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61:nunc dimittis

(何を見た……だって?)


 何を見た。問われてもあまり口にしたくない。ランスは問いに口籠もる。

 頭では解っていても、納得できないこと、認めたくないことはこの世の中に溢れているのだ。一言で言うなら、気持ち悪い。それは嫌悪に似た心。


(エルスは……あいつじゃない。むしろ……俺に似てたのか)


 心を落ち着かせるために、まずはこれまでのことを振り返ろう。今はとても、何かを説明できる気がしない。

 牢に視覚数術で俺に変装させたルキフェルさんを配置し、キールと共に閉じ込める。そして俺は兵士に扮し、エルス=ザインを連れ出した。第二騎士の外見を、ここの砦の者達が知らないことを利用して、アルマさんにアーカーシャを演じさせる。作戦は上手く行っていた。


(カルディアでやり合って、気付いた)


 第四騎士双陸は、俺に似ているところがある。それならばと思った。彼の人間関係も俺と似ている所があるのではないかと。そう考えたとき、エルスの存在が目を惹いた。

 エルスとユーカー。そんなに似てはいない。

 しかしだ。残虐非道と名高いエルスが、ローザクア陥落にあたり無血開城を見逃した。そこでユーカーとエルスを重ねてみる。すると見ててくることがあった。ユーカーは、俺のためなら自分の望まぬ事もする。山賊レーヴェを殺したように。ならばこれはその反対。残虐非道なエルスも、友である?双陸のためなら興に乗らないことでもするはずだ。

 次にどう動く?慣れ親しんだ、親友の行動心理を読むのは俺には容易い。その例に乗せればエルスは絡め取れる。思い通りに動かせる。


(そう思った……でも)


 エルスはユーカーじゃない。純血ではなく混血だ。そこを失念していた。そうだ。俺は混血の脅威を、目にしたことがないんだ。死ぬほど恐ろしいと震えたことがない。頼り甲斐があると思うことはあっても、勝てないとは思わない。カードの相性で破れても、実力では劣らないと思っていた。混血は接近戦に持ち込めば、騎士である……人殺しの俺には敵うまい。そういう心があったのは否めない。その油断がこの失態に繋がった。

 エルスが廃人になるなら、精神を繋げていた自分もその危機にあったのだ今更気付く。情報数術に必要なのは、読み取るだけじゃない。精神感応による自己防衛能力も必要だったなんて。

 今自分が動揺しているのは、エルスの影響だ。文字としてはそんなに驚くことでもない事柄が、とても恐ろしく思えるのは。それだけエルスが本当の記憶を恐れているから。


(薬漬けの、奴隷か)


 依存性の毒を盛り、徐々に脳を冒して従順な奴隷を作る。それをセネトレアに売るための村がタロックにあったのだろう。そのための教育をエルス=ザインは受けていた。そこには人の温かみなどなく、それこそ道具みたいに。そうなる以前に口減らしで捨てられ、拾われたと思えばそんな境遇。

 頭の中で響くんだ。読み取り繋がる彼の心が。寂しい、恋しい。会いたいと。


 《母さん、母さん、母さん……》


 母恋しさに泣く子供。目の色髪の色が違っても、それは昔の自分のようで。悲しくもないのに頬を涙が伝う。拭う間もなく俯いて、項垂れ両手で顔を隠す……その間も、頭の中では声がする。幼い子供の泣き声が。


 《イリス……姉さん》


 それが彼の片割れの名だと、情報から読み取れた。エルスそっくりの黒髪に、紅水晶の瞳の少女。壊れかけた彼は、故郷と自分を繋ぐ最後の縁として、片割れの少女を大切に思っていた。


 《きっと、あの子も村で困っている。僕みたいに寂しい思いをしているはずだ。僕が助けてあげないと》


 自分が辛いから、片割れはもっと辛い目に遭っているに違いない。そう思うことで今を耐える。要は強がりだ。


 《僕たちは、鬼なんだから。見えない物が見える僕たちは鬼なんだ。僕らを産んだ母さんだって鬼扱いされていた。僕が守ってあげないと……》


 壊れかけた少年の狂気が、空間をねじ曲げる。そこに数式を描き出すのだ。無から有を生み出す力。

 見えない物が見える。俺もそれが原因で、幼い頃は浮いていた。見えない物が聞こえるユーカーがいたから俺は救われた。エルスにとってはそれが片割れだった。けれど彼は……それを無くしてしまった。ユーカーを斬った時のことを思い出して俺も悲しくなる。


(俺が策に組み込むべきは……俺とエルスの共通点もだったんだ)


