表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/105

64:Vox populi, vox Dei.

 不安な気持ちを抱えたまま、それでも前に進むしかない。


(私がシャトランジアを裏切ってから、まだそんなに時間が経っていないというのに)


 立ち寄る先での、あまりに好意的な声……これにはジャンヌも苦笑を通り越し、僅かにぞっとする。この情報操作も神子の根回し……先読みの力を疑うわけではないが、これでは私がこう動くことをもっと前から知っていたみたい。

 物資の補給を快く応じてくれるのは有り難いけれど、何だか居心地が悪い。


 「きゃああ!!あれが王を助けたって言う英雄ジャンヌ様なのね!格好いいわー!!」

 「噂じゃ、あのランス様のピンチまで助けたって話だしっ!とってもお強いのね!」

 「頭の固いシャトランジアを見限って、故郷のために……だなんて、素敵っ!!腰抜け腑抜けのカーネフェリー男には出来ないくらいの男前!!」

 「ジャンヌ様っ、どこまでもお供します!」

 「私だって!」

 「え、ええ……感謝します」


 アルドールはああ言ったが、若い娘ばかりの志願兵を連れてと言うのはあまりに無謀。あれは広告をしながら何かしろと言うことだろうが、広告する前から尾鰭まで付いた黄色い歓声が出迎える。

 先を急ぐのだ。募兵とは言えこんな烏合の衆を率いての南下は進軍速度が低下する。聖十字時代からの仲間で指導に向いた人員を残し、各所でその育成と防衛へと宛てる。その代わり即戦力となりそうな者を拾っていく。


 「あの時の恩を返すときが来たか!どれ、いっちょセレス様に格好いいところみせてやんべ!」

 「おう!」


 アロンダイト領のタロック人達は、セレスタイン卿への恩から快く合流してくれた。

 それは本当に有り難い。彼らはこの豊かな土地で満足に食事が出来ているのだろう。戦場で出会うタロック人よりしっかりした体つきだ。農業で身体も鈍っていない、体力もある。女ばかりのカーネフェル軍に彼らが加わってくれたのだから、戦もかなり楽になるだろう。……だが、喜ばしい話ばかりではない。不安はまだ、私の胸に巣くっている。


(彼は、無事なの?)


 早く南部へと向かいたい。そう思ってもどうにもならないことはある。

 河の向こうが燃えた夜……河の水が消えることはなかった。ジャンヌがザビル河まで進軍した日も同じ。


 「ジャンヌさん!」

 「パルシヴァル!」


 借りた風の精霊に頼んで、情報のやり取りをするまでは良い。姿は見えないけれど声は聞こえる。パルシヴァルは姿も見えるし声も聞こえる。互いに必要な物は集めたけれど、一向にアルドールからの合図が来ない。何かあったのだろうか。不安になった。

 精霊を使った伝言では、互いに一方的な会話しか出来ない。彼も私も精霊という物を使い慣れていない。これは半ば奇襲のような物だろうに、挟撃の合図は一向に起こらない。彼も不安がっている。もうアルドールと別れてもう三日日。四日目に、私はパルシヴァルと落ち合うことにした。もしアルドールに何かあったのなら、私達は何としてでもこの河を越えなければならないのだ。

 幸い船はある。最悪当初の予定通り風の精霊の力を借りて、無理矢理渡りきることも出来よう。南部へ行ける人数はかなり限られてしまうが。そう、船を使う場合のためにも、彼と落ち合うことは必要だった。


 「山賊の拠点から、王様の言っていた通り、宝石を持ってきました」

 「助かります。私も沿岸の皆さんのご協力で油を……それで、精霊の方は?」

 「それが……」


 がっくり肩を落とすパルシヴァル。私が借り受けた風の精霊が、他の風の精霊に頼んで彼へと伝言を続けてくれてはいたが、彼が他の精霊を得たという話は聞かなかった。実際こうして話をしてみても、彼は固い表情のまま。


 「あの夜、河の向こうが燃えるのが見えました。遠くからでもはっきりと」

 「僕も見ました……」


 土の精霊には出会えなかった。戦力強化も出来なかった。落ち込む彼に私は何て言葉を書ければ良いのだろう。悩む私の横で、ざぶざぶと……少年騎士は河へと身を進ませる。


 「パルシヴァルっ!?」


 まさか入水でもするつもりなのと慌てて追うが、どうやらそうではないようで。彼は祈りを捧げている。

 リスティス卿パルシヴァルはハートのカード。土の次には水と相性が良い。だからこの河から水の精霊を見つけて、何とか川の流れを変えられないか。そう打診してのことだろう。


(だからって……)


