67:Laudatores temporis acti.
「付いていて、あげないんですか?貴方らしくも無い」
「トリシュ……」
友人からの言葉に、ランスはしばし押し黙る。記憶を失ったトリシュにしては、妙な言葉だが……すぐに気付いた。彼はあれを、本当にユーカーの姉だと思っているのだ。その辺りの説明をすると問題はトリシュの方まで及ぶ。これ以上面倒事を増やされるのはごめんだ。落ち着くまでその勘違いをしていて貰おう。いくらトリシュでもあんな錯乱気味の相手をどうにかするはずがない。ユーカーのことは一時トリシュに預けるか。
「無茶言うな。見ていられないよ」
敵将からの伝言を伝えると、従弟は元に戻った。いつもの彼ではなく、彼の姉を名乗る女性へと。あんな様子では、ユーカーをセネトレアには当然連れて行けない。戦力として期待できないどころか、幸福の置物としても使えない。また何かのスイッチが入り、タロック側になっても困る。
せめて守りの置物として、縛って牢にでも転がしておくのがカーネフェルのため。いや、またあのようになれば、それすら危うい?カーネフェルを思うなら、ユーカーを始末するしかない。それができるカードは……ジャンヌ様だけ。
(彼女に仲間殺しをさせるなんて……)
聖女と祭り上げられている彼女に、そんな仕事はさせられない。イグニス様から教会側のカードを借りるという手もあるが、アルドール様はそれを嫌がるだろう。勿論ユーカーをそうすることだって。
(俺だって、嫌だ)
カーネフェルのためなら俺はあいつを死なせられるが、その時俺が自分のままでいられるか、その自信はない。やっと流れが此方に来たと思ったのに、そう簡単にはいかないものだな。
(早く……何とか元に戻さなければ)
幸い、宛はある。それだけでも救いだろう。
「……」
「どうしたトリシュ?」
「今一瞬……物凄く悪い顔していませんでしたか?」
「ん、そうか?それより……彼女はお前と話していれば落ち着くだろう。パルシヴァルも付けている。彼とお前でここに残って彼女を頼めないか?アルドール様にも俺が言っておく」
「……ランス、貴方がそう言うなら。何があっても、後悔しないと誓ってくれるなら。僕はその通りにします」
「トリシュ?どうしたんだ」
「……いえ」
「なら良いが」
純真なパルシヴァルは、あれがユーカーの姉だと伝えたところ疑わずに懐いているし、彼とトリシュのカードがあれば、借りにユーカーがまた暴れても……大事には至らない。ここは彼らに任せることを決め、隔離部屋を後にする。
念のため数術の結界も貼った。何かあれば俺には解る。これが今できる最善策だ。
「……モルガナ」
そんな名前の従姉は居ない。あいつの周りでそれを知っているのは俺だけ。疑問に思った俺が二人きりになろうとしたところで、俺を殺させるつもりだったようだが……
(お前と二人の時間なんて……)
そんなチャンス、幾らでもあった。なら敵将は何故、ユーカーにそんなことをした?
数が合わない彼の姉。
「彼がおかしくなったのは、毒を盛った相手……或いはそれに通じる者と接触したから。それならその人物はもうカーネフェルに潜入していることになりますね」
「ジャンヌ様」
「もう!ジャンヌで宜しいですのに。先程の貴方の決断、見事でした。尊敬します」
「それは、貴女もですよジャンヌ様」
会議室への通路で俺を、待っていたらしいジャンヌ様。これは、アルドール様の前では話したくないことでもある様子?
