84:Aliis si licet, tibi non licet.
「何かと思えば……最悪の知らせだな、阿摩羅」
「申し訳ありません、識様」
タロック天九騎士団のトップである第一騎士。それは長らく不在だった。それもそのはず……本来そこは殿下が収まる地位だったのだ。
セネトレアとカーネフェルの戦が始まった。その情報は送れて識の耳にも届く。両国がと言うことは……我がタロックの敗退は確かなことだ。
ようやく戻ったという
「遅かったのは、呪術師の不調か」
呪術師エルス……確かこの様では使えない。混血の少女も神出鬼没。今回は船での移動になったのだろう。数術に触れた者の末路が脳死か廃人。それはよく聞く話だが……混血がこのような様になるとは聞いたことはない。
エルスだった者は今や、満足に言葉も喋れない。此方に皮肉を言うこともなく、常に何かに対し脅えているだけ。
「そう睨むなって、アラヤ」
「レクス殿、幾ら第一騎士のあなたと言え、識様に馴れ馴れしい態度はお控え下さい」
「何言ってんだアマラ、お前だってさっきまで本家の愚痴散々漏らしてただろ。お前等どっちも識だろ、ややこしい」
「お、お控え下さい!! 」
「……なるほど、その件次の親族会議で詳しく伺おう」
「ひぃいいい! 」
「はっはっは、楽しそうだなお前らの所」
「楽しくなどありません! 」
我関せずと笑う男を相手に、他人事だと思いやがってと殺意を飛ばしている分家の阿摩羅。
「随分と派手にやられたようだな。カードの力とやらだけではどうにもならなかったのだろう? 」
「いや、向こうに強力なカードが多くてな。一対一なら兎も角、囲まれたら俺だってどうにもならん。それはエルスちゃんだって変わらねぇ」
「これでも風の数術ってので帆船を大分ブーストしたんだぜ? 」
確かに、通常の船より遙かに早い帰国ではある。しかしそれでももう、八月も下旬。まだ一国も落とせていない。このような様子で、間に合うのか?
「お前達も解っているはずだ。十二月までに」
「シャトランジアを表舞台に引きずり出した。セネトレアとぶつけて三国共に削り合わせる。タロックはセネトレアにちょっと力を貸してやるだけでいい。こっちはお姫さんを送り込んで、セネトレアを支配した。実質、こっちは国が二つある。この戦でシャトランジアとカーネフェルを不仲にし、連携を絶てば……後はどうなるか。あんたなら解るだろ? 」
タロックの勝利は揺るがない。勝つために敢えて退却したのだと男は言うが、その対価はあまりに高すぎた。
「天九騎士は曲者揃い、これでは勝てる戦も勝てなくなろう」
「あんたも含めてな、冗談だって睨むなよ」
「お前達の戻りがあまりに遅いのでな……海戦にはアーカーシャを出した。兵の士気も上がるだろう」
師団が持つ兵は一万から二万。何故天九騎士が、国の中枢にある将でありながら師団長に収まるのは単純な話。タロックには戦える者がその程度しかいないのだ。
そしてこれは、セネトレアがしゃしゃり出たとは言え、元々これはタロックとカーネフェルの戦争。時間稼ぎの戦いであっても、一師団くらいは派遣せねば顔が立たない。
「識様、良いのですか? 」
「構うな分家。あれも武人。今更女を盾にはするまい。自国の姫をお守りできるのだ、喜んでさえいたぞ」
「へぇ、秘蔵の女騎士様が海戦ねぇ。水も滴る何とやらか? 」
私がタロックを離れるわけにはいかない。まともに命令を聞く者で、尚かつ状況判断、武力に優れた者となれば……選択肢も限られる。
「噂の第二騎士が、第三騎士のあんたを差し置いて? 」
「名家の貴重な娘を送り込みたい阿呆がいるか?彼女自身の意思だ」
「どうだかね、あんたも罪な男だな」
「何?」
「議会派の第二騎士。それが議会派トップと言えど第三騎士のあんたに従うなんて、理由が在るに決まってるだろ」
「家名のため、阿迦奢は武勲をたてたくて仕方が無いのだ」
「うわー堅物だな。貴族の男ってこんなのばっかなのかよアマラ? 」
「レクス殿、当主殿に聞こえますからそれは後ほど」
「分家? 」
「は、はいぃいい! 」
責任が此方にあるような言い方をされるのは甚だ不快だ。
第一騎士レクス。此方が痺れを切らし、他の騎士を向かわせるのを見計らい帰国をしたな。本当にこの者は……味方だと言い難い。刹那姫に戦の……海戦の知識は無い。阿迦奢にも十分備わっているとは言えないが、彼女以上の適任は此方には居ない。
審判の一月前に、王の気まぐれで城に上がり込んできた第一騎士。それが分家の者と本国へ帰ってきたかと思えば……こんな知らせだ。国を治めやすくもなってはいない、嫌味の一つでも言いたくなる。
「そのような札を手にしていても、敵の一人も仕留められないのかレクス殿? その名が泣いているな。カーネフェルを一度は落としておきながら、また奪い返されるとは。お前達が双陸との連携が取れなかったからだろう」
「連携も何も、俺はあいつと違って国王派じゃねーしな。どっちかって言うと俺達は、あんたの味方だと思うぜ」
何て卑しい考えだ。これだから平民など、加えるべきではなかった。
「一番の邪魔者をタロックから遠ざけて、死なせてやった。感謝されても文句言われる謂れはねぇな」
「結果的にそれが私の得になるのであろうと、別の信条があろうと双陸は優れた男。タロックにとってもなくてはならない男だった。それを卑劣な真似で陥れるなど言語道断!話にならん。第一、国内の敵と争い、外敵との戦に負けるのでは話にならん」
「おいおい、俺達も無駄に遊んでたわけじゃないぜ。しばらくは女王様に軽く遊んで貰おうぜ」
「我の不在に随分と、働いてくれたようだな阿羅耶」
「須臾王……!貴方は城に居られたはずでは!? 」
「いつまでも我を閉じ込め置けるとは思うな。我を誰だと心得る? 剣の1札、風の元素の前に我が空間転移も出来ぬと思ったか? 」
風の元素で船を動かしたというのは王だったのか。剣術のみならず数術の扱いも手慣れた王が戦場に立つ。この上なく心強くはあるが……
「そういうことだ。アラヤ、双陸の始末は狂王陛下のご指示だ。俺達にどうこう言える話じゃねぇ。それとも議会派のあんたは陛下を上回る権威を持ってるって言えるのか? 事実がどうだこうだじゃなくて、本人を目の前にしながらさ」
「貴様……っ、よくもぬけぬけと!! 」
「俺はそこが気に入られて生き延びてるんだ、借りてきた猫じゃ陛下もつまんねーってさ」
混血の数術使い達のように、神出鬼没! 飼い殺せない化け物王など、自国に仇なす兵器じゃないか。これではまるで……以前と変わらぬ!