 己の失策を認め、これからの作戦のため……協力者達を見回し、零す。


 「……エルス=ザインは想像を創造する数術使いだ、と思う」


 *


 あれはある夏の日だ。村の裏山……その上に、見慣れない物を僕らは見つけた。それを追いかけて山を登る内、目の前でスッとそれは消えてしまった。


『見た?』

『うん、見た』


『お寺?お社?』

『赤い鳥居の神社だよ』


『誰かいたね。山猫?』

『狐じゃない?』


『炎が見えた。それじゃあ夏神様だよ』

『誰も泊めてくれないから、あそこに泊まっているんだね』


『ええ、可哀想』

『ね。ぼくら、何か持っていってあげようよ』


『うん。でもおうちにご飯とか無いよ?』

『じゃあ、何をあげよう』


『じゃあ、わたしあげる!』

『いりす!?』

『だってそうすれば、わたしの分、えるすちゃんがご飯食べられるから』


『だめだよ!それならぼくあげる!』

『だめだよ!いりすがお姉ちゃんなんだもん!いりすが行くの!』

『だーめ!!いりすはおんなのこなんだから、ぼくが守るの!』


『神様は、わたしの方が美味しいって言うもん!』

『そんなの食べてみないとわからないよ!』


『えるすなんか知らないっ!べーっ!!』

『いりすの馬鹿ー!』


 走馬燈の中で、よく似た顔の子供が二人膨れている。でもすぐ仲直りをして、帰路に就く。家から何とか食事を残して、隠し持って来られないかと相談しながら。


(そんな風に語らったこともあったね。懐かしい)


 あの後結局同じ場所には行けなくて、村から見上げた先に鳥居は見えなくなっていた。

 だけどあれを見たのが原因で僕は……あの日鳥居を見た山に捨てられた。その場所からそんなに離れていない所でコーンと、狐の鳴く声がした。ほら、やっぱり山猫じゃなくて狐だったと僕は笑った。


(……お腹空いてる?)


 あげようか。僕で良ければ。一晩の宿として膝を貸してあげる。一食として死ねば虫に食われるだけの身体をあげる。


(お腹減るのは、辛いもんね)


 僕も辛いよ。だからあげるよ。もうよく見えない目を開けて、僕はにっこり微笑んだ。木々に覆われ見えなくなった空に手を翳すよう……


 「コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン。我は社。迎えし社。来たれ来たれ、我が身に来たれ」


 私は貴方を迎えよう!私は貴方を崇めよう!可哀想な貴方!借宿も持たない貴方!私は貴方を迎えよう!さぁ、お出でませ、お出でませ!踏み散らかして、食い荒らしなさい!桜の花が枯れようと、その手に触れて愛しましょう!


 *


 「エルス?」

 「な、何?」


 山を登りながら、連れの妖怪に声を掛けられる。荷物が重いのだろうと心配されているようだ。


 「ぼーっとしてどうした?村に降りて疲れたか?」

 「そ、そんなことないよ!僕は鬼だもん!こ、これくらいで……」


 平気な素振りで僕は良い、残りの道を駆け上がる。季節は春だ。山中は桜の花が咲き誇り、実に良い宴会日和。見惚れた僕も上機嫌。

 誰もいない古寺は、暮らすには最高の場所だった。四季折々の絶景が絶えず傍にあるし、面白い連中と毎日どんちゃん騒ぎ。ここには僕を悪く言う奴もいないし石を投げる奴もいない。

 それでも食料調達と言いながら、時々山を下りるのは……幼心に母恋しさがあったのだろう。今思えば愚かな感情だけど、あの頃の僕はまだ子供だった。そんな愚かさを持ち合わせていたんだ。捨てられないまま…

 いや、それか僕は気になっていたのかもしれない。僕の片割れ。あの子は今どうしているか。いつも家までたどり着く前に、村人達に見つかって……追い返されてしまうから、彼女の安否は知れない。

 あの頃の僕は見えるだけの子供。大人相手に敵うわけもない。走って逃げて盗んで隠れて。それが僕の精一杯だった。村人の奴らは僕のことなんか忘れて……覚えていたとしても

 もうとっくに死んだ物だと考えて、村を訪れる僕は亡霊の類だと思っている。

 辛い思いをしていないだろうか。僕と同じ目の色の君。僕の片割れの君。君は今どうしているだろう。

 ひもじい思いはしてはいないか。僕が消えた分、君はちゃんと食べることが出来ているのか。それとも君も捨てられてしまったんだろうか。


(君のためなら、耐えられる)


 口減らしで捨てられても、それで君が食べられるならと思った。怨まなかった。君が幸せになれるならそれで良いと思った。最初はね。でも駄目だ、寂しくなる。君に会いたくなる。

 苦しい時はいつも……何時も君のことを考えていた。きっと君も辛い思いをしているだろう。だって僕の片割れだ。同じ物が見えて、同じ世界を共有している。村の中で君と僕にだけ、……妖怪達は見えていた。そんな僕らを村人達は気味悪がって鬼と呼ぶようになったんだ。山を降りたのは母恋しさと、君への未練。その思い。

 まだ僕は心の中で自分を鬼と割り切れず……人でいたいと思っていたのか。山を降り、いつもより村の奥まで踏み込んだ。危ないって事は解っていたけど……


 「イリス……」

 「……エルス、なの?」


 ずっと君に会いたかった。必死になってここまで来たんだ。僕たち鬼は、人の中では生きられない。だから二人で逃げよう。二人で生きよう!誰にも傷付けられない僕たちだけの世界を生きよう!

