天使ちゃん(仮)調査日誌
カフェでの店員との会話を聞くに、天使ちゃんは帰宅するのではなくどこかへ向かうのだと推測される。
よって、大魔王様からの指令を忠実に実行すべく、私はその後を着けていた。
気分は素行調査中の探偵だ。
天使ちゃんと仲良くなるためにはその人となりを調査しなければならないので、あながち間違ってもいないだろう。
天使ちゃんはカフェを出た後、最寄り駅から電車に乗った。二駅ほどで降りて、しっかりとした足取りで歩いている。
そう、迷いなくしっかりと目的地へ進んでいるように見える。
尾行している私は、その迷いの無さに戸惑いっぱなしだ。
何せ、天使ちゃんはどちらかというとこれからお洒落なレストランでワインでも、的なその容姿にまったく似合わない、酔っぱらいのおっさんの聖地的な安くて汚いけど美味いだろう店の居並ぶ呑み屋街を歩いている。
どうか大魔王様の夢を壊さないためにも、この場所はただの通り道であって目的地はここを通り過ぎた先にあるのだと信じたい。
大魔王様とはいえ、あれでも一応私の大事な幼なじみなのだ。実くんの初めての一目惚れ、もとい初めての恋、成就しなくてもせめて夢は綺麗なままであってほしい。
そんな私の切実な祈りを知らない天使ちゃんは、細い路地をひょいっと曲がってしまった。
見失うわけにもいかず、天使ちゃんが曲がっていった路地を覗き込むと、随分と古惚けた看板の店に入っていくのが見えた。
その路地の中にはその一軒しか店らしき場所は見当たらない。
恐る恐る近付くと、賑やかな笑い声が聞こえてきた。酔っぱらいらしいおっさんの下品な下ネタも聞こえてくる。
本当にこんなところに天使ちゃんが入っていったのか、自分の目が信じられない。
だが、いつまでも店先でグズグズしてはいられない。
女は度胸! ここは勇気を出して店に入ってみるしかないだろう。
建て付けが悪いのか、やたらと思い引戸を開けると、店内は思いの外広く清潔だった。
古くはあるけど、掃除も行き届いていて汚くはない。
壁には飲兵衛には堪らないだろう手書きのおつまみメニューが並んでいて、ゴクリと自分の喉が鳴る。
何を隠そう、私は美味しいお酒とおつまみが大好きだ。
天使ちゃんがこの店に入った以上、私もここで印象するのは任務の範囲内だ。ということは、ここでの飲食代は必要経費として実くんに請求できる。つまり、私は今日ここで存分に飲み食いできるわけだ!
期待に高鳴る胸を抑えながら店内を見渡すと、探すまでもなく天使ちゃんの姿を見つけた。
カウンター席の一番奥に座り、丁寧に巻かれていた長い髪を一つに束ねていた。
その容姿とはまったく似つかわしくないが、その手慣れた様子はあからさまに呑み屋なこの店の中でまったく浮いていなくて、むしろこれから飲むぞ、食べるぞ、という気概を感じて好ましいくらいだ。
お好きな席へどうぞ、と言う店員の声で、天使ちゃんの三つ隣を選んで座る。
店員さんは私におしぼりとメニューを渡すと、天使ちゃんには何も聞かずおしぼりを渡し、生ビールを中ジョッキでトンと置いた。
天使ちゃんは「適当に。オススメで」なんて薄く微笑みながら言ってて、店員さんも軽く笑って当たり前のように頷いていた。
あまりの常連臭に驚きのあまり、つい挙動不審にりなってしまっていると、店員さんは注文が来まったと思ったのか、すっと近付いてきた。
え、どうしよう。何も決まってないのに。
私の心情なんて知る由もない店員さんは、にこにこと営業スマイル全開で愛想よく注文を聞いてくる。
「と、とりあえず生で。あと、えーっと、本日の酒肴二種・・・?」
適当に目に付いたメニューを注文すると、店員さんはさっさとカウンターの中に引っ込んだ。
どうやら、そこが厨房になっているらしい。
お店に慣れたらカウンターで店員さんと話しながらも飲めるスタイルになっていて、とても好ましい。
カウンター越しに生ビールとお通しを受け取って、まずは一口ビールを流し込んだ。
任務中のビール最高、なんて思いながらチラリと天使ちゃんを見ると、なんと彼女のジョッキには残り一口二口のビールしか残されていない。
はやっ! もしかして酒豪か、見た目からはまったく想像できないけど。
実くんの話と容姿から勝手に想像していた天使ちゃん像が崩れていくけど、友達になるなら想像上の天使ちゃんより断然、今三つ隣の席でぐびぐび中ジョッキを開けちゃってる天使ちゃんだ。
・・・実くんはもしかしたら、ショックを受けるかもしれないけど。
私も難しく考えず、とりあえず飲もう。
飲んでたら仲良くなるきっかけも生まれるかもしれないし!
