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75:Ultra posse nemo obligatur.

 踊らされたのは、どちらだったのだろう。二人とも“誰か”の思惑で踊らされたのは確か。それが一番、あの時点で有効な手であったのだとしても。踊らせた人間は、踊らされた人間の気持ちが解るのか?きっと解らない。

 はじまりがどんなものであれ、終わりは辛い。駒でもカードでも、それは心を持った人間なんだから。


(ユーカー……)


 カーネフェルに留まったこと、きっと後悔している。俺はまた、助けられなかった。ユーカーを現実に連れ戻したのは、洗脳から解きここに留まらせているのはトリシュの力。魔法でも薬でもない。仲間を……友達を、失ってしまった胸の痛みだ。


(トリシュ……)


 出会った頃を思い出す。あんなに暴走していた彼が、こんなことをするなんて思わなかった。

 ユーカーは俺と同じだ。何も見えない。解らない。見ようとしない、解りたくない。全てが怖い。それでも道化師の語る愛とは違う、唯ひたすら相手のために尽くし、守ろうとするそれは……どんなに彼の心に響いただろう。

 もう、喋ることも出来ない。辛うじてまだ意識だけは残っている。そんな青年の頭を優しく撫でる白い手は、その手が剣を握っていたことすら忘れるような綺麗な物で。

 驚き顔を見つめれば、元の人の面影は残っているのにもはや別人。ちょっと目つきは悪いけど、綺麗な髪の貴婦人だ。


 「お疲れですね、トリシュ様」

 「……、っ」

 「貴方のイズーはお側に居ります。だからそんなに、泣かないで」


 いつになく甘く優しい声と、纏った空気。視覚数術とは違う。詳しいことは解らない、だけど数値の気配が違うんだ。見ていて、不安になるような胸のざわつき。これはきっと、良くない式だ。

 そう、そもそもおかしい。ユーカーは数術の才能が全くない無い純血だったはず。精霊を憑けているようにも見えない。それなのに、彼の周りで感じる数術反応。これは一体なんなんだ!?


(違う、違うよユーカー)


 トリシュが聞きたいのは、そんな言葉じゃない。お前自身の言葉のはずだ。幾ら態度が行動が……彼の望んだものであっても、そこにお前が居ないんじゃ、何の意味も無いだろう!?

 薬で痛みを感じなくても、彼の心は張り裂けそうだ。見ているだけで俺も苦しい。それはお前だって同じだろ。それなのに、どうして。

 彼は配役に徹して彼を見送った。自分としてそうすることをどうしても許せないから。

 配役を求め続けた彼が最後に、本当を求めたのに。


(ユーカーは、あげられないんだ。自分のことを)


 本の中のお姫様は、間に合わないんだ。騎士の死に目に。だからこうして看取られることが、何とも皮肉。だってそれは、ユーカーが本物じゃないと言われているようなもの。金髪であっても、回復数術は使えない。彼の配役は、白手の貴婦人だ。偽者らしい紛い物の決着だと、自分に言い聞かせているのだろうか?

 ユーカーはアスタロットさんの物だから、だから今トリシュのために、イズーを演じる。本当の恋人のように仲睦まじく、戯れて。

 数値の違いが分かるのか?見えているのか、真実が。トリシュの所持する媚薬の瓶から、目当ての物を見つけ出し、“彼女”はそれを口に含んだ。


 「お休みなさい、ゆっくりと」


 優しく呑ませたのは、毒薬だ。どうせ助からない。だけどカードだ。止めを刺さなきゃ苦しみが長引く。だから幕を下ろした、痛み止めが切れる前にコートカードが。

 最初で最後の“彼女”の許しは……優しいけど、残酷だ。


 《せめて、苦しまないように》


 数術で情報として聞こえた、ユーカーの声。その言葉。それは果たしてどちらに向けられた言葉だったのだろう。


 *


 すべてを、守れるわけなんかないのに。

 たった一つを選べば、守れた。その一つに選べたならば。

 選んだつもりで、選び切れていない。見捨てたつもりで、手を伸ばし続ける。差し伸べるように投げ出されたそれは。

 求められることを、求めていた?それならば、この状況を作り出したのは自分自身。

 だから、逃げようとした。自分では無くなれば、自分さえ居なければ。ここに居るのが別の誰かだったなら、選び取れるのではないか。救えるのではないか。


(本当に、何様だよ……俺)


