63:An nescis, mi fili, quantilla sapientia mundus regatur?
「いかがしましょう××様」
「殺せ」
誰かがそう言った。理由は何故か。僕はあの時見てはならない物を見てしまった。
男の声を遮るように、美しい狐が言う。彼女の長い金髪。日差しのように柔らかく、毛皮のように美しい。
「まぁ××っ!こんな小さな子に何てことを言うのですか!」
何も殺さなくても。狐が僕をかばうよう抱きしめる。僕を殺すつもりだったその者も、彼女にそうされては何も出来ない。仕方ないと言う風に、そいつは僕に片手を突き出した。そうして頭を掴んだかと思うと、思うと思うと……
耳障りな音。見えない羽音。耳元でざわめくその音は?
「ご安心を。殺してはおりませぬ。これに毒虫を入れたに過ぎません」
「毒……?」
「ここで見たことを思い出せぬようにしただけです」
狐が悲しそうに鳴く。毒の見せる夢は、まやかしは……甘い香りで誘って、必ず痛みをもたらすと彼女は知っている風だ。
「子供は……苦手だわ」
「……」
「だけど……抱きしめると、赤子のように暖かいのね」
何か忘れていたことを思い出したような。覚えていたことを忘れてしまったような、そんな不思議なまどろみの中。思い出すのは、酷く滑稽な気持ち。全てを笑い飛ばしたい。そう、それは僕さえも。
騙していたんだ。騙されていたんだ。不思議だとは思った。おとぎ話で聞くその精霊は、虫など使役しないはず。でも世の中そんなものだろうと気にもせず、便利だからと使用した。
思い出してはならないことを、もしも思い出したなら。その時は虫に食われる。バリバリと、僕の頭を、僕の身体を、何もかも。
「あの時の子供か。また君に出会うとは、思わなかった」
ああ、あの男の声は聞き覚えがある。つい最近、それはどこかで?それさえ彼は、思い出させてくれないけれど。
*
エルスが契約しているのは四季を操る、忘れられた神々だ。けれど、精霊使いというにはおかしな物を使役する。振る舞われた食事を口へ運びながらの席で、そんな話題を俺は口にした。預かっていたあの少年は確か満腹になり眠ってしまっていたと思う。
「双陸……?」
自分に興味を抱かれたことが嬉しいのだろうか、渋々おしえてやる風を装いつつも、エルスの機嫌は目に見えて良くなった。
「あれはボクが契約してる神様の眷属っていうか……」
エルスが契約している神の名は、俺も聞いたことがある。確かタロックの北部に風習として残る神と関わりのある伝承だ。
しかしエルスの出身は北部ではない。気にはなっていたのだが、これで合点がいった。
「最初に契約したのが夏神で、後はその縁でって感じかな。毒虫なんかは病を司る夏神の手下みたいなものだから、夏神と契約してるボクの支配下に置けるってわけ」
エルスの話は、俺にとっては非現実的な物であり、簡単には信じられる物ではない。しかし、彼がこれまで見せてきた数々の数術は紛れもなく事実であり、疑う余地はない。
(……だが)
思い出す薄紅の瞳が見る世界。それはとても遠い幻を見るよう。だからだろうか。とても遠くに感じるときがある。あの子が俺に心を許してくれているのを、知っては居ても。
預けられたエルスのリボン。それを双陸は強く握りしめる。
レクスの行動がこちらの予定よりも早かった。だからエルスには出来なかったこともある。それを見越したわけではないが、双陸も一つ手を打った。
「エルスっ!!」
砦に駆け込むと、気味の悪い光景が目に飛び込んだ。それは外傷の無い、それでも目を見開いたままの者達が徘徊する通路。元はこちらの兵だろう。ならばカーネフェルの策か?分からないがこちらに危害を加える様子も無い。同士討ちをするように、互いに互いを噛み合っている。理性を失ったその姿は、不気味と言うよりいささか哀れ。逃げ出すことも忘れているのか。
それらを無視しようと決めたところで愛馬が俺に追いついた。そこからは愛馬に跨がりエルスを探す。火の手を避けながらなど進めない。炎の出所がきっと目的地。それを突き止めるよう双陸は砦の奥へと突き進む。火の手が増して、愛馬の足が止まった先に部屋がある。手綱を放せば、ここまで付き従ってくれた愛馬も逃げる。それでも自分は逃げられなどしない。
「しっかりしろ!エルスっ!」
炎の海でうずくまる、少年を見つけた。昔と同じようにここから助け出そうと手を伸ばす。
俺の声にゆっくり見開かれる瞳。その色を俺は知っているはずなのに、改めて見惚れるような美しさ。しかしその目はこちらを見ていない。いや、……何も見えていないのだ。そこに俺が世界が映っているのだとしても。
「夕飯は……何にしよう」
「……?」
「レーヴェは何でも喜んでくれるけど、肉があった方が良い。須臾は好みにうるさいし……でも意外と素朴な手の込んだ料理が好きみたい」
ゆっくりと立ち上がったエルスは、うつろな瞳のまま周りを見渡す。するとどうしたことだろう。血まみれの部屋が、あっという間に調理場になる。
(これも、エルスの数術か!?)
