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天と地と人  作者: 豊臣 亨
序章  騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード
1/49

騎士 ミハエル・フォン・ヴァレンロード (一)

5/12 誤字やら訂正




疾駆する



 

 一人の女性が走っていた。まるで放たれた矢のような尋常ではない速さだった。


 手には蛮刀。


 様々な野獣の毛皮で全身を覆った女戦士は全速で駆けていた。


 場所は森林。


 うっそうとした重苦しい雰囲気が辺りを覆う、未開の蛮族の勢力圏だ。


「いたぞ! こっちだ」




ちっ




 待ち構えていたかのように全身を甲冑で武装した騎士達が立ちはだかる。手に槍をもつ屈強な兵士だ。しかし、その槍には穂先、刃物が存在しない。変わりに毛皮が幾重にも巻かれている。相手を殺傷するのではなく、捕縛することを主目的としているのだ。


 立ちはだかり油断なく女戦士の動向をうかがう騎士の後ろには数十人もの兵士がいる。跳躍したとて逃げられない。そう判断した女戦士は、ほぼ直角に折れ曲がると木々の間をすり抜けた。


 しかし。


 ザザッ


「こっちにきたぞ!」


 行く手を読んでいたのか、またもや数名の騎士が進路を妨害する間合いで視界に入った。女戦士は状況の不利をさとり、またもや身を翻そうとする、が。


「はぁはぁ、おとなしくしなって。な?」


 右、横手から現れた騎士が木剣を構える。しかし、先ほどから全力で駆けていたから息切れを起していた。騎士甲冑を装着してはいるものの、兜はかぶっておらず、その顔はまだまだ若い。


 騎士フランコ・ビニデン


 貧農の三男で食い扶持を減らすために修道会に入らされた男だ。しかし、剣の腕は確かで、数々の征討作戦でも古プロンゾ族相手でも引けはとらないほどの腕前をもつ。食い扶持を減らすため、もあるが剣の腕で生きてゆける、と本人が騎士修道会入りを望んだということもあった。18歳で精悍な顔つきだが、いまだ幼さはぬけきってはいない。多くの者が、騎士として騎馬に乗って活躍することを夢見るのに、彼はまだ馬術が不得手だった。馬すら買えないような貧しい暮らしであったため、どこか馬という生き物が怖かった。馬術訓練中に落馬して大怪我をおった同僚をみて、恐怖が余計に染み付いてしまったというのが大きな理由でもある。


 一人で二~三人の騎士や兵士を楽々相手どる、力に優れた古プロンゾ族。その、並みの古プロンゾ族なら力推しでいける彼ではあったが、目の前の女戦士は速度自慢であり、フランコはいつも翻弄されてはいた。そう。彼らはすでのこの女戦士と幾度も戦闘をまじえた経験があるのだ。


 その女戦士はフランコの疲労からくる隙を見逃さなかった。


 走る速度をあまり落とさず腰の後ろに収納していたナイフをフランコ目掛けて投げる。


「うおっ!」


 光がかげる森の中での一瞬の動きが読めなかったフランコ、慌ててナイフの対応に注意を反らされた次の瞬間、女戦士の膝蹴りが腹に突き刺さる。甲冑で威力は防げたものの衝撃が内蔵を揺さぶった。


「ぐはっ」


 筋肉で打撃は防げても、中に浸透してくる衝撃には内蔵は耐えられない。そうでなくても息があがっていたフランコは呼吸を阻害され仰け反って倒れこむ。


 活路を見出した女戦士は倒れるフランコにはもはや目もくれず一目散に深い森の中に駆け込もうとした。


 ディルツ騎士団によって侵略を受けてもはや30年近く。


 古プロンゾ族は森を住処に、自然信仰を営む素朴な、と同時に屈強な戦闘部族として存在を誇示してきた。


 ポンドランド国王シンラート一世が服従と自らの宗教であるクルダス教への改宗を命じて使者をよこしたときも、その後、一軍を率いてきたときも散々に蹴散らしてやった。しかし、シンラートに泣きつかれて援軍にやってきたディルツ騎士団は違った。まず純粋な戦闘力は国軍たるポンドランド軍のはるか上。しかも、降伏、改宗に応じない古プロンゾ族を容赦なく惨殺し、その奪った領地にディルツ民を移植。古木おいしげる聖地たる森々を切り開き、古プロンゾとディルツ民を強制的に婚姻、古プロンゾの風習、信仰、伝統、言語を消し去り、ディルツ民に強制的に同化、消滅させる方法をとっているのだ。