 命さえ削れば、命さえ捨てれば……その瞬間だけ、本当に何でも出来るのかもしれないけど。たぶん、ほんの少しの間だけ……なれるかも。どんな願いも叶えてやれる、神様って奴に。だけどそれって、……


(何がしたいんだろう、俺は)


 我が儘なのだろうか。思い上がりか?

 何も見えない場所で、一人だった。だけどランスが現れて、俺の世界は広がった。あいつの方がよっぽど、空だ。広がる世界を教えてくれた。だけどあいつ一人のために俺はなく、そう使いたいと思っても、実際身体は勝手に走り出す。あいつのいない、他の場所へと。

 この目に見えて、この手の届く場所の奴らを……放って置けないと思うのは。背負うことも受け入れることも出来ないのに抱え込もうとする俺は、無責任で最低だ。

 だからってすべてをそうしてしまったら、俺はもう何も出来ない。動くことも、走ることも、逃げることも出来ず……本当に飾りになる。命が食いつぶされるまで、祈り続ける幸運の……口うるさい置物だ。


(何がしたかったんだろう……俺)


 興味なんて、好意なんて関心なんて。そんなもの与えられてこなかった。だから、そういう物に触れて……喜ぶ自分が居たのも確か。だけど俺から与えられる物は何もない。そうしてしまえばそれは、俺では無くなってしまうから。


(でも)


 考えてみる。そんなになって必死に守ろうとするほど、俺に意味はあるのか?


(嗚呼、俺……要らないわ)


 そう思った瞬間、何も見えない。両目を開けているはずなのに、何も見えない。必死に目を凝らしたところでようやく見えてくるのは……暗く輝く数値の群れだ。


(何だ、これ……)


 自分の両手を見つめても、そこに俺の手などない。何となく手のように見えなくもない、数値の集合体がそこにあるだけ。輪郭も骨も肉もないんだ。

 これが数術使いの見ている世界か。いや、それだってここまで酷くない。それじゃ何か。コレが、“道化師”の証か?

 こんなイカレた景色、本気で頭おかしくなりそうだ。純血に堪えられないっていうのは本当か。ずっとこんなもの見ているくらいなら、今すぐ死んでしまいたい。殺されたい。殺して欲しい。そうしてくれたなら、俺はそいつに感謝する。それ以上の気持ちさえ芽生えるかもしれない。

 でも、どうやったら死ねるか解らない。腕らしき物を首のあるであろう辺りに這わせるも、触れた心地がしないんだ。身体をすり抜け、体内の数値に直接触れているようなおぞましさ。

 自分を捨てること、他の誰かになろうとすること。それはこんな目に合うほど罪深い行いだったのだろうか。


(それでも……俺はここには、いられない)


 方角もわからない。踏み出した先に道があるのかもわからない。答えはそこに書いてあるのだと気付いても、その紐解き方がわからない。

 目を瞑る、耳を澄ませて……歩き出す。手探りで見えてくる道。ようやく俺は、歩き出す。

 ここにはいられない。それだけは……もう解っているから。

 もう、俺には何も守れない。どうすればこの手で何かを守れるか、まるでわからないんだ。

 それ以外何も解らなくなった俺を呼ぶ、誰か。その、声だけが、聞こえる。


 *


 見せられた二人の情報に、俺は何を思えば良いのだろう。

 アルドールは情報記憶の中で考える。抱える気持ちは二つ。早く目覚めなければと言う焦りと、目覚めたくないという現実逃避。

 実感が、ないんだ。道化師はいつも、俺の周りの女の子から死なせてきたから。

 俺の周りに居た、俺に仕えてくれた男が死ぬのは……はじめてだった。トリシュは……今まで俺の傍に居なかったタイプの人間で。距離感や扱い方を測りかねていたところもある。

