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79:Probitas laudatur et alget.

 「リオ先生!お久しぶりです!!」

 「お前はもう、聖十字軍に入隊したんだ。先生はいかんぞアーク」


 元教え子に、教会内で出会した。オフ時も鎧を着込んでいるとは、何とも真面目な生徒だろう。しかし懐かしさからか、口調に親しみもにじみ出す。


 「あ、失礼しましたリオ教官!」


 怒ったつもりはないのだが、少し沈んだ様子のジャンヌに私は苦笑する。私も今は休憩時間。少しは心の紐を緩めても構わんか。


 「ラハイアは、奮闘しているようだなジャンヌ」

 「はい!彼は私にとっても誇りです」


 教え子を名で呼ぶ事で、仕事の話ではなくなったと教えてやれば、彼女は笑顔でそれに応える。何も知らないからこその……笑顔を思うと胸も痛む。

 ラハイアとジャンヌは、運命の輪に組み込まれている。本人達はそれを知らないが、車輪達の中でも軸となる者達だ。


 「今ではセネトレアで一番の出世頭だ。友とは言え君も悔しいだろう」

 「そんなことはありません。私は……今の仕事、好きですから」


 そう語りながらも彼女の表情には再び陰が見えていた。彼女の祖国はカーネフェル。国のことは聞いているだろう……タロックの奇襲により開戦がなったという事実も。


 「君は海軍の方に配属されていたな。危険な仕事だ。故にままならぬことも多いだろうが、あまり気負わぬようにな」

 「……先生」

 「何だ?」

 「もし私が、貴女の教えに背くようなことがあったら……すみません」


 言葉こそ躊躇いを含んでいたが、迷いのない目でジャンヌが言った。

 究極の、負け戦。カーネフェルに勝ち目はない。それを見過ごせないと彼女が言うなら、私も企まなければなるまい。同じ船に潜り込ませるべき人材を。


 「聖十字を辞めて、カーネフェル兵にでも志願する気か?止めはしないが、言っておく。自殺行為だ」


 決意は固いようだが、一応教官らしい言葉もかけておくべきか。特殊ナンバーは、神子様にも制御できない。そうすることで弱体化する。ジャンヌやラハイアの暴走は、運命の輪の動力とも言える。だから、その目を信じるのが私の役目だ。


 「……シャトランジアの現代における正義は、正義でありたいがために動じず、動かない。限りなく正しい物に荷担するとて、組する言うことは正義と悪の側面どちらも抱え込むこと。すなわち正義と悪の違いは、正義のために悪を背負う覚悟があるかどうかだ」


 私の言葉をこの可愛い教え子は、言葉を挟まず聞いている。


 「ジャンヌ。君が正しい判断を下したとて、君が自身を正義と言い切るならば、君は正義になり得ない。どんなに間違ったことであっても、一欠片の正義はあるものだ。それを叩きつぶすなら、やはり正義も完全なる正義ではない」

 「……」

 「シャトランジアは自ら何も行わない。干渉しないと言うことも、ある側面からは正義であるのだ」

 「自国を、シャトランジアを守るための……正義、ですよね」


 僅かな怒りを含ませて、ジャンヌが声を振り絞る。この国の現状に、私も彼女も気付いているのだ。

 戦えば、自国を危険に晒す。だから見て見ぬ振りをする……自分達の今のために。明日の保証を手放しながら。


 「ああ。長らく続いたこの国の……今を守るための正義だ」


 助けると言うことは、後手であり基本的には間に合わないこと。未然にそれを防げないから、間に合わない犠牲は生じてしまう。しかしその犠牲が戦うこと道より少ないならば、大方人は目を瞑る。けれどこの教え子は、目を瞑れないタイプの人間。今のシャトランジアとは違う正義を抱えているため、ここでは異質な存在だ。救ってくれたシャトランジアへの恩返しと言うよりは、人を守りたい気持ちが強い。


 「しかしカーネフェルを失えば、侵略はシャトランジアまで及ぶだろう。戦うべき時が来たのだとは、私も感じているよ。……それでもシャトランジアは仕掛けない。力ある被害者でありたいからな」


 力ある加害者は正義となり、力なき被害者は悪となる。そんな道理を変えるには、力ある加害者こそが、さももっともらしい正義。シャトランジアは体裁のために、状況を理解せず盟友を見捨てるろくでなし。結果的に多くの民を死なせる環境を整えている。イグニス様はそれを変えようとはしているが……まだしばらく時間が掛かる。

