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74:Quandoque bonus dormitat Homerus.

 初めに感じるのは熱さ。燃やされて、燃やされて……自分がドロドロと溶けていってやがて無になる。そこから砂時計を反転させるようにサラサラと、血やら肉片やらがしっかり大地を踏み締める。最初は輪郭からかもしれない。そこを後から内側にどんどん俺が入っていくんだ。どんな攻撃数術よりも、気持ち悪い。一人で紡ぐ空間転移は。

 前に、イグニスから逃げたときはどうだったかな。アレは確か……光に包まれるような数式だった。

 自分がバラバラになる感覚の中、アルドールは考える。

 そうだ、アレを思い出せ。前もそうした。そうすると……上手く行くんだ。生きたい場所に、俺はきっと辿り付けている。

 眩しさに目を瞑り、何をしたいかだけを考える。目を開けていられない数値の群れを潜り抜け……再び開けばそこは数日ぶりのローザクア。段々見慣れて来た城の一室。留守にしていた間の変化は……すぐに俺の前へと現れた。


 「え……」


 一人の騎士に膝を貸しているのは、綺麗な金髪の修道女。十字架を手に、眠る彼の傍でじっと目を伏せ祈りを捧げ続けている彼女は、シャトランジアにいるはずの……俺の親友にダブって見えて息を呑む。


 「静かにしろよ、馬鹿」

 「ユーカー!?」


 そうだ、ここにイグニスが居るわけないじゃないか。目の色が解らなかったからって、俺がイグニスとユーカーを見間違えるなんてあり得ない。


 「良かった……元に」


 良かったと自分で口にしていながら、そうじゃないと肌で感じる違和感がある。それでもそう言わなければ、その嫌な感じに呑み込まれそうで、俺は必死に笑顔を作る。


 「そんな騒ぐな。こいつが起きちまうだろ」

 「ユー……カー?」


 言ってる、言葉がおかしい。でも、気が狂っているのでもない。彼の真意が分からない。

 それが彼への労いなのだと気がついたのは、俺がその人の数値を目にした時だった。


 「あ、あ……あ……っう、ああぁああぅあああああっ!!」


 知ってる、俺はいつでも空回る。助けようと思うと、助けられない。助けたいと願えば、もう全てが終わってる。

 シャトランジアを飛び出して……ジャンヌに大見得切って帰って来たのに、俺はまた、彼女の顔を真っ直ぐ見つめることは出来ない。どうして気付かなかった。どうしてあんなことを言った!俺が何も言わなければ、彼も何も言わずに済んだのに。

 出血の量は、大したことが無い。わけもないのに……そう思ったのは、もっと大勢の血を見たことがあるから。人一人分のものならコレだって十分、致死量だ。


 「疲れてるんだ、寝かせてやれよ」


 相手はユーカーなのに、思わずはっと目を逸らしたくなるような気まずさ、緊張。それは心苦しさなどではなくて、この場に残る彼の心に触れたから。

 優しく笑う。それはまだ、彼に掛かった洗脳が解けていないようにも見える。それでも……彼の目に浮かぶのは慈しみより悲しみ。ユーカーは、元に戻ったのだ。


(視覚、数術……)


 数式を組み込んだ衣服でもない。ユーカーの感じが変わった。書き換えられた?作り替えられた……?多分そんな言葉が相応しい。

 でもそれは誰かの仕業では無くて、そこから逃れるために彼がそうした、そうなった。そんな変化ではないか?

 まるで、混血。ユーカーは純血なのに。真純血で、異国の血など一滴も入っていない……目に異常が出るほど、濃いカーネフェルの……

 口調はユーカーのまま。それでも姿は、トリシュの理想であった少女らしき出で立ち。

 今はもう、そんなことトリシュは望まないだろう。でも、彼はそうあった。

 思いを受け入れるようで、全てを拒絶をするように。こんなに近付き、遠ざけた。ユーカーはユーカーに戻ったのに、ユーカーとして見送ってはあげなかったのだ。嘘から始まった出来事なら、嘘で終わるのが何より皮肉の効いた手向けだろうと、彼の背中が笑っていた。


 「ユーカーっ……どうしてっ!?」

 「……」


 俺と同じだ。変わることが怖い。好かれることが恐ろしい!その理由は、こういうことだろ!?大事な人が出来れば、失うのが怖いから!その痛みに耐えられないから、だから自分が堪えられない距離まで、絶対に誰も近づけない!!心臓を、急所を増やさないために。強くありたいがために!

 そうまでして、守りたいのは何なんだ。ついさっきまでの自分に向かって問いかける。


(それはきっと、“自分”じゃないか)


 自分より、誰かを思うことが怖い。自分が変わってしまうから。今の自分が殺されてしまうから!


 「ユーカーはっ、それで後悔したはずだろ!?」


 望む形にはなれなくとも、誠意には誠意を持って応えることは出来たはず。良い友達にはなれたんじゃないのか!?


