71:Parva leves capiunt animas.
「ブランシュ卿、でしたか?いつも弟がお世話になっているそうで」
「そんなことはありません。私などより……余程彼に私が助けられています」
「あら?そうなんです?ところでこれ、一体どういうことなんですか?」
「貴女はご病気です。ご家族の不幸による病で、無意識のうちに暴れてしまった。それを防ぐためのものですよ」
「でもこんなに手足を縛られて繋がれては何も出来ないわ。私咽が渇いたわ」
「お茶は如何ですか、モルガナ様」
「まぁ!貴方が飲ませてくださいますの?」
「貴女がそれをお望みならば……さぁどうぞ」
口元までカップを運んでやれば、残念と彼女は笑う。笑う“彼女”は美しい。数術が解けて見えてもだ。
僕のことも覚えていないのか。喋れないという話も思い出せないのか。あの時聖教会で出会った貴女は、森で僕を助けてくれた貴方はもう、どこにもいないのか。
(ああ、それでも……)
貴方は、貴方だ。このままで居られたら、どんなに良いだろう。何も知らないまま、全てを忘れたまま……あなたを攫って何処かへ逃げられたら。でも、駄目だ。その手を引いて無理矢理攫えるほど、僕の貴婦人は弱くない。
トリシュは己を自嘲した後、部屋を出た。部屋の外には同じくこの城に残された少年が立っている。彼は交代に来ただけわけではない。まだその時間では無い。だからこれは僕に話があってのことだ。
「……防音の数式を貼ったんですね。見事です」
「……はい」
茶には強い眠り薬を調合し入れて置いた。しばらくあれで静かにさせられる。アルドール様達が戻られるまで、何度かそれを繰り返すことになるだろう。アルドール様達が帰ってくるまで無事にこの場を守りたい。しかし今しか出来ないこともある。例えばそう……情報を探ること。
「教えていただけませんか、パルシヴァル」
「……教、える?」
「私が忘れていることを。僕とセレスタイン卿には、本当は何があったのですか?」
「……」
「この写真の人は……彼の、姉君ではありませんね?」
追求の勢いに負け、とうとうパルシヴァルは頷いた。
「トリシュさんがセレスさんのことを忘れたのは……数術で怪我を治した後遺症だって聞きました」
「それでは僕のイズーは……やはり」
「セレスさんを、そう呼んでいました」
「……はぁ、情けないな。僕は」
第三者からの明確な答えを得、記憶の中の靄がようやく晴れていく。
(肝心な時に自分のことばかりで、あの人を助けられない)
思い出しかけては居たのだ。だから彼女に……彼に、あんな事を言ってしまった。
「彼をあそこまで追い詰めたのは……きっと私です」
「え!?」
「ユーカーは悩んでいた。迷っていた。逃げ場を欲しがっていた。私はその力になりたかったのに……その逃げ場所すら奪っていたんだ」
誘ったのが別の人間だったなら、彼はタロックに付いただろう。だけどそれが僕だったから。僕の心を本物だと気付いていたあの人は、僕の手を取ることを恐れたんだ。
(結局僕は……)
あの男には、勝てなかったのだ。大事な親友が、守りたい国。その親友のために死のうとしている彼を、愛に縛り付けることは出来ない。それ以上の価値と意味を、僕から与えることは出来なかった。ああ見えて誠実な彼は、かつて失った思いへ殉じる心がある。僕はランスからも、ユーカーの大事だった女性からも、彼を奪えなかったのだ。
(一時でも、彼から与えられたものを忘れた僕に……その資格は無かった)
何が、愛だ!何が運命の人だっ!!僕はあの人に何を与えてあげられた?穏やかな時間も、癒やしだって与えられない。逃げたい貴方を追い詰めただけ!救われるだけ救われて、貴方を崖から突き落としたも同然だ!