 けれど車輪が、急げと私に訴える。教え子の姿を借りて。


(神子様……私の仕事は)


 彼女を彼女のまま伸ばし、彼女の背中を押すことと……私は命じられている。私の心もそこから1ミリたりともズレは生じていない。


 「もし君が、それ以外の選択をするならば……シャトランジアの庇護はない。十字法も君を守らない。その上で戦う覚悟があるならば……私は何も、言わないよ」

 「先生……」

 「己を信じて全てを疑え。しかし時に、他者を信じ己を疑え。私が君に教えられるのは、これが最後だ」

 「ありがとうございます、リオ教官!」


 友も傍には居ない、孤独な戦いだ。過酷な彼女の向かう先、心許せる者が出来るだろうか?

 敬礼し笑い泣く教え子を、私は最後に抱き締めた。


 *


(あの、ジャンヌが……な)


 まだまだ子供だ。小娘だ。それがあんなに立派になって。セネトレア女王に臆さず対等に渡り合う姿を見、涙腺が緩んだのは私の秘密だ。


(だが……)


 男を見る目の方は、いかがなものか。あのカーネフェル王何の活躍もせず毒に倒れていたではないか。これまで神子様の采配を疑ったことはなかった私でも、不安を覚えずには居られなかった。


(ジャンヌがあの様な顔を向けるのだ、善人であることは確かなようだが)


 手塩にかけて育てた教え子が、命をかける価値のある男であるかを見極めたい。カーネフェルへの私の派遣は願ったり叶ったり。


 「リオ、君の保管数術が必要になった。腕は鈍っていないようだね」


 運命の輪、その上位ナンバーは優れた数術使い、下位ナンバーは肉体派。しかしそれぞれが切り札を持つ。ルキフェルの幸福値交換能力同様、中間に位置するナンバーはそれでも何か特化した、特殊な数術を扱う者が多い。私、リオ=プロイビートもまたその一人。肉体を鍛えても居るが、私にも特殊な数術が預けられている。このタイミングで私を表舞台に出す以上、私の力が求められているのだろう。


 「は!回復率は落ちますが、目印として分解した一つをカーネフェルに留まらせ、もう一方をトリオンフィ邸にてカーネフェリア様に憑けました。到着後、留まった一つと組み合わさるよう指示を出しております。これで、共有能力は元通り行使出来ます」

 「あんまり分解すると使う意味も無くなるからね、二つが限度だ」

 「了解致しました!」


 彼女は忘却の精霊を私に収納、トリオンフィ邸での空間転移の際にその補助を行い、カーネフェリアを追わすよう指示を出していた。その回収命令が下ったのは、客人すべてが第一聖教会から姿を消した後だ。カーネフェルの支援を行うよう命令されていた私も、それを追わねばならない。


(イグニス様は何故、あのようなことを)


 何とも回りくどい。今度は誰の目を欺く必要があるのだろう。


 「アロンダイト卿やアークの消耗を避ける必要があったのでは?」

 「問題無いよリオ。そのために僕が残った。ここでなら代償無しで使える精霊も多いからね」


 神子様は多くの精霊と契約をしているが、連れ歩けるものには限りがある。傍に付き従わせる分には問題は無い。しかし相手が見るに特化した数術使いなら、手の内を知られることになる。ならば己が内に精霊を取り込み、持ち歩く。これによって見える数値を偽装することは可能。視覚数術を破られた際の保険に優れた切り札だ。

 この際問題となってくるのは、その者自身のキャパシティ。これもまた才能……もしくは相性だ。神子様のような人間は並の数術使いの何倍もの容量を持っては居るが、それでも大精霊を隠し持てばその分容量が埋まる。代償の少ない小さな精霊を無数に持ち歩くのと、どちらが良いか。それは時と場合にと言うもので……その保管数式自体、精霊からもたらされたもの。精霊との相互理解の深い聖教会独自の数術だ。稀に独学で同じ系統の式を会得する者も居るには居るが、この場合精霊側の思いが深い場合となろう。


