三十一文字に残した後悔
もう夏ですね。日差しも暑くなって、私の家の近所では蝉が鳴きだしました。大学ももう全館冷房導入です。
夏。夏です。
漢字で書くと10文字。ひらがなでは5文字。カタカナだと5文字です。お、ひらがなとカタカナで同じ画数なんですね。初発見です。
夏といえば、私には毎年思い出すことがあります。それは、本に貼った付箋のように、心の中のアルバムを見返す度、必ずそこでページが止まってしまう。そんな記憶です。
話は少し遡ります。そうですね、ざっと5年前ぐらいに。
季節は春。高校一年生だった私は、ある部活に入部届を出しました。
その部活は、和室で活動します。でも、茶道部じゃありません。華道部でもありませんよ?
私が入ったのは、百人一首部でした。
百人一首。といっても、お正月にみんなでやるような和気あいあいとしたものじゃありません。競技かるた、と呼ばれるもので、別名畳の上の格闘技とも呼ばれているガチンコのやつです。
映画化もされた「ちはやふる」のやつだといえばイメージしやすいですかね?何を隠そう私、その「ちはやふる」を読んで入ったミーハーなのです。
百人一首部。
そう聞いて馴染みのある方って、どのくらいいらっしゃるものなのでしょうか?わかりませんが、少なくとも私の県ではあまりメジャーな部活ではありませんでした。県内で部があるのは、わずか7校。その少なさですが、いくら少なくても他校というものがある以上、学校間で順位がつきます。私の母校は、県内で1、2位を争っていました。
そんな部でしたが、入部してくるのは百人一首経験のない人ばかり。私と時を同じくして入った子も、みんな百人一首を全部覚えていない子ばかりでした。
入部してはじめは、札を覚えるところから始めます。といっても、百首全部を覚えないといけないわけではありません。「決まり字」というのがあって、最初の何文字かを聞くだけで、すぐにその札だと判断できるのです。たとえば、「つ」からはじまる札なら、「つきみれば」と「つくばねの」があります。でも、全部聞かなくても2文字目まで聞いてしまえば、もうどちらの札が読まれたのかわかりますよね?なので、最初の2文字を覚えて、あとはどれが取り札(取り札には下の句が書かれています)かというのを覚えておけば大丈夫なんです。
そうやって、百首の決まり字と取り札が一致するようになれば、こっちのもの。試合に参加できます。
実を言うと私は、同期の中で覚えるのが2番目に早かったです。なので、入部して1週間後には試合に参加させてもらっていました。
先輩に教えてもらいながらやる試合。最初は全然取れませんでした。先輩、ものすごく速いんですもん。あ、あった!と思った時にはもうないんですもん。
それでも、試合をしている!そのことだけで嬉しかったのを、楽しかったのを覚えています。
入部して一ヶ月が経った5月には、初心者大会が開かれました。
札を覚えるのが早く、試合もほかの子より多く経験していた私は、そこで2位になりました。
嬉しかったです。とても、ものすごく。
運動音痴でのろまな私は、誰かに試合で勝ったことなんてありませんでしたから。周りの子もとても喜んでくれて、「すごいね!」「強いね!」と言ってくれて、鼻が高かったです。
あれ、私って強いんじゃない?もしかして向いてるんじゃない?調子に乗りやすく、うぬぼれやすい私がそう思い出すのに時間はかかりませんでした。
けれど、入部して半年が経ち、1年が経ってくると、最初に開いていた差なんて縮まってきます。だって、その差はどれだけ試合に慣れているかでできていた差ですから。当然、みんなが試合をするようになればなくなります。
そうして見えてくるのは、地力の差。耳の良さや反射神経の良さ、記憶力の良さ、あとは試合にどれだけ真剣か。
あっという間に私は、ほかの子に追いつかれてしまいました。
焦りました。私=強い、というイメージが崩れてしまうと。
自尊心だけ一人前な私は、「あ、意外と大したことないんだ」と思われるのが何より嫌で怖かったのです。
私は、頑張って練習しました。家に札を持ち帰って、一人で試合を想定して練習してみたりもしました。けれど、どう頑張っても、先輩にはもちろん負けるし、同期にも負けるし、強くはなりませんでした。
あ、もうこれは無理なんだ。そう思いました。そのうち私は、同期に負けても何も思わなくなりました。家でやっていた練習も止めてしまいました。
こんな私ですが、同期に負けるのならまだよかったのです。本当に怖かったのは、後輩に負けること。後から入って来てはじめた人に負けること。
もちろんわかってはいます。先輩だろうが後輩だろうが、負ける時は負ける。それは能力の差だとかで仕方のないことだと。でも、それでも私は、それが受け入れられませんでした。弱いこと、それだけで後輩から見下されてしまうんじゃないか。そんな風に思っていたのです。
いえ、それも違うかもしれません。ただただ、自尊心を守りたかったのです。
後輩が入って来てすぐは、私自身がやったように百首を覚えることからはじまりました。後輩に札の覚えやすい覚え方を教えていく。それは勝ち負けなんて少しも関係なくて、とても楽でした。ずっとこの時間が続けばいいのに。そう思ってしまうぐらいには。
1ヶ月も経てば、後輩たちはみんな試合に参加してくるようになりました。それでもまだ初心者。1年間やっていた自分と後輩とではやっぱり差があります。まだ安心できます。
本当に怖いのは、2ヶ月、3ヶ月と時間が経って後輩が力をつけてくることでした。おかしいですよね?本当なら喜ばないといけないことなのに。どこまでも自己中な私です。
最初に後輩に負けたのは、7月頃だったと思います。そのときは、悔しくて悲しくて、どうしようもない気持ちになったのを覚えています。
先輩なのに。私の方が1年も長くやってるのに。それなのに負けるなんて。
先輩を語る資格ないんじゃない?百人一首なんて向いてないんじゃない?
