76:Fiat justitia, ruat caelum.
「双陸殿、貴方の力をお借りしたい」
「……頼みと言うより、脅迫のように見えますが」
与えられた部屋に……人目を忍ぶよう、気配を絶って現れた二人の人間。暗闇でも解る明るい色、彼らは共に金髪だった。
「ええ。その通りです。此方の女性は、コートカード。貴方を殺すことなど造作も無い」
名実共に優れたはずの騎士が、女性に手を汚させる真似をしてでも、自分を従わせたい。それほど追い詰められた何かが起きたのだとはすぐに解った。荷物としてこのシャトランジアに送られた身ではあるけれど、双陸という人間は立場上はカーネフェルの客人という身分。
「今更、命乞いをすると思われているとは、心外です。しかし、アロンダイト卿。貴方は主の命に背く男なのですか?」
殺してくれるならそれで構わない。これ以上余計なことを考える前に、終わらせて貰えた方がありがたいのだ。タロックに背く以外の死に場所を与えてくれるというなら、従う気持ちはある。それでも、試す意味で問いかけた相手は……外見こそ異なるが、自分によく似た目をしていた。
「俺の友が一人、死にました。手に掛けたのは、……タロックに操られた、俺の友です」
「……カーネフェルに残した、セレスタイン卿が?」
「貴方は何か知っているのだろう!?タロックは、あいつに……ユーカーに何をしたっ!!答えろっ!!」
(セレスタイン卿……か)
不思議な人間だ。その名を聞いて、目の色を変える相手がうちにもここにもいる。第一騎士が目を付けた人間だ。あのふざけた下心以外に、何らかの計画があるのは違いない。おそらくはその計画が、内からタロックを壊すことになるだろう。レクスの暗躍、その主の思惑通りに。
(須臾王……)
決して誰にも言えない事がある。エルスにそれを伝えることも出来ない。あいつはそれを知っていたはずなのに、自ら忘れようとしているのだから。
レーヴェが死んだ。俺も死ぬ。そうなれば孤独だろう。エルスに王は必要だ。王がエルスを必要とするように……。
(しかし……)
エルスが、俺の名前を呼んだ。幻覚の宴の中、俺を招いた。かつては恐ろしい、不気味だと思った子供を……あの哀れな子鬼を、助けたいと思った。助けたつもりで、まだ救えていない。
(いや……足掻いたところで)
余計辛い場所に、あいつを突き落とすことだって……。
「現実が、真実が……必ず人を救うとは思えない」
「……双陸殿!俺はそんな講釈を受けに来たのでは無い!」
「嘘やまやかしが、人を救うこともある。それでも貴方は、真実を手に入れようと藻掻くのか?」
目の前の男も、同じ淵にいるのだろうか?問いかけた言葉に男は押し黙る。恐らく彼も、仲間に、友に……隠していることがあるのだろう。何の因果か。自分の探す答えは、この青年の内にあるのかもしれないな。
「手を貸しても良い。しかし条件がある」
まだ生きられるなら、しばらく見ていたくなった。そして、願いも生まれた。
「エルスに会う機会を、一度設けてくれ。死ぬ前に、二人きりで話がしたい。それを約束してくれるなら、残りの命、タロックと戦う以外の消費ならば何事でもお受けしよう」
これは賭けだ。もしそのチャンスが巡ってくるならば……俺はエルスに真実を話そう。タロックの真の姿を……。
*
要らないや、俺。そう思ったのが、はじまりだ。
両目を隠して生きて居た頃と、同じ場所に落ちたみたいに。だけどそんなものとは比べものにならない。ここには、光も音も無い。ああ、唯一の例外以外に。
「ようこそ、私と同じ世界へ。歓迎するよ、お兄ちゃん」
「ふざけるな、誰がお前の兄だ馬鹿」
「同じような物でしょ?だって私と貴方は……きっと、同じカードになるもの」
自分の顔も、他人の顔も解らない。そんな暗い世界で、唯一他人と認められる相手がいる。
そいつは、イグニスと同じ顔をした……道化師だ。赤い修道服の女が嬉しそうに俺へと微笑みかけていた。
(なんでこんなことに……)
文句を言っても始まらない。俺を殺そうと思えばこいつはいつでも殺せる。それなのに俺をこうして導くのは、こいつにとって俺に利用価値があるからだ。だが、それは此方も同じ事。俺はこいつを頼らなければ、歩くこともままならない。実際居るのか居ないのかも解らない、この道化師の幻影に連れられて……何処まで移動しただろう。風も感じない。踏み締めた土の感触も。外に出たのか、まだ城の中なのか。掴まれた腕を振り払うことも出来ず、その掌の温度だけが唯一感じられるもの。こいつに見捨てられたらたぶん、俺は本当に死んでしまう。生きていける気がしない。
(アスタロット……)
これが、報いか?