空間転移ではない。今のエルスに払える代償など無いだろう。
「エルス……」
都で別れたときとはすっかり変わってしまった姿。泣き濡れた目と、幾筋もの涙の跡が見えるその頬。両腕が曲がっている。両足が震えている。見れば両足に穴が空いているのだ。そこからは時折火花が見える。そこに電気の弾を埋め込まれた時の、悲鳴が耳を離れない。
カーネフェルの情勢は理解している。戦争に綺麗事など無い。それも知っている。それでも俺はカーネフェルを、初めて憎く思った。
勝利のためならば、どんなことをしても良いのだろうか?それともこれが俺の甘さか?俺がこの国をもっと手酷く侵攻していれば、カーネフェルにこんな隙を与えることも無かっただろうか?
(なんと……痛々しい)
噛み締めた奥歯が軋む。こんな風にいらだつ自分に驚くくらい、動揺している。弟を殺した時に、心も感情も……全て捨て去ったと思っていたこの俺が。
(エルス……)
あんな身体で何故動ける?痛覚が麻痺しているのか?
(違う……)
もう一度良くエルスを見、双陸は我が目を疑った。エルスの背に羽が生えている。着物を突き破るように現れたそれは、見事な蝶の羽だった。彼はそれの力で宙に浮いている。
床にこぼれていた鮮血は、その背中からの出血だ。
数術代償を用意できないエルス自身をむしばむように、彼の身体を食い破り何かが孵化しようとしている。そんなことも気付かずに、エルスは数術を作り続ける。
数術によるまやかしか、死んだはずの山賊の姿も現れた。あのエルスが無防備な笑顔を見せる。仲むつまじくじゃれ合う二人は微笑ましい位だが、今の俺には悲しく見えた。俺の頬まで、涙が伝う。
エルスの数術は、神との契約によるものではない。エルスがそう思い込んでいただけだ。実際は、数値異常で生まれた虫に寄生され……創造というその力を使えば使うほど、身体が蝕まれていく甘い毒。それはよほど凶悪な虫なのだろう。他の虫を従えるほどの匂いを持っているのだから。
(王は何故っ!!どうしてこんなになるまで……エルスをっ!)
体内に潜んだ虫が、温暖なカーネフェルに来たことで活動的になったのだろう。虫が血液中に卵を産み落とす。エルスが怪我をすればそこから虫が孵化する。
毒を操るあの方ならば、エルスのうちに潜む虫を殺すことも出来たはず。どうしてそれをしなかったのだという怒り。この子をこんなに苦しめて!貴方は何とも思わないのか!?
(須臾王!貴方は貴方の那由多様を二度も殺すおつもりか!!)
突如、爆発した怒り。王のためのエルス。俺にとってのそれが裏返った瞬間だった。
(……っ!!)