 「馬鹿っ……馬鹿だよ、そんなの!!」

 「道化師の気持ち、俺には少し解る」

 「え……」

 「アルドール、お前は恨まれてる。お前のそういう所が、死ぬほどむかつく奴は居る」


 怒る様子はなく、静かに語られる言葉。それは、心臓に向かってナイフで一皮一皮肌を剥がれていく痛み。一思いに突き立ててくれと叫びたくなる責め苦。そして彼には、悪意がない。事実を俺に教えるように、忠告にも似た響きがあった。


 「みんながみんな、てめぇと同じ考えで生きてると思うな。同じ感じ方で生きられると思うな。日々の糧だって、統一させようってのはいっそ不気味だ」


 傲慢だと言いたいのか?それでも彼はそう言わない。そう口にする人間が、誰より傲慢だと知っているのか。


 「こいつは、お前とは違うもん食らって生きてたんだ。お前の言うそれは、毒でしかない。誠意に毒は返せねぇ」

 「そんな嘘吐いて、楽しいのか!?」


 俺の言葉を受けて、ユーカーは……自嘲の笑みを僅かに深めた。


 「それが解るなら、俺はとっくにお前の臣下(もの)だアルドール」


 俺がお前に仕えていないのは、お前が俺を解らないから。理解し合えないからだと、俺をも彼は拒絶する。


 《今ならまだ間に合うかも。貴方の“大事な友達”を助けてあげられる。誰のこと、なんて言わせないし聞かせないけど解るよね》


 道化師の言葉が、俺の中で甦る。どうして信じたんだ、そんな言葉を。

 間に合うは、間に合わない。それはもう、終わったと言うことなんだ。

 助けてあげられるは、もう手遅れだって。


(友達、だって?)


 そんな風には、思えない。彼がそうは思ってくれない。俺を見てもくれないんだ。

 ユーカーは、帰って来たけどここには居ない。手を伸ばしても届かない。たぶん、本当にもう誰の物にもならない。彼がそれを許さない。

 出来たてほやほや……とびっきりの絶望を、一番の特等席で俺に見せるため……道化師は俺に会いに来たんだ!!

 俯き涙を堪える俺の傍ら、不意に強まる数値の気配。誰かが俺と同じ技で俺を追ってきた!?咄嗟にそう思い振り返る。

 しかしそこに人は見えない。じっと目を凝らしてみると……小さな数がそこにある。それは辺りを漂う数値を食らい膨大し、真の姿を現した。そいつは精霊。苔の生えた土の姿に、俺は覚えがある。


 「お前、イグニスの……」


 何処から現れた?俺に憑いていたのか、それとも。

 シルヴァン=ウィリディスとか言う名の精霊。何を癒すというのか。何を見せるというのか。今更俺に、一体何を……誰の記憶を?



 *


 頭が痛い。身体が怠い。目が良く見えない。唯、近くに誰かの気配を感じた。短い金髪、王宮騎士らしき服に、ぼんやりと霞むも整った目鼻立ち。


(ランス……?)


 ああ、こんなことは前にもあった。それじゃあ向こうに居る金髪のちっこいのは……エレインか?違う、なんだっけ、マリア……そうだ、あいつは確か……マリアージュ。


 《ランス、ランス=アロンダイトか。手始めにその男から、殺せ!そいつを失えばカーネフェルはお終いだ!!》


 わかった、そうする。何の疑問も抱かずに、俺は声へと流される。そういう物として、作られているのだと理解しているから。


(俺は、ランスを()るっ!)


 耳へと触れた元素の旋律。数値の悲鳴は数術反応!縛めなんて無駄だ!身体に、掌に、指先に注ぎ込まれる風の音階!

 俺の身体は、炎の元素。それが一気に塗り替えられる。皮膚が骨が肉が……俺の全てが殺されるような、生まれ変わるような……ぞっとする程気持ち悪くて、ゾクゾクするほど胸が高鳴る。嗚呼、コレが俺か。理解した。何でもなくなりさえすれば、俺は何にでもなれる。それが俺のカードの、可能性。

 触れた得物の元素も変わる。あの男から奪い返してきた、もう一対の母の形見。掴んだ小さな十字架は風の元素を吸収し、俺の元素は再び姿を変える!

 澄んでいく、周りの空気も、俺の頭も。視界が急激に開けていく感覚。状況はよくわからない、それでも感じるのは喜びだ。どうしようもなく、心が躍る。散々縛られていた物が、解放されるような気分。檻から鎖から解き放たれた。暴れろ、以外の命令が聞こえない。それ以外は好きにしろ、これはそういう命令だ!


(丸腰かと思ったか!馬鹿がっ!油断しやがった!!今度はてめぇが丸腰だっ!!)


 勝利を確信し、笑んだ俺を見下ろす男。きっちり結ばれたそいつの口は、小さく震え、食らうであろう攻撃、その痛みを堪えようとすると言うより、何かを悲しんでいるみたい。


 「起きてくれっ、ユーカー!」


 代わりにそいつは、武器をそこに隠していた。言葉に、力があるとでも?