生きてください。そう言われて俺は生きた。生きようとした。結果、多くを傷付け死なせた。敵も仲間も。俺に近付こうとした相手を許せず逃げた。お前以外を愛してはいけないから、俺ではない物を演じようとした。その結果が、これだ。
たった一つを選んだようで、選べない。近付かれれば情が湧く。手を伸ばせば届くなら、守りたくもなるだろう。見捨てられりゃ、しないんだ。それなら誰にも興味なんて、持たれなければ良かった。ずっと昔のように人目から隠されるべきだったんだ。そうすれば俺が、苦しむことも無かったのに。
(それなのに……)
道化師は何故、俺に近付く。じっとそいつを見つめれば、あいつと違って可愛らしい笑みで女は答えた。
「何?」
「俺に関わるとろくな事にならないぜ」
「知ってる。貴方と私は同じだから」
「同じ?」
「私に関わると、ろくなことにならないよ?それがこのカードの宿命だから」
「……嫌な、言葉だな」
「決められてるわけじゃない。でもそういう人が、ジョーカーに選ばれる。素質があるということは、それだけ悲しみを貴方が知っていると言うこと」
「間違えちゃった、で俺の腹思いっきりぶった切った相手に言われてもな」
「あはは、それはごめんなさい」
「明るく言うなよ。……で、俺をどうするつもりだ、道化師」
「少なくとも貴方が以前の貴方と同じように振る舞えるまで、この世界の在り方を、私が全部教えてあげる」
「どうして、俺を」
「貴方は数術使いになれなければ、死ぬだけよセレスタイン卿。いいえ、そうでなければ……貴方は私と同じカードになれない」
優しささえ感じる声は、微塵も悪意を感じない。俺を自分自身のように親しく話しかけている。
「貴方がこの力を使いこなせるようになれば、貴方は今度こそ、貴方の大事な人を守れるわ」
「それが、お前の何になる」
「それが、アルドールにとって何より辛い未来になる」
利害の一致、協力しないわけがないでしょう?
アルドールの名が出た途端、道化師の声は憎悪一色に染め上げられた。その名を聞いて思い出すのは、泣いてばかりのあの情けない少年王。
「あいつ、起きてはいねーけど……俺が出て行くの、知ってたぜ」
トリシュに、あの精霊が憑いてた。それで情報が共有されている。だからこうして俺が誰に連れて行かれたかだって知ってる。
「その上で裏切るのは辛い?なら別に裏切らなくてもいいよ?貴方がどちらの道を選ぼうと、アルドールが泣かない未来はどこにもないから」
それは確定事項のように、道化師は事実として情報を俺に与えた。
「私が唯単に、貴方みたいな人が好きなだけ。そう思ってくれても良いの。私は好きよ。過去に縛られて、失った人のことばかり想い続けるような貴方が」
「お前は誰を、失ったんだ?」
「……貴方が自分の目と足で、世界を知るようになったら教えてあげる。真実を」
というか、きっと解るよ。奴が笑った。
「私と同じ力を得たなら、私の嘘も貴方だけには見破れる。唯、その目で見るだけ、或いは触れるだけで。さぁ、まずは貴方に情報を……形を与えてあげる」
さっきから歩く先々で触れた物に感化され、姿形が変わり続けている俺に、姿を保てるだけの情報を……奴は俺へと引き渡す。
自分が塗り潰されていく中で、俺は再び考える。どうしてこんな事になったのか。
*
あいつが息を引き取って、それからあの馬鹿が来て。それからあの馬鹿が倒れてまもなくだ。扉の向こうから騒ぎを聞いたパルシヴァルが駆けつけて、生きて居る方を優先して、アルドールを運び介抱しに行った。その直後から、視界が一気に暗くなる。
(何も、見えない……)
これまで見えていた全てが。それなのに、全てが解る。目の前には夥しい数の、数値の群れが存在している。暗闇の中で、輝くのは数字達。なんて味気のない世界。
万物は数字である。適当に聞き流していた言葉が、事実であるとこんな風に教えられる火が来るなんて。
(頭が、おかしくなりそうだ)
歩けないんだよ、うまく。自分の足も、床も壁も……どこまでがどれかわからないんだ。目を瞑ってやっと手の感覚が戻る。耳を澄ませて足で床を叩いて、やっと歩ける。
数術使いはあの景色で、全てが解るだろうに、俺には何も解らない。だから何も見えない方が、まだ思い出せるのだ。これまで生きてきた身体が、覚えていることを。