「まさかタロックの将に、救われるとは思いませんでした」
「そうですね」
「……先程のことは、申し訳ありません。貴方は辛いことがあったばかり……その上セレスタイン卿にまで何かあったら、辛くないはずないでしょうに」
「どうして、そのように……?」
「だって貴方にとって、彼は家族も同然なのでしょう?」
「それは……そうですが俺もあいつも、カーネフェルに命を捧げた身。もし何かあっても、あいつなら解ってくれると信じています」
「もう……」
呆れたように、困ったように彼女は俺を見上げて笑う。
「ランス、顔に出ていますよ?」
「え……」
言葉も態度が立派でも、嘘を吐けない人なんですねとジャンヌ様が俺に言う。
「友達思いの人は、私も嫌いじゃありません。セレスタイン卿のこと、絶対なんとかしましょうね!」
俺を励ますよう、ばしっと背中を叩くジャンヌ様。予想外の行動から咽せ込む俺を振り返り、慌てて彼女が頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
強く叩きすぎましたかと問われると、予想以上に。それはそうか。彼女は元々聖十字兵だった。彼女が携える獲物は二本。両手でそれぞれ一本ずつ長剣を振り回すのだから……多少なりとも筋力はあるだろう。あまりにも女性扱いするのも、失礼なことだ。
「私に出来る精一杯で、協力させてくださいランス。頑張りましょうね」
「は、はい」
鎧のままではいけないか。籠手を外して彼女がカードの宿った手を俺へと差し出した。その行為に意味なんて無いだろう。この幸運に頼れ。命なんてくれてやる。カーネフェルのためなら、同志よ私も変わらない。伝わる彼女の覚悟に目が眩む。
人々が噂するよう、貴女には一点の曇りもない。だがだからこそ、俺が手を伸ばしてはいけないものだ。
(俺は、あの男とは違う)
彼女の姿に……あの人が重なって見える。燃えさかる砦に残った、王妃様。会ったことなんて数えるほどしかないのに。
「ランス?」
「宜しくお願いします、ジャンヌ様」
俺は手袋のまま彼女の握手に応じて微笑んだ。俺の葛藤など知らぬまま、微笑む彼女が……ほんの少し憎らしい。彼女は何も悪くないのだから、俺はそう思う俺を呪うだけ。
*
「アルドール!まだ予定より早いですが会議を再開しませんか?」
「ああ、うん!」
ジャンヌとランスの登場に、アルドールはほっとした。一度解散とはなったが、誰だって気が休まらないのは同じ。
(何しろ双陸さん、真面目すぎる)
自由に出歩いて良いと言ったのに、これから話会う会議室に案内して欲しいと言う。そこに案内したら予定より早い時間からずっと椅子に座り始める。それを放って俺だけ出歩くのも気が引ける。それから今まで、微妙な沈黙が続いていたのだ。今はジャンヌの明るさがありがたい。でもどうして彼女はこんなにやる気を出している?
(そっか、ジャンヌは)
色々なことがありすぎて、つい忘れかけていたけど、ジャンヌのこともまだ最近のこと。彼女はセネトレアに派遣されたという親友を亡くしたばかり。ユーカーのことでこんなに意気込んでいるのは、ランスとユーカーを放っておけないのだろう。
(……俺だって)
長い間とは言えないけど、ずっと二人を見てきた。俺とイグニスとも違うけど、空回る二人の絆とか繋がりの様な物を見せられてきた。俺の方が、沈んでいるから?こんがらがってしまったから?わからない。だけど、この二人には……いつまでも今のままでいて欲しい。ランスもユーカーも違う意味で不器用で、辛い生き方をしている。守って貰った分、報いたい。そう思うのは俺の傲慢か?押しつけか?