 何も要らない。他には誰も要らない。そんな閉じた輪の中で幸せになろうよ。僕らを傷付けるものはみんな、殺してしまえば良いんだ。僕らだけが幸せならそれで良いんだ。それが復讐だ。僕らを作った……不幸にした、この世の中にとって何よりの復讐じゃないか。そうだ、そのためにきっと……僕ら鬼は作られたんだよ。そうだろ、イリス。

 僕は帰ってきたよ。懐かしい村……その空気を肌で肺いっぱいで感じている。僕らはここにいてはいけない。どんなに懐かしくてもここにいたら、殺される。

 一緒に逃げよう、手を差し伸べた。その手を掴んだ片割れは、嘘の笑顔で微笑んだ。


 「……わ、私がね。お嫁に行くことになったの。そうしたらきっとエルスも戻って来られるよ!食べるのに困らなくなるの!」


 彼女は生きていた。でもそれは、裏切りだった。僕は彼女の無事に安堵しながら、同時に深い絶望を知ったのだ。彼女だって混血だ。僕と同じ目の色の……異形だ。鬼だ。

 化け物だ!そうだろう?そのはずだ。だから僕は……君を助けようと思ったんだ。

 混血。それでも彼女の髪は黒髪だ。瞳だって赤に近い桜色。………タロック人と言い張ることも出来るかも知れない。紛い物の……


 「本気で言ってるの!?正気!?そんなの……あいつらの道具じゃないか!逃げよう……ボクと一緒に……!」


 まだ幼い彼女を無理矢理結婚させるだって?

 純血の女が手に入らないなら、紛い物でも構わないだって?ふざけるな、ふざけるな。人間共め!


 「何だい騒がしいね………。っ!?おまえ……まさか、エルスなのかい!?」

 「母さん……」

 「まだ生きていたのか!もう死んだものだと思っていたのに!お前はどこまで私達に迷惑を掛ければ気が済むんだい!?」


 かけられたのは、冷たい水と凍える言葉。母恋しさなんて、感じた僕が馬鹿だった。


 「…駄目!止めて!父さんっ!母さんっ!!」


 「お前が戻ってきたことが知れればまた俺たちゃ村八分になる!さっさと消えろ!せっかくイリスのおかげで良い生活が出来るようになるってのに、お前なんかにそれをぶっ壊されてたまるか!」

 「大体次男のお前は殺されるべきだったんだ。それを山に捨てたのは親父達の優しさだ。今更恨み言でも言いに来たのか!?」


 「何だよ……それ」


 村八分は解かれていた。それはイリスの結婚が条件じゃない。僕を捨てることが条件だったんだ。男の鬼は要らないけれど……女ならば鬼でも欲しい。外見がタロック人の子供さえ産めるのならば……鬼を嫁にもらっても構わない。

 僕が捨てられたのも、迫害されたのも……そんな……ちっぽけな理由。


 「……エルス」


 「姉さんは、知ってたんだ。知ってて嘘を吐いたんだね」


 僕が戻って来られるわけがないと知っていた。それでもあんな軽々しく嘘を吐いた。

 それは何故?僕を恐れているんだ。僕は片割れにすら恐れ、忌み嫌われているんだ。今の生活を失う恐れ。これから手にする全てを失う恐れ。そして、僕という鬼への恐れ。化け物への恐れ。片割れすら、僕を人とは思わない。同じ顔をしているのに。同じ目の色をしているのに。誰が何時こんな鄙びた村に、家に生まれたいと願っただろう。

 こんな最低な奴らの下に。


(人間なんか……人間なんかっ)


 こんな奴ら、みんな死んでしまえば良いんだ。


 「嘘つき!!姉さんの嘘吐きっ!!」


 でも本当の嘘吐きは……嘘吐きは、本当は……僕だ。だって僕は、こんな風に君と再会しなかった。これでもまだ……マシな現実逃避だったんだなぁ。


 *


 「須臾王、最近山里の方が騒がしいようです。民の話では、鬼子が人里に現れ盗みを繰り返しているとか……異形を率いているその鬼の討伐の嘆願書が寄せられています」

 「下らん。民など捨て置け。しかし……鬼子か。どうせまた混血のことだろう」

 「はい。桜色の瞳の鬼だそうです」

 「…………桜か。ちょうどあの山間は今が満開の季節だな。気が変わった。桜狩りついでに鬼の姿でも拝みに行くとしよう。下らん民もそのついでに始末をしてくれる」


 鬼の、噂を聞いた。その退治を王は頼まれた。王がそれを引き受けたのは、唯の気紛れ。“桜色”だと言う鬼の目に興味を持っただけだった。

 那由多様を亡くし、マリー様を失った。塞ぎ込んだ王が外出するのは、民を虐殺する時くらい。その王が、民の求めに応じて出掛けられるのだ。どういう風の吹き回しだろう。しかし誰も尋ねられない。王の機嫌を損ねれば、次は自分の首が飛ぶ。恐怖による支配。皮肉なことに我が君は、愛し子が存命の内に成し遂げられなかった。それが今更叶っても……