 この強引なやり方に、古プロンゾ人は当然反発し徹底抗戦を主張、各地で地の利を活かした戦闘をしてきたのだ。この女戦士も相当な数の一族を殺された。上の兄を二人も失ってしまった。怨み骨髄に徹するとはこのことだ。


 クルダス教がどんなものかは知らないし興味もない、が、素朴な自然宗教だというだけで虫を殺すかのように残酷な処刑を行うディルツ騎士団のありようは、皆殺しにしてやらなければ気がすまなかった。


 のだが、 


 しかし、ここ最近のディルツ騎士団は様子が違ってきた。


 それは二年前の大きな戦闘アルクスネ防衛戦において両者に多大の犠牲をだしてからだ。ディルツはかろうじてアルクスネを奪取したものの、そこから傷が癒えるのを待つかのように攻勢を控えていた。


 さらに、とある騎士が管区長に就任してからは、その管区長指揮下の作戦においては虐殺をぴたりとやめ、捕縛に主眼をおいた作戦を展開、人の意志を蹂躙するかのような改宗勧告をやめ、それでも応じない古プロンゾ人を釈放までするのだ。


 かくいうこの女戦士も、すでに二度も、その管区長の指揮によって捕縛されるも、解放されている。


 だからといって向こうが多少、やり方をかえてきたとていままでの恨みが消えてなくなったわけでない。古プロンゾ族はいまでも反逆の機会をうかがっているのだ。そして、今日、ディルツ騎士団の食料馬車の集団が森を横切るという情報を得て、一族の猛者を率いて略奪に出向いたのだが。


「罠だったということか……」


 悔しさ、ふがいなさに、身が震える思いだった。


 襲撃地点を正確に読んでいたのか、完璧な伏兵に仲間はまたもやほとんど捕縛されてしまった。


 この前の嵐で以前から使っていた橋が落ち、急遽、補給の馬車が森付近を通過するという情報を情報屋から手に入れたのだが、嵐すらも今回の作戦に利用したということか、それとも、橋が落ちた、という情報も嘘か。いままで様々な情報を売ってくれていた情報屋だったが、ついに敵に寝返ったということか、いや、こちらの情報を売った方が金になるという算段か。


 動揺から、女戦士の思考は沈む。




っ。




 猛速で駆けていた脚を止める。


 敵がいたからだ。


 馬上の騎士が二人。


 一人は木剣を握る騎士。名はバルマン・タイドゥア。


 没落貴族の出で、貴族を証明する フォン がない。三代前まではあったが、いまは屋敷や土地も没収されてしまった。三代前、祖父の放蕩が原因だ。どこぞの上級貴族の奥方に手を出して事が発覚、決闘を挑まれたすえに殺されてしまったのだという。屋敷も土地も没収されたいまの父親に、一家を切り盛りする才覚はなく、毎日酒びたりの日々だった。そして、祖父の血が色濃くでて容姿端麗なバルマンに、自分の父の面影がみえて面白くないのか、よく殴られていた。


 バルマンは父親から逃げるように、長男だったが家族を捨て、修道会に若くしてはいっていた。


 16歳で騎士修道会にはいり、以降四年間、様々な武術の鍛錬に励み征討作戦にでたおかげで、馬術と剣術に人並み以上の実力を誇っていた。


 そしてもう一人の馬上の騎士はガンタニ・ティーリウム。


 手には槍が握られていた。彼の父親は第五次十字軍遠征軍に多額の投資をした大商人だったが、第五次は当事者同士の指揮権の奪い合いなどの内紛が重なり大失敗の作戦で、多額の投資はいまだ返ってこず五男坊のガンタニは家計の窮状を見かねて修道会に入ったのだった。と、同時に子供の頃から騎士にあこがれていた彼にとっても、貴族でなくても騎士になれる騎士修道会は得がたい職業だった。