(ごめんな、トリシュ)
お前を埋めてやることも出来ない。目を瞑りながら、自分の衣服を探り……見つかったナイフで床に文字を彫る。上手く書けたか解らない。それでも目覚めたら、あいつはきっとそうしてくれる。
いくつか失った代わりに、いくつか思い出したことがある。その目的のために、これは大いに役立つだろう。
だけど、何故か頬には涙が伝う。その感覚も、ぞっとするほど気味悪い。身体が肌が作り替えられたような、これまで感じていた全てとは異なる感じ。
あいつのために、他の誰かになろうとした。逃げ続けた俺への報いか、目覚め始めたカードの鼓動に、正気を保つのも辛い。
普通の人間だったはずの俺が、俺の数値がおかしくなった。それを耳鳴り以外でわかってしまうのが、既におかしい。常人が、才能の無い人間が数術に触れれば、廃人や脳死だと……聞いたことがある。これはその、一歩手前なんだろう。
それを理解し、使いこなせるようにならなければ、いよいよ俺の頭もあの世行き。でも、誰にそれを乞えば良い。誰も居ない。唯一解りそうなのが、腐れ教皇か……死なせてしまったマリアージュ。
あの子は最後に、自分の顔を思い出したけれど、同じ事が俺に出来るような気がしない。大嫌いだったはずの自分なのに、もう戻れなくなると思うと、悲しく思う。誰に認められることも無く、消えていくんだなと思う。
(その前に……居なくならねぇと)
誰に気付かれる前に、そっといなくなろう。そう思うのに、飲まれそうになる意識の中で、自分を呼ぶ声がする。幼い声だ。この声は、今日……いや、もう昨日?掻き消されそうな俺を、救ってくれた声だけど……今はきっと、そうじゃない。
辛うじて残った自分で、最後の言葉を振り絞る。
「お別れだ、パルシヴァル」
「嫌です!」
逃げ出したのに、お前は気がついたか。本当に、よく俺を見ているなお前は。お前はアルドールの心配しなきゃいけないだろ?それなのに、なんだって俺に付いて来る?戻って来るなよ、こんなところに。
「お前は騎士だ。選んだはずだ。お前の道を」
「貴方だって騎士でしょう!?それなのに……どうしてここからいなくなるんですか!?」
居られるわけが、ないじゃないか。こんなところに。俺は俺であるために、もはやここには居られないのだ。誰に弱音を吐けば良い。誰にも言えやしない。きっと誰にもわからない、こんな感覚。こんな気持ちは。
「……昔のランスみてぇなこと、言うなよ。お前まで」
そう、伝えるのが精一杯だった。強く言い聞かせなければ、脳も心も、記憶も気持ちも全部……何も解らなくなりそうで。
「あいつとは違う騎士になるんだろ、お前は」
優しく頭を撫でた、はずの掌。その感覚がわからない。自分が溶けて消えそうだ。自分が誰か解らない。誰にでもなれてしまうから、戻れなくなりそう。この姿を保っているのも困難なんだ。
「セレスさん!?しっかりしてください、セレスさん!!」
あいつの目の前で、俺はどうなってしまったか。たぶん、もう俺の姿ではなかったはずだ。
「可哀想な、騎士様」
「あ、貴女は!?」
イグニスとは違う、そのよく似た相手を目撃しパルシヴァルが警戒し出す。それが道化師だとは思わなくとも、話だけなら奴も聞いている。
とうとう、来たか。俺を導く幻覚だけじゃなく、本体で。
「はじめまして、可愛い騎士様。そっちの可哀想な騎士様がどうしてそんな物になっちゃったか解る?」
「セレスさんは、何も変わりません!ちゃんとここにいて、触れるし、なにも変わらない!そんな物って、何ですか!?」
「……いい目を持ってるね、“彼”より余程……いい目をしてる。ああ、話を戻すね。君の言うように、彼の頭はそう思わない。今、誰に支えられているかも解らない」
「え……?」
「そして、貴方の声も……そろそろ認識できなくなる頃よ」
道化師の声が合図となったのか、それ以降……聞こえるのは奴の言葉だけ。内容は進んでいくから会話の応酬はあるはず、それなのにパルシヴァルの声が、聞こえない。
「可愛い騎士様、貴方も同罪。慕って崇めて、追いかけながら……求めたのは違う人の、代用でしょう?」
「止めろ、こいつは悪くない……」