 「ランス様は元々精霊の加護が強い。保有している精霊も強力な物だ。収容能力の方だけど、其方も申し分が無い。アルドールなんかより余程優れているよ」

 「過信するのではありませんか?それは彼らの身を滅ぼすことにもなりかねません」

 「そうだね、ランス様は優れている。運に見放されていても、彼は優れすぎている。そう思うことがあるかもしれない」


 聖域であるこの場所には、この場所を守護するための精霊もあり、それは基本的に持ち出せない代わりに強大な力を振るう。信仰こそが代償となるそれらの精霊は、神子様が教会に留まることが、何よりの力。空間転移など造作も無い。代わりに疲労感と畏怖の感情数を操作し植え付けることで、簡単に高等数式に触れようという気を無くさせる。


 「だけど、それも保険だ。今日の所は彼女の幸福値のおかげと思って貰おう、軽い細工も命じておいたししばらくは大丈夫だ」


 イグニス様の言葉にも、私は何故か安心出来ない。ジャンヌとアルドール様はそこそこ仲睦まじい様子だが、二人の別れは組み込まれている。

 大昔……シャトランジアは、タロックの侵攻を打ち負かした。守りだけならそれに勝る砦は存在しない。教会自体が兵器とも言える。純粋な武力でシャトランジアを攻め落とすことは出来ない。


(だが……道化師は違う)


 奴は精霊をも従わせる。イグニス様と同等力を持った恐るべき存在。あれはマリアージュのような変身数術なのだろうか?解らない。だがイグニス様に従う教会精霊を無効化し、懐柔、掠め取るような真似も奴は行った。奴はたった一人でこの国を……滅ぼせすことさえ可能かも……。


 「先代様の最後の数術のおかげで、精霊達が僕を誤認することはない。あの精霊さえ保有するなら、憑依数術中でもその効果は保たれる」

 「逆を言えば……それを奪われたら」

 「だけど、リオ。精霊の意に反した他者への保管を行えるのは、世界広しと言えど君だけだ」


 私が道化師に屈さなければ、そんな展開は起こり得ない。教会がシャトランジアが道化師の手に落ちることはないと、イグニス様は保証する。


 「……それは、確かに仰る通りでありますが」


 カーネフェリアに従いその旅路を支えることが、どんなに難しいことか……一番理解しているのは神子様自身。旅の始まり……道化師の襲来を察知して、イグニス様は大精霊を連れ歩いた。荒廃した土地で、信仰型の精霊を用いるのは消耗をする。本拠地から遠離れば遠離るほど代償が増すのが、その類。低級精霊では道化師を撃退できない。かといって神々との契約数式を持ち出せば、イグニス様の正体もすぐ知られていた。

 露呈した今は、開き直って彼女は何でもしているが、あの時に消耗した幸福値は大きい。幸福値を温存しきったラハイアのことがあっても、道化師相手にどこまでやれるか解らない。

 ラハイアの保護のために入れ替えたハートのキング。イグニス様はジャックの幸福値を温存し、尚かつ彼の死後にキングを手元に戻す。ジャックの数値をどのくらい残せるかが鍵だった。数値破りの覚悟は既に彼女は出来ていた。単純計算、道化師を上回ることも可能であったはずなのだ。


 「私は貴方の命でありますから、カーネフェリアには従います。しかし私の見る限り、彼は王たる資格が見られない」

 「君がそう思うのなら、それもまた事実だよ。確かにアルドールは情けない男だ」

 「イグニス様。我々は、貴方は……無駄死にとなるのではありませんか?」

 「……リオ」

 「教え子である、ラハイアが……ラディウスが死にました。そしてジャンヌも死地へと向かっております」

 「僕らは運命の輪だ。歩みを止めることは出来ない。散った仲間のためにも、そうだろう?」

 「解っております……解っては、いるのです……私も」

 「教えた相手を決して忘れない。それは君の美徳だが、それは辛いことだろう」


 もう何人、死なせて来たか。私の苦悩も当然ながら見抜かれる。イグニス様以外の前で、こんな風に不安を吐露は出来ない。与えられた役割を、こなす機械が車輪。脅える部下達を、私が安心させなければならないんだ。


 「アルドールは、道化師の天敵だ。道化師を退けられるのは彼しかいない。頼りなくて見ている君も辛いだろう……だけどどうか信じて欲しい。僕は、犠牲を無駄にする策は練らない。彼らの死を僕は、決して無駄にはしない」

