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87:in principio erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum.

もう、後戻りは出来ない。どんな手を使っても、食い止めなければならないんだ。僕はまだ、こんな所で終われない。計画は既に狂っている。失うべきで無かった切り札が、既に三人死んでいる。


(今更温存はしないよ、僕は)


アルドール、君はそれを許しはしないだろう。でも君は、何だかんだ言って甘いんだ。甘すぎるんだ。


(嫌いだったよ、君なんか)


僕はしっかり目を開ける。四つの瞳で、異なる景色を。

醜い世界は色を得て、それでも変わらず醜悪だ。それでも、それでも。変わらないものなんてない。全ても、僕も。

集めた情報で尽くす最善で、それでも何も変わらないなら狂わせる。追い詰めるんだ、僕を彼らを。大事な物ほど、あっけなく……使い捨て、使い潰そう。それこそが、それこそが……



第五島には治療法皆無の風土病がある。病に苦しむ人々は数々の迷信に踊らされ、時に倫理も見失う。

そんな危険なところにこの私を送り込むのだから、私の恩人は困った人だ。でも、それは私を信頼して。一人の騎士として認めてくれてのこと。私を女として見ないあの人だから。

それに私は、病なんか怖くない。この手に宿った物のため、それより以前に私は命を捨てている。姫に出会い死ななかった私の人生は、あの日から全てが余生であり、その日々は彼女のためにある。

しかし、それでも阿迦奢は絶句した。


(信じられへん……)


噂には聞いたが、これが数術というものか。それまで神子の周りに居た細身の神官、兵士達が次々姿を変えていく。挟撃の危機にある船の兵は思えない、彼らの余裕。中にはタロック人も居る。


(うちが来るう読んどった!? )

「僕が連れてきたのは、死んでも良いような人間。僕のこの船には、重罪人だけを乗せました」


シャトランジアは死刑がない。この少年はそれを逆手に取ったのか。気持ち悪い。元タロックの民であろうと、私にこんな目を向けるのだ。容赦はしない。


「亡命先で、暴れた連中ゆーわけ? 」

「それと金の亡者と面倒な政敵側の連中ですかね」

「ようやるわ! うちもそれ、議会にいうてみよ! 」

「貴女がそう、された側では? 」

「嫌やわ、好きで来とるんよ! 」


考えたなシャトランジア。価値のある者をセネトレアに連れて行く意味など無い。囮の役目を全うするため、わざわざ指揮官自ら前へ出た。狙いはカーネフェル側の上陸か。

私達は何も和やかに会話をしているのではない。この間も戦闘は続いている。周りでも白兵戦は始まって、視界の隅ではもう死人が出ているけれど。


(当たらへんなー! )


私が振るう刀を少年は避ける。避けると言うより……


(うちが見えてへん)


また、幻を見せられている。声や音を頼りに仕掛けてもかわされる。音の方向も弄っているのだ、数術というもので。


「第五島の話を知っていて来たとは、物好きですね。その美貌! その肉体! 妙薬だと思う阿呆共が寄っては来ませんでしたか? 」

「神子はんこそ、うちの兵には注意しや! 」


其方で言う数術という物はよく解らないけど、似たようなことなら私も知っている。


「見事な太刀筋ですね、貴女が男だったならさぞ」

「あかん。それは禁句や」


攻撃が当たらないのなら、当たるようにすれば良い。其方が奇妙な術を使うなら、此方が使わぬ道理もない。


「準備運動、しはった神子はん? “急な戦闘は、身体に悪いで? ”」

「っ! 」


意図して一言言葉にすれば、違う所で音がする。見るからに戦闘には向かない細身の混血。言霊により、硬直する彼の筋肉。足を攣って転倒させるまでが私の狙い。


(もらったっ! )


音を頼りに見破る数式、まだ起き上がれない彼の姿がそこにある。

しかしその刹那、彼も武器を携えた。右手には短剣、左手には銃を。それで私の刃を退けるつもり。近距離で教会兵器の相手は不利だ。数術使いの弱点を、補うための武器を持つ。なるほどそれは確かに脅威。


「残念やったね、“風は其方を裏切ろう”! 」


撃ち込まれた弾は風に流されて、私の接近を許す。真っ直ぐ飛び込み当たっても、致命傷にはなり得ない。


(まだ弾が残っている? 風でも防ぎきれない距離まで私が来るまで待つか? )


だがそれは、既に私の間合いも同じ! 相打ち覚悟? 国の長にも等しい者が何をそんなに捨て身で挑む? 