 そんなわけがない。でもそいつが俺にした攻撃は、震える唇から発せられる言葉だけだった。


 *


 「トリシュさん、それは……」

 「いつか来たるべき日のために、趣味で集めた媚薬コレクションです。勿論、詐欺まがいの物や唯の飲料、副作用付きの毒物も中にはあるでしょう」


 その場に並べた凝った装飾瓶の薬品の数々を前に、パルシヴァルは若干引いている。これらを片っ端から試す時間は無い。


 「この状況で、トリシュさん……まだ諦めてないんですか?」

 「違います、違法性の高い媚薬には毒性の成分も含まれている。それがタロックから流れたものである可能性も否定は出来ない。それならば……今の状況を打開できる物がここにあるかもしれないのです」


 完全な解毒が出来なくとも、シャトランジアから彼らが戻るまで……そう、時間を稼げればそれで良いのだ。


 「ええ、時間が無いのは解っています。だからこれは……貴方の幸運にかかっています、パルシヴァル」


 氷の数術が解ける前に、ユーカーが目を覚ます前にいくつ試せるか。早くこの子を説得しなければ!


 「貴方が選んだ物を順に、ユーカーに飲ませます。それで正気に返るか昏睡状態に陥れば良し、何かの間違いで僕に惚れて懐柔できるならそれもよし!タロックの魔の手から彼を遠ざけることは叶います」

 「あああ、なんでまともに剣の勝負とか説得で話が進まないんだろう!?いくらセレスさんが正統派の騎士様じゃ無いからって、僕にこんなことさせますか!?こんなの僕の目指す騎士のやり方じゃないです!」

 「それが違うと言うのなら、この場を生き延びそれを否定なさい!さぁ、行きますよ!」

 「うぐぅううう、こ、これです!!」


 もうどうにでもなれと彼が選んだ瓶を開け、僕はそれを口に含んだ。


 《本当に、それでいいの?》


 遠くから声が聞こえたが、僕は迷いはしなかった。むしろ確信を得、僕の声には強い自信と力が宿る。


 「僕に従え!《シルヴァン=ウィリディス》っ!!」


 知っているよ、君はまだ……僕に憑いているんだろう?


 *


 「今度はふたりっきりで会いましょう、騎士様?二人っきりで、こっそりと」

 「僕がそれを、させるとでも?」

 「ふふふ、その頃まだ、お兄ちゃん生きてるかしら?」

 「……僕は、死なない。お前を半殺しにするまでは」

 「そう?それなら私は温存しなきゃ、その日のために」


 バイバイ、騎士様! そんな明るい声を一つ此方へ送って、耳鳴りと共に道化師は姿を消した。数術だ。


 「泣いているんですか?」

 「うるせぇ!てめぇに何が解るっ!」


 道化師の去った、血生臭い屋敷。目標を失って、空っぽになりそうな俺を見る……冷たい琥珀の目の少女。


 「逃げても、良いんですよ“ユーカー”」

 「!?」


 普段散々俺を、セレスタインの名で呼ぶ癖に……今、俺をその名で呼ぶのは何故だ。その名を、継ぐ必要が無いと……そう言いたいのかこいつは!?


 「これ……」

 「貴方のお父様の傍に、落ちていました」

 「あいつ……」


 母さんのことなんか、愛して居なかった癖に。どうしてこんなもの取って置いたんだ。これが……優れた触媒だから?


 「お前は本当に……アークを、ジャンヌを死なせるのか」

 「何故貴方がそれを気にするのですか?」

 「何故って……」


 あいつは身分のない村娘かもしれねぇ。とびきりの美人ってわけでもねぇ。男っぽいし、王の伴侶として相応しいかと言われたら、似合わないと俺は答える。あの阿呆みたいな芋貴族なら、釣り合い取れないでもねーけど、それじゃ駄目だ。だってランスがあいつを好きなんだ。それが全てだ。それだけで十分だ。あの女ほど、ランスに相応しい相手はいない。ランスより、ジャンヌは先に死んではいけない。絶対に!


 「士気に関わる。カーネフェルがこれからって時に、あの女に何かあったら……」

 「僕はタイミングは間違いません。カーネフェル側が暴走しない限りは、です」


 部下の死を、責められている。こんな奴でも、部下へは多少の心があったらしい。それならジャンヌも元はと言えばこいつの配下。痛む胸はあるはずなのだが……


 「チェスと同じ……女王は強い駒です。簡単には失えない。でも、それは局面による」


 勝利のために、女王を捨てて王を討ち取れるなら……女王は死ぬべき駒なのだ。嗚呼、酷く正論言いやがる。


 「お前の気持ちはどうなんだ、“イグニス”っ!!」


 本音を話せ!と俺は睨んだ。心を見せない相手をどこまで信じられるだろう。


 「これからのカーネフェルに、貴方はまだ関係ある人間だと思うんですか?」


 そうでなければ教えない。逃げる者は何一つ、手に入れられる物は無い。そう告げた上で決断を俺に投げかける。

 いつものような強制や脅しじゃない。俺自身の責任で選べとイグニスは言う。被憑依数術を使ったエフェトスの身体で。


 「好きな奴が死ぬのは辛い……誰だって、そうじゃねーのか……?」

 「ならば貴方は今、笑うべきなのでは?それとも、今の貴方の顔が答えですか?」

 「なら、てめーも笑えよ!」

 「……は?」

 「お前の正体がなんだってのは関係ない!ジャンヌはてめえの親友(ダチ)が惚れてる女だろ!?血反吐吐いてでも、二人とも守れよ!そんな苦しそうな面じゃなくて、騙しきるくらいの顔で!」