(ううん、それだけじゃない)
二人には敵わないけど、俺は二人の友達のつもりだ。見なかったことなんて出来ない。出来るはずがない。
「それじゃあ、再開させよう。それぞれまとめたこと、考えたこと、思い当たったことがあれば話して欲しい」
俺はそう切り出すが、誰も何も言い出さない。それならばと、俺は俺の考えをまとめて話す。
「ユーカーに毒を盛った相手は、このカーネフェルに居る。それは確かだ。それを放置したまま外に戦いを仕掛けることは出来ない。だからと言って……今のチャンスも逃せない。戦の仕度が調うまでに犯人を見つけられなかったら……」
ユーカーを始末する、そんなことは許さない。俺の言葉を遮るよう、意を決したランスが仕入れた情報を出す。敵将の手前、話したくなかったようだが俺の行動に従ってくれたのだ。ランスは彼を客人とした、俺を尊重してくれている。
「カルディアでの情報があります。ユーカーはカルディアに滞在している時は通常だったと。ならば敵は都周辺に隠れているはず」
「それなら、総動員して探しましょう!」
力業でなんとかなる!なんとかしましょう!私の幸運があれば大丈夫!そんな明るさでジャンヌが椅子から立ち上がる。しかし彼女の発言は、これまで沈黙を守っていた敵将によって止められた。
「……いえ、それでは相手に逃げられる」
「双陸殿。貴方を囮にすれば、誘き寄せることは可能なのでは?」
ランスの失礼な言葉、だけど俺の心も揺らぐ。いやいや、彼は客人だ。そんなことはできない。
(一番それが、手っ取り早いし効果はありそうだけど……そんなこと駄目だ)
俺がそう口にする前、双陸本人にランスの言葉は切って捨てられる。
「俺にそんな価値はありません、先程あなた方も聞いたはずです」
「貴方は、ご自分の友を信じないのですか?」
「友、ですか?」
驚いたようなジャンヌの言葉。瞬いたあと、双陸は軽く吹き出し肩を震わせる。
「な、なんですか!?笑うような話ではありません!」
「こ、これは失礼」
まさか今笑われると思っていなかった彼女は、怒りからか顔を真っ赤にしながら震えている。その反応が場違い過ぎて、ちょっと可愛らしい。俺より年上なのに、俺より彼女は純粋だ。それを少し、羨ましく思う。双陸さんも、そうなのかもしれない。
「俺とあれは、そんなものではありません」
「え?」
「信じるに値する物などありません。目に見える、信じられるものが真実だとは限らない。心残りがあるとすれば……もっと努力をすれば良かった。それだけです」
「努力、ですか?」
「最初から、可愛がらなければ良いのです。己の心など見せるべきではない。気を許すこともなければ、突き放す必要もありません」
「それって仲良くならない、嫌われる努力ってことですか?」
「少なくとも俺がそうしていれば、貴方もこの国も、もっと楽に俺を始末できたはずでしょう」
口調は穏やか、顔は涼しげ。だけど赤い瞳は火よりも激しい血潮に似た色。
遠回しな彼の言葉は、彼の心は……辛いと言っているんじゃないか?彼と別れるのが悲しいと……。
(俺は、何を思ってるんだ)
そんなわけない。イグニスがそんなこと考えているわけがない。この人みたいにエルスを俺を遠ざけるため、わざと俺に嫌われようとしているなんて。
(あいつは、あいつは……)
どこまで信じて良いのか、もうわからないよ。今まで俺のためにしてくれこと、全部が嘘だとは思えない。信じている、信じていたい。だけど目には見えないと、彼は今言ったじゃないか。この人のことを、エルスはあんなに信じてる。嘘まで信じたがっている。裏切ってなどいない。なのにこの人は、誰に何を裏切られたって言うんだ?
不器用なこの人のこと、俺は他人事だと思えない。今でさえ彼を持て余しているのは本当だ。だけど彼の力が無ければ、ユーカーは取り戻せない。俺はもっと彼を理解しなければならない。近付かない努力なんて、したくない。後で辛い思いや後悔をするんだとしても、近付かなければはじまらないじゃないか!