(私の、声を狙ってる!? )


風は私が操った。如何に数術使いでも、私の力からは逃れられない。毒も私は効かない、ならば風に毒を流すようなやり方は取らないだろう。


(物理、攻撃? あの小さい刀で? )


私が貴方を殺すために近付いた時、私の咽を狙う気か。仮に致命傷には至らなくとも、私から声を奪えれば……戦況を覆せると考えた?


(この男……! )


それでも聖職者か! 私が何であるかを知って、これ以上の会話は不毛……不利だと認識するや否やこの作戦に踏み切った。


(既に、私を知っていた……!? あの一言で私が何かを理解した!? )


「“甘いわイグニスっ”!! 」


得物の持ち方を変え、斬るでも突くでもなく投げる。かわすことも退けることも出来ない子供には、傷と隙が必ず生じる。接近戦、貴方と違って私は苦手ではない。次の攻撃で蹴りを食らわせ相手の武器を奪う。これで終わりだ。

そう、それなのに……この子は今、何をした? 飛び込むための足を止め、隙を作ったのは私の方だ。

この少年は私の刃が届く寸前、手にした刃で己の咽を貫いた。遅れて私の得物が彼の胸を貫く。


「……残念、やったね」


白い礼服を赤く染めて、それでも少年の唇は笑みを浮かべる。後ろへと倒れ込み、震えるように空へと伸ばした手。幻でも見ているのか。小さく、彼の口から父を呼ぶ声が聞こえた。まだ幼い少年だ。そんな地位に……運命に生まれさえしなければ。いや、私は逃げ道を示した。逃げなかった彼が悪い。

これ以上この船には用はない。烏合の衆は船ごと沈めれば良い。数術使いが消えたのだから、普通の人間くらい簡単に始末は出来る。


「被憑依数式の神髄は……」


え、何それ。聞いたことない言葉が聞こえる。それは聞き慣れた私の声で、僅かに離れた場所から。


「肉体の死を味わった精神は、どうなると思いますか? 錯覚するんですよ、死んでしまったのだと」

(何……)


胸を貫く私の刃。これは間違いなく致命傷。しかし私は、空を見ている。私は彼を見ている。同時に二つの景色が見える。頭が軋む、吐き気を感じる。嗚呼それ以上に……咽が胸が痛くて痛くて堪らない。


「“彼は無力だ。彼は勝てない。”それでも道連れには出来る」


聞こえてくる声は、私の頭の中からか。無事のはずの私の身体もその場に倒れ、今は空と、空見る彼を見る。

相手が狙ったのは私の咽。言霊は、声が出なければ意味が無い。それを理解し行動に移した。そして……私自身を傷付けることが不可能だと気付いたら、彼は違うやり方で……私の動きを封じてしまう。その思い切りの良さ、恐ろしさに……私は僅かに誰かを重ねる。


(これが、数術……)


死にゆく少年の身体は、更に小柄で外見も別人。金髪の神子は、青髪の少年へと姿を変えていた。その少年の意識と痛みを私に結びつけ、彼の死を私の死と私の頭が見誤り、私が私を殺そうとする。身体は無傷でも、脳をやられてしまったら……毒にも耐えうる私でも、いとも容易く死ぬだろう。


(ひめ、さま……)


このまま私が死ぬ。死んでしまう。周りにはろくでもない奴ら。頭が死んでも身体は無事な私はどうなるか。きっと二目も見られない姿に。


(刹那……)


嗚呼。そんな私を見て、貴女はきっと笑うのでしょうね。それさえ貴女は愉しみ悦べる人。無垢で無邪気で残酷で。何も知らない子供のような人。

愛とは何か。こんなにも何にもならない悲しみか。貴女を想い貴女のために戦い続けたところで、貴女の心は手に入らない。一欠片だって、私は貴女の心へ残れない。貴女を思ってしまったら、その刹那から貴女に誰もが嫌われる。生かされた自惚れ。それを思い入れや愛だと思いたかった馬鹿な私は。生かされた意味を知るのだ、こうして今。


(刹那様……あなたは、こんな私が見たかったのか)


空っぽの私の瞳から、一筋の涙が流れる。その目は空を見る代わりに、違う別の色を見た。流れる血の色、それと同じ衣を翻す。それは赤。あの人と同じ色を纏って、それでも違う髪色の人が私の前へと現れた。