壁に拳を打ち付けて、涙を流す僕の背に……ゆっくりパルシヴァルが近付いた。
「トリシュさん……あの、僕よく分からないけど。セレスさん、笑っていました」
「笑って、……いた?」
「ランスさんの事を話すときは、いつも苦しそうだった。だけど貴方の話をする時は、馬鹿な奴ってそんな口ぶりだったけど……少し、嬉しそうでした」
こんな子供に同情されて、慰めの言葉を聞かされるなんて。いよいよ自分が惨めになってくる。止めてくれ、そう呟いても彼は止めない。
「嬉しかったんだと思います。セレスさん、いつも都で色んな人に嫌なことを言われて。皆に嫌われてるって思ってた。僕もそういう話、セレスさんの嫌な噂いっぱい聞きました。そういうの聞く度に、僕はこのローザクアが嫌いになりそうでした」
その噂に便乗して、彼を悪く言っていた時期が自分にもあることを思い出し……僕は余計に落ち込んだ。
「だけど、大丈夫ですよ!セレスさん、今までずっと負けなかったんです!ずっと頑張ってきたんです!今回だって絶対そうです!!だから信じましょうトリシュさん!」
「パルシヴァル……」
差し出された手は小さい。でも幼いからこそ、純粋で真っ直ぐな心を彼は示せる。あの人は、この少年から与えられたものも、きっと多いのだろう。
(それでも……きっとこの子は選ばれない)
捨てられていくんだ、あの人に。助けて貰えても、選んでは貰えない。あの人の心の秤にすら乗れないのに、どうしてそんなに慕えるんだ?
「君はどうして……そこまで彼を」
「セレスさんは、僕の憧れの人ですから!僕はセレスさんみたいになるんです!セレスさんみたいに、目の前の人を絶対に見捨てない、強くて優しい騎士様に!」
憧れに、距離は無い。離れていても、彼が消えても……自分の夢は心は変わらない。そう信じているのだろうか?ついこの間まで自分も凹んでいた癖に。おかしなことになった恩人を前に、自分がしっかりしなくては。そう思っているのか?
(違う……)
本当は、怖いんだ。笑顔は少し引きつっていて差し出された手は震えている。一人でここを守り切る自身が無い。それでも弱音は吐かずに強くありたい。それが憧れに一歩近付くことだと弱い自分に言い聞かせて。その手は僕に差し出されていると同時に、此方に助けを求める手。
(僕も、そうだったのかもしれない)
逃げよう、攫ってあげる。そんな言葉は……僕が求めたことだった。僕が逃げたかったのだ、あの人と一緒に。あの人が、他の者を見ないようにと……。
本当に助けたかったなら、彼の心を気持ちを汲んで、そのために残りの命を使い潰すべきだった。愛しのイズーに勝るはずがない、祖国、このカーネフェルの地に。
本当に貴方を愛してしまった瞬間から、僕は何も言うべきではなかった。貴方をこんなに苦しめる、困らせるだけなら……せめて、友として。支えられたら良かったのに。
「ありがとう、パルシヴァル。それから……すみませんでした。私は今まで貴方を一人の人間として、見ていなかった」
「トリシュ、さん?」
「貴方は立派な騎士ですよ。その心はもう、私などよりずっと……優れた騎士です」
その手は取らず彼の頭を撫でた僕を、パルシヴァルは不思議そうに見上げている。
「それでも貴方には、一つ足りない物が」
「僕に、足りない物……?」
「それがあるから、時に弱くなる。だけど、絶対に負けられない。何度だって立ち上がろうと思える。それさえあれば、恐れる物など何もない」
「何ですか、それ」
「貴方の憧れた人も、それを持っていますよ。だからこそ……貴方の言うよう、彼は今回もきっと……大丈夫です。私もそう、信じます」
それは僕に対しての物では無いけれど、あんな風な彼を見ているのはもう嫌だ。憎まれ口でも良い。嫌そうな顔でも良い。いつもの貴方に戻って欲しい。
願い得物を握りしめ、僕は髪の結びに刃をあてた。
「……や、止めろっ!!」
僕が残り僅かな幸福値に祈りを捧げたその直後……室内から聞こえた叫び声、硝子の割れる衝撃音。僕はパルシヴァルと共に部屋へと飛び込む!