 彼にとって、騎士とは槍。本当なら騎兵槍を構えて騎兵隊による一点突破を好むのだが、うっそうとした森の中では無理な話だ。なのでとりまわしが簡単な短槍を持っていた。もちろん、穂先はない。


 バルマンより若い、15歳で入会した彼は現在21歳、六年もの間、作戦や鍛錬を行っていたおかげで、槍に関してならそこいらの騎士にも負けない腕前をもっていた。また、商人の生まれにしては武人向きな性格で顔つきもこわもてそのもの。日々の鍛錬を欠かすことがない、真面目なディルツ人の血筋と根性を誰よりも強くもっていた。


 つまり、先ほどの若騎士に比べて、この二名の騎士は並々ならぬ実力と余裕をそなえていたのだ。


 前回の作戦において、眼前の女戦士を捕縛したのもこの二人だった。


 彼らは年が近いということと、長く戦場を共にしたこともあり、戦友で親友で、ライバルでもある。戦場においては息を合わせた行動をとっていることが多い。また、だからか、その優れた容姿もあいまって静かなバルマンと、熱血ぎみなガンタニはうまがあった。


「逃げ場はありませんよ。我々の目の前にきたのが運のつきと思ってあきらめてください」


「そうさな。今度も痛くしないようにしてやっから」


 槍で肩を叩くしぐさをするガンタニ。余裕綽々の風だが、隙はなかった。


 さらに入れば安全な深い森が眼前にありながら、女戦士は次の行動に逡巡してしまった。森の中にはまだまだ古プロンゾ族戦士がいる。仲間に危難をつげればなんとかなるはず、と思っていたのだが、出会った相手が悪かった。彼らの連携は優れていて、どちらかが攻撃ならどちらかが牽制、お互いの間合いを読み会って常に死角から攻撃を繰り出してくる。


 古プロンゾ族の中でその俊敏な脚と格闘術で活躍してきた女戦士にとってももっとも出くわしたくない相手であった。


 だが。


 女戦士は真横に瞬時に駆け、腰のナイフを両名に向かって投げた。と同時に渾身の力で真上に跳躍した。


 その高さは四~五メートルにも及ぶ。並みの人間なら、その姿を見失うほどの素早い動き、のはずだった。


 馬上の二名の騎士は投げナイフもわかっていたふうで軽くはじき、槍を構えたガンタニは素早く馬首をめぐらし、女戦士の落下地点に向かった。そして、軽く槍を突き出す。


「くっ!」



 ガイン



 穂先がないとはいえ振るう槍に手加減はなかった。女戦士は蛮刀でその槍を叩いてそらす。ガンタニにしてみればこの程度でやられる相手ではあるまい、と相手の実力を読んでの行動だった。相手に十二分な脅威をあたえつつ、絶対に危害には及ばない、絶妙な力加減だった。


