魔女と呼ばれる子
私は人が好きだった?
その日、なぜ叫ばれたのかよく分からなかった。森に向かうことを止めるために叫んだらしい。なんでだろう。なんで森に入っちゃダメなんだろう。いつもの私の遊び場なのに。1人で遊ぶ私の遊び場。
***
山のふもとにある村は、平和な村だった。ただその地域の環境は人間にとって厳しく、それは村の人々に戒律を押し付けた。この地を生きるものが守るべきこと。それは山岳信仰も含まれた。理不尽に感じられる自然の猛威をなんとか受け入れる為に必要なことだった。
近くでは山賊が度々出ることも相まって、この村では排他的なコミュニティが形成された。見知らぬ人に優しくあれという教えもあったが、山賊がそれを不可能にさせていた。
村の内部では皆助け合って生きていた。逆に言えば助け合わねば生きていけなかった。村八分のようなものはこの村では行われなかったが、誰もがその可能性を否定できず、そうされないように、またはそうしないように、日々を営んだ。
ある日、村の狩人が山の奥深くへ向かうと、どこからだか、いつもと森の雰囲気が違うことに気が付く。空気がじっとりと肌に絡み付き、なんとも嫌な感覚である。耳がキーンとなり、気分が悪くなりそうだ。足を止めて辺りを見渡す。動くものはなにもない。耳鳴りが酷くなる。風がない。彼は平常心を無くしそうだった。手ぶらで帰るわけには…
異常と思える状況で、必死に獲物を探した。見つけた。鹿だ。しかし様子がおかしい。ああ、なんだ、もう死んでいるのか。…立ったままでか。
結局、狩人は手ぶらで帰り、村長に体験したことを話した。村長は一応と、その狩人を隔離し、しばらく休みを取るように手配した。その後、村の人々を集め、山の森には障気が漂っている、あるいは呪いがかけられたとして、入ることを禁じる旨を言い渡した。
なんらかのガスが山賊に撒かれたか自然発生したか、あの狩人は病気にかかったんじゃないか、特定の光のパターンを見ててんかんみたいな発作が起きて幻覚でもみたのではないか、呪いは本当にあって、その呪いがかけられたのではないか、山神様の怒りだなどと、皆が村長の周りで原因を様々話し合った。
とりあえずガスの線で対策するとして、何人かの勇敢な男達が防護服を着込み、ガスマスクを着け、森へと向かった。
狩人の言った通り、森は静かだった。普通の静けさではなく、なにか恐怖を感じる静けさ。自分の存在を感じる静寂ではなく、自分の存在を掻き消すような静寂。調査のうちで、多くの動物の死骸を見つけ、1人の男が死んだ。助けには行かなかった。それを責める人はいなかった。
調査の度に死人が出る始末で、死の領域が出現した原因は分からずじまいだった。一度、死体を回収することができたが、死因は分からなかった。まるでスイッチを切ったかのように、生命活動を停止していた。外傷はなく、まるで寝ているようにしか見えない。それにも関わらず、蘇生処置は無駄だった。入っては行けない範囲は把握出来たため、簡単な柵を作った。村の者が誤って入らないように。
かくして、村の裏手、山の森は禁域の森となった。
***
ちょっと、何処行くの。
村の女性が驚きと怒りを込めて叫んだ。森の方向へ子供が歩いていた。ここは村のほとりで、その子供が歩く方向には何もない。20分ほど歩いた先に例の森があるだけで、子供には用はないだろう。
そっちは危ないから、皆と遊んでなさい。
突っ立って女性を見る子供に、そう言葉を投げ掛け、歩み去った。彼女だって暇ではない。洗濯物のはいった籠を両手で抱えていて、とりあえずこれを置いてきてから、あの子供を連れていこうと考えていた。
あの子、イロラ家の子ね。後で言っとかなくちゃ。ようやくいい子を授かったのにちゃんと面倒見ないなんて。あれ、あの子、何処行ったのかしら。
彼女は、イロラ家の子が森へ向かったとは思わなかった。
***
2人の青年が山を歩いていた。彼らは隣村の人で、普段は狩りを生業とし、冬の時期は山賊に精を出している。今は山賊としてこの山に踏み込んだ。