 「また陛下は外出か」


 ああ、一人忘れていた。王に楯突く者が居た。しかし王ではなく俺に言ってくる辺り、この男も王を恐れているのは間違いない。


 「……(しき)殿」


 王の外出、その話を聞きつけ現れる青年。夜のように暗く綺麗な彼の黒髪は長く、赤い瞳は王には及ばぬとは言え、代々続いた名家の深い色味を宿す。

 識家は代々タロック王家に仕えた薬師の家系。それが毒殺社会において次第に権力を拡大し、議会でもかなりの発言権を持つ。若き当主であるこの青年……阿頼耶(あらや)は天九騎士団に入り込んだ議会派の騎士。王にとっては敵に等しい。那由多様の処刑前は末席近くの第八騎士だった彼も、あっと言う間に第三騎士まで出世した。

 なるほど。確かに彼は有能だ。国を良くする政治的手腕もあるかもしれない。しかし家柄を重んじるばかり、癒着に足を縛られる。

 彼はタロックという国の改革を目指す人物。王が狂わなければ、議会派との架け橋として必要だった人材。議会派の中でも異端な存在として共闘の位置にあったのだが……今となっては何の意味もない。此方としては障害物も良いところ。


 「鬼の討伐ならば此方で精鋭部隊を差し向けよう。陛下のお力を借りる間でもない」

 「ならばご自分でそう伝えられては如何ですか?」


 痛いところを突かれた。一瞬相手が整った顔に不快の色を示す。しかしすぐにそれを隠して此方に返しの毒を投げかけた。


 「……陸家の幼いご当主よ、君は跡継ぎ争いで弟君を斬ったそうだな」

 「……」

 「君は陛下を恨んでいるのでは?」

 「……そんなことは」

 「双陸。君はまだ幼いが、聡明だ。私の下に来ないか?」

 「お断りします」

 「何故」

 「私は一度須臾王に忠誠を誓った身。主君は裏切れません」

 「いつまでもそんなことでは小姓上がりと笑われるぞ。そうなれば君の才能を見誤る者も出よう」

 「誰に何と思われようと、私には関係のないことです。失礼します」


 年上の同僚に背を向けると、彼は声を幾らか荒げた。


 「陸家のご子息、少しは陛下を諫められよ!私が議会を抑えるのにも限度があろう。陛下の幽閉を望む声も日増しに強まっている」

 「男子虐殺令は、其方が押し通した案では?」

 「ならば他に、民にどう食わせていく?」

 「それは……」


 食料が足りない。口減らしをするくらいなら、要は作らなければいいのだ。人口が減り生産力が落ちるのは仕方ないが、元々タロックで生産出来る食料には限りがある。多少の人口減少はむしろ好ましい。

 シャトランジアの施しを受けた先に、タロックの未来はない。彼の国にタロックを支配されてしまう。誇りを忘れ去勢された犬になるか、それとも略奪か。この国にはそれしか道がないのだ。

 ならばシャトランジアと手を切って、世論を戦争へと向かわせるしかないだろう。それ自体に異論を唱える気は無いが……やはり俺には関係ないことだ。


 「全ては我が君の望み通りに」


 俺は誓った。あの人に着いていく。そうでなければ弟も浮かばれない。那由多様もだ。

 王が国を裏切ったのではない。先に国があの人を、あの人の善の心を殺したのだ。今更何を省みよう?

 王の子でさえ法に背けば殺される。その視覚的にも残酷な王の仕打ちは、民への恐怖を植え付けるには丁度良かった。王の負のカリスマ。それを用いた恐怖政治で民を操ろうと議会は決めた。議会の思惑が外れたのは、あの人まで御しきれなかったと言う点で。王は狂われた。狂人は法など守らない。議会は王を拘束できず、王の恐怖に飲み込まれていく。議会と王の対立は深まり、タロックは内側から崩壊する。それを抑え込んだのは……まだ年端行かない姫だった。


 「何をそんなに騒いで居る?」

 「姫様!こんな所を歩かれては危険です!」

 「何?ここは妾の城よ。何故妾が他人の目を気にせねばならぬのか」


 第三騎士を煩わしそうに見上げた彼女は、止ん事無い素顔を隠すことなく堂々と城内を進む。そう、恐ろしいことに……王が狂われた頃から、この幼い姫が実質上タロックの長になっていた。那由多様亡き後、正当な後継者の座を得た恒河王子は、許嫁であり妹である刹那姫を溺愛し、彼女の言いなりに等しい。というより、城に出入りするほぼ全ての男が彼女には甘い。彼女の言葉には抗えない。彼女の我が儘には王も議会も逆らえないのだ。