「双陸さん……」
「俺を煮るも焼くもカーネフェリア様、貴方の自由でありますが……俺を囮にあれに危害を加えるならば」
「わ、わかってます!わかってますから!自害しないで下さい!!」
自分で自分の首の骨を折るつもりか!?それとも絞殺?自身の首へ手を伸ばした双陸さんを、慌てて俺は言葉で止める。
友達は否定するのに、こんなに怒るんだから……この人にとってあの子はそれ以上の存在なんだなぁ。何があったのか解らないけど、あのエルスもこの人のことは心配していた。出会った頃のエルスからでは考えられないくらい。敵だけど……敵だって、変わらないままじゃない。成長しているんだ、きっと。だからどうにも、やりにくい。
「あ、あのさ!げ……解毒剤を、新しく作るのって難しいかな」
「アルドール様、それでは敵を野放しにすると?」
「ううん、そうじゃない。ユーカーは元に戻す。だけど相手がユーカーを操れると思ったままなら、いつか必ず姿を現す。だからその前にこっそりユーカーを元に戻して、そのことを伝えておくんだ。それが出来れば……」
「わざと進軍をし、国を叩かせる隙を見せ返り討ちにするというわけですか。なるほど……面白いですね。ランスはどう思いますか?」
面白いだけで戦いは出来ない。自身が勢いだけの猪突猛進だという自覚はあるのか、ジャンヌは知略に長けているランスの意見を求める。冷静に見えて、意外とランスもそうなんだけどね。ああ、それは国とユーカー絡みくらいなものか。いや、これ国とユーカー絡みだから未だかつて無い暴走もあり得ると、俺はハラハラしながらランスの答えを待つ。
「ここに来る前俺もちょっと、調べてみたんだ」
流石はカーネフェル王宮、その書庫。俺の実家やシャトランジアの聖教会とは比べものにならない素晴らしい蔵書だ。宿敵である……タロックに関しての情報は。ちなみに双陸さんとはそこで出会った。ちなみに彼の手には『驚くほど簡単に死ねる!自害読本』『手ぶらで死のう大全』『後腐れのない遺産相続』『遺書の書き方・遺し方』など物騒な本が並んでいた。ちょっと目を離したら危ないと、そこから会議室まで俺が付きっきりなのもそんな理由からだったりする。
「双陸さんのようなタロック貴族とか王族は、確か子供の頃から毒を食らって育つ……そんな話を聞いたことがあって」
毒が効かなかった双陸さんを見てこの話を思い出した。そして彼を切り捨てることを告げたその者は、何故ユーカーのように操り手駒としようとしないのか。これほど有能な将を捨て駒にする理由は何なのか。俺なりに考えてみた。
(それはたぶん……そうすることで、双陸さんを自ら死なせられる。口封じになるからだけじゃなくて)
「今回の毒のような話が本に……表に出ていないのなら、それはタロックの人達にとって無意味なこと。双陸さんだけじゃなくて、他の敵将達にもそれに対する抗体があるんじゃないかな」
「その抗体から、作ると?」
悪くない考えだ、そんな響きをもたらしながら……ランスは否定の言葉を形作った。
「お言葉ですがアルドール様。カーネフェルに、そのような事が出来る人間は居ません。数術的側面からシャトランジアを頼るか、タロックの薬師を捕らえるか」
「うちに、優秀な医者っていない?」
「いたならタロックとの戦でこんなに疲弊はしません。その辺りはシャトランジアの支援があってなんとか……しかし教会は秘密主義ですし」
「そ、そっか……そうだよな」
もし仮に国内に解毒剤作れるような人が居ても、その人が俺の味方になってくれるとも限らない。派閥として敵のところに、自分たちの弱みを知らせることになり、ますます国を動かすのが難しくなる。
「識家は薬師の家系と言えど、毒殺、毒の研究が主。純粋に医学を担当していたのは度家。しかし度家は子息が罪を犯し出奔し、断絶。識家が毒以外の医術も任せられるようになったのは、ここ十年そこらの話」
「え……」
ランスに続けて俺の意見に止めを刺すよう、双陸さんが畳みかける。変な連携取れてますね二人とも……。しかしまた新しい名前が出てきた。