 「感謝、いたします……」


 イグニス様は、私に優しく微笑みながら約束して下さった。慌てて涙を拭い、私も笑顔を取り戻す。私が持ち直したのを確認し、イグニス様は口を開いた。


 「今回の件が終わったら、ジャックは此方に連れ戻す。面倒はルキフェルに僕から頼んでおくよ」


 毎回、今回のようなことは出来ない。奇策は何度も繰り返す物では無いのだ。

 カーネフェル側では、エフェトスを上手くは扱えない。元々ブランシュ卿延命、セレスタイン卿制御のため派遣したカードだ。どちらの役目も終えた今、彼の貴重な能力をシャトランジアは守らなければ。セレスタイン卿を籠絡した道化師の、魔の手に落ちるようなことがあってはことだ。


 「急で悪いが君は彼方に貸し与える人員と、もう一人と共に今すぐカーネフェルへ行ってくれ」

 「了解しました!それで、私の相方はどのカードでありますか?」

 「№2を出す」


 №2、その言葉に私は目を見開いた。その言葉がこの方の口から出ると言うことは、あまりに大きな賭けだった。


 「神子様!しかしあれは……恐れながら、“最後の”!」

 「アルドールは頑張った。僕が居なくてももう、彼ならば大丈夫だ。僕も約束を果たさなければならない。その時が来た」

 「失礼ながら、私にはそのようには思えません。カーネフェル王にも、我々にも貴方は必要です!」

 「……そうかもしれない。だから仕上げが必要なんだ」

 「貴方は、貴方の“最愛の人”を再び犠牲にするおつもりですか!?」

 「“彼女”は、カードだ。僕の知る未来では、彼女が生き残ったことはない。ただの一度もね」

 「イグニス様っ!!諄いようですが言わせて頂きます、貴方はっ……」

 「№14 リオ=プロイビート、君は“№2 女教皇”を連れ、セネトレア戦の勝利を勝ち取れ。それ以外の返事を僕は聞きたくない」


 イグニス様は、既に覚悟を決めていた。その目をに食らいつくよう見つめても、あの人は穏やかに……強い意志を感じる瞳で笑うだけ。

 カーネフェルは、本当に勝てるのですか?“彼女”が命を投げ出すだけの価値はあるのですか?聞きたいことはいくらでもある。それでも……先読みの神子が私にそう命じたのだ。ならば返す言葉は他にない。


 「……仰せのままに、我が主」



 *



 夜が更けていく。寝なきゃ、そう思うのに寝付けない。仕方の無いことだ。変わろうとすることは、過去を捨てると言うことだから。


 「アルドール、明日は大事な日です!貴方に何かがあっては困ります!寝首などかかれぬよう私をお側に置いて下さい!」


 と、俺の部屋に泊まり込んだジャンヌは既に寝息を立てている。全く艶っぽい展開にならないのは信頼されていると言うのか何と言うのか。

 それでも昨日のようにジャンヌは魘されては居ない。少なくとも、安心はさせられたのだと思うと、それを渡したことには悔いは無い。ユーカーがいない以上、俺の護衛はジャンヌかパルシヴァルかの二択になった。これまで以上に俺は彼女と共に行動しなければならない。それは同時に、彼女に重荷を背負わせる。

 指輪を、人に贈るのは……これが二度目だ。嬉しそうなジャンヌを前に、思い出したのは……姉さんではなくギメルのこと。ギメルはあれからしばらく笑っていた。イグニスがあの時怒ったのは……ギメルの心を知っていたからなんだろうな。


(道化師の正体……イグニスの嘘)


 その証拠となるものを、どちらかが持っているかも知れない。

 イグニスと道化師がグルか?だとしたらもっと上手くやる。俺が彼女を見直すような出来事は、全て演出だというのならそれは浅はか過ぎる。彼女は徹底的に俺に嫌われるよう振る舞うことだって出来るのだ。


(イグニスは、イグニスであろうとした)


 シャラット領で自身が女と判明するまで、男として振る舞い、回復数術も使えないイグニスを装った。道化師に性別がバレてからは、イグニスはそう振る舞うこともなくなっている。壱も零もどちらの数術も彼女は操る。特殊能力を持つ精霊を従える彼女には、不可能ではなにのだろうが、道化師は数術にも秀でている。数術の些細な違いも読み取る確かな目を持っているのだろう。


(イグニスが……女の子)


 イグニスは否定しているけれど、……イグニスが、ギメルなんじゃないのか。だから回復数術を使えるのではないか?今でもその疑念は拭えない。これは、恐ろしい考えだ。だって……


(でも、それじゃあ……)


 俺を憎み追いかけるあの道化師が……誰か。考えたくない。でもその方がしっくりと来る。


(あれが………イグニスなのだとしたら)


 彼はまだ、俺を許して居てくれない。俺を怨み続けている。でも、どうして?ギメルがああして無事なのに……どうしてそこまで俺を憎む?どうして彼女を演じているんだ?