どす黒い、醜い、どうしようもない気持ちでいっぱいになりました。
それから夏休みがあって9月になって、私は勝つことよりも負けることの方が多くなりました。先輩でも同期でもなく、後輩にです。
そのうち私は、試合をすることすら嫌になりました。だって負けることがわかってるんですもん。やっても仕方がないでしょ?だけど、部活に行かないわけにはいきません。同じクラスには同じ百人一首部の友達がいて、一緒に部活に行くことになっていましたから。
だから私は考えました。負けずに済む方法を。そうして思いついたのです。試合の決着がつく前にいなくなればいいのだと。
私が通う高校は進学校だったので、塾に通っている子がほとんどでした。もちろん、百人一首部の部員もそうです。なので、塾や用事がある人は、試合を途中で切り上げて帰ることができていました。それを利用しようと考えたのです。
それから私は、「塾があるから」と言って、いつも途中で帰るようになりました。最後までやりさえすれば試合に勝つこともありませんが、負けることもありませんから。
ほかの部員は何も言いませんでした。いえ、本当は私がいないところで何か言っていたのかもしれません。でも、そんなこと当時の私には関係ありませんでした。負けずに済むこと。それが第一だったのです。
そうしているうちに、夏、3年生の引退の時期になりました。
最後の日、みんなはとても寂しそうでした。とても名残惜しそうでした。3年間の頑張りがつまった和室をいつまでも見つめていました。
けれど、私は何も思えませんでした。悲しいとも寂しいとも。それはそうですよね。だって私は、ただ逃げていただけ。試合から逃げ、練習もまともにせず、ただただ楽な方へと行っていただけなのですから。たくさんの時間を試合し、こつこつ練習を積み上げてきたみんなと比べるのがおかしいというものです。
楽しそうに思い出を語り合う同期たち。その姿を見ながら私は、とても後悔しました。どうして私は、もっと頑張らなかったのだろう。どうして、もっと真面目にしなかったのだろう。どうして、逃げてしまったのだろうと。
でも、そんなこと思ってももう遅いのです。過ぎた時間は取り戻せません。
私の目の前には、ただただ自分が逃げて過ごしてきた時間が横たわっているだけでした。
負けず嫌い。そんな言葉がありますよね。ご存知のとおり、負けるのが嫌いな人のことです。
私は、とても負けず嫌いでした。何よりも誰よりも負けるのが嫌でした。
なので私は、勝負をすること、それ自体から逃げました。勝負さえしなければ負けようがありませんから。
でも、どうしてそんなに負けるのが嫌だったのでしょうか?
自尊心を傷つけられるから?自信がなくなるから?格好悪いから?
それって、本当に何よりも大事なことなのでしょうか。勝ち負けより大事なことって、本当になかったのでしょうか。
入部したばかりの時、試合をするだけで楽しかった。負けても、次頑張ろうと思えた。もっと強くなろうと思えた。
そうです。大事なことって、そんな簡単なことだったんじゃないでしょうか。
なのに私は、結果にばかりこだわって、しかもこだわるだけならまだしもそこで逃げることを選んだ。
頑張ればよかったのです。同期に負けようが後輩に負けようが。それが私の実力なのですから。
その上で頑張ればよかったのです。負けたくないのなら。なのに私は、一番楽な道を選んだ。
もし戻れるなら、あの時の私にビンタして言ってやりたいです。
「あんた!こんなことしてると後悔するよ!その根性叩き直しちゃる!」
でも、時間は戻りません。当たり前です。
悔いを残したまま、抱えたまま、進んでいくしかないんです。
夏です。暑い暑い夏です。
これからいろんな大会があります。私が入っていた百人一首部も、もうすぐ全国大会があります。
今年もまた、色んな思い出が生まれるでしょう。やりきったー!と空を仰ぐ人も、悔いが残って俯く人もいるでしょう。
でも、願わくば、どの人も自分のできる精一杯のことをやって、どうか少しでも後悔のないように過ごせますように。
そう、夏空に願わずにはいられません。
はじめてのエッセイになります。
エッセイと呼べるものになったか不安ですが、読んだ方に何か感じてもらえると嬉しいです。