 まだ背丈の低い子供が河に跪いてどうする。肩まで浸かってしまっている。流されればすぐに溺れてしまうだろう。危ないことには違いない。


 「聞いてください……!僕はカーネフェル王、アルドール様の騎士パルシヴァごふっ!」


 語尾が水を飲んでしまってゴホゴホ言っている。彼の決意は止められないが、危ないので今のうちに彼の腹に紐でも巻いて私の腕と縛っておこう。


 「僕の仕える人が、この国の王様が今、危ない所に居るかも知れない。僕はあの人を助けたい!守りたいんです!あの人が、みんなを!カーネフェルを守ってくれる!」

(パルシヴァル……いいえ、リスティス卿)


 この子は今、自分と向き合っている。それが正解なのだと直感的に気付いているのだ。彼には私には見えない物が見えている。それとしっかり向き合って……

 もしかしたら旅の途中で既に出会っているのかも。その者に彼は今、試練を与えられているのか。


 「あの人の手は震えていた。王様だって……心がある。怖いとか痛いとか悲しいとか!だけど僕の前ではいつも、……笑ってくれる!セレスさんよりずっと弱くて頼りないのに……セレスさんみたいに」


 殺すためじゃなくて、守るための者になりたい。そのための力が欲しい。真っ直ぐに彼が伸ばした腕。激しい水流の中、それでも彼は何かを掴み取る。それは唯の水?いや、違う。彼の手の中、次第に形が形成されていく。


 「くっ……!」


 彼が何かを手にしてから、制御がなくなってしまったように水の流れが激しくなってきている。このままでは私もろとも河に引き摺り込まれてしまう!

 ここにいた精霊を彼がどうにかしてしまった?違う。使役に成功したのに、肝心の術者が意識を失ってしまっているんだ。これでは意思の疎通が出来ない。だからこんなことになっている。


(リスティス卿は泳げなかったのですね……)


 そう言えば、森育ちだと聞いたことがあるような。


 「パルシヴァルっ、しっかりしてっ!!」


 縄をたぐり寄せ、彼を呼んでも返事がない。この水流の中、必死に踏みとどまろうとするも、私だって長くは保たない。もう駄目か。いいや、そんな訳がない!私がコートカードなら!!カードの力を使おう、そう思った刹那……急に波が引いていき、河が静まっていく。

 溺れ気絶したパルシヴァルを背負って岸まで戻った私が目にした物は……


 「あれは、シャトランジアの!!」


 ザビル河に停泊した何隻もの数術船。夜明けと共に彼らが姿を現した。


(ということは……イグニス様が、シャトランジアを)


 世話になった国を裏切った。そんな風に悔やむ心も僅かにあった。だけどお前は正しいことをしたのだと、あの方は私を肯定するようこうしてお力添えを……

 そうだ。カーネフェルを救うことは私の使命!主のご意志!それならアルドールもランスもきっと、無事。作戦は失敗したんじゃない。もっと良い方向に転んだんだと、そう信じよう!


 *


 忙しさにかまけていれば、寂しいとか悲しいなんて思わない。傷つくようなこともない。やはり俺はそう言う人間なのだ。俺は冷たい人間なんだ。平然と笑う俺を、悲しそうに見つめる人が居る。


(アルト様……)


 意識の戻ったランスは目を開ける。白昼夢に見た主はどこにも居ない。この部屋に居るはずの……あの少年王の姿さえ。


(……しまった)


 いつの間にか、仮眠していた。自分の傍には山積みになった書類……それから。


 「……あの方は」


 王だというのに雑用が好きで困る。どこから持ってきたのだろう。薄手の毛布は今の季節に適した、風通しの良い素材。


(そうか、俺は……)


 自分の姿に笑ってしまう。自然と笑みがこぼれた。

 俺はあの人がいる内に、眠りこけてしまったのだ。気を緩ませてしまうとは……俺の内にある警戒や壁も、随分と薄れたのだなぁ。

 そう思うと少し嬉しくも思う。ジャンヌ様のような勢いはないけれど、アルドール様の存在も……俺に俺自身を取り戻させてくれているのだ。


(もう一度、目を開けるべきなのかも知れない)


 今見ている物事の、更に外側へと至るため。俺が俺を知るために。


 *


 「アルドールっ!心配したんですよ!?」

 「王様ぁあああああ!!!」

 「あ、あはは……ごめん、ごめんジャンヌ、パルシヴァル」


 アルドールは苦笑する。笑うのももう精一杯。それに気付いてか、ジャンヌはもう何も言わない。気付いていないパルシヴァルだけが、安堵からか泣きついている。無理もない。あれだけ自信ありげに伝えた作戦が……なくなってしまったのだから。