 叩いたせいで落下地点が変わり、槍騎士の目前に落ちる。落ちながら女戦士は蛮刀をふるってガンタニ目掛けて振り下ろした。



 ガツッ



 槍の石突の部分で防ぐ。


 次の攻撃が来る前にとっさに逃げ出す。女戦士はそのつもりだった。だが。


「そこまで」


 首すじをバルマンの木剣がなでる。


 そのつもりはない、にしても十分な殺気がこめられていた。木剣とはいえ、本気で振るえば人の骨をおることなどたやすい。ましてや、女戦士の首はか細い。


 下手に動けば向こうもさすがに攻撃してくるだろう、そう思わざるをえない状況だった。蛮刀を落とし、両手をあげた。


「よっこらせ、っと」


 馬から下りたガンタニ。


「修行がたりね~な。修行が!」


 わっはっは。と豪快に笑う。


「動きは悪くね~んだけど、こっちは経験が豊富だから、気にすんな」


 ガンタニは言う。その間、バルマンは蛮刀を拾い上げ、捕縛の縄を用意していた。


「……また、お前らかよ」


 二度目の会敵でここまで子ども扱いされるともはや泣き言しかでてこない女戦士である。


 そうこうしている間に他の騎士や兵士までやってきていた。


 そして。


「終わりましたか」


 朗らかな、そして、よく透き通る声が響く。


 誰にもわからない程度に女戦士の肩が跳ねた。


 回りを取り囲んでいた兵士たちがその者に道を開ける。


 一人の騎士が進み出てくる。


 まず目に入るのは、銀色に輝く甲冑。他の鉄製の鎧とは明らかに別格の特別製だった。


 それはミスリル銀を使った鎧。管区長就任の祝いに、北方ディルツ騎士団総長レオポルト・フォン・シュターディオンが授けた、聖騎士甲冑用の特別製だった。


 魔法術式に長けた甲冑工芸師が、一枚一枚のミスリル銀板に、軽量化や硬化の魔法を練りこみ、それを交互に何層にも何層にも重ねたものだ。


 本来なら非常にやわらかく、細工がしやすいことでも知られるミスリル銀なので鎧や武器には不向きだが、魔法との親和性がものすごく高い。なので硬化や軽量化の魔法術式が溶け込みやすく定着したら簡単には薄れない。その効果は至近距離から放たれた弩の強力な矢をも防ぐ。そして、鉄製の甲冑ではありえないほどの軽量化を実現する。騎士垂涎の鎧だが、当然ながらミスリル銀は希少で、この鎧一式で小規模な城が買える。


 胸元には十字軍を示す、十字の赤い紋章が塗ってあるが、その中央にはこれまた耐魔法の術式が練りこまれた大玉のルビーが飾られていた。主に、精神攻撃系の魔法防御に主眼がおかれた術式で、睡眠や魅了、幻惑などを防ぐ。


 そして、甲冑を着込み、ディルツ騎士団において20ある管区の中から弱冠20歳にして長を任された青年が、


 聖騎士、ミハエル・フォン・ヴァレンロード、その人だ。


 十字軍発祥から修道士という立場にはふさわしくないほどの蛮勇を誇っていたディルツ騎士団において、ありえないほどに殺生を忌避する男だった。


 入団した当初は当然誰も彼もが馬鹿にしたし、不可能だと決め付けた。


 かくいう、騎士団総長レオポルトも、最初は阿呆かと、思っていた。



                     ※



『死にたくないから、殺すんだ』




 人間はたやすく死ぬ。あっけないほどに。ましてや、あちこちで戦争が起こり、こうして異教弾圧の作戦を行う騎士団である。他民族相手に手加減をしていては自分が死んでしまう。


 何度も言ってやった。死にたくなければ殺せ。と。


 相手も生かす。自分も生きる。そんなことは不可能だ。十字軍遠征にも参加し、数々の負け戦も体験したレオポルトからすれば敵は殺すのが常識だった。それ以外の選択肢など考えられなかった。


 小癪な青二才がほざく程度なら、ぶん殴っていうことをきかせてやるつもりだった。


 だが、


 ミハエルは違った。


 笑っていうのだ。


「人が死ぬのっていやなんですよ。それが、敵でも」


 そういって、どんな困難な作戦でも、ほとんど殺したことがない。その剣で相手の戦闘力だけを奪って息の根は止めない。古プロンゾ族との戦いで味方が敵陣に取り残されたことがあり、誰もが見捨てようかとも思うような場面でも、ミハエルは率先して救援に向かった。そして、卓越した、いや、バケモノじみた剣技でレオポルトすら見捨てるような窮地を何度も脱してきた。


 膂力、速度、どれをとっても誰もみたことがないような惚れ惚れする戦士だった。


 神ってのはいるのかね。


 その、神が特別に天の才を与えた。


 少なくとも、ミハエルは、神に選ばれた存在だ。そう、信じるしかあるまい。英雄、といって何ら差し支えあるまい。天はやつを選んだのだ。


 だから、言ってやった。管区長就任式で。


「ヴァレンロード卿の理想があまねく天下に響かんことを。……理想で、死にやがれ」


 多少の殺気と怒気と嫉妬もこめてやったのに、笑っていうのだ。ミハエルは。


「自分も、誰も、死なせないことをこの場において宣誓いたします」


「けっ。聞き飽きたぜ。あー、これにてアルクスネ管区長就任式を終える! 皆の者、飲め! 騒げ!」


 その刹那、沸き起こった歓声は、いままでどの管区長就任でもなかったような激しさだったろう。


 アルクスネ。二年前の大きな戦闘によって古プロンゾから奪取した、当然、新規の管区。


 そして、アルクスネ管区にはミハエルのあまりの凡人離れした騎士っぷりに惚れてついてゆくもの、命を助けられ、恩義に感じてついてゆくもの、ミハエルの側なら危険は少ないだろう、と思うものなど様々なものが危険な最前線でありながら志願した。