「まぁ良い、我はしばらく忙しい。小雀の世話もある」
戦慄する識を一瞥、王は通り過ぎ……エルスを抱えて背を向けた。
「手並み拝見だ、識。議会が我より優れているならば、国の一つや二つどうにかしてみせろ」
(共に帰って来たのでは無かったのか? )
王は今まで何処に……いや、考えてもどうにもならない。今は的確な指示を下すことが最優先。
「阿摩羅、お前もセネトレアへ向かえ! 海軍はシャトランジアが主だろう。戦力に乏しいカーネフェルはそれを囮に王都ベストバウアー陥落を企んでいるはずだ!」
「奇襲と、言うことですか? それならば……ええ、非常に申し上げにくいのですが……私はここへ、事後承諾を取りに参ったのです」
「議会派と全面的に戦いたいらしいな、レクス」
「なんで俺の差し金だって一瞬でバレるんだかな。あんた数術使いか? 」
「刹那様に何かがあれば……この国の終わりだ。それは解っているな? 」
「そうならないよう手回しもしております、当主様。しかし……その、事後承諾とは……本家が持つ、あの毒をお借りしたいのです、というか……お借りしたと言いますか」
「……!? セネトレアで、あれが必要だと言うのか? 戦に用いるには量が足りない。薄めれば効果も下がる、実用的とは言い難い。それを用いたのか!? 」
「ああ、あの毒ではございません!そ うではありません!私が言っているのは、僧祗殿が作った彼方の方です」
「第五……あの男か!? あ、あれは確かに……頭が切れる男だがレクスっ……貴様という男はどこまでっ!! お前もただ見ていただけだというのか!? そこまで愚かか!? 」
「そう言われましても、当主様。末席に私にどうにか出来るはずもありません、私の得意分野についてはお分かりでしょう」
確かに相手が悪い。分家の者に、キング相手は無理か。こんなもの野放しにする方が、余程居心地が悪いというのに。
「狂王派の騎士を派遣させてやったんだ。喜んでくれるところだろ、ここは」
「貴様……目的は何だ」
「人聞きの悪い話だな、敵の敵は味方って奴だろ?ま、安心しろよ。俺がしばらくタロックの守りに残る。俺のカードを知って攻めてくる馬鹿はいない」
如何に優れた剣であれ、鞘がなくては意味が無い。飼えぬ狂王にも、狂犬にも意味など無いのだ。
(それを解らせてやる必要があるな、この者には)
利用するには情報が必要だ。飼い慣らすにも、手札が必要。私も唯国を守っていただけではない。交渉カードは既に手の内だ。
「……レクス、貴様は傭兵の出だったな」
「悪いが過去は忘れたな。故郷が地図から消えた時から」
「そうか、ならばこの女に見覚えは?」
「こいつを何処で!?」
「お前のような平民は、自国の姫の顔も当然知らぬか。この方こそが、刹那姫。お美しい方だろう?」
「……そ、そうだな。確かに……」
刹那姫の顔写真を見た瞬間に、第一騎士は目の色を変えた。平静を取り繕ってこそいるが、動揺を隠し切れてはいない。
「その姫様から先日、私に個人的な文が届いたのだ。なんでも“影武者として、よく似た顔の奴隷を買った”とな。ん? どうしたレクス」
「……アラヤ、いいや……識。阿迦奢に、一つ頼みを伝えてくれないか?」
「それが私と議会派にとって、何の役に立つ?」
「冬が来るまで、俺と俺のカードは大人しくあんたの犬になってやる。こっちにはそれで不都合はない。それから第五騎士のことだ。あいつは俺の責任で送り出した。俺の判断が間違ってるって言うんなら一月後くらいに俺とあんたの椅子を入れ替えてくれても良い」
この反応……間違いない。仕入れた情報通りか。
「なるほど。それで私に彼女へ何を伝えろと? 」
「万が一、セネトレアが危なくなったなら……刹那姫と影武者を、タロックまで逃して欲しい。戦の騒動じゃ、どっちが本物かわかったもんじゃねぇからな」
「姫様に一目惚れでもしたか傭兵。生憎だが」
「解ってるよ、俺の身分じゃそんなん無理だな。その位は俺も弁えてるよ」
半ば苛立ちを隠すことも止め、レクスはその場を立ち去った。留まるだけで意味のあるカードだ。この件は首輪にもなろう、しばらくは大人しくしているか。
(もっとも私はあれが……自分がセネトレアへ行く!そう言い出すと思ったのだが……)
国へ残る、そう一度口にした以上撤回はない。レクス……この男、意外な潔さは持ち合わせているようだ。
「阿摩羅、先程の許可、条件付きで出してやる。第五騎士にはお前も付き添え! 僧祗が仕事以上のことをしようとするなら毒を盛ってでも止めろ。セネトレア側に被害が出ては敵わんからな」
「はっ!今すぐ第五騎士殿と合流を急ぎます!! 」
国王派などさしたる脅威ではない。レクスにも睨みを利かせた。当面は……恙なく滞りなく盤面を進められよう。
タロックは、まだ終わらない。希望が残されている。それは狂王でも血の女王でもない。
(タロックには、貴方が必要です“殿下”……)
貴方がお戻りになる日まで、タロックを守る。立て直しはその後だ。
*
「頭が……痛い」
必要最低限の書類との戦いの果て、解放されてすぐ……セネトレアとの戦争は始まった。それだけでも頭が痛いのに、ここで更なる問題が現れた。
「アルドール、しっかりしてください。貴方がそんな顔では兵も民も不安になるばかりです」
「アルドール、頭痛いの? 」
「ああ、うん、大丈夫。大丈夫だから俺よりこれから傷付く人達を助けてくれギメル」
国内、国外の悩み。そしてこの、決して広いとは言えない数術船……いや、数術艦の一室で、アルドールは机に向かい項垂れていた。問題は、この部屋の中にもある。机の両側に居る女性二人による圧力だ。
「ぎ、ギメル様。貴女とアルドールは親しい間柄かもしれませんし、しかし年頃の男女が臆面もなくベタベタしては」