ビールを飲んで、お通しを摘んで、またビールを飲む。余談だけど、お通しの枝豆のペペロンチーノ風はビールの肴には最高だった。すっごい美味しい。ビールが進む。
本日の酒肴とやらの内容を聞きそびれたー、まあ出てきたら分かるからいいや、なんてくだらないことを一人で考えていると、「次、冷酒ちょうだい」なんて言葉が聞こえてきた。
まごうことなき、天使ちゃんの声。
もう次に行くのか、そして日本酒行っちゃうんだ、と驚いているうちに、天使ちゃんの前に冷酒と一緒に先ほど注文していたおつまみが並べられる。
焼き銀杏、白子ポン酢、ふぐの一夜干し、カワハギの肝和えーーあー、これは日本酒だわ。
天使ちゃんはどうやら私と気が合いそうだ。
食の好みも、お酒の好みも。
人様の注文したメニューで思わず喉がなるのを自覚して、誤魔化すようにビールを飲み干した。
次、なに飲もうかな。
つまみに合わせてお酒を選びたい。
そわそわとカウンター越しの店員さんを見ていると、軽く笑われた。
お待ちかねの酒肴二種がやってきた。
焼き銀杏と、甘海老の一夜干し。速攻で日本酒を注文した。今日は寒いし、私は熱燗がいいな。
私が熱燗を注文すると、天使ちゃんも同じタイミングで温燗一本!と声を上げた。
どうしよう。私、この子、大好き。
飲み方も肴の好みも、常々オヤジ臭い、若い女とは思えない、と言われ続けてきた私並み、もしかするとそれ以上かもしれない。
天使ちゃんから漂う飲兵衛の匂いに私の友達になりたいセンサーがすごい勢いで反応している。
だがしかし、ここで安易に飛びついてはいけない。
なんの脈絡もなくいきなり話しかけたらただの不審者だ。今後やりにくくなる。
さて、天使ちゃんを尾行して入った呑み屋で飲み始めたはいいが、どうやって仲良くなるきっかけを作ろうか。
悩んでいると、丁度良いタイミングで店員さんが私の熱燗と天使ちゃんの温燗を運んでくる。
天使ちゃんの前に温燗を置いたあと、私の前に熱燗の入った徳利を置いて、お猪口を選ばせてくれるというので白くて口の広いお猪口を選ぶと、店員さんがお酌してくれた。
古い店構えとは似つかわしくない、そこそこ若いイケメン店員がお酌してくれるとは!
場所が場所じゃなかったら、自称日本酒好きの女の子達できっと毎日、満員御礼だろう。
それはさておき、せっかく熱燗なんだから熱いうちにまずは一口含むと、鼻に抜ける強い香り。
それを飲み下すと喉から胃にかけてが熱くなる感覚があって、舌に残るほんのり甘い余韻がたまらない。
オヤジ臭いと分かってはいても、深い溜息にも似た声が漏れるのを抑えることなんてできない。
「「・・・っっっはあぁぁ」」
あれ、なにか可笑しい。
隣からも、よく似た声が聞こえた気がする。隣にいるのはオヤジなどではない、清楚系ふわふわ女子代表みたいな天使ちゃんだ。
甘口白ワインか、甘口のシャンパンか、カシスオレンジなんかが似合うような天使ちゃんだ。
そんな見た目に反してなかなか良い趣味をしていることはもう理解したけど、さすがにそこまでオヤジだとは流石にすぐには受け入れ難い。。
恐る恐る隣をチラ見する予定が、何故か私を見ていた天使ちゃんと目が合ってお互いにガン見してしまう。
先に天使ちゃんが頭を下げたので、慌てて私も頭を下げる。
一瞬の間の後、天使ちゃんはクスクスと笑って「よかったら一緒に飲みませんか?」と誘ってくれた。
なんと向こうから誘ってくれるとは。
一も二もなく是非と返した私が色々聞き出さねばとヤル気満々で隣に移動すると、天使ちゃんはにっこりと微笑んだ。