 「本当に阿頼耶は頭と口先、それから顔しか取り柄の無い男よの。まぁ、それさえ揃わぬ輩の何と多いこと!」

 「姫様……また、ですか?」

 「うむ。部屋の掃除を其方に頼もう。この妾の部屋に入れるのだ。光栄に思うが良い」

 「ご冗談を。恒河様に殺されます」

 「むぅ、兄上は顔は及第点じゃが性格がうざったいのぅ。美男は国宝じゃろうに勿体ないことを。仕方ない妾も付き合おうぞ、それなら文句は言わせん」


 毒の王家は近親婚で血を残す。故に刹那姫は既に結婚相手が決まっている。それでもこのお姫様の美しさの噂のためか、口説きに来る婚約者志望が後を絶たない。実際顔だけなら彼女を越える女はこの国のどこにも居ないだろう。それは俺も認めてはいる。


 「さて、あの残骸を片付けるのはなかなかことじゃ。鬼とやらの討伐は阿頼耶には無理じゃ。父上に行って頂くよりないと妾は思うのぅ。というわけで双陸!」

 「はっ!」

 「ふむ、暫く見ない内になかなかいい面構えになったのぅ。して、この件の恩を妾に返すべく今晩辺り……」

 「刹那姫、結婚前の女人の火遊びはあまり褒められたことではありません」

 「むぅ……つまらん男め。そんなに男が良いか?小姓上がりはこれだから」


 俺の変な噂を流しているのは、大体この人なんだろうな。刹那姫は須臾王を独占したがっている。いつも傍に仕えている俺をあまり快く思っていないのだろう。だからこそ俺も、彼女を外見通りの評価は出来ない。王に似た色の髪と瞳は美しいと思うけれど……俺には主は裏切れないのだ。王が溺愛している刹那姫を、王から奪うなんて考えられることじゃない。


 「まぁよい。妾も鬼は見て見たい。生け捕りにして参れ。父上には殺させないよう取り図れ!良いな!」

 「全力を尽くします」

 「うむ、良い返事じゃ。其方は聡明じゃな。そういうところも好いて居る」


 何を企んでいるのやら、俺を見つめる刹那姫。そこに割り込むよう俺達を引き離す第三騎士。


 「姫様、お戯れはその位に。貴女は臣下が娶れるような身分の方ではありません」

 「ふぅ、どいつもこいつも不甲斐ないのぅ。それでも三本目の足はあるのか?」

 「姫様、着物を脱がそうとするのはお止め下さい」

 「これだから妻帯者は。妾の美貌に靡かんとは余程其方の嫁は美しいのであろうな?」

 「なんと恐れ多い。私の奥など姫様に敵うはずもありません。しかし私は醜女専門でして」

 「ふっ、心にもないことを。流石だな阿頼耶……口だけは達者な男よ」


 姫の関心が余所に移ったのを良いことに、俺はその場を逃げだして、王の下へと駆けつける。そこでは薄笑いを浮かべた、起源良さ気な主の姿。王家の血を示す長い黒髪が今日も荘厳と雄々しく美しい。振り返る彼の白い肌には、その目と同じ赤がちらつく。


 「許可は取れたか双……」

 「はい!」

 「ふむ。しかし其方があまりに遅いのでな」


 外出を止めようとする兵を、斬り殺してしまったわと主が笑う。これで次回の外出はますます困難になるだろう。その分警備が固くなる。それでもきっとこの人は誰にも止められない。そうなれば亡骸が増えるだけ。


(理不尽なまでの強さ……)


 いっそ朗らかに、からからと王は笑うから。善とか悪とかそんなことは忘れて、唯この人の自由な姿に魅せられる。

 王を見る俺の目には恐れはない。だからこそ俺を傍に置いて下さる。そうなのだと俺は信じる。


 「行くぞ双陸(しゅあんるー)

 「はっ!」


 *


 泣いていると殴られる。血が出るまで殴られる。でも血が出ると嬉しい。その後は決まっていつも、誰かが食料を盗んできてくれる。盗み見たらそれは数字の塊だ。数値を纏うのは、あの日社で見た者だ。その存在が幻想に拍車を掛ける。夢と現の境界を、僕は見失っていく。