「ユーカー!?」
「セレスさん!?」
*
頭が痛い、割れそうだ。目を開けているのに何も見えない。ここが何処かも解らない。
頭を抱えようとしても、手足の感覚が無い。五感全てが俺の支配下に無いんだ。
(違うっ、俺は誰かじゃ無い!人形じゃねぇ!駒でもねぇっ!俺はユーカー、セレスタインだ!!)
必死に何度も繰り返す。頭の中で、心の中で抗うように唱え続ける。それでも俺の声を掻き消すように、声が聞こえて来るんだ。それは男の声だ。若い男の声だ。
奴は流暢なカーネフェル語で。いや、違うタロック語だ。それが片言に聞こえないのは、俺がそれだけ理解している。頭を脳を、そういう風に弄られたってことじゃねぇか!
タロックには、神子に通じるレベルの数術使いが居る!万能かどうかは解らない、それでも何かを見通す術に長けた術者がいるのは間違いねぇ。
(俺が、このカードになることを、知っていやがった!)
レクスでも俺を攫えないとなれば、もう俺の人格なんて必要ない。タロックが必要なのは、カードとしての俺なんだ。
「タロックだけ、だと?どこまで救いようのない馬鹿なのだお前は」
なんて悪夢だ。やっと目が見えるようになったのに、最初に見たのがあのクソ親父だなんて。
道化師に殺された、もう死んでしまった人。俺の瞳に涙が浮かぶのは、悔しさだ。悲しみなんかじゃ無い。俺の目指したことはこうしてまた一つ、奪われてしまった。
「セレスタインの家に必要だったのは、見栄えの良い跡継ぎだ!」
「違うっ!俺は、俺はお前に俺を認めさせたくてっ!」
「何故、死んだのは貴様ではないっ!!」
「てめぇが、それを言うのか!?俺は、俺だって……まともな目の、カーネフェリーに生まれたかった!!でもそれは、お袋の所為じゃねぇ!てめぇの所為だクソ親父っ!!」
首を絞めてくる父親に、憎しみを込めて俺は叫んだ。
「ご無事ですか?」
涼やかな声の後、息苦しさと首を絞められる感触が消え、親父の姿も崩れて消えた。それを引き起こしたのは、真白い法衣を纏った混血……
「イグニス!?」
「こんな所で死なれては困るんですよ、僕が。セレスタイン卿は、大事なカード。必要なのは、カーネフェルを守る戦力」
「違うっ!!俺はっ……!」
「良いんですよ、そう、もっと僕を嫌えば良い、さぁ僕を憎みなさいセレスタイン卿」
俺を決して名前で呼ばないこの女。此方が手を貸したって、歩み寄ろうとはせず距離を保った鉄面皮。琥珀の瞳が見ているものは……俺を遙かに通り越し、あのぼんやりした情けない男へと。
「僕が欲しいのは、アルドールを守る駒。僕を嫌えば嫌うほど、貴方は彼に救いを見出す」
「そんなことは、絶対ねぇっ!!」
俺をカーネフェルの、アルドールの駒にしようとこいつは、全てを仕組む。そのレールに乗るのはごめんだ。例えあいつに同情するところがあっても、俺は俺なんだ!誰かの手の上で踊るなんて真っ平だ!
