その1/48 『目覚め』
初めまして、U3と申します。
長編小説を書くのは初めてですが、楽しんでいただければ幸いです。
「ここは……」
目を覚ました空也が見たのは、見覚えのない世界だった。中世ヨーロッパを彷彿とさせる街の風景。見知らぬ人々。彼らのまとう服装もまた、まるでファンタジー世界からそのまま飛び出してきたかのように見える。どうやらここが、彼の住む埼玉県でないことは間違いなさそうだった。
「……あれ?」
空也は奇妙な感覚に囚われた。一見すると完全に見覚えのない世界だと感じられたそれが、不思議なほど懐かしく感じられる。こんなところ一度も来たことがないはずなのに。これがいわゆるデジャ・ビュというやつなのだろうか。
……いやちょっと待て、懐かしいどころじゃない。目を凝らしてよく見れば、どの建物も自分が作ったものにそっくりじゃないか。周りの人々の服装だって、自分がデザインしたものにとてもよく似ている。
ただ一つ、人々も建物も大きすぎる、という点を除いては。
48分の1の魔術師
その1/48 『目覚め』
陸海空也は、県立高校に通う高校2年生。どこにでもいる平凡な16歳男子である。学校の成績もそこそこなら、運動神経もそれなりで、友人だってちゃんといる。あこがれの高校生活が期待していたほどエキサイティングではなかったことをやや残念に思いながらも、こうして平和な日常を過ごすことができることに感謝しつつ、この春2年生に進級した。
「おっす、クーヤ。聞いたか、ついにアレが出るってよ」
授業を終えた空也が模型部の部室に入るなり、同級生のシューヘイが声をかけてきた。
「アレって…ひょっとしてサンニイのギガントのことかい? 最近は本当に何でも出るね」
「さっすが、耳が早いな。何せとてつもない大物だから俺の部屋に収まるか不安だ」
「はは、買うことは確定なんだね」
「あたぼうよ! 聞いた瞬間、俺の小遣い倹約生活がテイクオフしたっつーの」
いつものように模型談義に花を咲かせながら、空也は部室の椅子に腰を落ち着ける。部室にはまだシューヘイしか来ていないようだった。
生まれてまもなくハサミをにぎって紙工作を始め、物心ついたときからプラモデルを作り続けてきた彼が模型部に入ったのはごく自然な選択であった。彼は入部以来精力的な活動を続けており、これまで多くの作品を発表してきた。そしてそれらはすべて1/48スケールで統一されているのだった。
模型、特にプラモデルには「スケール」と呼ばれる縮尺があり、実物の何分の一の大きさで作られているのかを表す指標となっている。たとえば飛行機模型であれば1/72や1/48などのスケールが主流である。プラモデルは元々英国発祥であるので、ヤードポンド法にとって縮尺しやすい数字が選ばれているのだ。1/72であれば1ヤードは1/2インチになるし、1/48の場合1フィートが1/4インチになる、といった具合だ。これは英国や米国だけでなくメートル法を採用する国々においても同様であり、国際スケールとして認知されている。世界中のほとんどのプラモデルメーカーがそれらのスケールに準拠した模型を開発している。同じ縮尺で様々な模型を並べて飾りたい、と望むユーザーがそれだけ多いということなのだ。
そして空也は、1/48スケールの模型に傾倒しているのだった。飛行機、戦車、艦艇、SF、ジオラマなど、とにかく1/48スケールであればジャンルを問わず作っているのだ。彼はプラモデルだけでなく自作フィギュアも手がけているが、そのスケールはやはり1/48である。彼はあらゆるものを統一スケールで再現することによって、一つのミニチュアワールドを生み出しているのだった。
「おっ、また作ってるのか、そのフィギュア」
「うん。今回は結構上手く出来てきたんだ」
「しっかしもったいないよなー、せっかくかわいく出来てたのにほったらかしにしちまうんだもん」
「僕もできれば完成させてあげたいんだけど…イメージと違うな、って思ったら手が止まっちゃって」
「その、なんだ…そこに転がってるマリィの残骸、あまりにもむごい光景だから何とか供養してやってくれ」
シューヘイが指差す先にあるのは、おびただしい数のフィギュアの部品だった。頭部、頭髪、腕部、脚部…いずれも別々に作られたフィギュアの一部だった。そしてそれらはすべて、多少の表現の違いこそあれ同一の人物像の一部を立体化しているように見えた。
「今回は顔の輪郭がすごくいい感じに削り出せたんだ。前作はそこが不満でやめちゃったけど」
「顔以外はよくできてたんだからそこだけ作り直せばいいのに、なんだってまた一から作り直すんだよ」
