85:A fronte praecipitium a tergo lupi.
「ジャンヌさま、あのね、あのね! 」
いつの間にかアルドールとランスの姿が見えない。この子と二人きりと気付いてからは、これまで以上に空気が悪い。感じる居心地の悪さに、自分もここから去りたいとさえジャンヌは思う。
(だけど……)
これは何かアレは何か、質問ばかりで会話を作るこの少女は、先入観さえなければ無垢なもの。敵意を抱く此方が参ってしまう。とはいえ、いつ本性を現し道化師として襲ってくるか。一瞬たりとも気が抜けない。そんな風に固まった私を見、何も解っていないままへらへらと彼女は笑う。アルドールの脳天気さのはこの子由来か? 二人の違いはと言えば、意識するかしないかで、彼女の場合はその後者。この船が何処へ行くか知っていて、随分と緊張感がない娘。
シスターギメル。それは果たして嘘か真実か?
「聞かせて、いただけませんか? 貴方がたのことを」
それがこの子の正体を見極めるヒントに変わる。そう考えて私が聞いた。アルドールとイグニス様、そしてこの子の繋がりを。彼女はそれを拒むことなく、笑って求めに応じてくれる。
「アルドールのお家に、庭に? 私が迷ってね、そこで迎えに来たお兄ちゃんと会ったの、アルドールも! 」
「その頃のアルドールは、どんな子でしたか? 」
「……今と、ちょっと似てるよ。でも少し違う」
「今……? 違う? 」
「どっちも、人形。でも違う人形」
「な、何を言い出すんですか!? 」
この子は何を言っているのだろう。仮にも彼の思い人?で、貴女自身彼を思っているようなのに。普通、好意を抱く相手をこんな風に語るものなの?! 私もその辺りは得意ではないが、私だってこんな言い方はしない。
「あの時のアルドールは、悲しいことが解らないのが悲しくて。悲しいことだって、それを悲しいと思えるなら嬉しかった。人間になりたかったお人形。今のアルドールは……悲しい目。でも悲しいっていうのを表に出さないように、隠した人形。“誰か”は違う。でも今もあの頃も、誰かに望まれる人形であろうとしてる。逃げようとしてる。でもそれも人形」
心がなかった。そう告げられて思い出すのは、シャトランジアで見たアルドールのこと。初対面の私を恐れず物を言う態度。暴力を振るわれても、それが苦ではない人好きの人形。他人の感情に触れることを好む様は、人に近付こうとしている学習行動? 感情表現豊かなユーカーやこの子を気に入ったのもそういうことで? この子が語るアルドールは、それ以降に変わった者なのか? そうだと仮定するなら、アルドールを変えたのはやはり……人の死だ。
「お兄ちゃんはね、私と同じで、私と違う。本当はずっと傍に居たい。だから一緒に居られない。アルドールが大嫌いで、大好き。私はそんなお兄ちゃんもアルドールも大好き」
「貴女は、大好きで……大嫌いではなくて? 彼とは同じで、違うのでしょう? 」
「アルドールが私を嫌いじゃないなら、その間じゅうずっと、私は嫌いにならないよ」
「アルドールが……貴女を、嫌いになったなら……? 」
「その時は……一緒に居られない。だって、嫌いな私が傍に居たら、アルドールは嫌でしょう? アルドールに、嫌な思いはさせたくないもん」
言葉の裏から「それでも好き」だと、聞こえた気がする。
(アルドールは……こういう子が好きなのか)
確かに可愛い。しかし外見だけならイグニス様と大差ない。ならば内面? 無邪気で健気ではある。脳天気に笑った顔は、暖かく……平和を絵に描いたような少女。戦いに身を置く私とは対極の存在。この子とイグニス様が何より大事な人だとアルドールの口から何度か私は耳にした。しかしこの子と比べたら……道化師の方が余程艶のある表情をする。こうして接していると、この子はもっと年下に思える。それこそパルシヴァルやエフェトスと大差ないくらいの……いや、あの子達の方がむしろ……って嫌だ何言ってるの私!!