耳を塞いで蹲る。強く目を閉じた俺の耳に聞こえる、誰かの笑い声。それは嘲りではなく、とても穏やかな……
「可愛いなぁ、セレスは」
「おっさん……!」
二度と聞けないと思っていた、大事な人の声に俺はその場を飛び上がる。目を開け姿を確かめて、抱き付くくらいの勢いで、仕えた人の側へ行く。
「セレス、どうしたんだい?」
両腕を広げてその人は笑う。躊躇わなくて良い。親子がそうするように飛び込んで来いと。父親代わりの自分が、慰めてあげよう。心行くまで泣けば良い。幾らでも優しい言葉を吐いてやる。嗚呼、そんな声に惹かれそうにはなるが、駄目なんだ。
「そんなに強がらなくて良い。私の傍でくらい、素直な顔を見せてくれ。私はいつも思っていたよ。我が子のように、お前のことを」
「や、止めてくれっ!あんたは……それでも、親父じゃない!俺がどんなにあんたを慕ったって、俺はあんたの息子になれない……あんただけが俺の、俺の認めたカーネフェリアなんだ!そういう言葉は俺じゃ無い!俺よりランスに言ってくれ!」
足りない物を補うように、必要とし合っても悲しいだけだ。俺もこの人も。
「私を守れなかったセレスに、騎士としての必要性があるだって?」
「!?」
「何も出来ないんだ。出来なかったんだ。弱くて守られるだけなんだ。可愛い、可愛い私のセレス。我が子の代わりに可愛がる以外に、お前に価値はあるのかい?」
「アルト、様……!」
突き放した俺の指を掴み、あの人が悲しく笑う。その微笑みは風に崩れて足下へ……砕け散って砂になる。拾おうとしてももう駄目だ、髪の毛一本残らない。
泣き崩れる俺の耳に届くのは、ここで一番聞きたくない声だ。
「ユーカー……」
「てめぇまで出るなよランス!このパターンはお前も俺に嫌なこと言うためだけに出てきたんだろ!?」
「あはは、何を言ってるんだユーカー。やる気が無いなら、さっさと何処かへ行ってくれないか?」
「……え」
「カーネフェルにはジャンヌ様が居る。イグニス様の助力もある。別にお前が居なくても俺もカーネフェルも困らない」
国の道具は嫌。そう言いながらも突き放されるのが嬉しくない。それじゃあ俺は何を求めている?その答えをこちらに求めるなと、ランスが心底呆れて俺を見た。
「いい加減、迷惑だ。幾ら俺とお前だって、適度な距離は必要だろう」
「な、何言ってんだ?」
「お前が居ると、ジャンヌ様に勘違いをされる。それに……お前が居ると、あの男と伯父のことを思い出す。伯父さんも、王妃様が好きだった。お前がジャンヌ様に惹かれない保証はあるのか!?」
歴史は繰り返す。親の過ちを俺達が再びなぞることになる。そんな疑惑を向けられて……俺は苦しく、悔しくなった。
「ば、馬鹿かよお前!俺はあんな女に興味ねぇ!」
お前の見ているところ、見ていないところで俺がどんなに頑張ったか、お前は知らない。俺はお前のためなら何だって捨てて来た。誇りだって夢だって、プライドだって何度捨てたか解らない。今の俺に残されている物はたった一つ。
それが友情からなのか、親心なのかもう解らない。でもお前が大事だ。だから俺はお全身全霊を賭けて、死にゆくお前に幸せを贈りたい。お前が生き延びられないなら、せめてその生が幸せであるように、命削ってお前に尽くそうとしてるんじゃねぇか!
「ランス、俺はっ……」
「ユーカー……そういう暑苦しいの、誤解されるから止めてくれ」
外聞や恥、誤解のためにお前は俺を捨てるのか。恥じる事なんていくらでもあるこの俺が、お前との繋がりに、何ら恥じることは無い。それ無くして俺は俺では無くなるだろう。
こんな醜い俺に与えられた、唯一の物。お前が居てくれたから、どんな理由であっても、お前が必要としてくれたから!だから俺は今日まで……カーネフェルに留まれたのに!
「ランス!そこまで言うことないだろ!」
「アルドール様……」
(ある、どーる……?)
おいおい、止めてくれよ。こんな打ちのめされた俺を、寄りによって庇うのがお前なのか?