「見事な策だ。だけど見損なったよ“イグニス”」



「のう、阿迦奢」


私の口から零れた言葉の響きに、女中姫が声を失う。それもそうか、刹那はくくくと咽を鳴らして自身と彼女を嘲う。

美しく、強く、愛らしい私の騎士よ。私は見てみたい。お前の顔で、見てみたい表情がある。笑う顔、照れる顔……そんなものではないのだそれは。

私が殺す人間は、いつだって生の欲に染まった人間。

其方はいつも、嬉しそうに死臭を纏う。本気で私のために死ねるのね。口先だけなら何とでも。同じ事を言う男は何人だって始末してきた。そんな私が、その覚悟を疑わなかった唯一の相手。

お前が男だったなら、兄様も那由多も死んでいたなら私はお前に嫁いでやっても良かったのに。嗚呼、その位には買っている。こうして距離を置いてみても、お前の忠義は変わりない。あの双陸でさえ、父上への心が揺らぎ命を落としたというのに。


(妾が其方を殺さなかったのが、愛だと其方は思うのか? )


愛か。なるほど、愛やもしれぬ。けれどこの私が、普通の人間のように愛を語らい誰かを思うと思ったか?

妾が那由多を生かしたのも、同じ理由だったのだろう。

既に私の相手は見つかった。生きていた、世界にたった一人の愛すべき人。もう、お前もあれも用済みなのだと伝えたら、お前はどんな顔をしてくれるのだろうな。

人間らしい醜い心を浮かべておくれ、その顔に。未練があるだろう? やりたいことがあるだろう? お前から、きっと死臭は消えていく。その瞬間にお前を殺してやったなら、どんなに面白い顔をしてくれるだろうな、阿迦奢。


「勝てて当然の戦はつまらぬ。其方は解っているはずだろう? 」


妾を楽しませるために、お前はきっと油断する。妾が満足するよう手を抜き、ギリギリの接戦にして敵味方を死なせなければならない。あの少年教皇は、はたしてそれを見逃すだろうか?


(妾は、見たいのだ)


どうせ、私が勝つ。これまでも、これからも。それやお前の言葉によって約束されてきた。幸せで、くっそ退屈な日々をお前が約束してくれた。だからお前は私を楽しませなければならない。そう……この喉元まで刃を差し向け、勝利を確信した敵が、全てを失い泣き喚き絶望するような戦いを。妾を敗北の瀬戸際まで追い込んでみせるのだ。お前は私を愛しているのだから、そうしなければならない。そうでなければ、裏切りだ。お前がどんな顔をしていても、次に会ったら私は殺す。お前でさえも阿迦奢……我が友よ。


「妾を裏切るでないぞ」


其方が妾を愛していたと、語るなら。




二度ほど私は救われた。私を救ったのは金髪の男。それから……金髪の少年だった。


「困りましたわ。私としては第一島であの子と遊びたいのだけれど」


公爵なんて窮屈な身分。代理人に任せきりだったというのに、今更声が掛かるなんて面倒だと女は思う。


「その“式”を、教えてやったのは誰だった? 」

「それは感謝してます」


憑依数術。その入れ知恵が無ければ自分は既に死んでいた。あの場に自分の本体で向かっていただろうから。

生きて居るって言うことは、それだけで唯々素晴らしいことだ。ねぇ、貴方もそう思うでしょう? と、奴隷の鎖をたぐり寄せれば、まともな言葉も話せない程、この場の香りに酔っていた。


「悪趣味だな……」

「そう? そんな女を助けた貴方の趣味が良いとは言えて? 」


私の言葉に違いないと、肩をすくめた訪問者。その外見は貴重なもので、まだ若いカーネフェリーの男。そんな男がカーネフェルを阻む協力をするというのも奇妙な話。


「貴方、セネトレアの味方というわけでは無いのでしょう? 何故、私を助けたの? 」

「俺の主の命令さ。それ以上でも、以下でも無いな」

「“混血”に隷属した“純血”だなんて、貴方も悪趣味な人ね。そういう趣味? 」

「……解釈はそっちに任せる。それより本題だ。貴女は第四公としての使命を果たせ」


救われた恩を返せと男は言うが、女はどうにも乗り気では無い。


「この国のやり方を理解していないようね。私、ただでは動かない女よ? 」

「俺の主はこの戦争の後、ある男と接触する機会がある。その傍らに、目当ての娘も居るはずだ」

「それなら尚更目立ちたくは無いわ。感動の再会までひっそりしていたいものよ。その方があの子、驚くもの」

「解るものか。顔も姿も違うだろうに」

「それもそうね。それで? 今回の遊び相手に私好みの子はいるの? 」

「“聖女ジャンヌ”、カーネフェルの英雄だ」


こいつが写真だと投げられた書類に目を通したところで、女は唇を三日月形に歪め笑った。


「いいわ、交渉成立よ。カーネフェルの足止め、確かに引き受けましょう」


第四公は唯一の女公爵。彼女が愛するは、美しい物。生きたまま美しい物を愛でるのだからまだ比較的まともな部類の人間……なんて人は私を言うかしら。


(そんなこと、ないのに)


