バラとゴミ袋と無断欠勤
次の日、僕は初めて会社を無断欠勤した。目が覚めたのが12時過ぎで、あわてて支度をしたが途中で諦めてまたベッドに突っ伏した。とても仕事をする気分にはなれなかった。
腹が鳴り、どんな状況でも空腹だけはやってくるのだなと、自分自身の生存本能に感心する。しかたなく、けだるくなった体を引きずるようにベッドからおろし、キッチンで遅い朝食を作っていると、携帯の着信ランプが光っていることに気付いた。会社からの連絡かとうんざりしながら携帯を開くと、メールが2件入っていた。一件は吉田さんから、無断欠勤したことの愚痴と、吉田さんが課長にうまく言ってくれたという報告が来ていた。もう一件は篠原からだった。仕事を休んだから、時間があったら連絡が欲しいとのことだった。
重くなった頭を、コーヒーを口に入れて無理やり叩き起こす。気落ちしていても仕方がない。あの便箋の内容を見る限り、篠原に直接的な危険が迫っていることは明らかだ。今は篠原のそばにいなければ。
アパートにやってくると、篠原が一心不乱に花束をゴミ袋に詰め込んでいた。すでにいっぱいになったゴミ袋が3つ出来あがっているのに、花束はまだなくなっていない。これだけのバラの花束を一体どこで用意したのか。料金だってハンパな額じゃないはずだ、などと考えてしまう。
篠原は山になった花束を一束取っては袋に入れ、また一束取っては袋に入れるという作業を繰り返していた。その度にゴミ袋はガサガサと大きな音を立てて、僕が近づいたことにも気が付いていない様子だった。
「手伝うよ」
後ろから声をかけると、篠原は一瞬身をかがめて、恐る恐る振り返った。
「なんだ、三浦くんか、おどかさないでよ」
「別に驚かそうと思ったわけじゃないよ。気がつかないのが悪い」
たたまれたゴミ袋を勢いよく広げて、篠原の隣に座る。目の前の花束の山から手当たり次第に袋へと詰め込み始めた。
「三浦くんも、仕事休んだんだね」もくもくと手を動かしながら篠原が訊ねる。
「うん。今日は仕事をする気にならなくてね」答えながら僕も手を止めない。
「あ~。不良社員。そんなんじゃ今の時代すぐにクビになっちゃうよ」
「それならそれでもいいさ。やりたくてやっている仕事じゃない」
僕は毎日繰り返される顧客とのやり取りを思い出し、うんざりする。カタログの写真と違うと言いがかりをつけて返品を迫られたり、頼んだものと色が違うといちゃもんをつけられたり、しまいにはお宅は仕事の精度が悪いと文句を言われ、それでも何とか折り合いをつけるためにひたすら謝る。
「僕がやっている仕事は拷問に近い」と、舌を出して嘔吐の真似をする。
「正義の味方は、私生活はさえない場合が多いよね。座頭市も普段は按摩さんだし、必殺仕事人の中村主水も普段はお嫁さんとお姑さんに頭が上がらない」
篠原は思い出したようにくすくすと笑った。
「でも、暴れん坊将軍は、『八代将軍』吉宗だし、遠山の金さんは南町奉行だ。ホントのヒーローはやっぱり普段からカッコイイものだよ」僕は正義の味方なんかじゃない。
「ホントのヒーローは自分が正義の味方だってことは内緒なんだよ。正体を隠して困ってる人を助けて、颯爽と去っていくの。みんなあれは誰なんだろう?って気になるんだけど、誰も正体を確かめようとはしないの。だってヒーローの正体がなんだっていいんだもん。彼らは困ってるときに必ず助けてくれるから」
「正義の味方は過酷な仕事だな」
たわいもない会話をしながら、次々とゴミ袋はいっぱいになっていった。最後の花束を袋に詰める。気がつくとゴミ袋は8個も出来あがっていた。
抱えられるだけのゴミ袋を抱えて、外のゴミ収集所へ運ぶ。アパートの入口を出ると、昨日の夜中から降り出した雨がこびりつくように肌を濡らした。ゴミ袋を次々に置いていくと、空っぽだった収集所はあっという間にいっぱいになってしまった。
「終わった~」篠原が横で両手を上にあげて背伸びをする。
「さて、じゃあ、どこか、そうだな。喫茶店でも行こうか」
そう言って僕は車のロックをはずした。