 だけどいつも一生懸命で、俺にはない情熱みたいな物を持っていた。他人事と言えば言い方が良くないけど、微笑ましく眺めさせてもらったこともある。

 すぐ暴走して、だけどわりかし真っ直ぐで。キャラが濃い……って褒め言葉なのかな。よく分からない。でも実際、一度会ったらたぶん忘れられないような人だよ。


(そう、だから……)


 彼が死んだと言われても、実感がない。姉さん達を殺された時のような現実逃避とは違う。悲しいはずなのに、それに心が追い付かない。漠然とした喪失感は、寂しさだ。

 彼が手にしていた竪琴も、二度と奏でられることはない。音楽の消えた世界。これが、彼の死なのだ。今更になって、支えられていたんだと気付く。苦しい状況にあっても、彼の存在があって……俺は笑えていたところがあったのに。

 俺は王として、彼に何をしてやれた?彼の友達として、何が出来た?たぶん、俺がもらった以上に俺は何も返せなかった。

 イグニスとギメルのように、完結した世界だったわけじゃない。彼は外との関わりも持っていた。それでも彼にとって……たった一人がすべてであったから。俺は眺めることしか出来なかった。窓から外を、眺めるように。近くから……遠くから……二人を、見ていたんだ。

 そういう俺からしか見えないこと、わからないこと。もっと教えてやれたら良かったのかな。トリシュはたぶん、知らない。知らなかったこと……


(ユーカーは……)


 嬉しかったんだ。救われてもいたんだよ。感謝もしていた、否定して否定され続けた自分を欲しがるトリシュの存在に。

 トリシュが変わらなければ、折れていたのはユーカーか?それともトリシュが変わったから……ユーカーも変わったのか。この結末は、誰が招いたことかはわからない。後ろで何か企んだ奴なら何人かはいるけれど。

 自由に生きて。彼女と彼の約束を、彼は知らなかったはずなのに。彼を見ていると、彼を思ってしまったら、同じ結論に辿り着いてしまうものなのか?


(だけど……)


 選んでやりたい。でも選べない。自分では。だから自分が居なくなれば良い。

 トリシュの、アスタロットさんの願いとは逆の方向へユーカーは進んでいる。それで、救われることなんてないのに。


(あ……)


 トリシュはそこで……止まったが、ユーカーの情報はまだ、先がある。俺の耳に届いたのは、もう聞き慣れた……懐かしくぞっとする女の声だ。


 「救おうとするのは、救われたいから」

 「だけど救おうとすることは、救われることを諦めること」

 「貴方は誰を、助けたかったの? あの人?それとも自分?」


(どうしてお前が、ここにいる!?)


 お前はさっき、シャトランジアにいたはずなのに……

 情報の中、頭を過ぎるのは……一つの疑念。その手段を、確かに彼女は……持っている。

 でも、それじゃあ……どこから、どこまで?何を信じれば良い?何を疑えば良い?

 わからない、でも……早く目覚めなければ本当に、“大変なことになる”。


 *


 声、その声は。追い詰めるのではなく此方を知ろうとするように。自分自身に問いかけるよう深く、遠慮無く。数値の海にありながら、その女は数値に飲まれることなく存在している。その声に導かれて、俺は僅かに自分を取り戻す。


 「思い出した?改変された情報じゃない、本当に貴方が忘れていたことを」

(俺が、忘れた……こと?)

 「思い出したでしょ?こんな戦争、何の意味もないんだってこと」

(……っ!!)

 「可哀想に。あの騎士様は、死ななきゃいけない理由なんて何もなかった。あの人はこの国と、貴方に殺されたのよ」

(……)

 「なんてね!嘘嘘!理由も意味もあるよ彼には」

(!?)


