その3/48 『少女』
その名を聞いたあまりの衝撃に、空也は心臓が止まるかと思った。どうしてこんなことに気づかなかったのだろう。いくらさっきまで走りっぱなしで他の事を考える余裕もなかったからといって、自分の理想の少女が目の前にいたというのに。
もう一度少女を見やる。目鼻立ちが整った美しい顔立ちには少女らしいあどけなさが残っている。さらさらでふわふわの髪には滑らかな艶が輝く。幼い印象とは裏腹に意外なほど背が高く、空也よりもわずかに大きい。細身の胴体からすらっと伸びた脚は色白で、シルクのようなきめ細やかな肌が眩しい。彼女はどこから見ても、まさに美少女と形容するにふさわしいと言える。マリィをじっと見つめていた空也の鼓動が高鳴る。顔が紅潮する。直視することができずに目を背ける。
「あ、あの…き、きっ」
緊張して上手く言葉を発することができない。もはや彼の顔は熟れたトマトのようだ。
「なあに?」
「君は本当に…僕の『マリィ』、なの?」
「まあ。あなたのものになった覚えなんてないわ」
「あっ、そ、そういう意味じゃないんだ」
「じゃあどういう意味なのお?」
「ぼ、僕の知ってる『マリィ』なのか、って意味だよ!」
「なーんだ、そういうことだったのね。でもわたしはあなたに会ったおぼえはないからちがうと思うわよお」
「そ、そっか。そうだよね、ごめん」
空也は後ろを向くと深く息を吸い込み、大きく吐き出した。だめだ。頭が混乱しすぎている。少し落ち着こう。
「…ところでこの街はなんていう名前なんだい?」
「ふえ? 知らないのお?? 『ミニアチュール』でしょお?」
やっぱりそうか。空也は自身が作り上げた模型の街に迷い込んでしまったことをようやく理解した。
なぜ自分が作っていないはずの建物や人々が存在するのか。なぜこんなにも「大きい」のか。そして何より、なぜ自分がこの街にいるのか。
分からないことだらけで頭が爆発しそうだが、一つだけ心の支えになるとしたらそれは間違いなく目の前にいる少女――『マリィ』の存在だろう。
そのとき、年寄り猫のうなり声のような気の抜けた音が路地裏に響いた。直後、少女は顔を赤らめた。
「…今の聞こえた?」
「変な音だったね。猫でもいるのかなあ?」
「ばかあ! マリィのおなかの妖精さんがあくびした音よお!!」
「え? …ああ、お腹が空いたんだね。そういえば一安心したせいか、僕もお腹が空いてきたよ」
「『野うさぎのたそがれ亭』に行きましょうよ。あそこのうさぎシチュー、おいしいのよお」
「それは僕も食べてみたいけど、あのお店は大通りにあるからさすがにまだ危ないんじゃないかな」
「え~。じゃあどうするのよお」
「そうだな…そうだ、あそこに行こう」
そういって空也が案内したのは裏路地にある一軒の古びた食事処だった。
軒先に掲げられた看板には、『開かずの厨』という文字が躍っていた。
~その4/48に続く~