 「ジャンヌでは、道化師には勝てない。守っても、クィーンに覚醒はない」

 「だから、ルクリースも死なせたのか!?」

 「貴方のため、と言ったら?」

 「は?……この期に及んで、何の真似」

 「僕はどんな手を使っても、貴方を覚醒させる。貴方を苦しめる。他の三枚よりもずっと苦しい場所に貴方を置く。救いなど与えない。一片の希望さえ、僕は刈り取る。貴方がカーネフェルに居る限り」

 「……」

 「僕を憎むならそれで結構。目覚めた貴方なら簡単に、僕を殺せますよ」


 あまりの言葉に、ユーカーは唖然としてしまった。

 おいおい何言ってんだこいつは。それが誠意だとでも言うつもりなのか?そんなこと言われて残る阿呆がどこにいる。俺はそんな虐げられる趣味はねぇってんだ。

 けれど後ろ髪を引かれるのは……自分のカードの意味を、なんとなく理解してしまったから。


 「“どうして、カードなんかなってしまったんだろう”」

 「!?」

 「“婚約者(アスタロット)のため”」

 「“それなら何故守る?何故俺が食いつぶされる?”」

 「“殺せば良い。敵も味方も、全てのカードを”」

 「“だけど、まだ”」


 「悪趣味な真似はやめろ!プライバシーの侵害だぞ変態っ!」

 「それだけ情報垂れ流しにしている、貴方の感情数に文句を言って下さい。今の貴方じゃ僕でなくても、三流の数術使いにだって手に取るように心が読まれますよ。ああ……それから」


 背中を向けたまま、此方の顔も見ないで心を完全に言い当てる芸当。俺には見えない物が見えるイグニス。だけど俺だって……聞こえはするんだ。数術とかそういう大それたもんじゃねーから、呼び名は勘とかそういう類のものでいい。


 「嘘吐いて、楽しいかお前」


 ぴくりと一度、奴は背を震わせた。言葉での否定も肯定もない。それでもこれからイグニスは、僅かばかりの本心を俺に語る。そんな気がした、勘だけど。


 「やっぱり、才能有りますよ貴方は」

 「嫌な言い方するな」

 「父親が死んだとき、僕は泣きませんでした」

 「……お前の?」


 それがどういう状況だったか解らない。こいつは混血だ。それなりの苦労と不幸があったであろうことは推察できる。


 「笑いましたよ、僕は。腹の底から。でも貴方は、泣くんですね」

 「ほっとけ。人の感傷ぶち壊しにするこの会話はいつまで続ける気だ?」

 「器用じゃないですか、そんな憎まれ口叩きながらボロボロ泣いているんですから」

 「もう泣いてねーよ。人の顔も目も見ないで、よくそんなことが言えるな」

 「泣いてるじゃないですか」


 振り返ったイグニスが笑う。俺を少し馬鹿にしながら、だけどいつものような悪意はなりを潜めて。


 「そんな風に……僕らは似てなんかいないのに、貴方は僕とさえ重なろうとする。僕の心を……その一部分を完全に理解(トレース)できてしまう。貴方はこの子とは違う。空っぽじゃない。中身が自我がある。それでも……貴方は貴方である以前に、誰かになってしまえる。貴方はランス様とは違うところで、自分がいない。いえ、簡単に自分を捨ててしまえる人間だ!」

 「……っ!?」

 「ランス様の母親代わり父親代わり弟代わり、それから……いえ、それ以上は下世話なので黙ります。他にもパルシヴァルやトリシュ様周りでも、貴方は誰かを演じていた。誰かの配役を求められてきた」


 ぞっとするような言葉を前に、否定の言葉が凍ってしまう。そうさせて来たのはお前だろ!怒鳴りたくはなったけど……トリシュに関してはそうだ。だけど、他の奴らに対してはそうじゃない。俺は息を吸うように、誰かにとっての誰かであった。多分、本来気が合わないはずのアルドールが俺に懐き始めたのも、俺がそうしてしまっていたから。


 「ここを飛び出す前だって、貴方は貴方なりに演じていたはず。不器用で、拙いながらも……必要とされるセレスタインを!」

(じゃあ、俺は何……?俺は……)


 道化師、あいつなら答えを知っているかもしれない。楽になれるのかも。あいつのそばへ行ったなら。自分のルーツさえ見失った。帰る場所もなくなった。奪った相手の所へどうして行ける?けれどもう何も考えなくて良い。困らなくて良い。俺は今よりずっと、楽に居られる。こんなに苦しいんだ、ここに……カーネフェルに留まる意味なんか無い。