「長らく彼らにとって、癒すこと治療することは二の次で、捕らえたところで解毒の術を持たない可能性も十二分にあります」
「そんな……!」
「カーネフェリア様、貴方は一国の王でしょう。たかだか騎士一人が何だというのか。それとも俺は……タロックは、貴方のような王の器にもない子供に退けられたとでも?そんな男に、兵達は殺されたとでも!?それは侮辱と捉えてよろしいか?」
鋭い目つき、強い殺気だ。いつもの俺ならそれに脅えてしまう、そんな凄みを彼から感じた。
「そうですね、王としての彼を犠牲にすべきだ。でも俺は彼の友人でもある。時間の許す限りの譲歩はしたい」
「ならばその選択が目の前まで来たとして、貴方はどうなさるのですか……カーネフェリア」
俺なりに、俺の考えを伝えたつもり。それでも彼は、踏み込んで来る。もっと俺の心の奥に、切り込んで来る。
「カードの幸運でどうにかしようということは、結局は何も変わりません。長い目で見れば、他者を比べ、命の捨てる順番を決めている。貴方の甘さは、弱さは……その決断を人に投げることであり、罪の重さから逃れようとしているだけではないのですか?」
再び席から立ち上がり、ジャンヌが何か言おうとするが……ランスが目配せ、それを止めさせ座らせる。俺の答えを、彼も聞きたがっているのだ。
「無礼を承知で言わせてもらおう。今の貴方はまだ、王の器に無い。自身の考えに自信が無く、周りの者に不安を与えるようでは貴方はこの国は何も背負えない。貴方は悪戯に他者の命を食いつぶすだけ」
泣いたり狼狽えて、逃げるわけには行かない。先延ばしにしたって、いつかはぶつかる問題。いいや、いつだって……俺はそんな不安を心に思い描いていたはずだ。
「……最終的に、俺は俺の仲間を何人守れるか解りません。神の審判がそういう仕組みである以上……何の保証も出来ない。でも俺は……こんな不甲斐ない俺を守ってくれる皆を、生きてるカードも、死んでしまったカードも!一枚だって死んで欲しいと思ったことはない!」
志半ばで逝ってしまったカードのためにも、俺は道化師を殺す。そのために俺は生かされている。全部終わったときに、平和なカーネフェルを誰かに任せられるなら……俺だって生き残る必要なんか無い。
俺がカードになったのは、今となっては虚しい願い。旅に出て俺の小さな世界は広がって、あの頃よりもっと多くの気持ちを手に入れた。それでも俺自身の思いは変わっていないはず。大好きな人を助けたい。その相手が増えただけなんだ。
誰も愛せない人間に、きっと何にも守れない。王になるっていうのがそういうことなら、俺は俺の気持ちを恥じることはない。俺が傷つくこと、何度あっても、俺は大事な人を増やして行こう。彼を失えないのは、俺が俺であるために、俺が王であるために。俺と王は表裏一体。もう切り離せない。俺の心も、行動も。
「王と己の両立など出来ない。我が君、須臾王は……かつて王であることを取った。我が君は、その骸であり生きた亡霊。カーネフェリア、貴方もいつか死ぬときが来る。そんな答えで王は務まらない。それを……覚えていて下さい。それから……」
席を立ち、俺の方へと彼は歩み寄り……何をするかと思えば何故か俺を頭に手を置いた。
今度は警戒するランスを、苦笑を浮かべたジャンヌが宥める番だった。
「……貴方を試したこと、謝らせていただこう」
「双陸、さん……?」
顔を上げた先……俺を見ていたのは、道に迷っていた時にぎこちなく笑った彼……あの時と同じ、困ったような微笑みだ。
「王としての貴方はあまりに未熟だが、人としては好感を覚えました。アルドールという名の少年に、俺は俺の知りうる話をします」
「あ……あああああ、ありがとうございます!!」
俺は思わず彼の両手を取ってブンブン振り回す。激しい握手を前に、彼は未だ苦笑のまま。
はしゃぐ俺を前に、彼は椅子を引き腰掛けるように促した。話し合いはまだまだこれからなのだと語る様に、彼の生真面目さを感じてしまう。