「どうして? 」
「ど、どうしても何も……その、アルドールは私の」
「今日はドレス着ないの? 」
「で、ですからその……元々私は兵士であって鎧が普段着と言いますか」
「鎧って凄いのね! 私も一回着てみたいな! 前にじゅーじ兵の人の鎧借りようとしたらお兄ちゃんが飛んで来て」
「い、イグニス聖下に、あまり苦労をかけてはいけませんよギメル様……」
ギメルに絡まれるジャンヌは常に相手のペース。彼女にとってこの子はやりにくい相手のようだ。そもそもの出会いが出会いだ。第一聖教会で出会った道化師の悪印象がまとわりついているのだろう。それは俺も同じだけど……あの時と今、俺達の関係は変わり過ぎた。だからどうしても……ギメル以外はぎこちなくなる。
(俺……なにか、そんなに悪いことしたかな、したかもしれないけど……)
出陣の前日、今から何日前だ? 民の前……ジャンヌと挙式を挙げた。ギメルのことがなかったら俺だってもっと浮かれた気持ちでそれに挑めていただろう。どうしてどうして? 何故何故? どうして? 子供のような質問を繰り返すギメルは昔とまるで変わらない。同じ精神年齢ではなくなった俺から見ても、少々付き合い難い。国際情勢の揉める中、子守りをする余裕がある者は、この船にはきっと一人もいない。居るとしたらギメルの補佐とこの一隊を指揮するためにやって来た、リオさんくらいなものだろう。その彼女だって、今はこの数術船の管理で手一杯。ギメルは戦場に向かう船の中、最も浮いた存在だった。
「俺、都帰りたくないよ……絶対民にDT王とか言われてるよ」
「気を落とさないで下さい、アルドール様」
ランス相手にこんなに癒される日が来るなんて。今の状況はあの時以上かある意味以下か。俺の不安を解消するよう、ランスが言葉をかけて来る。
「パルシヴァルが得たのはザビル河の主精霊。水門の管理はパルシヴァルの指揮下のもと、問題無く進められることでしょう」
「ああ。そんな凄いのの協力付けてくれたなんてな……ありがたいよ」
守りはパルシヴァル、それからトリシュとキールを失い怒り狂ったチェスター卿。北部の民にもユーカーが戦死との情報を流せば、民の結束も増した。そして他にも手を打った。俺達の留守にカーネフェルを攻める馬鹿はおそらくいない。
「嘘は、お辛いですか? 」
「無事だったって、いつか知らせられたらな……」
「セレスタイン領壊滅、跡継ぎ死亡、王の不在と重なれば……領地取りを企む者も現れそうなものですが……賢明な判断でした、アルドール様」
「そんなことないよ。情けないな、結局シャトランジアを頼ることになった」
ユーカーの十字架、目覚めかけたユーカーの数値に影響されたのか? 十字架は剣のままの姿を保っていた。ランスが扱えば、対剣の使い手との連絡も取れる。どのくらいの距離まで効果があるか解らないけど、北部と南部で一度試めさせた。セネトレア王都までの距離に等しい距離を。
まずここで、時間が無い俺達はシャトランジアに、イグニスに頭を下げるしかなくなった。
「ランス……海に出てから何日目? 」
「まだ一日ですアルドール様」
「シャトランジアからカーネフェルは一日だったよ……数術船で」
「セネトレアにはまだしばらくかかります。少数精鋭とはいえ、物資もお忍びの旅とは違います。多少の遅れは仕方ないことです」
少数精鋭の部隊を空間転移で移動する手もあった。だけどその負担をカーネフェルは支払えない。シャトランジアもだ。この数術船が、今できうる限りの最善策。
「シャトランジアがカーネフェルの旗も付けて戦ってくれています。俺達は俺達の仕事を果たしましょう」
俺を励ますランスの言葉。それ自体はありがたいけど、その名を聞くと思い出す事がある。そうだ、あれは結婚式の前のこと……
*
「エフェトスのこと、非難しておいてこんなこと言うのは最低だと思う。それでも俺には時間が無い。イグニス聖下……カーネフェルは貴方の、シャトランジアの力をお借りしたい」
エフェトスの前に膝を折り、頭を下げる。王として、あまりに情けない。それでも他に、俺には答えがなかった。王としてのプライドがないからやるんじゃない。王だからこそ、意味があるんだ。目の前には、エフェトスに憑依し俺の言葉を聞くイグニス。
「トリシュ様は戦死され、セレスタイン卿は行方不明。敵将エルスの捕獲失敗。双陸は城に入り込んだタロック側に始末される……。確かにこうなった以上、カーネフェル側は圧倒的にカードが足りない」
「……」
「このままセネトレアと戦うことなんてできないし、上陸されたらどうなるか。その前に海戦を始めなければならないよね? だけど君たちカーネフェルの造船技術じゃセネトレアには勝てない。刹那姫がセネトレアに戻るまでに有利な陣形を整えておきたい。時間を無駄にしたくないというのはシャトランジアも同意しよう」
命の数を確認するように、冷たく響くイグニスの声。
罪の無い人を、子供を戦わせるなんて嫌だと思った。だけどそうしなければ何も守れない。単純な計算を、選択を迫られるのが王。それに背くなら……俺は良い王にはなれない。良い王であるためには、より少なく……誰を間引くか。それを考えなければならない。
(力が、欲しかった。カードになれば、守れると思った)
だけど、カードだけでは守れない。俺一枚の命では……
「そうだね、君が意地を張らずに僕を頼れば君の思い通りの展開になっていた。その可能性は否定しないよ」
エルスを引き抜き、双陸も。トリシュもまだ生きて居て、ユーカーだってユーカーのまま……
「綺麗事や、自分の気持ちばかりで今を認識できず、無駄な犠牲を生み出した。今の貴方は王に相応しくない。国の長としての貴方を、私は軽蔑する」