私は好きよ、ああいう子。特別にとびきりの美人っていう訳じゃない、そこそこ可愛い“村娘”。それでも人を引き付ける何かを持っている、打たれ強い……自分が特別だと勘違いしてしまった子。そういうの子の心を折るのは楽しい。


「ねぇ、貴方知ってる? 」

「何だ? 」


去り際男を引き留める私の言葉。それはこれからのメニューと調理方法を、客に教えるようなもの。仕事への興味を彼へと伝える言葉だ。


「綺麗な物は、唯綺麗なだけでは真に美しいとは言えないわ。綺麗な物を汚してそれでも綺麗かどうか確認する作業を経て、それは本当に美しいかどうか解るということ」

「……それなら俺も知ってるよ。この世の中は反吐が出るほど醜いが、だからこそ本当に綺麗な物が見出せる」


だから人は生きて居られるんだと、妙な言葉を置いて、男は私の部屋から姿を消した。


「あら、残念」


私の言葉はまだ続くのに。喉の奥で笑った後に、誰も居なくなった室内で……私は続きを口にした。


「……宝石が元々美しいとは限らない」


叩き割るまで解らない、それがつまらない石ころかそうではないかは。



「“火山”を利用する……? 」


ランスの言葉はに俺達は、最初こそ驚いたが次第に納得して行った。


「クラブの上位カードならば、第四島の火山に作用することも可能。セネトレアは迂闊に攻め入ることが出来ない。そして逃れる者は、数術船で砲撃をする。この島を丸ごと人質とする。逃げられないと思わせることで、この地を攻めと守りの要とするのです」


「如何でしょうか、アルドール様」

「うん……それが最善、だと思う」


俺の同意を受け、ランスは少し表情を和らげた。緊張していたのかな。そうだろう……自分の考え一つで彼はまた、“王と仲間”を失うかも知れない。だけど、それを背負うのが俺だ。決めたのも俺だ。それが俺の思う王の在り方だ。馬鹿な王だ。見捨てれば良いのに。楽な勝ち方はある。仲間を消耗させないやり方だって。でも、そんな方法選ぶ俺を……皆は支えてくれないだろう。


「まずは数術船による砲撃。教会兵器の圧倒的力を見せつけ、戦意を奪う。そこで敵を火山付近に呼び寄せる。第四公を釣ることが出来たら上出来です」


俺かランスのどちらかが火山をる。他には回復数術の使い手を第四島に残らせ、奴隷を吸収しこの地の支配を広げていく。守りに力を割いた配置、それは第一島に乗り込む側の回復が足りなくなると言う愚策も愚策。しかし保護する混血達は戦力としては強力。シャトランジアの数術を教えれば守りの要になる。第一島に乗り込むのは、攻めの主力。本当に限られた人数で、女王を叩く。移動速度は上がる代わりに、乗り込む側は完全に攻撃特化。失敗すれば……命は無い。だが、敵の隙は作り出せる。第四島に全勢力があると誤認させるのだ。海戦は囮、更に第四島も囮。こんな無謀な策、普通は取らない。


「セネトレア女王は、生まれながらの王族。自分のために人が死ぬのが当然で、その逆は考えられない。アルドール様にしか出来ない……奇策です」


だから、思いついても信じない。決して読めないやり方だとランスは断言。


「カーネフェルは、滅び行くさだめにありました。私に、何かが出来るとは思いません。ですが……我が故郷は仇敵を追い返し、はじめて攻め込む側へと転じる時が来ました」


そう言って、ジャンヌもこの作戦に賛成の意を示す。奇跡のようなことを、俺のような頼りない人間がやってのけたとは言わない。いつも、俺を助けてくれる人がいたから。もう居ない人も、今も居てくれる人も。奇跡って言うのは、誰か一人が作るものではなくて、誰か……大勢の誰かの犠牲の上にようやく手が届くものなんだろう。屍を踏みつけている以上、叶えなければならない。手を伸ばさなければ。


「第四公を吊り上げる、餌はあるのですか? そもそも貴方がたはこの島の領主についてどのくらいの情報が……」

「ふ、ファルマシアン=プリティヴィーア。それが名前だと記憶しています」

「他には? 」

「……」


リオさんの言葉に、ランスの顔から穏やかさが消えていく。ランスが、カーネフェルが戦っていたのはタロックであって、セネトレアではない。地理情報くらいは金で得られても、目立とうとしない者の情報を買うのは難しい。セネトレア女王を筆頭に、第三島アルタニアの残虐公、第二島の混血狩りに、第五島の風土病……そんな奴らの影に第四島はひっそりと……観光地を騙る。