そしてその怒りが俺に気付かせる。長年思い抱いてきた一つの予感と、想像と。憶測がぴたりと重なった。それが彼の力だと言うのなら……王は、タロックはエルスを失えない。
(タロックは……王は)
俺が守ろうとしていた物は、俺が思っていた以上に儚い物だった。俺が信じるよりも未来などない。夢を見ていたのは俺の方だ。何もかもがくだらない。馬鹿げている。このままエルスの幻想の傍観者として息絶えようか。焼かれて死んでしまおうか。
「双陸……」
「!?」
「双陸は、何が食べたい?」
微笑みかけてくるエルス。幻想の風景に、俺が生まれる。エルスが見ているのは、その俺だ。
「エルスっ!!」
傍観者として息絶えるだと……?ああ、出来るはずも無い!!一刀で切り捨てた自分の幻。その首をはねる手応えは、生々しいほどのリアルさだ。
目の前でレーヴェの時と同じ物を見せられたエルスは、泣き叫び俺を睨んだ。ショックのあまり幻を保つことも出来なくなったのか、部屋は元の姿を取り戻す。
「よくもっ!よくも双陸をっ!!」
俺が貸し与えた脇差しを手に取ろうとしたのだろう。しかし、折れた手では掴めずに、乾いた音で床へと落ちる。それを拾おうと必死になって折れた腕を動かすエルスへ俺は叫んだ。
「正気に戻れ!!俺はここだっ!」
「人間なんかっ!人間なんか大嫌いだっ!!」
エルスの叫びに呼応して、火の手はどんどん増していく。炎の壁に包まれて、もう声さえ届かなくなる。その前に、エルスのそばへと飛び込んだ。
その刹那、崩壊に巻き込まれ底が抜ける石床。これ以上怪我などさせるわけにはいかない。とっさに強くエルスを引き寄せる。
何処まで落ちたのか。背中は痛いが瓦礫に押しつぶされなかっただけでも十分幸運。エルスは幸運のカードを持っている。命拾いをした。助けられたんだ、この子に。
(エルス……)
思えば俺はいつも助けられていた。たった一度手当てをしたくらいで、十分以上の見返りを貰った。だから今度は俺が……そう思うのだ。
俺が上位カードだというのなら、元素の力が与えられている。いつか数術が使えるようになるとエルスは言った。それが今で無ければ、俺のカードなど何の意味もないではないか。
エルスを抱き上げ、羽を掴む。紋章の刻まれた手で、引きちぎるよう握りつぶすよう、渾身の力を込めた。
炎が平気な虫だ。司る元素は水ではあるまい。あの様子では火でもなかろう。ならば、俺のカードが効く可能性に賭けてみる。カードの力を、元素の力をこの手に形にする想像をする。
痛みからかエルスの喉から悲鳴が上がるが、耐えてくれと心を鬼にする。そうして片羽をちぎり捨てた時、こちらの胸へと倒れ込んだエルスが顔を上げ俺を見る。そしてにたりと笑ったかと思うと……
「っ!?」
俺の首筋へと思い切り噛み付いた。
*
父の居ないその家で、母はいつも外を見ていた。雲のような男だ。愛されていても愛していても、決して一緒にはなれないその女と……愛していても愛されず、それでも名前だけは手にすることが出来たその女。互いを互いで憎く思っていたことだろう。どちらも自分が手にすることが出来なかった全てを恨んで。あんな馬鹿な男を愛してしまった、二人は愚かだ。では、俺はどうだとランスは己に問いかける。
自分が誰かに恋をして、初めて思うことがある。俺はこれまで他人の好意を何とも思ってこなかった。煩わしいと感じたことさえある。エレインのこともそうだ。
これまで自分がそうしてきたように、あの人から冷たくされたらどんなに俺は辛いだろう。そう考えるだけでも落ち込むんだ。こんな愚かな感情は他にはない。愛なんて、人を弱くするだけだ。人を愚かにするだけだ。
(俺はこの男のようにはならない!)
交えた刃越しに父を見る。忠義に生きると誓った今、誰よりもこの男が憎らしい。扉の向こうに隠れている女も同罪だ。自らに流れる父と母の血を否定する。自分が父と慕った相手は、アルト王。恩人であるあの人を、それから母を深く傷つけたこの二人が許せない。
「幼いな、お前は!あれがお前を愛さなかったことをまだ引きずるか?」
「本当に俺が母さんの息子だったら!あんなことにはっ!!」
「何故私があれを愛さなかったと?言えた義理かランス!?」
「そのエレインまでっ!!死に追いやったのは貴様だろうっ!!」
「ふっ、悲しいまでに私達は似ているじゃあないか!あれを顧みなかった私と、彼女を愛さなかったお前はまるで同じだっ!」
「お、俺はっ!!」
「カーネフェル一番の剣の使い手が、笑わせるっ!そんな感情の乗った剣では私は殺せんぞ?」
「くっ……!!」
冷静になれ。いつもの自分を取り戻せ。言い聞かせてもダメだ。一度退き呼吸を整える暇も、相手は与えず攻めてくる。突きと共に、心をえぐる言葉を乗せて。
「本当に子供だなお前は。セレスが居なければ、見下す相手がいなければ一人前にもなれない」
「!!」
「お前のその低俗な優越感を守るため、あの子がどれだけ苦しんだかもお前は分かっていないのだろう?親友を裏切り続けてきたお前には、王を裏切った私を責められるわけがない!」
「誰がっ!!」
「鏡を見なさい、私が見えるか?私はお前だ。私達はこんなにもよく似ている。私こそが、未来のお前の姿なのだからな!」
「ふざけるなっ!!」
愛のために。そんな愚かな物のために。王を裏切り国を裏切り、無関係の人々を死に追いやった男と、俺が同じだって?