聞こえないが、俺まで黙っていられない。しかし口を挟んだ俺には答えず、道化師はパルシヴァルとの会話を続ける。
「ここにいたら、セレスタイン卿は間違いなく廃人か脳死する。お兄ちゃんは、急ぎすぎた。そして彼を追い詰めすぎたから」
事実を語るように自然に、道化師が語り始める。そこに宿った感情は、俺に対する哀れみに近い。馬鹿にされている、とは感じなかった。その言葉が、味方の言葉などよりも……遙かにもっともらしく俺達の耳には届いていたのだ。
「というか、ブランシュ卿がダークホース過ぎた。お兄ちゃんは、最善の手を打ったつもりで、とんでもない落とし穴に嵌まってしまった。セレスタイン卿の存在はワイルドカード。だからって、何にでも使って良いわけじゃない」
悲しいけど、お前という人間の身体は、脳は……数術使いではない。それがこの事態を引き起こしてしまったと、奴が教えた。
「元々数術の才能の無いヌーメラルカードは、どうして数術が使えるようになったと思う?そして、ヌーメラルではないから元素加護がなく、才能も無く、それでも数術に触れてしまった彼はどうなってしまったと思う?」
「……」
パルシヴァルは答えない。答えられないのだ。奴自身、数術に触れるようにはなったが、それを言い表せるほどの理解は進んでいないから。奇しくも心や気持ち、感情でそれを行使出来る幸運と才能を持ってしまったパルシヴァルは、数術が使えない人間のことが解らないのだ。これまで、数術を使えなかった頃の自分がどんな風に生きてきたのかさえも、きっと。
「純血で数術使いでもない彼が、このカードに馴染むには手順が居るの。自分が自分であることを、守るためには他人が、必要。だけど彼自身を見ていた人は、カーネフェルにはもう、一人も居ない」
パルシヴァルは、何を答えただろう。きっと何も言えない。見ていたと答えようとして……後は嗚咽以外喋れなくなってしまった。それが本当なら、俺はこんな風にはならなかったと、道化師の視線に責められているのだろう。可哀想に。
「弱いカードとブランシュ卿を、甘く見たんだわ。それで、大事に育てたかった手駒を失うんだから本当に愚かなカーネフェル!」
何故、トリシュの肩を持つ?死んだ者を、悪くは言わないのかこの女は。それが敵であっても、憎む相手ではなかったと言うのだろうか?
手段であって、目的ではない……?アルドールを憎むため、苦しめるために何でもするけど、そのために死へ追いやった人間を、どうこう思っていないのか?
(なんなんだ、こいつ)
感情があって、感情がない。二面性というには遙かに淀んだ何か。深く繋がり張り付いた、こいつの目的、意思を感じる。俺やパルシヴァルをここで殺すことが出来るのに、そうしないのも恐らくは……
「今、彼を助けられるのは私しか居ない。それで可愛い騎士様、一つ聞きたいのだけれど」
「……」
「貴方は、どうする?アルドールの騎士として、彼を連れて行こうとする私を止める?それとも近日中に死んでしまうと知りながら、セレスタイン卿をカーネフェルに留めたい?」
*
(不思議だわ)
ジャンヌは今の自分達を思い、安堵と惑いの息を吐く。
結論から言えば、空間転移は成功した。私の幸運、ランスに憑いている精霊達、それから……協力者の力によって。
都まで戻り、二手に分かれた。ランスはアルドールの保護に、私達は一足先にセレスタイン卿を追うために。
「こんな日が、来るとは思いませんでした!」
「それは、私も同じ事……」
故郷、カーネフェルを駈ける相手がまさか、タロック人だなんて。
「ですが乗りかかった船、今しばらく付き添わせて頂きましょう」
「嘘の無い人!気に入りました、私は貴方を」
「煽てたところで鞍替えは致しませんが!」
「ええ、ならば余計に!」
あの憎き女王と同じ……深く暗い黒と赤。同じ闇を纏った青年は、それでも私達の協力者。
ランスの言った、策とは彼だ。シャトランジアの手を借りず、この事態を収めるべく……私達は彼の力を求めた。彼はスペードのⅣ。上位カードに位置する彼は、元素の恩恵を受けている。
「力を貸せ、と言われたときは何かと思いました」
「すみません。彼は……普段は冷静な人なのですが……」
「アルドール王は、良き人間です。故に慕う者も多いでしょう」