 「色々あってさ、向こうに戻れなかったんだ。本当にごめん!」

 「いえ……私が集めた物は、また他に使う機会も出るでしょう」

 「橋はまだ完成してないよな、二人はどうやってここまで?数術ではないんだろ?」

 「パルシヴァルが集めてくれた宝石で……貴方の言ったとおり、聖十字の船を動かして……ここまで。岸に残った兵達も、シャトランジアの船で此方に移動しております」

 「そっか……ありがとう」


 作戦は完全に失敗した。いや……必要すらなくなったのだ。対岸に二人がやって来たのが三日前。ブランシュ領で別れてから、四日後のこと。シャトランジアから使者が来たのが今日。昨日……イグニスが正式に神子を、教皇を継いだと伝えてくれた。使者は数術船を使ってローザクアまで来てくれた。船は一艘だけではなかった。使者に遅れて次々護衛艦が現れた。彼らはその船で、対岸に残された戦力の輸送を引き受けてくれたのか。


(俺は何もしていないのに……)


 それなのに情勢は目まぐるしく移り変わる。まだ俺は、イグニスの掌の上で踊っているのかもしれない。


 「アルドール……貴方は数術で此方へ来たんですよね?」


 疲れた顔をしていると、ジャンヌが心配そうに俺の額へ手を伸ばす。別に風邪はひいていないと伝え、やっぱり俺は苦笑する。

 せっかく都を取り戻したのに、嬉しそうじゃないと彼らは思っているのだろうか?城下は掌を返したようなお祭り騒ぎ。まるであれは……俺が即位した時みたいなどんちゃん騒ぎ。


(あの人は……)


 双陸という天九騎士のお兄さんは、敵だけど人格者と呼べる人だった。俺が治めるよりもずっとまともに彼は治世を布いていた。法を整え、必要とあればタロック人だって罰する。カーネフェル人を差別するようなことはしなかった。……そう、だからこの大騒ぎの裏には疑問の声もある。出店の屋台で、また喧嘩が始まった。


 「へいらっしゃいー!我らがアルドール王の帰還を祝う記念饅頭はどうだい?」

 「何がアルドール饅頭よ!私達を見捨てた王なんか、どうしてまた迎えるの!?」

 「うるせー!タロック人の将なんか信用できない!まだあの坊やの方がマシだろ!」

 「どうせあんなの、傀儡に決まってる!貴族共に良いように使われて!!この国はもうお終いよっ!」

 「何を!黒髪族が持ち込んだ病を追い払ったのは、王と騎士様達の活躍でのことだ!」

 「良いわね男はっ、何も知らない癖に!あの病にかかったのは私達女ばかり!あの苦しみを和らげてくれたのは双陸様よ!」

 「そうよそうよ!上に立つ方なのに、あんなに親身になって……敵国の私達を助けてくれたのっ!それなのにあの方が捕まって、お祝い!?喜べ!?ふざけんじゃないわ!!」

 「馬鹿かお前ら!その病を持ち込んだのも広めたのも、その双陸様とやらのお仲間、タロック人だろうが!」

 「あーあー、これだから女は!ちょっと顔が良ければ敵国の男でも良いってか?この尻軽女共め!」

 「はぁ!?いい気になってんじゃないわよおっさん!満足に戦えもしないから兵役から逃れてきた腰抜けのくせにっ!」

 「あぁ!?んだとこのアマっ!!」


 こんな騒ぎの報告は、俺が都に戻ってからいくらでも聞かされている。ザビル河の砦を落としたのが……七日前、いいや六日に差し掛かった頃。その日のうちにローザクアには戻れたけど、都の人々の反応は賛否両論だった。


 「二人とも、長旅疲れただろ?聞きたいことは沢山あるけど、これから大変だ。今は身体を休めて欲しい。部屋は用意してあるから」


 パルシヴァルは喜んで。ジャンヌは少し不服そうに……それでも俺の指示に従った。ジャンヌには後から色々問い詰められることだろう。そう思うと胃が痛い。


(はぁ……)


 本当、どうしたものか。重い足取りで、俺は二人を出迎えたエントランスから執務室へ戻る。


 「お帰りなさい、アルドール様」


 微笑を浮かべ迎える男は、とても親を亡くしたばかりとは思えない。忙しさに身を任せるランスは、水を得た魚のように生き生きしている。ここまで来ると、もう苦笑に疲れ……回り回って安堵の息さえ溢れ出る。


(いつの間に起きたんだろう)