自分から離れるよう、イグニス自ら仕組んだことで、あのタイミングで俺が不審がるよう情報をもたらしたのだとしても、選択し行動したのは俺だ。俺は俺以外を責めることは出来ないのだ。唇を噛み締める俺の姿は、イグニスにはどう見えているだろう。彼女の望んだ、“立派な王”からはかけ離れた姿だろうか? それともこれが……正解なのか? だって彼女は、もう俺を傍で支えてはいてくれない。
「お兄ちゃん……! 」
「大丈夫だ、ギメル。イグニスの言ってることは、間違ってない」
俺への非難を告げるイグニスに、ギメルは少し傷付いた顔で間に入ろうとするが、俺は牽制……下がらせる。俺は王なんだ。昔の俺とはもう違う。
「シャトランジアがカーネフェルに協力するのはシャトランジアを守るためだ。自国を危険に晒してまで君たちを守る理由はない。君に、カーネフェルにそれだけの価値、見返りがあるなら教えて欲しいものだけど」
「カーネフェルには……」
豊かな自然に恵まれた気候、それに広大な土地。農業国であるカーネフェルの強みは食料供給。加工技術が無いから安く買い叩かれていただけで……
戦いが長引けば、気候に恵まれないセネトレアもタロックも困る。戦争の間、カーネフェルはセネトレアに食料なんて売らなくなるから。
(でも……向こうも解ってる。間に合う分の食料くらい確保しているはずだ)
王として俺は、シャトランジアと交渉できない。その、カードがない。友人としてのイグニスの好意に甘えることしか出来ない。それでは何も、変わらないのに。
「イグニス……一つ聞きたい」
「……何? 」
「最後の日までに勝者が決まらなかった。或いは複数人、人が残ってしまった場合はどうなる? 」
今更それ? とも答えられないとも、イグニスは言わなかった。もう見えている未来を諳んじるよう淡々と、教えてくれる。
「……誰の願いも叶わない。だからそれまでに道化師が全員殺すよう動く。だから誰も生き残れない、道化師以外」
「最後の日の前に、道化師を仕留められた場合は? 」
「道化師が消えたら、違う者が同じ事を考える。これまで諦めていた者にも、道化師が消えることで願いがすぐそこまで見えて来るんだ。同じ事だよ。どうあっても、一人だ」
「……不可能では、ないんだな? 勝者が決まらなかった、その時点で全員死ぬとか、そういう話ではないんだろう? 」
「僕が全てのルールを知っていたとして……そんな質問するのは、世界に何人居るだろうね、アルドール」
「生き残れるか絶対死ぬかで取引の話も変わるだろう? 前にイグニスは言ったよな? 神を失望させるような願いを託す勝者なら、そいつの死後に世界は滅ぶって」
その場で全てが終わるなら、民や国のことなど思うだけ無駄だ。だけど続いていくのなら……その後のことも考えて、俺達は行動しなきゃならない。もっと早くに俺は気付くべきだった。
「理論上は可能だろう。約束の日までに複数人が生き残り、その全員が願いを諦めることが出来るなら。……だけど君達はカードだ。願いがなければカードに手など伸ばさない。願わないと言うことは、その過程で散った者達の命をも踏みにじる行為だ。犠牲になる必要も無かったんだからね」
「それじゃあ……っ」
「誰も勝たなかったら、誰が死んだら世界が滅ぶとは言い切れない。勿論そうだけど……猶予がほんの僅かに得られるだけだよ。その時神が何を思うか僕には解らない。面倒臭いからってその時点で滅ぼしてしまうことだって大いに起こり得る。そんな面倒臭いものをまた長い時間かけて誘導し直すより、白紙から作り替えた方がずっと楽だから」
神の存在については、この場で居る居ないを討論し合う者はいなかった。自分達の刻まれたカードこそ、その証明と言えるのだから。
「……情報提供、感謝します。では此方の切り札をお伝えしましょう」
「ええ、お聞かせ願いたいものですね」
「カーネフェルからは聖十字、シャトランジア軍への食料物資の提供、それからシャトランジアへの輸出の際は価格をこれまでより下げても良い。また、我が国の防衛支援で留まって頂く代わり……シャトランジアの技術、我が国の資源を用いた共同開発事業で、防衛、軍備強化を図りたい。また、終戦後……シャトランジアだけでは抱えきれない移民、亡命者の受け入れをカーネフェルでも行えるようにしたい。それに関してもカーネフェルはシャトランジアの指示に従おう」
今はない取引材料。でも未来を見据えることで、相手を取引の場に引きずり込める。世界が続く前提で、俺が話をしているなら……俺がもう一つ覚悟を決めたことに、イグニスは気付いてくれただろう。
出来るだけ多くの仲間と生き残りたい。それが叶ったら、願いなんて蹴散らして……神頼みじゃない、人間の力で国を世界を変えていく。一人では出来なくても、それが出来るはずだから。
(だけど……もし)
俺が誰一人守れず、生き残ってしまったら。その時は……俺の役割を果たす。王としての役割ではない、カードとしての使命を。
「イグニス……」
「できることなら僕は、まともな勝者にまともな願いを託したい。君がどんな犠牲を払っても勝利をすると約束してくれるなら……その後の世界を見据えた上で、シャトランジアもカーネフェルと共に動こう」
優しい声、頭上ではない……近くからする。俺と同じ高さに膝を折り、震える俺の手にそっと触れて来るエフェトス。
「先程の言葉、取り消すよ。君は王として考えて、選んだ。もっと簡単な道があるのにそれに抗った。それ自体には意味があったと僕も思う」
「……イ」
「アルドール、君とカーネフェルに足りないのは力だ。進む方向は決して間違っては居ない。シャトランジアは喜んで君を、カーネフェルを支えよう」
*