「確か第四島って、危ない薬品の売買がある島じゃないか? 観光地を装いその売買を……」


無法王国のための、というよりは国外へも向けての窓口か。奴隷達を従順に飼い慣らすための薬品をこの島は国の中へと外へと売りつける。


「流石ですね、アルドール様」

「い、いや! 本当かどうか解らないよ! 何かそんな噂、本で読んだ気がするだけで」


ランスに褒められ俺は少し舞い上がる。気恥ずかしいけど、ちょっと嬉しい。余計なこと言ったかなと気にする必要は無かったか。駄目だな俺。ランスはこういう人だって、解ってたはずなのに。まだ、実感が無い。


(本当に俺を、王扱いしてくれている)


俺に、仕えてくれている。この信頼を、俺は裏切りたくない。頑張ろう。


「……私が聞いていたより、良い主従のようですねお二人は」


リオさんからの意外そうな声に、何故かジャンヌが一番誇らしげ。


「そうです教官! 我がカーネフェルが誇る、最高の騎士と優しき王ですから! 」

「そんな煽てても何にもならないよ、ジャンヌ」

「何かにして下さい、アルドール! 」

「ジャンヌ様、それは……」

「まぁ! ランスまで笑うんですか? 」

「この状況で笑えるのだから、貴方がたは大物なのかそうでないのか解りませんね……」

「すみません、カーネフェリーの気質らしいです、それ」

「国民性を謝罪する必要は無いでしょう? それ自体は悪いことでは無いのですから若き王」


リオさんは俺へむかって苦笑の後、話を引き戻す。


「この島を見てお分かりでしょうが、第四公は純血至上主義者ではありません。美しい者は美しいだけ価値がある……そう考える側ですね」

「確かに……混血と純血が仲睦まじく歩いていますね。いえ……数が、おかしい」


数術で身を隠しながら街の様子を窺う俺にも、おかしな点は見えてくる。


「その通り。アレは主人と奴隷の関係です。ですが愛玩動物としてであれ、媚びを売れば生き延びられる。生きるというだけで言うなら、ここはセネトレアの中で最も混血に優しい場所でしょう」


嫌悪感を顔へと出した俺達に、リオさんは“ここはまだマシな地獄”だと言ってのける。つい視線がギメルの方へと向いた俺だが、町を眺める彼女の瞳も僅かな翳りと憂いを浮かべている。


「第四公が今どこにいて、どんな姿をしているか。それは我々にも解りません。最悪の場合、保護した奴隷の中に彼女が潜んでいる可能性も」

「彼女は視覚数術、変身数術が扱えるのですか? 」

「もっと悪質な物です、ランス様」


それだけ呟き、リオさんは……それ以上数術については語らない。代わりに彼女が語るのは、第四公の人物像。

第四公は謎の多い人物だ。年齢不詳、性別不明、議会に出るのは偽物だという話もある。リオさんは、そんな風に話し始めた。それはセネトレア女王が簡単に要職を血祭りに上げてしまう所為であり、それを彼女が台頭する以前より認識していたから……というわけでもなく。


「第四公は女公爵。面倒な立場だからこそ仕事を他人任せで、自身の快楽を追求した結果が……この島です。よくご覧下さいアルドール様」

「リオさん……」

「イグニス様がギメル様を派遣したのは、回復以外の意味もあります。上陸するのが第五島でも第四島でも、彼女は必要になったでしょう。第四公は、毒使い。それも質の悪い毒を生産する魔女です」

「毒……ですか? 」

「そうですね。有毒性、依存性の強い媚薬と申しますか……、え? 何か? 」


俺とランスとジャンヌが固まったのを見て、リオさんは面食らったような顔。

俺はイグニスみたいに人の心は読めないけど、全員が全員……トリシュのことを思い出していたんだと思う。彼が生きてここに来ていたならば……大喜びだったかな。


「確かに我々カーネフェル軍は、毒への抵抗力が低い。毒を薄めて中和する水の力が必要なのですね」


俺達の中では最も数術に秀でたランスのみ、いち早く理解を示す。


「第四島は、火の元素だけではなく……土の元素に満ちている」


大地と火山の関係性。地震と噴火。この土地は二つの元素が共に優れた場所なのか。そうだ、そう考えるならこの場所はギメルにとって最悪で……最高の場所?