「……ええ」
それは、私やランスのことだろうか?馬を走らせる黒髪の騎士は、真っ直ぐ前だけを見据えて告げた。
「しかし、王の器にはない。カーネフェルを治めること、容易には行きますまい」
「解っています。それは彼も……私も」
所詮はお祭りの玉座だ。生け贄のための王だ。カーニバル王なのだ、彼という王は。
「良い王が国を継ぐまで、国が滅んでは何にもならない。だからアルドールは、泣いても傷付いても……王であることから逃げはしないのです。彼が王になるまでに、散った者達のためにも」
「……王になってからも、それは同じかと。王で居続けるために、失われる者も多いことを彼は知っていくはずです」
(だとしても、アルドールは彼を失ってはならない)
王の傍には、道化が必要なんだと思う。セレスタイン卿のように、立場や身分を越えて話が出来る人間が。彼を本気で馬鹿に出来る人間なんて、この国にはきっともう彼しかいない。アルドールが王ではなく、一人の少年として接することが出来る心を許せる相手が必要なんだ、どうしても。
(そう、でももしかしたら……)
この敵将をどう裁くか。今カーネフェルが抱える問題の一つ。全ての民を納得させる道などない。それでも最善とは何か。
「世間話はまた、後日ゆっくり致しましょう!もうすぐ、追い付きますっ!」
「……貴女は呪術師、いえ……数術使いではないのに、よく」
「耳だけは、良いんです。昔から!最近……ますます聞こえるようになりました!!故郷に帰ってきたからかも!」
声が聞こえる。その方に向かっていけば良い。その通りに。誰を救えば良いか、何をすれば良いか。
敵将の風の数術で、聞こえる範囲を広げて貰う。これで違和感を感じ取れれば見つけることは難しくない。
(先客が、居たようですね!)
追いかけた水の気配に重なるそれは、私達の味方のカード。気配を隠すことも出来ないほど取り乱した感情の響き。
「リスティス卿っ!よく追ってくれました!!」
助かりましたと、そう叫び……小さな騎士の背中に追い付き、私は馬を飛び降りる。双陸殿はそのまま馬上で眼前を静かに見据えた。
その先には……修道服と言うには慎みのない、赤いドレスの少女の姿。もう見慣れた相手だ。でも、それだって……何処までが本当だろう?
耳を澄ませて聞こえてくる歌。それは今回は彼女からではなく、その傍から私に流れ込んできた。
「え……?」
「セレスさん……っ!しっかりしてくださいっ!!僕はっ、……貴方の願いを、叶えたい!貴方がここからいなくなりたいなら、止めません。だけど、そうじゃないなら……戻って来て下さいセレスさんっ!!」
「無駄よ、可愛い騎士様。そんな人は、もういない」
「パルシヴァル……?」
彼は誰に向かって話をしているんだろう。何度も目を瞬いて、私はようやく気がついた!最初からそこに居たはずなのに、今まで見えていなかった、その人に。
「セレスタイン卿……?」
小柄な少女、彼女に身を預け放心したよう目を見開いたままの青年。意識はあるようだが目に映る物を、全て認識していないような様子の彼に、私もぞっとした。
「こ、これは……」
見た、ことがある。才能も無いのに無理に数術を使った、純血の成れの果て。でも、それだけじゃない。
視覚数術とも違う。パルシヴァルに言われなければ、彼がそこに居ることも私は理解できなかった。人一人の存在が、構成されている数値が、別の物に置き換えられてしまったみたいに、わからない。理解できない物だから、そこには無い物だと脳が錯覚してしまう。その方がそれを見るのに簡単だから。
彼自身、数術で姿を変えたわけじゃない。それなのに他人が見る彼という人間が、彼では無くなってしまう。これが、道化師というカードの力なら……このもう一人のジョーカー。いよいよ誰かが解らない。嗚呼、それさえ逆手にとるために、この状況を招き入れたともとれる。
「彼は、凡人が開けてはならない扉に触れた。このままでは良くて廃人、それか脳死。今彼を救えるのは私しか居ない。だから私に預けなさい?心配なら、貴方も付いてきていいのよリスティス卿?」
「駄目です、パルシヴァルっ!!」
なんて女だ!相手がまだ子供なのを見て、こんな誘いをしてくるなんて!