 くすくす笑う道化師は、此方の反応を楽しむような無邪気さを表した。


 「貴方は、助けたかったんだよね“せめて苦しまないように”」

 「……違う」

 「だとしても……彼のやってくれたことは、無駄じゃない。お兄ちゃんの数術を打ち消した。それは……あの日貴方から奪った記憶も取り戻させるってこと」

 「俺の、記憶……」

 「そう、私と貴方の繋がりを……」


 嗚呼、そうだ。俺はこいつと何度か出会っている。シャラット領でも会話をしている。

 ユーカーはようやく、自分の言葉を取り戻し、自分の存在をその場に知覚し始めた。


 「また、俺の目を弄ったのか?」


 前にもあった。道化師の小細工により俺は一時的に、数値が見えるようになった。今度はそれのもっと強い悪さをされたに違いない。


 「違うよ。私は種を埋め込んだだけ。それが貴方の中で育っただけ」

 「……」

 「思い出してくれた?」

 「あ……」

 「あいつが奪ったのは違う記憶。唯それに嘘の誘導も組み込んだだけ。貴方は覚醒のこともカードのことも忘れていない、其方に関心を向けられただけ」


 そうだ。最初はそういう焦燥感があった。だけどあいつ自身、ジャックの可能性を仄めかし押しつけ追い詰めるような真似をしていた。それを奪っていたのなら、そんな危ないことをするか?忘れたと思わせることで、それに対する興味を強める。俺が気になって仕方なくなる、俺のカードのその意味に。そうすることで、あいつは俺を……仕立て上げる気だったのだ。

 あの時俺が、イグニスに……俺が奪われたのは違う記憶だ。


 「“貴方の記憶を弄ったのは、タロックとは限らない。第一毒の破壊力で、こんな繊細な悪戯は出来ない”」


 凛と響いた道化師の声。大気に溶け込み澄み渡るよう、確かな確信を奴は広げる。夥しい、不吉な色の数値をもって。


 「向こうの数術使いも知っていたはずなのにね、悲しいことが多すぎて……自ら忘れてしまった。大事なことを」


 だから、あいつは山賊レーヴェの犠牲も良しとした。仲間にカードとして引き入れるより、有効な使い道を思いついたから。


 「思い……出した」


 俺がどうして、ランスを逃がしたかったか。それはこの国に、この戦争自体に意味なんかないことを知っていたからだ。そんな大嘘のために、あいつが殺されることが我慢できなかった。殺すチャンスなら幾らでもあった。“あいつ”さえ殺せば、タロックは終わる!!


(だが……毎回それは遂行できなかった)


 「それは何故?」

 「あの神子の言葉と、アルドールの甘さが原因だ」


 イグニスは、故意的にあいつを見逃してきたんだ。その役割がまだあったから。

 おっさんが俺を生かそうとしたのは、心情的な物だけじゃない。俺には役割があった。真実を伝える役目があった!!だけど再会したランスを見て、言えなかったんだ。俺にもすぐには言えなかった。だから都で伝えようとした。


(けど、その前に……俺は記憶を奪われた)


 俺が北部の岸で語った話は、偽りが含まれる。


 「俺が、シャラット領で会ったのは……エフェトスなのか?」


 被憑依数術、その器。あの時点で完成されていた!?だとしたら……


 「いいえ、あれは確かに私。でもお兄ちゃんが使った契約数術|《偶神法廷(イーブン=コート)》……あれも記憶は盗み見れる。そしてあれは自分がイグニスである、零の数術使いだという自己アピールに過ぎない」

 「つまり、俺の記憶を奪ったのはお前ってことか」

 「時間数術の対価の一つとして、ね。あれでタロックもお兄ちゃんも出方が変わった」

 「それを俺が思い出したってことは……」

 「時間が先に進んだってこと。貴方と、世界の」

 「……それは、良いことなのか?」

 「少なくとも、私と貴方にとってはそう。でも、彼女は知っていたはず。それを言わないでいたのは、その方が都合が良かったから」

 「だろうな。俺がここに留まる理由にもなった。だがお前が俺を、ここに置いた意味はなんだ?」

 「あの精霊で彼女が奪ったのは、他のこと。本当なら本人が気付きそうなものなのに、それに気付かないほど今の彼は参っている。そして貴方がそれに気付かないように、元々のそれに対する記憶を奪われた」