 「行かないんですか、どこかへ」

 「……行けるわけ、ねぇ」

 「貴方の勘違い、あり得ない話ですけどそれがもし真実なら……ジャンヌの死は貴方も願ったり叶ったりになりますよ?」

 「違う!」

 「ですよね?だから僕だってそうじゃない」

 「……イグ、ニス」

 「貴方が信じる物が、貴方にとってこの世で最も神聖な物で在るように。僕の信じる物だって、それは違わない」


 「だから……目覚めて(おきて)下さい、ユーカー」

 「質問に答えろイグニスっ!お前はっ!」

 「いつでも答えますよ、貴方が貴方をやめた時には」


 笑いながら、奴が言う。作り物のように美しく精巧で、愛らしい完璧な笑顔。

 軋む音、不協和音だ。これまでぴったり重なっていたはずの音が、けたたましい音を上げて……俺の頭を塗り潰す。


 「目覚めて(おきて)下さい、ユーカーっ!!」


 *


 パルシヴァルの、やり方を見て僕も解った。この人の中に、記憶としてまで僕らは残れていない。だから問いかけるなら、別の物。他人を遠ざけ続ける人だから、近付かれるのは稀だろう。手を伸ばし、触れることでこじ開けられる、取り戻せる物がきっとある。


(恐れてはいけない、覚悟を決めろトリシュ=ブランシュっ!)


 自分に強く言い聞かせ、僕は真っ直ぐ彼を見つめる。


(こうして、前にも……こんな事があった)


 貴方を攫って、抱き締めた。貴方を庇って抱き締めた。何を思っただろう貴方は。頭の中にある記憶をなぞり、爪を立てて切り裂くように。僕は僕を追い詰める。

 本来僕は、あそこで死んでいた人間だ。残った僅かな幸福値。それを全うするために、犠牲にした物は……僕の生そのものじゃないか。


(僕は、何度貴方を傷付けたか解らない。苦しめたことだってある)


 貴方を忘れてまで、生き延びた僕がすべきこと。それは今この瞬間のために違いない。

 僕は貴方を取り戻す!嫌がられても、呼び戻す!


 「ユーカー……」


 飲ませた物と、同じ物を僕も飲む。コレが毒薬なら、責任は取って僕も死ぬ。

 辛いなら、苦しいなら僕が一緒にそこへ行く。一緒に覚めない眠りに落ちても良い。でも貴方は嫌だろう?僕と一緒なんて、そうだろ。だから起きて。起きるんだ。貴方が後悔しないよう……

 ほら、髪も切ったんだ。遠目には……ランスに見えなくもない。僕は自分を捨てた。もしこれが本物の媚薬でも、相手は僕じゃない。今の貴方と大差ない。貴方の心が変わっても、彼のために生きて死ぬ。そんな貴方のやることは変わらないのだから。


(あの時、そうしたように)


 精霊よ。僕がもらった回復数術、ユーカーにかけてくれ。ここに君が居なくても、繋がっているだろう僕の心は!

 精霊よ!ユーカーを治してくれ。忘れさせてくれ、彼の支配を!


(敵から植え付けられた情報を糧に食らえっ!!)


 貴方に思われているなんて、自惚れない。だけど……僕は全て無かったことにしたいと思われるほどだったなんて卑下しない!僕だって、貴方の一部だ!どんなに僅かでも、ちっぽけでも……貴方を模るパーツの一つだ!


 「ユーカー!!」


 願いが届いたのか、開かれた空色の瞳。その目は僕を見て、悪意だけを湛えてそこにある。運は、僕に味方しなかった。


 「くたばれアロンダイトっ!!」


 祈りと真逆に作用する結果。僕の幸福が少ないという証。敵はユーカーの幸福値をも消費して、僕らを圧倒しようとしている。

 パルシヴァルの数術が解ける。まだ氷が溶ける時間ではないから、今目覚めたのはユーカーではない。彼が纏うは風の数式!そして……


(あの剣は!?)


 僕が横目で見たのは、イグニス様の手によって剣に変形した十字架と同じ物!何処に隠し持っていた!?ユーカーはあれを手放していたのに。相手は帯刀、此方は丸腰。退かなければ勝機は無い。


(だがっ!)


 まだ僕はユーカーに触れている。ふりほどかれなければ……そんな考えは甘かった。抱き付いた敵を殺すには、正面からより背後が良い。より密着して、自分ごと貫けば良い。


(そんなこと、させるものか!)