 そのまま俺を殺せない、理由が彼に在るのだろうか?


(あいつは俺を、苦しめて苦しめて殺したい)


 ギメルは他人を犠牲にするような子ではない。俺を支えてくれたイグニスだって、ある意味ではギメルらしかぬ行動をする。それじゃあ彼女は一体誰だ?

 考えても、考えても切りが無い。だけど、けじめは付けなきゃいけない。

 シャトランジアから旅立つ日から、持ち歩いてきた鞄。その中に枯れた花がある。俺の幸せを願う言葉と共に贈られた。彼女に貰った、白詰草の花冠。ずっと捨てられなかった……宝物だ。


 「大好きだった。君になら、俺は殺されても仕方ない」


 今でも俺は、そう思う。ユーカーが、新しく誰かを選べなかった気持ち、その罪悪感を俺も感じる。指輪を将来贈る相手が居るなら、それは彼女だと信じて疑わなかった。だけど俺は、俺の意思で違う女性に指輪を贈る。


 「さよなら……ギメル」


 君は何も悪くはない。昔の彼女の笑顔と共に、思い出すのは赤いドレスの道化師と……再会してからのイグニスだ。

 残った思いと迷いを振り切るように、俺は作った炎の数術で花冠を燃やして消した。


 「俺は……君に、殺されるわけにはいかない。みんなを、殺させない」


 こんな風に、安心しきった彼女を一日でも長く、俺は見ていられればと願う。

 変わることは恐ろしいけど、誰かがいなくなる方が、それよりずっと恐ろしい。忘れちゃいけない、そのことを。



 *



 ジャンヌに話をしたのは、夕暮れのこと。街での用事は、彼女のためのものだった。


  「ごめんなさい、アルドール……」


 部屋をノックしたところで、目覚めていた彼女が言った。


 「ジャンヌが謝るようなことはないよ」


 会議の前は、眠りながらも泣いていた。安眠できるような数術を俺は知らないから、せめて一時でも疲労が取れれば良いと回復数術をかけたけど……たぶん、効果は無かっただろう。


 「私、コートカードなのに……こんな、ことしか出来なくて」

 「……道化師はまだ、ユーカーを死なせたくない。どういう状態であれ、治療はしてくれている」


 数術を使って体温が低下した。頭も冷えた。そんな俺の言葉は、彼女にとって冷たく響いたことだろう。


 「敵を信用するというのですか!?貴方は!!そんな風に私を庇うつもりなら……止めてっ!」

 「だってあいつは、もっと俺を苦しめたいはずだから」


 慰めを口にしているのではない、彼女もそれに気付いてくれた。俺の真意を伺うように、弱った瞳で此方をじっと見つめている。


 「ジャンヌ、俺はこの世の終わりみたいな顔をしている……?」

 「……いいえ」


 まだ、終わりじゃない。それを信じる俺を見て、彼女は涙が引くほど激昂!勢いよくベッドから立ち上がる。


 「どうして、笑っているのですか!?トリシュがあんな目に遭って!!ユーカーが私の所為でっ!!」

 「もう、笑うしか無いじゃないか。俺がダメな王だから、こんな事態を招いてしまった。自分の浅はかさに、笑ってしまうよ」

 「私を置いて……トリシュ様を連れて行けばよかった、と?」

 「違うよ。俺はコートカードの皆に、特にユーカーとジャンヌに頼りすぎていた」


 ユーカーが廃人化したのも、ジャンヌがこうして苦しむのも、戦力がまるで足りていないから。


 「俺はルクリースを守れなかった。フローリプを、アージン姉さんを死なせてしまった。マリアージュのこともそうだ。レーヴェも仲間に出来なかった。そのツケが全部今になってやって来た、そういうことなんだ」


 シャトランジアの力を借りて、今までカードの戦力不足を凌いでいたが、イグニスと袂を分かったことでその支援もほぼなくなった。イグニスのやり方に異を唱える以上、それに代わる最善策を俺が出していかなければならないのに。