 もう少し休んでくれていて良かったのに。ランスは働き過ぎだ。俺が無能な所為で、迷惑ばかり掛けている。せめて俺の回復数術が……完全な物だったら。少しでも彼の負担を減らすことが出来るのに。


(ランスは今回……頑張ってくれた)


 今度は俺がその、ランスの頑張りに応えなければ。立派な……立派な王にならなきゃ。


(なんでだろうな)


 目の前に居る人は、以前と何も変わらない。表面上は優しくて、何でも出来て頼りになる。それでも今、頑張るランスは……俺の目には普通の人間に見えるんだ。さっき俺が部屋を出たのは……彼が疲労で眠ってしまっていたから。しばらくそっとしてやりたくて……そこにあの二人の帰還を聞いた。今回のことはランスも堪えている。俺の前で弱さを見せたがらないこの人が、意識を手放すほど心身共に疲弊しているのだから。


(ランスは自分が空っぽだと言ったけど)


 本人は平気だと思ってる。だけどランスが思っている以上に、ランスは疲れている。大嫌いなはずの父親の死が、ショックだった。辛かったんだ。それは普通の人間じゃないか。下手に彼を崇めたりするな。同じ視線で精一杯彼を労おう。今ならきっと、それが出来る。彼の覚悟に俺が応える。


 「……こんなこと言っちゃ失礼だと思うけど」


 今の言葉に嘘はない。取り繕わず、自然な微笑で彼と話せている。


 「どうぞ」

 「ランスと一緒に居て、ここまでほっとするの……初めてかも」

 「アルドール様……」


 小さく吹き出すランス。自分より背の高い男に言う言葉じゃ亡いけど、ちょっと可愛い。慇懃無礼ではなく、天然でちょっと失礼だけど、安心できる……素の彼らしい反応だ。

 もっとも今俺が安堵しているのは彼のその様子なのではなく、彼のその頭の方だ。こんな問題、俺一人ではどうにも出来ない。ジャンヌやパルシヴァルには打ち明けても多分どうにもならない問題だ。ユーカーとかトリシュでも無理かも知れない。


 「……どうしよう、ランス」


 丸投げするのではなく、彼の考えを彼の言葉で俺は聞きたかった。今、俺達はどうするべきかを。シャトランジアの介入は許さない。カーネフェルとしての行動を……俺は彼に問いかける。


 *


 あれから七日。都に噂も聞こえ始めた。二日前、シャトランジアで新しい教皇が生まれたそうだ。


 「前代の神子様の最期は、それは立派なものだったらしいですな」

 「まさか……全ての責任を取って自害なさるとは」


 マリー姫の悲劇。那由多王子の犠牲。平和の代償に、シャトランジアは王族の命を犠牲に捧げた。それでも平和など、作れはしなかった。奴隷貿易、混血の迫害……その原因を作ったのは和平を望んだ自分の所為だとその男は、信者の前で涙したのだとか。彼が死の直前指名した、新たな神子……教皇は美しい混血の少年。


 「毒で死んだら跡継ぎが疑われる。だから隠し持っていた短剣で自決とは……最期まで優しい方だったんだろうなぁ!」

 「先代様にそこまで愛される神子だ。混血とは言え、余程の信頼を得ていたのだろう」

 「そんなことはどうでもいいさ!ようは、その新しい神子様が戦争に乗り気だってことだろ?シャトランジアが味方に付いたんだ!これで百人力ってもんだぜ」


 久々に、都は明るい。シャトランジアが寄越した船には、都にばらまかれた毒虫……あれが引き起こした病の治療薬が載せられていた。この短期間で毒を解析し解毒薬を作り出すのも驚かされるが、本当に恐れるべきはそこではない。そんな二日前の話がもうカーネフェルに届いているのは何故か。神子の代替わりにより教会の船が、堂々とこの国へ来るようになったから。それも恐るべき技術を持った船が。シャトランジア~カーネフェル間を一日で移動できる船。タロックにとってそれは脅威となるだろうが、今となっては俺には関係のない話。


(そうだろう?)


 こんな牢の中、時を待つだけの虜囚の身には。双陸は己を省み、苦笑する。


 *


 与えられた部屋の中、アルドールは頭を抱えて唸り続ける。困ったことになった。それ以外の言葉が見つからない。

 七日前。俺は河を蒸発させようと思った。いや、本当はジャンヌとパルシヴァルが来るまで出来ない。だけど彼らは一人の俺より大所帯を連れている。ザビル河に至るまで今日中なんて無理だ。唯待っているだけ、というのも辛い。

 数術船のことを思い出した俺は、宝石が触媒になることも思い出していた。だからパルシヴァルにそれを持たせ、ジャンヌに油を持たせ……ザビル河を触媒の力で燃やし蒸発させようと考えたのだ。しかしその計画に移行する前に、対岸が燃え出した。


(くそっ……!)