(セネトレアに、売り飛ばされた……この子と、イグニス様が)
許されないことをした。そう言ってアルドールが泣いたことがある。
「貴女は、アルドールを恨んでいないのですか? 」
「え……? 」
唐突に私が告げた言葉の意味を、何とか理解しようと彼女は必死に考え込んでいる。
「アルドールが、私とお兄ちゃんに……悪いことをしたわけじゃないから」
彼女が捻りだした答えは、そういうもので。それが彼女なりの要約だった。詳しいことを語るには内容が膨大すぎるのか、或いは思い出したくもないことか。彼女自身、何処から手を付けたら良いのか解らない様子。
(この子は……)
アルドールを恨まない、それは彼を嫌う理由が無いと言うこと。好きなんだろうか、今もまだ。セネトレア女王とは対極のような存在。私は私なりの正義を持ってはいるが、祈りではなく剣を選んだ。一瞬でも、勝ち負けで人の繋がりを考えたなら、その瞬間にこそ敗北はやって来る。少なくとも、そう思った人間の胸の内には。
(そうよ、だってこの子は……)
「今の……そして先日の無礼を、謝罪します」
幼すぎる、ギメル様。これがセネトレアで受けたことの反動によるならば、私の罪でもある。二年前なら既に私もシャトランジアに居た。学校も終え聖十字に入隊し、海上警備に就いたばかりの頃? それでこの子を守れなかったのは、私がシャトランジアの庇護を受けながら、カーネフェルばかりを見ていたからでは? 個人的な感情で、私は酷いことを言ってしまった。守れなかったのを、間に合わなかったのを……この子の所為だと口にした。
この子が本物だとすぐに信じられたら。いや、あの状況において、あの判断が誤りだったとは思わない。これが道化師だったなら、刺し違えてでも始末をしなければならなかった。それでもその結果が、最悪の事態。正しい判断が、最善の結果に繋がるわけではないのだと、私は痛感している。
正しくないやり方が、危険を招く方法が、最も少ない犠牲で済む道ならば。私が信じる正義とは、一体何なのだろう。英雄や、聖女などと煽てられ私がしがみついた道とは……
最初はこんなはずではなかった。誰かの代わりに剣を取り、誰かを守れるならば幾らでも罪を被ろうと……そう繰り返したはずなのに。私が汚名を被ろうと、その結果が平和に繋がるならば、私が汚れることこそが正義なのではないのか? 私は何も変わらないつもりなのに、それは人々が望む私とズレて来ている。私は正しきやり方で、もっとも多くを救わなければそれはもはや私ではない。
「大丈夫だよ、ジャンヌさま」
私の心などわからないだろうこの子は、それ以上に自分の立場を理解しているのだろうかも怪しい。彼女自身、シャトランジアの最高権力者の身内。立場としては私と同程度? 一応は私を王族として敬称を用いるも、そんな身分の人が子供が子供をあやすように笑って頭を撫でるというのはどうなのだ。
「私のことは、気にしないで。アルドールも……大丈夫だから」
「何を、仰っているのですか……? 」
「私はいなくなるために、ここにきた。だからあなたは……アルドールと、カーネフェルを守って」
「!? 」
あなたの信じる物は間違っていない。汚名ならば引き受けようと、そんな瞳で彼女は言った。
(私と同じ強さのカードが、セネトレアに死にに来た!? シャトランジアの切り札に等しいこの子を、犠牲にすることを、あのイグニス様が決めたというの!? )
「貴女は、それを命じられ……受け入れたというのですか!? カーネフェルは、貴女の国ではありません! それなのに、何故!? 」
私はカーネフェルのためなら死ねる。だけどシャトランジアのためには死ねない。聖十字を飛び出したのも、恩を仇で返したのも……全ては祖国を愛するが故。けれどこの子は、愛しても居ないカーネフェルのために死にに来たのだ。彼女の行動原理が解らない。
(まさかこの子も、エフェトスのような……戦闘、兵器? )
外見より幼い言動、時が止まったようなその姿。そして混血という恐るべき種族。だけどあのこと違うのは、この子の目からは確かな意思を感じる。決意や覚悟と言った重みを。その刹那、聞こえた歌声。響いた数値の気配。
「あの……、あなたは! わ、私……私は何てことをっ! 」
私の質問を受けた彼女と同じで、今度は私が混乱してしまう。信じるに足る証拠は得たけど、浮かび上がる疑問に疑問。誰かにこれを正しく伝えられる手段も私には、おそらく無いし、証明も信じても貰えない。私の頭がおかしくなったと、アルドールでさえ、そう思う。
「“生きてね、ジャンヌ様。アルドールを、お願い”」
笑って彼女が私の手を握る。託されたのは、大きな思いと小さな重み。私が言葉で応じる前に、彼女は笑って扉の外へ。振り返ったときには、旅を喜ぶ少女の顔で、再び私に微笑んだ。
「風が、気持ちいいよジャンヌさま! お外に出ない? 」
「……あまり、はしゃぎすぎないで下さい。回復の使い手が倒れたら、誰が治すのですか? 」