 国境の重要拠点である新管区にミハエルが配置されたのは、もちろん、ディルツが負った痛手を回復するまでの間の時間稼ぎの意味が本来は強い。ダメでもともと。それなりの成果をあげたら横合いから功績をぶんどって旧来のやり方でいく。レオポルトも、首脳部もその腹だった。


 さらに言うのなら、もちろんそのずば抜けた戦闘力で楯となることを期待されてもいるが、殺生を好まない、という事実は実に都合が良かった。内外においてはディルツ騎士団の正当性を喧伝できるし、同化させた古プロンゾ族や敵対する古プロンゾ人に対する慰撫の効果もあった。確かにミハエルがディルツ騎士団でその理想で作戦指揮、つまり捕縛優先を行ってから、中には古プロンゾ人が改宗に応じることもあるのだ。


 だからといって、レオポルトにその真似をする気などさらさらない。


 英雄には英雄のやり方があるのかも知れんが、凡人には凡人のやり方がある。


 それに、30年に渡る軋轢がそうそう簡単に解きほぐれるとは思えなかった。ミハエルがその、くそ甘い理想を実現できるならそれも一興、できなければそれまでのやり方でいくまで。



『ま、あいつならやっちまうかもな』



 レオポルトは諦め半分、期待半分だった。こっちもいい年だ。少しは楽をさせてもらおう。


 ディルツ本国、ブデラングル城の静かな執務室から、外に視線を転じた。冬は終わったとはいえ、まだまだ空気は冷えていた。


「あの英雄、またくそ理想を語ってやがるのかね」




                      ※




「もう終わりにしません? リリクル・プロンゾさん」


 朗らかに笑いかけるミハエル。


 先ほど、古プロンゾ族の屈強な戦士を十名ほど相手にしてすべて気絶させてきたのだ。まったく疲れた様子もなかった。


「ふ、ふざけるな! いままでみたいに殺せばいいだろ!」


 女戦士、リリクル・プロンゾは声をあげる。


「やです。ましてや、そんな美しい女性に手をかけるなんて、できるはずもありません」


 確かに、リリクルは圧巻の美しさだった。


 極寒の北方ユーリッパのせいか、その肌は雪のように白い。完璧といってもよい比率で配置された顔立ち、目は大きく少しつりあがった目元は戦士らしい凛々しさを備えていた。すっと流れるような鼻に化粧っけがまったくない唇はぷっくりとしていて愛らしい。昂奮か、頬にはうっすらと朱がさしていた。


 髪は薄い金色。脚にまで届く長い髪は今は邪魔にならないように後ろに束ねられていた。


 男女とも筋肉質な古プロンゾ族にあってまったく硬そうな筋肉にみえず女性らしい柔らかさだ。といっても毛皮を巻いていて肌の露出はほぼないが。


 貴族の晩餐会などに出させられるミハエルにとっても、見たこともないような美しい女性だった。


 かくいうミハエルも顔立ちでいうならリリクルに引けはとっていない。女性と比べるのもなんだが。


 戦士にしてはあまり角ばっていない、丸めな輪郭、これまた神の手によるものか、というほど整った顔各部の配置、人柄がでまくった目は朗らかで、春の日差しのよう。鼻も大きくなく高め。口元は柔らかに微笑んでいる。


 髪は赤みが強く出た金色。短く切られ、清潔なよそおいだった。


 身長は190cmほどであろうか。聖騎士甲冑を着たその姿はまぶしいほどであるが、戦士として恐怖をふりまくような感じではなかった。いや、むしろ戦士としては威厳がなさすぎる、というべきか。人の良い目があまりに強くでていて、絶対嘘とかつけないんだろうなぁ、と思わせた。それもまたミハエルの人柄だが。