彼らの目的は略奪ではなかった。山賊仲間が出掛けたきり帰ってこないことをうけて、探しに来たのだった。予定の期日を過ぎても帰ってこないことは間々あり、品定めしていたらチャンスが来なかったとか、ちょっとより道していたとかそんな理由だった。今回は村に侵入する予定の為、チャンスが来ない線が有力だろう。死傷者が出る稼業だが、自分の状態をかんがみて相手を選べば、しょっちゅう死人が出るということはない。日が過ぎれば食料や水が厳しくなってくるが、それを考慮しての量は持っていっている。危機的状況に置かれている訳じゃない。青年達は気楽に探していた。
おい、メシもってきたぞ。味付け濃くしておいたぜ。おい、調子はどうだ。続けんのか、帰んのか。
そんなところだろう。
あらかじめ決められた集合地点に向かっててくてく歩いた。
丁度良かった、手を貸してくれ。
集合地点に着くなり青年らは助けをこわれた。話を聞いてみると、さらった娘っ子をどうにかなだめて欲しいという。
村を襲うはずが何故少女を拐っているのか事情を聞きたかったが、その少女が泣いて喚いてしようがない。なだめろといわれても、どうすればいいか分からず青年2人はおろおろするばかりだった。
汚い俺らは消えるから、と山賊グループは集合地点を言い残してそそくさと離れていった。少女の泣き声は嗚咽に変わり、青年らの顔はただただ渋くなるだけだった。見れば少女は6歳程度。この子を持ち帰ってなんだというのか。そもそもかわいそう。男2人で少女に逃げられたなんて情けない話だが、そういうことにして帰してやろうとした。チョコレートを握らせて、村の方向を指さし帰そうとすると、山のなかで声が響く。
俺の息子と結婚させンだー。うまいこと連れてこいよー。
見られているようだ。この子をこの子の足で我らの村に移動させることが重要という。別に猿ぐつわ噛ませた上で簀巻きにして無理矢理運んでも構うことはない、別に俺らがやらなくても、と青年らは思っていた。
それでも、ここでごねても日が暮れるだけとわかっていた。1人が膝を曲げ、少女と正面から話しかけた。
「なあ、大丈夫か。どこか怪我してないか」
おじさんがそう聞いてきた。こわい。知らない人がたくさんいる。
「ここは危ないから、ちょっと歩こう、な。立てるか」
私は肩に手を置かれる感覚を得て、顔を上げた。髭のおじさん。目が合う。口をつぐむ。おじさんの髭が下がる。目が少し見開かれる。
慌てて下を向いた。どうすればいいんだろう。不安で泣きたくなる。お母さん...お父さん...
「おい、どうしたー」
声のする方を見たらのっぽのおじさんがいた。笑顔で木に寄りかかっていた。今気がついたけど、汚いトロール達がいなくなってる。安心。
「目があってちょっとブルってなかったか。いたいけな少女の純粋極まる瞳に怖じ気づいたか。それともお前ロリコンか」
「いや、大丈夫、大丈夫だ...」
「おい、本当に大丈夫かよ」
髭のおじさんは目をこすりながら言う。
「まあ、その、安心してくれ。君のパパ、ママに言われて来たんだ。聞いてなかったかい。長いこと用事があるってんで預かってくれないかって頼まれてさ。そういうわけで迎えに来たんだ」
と、眉を上げながら笑いかけてきた。よかった、悪い人じゃないんだ。
「でも、知らない人にはついていっちゃダメって...」
私がそう言った瞬間、急に寒く感じた。
また慌ててうつむいた。私が変な事を言ったからだ。逃げたい。今なら逃げられるかな...
でも、知らない人にはついていっちゃダメって...
面倒くさくなってきたな。つべこべ言わずついてこねえかな。
笑顔はそのままで青年らは苛立っていた。もともと気が長い訳でもなく、不本意な事をやらせられているのだから、仕方がないといえばそう言えるものだった。
木に寄りかかっていたのっぽは、ここだと危ないから、と場所を移すように促した。このまま村にもって帰ることができればと願いを込めての発言だった。
そうだな、と髭は相づちをうち、ごめんなさい…逃げたい…とつぶやく少女をそっと立たせ、彼女が住んでいるであろう村の方向に背中を押すのだった。
おい、何やってんだ!