「僕だってそう思う。でもこれは気持ちの問題なんだ」
「そりゃ難儀なこった。そういえば今月の展示会に何出すか、もう決めたか?」
「あっ、忘れてた。今月は米海軍がテーマだったね」
「ほれ見たことか。マリィちゃんもいいけどこっちも頼むぜ」
「ごめんごめん。でも最近いいキットを手に入れて、ちょうど米海軍機だからそれにするよ」
「っていうと、この間買ってたTBDか?」
「うん。あれは名作だよね」
「ああ、モノのキットは傑作ぞろいだぜ。だったら俺もモノのOS2Uにすっかなー」
空也はマリィの削り出しの手を止めて、そばにあったプラモデルの箱を手に取った。アメリカはM社の1/48スケール、TBDデヴァステイター。これは初出が1974年という大ベテランキットだ。他のほとんどの製品と同様プラモデルもまた、新しい製品ほど出来がいい傾向にある。このTBDも最新キットと比較した場合、部品の精度はお世辞にも高いとはいえない。しかし空也はこのキットの持つ不思議な魅力に強く惹かれ、思わず購入したのだった。
パーツをランナーから切り離したり、仮組みしたり、やすりがけしたり…黙々と作業している間は空也もシューヘイも互いにあまり話をしない。時々は勉強の話、最近はまっているアニメの話など歳相応の話題に興じることもあるが、基本的には模型との対話に集中しているのだった。
すっかり日も暮れた頃、お互いきりのいいところまで作業が進んだ空也とシューヘイは部室を後にした。空也は電車、シューヘイは自転車通学である。
「また明日な」
「うん、また明日」
「……ごちそうさま」
「あら、もういいの? 冷蔵庫にケーキが入ってるわよ」
「今日はもうおなかいっぱいだから、明日食べるよ」
「お兄ちゃんがケーキ食べないなんてめずらしーわね。いつもは別腹だって言ってるくせに」
「あはは。僕の分まで食べないでくれよ、陸海」
帰宅するや早々と夕食を済ませた空也は、好物のケーキに目もくれずに自室にてフィギュア製作を再開した。普段は部室で作っているのだが、一日でも早く完成させるべく持ち帰って作業することにしたのだった。
少しずつ慎重にデザインナイフを動かし、削っては全体のラインを確認する。1/48というスケールは、フィギュアとしてはとても小さなスケールである。仮に身長156cmである空也を1/48にしたら、その高さはわずか3.25cmである。リアリティのある人の顔立ちや表情を彫刻できるサイズとしては、ぎりぎりのスケールと言える。このことは、彼が1/48というスケールにこだわる理由に対して非常に大きな意味合いを持っているのだった。
プラモデルに興味を持ち始めた頃の彼は、スケールを統一することにこだわりを持っていなかった。作りたいと思うものを作っていたのだった。しかし次第に彼は、1/32スケールの飛行機模型が気に入りだした。このスケールは飛行機としてはかなり大きいので実物の持つディテールを存分に再現できるし、何より迫力満点だった。しかし1/32スケールはいかんせん大きすぎてスペースを圧迫することと、飛行機以外にはほとんどアイテムが存在しないことが不満だった。
続いて彼は1/72スケールにはまり出した。このスケールには飛行機だけでなくAFVも豊富なラインナップがあり、コレクションがにぎやかになった。小スケールなので再現性はそれほどでもないがその分作りやすく、瞬く間に彼はコレクション棚に1/72の世界を築き上げた。彼は本当にこのスケールが好きだったが、唯一の不満はフィギュアが小さすぎて表情がほとんど分からないことだった。彼は模型のスケールを統一することで、机上に彼の世界を作り上げたかったのだ。それに欠かせない登場人物たちが、小さすぎるがゆえに没個性になってしまうところにもどかしさを覚えていた。
そうして彼がたどり着いたのが1/48なのだった。ヨンパチといえば飛行機が主であるが、近年になってAFVも各社ラインナップを広げている。もちろんそれに付随してフィギュアも拡充してきている。1/48は再現度と作りやすさのバランスがとてもよい。また飛行機・AFVにとどまらず、潜水艦やお台場に建造されたSFアニメの主役ロボットの大型プラモデルなど、様々なジャンルが存在する点も空也にとっては魅力的だった。一つのジャンルに限定せずバラエティ豊かなモチーフを統一スケールで立体化することは、世界を創造する上で重要な意味を持つ。飛行機や戦車ばかりの世界などありはしないのだから。