「いや~、貴方がクルダス教に改宗していただければものすごく助かるんです」


 至極、のんきにいう。


「前にもいったはずだ。我らのご先祖さまのいらっしゃらないところになどいくはずがない!」


 以前から問題とされたことだ。


 クルダス教においては、すべての人がウェウス神のもとに召されるという。


 古プロンゾ族は自然信仰で、古木に神々が宿っていて、ご先祖様もそういった神々の仲間入りをすると信じられている。一度、クルダスの神父がやってきて、プロンゾの神よりわが神が強いなら木を切り倒しても天罰はくだるまい、といって斧をもってきたときには八つ裂きにしたこともある。


 なにより問題なのが、いくらそのウェウス神とやらが素晴らしくとも、天国とやらが居心地よくとも、ご先祖様がおられない地にゆくわけにはいかない。それが全古プロンゾ族の基本的な考えだ。これが解決しない限りは軽々しく改宗には応じられない。


 すべての古プロンゾ族が日々、生きているうえでの倫理観念は、ご先祖様が常に見守ってくれている、という想いだ。


 自分の血族に連なる神々がそばでみているからこそ、日々を正しく生きられるし、戦に望んでいささかも臆病な振る舞いは許されない。自分も、やがて古プロンゾの神になるのだと思えばそれは当然の想いだった。


 ディルツ騎士団はこの問題にたいしていままで明確な回答を生み出せなかったのだが、ついに妙案が生み出された。


「あ~、それですね。いえ、わたしも勉強不足で、貴方方のご先祖様がどうなってるのか知らなかったので、えらい大司教様に教えていただきました。実はですね。貴方方のご先祖様は、煉獄、というところにおわします」


「煉獄………?」


「はい。天国ほど良くはないけど、地獄ほど悪くも無い。夢のような幻のような世界におわしまして、貴方方がクルダス教に入信していただいて、天国に行っていただきますと、ご先祖様方もお呼びできるのです。こっちはいいとこですよ~。はやく来ないとソンしますよ~。と。素敵でしょ?」


「………」


 正確を期していうのなら、妙案というか、まったくのでたらめもいいとこなのだが、ミハエルは思いっきり信じていた。煉獄など、そもそもクルダス教には存在しない概念だ。天国か、地獄しかない。それを後から口八丁でこしらえあげたに過ぎない。


 そして、何の疑いももっていないミハエルがそういうと、何故か説得力があった。


「そうか、ご先祖様は、いまそんなところにいらっしゃるのか………」


「はい!」


 満面の笑み。


 本人がまったく後ろ暗いところがないのでとろけるような笑みだった。


「な、なら、考えなくも無い………」


 リリクルの、固かったはずの決心はすでに揺らぎまくっていた。何より、自信満々でまぶしいほどの笑顔でそういわれると、何も疑えなかった。何より、リリクルにとってミハエルの笑顔が重要だった。


「それは素晴らしい! 高位の司教様にお願いして、盛大にクルダス教の入信式を行いましょう」


 高位の司教ともなれば実際に天使を召喚できる。


 まばゆいばかりの天使の降臨に、あまりの感激に泣き出す者も少なくない。


 ミハエルの場合、天使にすら微笑まれたのだが。


「だが、ひとつ条件がある」


「なんでしょう?」


 軽く首をかしげミハエル。そんな姿も様になっていた。


 びしっ とミハエルを指差して頬を紅潮させリリクル、一気に言う。


「一騎打ちで勝負をしろ! そちらが勝てば条件を呑む、だが、こちらが勝てば何でもいう事を聞いてもらうぞ!」


「いいですよ」


 あっけらかんという。


 絶対に負けない、という自信はこ揺るぎもしない様子だ。言ったほうが馬鹿みたいじゃないか、と内心リリクルはほぞを噛む思いだった。


「あ~、姫さん、まだミハエルと剣を合わせたことないんだっけ?」


「姫っていうな……」


 ガンタニが笑いながらいう。


「あれ、でもプロンゾ族長の娘さんだろ? だったら立場的には姫さんじゃん」


「そんなきらびやかなもんじゃない……。と、とにかく一騎打ちだ!」


 リリクルは古プロンゾを束ねるプロンゾの姓を受け継ぐ血統に当たる。とはいえ、族長からして蛮勇であり率先して狩りや戦におもむく。リリクルが想像する、城にこもって他に守られないと生きてゆけないか弱く華々しい姫、とは違うと思っている。