 僕は貴方を死なせない。


 「トリシュさんっ!!」

 「止めるなっ!」


 身体に走った衝撃に対する痛みはない。痛むのは、僕の心だ。拒絶するような攻撃に、引くことは出来なかった。


 「起きてくれっ、ユーカーっっ!!!」


 僕は退いたのではない、退けるはずがない!僕がここから逃げれば……あの剣は勢いよく僕の大事な人を貫くだろう。

 見えない背後に水の数術で壁を作るなんて無理。力が弱まる。それなら……僕の目の前にそれを築けば良い。幸福全てをそこに投げ、彼には傷一つ付かないように唯祈る。僕の身体が盾として心許ないなら、僕の幸福値(いのち)で壁を作ろう。


(嗚呼、やっぱり……)


 起きないで。眠っていて。全部終わってから貴方は起きて。僕を何とも思わなくとも、悲しまないような人ではないから……貴方は。


(起き、ないで)


 今度の願いに、ゆっくり彼の瞼が開いた。ああ、……もう叶えられる事は何もないのだ。だから、祈りが届かない。“その時”が、来た。



 *


 時間が無い。騎士を、アルドールを早急に育てること。盤面を無理に進ませようとすること。支払った代償は、彼らではない。彼らも気付いてはいる。でもまだ知らないことがある。


『この間私の勘違いで、貴方のこと刺しちゃったでしょ?悪いなーって思って、お詫びにさ……貴方の嫌いな人、殺して置いてあげたから』

『こ、殺した……!?』

『うん。貴方のお姉さんにお姉さんにお姉さんに、お義母さん!そして……』


 セレスタイン領での、道化師の言葉。奴はセレスタイン卿の姉が三人だと言った。

 それはつまり……ユーカーの洗脳は、タロック側だけの力じゃない。あれには道化師も絡んでいる。解毒だけでどうにかなるとは思えない。勿論、シルヴァン=ウィリディスの力を使っても無駄。

 あいつが、タロックに荷担し始めたということ。ここで洗脳が強まったのもそれが関係している。度々ユーカーに奴は接触しているから……


(僕は、この戦争の終わりを……見ることは出来ない)


 それは予言ではない。どちらかと言えばそれに抗った結果のことだから、僕はそれを誇りに思おう。


 「カーネフェリア様の数値が、シャトランジアから消えました」

 「……」

 「本当に、あれで良かったんですか神子様……」

 「いいんだよ、ルキフェル」

 「でもっ!カーネフェリア様は……空間転移なんて、一人じゃ出来ないっ!それは貴方が……あの人をっ!!」


 続く激務に目も当てられないと、修道服の部下が半泣きになり僕に詰め寄る。


 「私は、神子様が心配なんです。あの人が、何でも自分で出来るつもりになって、こんな風に何度も何度も……何も理解しないで、見えているのに解らないまま」

 「それなら彼は、まだ僕の手の上で踊っていると言うことさ。悪くないだろ、それも……アルドールがすごく、馬鹿みたいで」


 こんな軽口、強がりだってバレている。アルドールには解らなくても、この子には。


 「離れたのは、今の姿を見せられないから。そうなんですよね……?」

 「考えすぎだよ、ルキフェル」

 「だってイグニス様っ!わざと感染した病だってもうSuitの毒で治ってる!それなのに貴方がそんなに怠そうなのは……、辛そうなのは……あなたが、貴女の命が!」


 イグニス、様か。初めてだけど、初めてじゃない。それでも……これでルキフェルは、完成だ。


 「はじめてだね、“君”が僕をそう呼んでくれるのは」

 「えっ……あ、……ああああ、わ、私!」


 僕みたいな数術使いを前に、各仕事なんか出来るはずもないのに。僕は知っている。これまでこの子が何度その言葉を呑み込んできたかなんて。


 「でも神子様はっ……カーネフェリアさ、アルドール様を……」

 「それはギメルだ。僕は何も悲しまないし、傷つかないよ。むしろ嬉しい位なんだ」

 「神子、様……」

 「僕は……彼女をこんなに近くに感じられている」


 指先まで伝わる痺れ。それは僕の魂の歓喜。嘆くこの身の彼女に触れて、流れる涙は喜びだ。


(ギメル……)


 君は何一つ、悪くない。恥じる所なんてない。君は可愛い、僕の大事な妹だ。世界にたった一人の……大好きな。心の底から愛して居たよ。


 「違うやり方ならあった。僕はもっと、上手くやれたんだ。それが僕に出来るなら」

 「……」

 「だけど、駄目だな。すぐ、ばれる。僕は……あの子のようには、笑えない」


 精霊シルヴァン=ウィリディスその一形態は、記憶を食らい共有し、傷を癒す。だけど、記憶を無理矢理取り戻そうとするならば……


 「セレスタイン卿にまた一つ、楔が増える。彼をカーネフェルに繋ぎ止めるための楔が」

 「それを、彼に見せる意味とは」


 どうせここで散らせるなら、助ける意味は無かったのではないか。いや、生かす意味はあった。でもチェスター卿との和解さえ成ればもう用済み?