 「それは……あいつを信じてねぇってことか」

 「いいえ、信じようと信じまいと逃れられないことがある。だからその時、アルドールが殺されないように、そうしたんだ」

 「……」

 「もう一度言う。イグニスは、貴方の味方にはならない」

 「知ってる」

 「ここにいても、ブランシュ卿のようになるだけ」

 「わかってる」

 「もう決めたの?」

 「ああ、俺はここを出る」


 *


(どうしよう、どうしよう!)


 目覚める前から思った。大変なことになってしまったって。

 早く早く、まだ目覚めないのか俺は!アルドールは自分の身体に呪いの言葉を吐きかける。

 トリシュを失った、トラウマを抉られた痛みを癒される代わりに、ユーカーが忘れてしまったこと。それから思い出したこと。それはどちらも……きっと良くないことだ。


(早く早くはやくっ!!)


 何か囓れる物は無いか?燃やせる物は無いか?手の感覚はある。それならと、アルドールは自分の手を燃やす。


(熱っ!!)


 火傷をする痛みを受けて、やっと重い瞼が開いた!

 手を見れば本当に火傷をしていた。俺が炎の元素に傷付けられるなんてどういうことだと、考える暇も無い。でも、その答えは俺の手の中にあった。いつの間に握っていたのだろう、ユーカーの触媒。小さな十字架が起こした数術反応、これは火傷じゃなくて凍傷だ!


(水の元素……誰に反応したんだ?いや、そんなことより)


 「ユ……っ」


 叫びそうになった、自分の咽を押さえて息を呑み込む。ここで騒ぐわけには行かない。大変なことになったなら尚更。ユーカーは一人で出て行こうとする。騒ぎを大きくしてはならない。

(ユーカーの記憶の中に、道化師が居た)


 あいつが接触してきた。ここには頼れる相手もいないのに、ユーカーを連れて行こうとしている。この水の元素だって、奴が関わっている可能性がある。


(どうしよう、どうしよう!?)


 誰も頼れない、でも止めなきゃいけない。

 飛び起きて走り出そうとする気持ちと、何処へ行けば良いのか解らない動揺とがせめぎ合って動けない。日は落ちて、夜。何も見えない暗闇の中、唯ボロボロと涙を零すことしか出来ない。


 「アルドール様っ!」

 「!?」


 その声に、光が差した。どうして、ここに居るんだ。幻聴じゃ無いのか?じゃあ……もう取り返しの付かない時間が流れてしまった?

 わからない。それでもしっかりと掴まれた掌から、受け取っていく情報に……俺の視界は開けていく。


 「ランス……!!」


 間に合わないと、いつも悔いていた彼が……こんなタイミングで傍に居る。

 しっかりと二つの目で見た室内は……まだうっすらと暗いけど、鳥の鳴き声だってする。まもなく明け方だ。俺が今見ていた暗がりは、他の誰かの見ていた情報だ。誰か……そんなの一人しか居ない。


 「お願いだ……助けてっ」

 「はい、必ずや!」


 *


 あんなに頼もしく旅立ったアルドール。どんな立派な笑顔で私を迎えてくれるだろうか。カーネフェルへと帰るのが本当に楽しみだったと、ジャンヌは思う。

 それがあったからランスとの気まずさも、乗り越えられた。自分は彼の成長を知ることが出来て嬉しかったから。自分も強くならねばと、励まされてた。そして期待していたのだ。そこに未来を見たのだ。この、カーネフェルが……明るい方へと進む予感を。


(だと言うのに、貴方という人は!!)


 この私に、あんなセリフを吐いたのは何処の誰ですか!どの口があんな言葉を言ったのですか!答えて下さい答えなさいアルドール!!やっと真っ直ぐ私の目を見てくれたのに、手を伸ばしてくれたのに……またこれですか。扉一枚で盾になると、壁になると思っているのですか浅ましい貴方は!