 必要最低限の食料と、野宿の道具。それだけ詰んで俺は馬に飛び乗った。思った通りの方向に進ませるだけでも難しい。いつも誰かに乗せて貰ってばかりで、学ぼうとしなかったこと……今更悔やむ。

 そんな時間が無かったと言うのは言い訳だ。ルクリースは馬車の操り方、フローリプは俺に乗馬を教えてくれようとした。頼めばアージン姉さんだって、屋敷の庭とかでなら教えてくれたかも知れない。北部に逃げてからだって、チャンスは幾らでもあった。俺が凹んだり沈んだり怠けている間にも、時間は確かに流れていたんだ。ユーカーが帰ってきたら教えて貰おう。いや……ジャンヌに、いや……やっぱりランスだ。逃げるんじゃなくて、俺は彼とも対等に……気持ちだけは向き合えるようにならなくちゃ。

 馬と格闘しつつ単独南下。ブランシュ領からザビル河。着いたのはもう夜中。丸一日とまでは行かないが半日以上掛かった。だけど、これでも俺には十分早い方。こんなにすんなり南下できるとは。

 勿論俺は知っていた。道化師はまだ俺を殺さない。それを見越してわざと俺が囮役を買って出た。こうすれば、ジャンヌやパルシヴァルは安全に南下できるはずだから。妨害があっても彼らの南下までには間に合わせよう。全力で……。それがどうして、俺だけ早く着いてしまったのか。


(道化師は……まさか、ランスの方へ?)


 ランスはカードとしては弱い。それでも彼の存在は、カーネフェルにとってあまりに大きい。絶対に失えない相手だ。

 ランスの行動は暴走ではない。奇襲ではなく、囮だった。俺達が追いつくまで……ランスなら、時間稼ぎを考えたはず。それが失敗した結果?

 ここで二人が駆けつけて、それじゃ河を燃やそうか……なんてことになってもまずい。河は燃やせない。対岸の火の手は激しい。消化のために河の水が必要だろう。

 どうしよう、どうしよう。焦る気持ちで、自分がほとんど丸腰であることに気がついた。

 一度剣に変わったユーカーの十字架は、ジャンヌに貸してしまったし、唯一の武器と言って良い物は、折れてしまったトリオンフィ。以前カルディアまで逃げたときのように……向こう岸まで空間転移は出来ないだろうか?未知の場所ではない。一度は対岸にいたんだ。あの時よりよっぽど、成功するはずだ。


(イグニスがいなくたって、俺は!)


 頼らないって決めたんだ。対等にならなくちゃ!それが正しい答えなのだとしても、俺に隠れてイグニスが……誰かを犠牲にする策を講じるなんて、絶対に嫌だ。知らない、知ろうとしないことが信頼なんじゃない。許し続けるだけが信じることじゃない。俺が、信じて貰えるように、俺だけでもやれるんだって証明してやる!

 怒りに呼応するようトリオンフィが纏う炎の剣。それを大地に突き立てて、イメージするは……河の向こうに居る自分。


(いいや、そうじゃない)


 前にイグニスは、ランスの気配を探って居場所を突き止めようとした。それはランスの数術に弾かれて失敗に終わったけど、あんなに燃えた砦に彼が居るならば……そんな余裕はないはずだ。だってあの炎の感じは、彼の数術なんかじゃない。数値配列に異国の文字が見える。あれはタロック側の熾した炎!


(俺が飛んで、もう一回飛んで助ける!)


 ランスの気配を探り出せ。解るはずだ。あの人の本音に、素顔に……俺はちょっとだけでも触れてきた。

 上位カードなら痛手は少ない。そんな風に切り捨てられない。

 ランスは……ランスとは、まだ俺はそんなに親しくなれていない。ぎこちない関係だと思う。だけどあの人がいつも一生懸命で、自分を押し殺してでもカーネフェルに尽くしてきてくれたことは、もう痛いくらいに知ってるさ。

 思い出してみる、彼の姿。初めて会った時の、親切で天然気味なあの感じ。本当に優しくていい人だけど、それは彼が張った防御壁。その中には無感動で冷徹な男が居た。だけどそれだって、彼が彼を見失っていただけ。今、必死に彼は戦っている。戦いたくない敵とではなく、自分自身とも彼は。


(俺は王だけど……馬鹿な奴だって言われるかも知れないけど)


 俺はランスと友達になりたい。友達が一番大変なときに、傍にも居られない。じっと結果を待っているだけなんて。二年前と同じじゃないか。

 向こう岸から微かに感じる、澄んだ数値の気配。冷静で、それでも熱い。水であり炎。ああ、きっとあそこだ!