 「アルドール……」

 「取り急ぎで悪いんだけど……ジャンヌが寝てる内に加工してきて貰ったんだ。王としてはみっともないし、いつか贈り直させて欲しい。俺が立派な王になれたら、その時に」


 壊れてしまった宝剣トリオンフィ。その金と宝石を用いて作り直した指輪を彼女に俺は差し出した。触媒としては使えるだろう。これが彼女を守ってくれるようにと思いを託す。


 「アルドール=トリオンフィは、決して貴女を犠牲にする策は練らない。俺は皆と、貴女と生き残りたい。一緒に生き残る道を探したい」


 あり得ない未来かも。できっこない夢物語かもしれない。それでも夢見ることを忘れたら、それはもはや、人じゃない。俺はもう、人形ではないんだ。


 「俺は生き残らなきゃいけないけど、俺が死んで貴女を守れるなら俺は喜んで死ぬ。だから……俺達の民を、俺と一緒に守って欲しい。俺の隣で」

 「アルドール……っ、なんですかそのふざけた文章はっ!!もう少しマシなセリフはなかったのですか!?」


 仮にもプロポーズだ。ジャンヌが怒るのも解る。だけどとってつけたような好きだとか愛してるとか言うよりは、嘘のない気持ちを伝えたつもり。それでも彼女も一人の女性。こんな文章では怒るの仕方ない。

 しかし何度目だろう、怒ったジャンヌに平手を食らうのは。痛いは痛いが養母さんのあれとかそれにくらべたら、本当に大したことは無い。

 打たれて目が覚めたくらいだから、俺としてはありがたい。狼狽えているのは、平然としているどころかへらへら笑っている俺を見て、もう一度手が出かけたジャンヌの方だ。

 すんでの事で手を引っ込めた彼女が慌てふためいた。


 「わ、私ったらまた……ごめんなさい、感情的になってしまって」


 カーネフェル王を守る立場でありながら、その王に手を上げるなんて矛盾している。自身の突発的な行動に彼女は嘆いているようだ。


 「いいって、いいって。俺は好きだよジャンヌのそういう所」

 「あ、貴方やっぱりそういう趣味が……」

 「いや、そういうのじゃなくてですねジャンヌさん……」

 「は、はい」

 「俺は、貴女より……この国の女王に相応しい人は居ないと思う」


 王妃や妃ではない。対等な女王として貴女はここにあるべきだ。俺がそのように彼女を迎える。元は一人の村娘に過ぎない彼女が、そんな女性が血筋や身分は関係なく、王と対等の存在になれるなら。それは希望にならないか?今を苦しんでいる人々、或いは混血や奴隷にも、彼女は光になるかもしれない。時代を、歴史を動かすそんな光に魅せられて、俺達は、カーネフェルは変わっていける。俺が目指す国に、彼女が居てくれたら本当にありがたい。


 「心のままに動けるのって人間らしくて良いと思う。それが悪い方向に結びつくなら問題だけど、ジャンヌはそうやって暴走したかも知れないけど、それで沢山の人を助けてきたのは事実だろ?決められたこと、命令だけに従っていたならその人達は、今生きてはいられなかった」

 「……」

 「ありがとう。俺の民を守ってくれて」

 「アルドール……」


 何かを言いかけ、彼女は違う言葉を零した。


 「貴方は……一度だって、私に殴り返すことはないのですね。それは……他の人々にもきっと」


 俺の行動から、今回の目的も彼女は察してくれたよう。敵将達を、処刑する気が無いことも彼女は気付いてくれた。


 「貴方は、許すことで拓ける未来があると信じているのですか?」

 「そうであれば、良いと思ってる」

 「民がそれを許せなくても?」

 「理解して貰えるように、務めたい」

 「そんなこと……本当に出来ると、思っているのですか?」

 「そのために、俺と一緒に居て欲しい」

 「私に、そんな力はありません。見たでしょう……私のしたことを」

 「“俺”が、させたことだよ」

 「それでもアルドール……傷付けられた人は、痛いのですよ」

 「その時、殴られるのも俺の役目だ」

 「それが貴方の目指す、王の姿と?」

 「体鍛えなきゃな、ジャンヌまたその辺教えてくれよ」

 「私は厳しいですけれど?」

 「それは困る」

 「なら他の方にどうぞ」

 「じゃあ受け身の方法だけでも」

 「ではまず私の平手をかわすことから覚えて下さい」

 「それも困る」


 真面目な話をしてるのに、どうしていつも私の言葉をかわして逃げるのか、なんてジャンヌは少しむくれている。


 「アルドール……今の貴方の心を私は疑いはしませんが、貴方は何時か、私を疎ましく思う日が来るように思います。私はこうして戦うことしか出来ません。傷付けることでしか守れない。そんな女は王の傍には相応しくない。今からでも他の方を見つけて下さい」