 ルキフェルは頭の中でゴチャゴチャと僕の思惑を測りかねている。


(意味ならあるさ……)


 忘れられた人間の痛みを、彼にも教えておきたかったんだ。彼を覚醒させるなら、それも理解させなきゃいけない。僕が遺せる言外の手がかりとして。


 「……気になる?」

 「あ、いえ!すみません、あの……差し出がましい真似を、私」

 「……そんなことないよ。でも、何も変わらないさ。僕たちのやることは……“罪には罰を”。それが《運命の輪》の在り方だ」


 「でも……これは僕個人としての言葉だけどルキフェル。付け加えたい言葉ならあるんだ」

 「神子様、それは……」


 希望を生み落とすよう、僕はその言葉をもたらした。初めてじゃない。彼女は知らないけれど、僕はこれまで幾らでもそう言い聞かせてきた。そしてそれは、おそらくこれから何度だって繰り返す言葉。これが最後になれば良いと祈りながら、その言葉を彼女に伝える。


 「“祈りには祝福を”」



 *



 胸糞悪い、夢を見た。夢じゃない、あれはうちの領地であったこと。あの時手渡されたのは……十字架だ。俺が持ってた母親の形見は、アルドールに貸してしまった。受け取ったのはあの男が持っていた、それと全く同じ物。聖十字のそれとは違うだろう。それがどうして二つあり、どういう曰くで奴の手に渡った物かはわからない。しかしそれが優れた……奇妙な触媒だと言うことは解る。

 確か四大元素全てに触れることで、あれは剣へと姿を変える。俺は火、イグニスは水……じゃああとの二つは?

 俺の手には剣がある。混血剣セレスタイトじゃない。手には馴染まない、耳をつんざくような不協和音を放った得物。それが悲鳴を上げている。泣いている、そう形容するのが相応しい……そんな音色で。

 俺の手には剣がある。だけど誰かに抱き締められている。それは後ろから、違う。正面からだ。


 「トリ、シュ……?」


 紛らわしーよ。あのうざったい髪はどうした。なんで髪切ってんだよ。そんなランスの真似すんな。似合ってねぇから。誰かの真似なんかするな。誰かの、何かになるなよ。そういうの、馬鹿みたいだから。どっかの……今お前のすぐ傍に居る、馬鹿な奴みたいだから。


 「よかった……ユーカー」


 ブランシュ領とチェスター領を継ぐはずの男にしては威厳の欠片もない、緩みきった笑顔。


 「どうしたんだ、お前……」


 抱き付くなよ、気持ち悪い。払いのけようとして、俺は手が塞がっていることを知る。どくんと、一度不気味に響いた鼓動。恐る恐る自分の手元に視線を送る、見たくない。手を伝う感触と、鼻で感じるその匂いから、既に答えは見えていた。


(どうした、だって!?俺は何を言っているんだ!)


 「か、回復数術っ!だ、誰か!!数術っ!!」


 早く手当てをしなければ!混乱しながら俺は周りを見回した。俺達以外にも、人は居た。


 「急所は外してます!でも、血が止まらないんです!!」

 「パルシヴァル!?」


 俺が言うより早く、数術手当を施していたパルシヴァルが泣きながら俺を睨みつけてくる。


 「この傷っ……!」

 「僕は、取り戻した。思い出しました」

 「!?」


 その意味が何かなんて考える間でもない。イグニスの野郎が使った精霊数術。トリシュの記憶を食らって、こいつの致命傷を治した。こいつはそれを、放棄した。記憶を取り戻してしまった、それは癒された傷を再び開かせること!


 「馬鹿っ、おまえ……なんて真似を!!」

 「どんな香水より、どんな媚薬より……貴方には、こっちの方が効く。この血の匂い、貴方が貴方だときっと思い出させてくれる」


 可憐な貴婦人は到底知らない、知らなくて良い。それを知っていると思ったなら、俺は俺に帰り着く。

 嗅ぎ慣れた匂い。人殺しの匂い。無力で、大勢しなせてしまった。守れなかった俺に染みこむ赤い色。哀れむような目は止めろ。お前に俺に何が解るんだ。何も知らない癖に!嗚呼……俺が教えたくなくてそうして来た。なのに見えるって言うのか!?分かるって言うのか!?そんなに馬鹿みたいに俺を見ていたのかこの馬鹿は!!忘れたはずだろ、俺のことなんか!!


 「……っ」


 殴ったら、忘れないだろうか。忘れたら、また傷が癒えないだろうか?出来るわけない。それが止めになったなら、俺は一生後悔するんだ。


 「痛く、ないんです。パルシヴァルの、おかげ……です」

 「喋るな!黙ってろ!!」

 「彼が選んでくれた……瓶は、鎮痛剤……だったんです。だから……痛くないはず、あなたも」


 ここに居るのがランスだったら!イグニスだったら!

 パルシヴァルが必死に何かやって居るが、不協和音は消えない。パルシヴァルのまだ不慣れな数術ではトリシュの傷を塞げない。いや……回復、向いてないんだ。憑けてるの、そういうの得意な精霊じゃない。

 それじゃあどうする!?このまま見捨てろって言うのか!?……出来るはずがない!!それなら……


(俺が、俺がやるっ!)


 こいつは触媒、俺の元素を自在に変える。それなら、可能なはずなんだ。


(俺には出来る。俺にはやれる!)