 頭の中で、妖怪達が笑う。目の前の景色が変わり、目の前で妖怪達が僕を見る。


 「あははははは!今日も大漁だね!あいつら本当に馬鹿みたい!」

 「みんなー!エルスが帰ったぞー!!」


 山のお社。誰もいなくなった神社。棲み着いた妖怪と、僕の生活。


 「食料盗ってきたよ。みんなも食べるでしょ?……あ、お酒の方がいいんだっけ?」

 「ははは!エルス様々だ!お前が来てから本当に俺たちも楽しいよ」

 「よーし!持ってきた酒とつまみで今日も朝まで宴会だ!」


 毎日が楽しくて、幸せだった。人間に悪さするのは清々して……心が楽になる。嫌なことを、忘れるように。


 「だな!俺らが見えない奴ばっかじゃん人間って。脅かしても見えないから気のせいだって無視されるんだぜ」

 「お帰りエルス!今日は腐れ人間共にどんな悪さをしてやったんだい?聞かせてくれよ!」

 「んとね……逃げるときに村人の奴ら肥だめに落としてやった。あいつら本当馬鹿。怒りで周りが全然見えてないんだ」


 僕は笑う。何も見えていない目で。聞こえない物を聞く。


 「ありゃあ傑作だったなぁ!臭いの汚いの!彼奴らの方がよっぽど穢れてやがるぜ!ひひひひひ!」

 「え?知らないの?人間って実はあの肥だめから自然発生するんだよ」

 「え?マジで!?どうりで薄汚ねぇ性根の腐った奴らばかりだと思った!!ひゃははははは!ってそれじゃエルスの母ちゃんもあれか?」

 「ボクは鬼だもん。人間なんかと一緒にしてもらいたくないな」


 そうだ、僕は鬼なんだ。下卑た笑い声。それは妖怪の物。事実を置き換える。すり替えて脚色して僕は幸せになる。反吐が出るような物を愛そうと、現実を誤認する。


 「ははははは!それもそうだ!」

 「でもなぁ……もっとボクの手が大きかったら、力持ちだったらもっと沢山盗ってこれるのにそれで村中から全部食料取り上げて、あいつら餓死させてやるんだ。それを見ながらボクらは宴会するの。すっごく楽しそうじゃない?」


 山の中のお社。捨てられた僕を拾った妖怪。そんな物はいない。愛すべき仲間なんていない。本当はどこにもいない。僕を拾ったのは人間。お社なんか無かった。僕の頭か心の中にしか、その理想の住処はなかったのだ。

 僕は信仰する。存在しない物を、作り上げては信じて。僕を助けてくれる人がいないなら、鬼でも妖怪でも良い。どんなに醜い者でも良い。助けてくれるなら、僕はその相手を信じてあげる。ずっと傍で笑っていてあげる。


 「おお!そりゃ楽しそうだ!」

 「ひひひ!それじゃそれはエルスが立派な大鬼になったらやることにしよう!楽しみだなぁ!大宴会だ!」


 お腹空いた、ひもじい。お腹空いた、苦しい。お腹空いた、辛い。お腹空いた、助けて。

 咽が渇いた、泣きたい。泣きたいけどわからない。水分が足りないんだ。どうすれば涙を出せるのか、その方法が解らない。


(い、……り、す)


 山の中のお社。誰にも信じて貰えない神様が奉られた場所。僕ら二人が見つけた場所。大人達に話したらそんなモノはないと言われた。君にも見えていたはずなのに。気味悪がられた。気味悪がられた。捨てられた。どうして僕だけ?君はどうした?今何をしている?辛くない?寂しくない?虐められていない?

 僕は、鬼になった。僕の傍には妖怪が一杯いる。君を守ってあげられる。だからこっちにおいでよ。一緒に楽しく……暮らそうよ。


 「おいおい、聞いたか?お頭が嫁さん迎えるんだって」

 「へぇ、そいつはめでてぇ。商売が軌道に乗って嫁買うだけの金は手に入れたってことか。お零れ預かりたいもんだ」

 「いやぁ……でもねーわ。金の分け前なら欲しいけど。大体さ、相手何歳だと思う?」

 「今のご時世、成人十五。十代前半くらい普通だろ」

 「あははは!それがそれが、まだ十にも満たない小娘だってよ」

 「うげぇ……あの変態、こっちだけじゃ飽き足らず」

 「そうそう、この間拾ったあのガキ。あのくらいの年……背格好だったぜ」


 はっと我に返って顔を上げる。檻の中に差し込む光……日が照っている。明かり取りの格子窓、その外には長い花嫁行列。綺麗な着物を纏って歩く娘は黒髪に……薄い色の赤い瞳。例えるなら紅水晶によく似た色の。その色を見て僕の意識は完全に目覚めた。

 ずっと会いたかった、あの子がこんなにすぐ傍にいる!!もう二度と会えないと思っていたのに……!!


 「イリス!!」


 涙の流し方を急速に思い出す。体中の血液から水分を奪い、それを涙に変換するようぼろぼろと。


 「だ、誰?」


 接点のない山向こうの村に嫁いだ少女は、自分の名を呼ぶ者に驚いた。


 「知り合いか?」

 「いいえ、存じ上げませんわ」

 「あのガキ、良く見れば花嫁に似ているような……」

 「うちの娘は純血です。変な言いがかりは止めて下さい」

 「そうだそうだ。他人の空似だろう」


 父の横で歩く女は、記憶の中の母じゃない。金髪じゃない、黒髪だ。タロック人同士の間に彼女が生まれたように見せかけようと……新しい女を迎えた?