(悪い人じゃ、ないんだよなぁ……本当に)
このまま上手く、彼を仲間に引き込めないだろうか。タロックについてさしたる知識が無い俺達だから、タロック側のカードが付いてくれたらこんなに心強いことはないのに。
卓上に広げられた世界地図。双陸が指し示すはタロックでもカーネフェルでもなく……俺の旅が始まったシャトランジアの土地。
「彼を元に戻す術があるとすれば、それはともにシャトランジアとタロック。俺ならばこのような策を打ちましょう。“休戦協定を結ぶという名目で、セネトレア女王をシャトランジアに誘き寄せる”」
「タロックと戦う時に、セネトレアがカーネフェルに攻め込まないように話を持ちかけるわけですか?」
「はい。セネトレアの女王陛下は……元々は我が君愛娘。タロック王女、刹那姫」
刹那の名が出たところからジャンヌは黙り込み、一字一句聞き漏らさぬよう神経を集中させている。彼女の親友の、仇の名だ。
大事な人を殺した相手……俺にとっての道化師だ。そう思えば彼女の怒りに同調するよう、俺の心にも荒波が立つ。
「我が国とあなた方の戦いはもうはじまったことですが、セネトレアとやり合うには開戦の切っ掛けが必要です。シャトランジアにはその理由がありますが、あなた方にはまだその理由がない」
「あっ……」
それは確かに。その辺はイグニスが何とかしてくれるだろうと甘い考えだった。そんなことだから、イグニスを暗躍させる隙を与えてしまうんだ。俺が不甲斐ないから、一人で彼女は……
「ならばその証拠を掴まなければなりません。カーネフェルが勝利出来る保証があるなら、後々でっち上げることも出来るでしょうが……失礼ですが、やる気の無いこの国の民をその気にさせるには、それなりの仕掛けが必要。そこのお二人は、その切っ掛けに相応しい名誉を俺も耳にしています」
双陸さんが見るのは俺以外の二人。カーネフェルの英雄ランスと救世主ジャンヌ。
「シャトランジアとしても、セネトレアとは話会いたい理由があると聞く。決定的な開戦の合図があるまで、中立国であるシャトランジアでの会談がもっとも安全にして公平。話し合いの席としては申し分ない申し出かと」
「女王を殺して、開戦の切っ掛けに……?」
「そんな簡単に事を成し遂げられるとは思いません。しかし貴方は……友のためなら、シャトランジアにカーネフェル王として頭を下げられる人間だと俺は見た。それは誤りだろうか?」
教皇であるイグニスに、俺がカーネフェル王として慈悲を乞う。今までだって俺達の関係はそんなものだったけど、改めてそう言われると……何故だろう。抵抗がある。エフェトスのことが引っかかっているから?イグニスに頭を下げるのが、嫌だから?いつの間に、俺にこんなプライドなんかが生まれていたのだろう。
(王と、人としての自分は両立できない)
双陸さんの言葉が俺の脳裏で甦る。友として、俺は王の仮面を付けるのか。この矛盾こそが彼の言う、王の行動に付きまとう悩みなのだろうか?
「はい、出来ます」
「シャトランジアで解毒法が得られればそれでよし。それが成らないなら、刹那姫の存在が重要となります」
「彼女は我が君とその妹君との間に生まれた、高貴な女性。毒を喰らい育った毒の王家の血が掛け合わさった彼女は、タロックの秘密その物。シャトランジアの技術があれば、彼女の中から解毒の術を見つけられる可能性が高いのです」
王家に毒を処方するのが……識家。識家の毒を喰らい続けた人間達の、生きた毒の結晶。刹那姫を捕らえられれば、ユーカーは助かる!
「でも、どうやって女王を誘き寄せれば……」
「アルドール様。新鮮な海と山の幸、その高級料理でもてなすというのは?数術船でカーネフェルから活きの良い食材を送り……」
「ら、ランスの料理は……発禁レベルだからちょっと。あ、上手くなったんだったよね。それもありか。って、……双陸さん?」
何故か敵将は、顔を赤くして俯いている。聞いてはいけない話だったのか?