「う、……えへへ。優しいのね、ジャンヌさま」
「私は別に、そのような……」
「私、ジャンヌさまも好きよ? 」
好きが“大好き”になるまでの、時間が残されていない。今の言葉をそう受け取った私の顔が曇るのを見て、彼女は少し困った様子。だからか再び誤魔化すように、彼女は柔らかく笑うのだ。
*
船旅は滞りなく、翌日の夜にはセネトレア第四島プリティヴィーア付近まで私達は辿り着いた。シャトランジアから最も近いのは南端に位置するセネトレア第五島ディスブルー。しかしカーネフェルからとなると……セネトレア東端にある此方が無難なところ。
(ですが……)
それ故、悩ましい。
「第四第五島からの上陸は、読まれている。対策も講じられているはずです。いっそ、予測できない方から……第二島グメーノリア第三島アルタニアから上陸するのが無難では? それかいっそのこと第一島に乗り込んで! 距離自体は燃料も物資も問題ありません」
「ジャンヌの言うことももっともだ。ランスはどう思う? 」
私の発言に、アルドールは騎士を呼ぶ。
「言いにくいのですが、海戦のため兵が割かれているとは言えど……セネトレアは一筋縄では行きません。第五島は造船技術に優れた地。海戦へと向かうため守りも固められている。王都ベストバウアーは城の背に険しい山脈があります。回り込み城だけ落とすという策は……今この船にいる数術使いの誰であっても不可能。上陸ならば第四島でしょう」
「一度他の島に入る理由って、物資のためだけじゃないよな? 」
「はい。双陸殿と同じです、アルドール様。王を暗殺で討てば一時的に戦は終わるかもしれません。しかしすぐに始まります。味方のいない戦いは、戦いを呼び、混乱は続きます」
「セネトレア人自体には愛国心なんて無い。だけどセネトレアの民にも、カーネフェルに勝って欲しいと思われなければいけないってこと? 」
「此方はシャトランジアと組んでいる以上、味方に付けるならば商人ではなく……奴隷達の方ですね。我々がこの第四島に行かなければならない理由もそこに在ります。奴隷を味方に付ける、奴隷には混血も大勢居る。戦力強化にはなりますし……足止めにも」
今は海と第五第四第一島に兵が分散されている。それでも第一島の守りは堅い。しかしその何処かで援軍が必要な事態になれば、第一島にも隙が生じ、乗り込むことが今よりずっと容易に。
「第四島の混乱に乗じて、第一島ゴールダーケン……王都ベストバウアーを叩く、か」
奴隷を救い、奴隷を犠牲にする策に……アルドールの表情も曇る。
「俺達が最速で都を落とせば犠牲は最小限で済みます。カーネフェルシャトランジア、そしてセネトレアも」
「奴隷達を懐柔するための策は? 」
「アルドール様、貴方のことを……組み込んでも宜しいでしょうか? 」
「……! 俺が養子奴隷だったこと? 」
「ええ。それだけで足りないなら……それ以上も」
ランスは一瞬ギメル様へと視線をやった。その意味に私は気付いて落ち着かなくなる。
「貴方はカーネフェルのためと言うよりは、イグニス様とギメル様……混血奴隷の解放を願った気持ちの方が強いようです。そして貴方ご自身の身の上は、彼らの心に響きます! イグニス様が妹君を我々に預けたのも、そのためでは……? 」
「……俺は誰もが夢を見ることが出来る国を願ったよ。一瞬なら夢を見せることが出来るかも。だけど確実に……何人か、ううん、……何百、何千という人は夢だけで俺のために死ぬんだろう。どうせ死ぬなら。どっちにしろ辛く苦しいだけなら、夢なんか見ない方が良かったって……思わないかな」
「お忘れですか、アルドール。ここには女王が二人も居ます! 」
犠牲を受け入れるまでの確認作業のように、紡ぎ出された彼の弱音を私がばっさり切り捨てる。アルドールに見せつけるよう、彼女を思い出させるようギメル様の肩を掴んでだ。
「これが普通の戦ならば貴方が憂いた事態は逃れられない。ですがこれは、神の審判! 私をお使い下さいアルドール! 私は国を、民を守るためにカードになった。貴方がこの国を征服するというのなら、味方に付いた者は私達の民! 私が守るベき相手でしょう! 」
「ジャンヌ!? 」
「ご安心を。私は死にません。当然でしょう? あんな情けない挙式、私は大変不満です。ですからセネトレアを平定後、やり直しを求めます」
「えっと……ジャンヌ、さん? 」
「貴方から私にキスをしてくれるまで、私は貴方を夫とは認めませんからそのように」
突き返した指輪も触媒。彼には必要な物だろう。私から彼の指へと返す。
伴侶でもないのなら、貴方の命令に私が従うとは限らない。今この場でそうする勇気も無いアルドールだもの、言い返せたりはしなかった。
私を本当に愛して下さるおつもりならば、まさか私に惨めな思いをさせたまま死なれるなんて思いませんよね? 少なくとも、このままでは情けなくて死ぬに死ねないという私の強がり。それを当人である貴方が否定なんて出来ませんよね?