 俺が俺でさえ無くなれば、他の誰かになればこいつを癒せる。助けられる。こいつを刺してるのも丁度いい。そう考えるんだ。内側から完全に数式を送り込める。


 「ユー…カー……」

 「黙れって言ってんだろ!俺を呼ぶなっ!邪魔するなっ!!死にてーのか馬鹿っ!!」


 なのに、助けようとしている肝心の相手が、俺の集中力を遮断する。あと少し、もうちょっとで俺は俺じゃなくなれる。そういう所で死にそうな声で、俺を呼ぶ。


 「誰かに、ならないで。僕は、あなたが……」


 好きでした。奴が振り絞った言葉は弱々しく掠れていて……パルシヴァルまで聞こえていない。聞いたのは、俺だけだ。


 「ふ、ふざけんな!おい!トリシュっ!過去形ってなんだこらっ!!俺が嫌になったんなら、俺なんか守るな!忘れちまえっ!」

 「……」

 「トリシュ……」


 まだ、あたたかい。触れたら、何も変わらない。抱き寄せた身体からは、まだ鼓動が聞こえる!分け与えられる物があるならば、取り戻せる物があるならそうしてくれ。俺の幸福値、分けてやっていい。見捨てられねぇだろ、こんなすぐ傍で!

 変われ俺、変わるんだ。水を纏え。トリシュを治した精霊になれ。まだ間に合う、こいつの記憶全部食い尽くせばきっと……

 馬鹿みたいにゴチャゴチャとそこまで考え、俺はようやく気がついた。トリシュの、行動……願いのその意味に。

 祈るように瞑っていた瞳を見開いて、俺は動かないトリシュを凝視する。


 「パルシヴァル……部屋を、出ろ」

 「嫌ですっ!僕はまだ数術をっ!」

 「トリシュを思うならそうしてくれ!頼むっ!!」

 「セレス、さん……?」

 「こいつが人形みたいになって、何も解らなくなって……あと何日か何週間か生き延びて何になる!?こいつはっ、全部覚えたまま……トリシュって人間として眠りたかったんだ。それがこいつの願いなら、誰にも邪魔は出来ないはずだ!」

 「セレスさん……」


 貴方はそれで、良いんですか?

 部屋を出る前、弟分からはそんな視線を送られた。俺は一度頷きそれに応える。

 ……アスタロット、見て見ぬ振りしてくれよ。後で俺を半殺しにしても良いから。俺はそれを楽しみに、苦しみながら残りの時間を生きてやる。


 「この中途半端な空き瓶、お前のだろ」


 どさくさに紛れて、とうとう俺に媚薬のませやがったなこの変態。でも気付け薬くらいにはなったのか。俺が知らなかったとしてもこの時点で俺はアスタロットに下半身蹴り付けられても文句は言えない。勿論言わない。ランスとのあれをも言及されたら拳でぶん殴られても仕方ない。それはひとまず忘れよう。


 「こんなどぎつい色のよくもまぁ、俺に飲ませやがって」


 本物だったらどうする気だったんだよ、馬鹿。でも、楽にはなれていたかもな。自分の役目も苦しみも、全部忘れて一人を見ていれば良いだけで。その一人はずっと俺を見てくれている。細かい悩みも文句も全部、この色が塗り潰してくれるなら。そんな風にも居られただろう。


 「鎮痛剤って本当か?嘘言うな」


 残りを呷ってみても、この苦しさは消えない。慣れるわけがない、こんな痛みに。


 「俺は俺だ。だけど今だけ、お前のイズ-でいてやるよ」


 ありがとな。嬉しかったよお前の言葉。俺は俺でいろって言ったお前への礼だ。


 「だから、安心してお休み……トリシュ」


 やっぱ俺には無理だ。そんな風に言われても、俺は俺でいられない。他の何かになりたがる。だって、堪えられないんだ。それはきっと、俺が壊れてしまうから。

トリシュは最近、トリシュとユーカーを応援してます!って言って貰えるようになりました。とても嬉しかったのですが……それで甘くしては、物語が成り立ちません。

なので、殺るなら影響を受けない内に心を鬼にすることにしました。


思い出したら傷が甦る、というのが彼の命取りになるのだとしても、ハートカードの彼は自分の恋心を失って生きて居るのは、違和感ばかりだったと思います。

それを取り戻せばこうなると解っていても、思い出さずには居られない、そんな生き方を選ぶのだと思いました。


最初はギャグだったはずが、思いがけず本気でイズ-を愛し始めたトリシュには、書き手側も振り回されてきました。これそういうジャンルでもテーマでもないから!ここ裏本編じゃないよ!?(裏本編だったら二人の媚薬事件も余裕で一線越えそう)

それでも真剣に悩むトリシュを前に、私も書いては消しての繰り返し。一緒にずっと悩んできました。


トリシュの祈りが、ユーカーに聞こえても届かないのは…悲しいことですが、今回のことを胸機刻み、これからの生きる彼の時間を見守って頂ければ嬉しいです。

今回のタイトルの意味、まったく内容に合ってはいませんが、詩人や眠り……それからその場違いさのちぐはぐさが、彼に似合いそうだと選びました。

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