優しい声だった。最近厳しいことばかり言われていたから、だからだろうか。以前に増してそれが俺の胸を締め付ける。ギメルがいる、ジャンヌがいる。それなのに、シャトランジアの名を聞く度に、離れているあの子を思い出してしまうのは……何なんだろうな。
(解らない)
あの子が本当は誰なのか、俺の心が何なのか。友達として凄く大好きだったのに、あの子が彼ではなく彼女だと知ってから、あの子は本当にイグニスなのか……それを時折考える。
イグニスは否定するけど、イグニスがギメルなのではないか。俺はその気持ちを消せずにいる。だからこうして、ギメルらしいギメルと再会できたのに……戸惑うばかりなのだ。
信じたいけど、イグニスは俺に嘘を吐いている。それを見抜いて欲しいとも言った。だからこのギメルはイグニスが用意した偽者だって展開も否定できない。
(あの指輪だって……)
再会した時は、それが本物だと信じて疑わなかったが……冷静になれば疑問も起こる。本当にあれは本物なのか? 昔の俺は数術なんて解らなかったから、当然当時の数を記憶していないし数値で真偽を確かめることも出来ない。だからこれは……俺の心がどう思うか、なのだ。目の前の現実を疑いもせず喜ばしいままに享受すべきか、幸せな出来事も疑いかかり互いに傷付きながら……あるかどうかもわからない真実を求めるか。
(……俺は)
傍に居る人を大切に思えず、離れた人ばかりを思うのは良くないことだ。それで何度失敗した? 何人傷付けた? 頭を振って、彼女の言葉を姿を掻き消して……空っぽの頭に浮かぶ疑問は、やっぱりまたあの子のことで。
彼女は誰? それならここに居るこの子は誰? それじゃあ、道化師って何? 逃げられない問いかけ。答えを早く見つけなければ、この旅路さえ余計に危険な物へと変わる。信じて良いのか解らないんだ。どこまでが嘘か、本当か。
「ランス……二人になりたい。ちょっと話が出来ないか? 」
「……お二人はまだ話の途中。どうぞ此方へ」
ランスは俺の言葉を受け、数術を展開。防音&視覚数術を駆使し俺を甲板へと誘った。聞こえる力を持つジャンヌなら気付きそうな物だが、ギメルとの
「如何なさいましたか? 」
この船の中で俺が信頼すべき相手は二人だけ。ランスとジャンヌ。この二人の言葉を俺はもっともっと信じるべきだ。俺がどう思うかではなく、彼らの意見を聞くべきだろう。
「視覚触覚変身数術以外で、性別変わる数術って知ってる? 」
考え込んでいた俺からの、丸投げすぎる質問に、ランスは一瞬固まった。それでもすぐに平静を装うのだから凄い男だ。
「そんな物があるのなら、……俺の友もあそこまではならなかったでしょう」
ランスが言うのはトリシュのことか。
「しかしイグニス様は……俺の知らない数術を幾つも知っています。数値は万物……ならば数術には不可能なことは理論上はありません。あの方が契約しているものは……何を引き起こしてもおかしくは、ない」
「……ありがとう、ランス。解ってる、解ってるんだ……俺も」
イグニスがギメルが誰であれ、どちらであれ……俺はもう選んだ。後戻りは出来ない。忘れるんだ。俺が大好きだった二人のことを。唯の、大切な……友達だって、自分を騙す。
(ギメルだって、そうしてくれた)
あのギメルが、嘘を吐けるようになったんだ。優しい嘘だ。思い出すだけで俺は泣いてしまうし死にたくなる。彼女が本当は誰かも、まだ俺は解らないのに。
*
「凄いすごいアルドール! すごくかっこいい! 王子様みたい! 」
「王様なんですけどね……」
「ジャンヌさまも綺麗! この布すっごくツルツルする」
ギメルはジャンヌのドレスの触り心地に感動している。手触りが気に入ったのか目を輝かせて指先でなで続け……ジャンヌにやや呆れられている。
「貴方はこんな足りない女が好きだったんですか? 」みたいな視線が痛い。「そういう子をたらしこんで良いように弄ぶ悪魔め」とか責められている気さえする。いや、ジャンヌに限ってそんな悪意はばらまかない。俺はもっと彼女を信じるべきだと、被害妄想を打ち消した。
「ごけっこん、おめでとうございます! 」
式典となれば、イグニスの代理で数術で脳内に送られて来るカンペ付きの情報で、ぎこちないながらも最低限の役割をこなす。誰より会いたかったはずの人から、違う人との結びつきを祝われる。互いに嫌いになったわけではないのに、だ。俺よりギメルは平気そう。そんな彼女を見る、俺の方が余計に傷付いていく。彼女は一言で言うなら、天使。見た目も中身も。良くも悪くも。
良く言えば純真無垢。悪く言うなら、人ではない。その歳の人間と同じ精神を持っていない。だから悪意が足りない。愛の深さも理解できない。彼女は俺を好きでいてくれる。それでもそれはあの日のままの変わらぬ気持ち。変わった俺の好きとはすれ違う、“好き”だ。
だからギメルは、俺とジャンヌの結婚に嫉妬もしない。自分の心も理解できない。彼女は大好きな友達? が遠くに行ってしまう感覚に僅かな寂しさを覚えているだけなのだ。
結婚式とか誓いのキスも、幸せの象徴としてぼんやりと記憶しているようなもので、俺達を見る彼女は憧れめいた視線を送るのみ。
俺がもし、ギメルに同じ事をしたところで、彼女はそれ以上の意味をそこに感じることもないだろう。そんな彼女に対し、何かしよう物なら俺は自責の念で首を吊る。
だけど、セネトレアに売り飛ばされた彼女が何も解らないというのも驚いた。それだけイグニスが必死になって、この子を守っていたのだろう。彼女のこの不変さは、イグニスとも対照的だ。傷一つない彼女を可愛いと思う。だけどボロボロになって彼女を守り続けた人のことを思うと、俺も心を見失う。
俺はギメルが好きだった。唯どうしようもなく、好きだった。あの子の傍では俺は人でいられる。ずっと彼女が傍にいてくれたら、それだけで俺は幸せだと信じられた。