ランスの言葉から、視線から俺を守るよう、庇うよう前に立つアルドール。
「何で、お前が……」
「なんでって当たり前だろ、だってユーカーは俺の友達だよ」
友達を守らない人間がどこに居るんだ。至極当然のことだと奴は笑った。周りの思惑で俺と近付くよう仕向けられても、自分の心で自分は動き考え生きて居る。そう、言わんばかりの強い口調で言い切った。
「アル、ドール……」
「イグニスの、代用品だけどね」
「!?」
「昔の、俺にきつかった頃のイグニスに似てて癒されるんだ」
「アルドールっ!」
悲鳴のような、俺の声。それが合図でランスとアルドールが雷打たれた石のよう、バラバラになり砕けて消えた。
(何、言ってんだ俺)
両手で口を押さえて、俺は嗚咽を押し殺す。俺は今、何を言いかけた?「お前はそんなこと、言わないだろ!?」だって?そんな血迷ったこと、言いそうになって気持ち悪くなった。俺はあいつを信頼なんてしていない。解ろうとなんてしていない。それなのにお前はこんな奴じゃないだなんて決めつけて、解ったような気持ちになって。そんな自分が気持ち悪くて。
「誰も貴方を欲しがらない。でも、私は違う。こっちに、私の傍に。早くいらして、セレス様」
「アスタロット……」
恋い焦がれたその声に、俺は再び顔を上げる。失われた彼女が、俺の婚約者が……扉の向こうで微笑んでいてくれる!
見栄えの悪い二人が、腫れ物を扱うよう閉じ込められた部屋。暗い、アスタロットの部屋。でもそこに彼女が居るだけで、全てがどうでも良くなった。
どんなに頑張っても救われない。認められない。頑張れば頑張るほど、俺は苦しくなるだけだ。誰も要らない。何も求めない。お前を失った世界は醜い場所だ。他に何一つ、残ってはいなかったよ。それに、ようやく気がついた。
失われた、手にすることが出来なかった愛。お前に代わるものはどこにもいない。ああ、そうだ!!あのランスでさえ!
「セレス様、お話ししましょう。聞かせて欲しいの、私の知らない、貴方のことを。もっと……もっと、私の傍で」
「アスタ……ロット」
貴方は空っぽなんかじゃ無い。残っているはず。見ようとしていないだけ。目を逸らし続けてきた、シャラット領で気付いた思い。愛こそ全てだ。友情なんて、忠誠なんて、嗚呼馬鹿らしい!命を賭けるも投げ出すも、そんな理由になり得ない。そうだろう?そうだろう?だから私を愛しなさいと、彼女の目が俺に言う。もう何も、他のことなど考えられなくなるような……赤い、瞳で。
(赤……?)
違う、違う。アスタロットは、髪こそタロック人に似ていても、その目は、その目は……カーネフェルの青。俺とお前でやっと一人前の、カーネフェリー……
「ユーカー!」
「セレスさん!」
その声は、ほぼ同時に俺へと届いた。だけど条件反射のように振り返ったのは、名を呼んだ方。そんな風に呼ばれたら、あいつが来たって思うじゃ無いか。
(ランスじゃ、ない)
でも、誰だあの男は。綺麗な色だけどあいつの金髪とは違う。目の色だってあいつの方がずっと濃い。だけど髪の短さはランスとそんなに変わらない。
(お前は、誰だ?)
*
「よくもやってくれたなカーネフェリア!」
飛び込んだ先、全身を襲う凄まじい風。彼の縛めを解いたのは、風の数術!ユーカーは数術を扱えない。なら、精霊を憑けられたということか?