 「俺は人望ないからさ、ジャンヌ以外に信じられる女性は居ないよ」

 「貴方は消去法で妻を決めるのですか!!」

 「俺の傍に居たら、ジャンヌが死んでしまうって思った」


 イグニスの考えたこと、逆らったって良い。ジャンヌ以外を選ぶことだって俺には出来る。

 例え仕組まれた出会いであっても、彼女が一生懸命カーネフェルを守り愛してくれたこと、俺はそれを知っている。


 「ジャンヌのことは好きだよ。尊敬してるし感謝もしてる。一緒に居たら、もっと好きになってしまうと思う。だからあんまり傍に居たくなかった」


 自分なんてろくでもない。わかっているさ。それでも俺を気にかけてくれる。自分を卑下して好意を否定することで、相手を傷付けることがある。フローリプを死に追いやったのは俺なんだ。そんなことはもう嫌だから……どんな可能性ももう否定はしない。


 「さっき、墓参りをして来た。謝ってきたよ……ごめんって」


 生きててごめん。生き延びてしまってごめん。こんなに早く、他の女性を見つめようとする俺をどうか恨んでくれ。呪ってくれ。だけど俺は立派な王になってみせるから、どうかここで見ていてくれと、二人に伝えた。二人の眠る王都を二度と他国に奪わせはしないとも。


 「傍に居て守れなかったのと、遠くに居て守れなかったのと……どっちも辛いことだけど、どちらも辛いことなら俺はジャンヌと一緒に居たい」

 「……」

 「それでもし、俺が貴女をもっと好きになるようなことを……それを許して貰えるなら」


 どうかこれを受け取って欲しい。

 俺の言葉が途切れた後には……長い長い沈黙が。その後、ジャンヌは一度だけ……小さく俺へと頷いた。



 *



 容赦はするな。冷徹になれ、残酷になれ。それが僕の在り方だ。

 傷付けられる前に傷付けろ。奪われる前に奪ってしまえ。そうでなければ僕は弱い僕を守れない。

 僕の存在を否定する。他者も全て否定する。自分が化け物だと思い込め。根拠のない自信を覚えろ。数術を失えば、僕は本当に無力な者だから。


 「なるほど、腐っても数術使い。化け物め」


 化け物と、言われる言葉が心地良い。そうだ、僕はお前等なんかと違うんだ。悪意めいた言葉さえ、僕は僕の力に変える。恐れられることで再び、僕は数術を取り戻していく。


 「悪くないぜエルスちゃん、この角度だとそのミニ丈着物から下着を覗け……ふごっ」

 「そこの変態は無理だとしても、分家薬師!ボクがその気になれば人間なんか簡単に血祭りに上げられるってのを理解してくれた?」


 夜間に移動し、目的地へ向かうつもりだったのだろう。元素の満ち足りる外へ僕を連れ出したのが間違い。毒使いとは屋内でやり合ってはならないが、風使いとは屋外でやり合ったら負けだ!!

 通り抜けていた森の、近場の木へと逆さ吊りにした同僚二人、その内変態の方の顔を蹴り飛ばしたところで僕はもう一人に笑みかけた。

 僕の頭を弄る奴が居るのは、そうしなければ僕の数術が破綻するから。僕を最大限利用したい側からすれば、僕の弱体化を防ぎたい。そういうことなのだろう。

 盲目なまでに、その存在を信じること。存在を肯定すること。それで存在しない精霊に、僕は形を与えられる。夢とか現実逃避とか、そういった類のこと。僕を追い詰めて、僕を苦しめて……僕が縋る先を求めるように誰かがそれを仕組んでいる。つまり、僕が馬鹿になれば良い。


 「お帰り、会いたかったよ」


 呼び寄せた精霊は、風の精霊シルフィードと同じ姿だ。だけど本物か紛い物か。僕はそれを本物だと信じる。自分に嘘を吐く。その事情の記憶を糧に、数術を紡がせる。この子を使う度、僕は真実を失っていく。