 「……そうしてアルドール様が飛んだ先に、あの敵将がいたと」

 「はい……いや、うん、ごめん。ごめんなさい」

 「別に怒ってませんよ俺は。あの数術は難しいですから。もしアルドール様があれを成功させていたら……貴方より数術使い歴の長い俺は、そっちの方が凹んでましたよきっと」


 俺の失敗を、馬鹿にするでもなく世辞を言うでもなく、ランスは宥める。その辺の匙加減というか、処世術が素で上手いなこの人は。嫌味じゃないのが嫌味だと、ユーカーなら言っていただろう。


 「俺も貴方も、今回は型破りなことばかりでしたね。いえ、だからこそ成功したとも言えるのかもしれません」


 ヴァンウィックと、王妃様の遺体はまだ見つかっていない。それでもランスは憑き物が落ちたかのように落ち着いている。それは薄情なことだと……周りからは思われるのかもしれないが、そうじゃない。彼は彼の中でなにか答えを見つけたんだ。だからこんな時でも落ち着いていられる。


(だから……俺の嘘なんか、もう気付かれているのかも知れない)


 それでも彼はその追求はしない。それが俺の選択だと認めた上でこうして協力してくれる。俺がうじうじ言葉を選んで悩んでいる間にも、俺じゃ判断に困るような書類を同時進行で片付けているから恐ろしい。


 「すみませんアルドール様、此方の書類を簡潔にまとめた物が此方ですのでお暇なときに目を通して居て下さい。何か問題がありましたら私の方まで」

 「は、はい……じゃなくて、うん。解ったありがとう」

 「重大な物ではない雑務や程度の軽い緊急のものは引き続き私が判断して指示を出しても?」

 「うん、よろしく」


 ランスに渡された書類……元は机を埋め尽くすような山のような書類だったのに、それが辞書一冊分くらいの厚さまで減らされている。

 人を能力で必要とか不必要だなんて言いたくないけど……もしランスがいなくなってたら、別の意味でカーネフェルと俺が終わっていたと思う、割と本気で。それこそ適当に悪意のある敏腕貴族に宰相とかなられて俺が傀儡になってカーネフェルが腐って終わるのが目に見えている。


(それなら……)


 タロックにとって……必要であるだろうあの騎士。双陸がカーネフェルの手に落ちたのは、タロックにとっても痛手のはず。まともに指揮をとれる人間が、果たしているのだろうか?カーネフェルのことは、狂王から彼に一任されていたようだし、他の者達は統率が取れていない。戦況は覆ってきている。守りから、攻めに転じる時が来たのだ。だからこそ、ランスも俺も書類地獄にいるわけで……


 「双陸は……」


 俺が彼と行った取引。それは応じるに値する物だった。

 エルスはエフェトス……パルシヴァルと同じくペイジ。纏う精霊の気配もない。それに大怪我……数術も満足に使えないほど無力化したエルス。彼を見逃して欲しいと双陸は言った。代わりに自分がカーネフェルに下り、捕虜になると。これには勿論エルスも反論した。ここで二人で、俺を殺せば済む話だと。そう……二人とも俺より下位カード。出来ない話ではない。


(それでも彼は、しなかった)


 俺を殺さないことで、エルスを殺さないでくれという……いわば人質交換のような取引。


『彼に、俺が殺せると思うか?』


 それが嫌がるエルスを黙らせた、双陸の言葉。俺が甘くて、殺せないだろう事を見抜いた言葉……ではない。自分は死なない。約束すると、強く穏やかに宣言する声。


『エルス』


 いつものリボン……髪飾りをしていないエルスの髪に、あの人は桜を模った金細工の髪飾りを挿してやる。


『また、春に……』


 旧友に、花見の約束でもするかのような……そんな響きで、双陸は笑う。初対面の時の、仏頂面で怖いとすら思った相手が、こんな穏やかな様子を見せる。俺が……俺達が戦ってきた相手は、紛れもなく人間だったのだ。そう思うと俺も苦しい。今すぐその場から逃げ出したくなる、でも出来ない。それだけは、絶対にしちゃいけないことだ。

 エルスもそうだ。あの子も逃げなかった。あれからエルスは押し黙り……異論を唱えることはなくなった。意外と……エルスは純粋なのだ。そう思う。俺にさえそれは嘘だと解るのに、双陸の言葉を信じた。