二人きりの閉じた世界なら、それだけで良かったんだと思う。だけどその外側、二人以外の誰かが傷付いていく場所で、自分達だけ幸せだって心から笑い合えるのか? 俺はそれ以外の人達にだって、色んな好きを感じてきたよ。
もう、大事な式典なのに感情がグッチャチャになっていた。情けない顔だったと思う。いつまで経ってもキスが出来ない俺を見て、人々も小声で囁き始めて王の威厳もどこへやら。そんな状況を変えたのは……やっぱりジャンヌだ。いつも彼女はその場の風向きを変え、俺を助けてくれる。
胸を削ぐ! とか 出家ヘアーの坊主になる! とか言っていたあの彼女が……女性らしい婚礼衣装で、彼女の方から強引に俺の顔を引いたのだ。その数秒間、彼女以外のことは頭の中から抜け落ちた。
「誓って下さい、アルドール」
「……じゃ、んぬ」
「私が貴方を守るから……カーネフェルと、私を助けて下さい」
頬へと触れる、彼女の両手……その指先が震えていた。こうして顔の向きを固定されてしまうと、彼女しか見えない。いつもは自分を含めない彼女が、言葉に自身を盛り込んだ。大戦を前に不安を覚えた? そうだろう……俺は頼りなくて、みっともなくて、きっと貴女を守れない。だけどこうして言葉にするのは、彼女が俺を信じてくれているから。真っ直ぐに心を預けてくれる。俺を国の化身として、じゃなく……俺として見た上で。ここまで言われて何も出来ないなんて情けない。俺から……そう思ったけど動けなかった。そんな俺に痺れを切らし、ジャンヌの方からしてくれた。
頭が真っ白になりかけた俺が視線を彷徨わせれば、あの子の姿が目に入る。それまでニコニコ笑っていたギメルが、泣いたのだ。そのことに、彼女自身が驚いている。拭っても拭っても止まらない涙を誤魔化すために、感動を装い笑う。あの、ギメルが……だ。
(まるで、道化だ)
笑いたくないのに笑っている。俺を救ってくれた彼女を、俺がそんな境遇に突き落とした。あの一瞬、彼女こそがギメルだった。俺が彼女を疑う気持ちもなくなる程の、真実がそこにはあった。ギメルは本当は解っている。解らない振りをしている。それじゃああの子は……誰なんだ? あの子が本当のギメルなら……シャトランジアにいるイグニスは?
疑うことと信じること……その間で俺は押し潰されたような気持ちの抜け殻だった。
*
「ランス……俺は道化師が誰か、解らないんだ。解らなくなった。考えれば考えるほど」
数術は何でもアリだ。考えるだけ馬鹿を見る。粗方答えを固めたところで何度引っ繰り返されたことか。だから最悪の事態を考えるんだ。
「イグニスは既に、道化師にその座を奪われているかもしれない。あのギメルが道化師かもしれない。身元証明の物は、奪われた物の可能性もある。信じられるものなんて本当は何もないんだ。彼らはカーネフェルの人間でも無い。頭ごなしに、信じられない」
初恋の人と親友を、疑う必要がある。俺から判断能力を奪うための作戦とも考えられるのだ。
「ランスの目からはどう見える……? イグニスはここ最近は、わざと俺に嫌われるように振る舞った。こんなに早くイグニスが俺を甘やかすとは思えないんだよ。俺はまだそんな大層なことを成し遂げていないし、手持ちのカードは最悪だ。本物のイグニスなら口さえ聞いてくれないだろう」
飴と鞭はイグニスの十八番。俺を上手く懐柔するやり方の一つ。だけどこれまでない程に、彼女は俺から反感を買うような方法を選んだ。そんな彼女がすぐに優しい言葉を俺にくれるのはおかしいのだ。
「しかしアルドール様……それでは」
「道化師としても四国争い、Aカードには削り合って貰いたい。どこにも飴と鞭両方送ると考えるべきだ」
「この状況だからこそ、イグニス様は切り札を送り込んだ……のでは? 」
「うん、勿論その可能性もある。俺だってそっちを信じたいよ」
「人は……人間自身が思う程、強くはありません。イグニス様のあれは……あの方なりの、弱音……いや、甘えでしょう。目論見通り、あの方は演じるべきでした。冷徹な人間を。ですがいざ貴方を前に、それが出来なかったのは……あの方が弱っている証拠です」
多くの死を見届けた騎士が言う。その言葉は俺の言葉の何倍も、重くのし掛かるよう響く。あれは確かにイグニスだ。優秀な数術使いがそう告げる。
「アルドール様……お伝えすべきか迷ったのですが、申し訳ありません」
「ランス……? 」
「あの方は、命が本当の残り僅かです。アルドール様からは見えたか解りませんが、被憑依数術から感じるあの方は、もう抜け殻のような有様でした。生きて居るのが、不思議なくらいです」
「え……!? 」
「俺自身、あの方を疑ったことは何度もあります。しかし命をすり減らすほど、この戦に……カーネフェルに余力を割いたことは事実でしょう」
イグニスは信じられないが、その行動だけは信じられる。きっぱりとそう告げたランスは何らかの確信を抱いていた。
「俺とユーカーだと、俺がイグニス様でユーカーが貴方。似通い解り合える点があります。ですから俺がイグニス様の立場だったとして……いえ、イグニス様が貴方をどう思っているかは俺には解りません。しかし、あの方は貴方の傍には居られない。命を捧げる価値が貴方にあると思ってのこと。もしかしたら……悔しいですが、俺より貴方のことを信じている人かもしれません」
「ランスって……変なところで素直なんだな」
「も、申し訳ありません」
「いや、良いんだ。でも、……こんな所で笑ってしまうとは思わなくて」
少し気持ちが落ち着いた俺がランスを見つめると、彼が所持する剣が目に入る。俺が携えた物とよく似たそれは……ユーカーが残してくれた物。