「ランス! 私は貴方の策に乗りましょう! これが最も犠牲の少ない道なのですね? 」
「俺の、命に代えても必ずや……! 」
「……解りました。私もそれを信じます。アルドール……」
「…………わかった。それで行こう」
カーネフェル側の決定に、シャトランジアの者で異論を唱える者は一人も居なかった。唯一人、ギメル様だけが……その時少し沈んだような、悲しい目をしていたのが気がかりだった。彼女には未来が見えない。それならばその瞬間、彼女は何を見ていたのだろう……?
*
不可視数術、防音数術を駆使し、俺達の上陸はひっそりと行われた。
戦闘用数術船……もとい数術艦はセネトレアに奪われても困る。動かすのに必要最低限の人数だけを残し、最後の仕事を任せて再び海へと向かわせた。
セネトレア第四島プリティヴィーア。読まれていてもここを上陸地として選んだことには意味がある。
「はぁ……」
「そう緊張なさらないで下さい、アルドール様」
「解ってるよ、ありがとうランス。まだ……これから。まだ何も始まっていないんだよな」
俺の言葉で落ち着くような人ではないが、笑みを作る余裕はあるか。強くなった……、強くあろうと努力している。この方はこの方なりに、王の姿に近付いている。それがカーネフェルのためになるならば、そんな故郷を一秒でも長く見ていたいと思う。死に急いでいたかつての自分を思い出し、悪くはないなとそう思う。
甘えろと言われ吐き出した。洗いざらいぶちまけて、胸のつかえが取れた。そうさせてくれたのは、アルドール様の優しさだ。
(迷いは、ない! )
今ならばどんなカードにも負けない。命を燃やしこの剣を振るおう。
(お前も力を貸してくれるよな、ユーカー)
死ぬのは怖く無い。だが死ぬとは思えない。この剣がある限り、お前は俺を死なせない。何よりの、置き土産だよ。お前が壊れかけながら、道化師の力を込めた剣。これさえあれば俺はもう、守れなかったと悔やむことはないだろう。
「それにしても……本で読んだことはあったけど、凄い島だなここは」
戦争が始まったというのに、そんな様子を感じさせない第四島に、アルドール様は戸惑い気味だ。侵略する側になっての戸惑いもある。それもそうか、ここは一見平和な島なのだ。これからその仮初めの平和を壊すのが俺達ともなれば、迷う気持ちもあって当然。街にはこんな夜でも淡い灯りが灯り、客引きの声があり、繁華街は賑やかだ。それでも目を凝らせば、人と人とが溢れる街はなく、主と奴隷が行き交う歪なところ。倫理も価値観も砕け散るような奴隷王国セネトレアの、入り口。
「はい。第四島は火山島からなる温泉街。観光資源豊かな島です」
「炎の元素がたくさん、か。俺達クラブのカードには悪くない場所ってことだよな」
外的要因、元素が豊富。精霊の力を増幅させるにもここは良い場所だ。その点砂漠や荒れ地の広がる第五島は土の元素以外は不向き。陽射しによる火の元素もあるにはあるが、ここには格段に劣る。
「ですがアルドール、ランス、油断は出来ませんよ? ここは……セネトレア女王にとっても、最高の場所。数術使いの入れ知恵があれば、ここで仕掛けてこないはずがありません」
「!?」
「アルドール? 」
「だ、大丈夫かギメル!? 」
思い出したように、幼なじみの少女に駆け寄るアルドール様。大丈夫だよと微笑む彼女は暑さからかやや薄着。礼服では熱いのか。それだけでもなさそうだ。
「そうか……! ギメル様は……」
彼女はハート、水属性のクィーン。この第四島が、最悪の地。土との相性最高が水、第五島の方が彼女の場合は有利だったか? いや、コートカードは元素の加護を受けない。だが彼女は元から数術使い。ならば元素も大いに働く。
ジャンヌ様は元から普通の人間。数術が使えないコートカード。ならば元素に左右されない分、第五島の上陸が正解?