 「ある、どーる……?」


 出迎えるどころか部屋に籠もりきり。此方が扉を半壊……いえ、こじ開けてやっと対面できた彼は、眠ったまま目覚めない。

 もう、これから海を渡ってセネトレアとの戦が始まる。だというのに国の長がこんな状態なんて……最悪です。私の声にも応えない。私が見えていないんだ。違う。壊したはずの扉さえそのまま。私はそれをすり抜けたのだ。


(……夢、なの?)


 誰に問うでもなく、そう思った刹那に景色が変わる。

 誰も居ない。静かな世界。例えるならば、祈りの場。そのためにもたらされた静寂のよう。


(ここは、どこだろう)


 見覚えのあるような、ないような。それでもそれが教会なのだとは解る。私は夢でも見ているのだろうか。ジャンヌはそう、考える。

 以前、静寂の場で出会ったのはアルドールという少年だった。今、この静寂を壊すのは……勢いよく開いた扉の音と、倒れ込んだ男の姿。


 「トリシュ……様?」


 血まみれの友の姿を見つけ、ジャンヌは慌てて駆け寄った。息も絶え絶え、血を流す彼は……それでも救いを見つけたような目で此方を見上げる。焦点すら定まらない瞳のままで……


 《私は、カーネフェルの騎士になれませんでした》

 「何を!貴方は立派な騎士でした!!」

 《私が……僕が、国のために出来たことは、何もない》

 「何故、そのようなことを言うのですか!?」


 これは夢だ。そうに決まっている。だってこれまでこんなことはなかったはずだ。

 私は聞こえるだけ。見えなどしない。それなのに、何故……?


(トリシュ様の口から、言葉は紡がれていない)


 とても、会話の出来る状況じゃ無いんだ。正に瀕死の状況なのだから。今自分が聞いているのは、これまで聞いた物とは違う、だけどこれまで通りの声に……映像が伴うものになっている。


(何を、お命じに……?誰を救えというのですか!?)


 仰ぎ見て祈りを捧げた像たちに……あの日のアルドールのよう、睨み付けた先には何も見えない。唯、抱きかかえても温度の感じられない友からの、遺言めいた言葉が聞こえるだけ。

 《ジャンヌ様。貴女もアルドール様も、僕を友と呼んでくれました。しかし僕は、貴方がたに何も返せなかった》

 「そんなことはありません!貴方は……私達の留守を、セレスタイン卿を守ってくれています!」

 《守れ、なかったんです》

 「え……」

 《しかし……貴女が、居てくれて良かった。だから僕はこうして伝えることが出来る》

(まさか、これは!)


 教皇聖下が持つ精霊の中には、情報を共有する物がいる。それはかつてトリシュ様に取り憑いたとも聞いている。それがどういうわけか遠く離れた自分に、情報を届けたというのだろうか?

 確かに自分と彼は、同じ触媒を片割れずつ持っている。ではアルドールが受け取った情報が、私の元まで流れてきたと?


(信じられない)


 元は一般兵だった自分の持ち物が、そんな優れた触媒だとは思えない。もし、こうなることを見越して私には……優れた装備が配られていたというのなら、それはイグニス様の采配……そして企みだ。私が私の意思で動いてきたことが、そうでは無かったのかもしれないという疑いは、私の心を恐れによって震わせた。それならトリシュ様がこうして傷付くことだって、あの人は解っていたの?解っていて、教えてはくれなかった。その結果として引き起こされることが、教会にとっても必要なことならば……。

 そんなことが、あるわけが……そう、否定したいのに、こんなに必死になる彼が、彼らしくないことを口にするから余計に私は混乱してしまう。この会話さえも、聖教会の意思なのではと疑った。


