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安堵と絶望と危険な賭け




             知美




 まさか盗聴されていたなんて。わたしは盗聴器が仕掛けてあったコンセントを見つめて中に仕掛けられていた、小さな機械を思い出した。一体いつからあったのだろう。昨日三浦くんが見つけるまでそんなものがあるなんて思いもよらなかった。今まで盗聴されていたと思うと、怒りよりも先に気持ち悪さがこみ上げてくる。陰湿な嫌がらせだ。音を聴いて何をしているのか想像したくもなかった。


 驚いたのは、今日は帰ってきても無言電話がかかってこなかったことだ。盗聴器がなくなって諦めたのだろうか?このままストーカー行為もあきらめてくれればいいのだけど。


 ともかく、わたしは久しぶりに爽快な気分になっていた。帰ってきても電話が鳴らないというだけでこんなにも気が楽になるのだとしみじみ思った。

 このことを三浦くんに報告したくて、携帯を取り出す。何回かコールした後、声がした。「もしもし、どうした?」

「三浦くん、あのね」喜びを隠せずに思いがけず声が跳ねる。「かかってこなかったの、無言電話」

「そうか、良かったな」三浦くんは電話口でもわかるほどに安堵の声を上げた。

「やっぱり、盗聴器で篠原の帰宅を確認してたんだな。盗聴器がなくなったせいでわからなくなったんだ」

「うん。ざまあみろって感じだよね」

 どこかで音を聴けなくなって途方に暮れるあいつを想像した。

「これであきらめてくれるかな?」

「いや、わからないよ。これから〈元彼〉がどんな行動に出るか、もしかしたら実力行使に出るかもしれないから、気をつけるんだよ。僕もなるべく篠原のそばにいれるようにするから」

「守ってくれるんでしょ?正義の味方だもんね」

「ピンチの時には僕を呼べよ。ナイスタイミングで助けてあげるよ」

「期待してるよ」そう言って電話を切る。


 三浦くんは思いのほか、軽快な会話の中にも若干の緊張を残していたけど、わたしはそれほど深く考えていなかった。今の気分がそうさせるのか、これ以上悪いことはおきないような気がしていた。




             達也




 その男の顔を確認出来たのは偶然だった。仕事が長引いてしまい、仕方なく地下鉄を使って直接篠原のアパートへ向かった事がこの偶然をよんだ。その車内であの写真の男を発見したのだ。


 〈元彼〉が何らかの行動を起こす前に発見できた事に感謝した。男はスーツ姿というわけではなかったが、時間帯と、疲れた様子から、仕事帰りではないかと推察できた。

 さりげなく後をつけるつもりで男の様子をうかがっていると、やはり同じ駅で電車を降りた。篠原のアパートから一番近い駅だ。思わず歓声を上げたくなる。僕の中で疑惑は確信に変わっていた。この男は間違いなくあのマンションへ行くだろう。


 マンションの前で男が部屋に帰っていくのを見届ける。男の部屋は4階の西側、ちょうど、ベランダからアパートの正面が見える位置にあった。

 ようやく〈元彼〉の正体がわかった。いる場所が分かっていれば今までのように後手に回ることもないし、何なら今から行ってそれなりの対処をとる事だってできる。篠原の苦しみを考えると、今すぐにでも行ってなんとかしてやりたいが、下手に動いて逆に警察沙汰になってしまうのは不本意なので、とりあえずは部屋番号だけ控えて、僕はその場を後にした。悪いのはあくまでストーカー行為を行っている〈元彼〉だ。もう二度と篠原に近づけさせないためにも、慎重に事を運ばなければならない。


 腕時計を見る。20時を少し過ぎたくらいだ。まだこの時間ならそれほど失礼にならないだろうと思い、電話をかける。こういうときはやはり吉田さんだ。

「もしもーし」短い呼び出し音の後、仕事中には聞かないような陽気な声が聞こえた。どうやらどこかで飲んでいるようだ。

「吉田さん?三浦です。今大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ、どうした?」

「実は、ちょっと吉田さんの知恵を借りたいなと、思いまして」

吉田さんは僕の言葉を聞くやいなや、ふふん、と含み笑いを込めながら「こないだの彼女のことでしょ。いいよ。前と同じバーにいるから、今からおいで」と、快く引き受けてくれた。若干楽しんでいる節はあるが、吉田さんの頭脳は頼りになる。僕は今から行きますと言って、すぐにタクシーを拾った。



 重厚なドアを開けると、落ち着いたジャズのゆったりとした空気が聞こえてきた。

 思った通り店内に客の姿はほとんどなく、店の奥に吉田さんと、その隣に男性の姿があるだけだった。「いらっしゃい」マスターは閑散とした店内を憂う様子もなく、店内を流れるゆるやかなサックスのメロディーに身をまかせながら穏やかにグラスを拭いている。


「あ、三浦。こっちだよ」

店の奥で吉田さんが手を挙げる。店内に他の客はいないのだから、呼ばなくてもわかるのだが、少しお酒の入った吉田さんは、機嫌が良さそうだった。

「お待たせしました」

「ううん。大丈夫。今、こいつと飲んでたから。紹介するね、こいつは岩崎。珍しい事にここの常連」吉田さんの隣の男は雑な紹介をされたにも関わらず、気にすることもなく、どうも、と挨拶をする。よく見るとこないだもこの店に来ていた人だと思い出した。