 僕が全てを忘れる前に、僕は双陸を助ける。それに間に合えば、それで良い。


(さてと)


 レクスは僕では殺せない。しかしこのままにすれば幸運値によって簡単に逃げ出されてしまう。


 「……殺せなくても、壊せるか」


 シルフィードの餌にすれば、簡単だ。この男が何を企み誰に従っていても、その脳を数術でいじくり壊してしまえばただの置物。僕の考えを知り、レクスは初めて僕に恐れを覚えたようだった。毒に強い貴族の阿摩羅であっても……壊してしまえば無力化できる。


 「わ、解っているのか呪術師!如何に王の寵愛を受ける貴方であっても、同僚である我らに牙を向けるならタロックでの居場所はなくなるのだぞ!?」

 「他の国だってボクを受け入れはしない。解っているよそんなこと」


 庇護する者がいなくなる。帰る場所もなくなる。誰も守ってくれない。死ぬかもしれない、今度こそ。


 「エルス、そいつは流石に勘弁してくれ」

 「僕がそれに従う理由があるとでも思う?」

 「ああ、あるな。俺達は取引が出来る」

 「それじゃあ聞いてあげる」

 「ありがとよ」


 軽い口調でレクスは笑うが、僕を見る目にこれまでのような同情、甘さ……侮りは残っていない。相容れぬ者として、彼は僕と対峙している。


 「タロックは、双陸を切り捨てた。見捨てるつもりだ。だが俺はこいつを持っている」

 「この剣……これって」

 「ああ、アロンダイト卿の物だ」


 レクスが自身の荷物を指差せば、そこには見慣れぬ剣がある。視覚数術で自身の剣と欺きここまで持ち歩いていたのだろう。いつの間にこんな物を盗んでいたのか。


 「この剣で、騒ぎを起こせ。煽動するのは得意だろ?カーネフェリアは、民の盾は斬れない男だ。それから……王に敵意を抱く都貴族の残党の、連絡先も教えようか?」

 「それだけ?ならどちらか一人」

 「万能の精霊を失った今、お前が城まで飛ぶのは難しいはず。俺の馬を貸す、返さなくてもいいぜ」

 「……もし貴方と双陸二人が無事戻ったら、本家へ私も取り計らいましょう。あの方の口添えがあれば、双陸の責任も軽くなります。狂王派の犬である彼を、議会派が追求しないならば……彼にも戻る場所は残されます。如何ですか……?」


 分が悪いのは、僕の方。レクスがカードの力を使えば僕は勝てない。レクスが取引を持ちかけたのは、僕とやり合い幸福値を減らすことを避けたい考えから。僕だって、ここで消費しカーネフェルと戦うのは苦しい展開。悔しいが、譲歩するしか選択がない。時間を稼がれて、もっと困ることになるのも僕だ。


 「……今度ボクにあんな真似してみろ。その時はお前達二人を廃人にしてやる」


 吊した縄を風で切り、二人を地面へと落とす。この変態達なら自力で縄抜けくらいはするだろう。人間相手にそれ以上の義理はない。



 *



 「……らしくない芝居だなレクス殿」

 「まあ、そう言うなよ」


 エルスの姿が見えなくなったところで、同僚が俺の縄をようやく切った。代々暗殺を生業とする分家の跡継ぎ。こんなことは朝飯前か。


 「あんたもなかなかだったぜ、あの小物っぽい迫真の演技!本家に口添えしてやる気なんて更々無いんだろ?」

 「識殿が、分家の倅なんぞの話を聞くわけがありません。それも覚えていないとなると、随分とガタが来ていますねあれは」

 「だからだよ。エルスちゃんが弱体化したままじゃ、困るのはお互い様だろ?」

 「あれに、第四騎士を救えるとお思いで?」

 「カーネフェルは出来ることならあの二人、丸ごと味方に引き入れたいところだろうけどな」


 そうは問屋が卸さねぇ。俺は肩をすくめて笑ってやった。


 「双陸って男は、生粋のタロークだ。そう簡単にはいかねぇよ」


 毒で頭や体は弄れても、心ばかりはどうにもならない。


 「エルスちゃんが、殿下の代用品なら……エルスちゃんも一回死んでおくべきだ。末永いタロックの平和のためにも、俺のご主人様のためにもな」


ジャンヌ回。アルドールを巡る恋愛模様もまた一悶着ありそうで、次回はどんでん返し……?

敵将コンビの未来や如何に!

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