「……ランスは、ユーカーのお母さんって知ってる? 」
「随分と唐突ですね、アルドール様」
打ち解けた空気も、彼のことになるとすぐさま凍る。それでも拒絶と言うよりは、当の本人の許可もなくどこまで話して良い物か……そんな困惑にも見えた。俺が命令と言えばランスは話してくれるだろうけど、そこまで無理をするつもりはない。
「ごめん……なんか、自分のこと落ち着いたら気になってきてさ。この剣ってその人の形見なんだろ? 聖十字に関係する人だったのかな」
「いえ……そのような話は聞きません。唯……あいつの出生は、複雑です。指輪など贈り合える仲でもなく……このどちらもが伯母の物。形見として……別の物が所持していたのでは」
「聖十字の触媒がこれと同じ物だったら、同じ事が出来るのかなって思っただけだったんだ。変なこと聞いて悪かった」
これから敵地へ乗り込む。聖十字兵が所持する十字架……それがこの剣と同じ役割をこなせる触媒ならば、戦力はもっと……
「そういうことでしたか。しかし……ジャンヌ様の十字架からは同じ数値は感じませんね」
ジャンヌから俺が貰った十字架を見て、ランスがそう呟いた。
「物質的な純度以外にも、形見が触媒になるって言うんだから……人の思いが刻まれた物って何かの力になるのかな」
「それは解りませんが……少なくともあいつの母親は、愛してくれていたと思います。いえ……そうであって欲しいと、俺は願っています」
四つの元素に触れて、武器へと変わる十字架。それは彼の母親の心が刻まれていたのではないか。きっと水の聖杯……愛だけではない。愛してもいたし憎んでもいたし、それ以外の心もおそらくは。
もしも人の心が、僅かでも何か形として残るなら。それが残った誰かを助ける力に変わるなら……俺はそう思いたいんだな。これまで散った人が無駄ではなかったと、これからいなくなってしまう人も無意味などではなかったと。
「ユーカーも、誰からの代わりじゃなくて……誰かに甘えたい時はあったんだろうな」
「……そう、ですね。あいつにとって、母親の代わりになる人は誰も居なかった。アルト様は優しい方でしたが……俺達にとっては父親の代わりです」
「アルトさんがいなくなってから、ユーカーはずっと……誰かに助けて貰いたかったのかも」
「……だから、トリシュのことで……限界が? 」
過ごした年月とか思いの深さではない。きっかけなんだ。自分は弱くない、そう思って頑張っていた人が……本当は弱いんだって思ってしまうような出来事。そのことに、気付かされてしまったら、今まで平気だったことが途端に辛くなってしまう。
「俺は代わりにはなれないけど、ユーカーが帰ってきたら目一杯嫌がられるまで甘やかしてみたいな」
「……その件に関しては、俺も負けませんよ? ユーカー取り扱い暦には自信があります」
「ははは! ランスに言われると嫌がりながら喜びそうだな、ユーカー」
ひとしきり笑い合った後、俺達の間に流れる沈黙。そんなあるかどうかもわからぬ未来の話……夢を見るのは自由でも、現実から逃げてはならない。動く船は波に流されるのではなく、目的を持ち進んでいるのだ。
「……勝てると思うか」
「勝たなければなりません。いえ……必ずや貴方とカーネフェルに、俺が勝利を」
野外戦で毒は脅威とならない。エルスのような数術使いが出ない限り。セネトレア城まで乗り込んだ後も油断は出来ない。勿論そこに行くまでも、スムーズに進むとは思えない。相手は数術使いとは別の意味で何でもアリだ。最悪の場合、全滅だって……
「ランスもさ、俺じゃなくても良いから……弱音を吐ける相手をちゃんと作っておいてくれよ。ユーカーが戻るまで、ずっと気負ったままは辛いだろう」
「それは命令ですか? 」
真面目な顔つきで聞き返す彼に、俺は軽く笑って頷いた。以前よりは打ち解けた俺と彼でも、唯の友達にはなれないのだな。ランスは命令でもしなきゃ、疲れていても休んでくれない。彼のことを思うなら、言葉の選び方も俺が考えるべきなのだ。
「そうだな、それじゃあ命令で」
ランスには、ランスでいて欲しい。似てないのにさ、ランスもユーカーも同じ事で苦しんでいる。他の人から望まれる誰かを演じる辛さを、この人にこれ以上背負わせたくはない。分かち合うことが出来ないのなら、せめて俺も彼を助けたいのだ。彼がそうしてくれるよう……俺も。
「アルドール様……ならば一つ、甘えを言っても構いませんか? 」
「え? う、うん!! 俺なんかでよければひとつでもふたつでもみっつでも!! 」
「あの方が本物のギメル様だとして、それでも貴方はジャンヌ様を心の底から想って下さいますか? 」
ランスに頼って貰える! そうはしゃいだのも束の間。彼の言葉は一瞬にして俺を凍り付かせる。それは俺自身、思い悩んだ問いかけで。頭で答えは出していても、まだはっきりと言葉には出来ない。心が頭について行けていない。しかしランスがこうして聞いたのだ。俺も応えなければならない。
(ランスにとって、ジャンヌってどういう人なんだろう)
共にカーネフェルを思う友? 国を思う強さは良い勝負。比重が国その物か、王かという違い。通じ合うところがある。それでも食い違っている節もある。
(ランスがユーカーやアルトさん以外のことで……こんな風に聞いてくる)
彼自身認識しているかは解らないけど、大切……なのだろうか? 後ろめたさを感じながら、少し悲しげな彼の青を見る。この問いには、先王と彼の父とのことも関係している?
(ヴァンウィックがもういない)
ランスは俺達の中から、先王と父の真実を……見出そうと考えている? そのどちらでもあるのかもしれない。シャトランジアで、ジャンヌの様子がおかしかったこと。セネトレア女王だけが原因では……ない、のか?