そのため彼が1/48スケールでフィギュアの自作を手がけるようになったのも、ごく自然の成り行きと言えた。当初は現代や20世紀などの、現実的な服装をした普通の人々を作っていた。それが次第に騎士や王族、商人や魔法使い、果てはエルフやドラゴンといった空想の種族に至るまで、まるでファンタジー小説の登場人物のようないでたちのフィギュアを次々に造形していくようになった。フィギュアのみならず、城や民家、洞窟や森林などのロケーションも多数製作してきた。
思春期の少年少女にとって小説やアニメ、ゲームに影響を受けてこのような独自のファンタジー世界を創造することはそれほど珍しいことではない。その表現媒体はたいていの場合小説や漫画が多いと言えるが、彼の場合それがまさしく模型だったのであった。
空也は模型製作によって、自分だけの世界を築き上げた。この世界にとって、彼は紛れもなく神だった。
そして彼がいま魂を込めて造形しているのは、これまでの作品の集大成とも言うべきキャラクターなのだった。彼が『マリィ』と名付けたそのフィギュアこそは、彼の理想を体現した究極の少女なのだ。これまで何度も彼女を作り上げようとしてきたが、一度たりとも思い描いた姿をそのまま彫像することはできなかった。だが今度こそ、彼女は机上へと顕現しようとしているのだ。
「……出来た」
納得いくまで全体の彫刻が済んだところで、あらゆる角度からじっくりと観察する。プロポーションは崩れていないか。ディテールが甘いところはないか。シンメトリーは出ているか。そして何よりも、可愛く出来ているか。入念にチェックする。
「……また、だめだ」
出来た直後は、今回こそは上手くいったと思えた。しかし何かが足りないのだ。髪型も服も表情も、すべて思い描いたとおりに造形できたはずなのに。一体何が足りないのだろうか。
気づけば夜も0時を回っていた。さすがに今日はもう眠い。続きは明日にすることにして、空也は床に就こうとした。
その前に、マリィを1/48ワールドに配置してみる。スケールはばっちりで、姿も周囲と調和しており違和感ない。
塗装すればきっと印象も変わるさ、と気を持ち直した空也がまさにベッドに向かおうと踵を返したそのとき、突然背後から激しい光が輝きだした。驚いて振り返った空也の両眼におびただしい光の奔流が流れ込んでくる。あまりの眩しさに空也は目がくらみ、気が遠くなっていくのを感じた。
薄れゆく意識の中で、フィギュアのマリィが微笑んだような気がした。
「……あの建物は『野うさぎのたそがれ亭』にそっくりじゃないか。それにあっちは『武器屋マイティアームズ』だ。僕は夢でも見ているのか……?」
空也はほっぺをつねってみた。痛い。それに夢にしては意識がはっきりしすぎているような気もする。
「……とにかく、もっとよく見てみよう」
空也はあてもなく歩き始めた。周囲を見渡してみると、やはりどの建物も自らの造形作品にそっくりなのだった。しかし中にはまったく見覚えのない建物も点在しており、それが一層の混乱を呼ぶのだった。
人々にしてもそうだ。エルヴィン、ヘレン、ロメオ、シルヴィア。みな彼が造形したフィギュアたちと瓜二つだ。だが中には見覚えのない顔もいるのだった。
……おかしい。一体何が起きているのだろうか。これが現実にせよ夢にせよ、仮にこれが彼の思っている世界だとしたら説明がつかないではないか。
彼はひょっとしたら自分が、自らが作り上げたミニチュアワールドに迷い込んでしまったのではないかと思い始めていた。しかしそれならばなぜ、自分が作っていないはずの建物や人々まで存在しているのだろうか。そもそもなぜ自分は、このような世界にいるのだろうか。あまりの不可解さに、彼の思考は混迷を極めたのだった。
空也は状況を飲み込むことができずその場に立ち尽くしていた。そんな彼が体勢を崩して倒れかけたのは、背中に強い衝撃を受けたからだった。
「わわっ、あぶな~い!」
そう言ってぶつかりながら彼の横を駆け抜けていったのは、一人の少女だった。
「ごめんなさい、でもいそいでるの!」
「待ちやがれ、小娘!」
そう叫びながら品の悪そうな男達が数人、彼女を追いかけてこちらに迫ってくる。男達は手に短剣や手斧を持って武装していた。これが平穏ならざる状況であることは間違いなさそうだった。
ただでさえ混乱していた空也は突然の出来事に、もはや何がなんだか分からなくなってしまった。それまでああでもないこうでもない、と巡らせていた思考がぴたりとやんだ。普段の彼なら決してしないであろう行動を自然と取ってしまったのは、きっとそのためだったのだろう。考えるよりも先に体が動いてしまったためなのだ。
彼の右側を走り抜けようとする男達の足元に、自らの右足を突き出して転ばせるなどという大胆な行動を取ってしまったのは。
~その2/48に続く~