この状況に、トリシュは焦りを感じていた。相手はコートカード。しかも我々は彼を殺したくない。手を抜けない相手に、本気で戦えない。そんな圧倒的に、不利な状況。鍵となるパルシヴァルは……ユーカー相手には無理だ。僕は彼の前に進み出る。
「パルシヴァル、貴方は下がってください!今のユーカーは危険です!」
「嫌です!僕はセレスさんから一本取ったことがある!簡単には負けません!僕には……精霊だって居ます!」
「知らん顔だな。ふん、守りは雑兵……か。俺も甘く見られたものだ」
「セレスさん……!?」
「話したでしょう、パルシヴァル!彼は何者かに支配されていると」
「……だったら尚更っ!今度は僕がセレスさんを助けます!」
「パルシヴァル!」
止める言葉も聞き入れず、少年は前へと踊り出た。確かな目的を持ったのか、パルシヴァルには迷いがない。無傷で止められると思っていない、それが命取りだと気付いている。
今回彼が手にしたのは剣じゃ無い。こうなる時のため、装備したのは長槍だ。それは普通の物より幾分も細い。仕留めることより傷付けることを考えられた武器。小柄な体に似合わない、リーチの長さ。
それなら力勝負で折れば良い!パルシヴァルの軽さ程度なら、武器はしなやかに曲がり、衝撃を和らげる。それだけじゃない!その槍はバネのよう、移動にも力を貸している。
槍が狙ったのはユーカーの両腕両足。その四点から血を流させる。
「凍れっ!」
床に滴る鮮血を、瞬時に氷らせ手足を床へと縫いつける。水の……氷の数術!
いや、血液だけではそれには足りない。足りない水の元素は空気中から取り出した?それともその血自体を触媒に……?
(精霊を得たと言え、彼は元々純血だ)
あのランスだって、成長速度はここまでなかったはず。この温暖なカーネフェル、夏場にこんな物を作り上げるなんて。カードの違いか、才能の違いか。いや……
(思いの、違いだ)
パルシヴァルは、ユーカーに憧れた。誰かを守るために強くなることを願った。その結果がこれだ。彼は心の底からユーカーを……尊敬していたのだ。
「その顔……この男がそんなに大事か?」
再び、動きを封じられた男が嗤う。この状況でまだ笑える余裕は、術者本人がここに居ないから。万が一、死ぬとしてもそれはその男では無い。
「俺はこの男の脳の、深くを暴いた。そこに貴様の顔など出て来ない」
「そんなこと、関係ないっ!それが嘘でも本当でもっ!僕にとっては、大事な人だ!!」
子供だからこそ、裏表の無い、嘘の無いその言葉。真っ直ぐ彼を貫かんばかりの鋭さで……
「起きて下さいセレスさん!貴方は、僕の憧れた貴方はっ、誰にも負けないっ!勝ちを譲ることがあっても、貴方が負けることは無い!!貴方は強い人です!貴方は貴方なんかに、絶対、負けません!」
何て愚かな。事もあろうに武器を放り出し、パルシヴァルがしたことは……動きを封じられたユーカーに抱き付くことだ。彼の手にはまだ武器がある。氷が砕けたら、自分が襲われることになるのに、あんなに無防備に……
(だが……あれが、彼の信頼なんだ)
敵により凍らせられたのは、身体では無く心なら。こうして寄り添い訴える。隙を見せることで油断を与えることで、心を伝える。忘れられていても、こうしていつものように近付けば……溶ける心もあるだろう。
風の数術により割れた窓硝子、吹き込む風が、少年の長い髪を靡かせる。その柔らかな髪が、ユーカーの腕を手を擽った。彼は何度だって、その髪を撫でたことがある。知っているはず。腹に突進してきた小さな頭。背中に抱き付かれた細い腕。記憶の浅いところに治められた記憶なら、掘り起こすのだってきっと、難しくない。
「パル……シ、ヴァ……ル」
「セレスさん!?」
少年の桁違いの幸福値か、祈りが通じたのか!?ユーカーの意識が戻る。だが、長くは保たないこと、彼自身解っているのか……もたらされた言葉は、あまりに残酷な物だった。
「パルシヴァル、俺を殺せっ!!お前のカードなら、……俺を殺れる!」
アルドール達がのんびり墓参りしてる横で、カーネフェルが大変な展開。
ユーカーは道化師候補だから、ワイルドカード(何にでもなれる)。誰かの望む物になれるけど、その分見失ってる物も多い。ランスとは違う意味で。