慕い憧れる先輩騎士の危機、まだ幼い彼は国や世界を見つめた判断が出来ない。どうしても心で思いで天秤を傾ける。それが強いカードであるのだから、人質はこの上なく有効だ。
「貴方に渡すくらいなら、私が、ここで……」
セレスタイン卿がカーネフェルの脅威になるならば、私が止める。ここで殺す!目覚めかけているとは言え、幸いまだ彼はジャック。私がまだ殺せる相手!
「……僕が、やります」
剣を構えた私に近付くパルシヴァル。止めるのかと、思った。泣き喚いて懇願、邪魔をすると思った。それでも小さな騎士は涙ながらに私に言った、身の丈に合わぬ長槍をしかと握りしめ……
「こうなる前に、頼まれたのに。ごめんなさい……セレスさん。今度こそ、僕は貴方を守ります!」
生ける屍になるならば、彼を留める。彼の心を。それが、彼を殺めるということであっても。意に反して、道化師の道具になるようなこと、彼が望むはずがない。そう信じて立ち上がった小さな騎士をも、道化師は嘲う。
「ふふふ……いいの?私は彼をよく知ってる。だから聞こえる。こうして何もかも感じ取れる。貴方との思い出だって」
「!?」
「リスティス卿パルシヴァル、貴方は誰かを守るための騎士になるんじゃ無かったの?」
「っ……」
「こんな何も出来ない、抵抗も命乞いも出来ない、抜け殻のように哀れな男を殺めることが、貴方の掲げる騎士道なの?私は知ってる。彼がカードに願ったのは、生きること!それが大事な人との約束だから!」
知ったつもり。本当は何も知らない。ほら、上辺の姿に言葉にまどわされ、本質を見抜けはしない。理解できないのよ。そう嗤われて、パルシヴァルは彼の姿を見失ってしまったようだ。
「あの数式は!」
あの話術を隠れ蓑に、紡がれていた数式に、双陸殿が気がついた。嗚呼、あの言葉に私も意識が向いていて、数術の歌を見抜けなかった。数式を隠す数術?今のセレスタイン卿の存在に似た、やり口。パルシヴァルが折れたタイミングで、道化師が数術展開を表面に出し、速度を増した!隠していた分、遅かった。それを露わにすることで計算速度を上げたのだ。
「くっ……」
私にはまだ、見える。私はパルシヴァルから得物を奪い、虚ろな瞳の騎士に向かって突き出した!!
「英雄……聖女が、笑わせるわ」
「っ!?」
「振り返ってみなさい。貴女がしたこと、してきたこと。その全てが正しいと思えるならば」
道化師が、去り際私に残した言葉。増えた、蹄の音。見られてしまった。今の私を。
振り返らなくても解る。誰が誰を連れてきたかなんて。
(あの女、わざとっ……!!)
追い付かれるまで、待っていた。時間稼ぎは……これを彼らに見せるため。私がどういう女かよく、理解した上で……弄んだ!パルシヴァルに、そうしたように、私のことも!
「ランス……アルドール」
得物は血まみれ。私には返り血。連れ去られた彼の生死は不明。私の罪だけが、今に残されていた。
最善を、行おうとした。敵に奪われるかもしれない、ジョーカーが目覚める前に片を付けること。正しい事のはずなのに。どうして私は……真っ直ぐ彼を見るめることが出来ないのだろう。
(おかえりと、言いたかった)
貴方を、笑顔で……他の誰かとは、違う風に。それでも貴方を、支えられたら……と。
「ごめん……なさい」
再会の言葉は、こんな言葉で笑顔も作れない。頬を流れる涙、その伝う感触がおぞましくて堪まらなかった。私は、私の名誉のために泣いているのか。仲間を傷付けたことではなくて、自分自身のために。
友にとって、王にとって……大事な人を、傷付けた。カーネフェルのためならどんな汚名も背負えると、そう信じてきた私が……こんなにも狼狽えている。
貴方に、どう思われるかが怖くて堪らないのだ。パルシヴァルだって泣いていて、私に近付きさえしない。
「……っ、ごめ……ん、な……さ、い」
ジャンヌ回。何故こうなった…