「水のカードは、土の元素と相性最高……元々セネトレア自体、土の元素が多い土地。戦が長引くのなら、幸福値の差で……刹那姫を打ち負かせるか」

「ランス……それは」


奴隷の保護と第四島の守りの要はギメルになるということ?

元々この作戦は、回復数術の使い手と、火山に働きかける火の上位カードが必要になる。火と相性最高なのは風だけど、風カードであるジャンヌは元素の加護がなく、元々数術使いでもないために意味が無い。そして敵の裏を掻くために、ここに残るのは……俺では駄目だ。


(ギメル……)


やっと君に会えたのに、こんなに早く。まだ大した話もしていない。それなのに、別行動だなんて。


(何、考えてるんだ俺! しっかりしろ!! )


俺は王だ。国の命運が掛かっている。私情を挟めない。


「回復は、シャトランジアの皆さんに。俺も回復は出来ます、それに上位カードでもある。精霊数術はアルドール様には心得が無いでしょう。他者への的確な指示という意味でも、残るのは俺であるべきです。そして俺が、アルドール様をこの島に隠し守っていると思わせるのが大前提」


俺の表情に焦りが出たのに気付いたランスが助け船を出す。しかしすぐにジャンヌが反論を繰り出した。


「無茶ですランス! 貴方と彼女なら良い戦が出来るでしょう! いえ、簡単に打ち負かせるかも知れません! しかし何か一枚彼方に付いただけで、簡単に戦況は覆る! コートカード一枚も無しに貴方をここには残せません! 」

「コートカード一枚で、アルドール様を守れると思うのですか? 」

「!? 」

「ルクリース様、イグニス様……ユーカー。コートカード三枚で、彼をローザクアに送り届けることも骨が折れたのです。その内、一人は都を見ることが出来なかった。これが現実ですジャンヌ様! 俺達は既に、手札が足りていない!! 」


コートカード二枚が俺の守りに。カード三枚で都へ向かう。ランスとシャトランジアの聖十字達が第四島へと残る。ランスの決定は、俺の決定だ。ジャンヌが俺を見るめるが、ランスの言う命を賭した最善に、俺は何の言葉も浮かばない。唯一浮かぶのは、去り際に交わす挨拶だけだ。


(ランス……死なないよな? 死ぬつもりなんか、ないよな? )


あんなユーカーを残して、いなくなったりしないよな。握りしめた片割れの剣から、応じる彼の心を俺は聞く。そして俺は彼の目を見る。

出会った日と同じように優しげな笑み。彼の青に今、死に急ごうとしていた焦りは見られない。ランスは言った、俺に“未練”を。俺に心を話してくれた。死なせない。死んで良いはずが無い。俺も、彼もだ。不戦勝なんてきっと貴方は望まない。俺も彼も……彼女も生き残った先での話。はじめて彼の口から、“死”以外の夢を告げられたのだ。

見上げる俺を彼も真っ直ぐ見返した。誤魔化したり逃げたりしないんだな。今の貴方は強い騎士だ。空っぽじゃない。コートカードが傍に居るなら、貴方は卑劣な罠にも負けないだろう。


「俺は、ランスを信じるよ」

「それでいいんですかアルドール!? 」

「いいんだジャンヌ。ランスはもう、俺に嘘は吐かないよ」

「しかし」

「国を仲間を大事に思うのは、ジャンヌの美徳だ。だけどジャンヌが彼を仲間と思っているのなら、俺の騎士を信じて欲しい」


彼こそが俺の誇りだと、俺がジャンヌに伝えると……しばらく押し黙った後、彼女はほんの少し恨みがましく俺を見る。


「……貴方はいつもそう」

「え……? 」

「和を尊びすぐに周りに折れるのに、私とはいつも貴方は」


ああ、そうだ。出会った日からそうだった。彼女の信じる信仰と、俺は対立するようなことを口にしたのだった。

思えば不思議な縁。俺は思ったことをあの時彼女に言えていたのに、こうして近くに居るようになり……何時しか言葉を遠ざけていた。怖がったり壁を作ったりしてさ、彼女はあの日の俺を知っているから、俺の言葉にどんなに辛い思いをしただろう。