 まるでついこの間までの……俺とイグニスを見るみたいだ。信じる意味を履き違えている。でも、あのエルスが……あんな風に誰かを信頼する姿を俺は初めて見たかもしれない。だから、俺の方まで苦しくなる。正しいこととは何なのか、解らなくなってしまいそうで……何だか怖い。パルシヴァルと手合わせをした日に覚えた気まずさが、再び胸に込み上がる。


『俺の回復数術は……長くは保たないから、また傷が現れる前に安全なところへ』


 エルスに回復数術を施して、その場に残す。俺達はそこに人が向かわぬように場所を移して……俺が双陸に捕まった振り。そこから二人で演技をして……ランスをおびき出した。

 タロック兵は砦が燃えて散り散りになっていたし、後は多勢に無勢。こうして彼は約束通り捕らえられたと言うことだ。カルディアを手放すときに、双陸とやり合っているランスはすぐに、彼と俺の取引に気付いたはずだ。


 「双陸は都の人達からの評判も良い。彼を簡単に殺すのは、俺達にとっても不利益だ」

 「そうですね。確かにそう思います。ならばあの時のよう……彼を仲間にと、アルドール様はお考えですか?」

 「うん……そう簡単にはいかないと思うけど、それが出来たら……彼を慕う兵は此方に降る。カーネフェルの戦力はもっと……」

 「……それが叶わなかったなら、彼はこのまま捕虜と言うことで?」

 「……」

 「優秀な将です、彼は。彼を置く場所は狙われるかもしれない。彼を取り戻そうとする者のために」

 「その時は……」


 ジャンヌかパルシヴァルにやらせるしかない。双陸の処刑を……させるしかない。押し黙る俺に、彼はその必要は無いという。南部での汚れ役は、セレスタイン以上の適役はないと。


 「……ユーカーが戻るまでが期限でしょう。それまでに……これについて考えなければなりません」


 ランスが新たに寄越した紙は、要約をまとめたメモではない。それはシャトランジアからの親書だった。


 *


 気を紛らわすように竪琴を手に取る。城には居る気になれず、人通りの少ない街角で。街中に流れ込む水路の水は、あのザビル河から引いた水。この水達は数日前、そこで何を目にしたのだろう。そんなことも知らぬまま、回復したご令嬢達は黄色い悲鳴で町を闊歩する。


 「きゃああああ!きゃああ!!トリシュさまぁああ!!!お久しぶりです!今までどちらに!?」

 「きゃああ!トリシュさまぁあああ!!私またトリシュ様の演奏が聞けるなんて幸せです!!」

 「すみません、曲に集中したいので一人にしてくれませんか?」

 「あぁん、もう!つれないんだからぁ!!でもそこが素敵っ!!」

 「ええー?あんな冷たい騎士様なんかより、やっぱりランス様が一番よー!!」

 「なよっちい男共なんかより、ジャンヌお姉様のあの腕っ節!!お美しいわぁあああ!!!」


(……なんでしょう、腑に落ちないというか)


 トリシュは妙な苛立ちを覚えていた。自分がさして活躍する暇もなく、カーネフェルは都を取り戻した。今都を飛び交う噂は主に二つ。英雄ランスと、聖女ジャンヌ。

 あの二人が居ればカーネフェルは、宿敵タロックに負けはしないと……。風に煽られるよう人々は、熱に浮かされるよう、夢を見る。長きにわたる戦が終わる日が来たのだと。

 二人の英雄の話に掻き消され……主君であるアルドールの名は、さほど聞こえない。精々屋台の商品名に無断で使われているくらいだ。

 ああ、もう一つある。アルドール様の名が出るとしたらこれからか?けれど敵将である双陸は人格者との話。彼の処遇をどうするか。それで王を人々は判断を下すだろう。彼の王としての采配を……

 僕はそれが気になっているのか?いや、どうにも違う。


(……僕は、何を苛ついているんだ)


 最初は自分のことだと思った。女装までして敵の追跡をかわし、情報を集めていた自分……その活躍が評価されることがないのが悔しいのだと。だけど確かに自分は……実際攻防に参加した彼らに比べれば、何もしていないに等しい。ならばこれは当然のことだと理解している。いつも自分はランスの次だ。都での人気もそう。それを今更僻むような心根を僕は持っては居ないはず。ランスのことは僕自身、認めているのだから。


(ならば、何故?)


 そう考えて浮かんでくるのは……あの小憎らしいセレスタイン。こうして待ちを眺めていても、彼の噂は何も聞こえない。ひいき目に見てしまうのは、彼の姉に僕が気を取られているからか?