「刹那様は……そんな物では釣れません」
「そ、そんなモノかどうか、俺の料理を食べてから発言していただきたい!」
ランスどこから料理出した。双陸さんを気遣ってか付け合わせに漬け物とおにぎりまである完璧具合だけど、その主食らしき魚をどこに隠してた。確かにそろそろ夜食があると有り難い時間帯だけど。ジャンヌが喜んで食べてるけど、けれども。お願いだから無駄な数術使わないで。夜中に魚デリバリー頼まれた精霊達も眠たそうだ。今の一瞬で見事な焼き具合。素朴でありながら下味がしっかりしているからこそのこの美味さ。会議室は火気厳禁って今度書いておこう。
「彼女は……無類の男好きです。美男には目がありません。カーネフェルでもっとも強く美しい騎士を連れて会いに行くとでも親書を送れば、一目見ようとやって来ることでしょう」
「え……そ、そんなんでいいの?」
ランスがいれば余裕じゃん。白けてしまった会議室内、焼き魚の誘惑的香りが漂い始める。
「しかしそれは、あなた方が一時国を空けると言うこと。それが何を意味するのか、カードの配置は考えなければならない問題です。俺に助言できるのはここまで。そしてこれ以上の話を聞くことも辞退させて頂こう」
「ありがとうございます、双陸さん」
席を立ち、会議室を出て行く彼を追いかけ、一人分の夜食を差し出すも、彼はそれを受け取ってはくれない。代わりに彼が俺へとひとつをくれた。ひとつの、決断を迫る言葉を。
「もう一つ考えて頂きたいのは、これで用済みとなった俺をどう処分するかもです、“カーネフェリア様”」
*
「久しぶりだねアルドール。で、僕に何の話?」
イグニスが置いていった部下シャルルスに頼み、カルディアに残っていた少年……エフェトスに、イグニスを憑依させる。彼を戦争に巻き込んだイグニスを怨みながら、その子を使って会話をしている。皮肉なものだ。それでもまだ、溜息を吐くのは早い。アルドールは己を叱咤し奮い立たせる。
「……聖教会イグニス聖下に、カーネフェリアとして聞いて頂きたい話があります」
「伺いましょう、カーネフェリア様」
此方の言葉を受けて、イグニスの言葉遣いも変わる。嗚呼、ますます遠くに感じるよ。
「これからの戦いにおいて、重要な……私の騎士が敵の毒に倒れました。彼をなくして、カーネフェル、ひいてはシャトランジアの平和はあり得ません」
「セレスタイン卿については、良くない評判ばかり耳にしますが?そこまで彼は重要なのですか?」
「彼は……王として未熟な私を守り、支え、……立場や身分に関係なく叱り窘め意見してくれる貴重な部下です。彼の悪名は、彼がカーネフェルを思い、カーネフェルの罪を背負ったがための不幸です」
「……彼のカードは、確かに此方としても失いたくはありません。我が国も混乱しています。どれだけのことが出来るか解りませんが、全面的に協力しましょう。作戦の詳細は其方に置いてきたシャルルスに伝えて下さい。あなた方の訪問、心より歓迎致しましょう。話は以上でよろしいですか?」
「イグニス」
会話を切ろうとする彼女の名を、呼んでしまった。その訳は、……やっぱり不安だ。ジャンヌとラハイアさん、エルスと双陸……ランスとユーカー。友達と一括りに出来ないくらい、人と人の繋がりは複雑だ。だけど唯一平等なのは……それがいつまで続くかという、保証が何もないことなんだ。
「……何?」
「即位式……大変だったって聞いた。イグニスは大丈夫なのか?」
「先代様のためにも、頑張らなきゃ。君だってそうだろ?君の仲間を信じて、君も頑張って」
その言葉を最後に、エフェトスは元のエフェトスに戻りうつろな表情を浮かべて俺を見る。
「おとー……さん?」
「ごめん……ありがとう」
数術のこと、攻めてお礼が言いたい。彼を撫でようとするも、無表情のままエフェトスはとてとてと歩いて俺から離れる。
彼にとってそうではない俺はどうでも良いようだ。イグニスは彼を利用しているけれど、壊れてしまった彼の心を救っては居るんだよなぁ。ただ、そのやり方を俺が気に入らないと言うだけで。
ここはカルディア砦のユーカーの部屋なんだけど、すっかりここが気に入ったらしい彼は、ぼーっとしたまま寛いでいるようだ。
「アルドール様!」
「あ、はい!今開けます」
憑依したイグニスの張る盗聴防止数術、それが切れたタイミングで扉を叩く者が現れた。慌てて俺が其方へ向かえば、見覚えのある男との再会だ。