(失策……? そんなことが、あって堪るか!! )
俺達は彼女を道化師と疑うばかり、貴重な駒としての配慮が欠けていた。折角のクィーンカードを、こんな場所では腐らせる。ここは彼女を温存し、第一島で大いに働いて貰うか。俺の失態だ。彼女のことは俺がカバーしよう。
「それよりはやく、奴隷を助けるんだよね? ランスさま、いい考えはありますか? 」
「そ、それは……まず我々が戦闘を開始し」
「リオさん、あの子を」
「はっ……! 」
ギメル様の求めに応じ、女性隊長の傍に燃える数字を纏った精霊が出る。
(精霊が!? )
これまで何処にも気配がなかった。今生まれた? エルスのように作った? 違う。どこからともなく、取り出した!
「この子は情報数術系の精霊。属性はここに合わせて火。島中に聞こえるような放送数式ができます。それで従わないようなら……威嚇であれを。ランスさまの考え通りに使って良いと思います」
「その前に、逃げてきた奴隷が駆け込む場所が必要でしょう。陣はどちらに構えれば宜しいか? 」
「そうだな、水の元素もある沿岸が良いんじゃ無いか? この街を落とし本陣を」
「しかし、それでは些か他の街から遠い気もします。奴隷の保護、兵力増大にはなるべく中央寄りが……海から回り込まれ挟撃の恐れも減りますし」
「中央って言うと……火山があるな。この山の辺りも王都同様山脈がある。簡単には攻められないけど……逃げるのも、簡単ではないよな」
「移動しながら吸収し、進むとなると……速度も落ちます」
「……ランス、どう思う? 」
意見が出そろったところで、アルドール様が俺を呼ぶ。この信頼を、決して裏切るわけにはいかない。
「まず、最初の一手ですが……これはここでやるべきでしょう。海からの援軍は不可能と思わせるためにも、見せつける必要が」
(……待て、そうじゃない)
逃げて来る奴隷を待つ、という必要はないのだ。敢えて一度都を捨てたイグニス様の奇策のように、理責め以外の答えを探す。
「この第四島その物を、捕虜に変えましょうアルドール様! 」
*
「刹那様っ! 」
「ふむ、ようやく来おったか。して、どちらに? 」
「第四島です! 」
シャトランジアとの海戦は囮。カーネフェルはこそこそと妾の首を狙いに来たか。さっさと来れば良いものを、わざわざ第四島に降りたというのだからまったく呆れてしまう。
(いや、早すぎるというもの。これが数術というものの力か)
八月も下旬に差し掛かり、妾が都に戻ってまもなくという頃、もう攻め込んできたというのだから。此方は指示を出すにも一苦労。最低限の命令は与えておいた、後は現場の判断に任せるのが良いだろう。
(相手は教会兵器。正面から挑んでも勝ち目はない。彼方が時間稼ぎなら、此方も適当にそれに付き合うのみ)
「戦場に帆船を出すとは思わなかったか、シャトランジアよ。風を制する者が海戦を制す」
如何に其方の船が速かろうとも、海における風の力は偉大だ。
「ふふふ、実に良い船を仕立てたな。褒めて使わすぞ第五公? 」
「陛下からお褒めの言葉を頂けるとは、光栄です」
「こんなにも良い船なのだ、其方も妻や愛人のように愛おしく思うであろう? 」
「は、それは……もう! 全くその通りで」
「この船の指揮は、其方がやれ。良いな? 」
顔色の悪い老いぼれに、私は笑顔で言ってやる。この男何を思って、こんな面白い物を用意したのか。死にたくないのなら思いきり足掻いて貰おうぞ。
楽しめればそれでよし、私はこの海戦の勝ち負けに興味などは無い。どうせこれまで通り、最後に笑うのはこの私なのだから。
*
「イグニス聖下っ、こちらの船が沈められていきます!! 」
「……後退だっ! このまま誘い込め! 」
数術船は、触媒を消費して動く。しかし全てをそれで賄うことは出来ないし、技術が外に漏れても困る。故に、数術技術を船の主動力として活用する船は、カーネフェル側に貸したようなもののみで、多くは他の技術との併用になる。
敵に奪われても問題無いように作った数術帆船、数術蒸気船。これは物資が尽きた際、或いは風がよくない場合にも、数術で船を動かせるというだけで数術高速艇のような移動を可能とするものではない。
(女王自ら、先陣を切るか)
考えなかったわけはない。風の元素加護の厚い刹那姫が海戦に出る状況を。エルス程度でも船を沈めることが出来るのだから、上位カードのそれを思えば最悪……シャトランジア船艦全てが沈む。当然女王は風上を取ると思ったが、横風……こちらの転覆狙いとは!