  《教会を脅しても、ランスを使っても良い。一刻も早く、カーネフェルにお戻りください!ユーカーを、奪われる前に!!》

 「トリシュ……様」


 解らなくなってしまった。だから彼の目を真っ直ぐに見た。見返す瞳も真っ直ぐにこちらを見ている。それ以外、自分の潔白を証明する物がないと、彼の目が語る。


 「何故、貴方は彼を助けたいのですか?彼が貴方を助けたから……?」

 《いいえ、僕があの人を愛してしまったからです!》

 「貴方は何時も、……こちらが恥ずかしくなるくらいの言葉を、たった一人に繰り返すような人でしたね」

 《……すみません》

 「長いとは言えない付き合いでした。恥ずかしながら、噂に名高い騎士様がこんなものかと失望したこともありました。それでも貴方を突き動かす物が、私を、カーネフェルをここまで引っ張って来てくれたのも事実です」


 愛という物を、下らないなんて言わないわ。人として大事なことだと思う。それでも自分には縁の無いことだと思った。そうあらねばならないと思った。それでも……心を殺して生きることなんてできない。

 誰かの変わり、そうじゃない。心を埋めるため……違う。言い訳をして、わざと大切な人を作ってこなかった。失うのが怖かった。奪われるのが、怖かった。だから友と、そう呼んだ。対等で尊敬し合える関係全てをそう呼んだ。

 それでも“彼”は弱くて、頼りなくて。気になって仕方ない。世話を焼きたくなる。目が離せない。そう思う内、私の中で越えては行けない線を、越えていた。手を握る事なんて、何とも思わなかったのに。嬉しいと、思った。彼から手を伸ばされることが、嬉しいと……彼以外に触れられることが恐ろしいと。


 「私は、カーネフェルを愛して居ます。それは最初はあの土地そのものでした。あの場所の空気、踏み締める大地、感じる風……それから汗ばむ陽射し。だけど今は……一人の少年に見えるんです、それが」


 笑っているアルドール、泣いているアルドール。天気や風一つにも彼の姿で思い浮かべる。私のカーネフェルは、アルドールになってしまっていた。たぶん、他の人が王になったら同じようには思えない。

 あの人がいないカーネフェルは、私の守りたいカーネフェルとは違う物。今の心が、仮に愛と言うものならば……私はトリシュ様を責められない。それは漠然とした夢が、現実の姿に変わっただけ。彼を思い漲る力が、悪しき物だとは思いたくない。


 「……貴方の言葉、信じましょう!一時でも貴方を疑ったこと、許してください……私がセレスタイン卿を必ず取り戻して見せます!我が友、ブランシュ卿のため!!このジャンヌ=アーク、必ずやっ!」

 《ジャンヌ、様!!》

 「……彼が、何か重大な意味のあるカードだと言うこと、私も気付いています。キングが私ではなく彼を追う辺りからも、それは間違いないこと」


 彼が奪われてはならないのは、此方にとっても同じ事。それでも私は彼の友でありたいからこう告げる。国を救うためとは言え、友を傷付けたり騙す道を選ぶのは、私は嫌だ。


 「けれどトリシュ様。貴方は彼を……そんな風に国に売り渡しはしないでしょう?」


 カーネフェルに居ることで、彼が辛い思いをするなら……そんな願いをトリシュは口にしないはずだ。つまり、彼を取り戻すことは彼のためにもなるでなければおかしい。


 《辛くても、彼は……何処にも行けない。何処かへ行くとしたら、それはもう、彼では無くなってしまう》


 《僕は彼を……死なせたくない。彼の、心を……》


 そう、言い残し……彼の姿は消えていく。それと同時にジャンヌも我に返り辺りを見渡せば……そこは聖教会の、聖堂だった。

 周りの景色を見ることで、思考もクリアなものになる。そうだ、今夜は寝付けず、祈りに来たところまでは覚えている。胸騒ぎを感じていたことも、思い出した。


(これは、カーネフェル問題。面子を気にしているわけではないけれど、イグニス様を信じて良いか解らない)