「はじめまして、吉田さんの後輩の三浦と申します」

「三浦はこう見えても結構優秀なんだよ。あたしのお気に入り」

「そりゃ、ご愁傷さま」岩崎は悪びれた様子もなく、こいつに気に入られたんじゃ毎日大変だろ、と笑った。


「で?吉田さんの知恵を貸してほしいって?何かあったの?」

僕が席に着くと、待ちきれないと言った感じで吉田さんが口を開いた。

「はい。こないだ吉田さんが言ってた通り、盗聴器を探したら、案の定盗聴されてました。盗聴器は取り外して捨てたんですけど、それだけじゃないんです。見つけたんですよ〈元彼〉の姿を。やっぱり吉田さんの言うとおり、近くのマンションに住んでました」

「ふーん。やっぱりねぇ。あたしの推理に間違いは無いでしょ」吉田さんはまるでテスト

で百点を取った子供のように、得意げに胸を張った。


「なるほどね。じゃあ、どうすれば〈元彼〉のストーカー行為を止められるか。ってことだ。その為にあたしの知識が必要なんでしょ」

「はい。吉田さんなら何かいい方法知ってるんじゃないかと」

「知らないよ、そんな方法。あたしストーカーの知り合いなんていないもの」

吉田さんは両手を広げてあっけらかんと言い放った。

「おいおい」あきれた様子で岩崎が言う。

「おいおい」予想外の返事に僕も口から零れた。

「可愛い後輩がお前の知恵を借りたいって言ってんだ。ちょっとは考えてやれよ」

「冗談だよ。ちゃんと考えるって」


 吉田さんは背もたれに大きく寄りかかると、腕を組む。考えるときのお決まりのポーズだ。鋭く光る瞳はじっと僕の顔をのぞいたまま動かない。僕を見ると言うよりは僕の中にある記憶や思考を読み取っているかのようだ。全てを見透かされているような錯覚に陥る。


 動けなかった。何も悪いことをしているわけでもないのに、額から汗がにじんでくる。吉田さんのこの瞳に睨まれたら、どんな犯罪者もその罪を認めてしまうだろう。それほどの鋭利な刃物を想わせる鋭い眼光だ。『蛇に睨まれた蛙』という言葉を思い出す。


 やがて吉田さんが、ふと息を吐き視線をはずした。硬直が解け、瞬間的に時計に目が行く。永遠にも似た感覚だったが、一分ほどしか経過していない。

「まず2、3質問するよ。盗聴器をはずしたのは具体的にいつ?」

「具体的に、ですか?え、と3日前です」

普通に質問されているだけなのにしどろもどろになっている自分が情けない。

「じゃあ、盗聴器をはずしてから〈元彼〉から何かアプローチはあった?」

「いえ、僕が知る限りは何もありません」

「ふむ。じゃあ、例の無言電話は?」

「それはなくなったそうです。やっぱり篠原の帰宅を音で聴いてたんでしょうね」

そこまで質問すると吉田さんはまた少し考えてじゃあ、これが最後の質問ね、と言って

「三浦が発見した〈元彼〉らしき人物は4階に住んでたんだよね?」と訊いた

「はい。あの位置からなら、アパートの正面が見えるはずです」僕は淀みなく答える。


 吉田さんは「そう――」と、口元に涼しげな微笑を浮かべてぽつりと零した。そしてゆっくりと喋り出す。


「まずは、はっきり言っておくね。ストーカー行為を止めることは出来ない」

第一声から考えの土台を崩された僕は驚きを隠せず、椅子から滑り落ちそうになる。吉田さんは僕の反応もお構いなしにとうとうと話を続けた。


「テロが起きる理由って、自分たちが正義だと思い込んでいるからよね?例えば、ある人物を神とあがめている国があるとする。その人物が『あそこの国は悪だから我々が正さねばならない』と言う。すると国民は喜んで悪を滅ぼす為に戦うでしょう。それが間違った正義だとしても。人はね自分に正義があると思いこんだとき、自分の行為を正当化して、邪魔をするものを悪とみなす。これがテロリストの思想」

「ちょっと待ってください。その話とストーカーとなんの関係があるんですか?」

「ストーカーってテロリストの思想に限りなく似ているのよ。彼らは自分の中の正義を持ってる。そしてそれは何があっても絶対曲げることがない。ゆがんだ信念みたいなものなの。〈元彼〉は彼女のことをまだ自分の所有物のように思ってる。これが彼の正義。たとえ三浦が直接会って、説得したとしても、暴力で止めようとしても、きっと無駄ね。むしろそうなったら向こうは最後の手段をとる可能性がある」


 最後の手段、という言葉に背筋が寒くなる。それはすなわち「・・・殺人、って事ですか」

 吉田さんが小さくうなずく。それは絶望を意味しているように思えた。ストーカー行為は止めることが出来ない。こっちから接触すると自体が悪化してしまう。たった二つしか言われていないのに、すでに八方ふさがりだ。

「そんな顔するなよ三浦。手がないわけじゃない」僕の表情を察して励ますように肩をたたく。そして僕の顔をまっすぐ見ながら「ただ・・・」とつぶやくと、一瞬吉田さんの顔が曇り「危険な賭けだけど」と続けた。





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