「ではここには私とランス様が残ると言うことで、異論はありませんね」


リオさんがそうまとめ、ジャンヌも渋々頷いた。その時だ。


「あの……」


話を遮るよう一人、恐る恐る手を上げた者がいた。


「私を、信じて貰えるのなら……なんだけど、です、けど」

「ギメル様? 」


リオさんの驚く顔と言ったらなかった。しかし彼女がそう出るとリオさんですら把握していなかったなら、俺達はそれ以上に驚いた。


「第四島に、残るのは私にしてほしいの、……です、カーネフェリアさま」


自分ならランスの代わりも務まるのだと、彼女は俺達へとそう告げる。俺にはとても信じられなかったけど、ギメルは既に心を決めた瞳で、じっと俺を見返した。



「な、何を言ってるんだギメル!? 」


話を白紙に戻されて、アルドールもランスも驚いている。その横で、リオ教官だけが複雑そうな顔。いや……きっと私も同じ顔。


(ギメル……様)


たどたどしい彼女の言葉、その意味を……私達が理解するにはしばらく時間を費やした。彼女はこう言っている。女王二枚を攻めに送り込むことは出来ないと。


「奴隷のひとたちを守るためには、強いカードが残らなきゃいけない」


女王二枚で奴隷を守る。民の犠牲を出さない。そう考えたところで全ての奴隷達を引き連れ都へはいけない。進軍が遅れれば犠牲は増える。彼らを囮に私達だけが都攻め? それは私の言葉に矛盾する。それは私も解っている。ならどうするか? そこまで思い至ったら、私が残ると私は言う。それを見越してギメル様はそう言ったのだ。


「どのくらい兵を割くかはあなた方が決めることだけど、回復出来るのは私と使節の人達、それから……ランスさま。使節団の人間を半分ずつに分けても、そこにカードは居ない。だから私とランスさまは、攻めと守りどちらかを請け負うことになる」


そう、だから。だからランスをここに置こうとした。それでも彼女は言うのだ。第一島へ行くべきはランスであると。


「……それは、兄君からの指示ですか? 」

「違うよ。だけどお兄ちゃんがここに居たら、たぶん私と同じ事を言う。……言わないかも。言わないで、同じ事にはなると思う」


イグニス様とギメル様の違い。それは隠すか正直か。イグニス様は思惑通りに人を動かすそのために、言葉や行動を選ぶ。しかし彼女は、真っ直ぐに……私達の心に訴える。

イグニス様の嘘に惑わされたアルドールとしては、今これほどまでに強く響く言葉はないだろう。そして、それほど辛い言葉も。平和そのもの、そんな笑みを浮かべる少女には、似つかわしく不釣り合いな言葉の羅列。私は戦い聖女と呼ばれるようになったが、彼女は戦わないことで、そう呼ばれるようになる人間。

まるで天使のような……だけど、どこか化け物じみている。優しい彼女はアルドールを傷付けるようなことはしないが、それ故彼女はアルドールの心を深く抉り取って行く。良くも悪くもアルドールを、道化師以上に振り回す大きすぎる存在だ。


「私達なら、混血には数術教えられるの。だからリオさん……」

「ギメル様っ!! いけません、それはっ……」

「リオ……ううん、“プロイビート”、あなたはカーネフェリアと共に第一島に。そしてこの戦いの行く末を見届けて。それがお兄ちゃんからの、伝言」

「聞けません!! 」


せめて自分もこの第四島へ、残る物だと考えた。そんな教官の考えをばっさり切り捨て少女は笑う。兄君からその権限を、与えられていると伝える笑顔で。


「じゃあ、“命令”」


取り乱し、必死に彼女を止めようとするリオ教官。彼女が狼狽える様に、私の心もざわついた。いや、私だけではない。唯ならぬこの様子に、船内の人間全てが固唾を呑み見守っている。


「アルドールのいう、りっぱな王様は……私達、奴隷を見捨てなかった。見捨てようとしたかも、でも貴方は周りの人の言葉で私達を助けることを忘れなかった。ありがとう、カーネフェリアさま方。だからわたしも、そんなりっぱなカーネフェリア様の目指した姿を守りたい」


容易なやり方ではない、困難でも理想に近い道を選んだ。それは愚かな選択だ。しかしそんな彼だから、ギメル様はアルドールを王と呼ぶ。

本当はもっと親しい間柄。壁を作ったのは共に。それでも今その壁を説くのは彼女。彼女はその壁ごと彼を愛しげに誇らしく語る。アルドールがランスのことを誇るような目で。

私が彼に折れたよう、今度は彼が彼女に負ける。


「俺は……君と、イグニスのためにカードになった。王にもなった」

「……うん」


彼が願ったそもそもの目的が、願いが手から溢れる辛さは如何ほどか。それは私がカーネフェルを失うことと同じ。アルドール……星降る夜の貴方の国は、貴方と彼と彼女しかいなかったのだから。