 動揺する僕は、すぐに店の者に押さえつけられた。手足が動かない。それでも首を振って身を捩り、彼女に訴えかける。


 「イリス……?ボクを忘れたのか!?ボクだよ!!エルスだ!!ボクは君の……むぐっ!!」

 「薄汚い奴隷が、奥方様に話しかけるんじゃねぇ!!」


 牢の中に入って来た男に殴られる。そのまま何日か折檻されてたと思う。いつもだって酷いのに、もう何日もまともな食事をしていなかった。頭がぼーっとして何かが吹っ切れた。食料ならあるじゃないか。僕がそう思っていた頃、連中も思っていたんだ。こんな惨めな僕が、それでも彼女によく似ているって。


 「やっぱ……似てるよな、奥方様に」

 「おい、教育以外で売り物に手は」

 「五月蠅い!お頭は今頃良い思いしてんだぞ!俺達だって少しくらいいい目見たって罰当たんねぇよ!」

 「ぎゃああああああ!!こ、この化け物めっ!!」

 「な、何だ何だ!?」

 「こいつ、舌を噛み千切りやがった!!」

 「俺の指がぁあああ!」

 「うわっ!こっちのは頸動脈噛み切られてる!!」

 「この、人食い鬼めっっ!!」


 噛み付いた傍からどんどん奴らが倒れていく。噛み付いて血を吸うと、段々頭の中がはっきりと目覚めていく。血液を数術代償にしているんだって、その時は気付かなかったけど、上がる火の手は僕に従い道を切り開く。もうすぐ、彼女に会える。


(イリス……)


 彼女は僕が守るんだ。そのためなら何をしても良いと思った。それが僕の義務だと思った。彼女のために僕は、捨てられたんだから。そう思わないと僕は立ってもいられなかったんだ。


 「イリスっ!!」


 邪魔する奴らを全員倒して、彼女の元まで辿り着く。寝台に腰を掛けている彼女。傍にあの男はいない。間に合ったのだと安堵して、僕は手を差し伸べる。


 「君を売るような奴らのために、自分を道具にする必要なんか無い!!ボクと逃げよう!!ボクが守ってあげるから!!」

 「……守る?」


 彼女は血まみれの僕を、嘲笑うように見下した。初めて見る、顔だった。僕の手を掴まぬまま、彼女は近づき僕を睨んだ。

 その時気付いたんだ。彼女が纏っているは白い着物じゃない。それは白い……シーツ。もう遅いのよと彼女は言った。


 「惨めね……自分も守れない人が、どうして私を守ってくれるの?」

 「な、何を……」

 「私は貴方とは違う。私には役目があるの。私には意味があるの。唯の道具じゃない。お前なんかとは違う」

 「い、りす……?」

 「私と同じ顔で、それ以上無様な姿を晒さないでくれない?気色悪いのよ!!」


 外見だけは純血に近い。紛い物の花嫁に馬鹿にされている。玩具にしかなれない混血奴隷。お前よりはマシだと嗤われる。女の自分に価値はあっても、お前には何の価値も無い。一緒に生まれたけれど、ゴミなのはお前だけだと彼女の目が嗤う。


 「私は、子供さえ産めれば人間になれるの!あんたとは違うっ!」


 冷たい視線にぎゅっと胸が締め付けられた。彼女は人間だ。人間の、女になった。口から乾いた笑いが漏れた。もう、嗤うしかなかった。

 誇り高い鬼じゃない。彼女は汚らわしい腐れ人間共と同じになった。僕を傷付け、苦しめた奴らと同じ側に回ったのだ。彼女だけは僕を理解してくれる。同じ物が見える、同じ痛みを、同じ喜びを共感できるのだと信じていたのに!!

 両目が熱い。そこに貯まっているのは涙じゃない。もっと熱くて激しくて……禍々しい力。


 「……出来るよ、僕にも。僕にだって、出来ることがある」

 「ははははは!何が出来るって言うのよ!顔だけ女みたいな、紛い物の化け物に!!」

 「出来るよ、殺すことなら」


 命を作ることが出来なくても、命を消すことなら出来る。こんなに汚らわしいのなら、僕の行為の方が余程綺麗で高尚だ。だってそうだろ。だってそうだよ。人はこんな風に、僕らはこんな風に……惨めに生まれる物ならば。

 君のために僕は苦痛を受け入れた。その君が僕に感謝もせず、僕を馬鹿にして……それでこんなに歪んだ場所を幸せと言う?そんなの間違っている。僕のしてきたことすべてがはなから無駄で、無意味で……憎らしい。


 「ひ、人を呼ぶわよ!」


 馬鹿な女。そんな奴らはもういない。みんな事切れているか逃げ出したかだ。


 「それなら僕は、神を呼ぼう」

 「はぁ!?まだそんな馬鹿なことを言ってるの?あんたがそんなことを言うから、私はこんなに苦労する羽目になったのに!!」

 「イリス様!これは一体……」


 いや、でもまだ生き残りがいたか。手柄目当てか彼女の声に、集まる者が数人部屋に現れる。

 「早くそいつを殺してよ!」

 「我は社。迎えし社。来たれ来たれ、我が身に来たれ」


 突然謳い出した僕に彼女は、奴らは驚いている。明らかに不利なこの状況で笑い、おかしな事を言っているのだ。そりゃあ怖いだろう。恐ろしいだろう。嗚呼そうさ、もっと怖がれ。僕は大きな鬼になる。