(俺は違う……)
俺はアルドール様を、カーネフェルを裏切らない。俺はこの国の人々を守ってみせる。そのために俺は、命を捧げる覚悟だってある。そのために、俺はユーカーを犠牲にすることだって受け入れる。あいつに幾ら応援されても……ジャンヌ様には何も言わない。それで良いと決めたんだ。
(アルドール様のために……)
俺はあの方に勝利を捧げようとここへ来た。俺とこの男の戦いを躊躇し、悩み、傷つくだろうあの人のために……俺は鬼になりに来た。あの方の信頼を得るために、勝ち取るために……俺が越えなければならない物なのだ。
ユーカーに頼って、あいつの命を食いつぶして勝つんじゃない。ジャンヌ様もそうだ。今あるカードで、上手く立ち回り、あの方の望み通り……味方を犠牲にしない道を探すんだ。
コートカードに頼る戦い方では、長くは続かない。それを失えば、形勢は一気に変わるだろう。
だから頭を使え。カード以外なら、上位カードでも楽に殺せるはずだ。だけど俺一人の暴走ではない。俺は冷静だ。そう思わせるため、見方も連れてきた。
まだアルドール様と打ち解けていない胡弓弾きや、こちらにとって痛手が少なく、未知の力を隠し持つ教会のカード。失ったところでこちらとしては構わない。
「忠義のために、友のために……か。お前があれの子ならば、兄はどんなに喜んだろうな」
「あいつまで、馬鹿にするつもりか!?」
怒鳴る俺を、あいつが笑う。俺を見て、俺だけを見て。
「私が馬鹿にしたのはお前だよ」
「何を……!」
「可哀想なセレス。そして可哀想なアルドール王!お前は彼らのためにそれを説くのではない。お前は自分自身のために高潔ぶった大馬鹿者だ!」
「それは自己満足だ。いや欺瞞だ!お前はさも彼らのためのような顔をして、相手を犠牲にする。お前は理由が欲しいだけなのだ!身の潔白を証明したいだけなのだ!彼らに裏切られるのを待っている!そして自らの正義を確信するために!!」
俺が口ではこの男に勝てないと思ったのだろうか。話し合いで終われないならもはや戦うしかないと、他の者も戦闘態勢へと入る。
「……っ!」
支援のため曲を奏でようと思ったのだろう、キールの発した数術の気配に、階下から死体が集まってくる。数術は使えない。それを俺も彼らも理解する。
「数術が使えない、なんて……」
楽才しかないキールは戦力外通告を受けたようなもの。頼るように彼は教会二人を見る。
「騎士の戦いに私達が入り込めるわけないわ!後方支援でなら殺せるけど、それじゃあ何の意味もない」
「僕ら教会はサポートであって、教会が戦っちゃダメなんです。それは神子様の知る歴史から離れてしまうことだから」
「というわけでアロンダイト様!そっちは頼みます!!」
シャルルスも聖十字に潜入していたのだから、アルマにならなくとも多少は戦える。普段の身体のことを考えると、アルマを表に長くは出せない。
「愚かだな、ランス。愛を知らぬ者が何のために戦える!その剣を何故振るう!?」
「人を、誰かを傷つけるだけのお前に!守れる者などあるものかっ!」
「ならばお前は、誰も傷つけていないと言えるのか?」
「そ、それは……」
「お前は行動はこれまで幾度となくセレスを傷つけ、お前の態度にあの幼き王も傷ついている。それからなんだ?幾人もの女がお前のために泣いているし、エレインは生きてさえ居ない」
「……戯れ言を」
「私が最も許せないのは今まさに、この扉の向こうの方のお心を、お前が傷つけているという事実」
何て身勝手な。身勝手なお前達のために作られた俺が、俺が戦うことを否定するのか?そんなこと、絶対に間違っている!親になる資格もない奴らに、俺を邪魔する資格があるとでも!?俺はたったひとりのためじゃない。あの方が遺したこの国のために剣を手にしているというのに!
(俺が、間違っていると……言うのか?)