「こりゃ失礼。しかし何回追い出しても、勝手に入ってやがるんですよこの坊ちゃんは。セレス坊ちゃんは妙なのに懐かれますなぁ」
「サラさんお久しぶりです」
「相変わらず困った顔してる割に元気そうですなアルドール様」
筋肉隆々の髭の中年男性は、ユーカーの昔なじみのサラマンダーさん。俺達を都に送り届けた後は再びこの砦の守護に就いたよう。ユーカーの部屋の掃除も彼がしていてくれたみたいで、こうして勝手に出入りをしている。
「これ、アスタロットさんの写真ですよね」
「こうして律儀にお嬢様のこと飾って置くんですから、今回のことも大分堪えたことでしょう。ああ見えて繊細ですから坊ちゃんは」
「ええ、知ってます」
エフェトスが手に取った写真立てを、サラさんはさっと取り上げ元の棚へと戻す。この会話の間にそれが三回は繰り返されている。
「コラコラ、小さい坊ちゃんそいつは駄目です」
「おかーさん……」
「お母さん?」
「ああ、そっか。金髪がお父さんなら……エフェトスのお母さんは黒髪なのか」
彼は混血だ。どうして今まで思い至らなかったのだろう。アスタロットさんの髪は、遺伝障害による数値異常で、カーネフェル人とは思えない暗い茶だ。目さえ見なければタロック人にも見える。
「ユーカーの部屋のこの絶妙な狭さとこの写真が気に入ったのかな」
「生活感なんかないんですがねぇ。それはそうとアルドール様」
「はい」
「セレス坊ちゃんは大丈夫なんですか?ほら、ちっさい坊ちゃん!それ洗濯するから貸して」
「え?」
「部屋掃除してて見つけたんですよ。坊ちゃんの服。とうとう気が触れてその辺裸族として走り回ってないか、心配してた所でしてね」
そうだ、ユーカーこの部屋で着替えたんだ。それなら元の着ていた服は……当然あるよね。良く見ればそうだ、ユーカーの上着とマントをエフェトスが着て遊んでいる。彼の父親は、もしかして王宮騎士とゆかりのある人物だったのだろうか?
「今のユーカーは……とても疲れてしまっています。辛いことがありすぎて、何も見えなくなっている」
嘘は吐いてない。本当のことも一部省略しては居るけどね。
「彼自身、良いところはいっぱいあるのに……ユーカーがそれを全部否定している。今から逃げたくて、違う誰かになりたがってるみたいだ」
「坊ちゃんの良いところですか?そんなもの有るんですか?」
そんなこと知っていないか、存在しない。そんな言い方にカチンとなって、俺は慌てて言い返す。
「沢山ありますよ!俺、ユーカーの素直じゃないところ好きだし!ああ見えて可愛いところあるし!いざって時は頼りになるし、口悪いし性格に問題あるけど普段適当にあしらわれる分、ちょっとでも俺に心を開いてくれるとそりゃあもう!!」
「はいはい、陛下の情熱はよく分かりました」
最近俺は良く試されるなぁ。苦笑するサラさんに俺は不満そうな顔を向けた。その気になれば二時間くらいは言えそうな気がすると。
「アルドール様のそういう真っ直ぐな好意に、坊ちゃんも救われてはいるはずです。ですから……あの方を、助けてやってくださいね。お願いしますよ」
どこまで感づいているのだろう、この人は。ユーカーが不安定な気持ちで居たことには、少なくとも気付いている。
「その写真、貴方から坊ちゃんに返してあげて下さい。それがなければこの子ここから出て行ってくれそうにないですからね」
「サラさん……」
この人は、ユーカーが居なくなったら……本当に何もなくなってしまうのかもしれない。そんな寂しい目をしている。シャラット領での明るい記憶、暗い記憶を共有できるのは……ユーカーで最後だもんな。
「解りました!今度ユーカー連れて返しに来ます。また食事の席で彼との楽しい話聞かせて下さい」
不安はある。だけどそう簡単に途切れない。だけどこの人のように、遠ざけられても片方だけでも心配できる間柄なら……命ある限りその関係は続いていく。
(遠ざけているのは、俺の方なのかもしれない……)
それならば、イグニスが俺を思っていてくれるのだろうか。そう思える節もある。だけどエフェトスのよう、俺も僅かに虚ろとなっているのはどうしてか。何かが足りない、満たされていない。
昔あって、今ない物。考えなくても解る。だけどそれを彼女に求めるのは、間違いだ。
(イグニスが、ギメルだったら……)
間違えているのは、やはり俺なのか?