「それなのに、俺は君を守れない……」

「違うよ。名前と顔と姿の違う私達を助けて、アルドール。その子達を、私とお兄ちゃんにしないで」


許して欲しいと口にする、王を彼女は罰さない。過去より未来を守れと口にする。


「“アルドールさま、ランスさま、ジャンヌ様……リオ。あなたの祈りに祝福を”」


それは何かの数術か? 私の耳に聞こえる数術反応。彼女の紡ぐ言葉には、僅かに歌う音が聞こえた。


「ギメルっ……」

「!? 」


微笑む彼女を前に、耐えられなくなったのか。アルドールは動いた。何処に? 彼女に近づき抱き締める。


「アルドール!? 」

「い、いけません奥方の前で! 」


私もランスも驚いた。リオ教官もたぶんそう。どれが誰の声だったかも解らない。

人を遠ざけたがるアルドールが、自分から誰かにそうするなんて信じられなかったのだ。いや……それだけ彼女が、大切だったのか。


「アルドール……トリオンフィは、君が誰より好きだった」

「……うん」


これは愛を伝えるためではなくて、別れを告げる儀式なのだと気がついて……私は二人に何も言葉をかけられない。

変わらないギメル様。変わってしまったのは、アルドール。彼女とそっくりの道化師に、恨まれ憎まれることで、愛したはずの人への心が変わってしまった。変わらぬ笑顔をくれる少女に、同じ気持ちで向き合えない辛さ。

恐れているのだ。変わらないままの無垢な瞳を前に、変わってしまった自分が触れること。本当は、もっと強く抱き締めたいのにぎこちない。まるで人形。人間じゃない。こうして抱き締めたところで、彼は口付け一つ出来ないだろう。私を前にした時以上の恐れを持って。

人間になりたがる。本当はもう人間になってしまっているのに、そんなことにも気付かない。そんな貴方を見ていると、私の胸は騒ぎ出す。

世界に転がるものよりも、美しい物を貴方は見ている。追いかける。本当は何も変わらないと知っていて、それでも貴方は探している。自分が愚かで醜く汚いと思っているのでしょう? 誰も傷付けたくない、汚したくない。そんな風に泣く貴方を前に、痛む胸。友と国へ捧げる以外の愛なんて、剣を手にしたその日に捨てた……そのつもり。つもりでしかなかった。

そうやって悲しみ涙する貴方は綺麗だと思う。だからそんなに泣かないで。愛される資格がないなんて言わないで、止めて。私が貴方を知りたいと思ってしまうから。


「でも、アルドールは死んだ。トリオンフィ家と一緒に死んだ」

「うん……」


母のように姉のように……泣きながら言うアルドールの背を、彼女は優しく撫でている。彼女の澄んだ瞳には様々な色が見て取れて、その全てが何かしらの愛であるようにも見えるけど、全てまとめて名付けるなら慈愛。人間で、なくなってしまったのは……今は彼女の方だった。彼女には何の衝動もない。生きる欲がない。既にその目は死の内にある。しかし絶望などせず穏やかに、その表情は天が作った物のよう。


「でもっ……君がいたから俺は、星が降るまで生きられた。君がいてくれたから俺は……」

「“みんなに、会えた”? 」


悲しい言葉を遮るように、少女が優しく微笑んだ。アルドールにとって、彼女が生の支えだった。こうして触れてその無事を、ようやく自ら確かめられて安堵しているアルドール。これから自分や彼女は命を落とすかも知れない。その前に、こうしたかったのね。


「いってらっしゃい、アルドール」


子供を優しく諭すよう、少女が彼の腕を外させた。腕から失われていく感触に、これが現実か夢かもわからなくなりそうな彼。そんな彼の頬を一度抓って、しっかりその目を覚まさせる。


「な、何するんだよジャンヌ! 」

「いいえ、……お帰りなさいアルドール」


私の言葉の意味に気付かず、彼は不服そうな顔。理不尽な暴力だと思ったの? 


「はやく終らせてしまいましょう! この戦が終ればまたギメル様と語らうことは出来るのですよ! 」


私、そこまでは嫉妬はしません。我慢します。だって彼女は貴方の……神にも等しい人でしょう。愛していても、愛し合えない。そういう対象に畏れ多い神聖。


(私は……)


私は僅かに安堵する。祭り上げられた私がただの人間だと貶められるようなことでも、貴方と同じ場所から見つめ合える、“ただの人間”に過ぎないことを。

視点変わりまくりで申し訳ない回。描写少なめなところは他編で明かしたり、伏線だったり。

アルドールのイグニスギメルに対する気持ちは、再会後に次第に入れ替わってる気がしてならない。

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