駆け出した少女の背中に怒号が響く。
のっぽは立ち尽くす髭をどついて走り始めた。すると髭がのっぽの服を掴み追走を阻む。
この野郎、と髭を思い切りビンタする。顔を叩かれた彼は、痛いだとか怒りの表情を見せることはなかった。ただ驚き、あるいは困惑の表情だった。おずおずと口を開けば、彼女を逃がす方向で話はついたはずだと、戯言を言う。
そんな話は1度もしていない。なんだこいつは、と見ていると目が何処と無く虚ろになっている。もう一度顔を叩き、あの娘を捕まえる旨を噛んで含めるようにして伝えた。
目の焦点が合うころには、少女の姿はもう見えなかった。だが、そこは大人と子供、駆け出した方向へ行ってみれば、すぐに少女を見つけられるのだった。
彼女は若干山奥に向かって走っている。そちらに山小屋か何かがあるのだろうか。ここから村より近くにあるのだろうか。何にしても匿われる前に捕まえなければならない。少女は簡単な柵をよじ登っているところだった。
柵があるということは、やはり山小屋か詰所があるのだろう。2人は急いで向かった。
柵にたどり着く頃には、子供は柵の向こう側にいた。彼女と追跡者に物理的な障害ができて安心したのだろう、ちらちらと後ろを振り返る子供の足取りには、少し余裕が見える。
しかし、やはり大人と子供、青年2人は柵を容易に乗り越え、少女に迫った。
くそっ、何か嫌な感じだ。
青年らは悪寒を感じていた。嵐が近いのだろうか。そんな感覚を覚える。今はそんな時期じゃない。ただ何かが起きようとしている。
いまや少女は必死だ。それでも肉体的にはもう限界だった。追っ手にもわかるほどその特徴が表れていた。顎が上がれば一心不乱に呼吸をし、振れない腕を肩で動かし、細い足の膝は上がらずつまずく動作を繰り返す。少女は必死だ。焦る気持ちが口をつく。
こないで!
彼女の胸郭が縮む。横隔膜が収縮する。肺から空気が押し出される。空気の、気の流れが喉で震え口内で響き、1等強い声を作った。
その声は青年らにもはっきり聞こえた。ほぼ無音の森に響き、木々の間をこだまする。髭からはのっぽと森が見える。その目に見えるものが全て少女の声に呼応し震えたようだった。
髭は思わず立ち止まり、のっぽはそのまま突っ伏した。
ガキのしつけはしっかりして欲しい。女の子が1人行方不明?イロラ家め、いくら障害もちの家族だからとはいえ、締めるところは閉めて欲しいもんだ。
ぶつくさ言いながら歩く狩人。
こないで!
声のする方向へ顔を向ける。柵が見える。その向こうに男が2人。1人は倒れ1人は突っ立っている。
あいつら、踏み込んじまったな。しかし、ガキは捕まってないんか?
狩人は、男の視線の先に目を滑らせる。森の中、鮮やかな上着をきた人間を見つけるのは難しくなかった。
狩人できることは何もなかった。あの子を助ける?俺はあそこへ入れない。男を倒す?どうせ彼女には近づけまい。あそこで生きている人間をどうして助けられるだろうか。
魔女だ。男は悲鳴を上げ狩人はつぶやく。2人の男は向きを変え、それぞれ逃げるように逃げていった。
村長は言う。魔女はいない。対外的には魔女狩りから村を守るため、村内部ではあの子を取り戻すため。
狩人は言う。あの子は魔女だ。禁域の森で死なないから、障害家族の子供だから。
魔女なんていないと皆わかっていた。火を操りカラスを使役し人を魅了することができる人間なんて、想像の中でしかない事をはわかっていた。あの子はこの村の人間だ。助けるべきである。ただ、禁域の森で生きているという事実が彼女が特別な子であるということを止めさせなかった。
人々の心の中では、やはり彼女は魔女だった。
***
「ふんふんふふーん」
私は自由だ。邪魔する人はいない。目を閉じて森を感じれば、なんだってできる気がする。楽しい。周りのものが、自分の感覚になって流れ込む。あそこにウサギ、あそこにオオカミ。ウサギはあまりにも黒く、オオカミはあまりにも白い。私はオオカミに近づいていった。その子はこっちを見ると、頭を下げて唸ってる。構わずもっと近づく。オオカミは飛びかかってくる。全身を伸びやかに使って跳び、綺麗な放物線を描くそれを、抱き締める。
「きゃははははーうぶっ」
森にいる私の友達。今日は会いに来てくれた。ヒトの大人ほどの大きさだから、飛びかかられると流石にキッツイ。背中を打ったけど、オオカミのお腹をモフモフする手は止めない。
魔女だなんてばかみたい。私が魔女なら、隣のおばさんなんて悪魔でしょ。いつも意地悪してくるし、たまに叩いてくるし…魔女だったらそのおばさんをカエルに変えちゃいたい…
森は私を受け入れてくれる。ヒトは私をなくそうとしている気がする。だから、ここにいていいんだ。親なんてもう知らない。あの人たちの私を見る表情は、今日私から逃げる男の顔の上にあった。そういうこと。
森は私に厳しいけれど、森は心の拠り所。私はただのヒトだけど、森の一部になれるなら、私は今日から魔女になろう。
読んで頂きありがとうございます。
万が一この文章を読んで楽しんで頂けた方がいらっしゃれば、私はとても幸運な人でしょう。