(ユーカーは……)


 誰にも評価されないが、頑張っていたように思うのだ。噂されるあの二人のような目立つ物はないけれど、その陰で……僕よりも必死になっていたと思うのに。


 「ねぇねぇ、聞いた?」

 「何々?」

 「さっき町に来た行商から聞いたんだけど、カルディアまで援軍が来たらしいわ」

 「ええ!?じゃあカルディアを奪い返したってわけ?すっごーい!!」

 「でも援軍って?南部を率いるような人居た?」

 「それがさー、あの悪名高いセレスタイン卿!一体どんな手使って集めてきたんだか」

 「きゃー!怖い!!」


 何故だろう、大事な琴の弦を引き千切ってしまいそうになる。何を取り乱しているんだ僕は。


(カルディアか……)


 大部隊を率いているなら機動力は落ちる。都攻めが早く終わりすぎて間に合わなかったのも頷ける。彼は本当に運が悪い。早速彼を馬鹿にする噂が都に広がっている。


(……)


 僕の残りの幸福値を気にしてか、アルドール様からは何の命令も来ない。やることは沢山あるはずなのに、まだ方針が定まらない所為で此方は本当に暇なのだ。少しユーカーが気がかりなこともある。もしかしたら未来の弟になるかもしれない相手だ。少しは兄らしく振る舞おう、カルディアまで様子を見に行くか。


 「止めておいたらどうですか、トリシュ兄さん」

 「キール!」


 混血の胡弓弾き。今日は弟妹は連れていないらしく、携えているのはヴァイオリンだけ。


 「止めろとは、どういうことです?」

 「そのままの意味ですよ、既に彼のファンであるカミュルがカルディアまで赴いたのですが……唯ならぬ様子だったと連絡が入っています」

 「なら、ますます心配じゃないか!」

 「貴方に何が出来ると?」

 「!」

 「今都を離れるのはどうかと思います。貴方は微妙なカードだ。それも……長くはない。残りの余生くらい、シール様とあの城で過ごされたら如何です?どうせそんな残りカスみたいなカードじゃ前線に出ても役には立たない」


 ブランシュ領での戦闘で、力の大半を使い果たした。だから、情報収集なんてことをさせられている。上も僕の命を……カードを持て余しているのだ。


 「兄さん、貴方は何のために戦っているんですか?」

 「何の……」

 「僕は……カミュルとコルチェットのためにカードになった。あの二人がカードにならずに済んで、僕は安堵している」


 貴方はどうなんですか。問いかけられて頭が痛む。即座に答えられない僕を軽蔑するよう、いや呆れたようにキールが肩をすくめて見せた。


 「……そう言えば、カミュルが奇妙なことを言っていました」

 「奇妙なこと?」

 「コートカードという生き物は、余程不幸に愛されているらしい。この様子じゃ、ジャンヌというあの女性もこれからどうなることか」

 「キール!」


 その言い方は、誰と比べてのことだ。問い詰めるまでもない。嘆息一つで彼は答えた。


 「なんでも……セレスタインの者が多数惨殺されたそうです。家を出たという彼も、領地を民を背負わなければならなくなるでしょう。要らぬ不信と好奇の視線に当てられてでも」


 殺された。そう告げられて、真っ先に思い出すのはユーカーの姉であるという女性。あの可憐な君が、殺されただって!?いいやまだわからない。青ざめながら、僕はキールを揺さぶった。


 「だ、誰が殺されたんだ!?」

 「ユーカー=セレスタインの父母、そして姉二人……それから新たに生まれた跡継ぎ、計五人。それから兵や使用人が大勢……」

 「姉が……二人?」


 ユーカーは姉は三人だと言った。ならば彼女が生きている可能性も、あるかもしれない!

 キールはこれ以上のことは知らない様子。辛い状況に居るユーカーを問い質すのは心苦しいが、聞かなければなるまい。


(嗚呼、イズー!!)


 キールの呼び声も虚しく響く。後は何を言われたかは解らない。だが、そんなことはどうでも良いんだ。

 僕の命があと僅かなら、僕は何に生きて死ぬ?騎士として国と王のために……嗚呼、そんな模範解答僕には答えられるはずもない!僕は既に命の大半をカーネフェルに捧げたはずだろう。北部平定の任でアルドール様への義理は果たした、そう思わなければやっていられない。

 愛馬で駆ける後ろから、迫る足音が聞こえているんだ。それは僕以外には聞こえない音。振り向いてはならない。にじり寄る死に、脅えてはならない。唯前だけを見て、考える。


(僕の……イゾルデ)

絵本は群衆劇の側面もあるので、まとめるのが大変だったりします(;´Д`)

もっとちゃんと分かり易くまとめられたらいいんだけどなぁ…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