悔しさで泣きそうになる。炎で早く乾いてしまえ。自らを信じられなくなった俺の耳に聞こえるのは、アルドール様でもジャンヌ様でもない。あいつの声だ。
俺が正しき者であるように、お前はわざと違う道を行く。ああ、そうだ。俺はお前に支えられている。与える以上を与えられている。お前の犠牲の上に俺は立っていた。それを認める。
(だからこそっ!!)
だからこそ、俺は絶対に正しくあらねばらならないのだ!
父を強く睨み付ける俺の口から出たのは、怒りを押し殺すような苦しみの声。それはいっそ痛々しいほどだ。自分で聞いていて嫌になるほど弱々しい声。それでも吐かずにいられない。この二人に聞かせなければならないことだ。
「俺は……あいつの兄であろうとした。良き兄でありたかった」
兄弟のようなものだった。俺が兄であいつが弟。ずっとそう思っていたさ。だけど……
「あいつは長く、そのために……悪い弟でいてくれた。でもあいつはっ!アルト様が死んでから、いいやその前からだって!あいつは俺の親になってくれようとしていたんだ!意味が分かるか!?あいつは俺より年下で!あの頃の俺が、俺より可哀想だと思った相手だ!俺はまだマシだったと救われたんだ!!あいつを助けることで、俺はまともな人間になれた気がしていたんだっ!!」
ユーカーは、俺より弱くて……俺より情けなくて、俺より小さかった。それは多くの部分で、俺の心に足りないものを満たしてくれた。だけど、そうじゃなかった。
ジャンヌ様に出会って狼狽える俺を、あいつはいつも助けてくれる。俺とは違う。違うんだ。俺より年下なのに、まるで父親か母親かのように俺を助ける。それはヴィヴィアン養母さんとも違う、やり方で。
愛してくれているんだ。大切に思ってくれているんだ。この二人なんかより、ずっと!俺のことを考えていてくれる!!
「あいつが、お前達の……貴方達の何歳年下か分かりますか?あいつと同じ年の頃、貴方がたにあいつと同じ事が出来ますか!?出来るはずが無い!!俺だって出来なかったんだ!!最低な俺の親である貴方達にそれが、出来たはずが無い!!こんな俺を助けてくれたあいつのために……俺は俺で居なきゃならない!一時の感情に振り回されて、大事なものを見失ってどうする!?俺は俺の友のために生き、そして死ぬんだ!!」
情けないな。何時しか泣きながら剣を振るっていた。呼吸も乱れている。型も作法もあったものか。それでも俺の気持ちが勝ったのか、それさえカードの成せる技か。俺の剣が……奴の得物をはじき飛ばした。
「なるほど。哀れなのはアルドール様という訳か」
丸腰になった男が笑う。それは事実だが、真実では無い。だから違うと否定する。
「俺は、アルドール様の友になるためここに来ました。貴方とアルト様とは違う関係を築くために」
「ランス……可哀想な子よ。お前は……私がまともだったら、そうはならなかったものを」
「……そうですか」
「いや、だが私は後悔などしないぞ。これが私という人間だ。何一つ後悔も反省もするものか」
さぁ殺せと不適に男は笑った。こういうのは苦手だ。まだ泣き叫ばれた方がやりやすい。
「なぁ、ランス……。お前が信じるより、世界は醜い。人は愚かで醜悪だ。お前の行こうとする道が、どんなに困難か分かるか?」
これまで歩いてきた道のため、自分を見失ってうつろに生きてきた。それを再び繰り返すだけだと言われたが、そうではないと首を振る。
「真に信じた友が居てくれるなら、歩けない道などない。例えそれが宙だろうと奈落の底へ通じる道だろうと俺は歩き続けます」
剣を納め、ランスは背後を振り返る。聖十字の二人が退路を作り上げてくれているのを確認し、もう一度前を向く。そして差し出すのは得物ではなく、己の手。
「さぁ、立って下さい」
「……何?」
「残念ながら俺の情報数術は不完全なんです。情報を抜き出して捨て置こうと思いましたがそれが出来ない。タロックと通じていた情報をこちらに流していただけるのなら……」
「甘いな、ランス」
男は笑い、俺と自分との間に数式を作り上げる。眼前に現れた炎の壁に、反射的に退くと、ちょうどそこだけを切り取るように、男が炎で衝撃を与えた階段に亀裂が走る。
「今更だ。カーネフェルに、この方も私も帰れはしない」
「そんな、馬鹿なっ」
「息子に数術が使えて、私に出来ぬ道理がないだろう?」