「どうぞ。お好きなように」


 蛮刀を拾い上げていたヘルマンがリリクルに差し出す。先ほどと同じく、朗らかなその表情は余裕たっぷりだ。


 刀を握り、リリクルはミハエルに向けて構える。これで三回目の邂逅となるリリクルとミハエルだったが、まだミハエルが戦っているのを実は見たことがなかった。先ほど仲間が捕縛されたときもリリクルは救援に一目散に駆け出していたのだ。本当は仲間と共に戦いたかったが、救援を呼ぶほうが大事、と仲間に諭されてしまったのだ。


 見た感じ、気迫も、まとわりつくような殺気もない。古プロンゾ族だっていっぱしの戦士ともなれば噴出すような殺気を感じるのに、眼前の騎士にはそれがまったくない。


「お、なんだ、おもしろいことになってんな」


「いまさら来たんですか? フランコ」


「うっせ! そこの女に腹しこたま蹴られてやっと回復したんだ!」


「未熟者」


「うっ…」


 先ほど、リリクルにやられたフランコ。他の兵士と共にやってきた。バルマンに冷たい視線を受けたじろいだ。言葉の通り、未熟なのだから二の句がつげない。


「一騎打ちに馬上では不公平ですね」


 そうつぶやくミハエル。ゆったりと馬から降りると、静かに腰に佩いていた剣を抜く。


 聖騎士甲冑と同じく、ミスリル銀を加工したものだ。


 管区長就任時に特別にあつらえたものだが、ミハエルは刀鍛冶にひとつの注文をつけていた。


 刃はいれるな、と。


 自分の剣は仲間を護るためのもので、殺すためではない。だから刃はいらない。


 完全ななまくらだが、ミハエルの腕をもってすればそれで十分だった。


 甲冑と同じように、硬化と軽量化の術式が練りこまれた板を何層にも重ねてそれを鍛錬してある。本来ならば板金のような剣に耐久など期待はできない。しかし、何層にも重なった魔法術式が溶け合い、堅固な剣として完成している。振るうと、まるで木剣を振り回しているかのように軽いが、下手なこん棒よりはるかに堅固な剣だ。本気で振れば人一人吹き飛ばすことができる。


 ふう、と軽く息を吐いたミハエル。剣を両手で構えてすっと立つ。




っ。




 このままたいした気迫もなかったら瞬発力を発揮して飛び掛ろうとしたリリクルだが、一瞬で気配が変わったのがわかった。


 まったく隙がない。


 静かに剣を構えてたたずむミハエルが、ものすごく大きく見えた。


 飲まれてまったく動けない。


 恐怖か何かで縛られたかのようだ。まだ肌寒いはずなのに、汗が噴出してきた。いままでたくさんの戦士をみてきたし、ディルツ騎士とも相対してきたリリクルだったが、いままでとは桁で違うことが文字通り、肌で分かった。ヘルマンやガンタニですら、この者に比べればまだ人の子だ。この者は人を凌駕している。


 内心、とっとと負けを認めようと思った、が、戦士としての誇りが、ご先祖に見られているという矜持が、リリクルを支えた。



 ザッ



 駆ける。


 ミハエルの周囲を高速で回転し、いつでも攻撃できる、というけん制を行う。もっともこんなことではひるまないであろうこともわかってはいた。


 まったく動かないミハエルに、試しに背後から斬りかかる。


 すっと、ミハエルはこともなげによける。


 遊ばれてもいないじゃないか。


 戦士として立派な戦力としてこれまで生きてきたリリクルである、屈辱を感じる、しかし、それ以上の力量差に言いようのない虚脱感、無力感を抱く。しかし、ここまできてやめるわけにもいかない。


