルの巨漢の父親ともなればその恐ろしさは想像をはるかに超える。その父親の子として生きてきた二人がどんな思いを抱いてきたか、少し考えるだに言葉につまる。
「確かに、日に焼けて、不満はあるでしょうがそれでもプロンゾにとどまり続けたことを考えると、はるかにましでありましょう。あの親父は、わたしがいうのも何ですが元気だけが取り柄。あの程度では参りはしないでしょう」
口の端に笑みをこぼすリリクル。蟄居を命ぜられ、それを許されたとはいえグナクトの意気消沈ぶりはさすがに気の毒というか、見るに忍びないものがあった。それに比べれば天国のようなものではないか。老境に差し掛かったはずの身ではあるが、それでもエネルギーが有り余ってしょうがないような人間だ。どこかで戦でも始まれば喜んで飛び出してしまうだろう。
自分たち母娘の受けた仕打ちを考えると、いささか甘い対応な気はするがいつまでも恨んでいても仕方ない。どちらも、前を向いて進む。
それだけだ。
「あの親父ですら前を向いて歩き出した。わたしたちも負けておれんぞ。ミハエル」
「は、はい、そうですね」
とん、と隣に座るミハエルの腕にこぶしをぶつけるリリクル。
「わたしもプロンゾカエデの育成、頑張ります!」
「ああ。任せた」
微笑みあう姉妹。
何と素晴らしいことであろうか。
まっすぐにミハエルを見つめるリリクルの瞳の輝きは、エリジュビアにとって、もはや過去の思い出であり、同時に、もはや二度と取り戻してはいけない心情でもある。だからこそ、素直に、うらやましかった。
北方で稚拙な樹上生活を続ける野蛮人だとディルツ人たちはさげすんでいたが、リリクルはディルツの王侯貴族の女性と比べても何の遜色もない、いや、それどころか絶世の美女といっても決して過言ではなかった。血色もよく、健康そのもの。若さとエネルギーに満ち溢れたまさしく、すべてがこれからの人生だ。
自分が、みることができない世界を、ミハエルと供にこれからもずっとみることができる。
こんなにうらやましいことはない。
こんなに素晴らしいことはない。
だから、素直に応援できた。
これからの者たちを、素直に、喜ぼう。素直に、送り出そう。素直に、言祝ごう。
エリジュビアは、心から微笑むことができた。
「ミハエルがこんな素敵な女性を二人もそばにおいて、ずっと己を保っていられるか、見ものですね」
エリジュビアがいう。20歳とはいえ、すでに三人も子供を産んだエリジュビアだ。夫婦となることの大切さは誰よりもわかっている。人と人の縁が、どれほど尊いものであるのか、も。
そして、ミハエルが一度こうと決めたらてこでも動かない頑固な気質なのも知っている。
知っているからこそ、活発なリリクルに振り回されるであろうミハエルの慌てようが容易に想像できて、彼女にはそれがものすごく面白かった。
「義姉上、聞き捨てなりませんよ………」
渋面をつくるミハエルに、ますます微笑むエリジュビア。
「ふ。すべてにおいて、ミハエルのことはわたしに任せていただきたい」
まったく根拠のない自信ではちきれんばかりに胸を張って、リリクルが尊大に応えた。
「はっは! さすがリリクル嬢だ。よぅし、俺が過去経験したとっておきの悩殺方法を伝授してあげようじゃないか」
「ほほお! 耳寄りだな!」
「………ノルベルトも、とんでもないことを言い出さないでいただきたい」
「ふふっ。これはこれは、ミハエルに新たな試練の予感ですね」
ミハエルの苦悩を他人事として楽しむエリジュビア。
苦労が絶えない彼女の生涯において、いまこの時だけは、心から笑えていた。