「嘘だっ!貴方はずっと、母さんを見えないって……言ってたじゃないか!」
「おかしなことを言う。お前が信じるものも、目になど見えぬものじゃないか」
そうだろう?と男は笑い、炎に飲まれ……落ちていく。
*
首筋を噛まれた痛みの中で、思い出すのは通路で出会った兵士達。
(そうだ、エルスの数術代償は血の穢れ)
血を求める吸血虫に、エルスは利用されていたのだ。
(だが)
噛まれてそこから虫を送り込まれても、死なない俺に驚いて、エルスが俺に怯え出す。
「忘れたか、エルス。タロック貴族は王家に肖り、幼少から毒を食らって育つと。お前も知っているだろう?」
タロック王家は近親婚。とは言え、それはやむを得ずのこと。もし家臣の家に、王家の毒に負けない者がいたならば、迎え入れられることも少なくは無い。
俺は毒の王家の王に仕えていたのだ。当然毒を食らわせられて育った身。一般兵のように、虫にやられるような身体はしていない。鬼は俺のほうかと笑いながらも、否と双陸は否定する。
俺は人間だ。人間だと思う。だからこんなにも無力で、何も出来ない。どうすれば本当の意味でお前を助けられるかも分からない。それでも弱い人間だからこそ、俺には王が必要だった。
「エルス……俺は人間だ」
「人、間っ!」
「だが、お前も人間だろう?」
「違うっ、僕はっ!!」
「お前が人間で無ければ……ただの人間の俺は、どうやって……お前を救えると言うんだ」
「……え」
「人間に戻ってくれ、エルス。普通の子供で良い。何も出来なくても構わない。唯、ここから俺に……、お前を助けさせてくれ」
「がっ……!」
毒がしみこんだ人間の血を吸ったのだ。エルスのように一代きりで育てられたのでは無い。王家に従い代々毒を食らってきた家の血だ。咳き込みエルスが吐き出すのは、人の拳大くらいあろう死んだ虫。その虫の羽は身体に比べとても小さな物で、とても空など飛べそうに無い。エルスの背から引きちぎったはずの羽も見えない。あれも幻だったのだろうか?
「双……陸?」
虫の支配から逃れたエルスが、ようやく目覚め俺を見る。
「どうして……?」
「お前の服に、例の木札を入れて置いた」
また無茶をするんじゃないかと心配したんだ。そう伝えるも、エルスは笑う。
「なんか……かっこ悪い」
「ならば、ここから気合いを入れるとしよう」
数術もろくに扱えない人間が、人一人抱えてここから無事に逃げられたなら、それは格好良くないかと……俺はそんな軽口を叩く。
「俺が数術を覚えるのなら、回復数術が良い。お前はいつも無茶をする」
「回復数術じゃ、ここからかっこよく逃げられないけど?」
「なるほど……ならば」
片手でエルスを抱え、片手に得物を取った。炎の壁に刃を下ろせば、風の力で道が開ける。
いや、いささかやり過ぎた。亀裂の入った床から地下水道への道が出る。
古びているが作りはしっかりしている様子。ここを通れば河の近くまで安全に逃れることが出来そうだ。
エルスの幸運に感謝しながら、手探りで探していく出口。次第に開けていく視界。見えてくる人影。戻ろうか。いや影は一つだ。相手は一人。それならやれる。
近づくにつれ、はっきりとその人物の顔がしれた。それはどこかで見たことがあるような、平凡なカーネフェリーの少女。金髪で青目のその子は……驚いたように青ざめた顔で俺たちを見ている。
「アル、ドール」
エルスの震える声が、その子の名を口にした。
「アル……ドール……?」
それはこの国に入ってから、何度も耳にした名だ。この国を受け継いだ幼い王の名が、そんなものでは無かっただろうか?
「……!」
じっと見つめた彼女の顔に、ようやく合点がいった。俺は彼を知っている。道に迷った俺が出会ったあの少年だ。
「そうか……君が、この国の」
住まう場所は都だと言った少年が、俺が見逃した少年が……エルスを傷つけ、俺をここまで追い込んだ。
(本当に、甘いな……俺は)
あの時殺していたならば。いいや、今すぐここで殺したならば……まだ間に合う。それでも今は手負いのエルスが居る。エルスが居るのだ。
「カーネフェル王、……我が名は双陸。タロックの第四師団を束ねる者です。誠に不躾で申し訳ないが、貴方にひとつ取引を願いたい」
これまとめるまで凄く悩みました。今も悩んでます。
でも今はこれ以上どうにもならない。文才ほしーわ