上戸
まぁ駄作ですね、これは(笑)
「部長、次が最後になります」
「そうか」
私の重々しい頷きに、周囲を取り巻く空気が一段と重くなる。とはいえ止むを得まい。ここまで並んだプレゼンは、いずれも我がチームが総力を傾けるにはいささか迫力に欠けると言わざるを得ない。大きなプロジェクトになることが約束されているだけに慎重さは必要だが、ここまで保守的な発表が並んでは、いささか興醒めというところだ。
残るは一つ、大して注目もしていなかったチームだけに、今回の決定は見送りだろうという落胆が周囲にも伝わっているのだろう。まぁ焦るにはまだ早い。あまり簡単に決まってしまうのも吟味が足りないかもしれないと、割り切って考えることも必要だろう。
「では、始めてくれたまえ」
名前も定かではない地味な面々がホワイトボード前に陣取ったことを確認して、プレゼンの開始を促す。時間は貴重だ。大して聞く価値のない発表など、さっさと終わってもらうに越したことはない。
「あ、あの、私達は今回、リコピンへの徹底的なこだわりを商品に結びつけるべきであると考えました」
その瞬間、私はツボった。
リコピン、何だその甘美な響きは。
ズルくね? 響きだけでおいしいとかズルくね?
私は肺の奥から思わず漏れ出そうになった吹き出しを、慌てて咳払いで誤魔化した。この重要な会議場で『ぷっ』とか吹き出したりしたら、私が今まで築き上げてきたイメージに傷が付きかねない。ましてゲラゲラ笑い出したりしようものなら、崩壊の一途を辿ることは火を見るより明らかだ。
これは気を引き締める必要がありそうだ。
「それで、このリコピンとはどんなものなんだね?」
「リコピンというのは、トマトに含まれる赤い色素でして、強い抗酸化作用があることが知られています」
「ふむ、リコピンか」
みんなでリコピン言うな。
くっそ、これはアレか。私に対する包囲網か。
「リコピンは健康に良いというだけではなく、美容にも効果が高いと考えられています。ここにリコピンがリコピンとして評価されている理由があります」
連打ヤメロ。
はっ、まさかコイツら、私が笑い上戸だと知った上でこんなプレゼンを用意してきたのではあるまいな。だとしたら、ここでうっかり笑ってしまうのは奴らの思う壺だ。
私は負けぬ。こんなことでは屈せぬ。
「というワケでしてリコ……ごほっごほ、失礼しました。ピンには社会的な期待感もありまして――」
分離攻撃キタ。
クククッ、しかしヌルい。ヌルすぎるわっ!
その程度の攻撃、笑いに関しては連戦連敗を重ねてきた私が予期していないとでも思ったか。
「つまりこのリコプンには――」
ぐはっ!
リコプン、だと?
くそっ、やべぇ。リコプンは卑怯だろ。
耐えろ。耐えるんだ、私。部長という立場の私が、リコプンなんぞで会議を台無しにするワケにはいかん。
「それでその、ソレの研究にはどれほどのコストがかかるのかね?」
うっかり口にすると顔がニヤけそうだったので、それとなく流す。
「ははははい、コスト的な問題はですね――」
こちらの何気ない質問に激しくドモリつつ、プレゼンを進行している若い眼鏡が額の汗をハンカチで拭う。ひょっとして痛いところを突かれる質問だったのか?
いや、違うな。
何故なのかはわからないが、周囲を固めている役員連中ですら私の顔色を窺うようにチラチラと横目を投げて寄越している。まるでそう、機嫌の悪化を懸念しているかのような素振りだ。
ちなみに言っておくが、確かにここまでのプレゼンに納得も満足もしていないものの、特に機嫌が傾いたりはしていない。特に今は、笑いを堪えるのに精一杯で怒っている余裕すらないほどだ。
まぁいい。後で誰かに問い質してみることにしよう。
「ともかく、このリリリリリリリコピンというのは――」
この不意打ちは効いた。
もう無理、我慢できない。さよなら、昨日までの私。
「ぷぷっ……ぐははははははははっ!」
ついに笑ってしまった。
そして止まらない。決壊したダムから水が溢れ出すかの如く、笑いの洪水は瞬く間に私の脳内を駆け巡り、支配した。リコピンが宙を飛び、リコピンが回り、リコピンがダラダラと寝そべっている。今の私は間違いなくリコピン一色――否、私自身がリコピンだと言っても過言ではあるまい。
で結局、リコピンは採用されることになった。
私に受けたのが理由らしいと、もっぱらの噂である。
ついでに、私の影のあだ名が『リコピン』になったことは言うまでもない。
何てことだ。リコピンなどこの世から――ぷっ。
やっぱ駄目だ。面白いやリコピン。
無駄に時間を消費した、そんな貴方に乾杯!