 精霊数術の精霊がイグニス様のもとへ帰る前に、此方も動かなければならないだろう。足音を殺し、それでも出来るだけ早くと向かった先は……共に残された騎士の部屋。


 「ランス、起きてますかランス!」

 「じ、ジャンヌ様!?」

 「大事な話があります。入れてください」

 「は、はい!」


 慌てて扉に近付く足音。その動きは8割方本調子に戻ったと見ても良い。


 「数式を張りました。その……」

 「ランス、貴方はカーネフェルのためにその命を使うこと、厭う気持ちはありませんか?」

 「カーネフェルのために、それが私の……俺の喜びです。厭うなど、微塵も!」

 「ならばランス、力を貸して下さい」


 昨夜のことを気にしている風なランスだが、そんなことはもうどうでもいい。私のことなど二の次だ。今、この国に……私の味方はこの騎士しかいないのだから。


 「私と貴方は今すぐカーネフェルに帰らなければなりません。詳しい話をする暇はありませんが、これはカーネフェルの存続に関わること」


 相手は純血。簡単な話ではない。それでも才能と元素に愛されている彼なら、不可能ではない……私の幸運を費やしたなら、その奇跡は引き寄せられる。


 「数術の代償は私が支払います。だからランス、飛んでください数術で」

 「そ、それは……無理ですジャンヌ様」

 「カーネフェルのためですランス!お願いです!!」

 「それならシャトランジアに頼みましょう!お互いリスクが大きすぎます!!」

 「解っています!でも、それはカーネフェルのためにならない」


断言する私の言葉に、彼は軽く目を見開いた。元はこのシャトランジアに仕えていた私が、ここまで言うことに驚いたのか。それだけの危機が迫っている前提まで察してくれたか、彼は言い返しはしなかった。そしてすぐさま、此方の言葉を待つ姿勢。


 「ユーカーは、目覚めかけていると聞きました。そして今、彼はカーネフェルを去ろうとしている!ここで他国の手を借りれば、後々彼を余所へ取られる隙を生みます!」

 「ユーカーが……目覚める?」


 親友の名を聞き、彼の目の色が変わった。カーネフェルの名を聞いたときの穏やかな決意と充ち満ちた情熱とは違う……暗い炎が顔を覗かせるような、迷い。それでもその火は決して消えないのだろうと思うほどの……執着。

 これを話して良い物か。しばし、躊躇う。だから一度、私は問うた。


 「ランス……貴方は私の友になってくれますか?」

 「無理です、立場が……」

 「構いません。ではせめて心の中では、私を友と呼んでくれますか?」


 悔しげに一度、歪められた彼の表情。それを僅かに怖いと思う。だけど目は逸らさなかった。そんな私に根負けしたよう、一度目を伏せ、彼は頷いた。


 「………っ、それが、許されるのであれば」

 「ありがとう……ならば私は私の友を信じます。そして……貴方とセレスタイン卿の友情を、信じています」


 友とは、信じるべき物。あの、トリシュ様の言葉を疑った私を恥じる。彼の最後の言葉を聞くまで、私は彼を疑っていた。仕組みや理屈は解らない。それでも彼が届けてくれた言葉を、言葉まで……私は殺したくはない。


 「ユーカーは、二枚目のジョーカーに一番近い、カードです」

 「!?」


 私の言葉に恐れ戦き、ランスは震えるだけ。怒りと悲しみ、そして裏切られたと言わんばかりの傷付いた表情。絶望と言う言葉が何よりも似合っている。


 「知って、いたのですか……貴女は」

 「薄々は。確信は……先程です」

 「先程……?」

 「信じて貰えるか解りませんが、情報を得ました。トリシュ様を失い、彼はそれに近付いた。それを狙う輩が居ます。彼の自我が無くなったところを傀儡にされたなら……カーネフェルは滅びます」

 「……ジャンヌ様、一つだけ策があります」


 俺を信じてくれますか?問いかけてくる青い瞳に私は力強く頷いた。全ての迷いを、振り払うよう……唯強く。


 「ええ。私は貴方を。私の友を、信じます」

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