積み荷で重心は低くし風の対策は取っていた。それでも船が沈むのだ、これは風の力だけではない!
(重心を、変えるとは……土のカードか!? )
重力にまで及ぶとは、何を連れてきた女狐め。
「……アニエス、姫か?」
セネトレア王家最後の生き残り。彼女は上位カードであるはずだ。ならば土の加護にも厚い。
女王が二枚。下位と上位の女王達が、表と裏とで暗躍している。幸福値ならば此方が有利、しかし元素ならば……話は変わる!
(彼女を生かしたのはこのためか、刹那っ!! )
Ⅱ如きが二枚で、このシャトランジアを苦しめるとは。懐に飛び込めば、下位カードは上位を殺せる。しかしそこに辿り着くまでの道のりの、なんと険しいことか。狙われるはずだよ、アルドールの馬鹿が。あいつ、あんなにフラフラ歩いてるんだからっ!!
「せ、聖下? 」
「水を取り込め!! 数術でも良い!! 」
狼狽える暇など無い。僕はすぐに指示を出す。数術併用船の利点はこれだ! 情報伝達の速さ!! 立て直しは幾らでも出来る!
後退速度は落ちるが、女王の妨害の及ばない距離まで下がらなければ。あの女のことだ。前線に出るとしても、安全圏から来るだろう。よって追ってくるのは、捨て駒だ。まずは二枚のⅡを分断後、各個撃破で攻め落とす!
(速いっ……ディスブルーの船か。技術を上げたな)
女王が風を吹かせているのは陸地から?
都を落とされても、女王は落ちない。美しい女王が来ることで兵の士気は上がるし、魅了効果も増すだろう。しかし彼女は国を守るためにここにいるのではない。国を民を何とも思わないから出来る芸当。
(それに……セネトレアにはまだ隠し札がある)
どう、転ぶか解らない。風は気まぐれ……僕の予言を覆すことも、起こり得る。
「聖下っ! 艦が沈んでいきます! 数術反応、これは……氷!! 」
「水まで操る、か!? ……違うっ! これは! 」
この真夏に、氷山だって!? しかも沈んだ艦は僕らより後方に位置する。挟撃を喰らった? ならば援軍はタロック? おかしい。相手方が数術で帰国したとしても、船艦を率いてくるには速すぎる! 双陸暗殺、エルス奪還より先に、この海域を目指したタロック船があったというのか?
風……土、水。陛下が、シャトランジアが僕を裏切った訳ではないようだ。アニエス姫は、そもそも……そうだな。あの境遇で、上位カードと言うわけがない! 水使いでも氷を扱うには複合元素の才がなければならないし、如何に土属性であろうと重力まで操るのは……単一元素のカードのはずがない。となれば相手は、元来数術の才があった人間だ。純血で第五元素の使い手、と言えば……僕の知る限り二人しか居ない。そのどちらもが、タロック人。では、タロックは……ここで出したか彼女を!?
「第二騎士、阿迦奢……っ!! 」
タロックが持つ、言霊数術にも似た……あの力。僕とギメルが引き継いだ、あの数術能力は……シャトランジア由来の力ではない。
名は、体を表す彼女の名前に及んだ力。道化師とは別の、僕らの天敵が……来て、しまった!!