 前方に着地すると同時に、全霊をふりしぼって蛮刀を投げつけた。


 同時に、跳躍する。


 全身全霊をふりしぼったかかと落としだ。並みの戦士ならば頭に叩き落せば良くて昏倒、悪ければ果物のごとく頭が破裂する。いまミハエルは兜すら被っていない。もしかしたら、という一縷の希望にかける。


 その時ミハエルは、剣をもつ手で飛来する蛮刀をはじき落とした。


 そして、







 実に軽い音をさせて、リリクルのかかと落としをいともあっさりとつかんだのだった。渾身の力をこめた技である。その威力を、なかったのごとく受け止めたのである。


「なっ」


 防ぐだけならまだしも、その速度、重みを完全に消し去ってしまうなどさすがにリリクルの予想の範疇の外だ。あっけにとられ、自由落下する。そして、無様にしりもちをついてしまうかと思われた、


 その刹那。


 ミハエルが、リリクルを抱え上げたのだ。しかも、その抱え方は、俗にいう、


 お姫様抱っこ、である。

 

「な、はっ!」


 放せ! と、動転したリリクルの右腕が自動的にストレートを放とうとする。しかし、リリクルは見てしまった。


 至近距離で、ミハエルを。


 美しい。


 知ってはいた。


 夢にも見た。その美しさを。


 しかし、この間近でみるミハエルの美しさはどうだ。神の造詣そのものではないか。天才彫刻家といえど、これほど精緻な造詣をなすことなど絶対に不可能だろう。

 

 そんな、神域に至った顔を殴れるわけがない。


 固く握り締められたはずのリリクルの右手はゆるゆるとほどかれ、そのままミハエルの首根っこに回されていた。左手も同様に。




「……結婚してくれ」




 ミハエルの胸元に顔をうずめたリリクルは、しかしはっきりとそう言っていたのであった。そう、リリクルは始めたあったときから、ミハエルに一目ぼれしていたのだ。


 次の瞬間、


 屈強、豪壮、蛮勇をもって音に聞こえた、近隣を震え上がらせたディルツ騎士が、兵士が、


「えええーーーーーーーっ!!!」


 素っ頓狂な声をあげたのだった。


「結婚……ですか?」


 ミハエルがさすがに困った顔をする。


「いや、だってそうだろ!? お前達はプロンゾの娘とディルツ人と結婚させているじゃないか! ならば、わたしとお前が結ばれたって何も問題はあるまい!? 美しいしな! それにだ、若くして管区長に選ばれるほどに優秀なお前なら、今後とも美味しい目にあえそうだしな。美しいしな! 相手にとって不足なしだ! もっというぞ! 管区長ほどのものと、族長の娘が結婚すれば、お前たちが進めるプロンゾとの宥和政策も、これ以上にないほどに進展するだろうが!!」


 さっきまで殺し合いをしていた相手に求婚をし、照れ隠しやらなんやらで完全に我を忘れたリリクル。ところどころに本音が丸出しになってはいるが、勢い余って饒舌になる。


 しかし、その言葉には、ミハエルの進める理想に合致するものがあった。


「確かに、おっしゃる通りであります」


 いつまでも抱えたままというわけにもいかず、リリクルをおろす。しかし、勢い余ったリリクルはしがみついて離れない。


「な!? ならば問題はあるまい。ん~~~~」


 唇を寄せるリリクル。それを押し留めるミハエル。


「ひとつ、どうしてもできないことがあるのです」


「な、なんだ、すでに妻がいるのか? まあ、女の一人や二人や三人は男の甲斐性というものだ。わたしは気にしないぞ! で、わたしは何番目だ!?」


 すでに結婚したつもりである。


「……いえ、騎士、修道士、ってご存知ですよね?」


「さあ?? ただの戦士じゃないのか?」


 クルダス教のことを何もしらないリリクルである。


 当然、厳しい戒律に従って生きる修道士、など知るはずもない。


「ああ、そこからでしたね。修道士として生きる者には厳しい戒律がかせられるのです」


「大変なのだな」


 完全に他人事(ひとごと)である。


「その修道士の戒律のひとつに、妻帯してはいけない。というものがあるのです」


「………は?」


 困ったように微笑むそんなミハエルの表情も味わいがあっていいなぁ、と脳裏でつぶやくリリクルであった。


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