(随分、思い切ったことを……これが、甘えだって? )
彼の言葉は私情によるもの。大変な時にこんなことを聞く。騎士らしくない言葉。だけど彼はそれを甘えと言った。俺を苦しめると思い、これまで言わずにいた言葉。それを外へと出したのは、俺を信じようとした結果なのだ。それなら俺は、嘘は吐けない。気付かぬ振りも、これまでのよう俺が引くのも嘘になる。伝えるなら、なるべく正直な言葉を選びたい。
「ランス……ありがとう」
「……いえ、俺は」
「昔、イグニスが言ったんだ。妹に近付くなって。住む世界が違う……不幸になるだけだって。実際、悲しいけどその通りだった。俺はあの子を想う資格がない」
あの子が本物のギメルでも、俺はカーネフェル王になったんだ。これまでのよう、彼女を思うことは出来ない。頭の整理を心まで……時間をかけて言い聞かせていく。またあの子が泣いたって……そう、するしかないのだ。
「俺はたぶん、まだ人間以下の人形だ。人として、誰かを幸せに出来るとは思えないし、その時間があるっていう保証もない」
ジャンヌ……彼女とのこと、前向きにと考えた。それでも俺は何も出来なかった。これからも何かある度に、きっとギメルの涙を思い出す。それを思うと……俺達二人はどうにもならない。
「これは、ジャンヌとのことにも言える。彼女は英雄だ。俺なんかに近付いて、名誉を失う必要はない」
「それは違います、アルドール様」
俺の言葉に彼は、はっきりとした口調で切り込んだ。
「彼女は強いカードです。ですが……カーネフェルのため、その力を使うことを厭わない。ですからせめて貴方は、貴方だけは……ジャンヌ様を、英雄と……聖女と思わないでいてください。むしろ最初はそうだったはずが、今のような関係になってから貴方はそれを逃げとして使っているのではありませんか? 」
「!?」
「ユーカーが俺に言いました。国のために死ぬ気なら、最期に人間らしい幸せを知れ、と。これはジャンヌ様にも当てはまることではないでしょうか? 」
ランスが俺に何を言いたいのか。何を見極めたいのか。解りそうで、解らない。唯彼が、とてつもなく必死なことだけ伝わって来る。先王、父親、そしてユーカー……それ以外の人間相手にこんな姿を晒すということ。家族と同等に、ジャンヌを思う心があるのだ。
「貴方はあの方を、カードとしてではなく一人の女性と考えた。それが貴方のために亡くなった女性達の面影からであっても……彼女を戦闘兵器としての処刑役に据えようとはしなかった。だからこそ、ジャンヌ様は……貴方をカーネフェルとは見なくなったのです! 違いますか、アルドール様」
どうして彼女が俺なんか。釣り合わない、勿体ないと何度も自分に言って来た。アージン姉さんの時のように、彼女が俺を好意的に見てくれているのが解ってからも、様々な理由を付けて俺は逃げた。それをランスはずっと見ていたのだろうか? どんな気持ちで……俺達、二人を。
諦めたいな。逃げ出したいよ。だってその方がずっと良い。もう少し早く言ってくれたら……そんな気持ちこそ、甘えかな。俺は俺が思っていたより、ランスのことが好きみたいだ。ジャンヌが俺をゴミ屑のように思ってくれていたのなら、俺は喜んでランスの応援をしたい。
「ふ……ははは、参った。ランスの言うとおりだよ。辛かったよな……ランスも、ジャンヌも。俺いつも自分のことばっかりで……気付けなくてごめん」
耳が痛い。苦笑いを浮かべる俺に、慌てたのランスが膝を折る。
「アルドール、様……! 言葉が過ぎました。申し訳ありません……俺は、これ以上俺の友の、辛い最期を見たくは無いと」
「“友”……か。俺も良く、そう言っていたよ」
「アルドール様……」
「惹かれるところがあるのは否定しない。だけど、俺は彼女に何かを無理強いはしない。彼女の好きにさせるし、その結果で誰を恨むこともない。もしもそれが愛に分類されるなら、俺は彼女を愛しているんだと思う。それが愛では無いと彼女が俺を見限るならば、俺は彼女を愛せていない」
俺は何も出来ないが、彼女のことは拒まない。それ以外なら拒む。こんな答えが返答になっているか不安だ。主観を、判断を他人任せと怒るだろうか? 思う心を制御は出来ないけれど、体は意思で縛れるはずだ。
「一括りには出来ないけどさ、エルスや双陸さんを見ただろう? 風は何者にも縛られない。従わせることも、捕えることなんか俺には出来ないよ」
「アルドール様……何故貴方は。貴方はあの方に惹かれているのでしょう!? 」
「道化師は、俺を憎んでいる。あれがギメルかイグニスか……解らないけど、あの二人以外俺をよく知り憎める相手もいない。二人には、セネトレアでそれだけのことがあったんだ」
俺はこれからその場所に行く。この眼で二人が見てきた地獄を見る。俺は俺の罪を知りに行くんだ。
「あいつが俺の近くの女の子ばかり殺すのは、やっぱり“ギメル”には何かがあったんだ。真実を知るまで俺から誰かを愛する資格はない」
俺の償いはまだ、終わっていない。道化師に求められるまま仲間と自分の命は投げ出せないが、苦しむ心だけならば俺は支払える。
「それでも、俺はジャンヌに支えられている。助けて貰ってる。だから同じくらい、それ以上に……せめて彼女の心を支えられる王でありたい。何もしないし出来ないけど、俺は彼女が好きだと思う。ごめん……今言えるのは、これだけなんだ」
「もう……十分です、アルドール様」
「あ、あはは。ごめんな、変なところを見せて」
両目に浮かんだ涙を拭い、俺は無理矢理笑ってみせる。恥ずかしい。どうしてもっとスマートに話が出来ないのだろう。
「貴方は弱い王かもしれない。……ですが、俺には好ましい」
「え……? 」
「貴方が俺の、王で良かった」
ランスが浮かべるのは、出会った頃の優しい笑顔。それよりもっと砕けた……甘く柔らかい笑み。僅かに子供っぽさを感じるような……そんな印象を受ける。
「セネトレアなど、恐るるに足りません。この世の地獄と呼ばれる場所でも、一人当たりが殺した人間の数など俺には劣っているはずです! 」
「笑顔でそういうこと言うの止めようよ」
悲惨な状況は何も変わらないのに、彼を見ていて心がこんなに軽くなるなんて。
俺とランスなりの関係性がやっと、見つかった? そうかもしれない。嘘を吐かなければ嘘で返らない。本当のことを話せば、本当のことを聞き出せる。その事実は信頼へも繋がって……。
この人には嘘を吐かなくて良いんだ。この人はそれで俺を騙したり利用したりはしない。そう信じることが、ランスの力に変わっていくなら。
(恐るるに、足りない! )
ランスの言葉を、俺も笑って信じられた。
ギメル回……のはずがランス&アルドール回でした。
ランスは自分の気持ちずっと黙っていると思っていたけれど、ギメルの登場により表に出てしまいました。
アルドールも、今までだったら違う方法を選んだんだろうけど、彼なりに少しずつ変わって行く姿を考えました。