 「私は貴方を迎えよう!私は貴方を崇めよう!可哀想な貴方!借宿も持たない貴方!私は貴方を迎えよう!」


 咄嗟に紡いだ話の元ネタは、村にに伝わる伝承だ。一種の自然崇拝だろう。それを下地に僕は唱えた。半分自分でも何を言っているかは解らない。でも、何処かで聞いたことがある。そう思った。


 「渾々今、懇々献、惛々混、昏々婚。我は社。迎えし社。来たれ来たれ、我が身に来たれ」


 獣の足音がすぐ近くから。ああ、息づかいまで感じる。それは背中からぴったり寄り添い大きな口を開け、僕を呑み込む。光に包まれるようなまぶしさに目を伏せて、再び開けばそこは火の海。見つめた先から、火の手が上がる。面白くて、楽しくなって僕は飛びはね踊り回った。翳した手の先、逃げ惑う連中が次々火達磨になっていく。


 「綺麗……」


 村の惨状にうっとりとそう呟けば、腰を抜かした少女が見える。


 「い、嫌……」


 倒壊が始まった家屋の中、這いながら必死に所為にしがみつこうと彼女は藻掻く。


 「ねぇイリス……」

 「え、エルス……あ、あのね」

 「昔言ったよね。どっちが美味しいかって。あの頃の姉さんは優しかった。綺麗だった。僕の代わりに死のうとしてくれた。でも今は……」

 「い、今だって!今だってそう!だ、だから……」


 何も変わっていないよ。大好きだよと彼女が僕に縋り付く。そんな様が酷く醜く、滑稽だった。


 「ねぇ姉さん」

 「な、何?」

 「僕と同じ顔で、みっともない真似しないでよ。気持ち悪い」

 「!?」


 相手がとっておきの言葉の剣を投げたなら、それって相手にとってもダメージが大きかったりするんじゃないか?こっちとしても良い意趣返しになる。案の定、彼女が受けた衝撃は大きく、言い返す力も無くしてしまう。


 「女って良いよね。泣けば何でも許されると思ってさ。同じ顔なのに僕は泣くと殴られたんだ」

 「わ、私は」

 「姉さん、せっかくの化粧が涙で崩れて汚いよ?僕が手伝ってあげるよ、化粧直し」


 綺麗にしてあげると手を差し伸べた。その先で彼女が明るく燃えだした。


 *


 「双、桜は好きか」

 「桜、ですか?」

 「うむ」


 都から離れた集落の、何とも見事な山桜。狂い咲くような春の香りに、しばし現世を忘れ酔う。夢見心地になりながら、俺は主の問いに答えた。


 「はい、美しいと思います」

 「そうか」

 「我が君……?」

 「確かに、悪くはない。酒でも一献傾けとうなる」


 珍しく王の機嫌が良い。美しい景色にお心慰められたのだろうか?


 「助げてくれ!」

 「旅の騎士様!!どうが!どうが!!」


 幻想的な風景をぶち壊すような騒音。跪き頭を垂れる貧しい民の嘆願を、あの方は不快そうに眺めている。


 「……これは何の騒ぎでしょう?」

 「鬼がっ!鬼がっ!村を焼いてんだ!おら達ゃ命からがら逃げてきたんだず!」

 「武士様!どうかあの鬼を退治してくだせぇ!お願ぇします!おらだの村、取り返してくだせぇ!」

 「我が君……」

 「王に指図するか?誰を救うか、誰を殺すか!それは我が決めること!!…………この国に貴様らの土地などありはせぬ。ここは私の土地だ。貴様らの命など、土地より食物より貧しいものだと弁えろ!………貸し与えられているに過ぎん愚民共。役目も放棄し逃げ出すか?たわけが!双陸!」

 「はっ!」


 命令通り、俺はその場で村人達を斬り殺す。頭を垂れたその頭を、首を、容赦なく。それが王の命令ならば、俺はどんな願いも叶えるだけだ。この人に仕えると決めた日から、俺の心は変わらない。

 血の匂いに遠離る花の香りが、俺を現実へと引き戻す。この血の匂いはこの方の傍で生きる日常だ。


 「我が君……如何なさいますか?」


 酒の仕度をと問えば、主は薄く笑って良いと言う。


 「鬼に会うのが先だ。我の国を我の許しもなく焼くとは、とんだ不届き者がいたものだ。そうは思わんか?」


 そう言いながらも、主はどこか嬉しそう。こんな生き生きした須臾王を見るのは何時ぶりだろう?そう思うと嬉しくもあり、悔しくもあった。この方を笑わせられるのが俺ではなく、姿も知らない鬼なのだと思うと……


(那由多様は死んだんだ)


 棺が奪われたからと言え、こんな所で生きているはずがない。だから偽者など見つけても、王はがっかりされるだけ。


(それならいっそ……)


 俺が王より先に鬼を見つけよう。襲いかかられ殺してしまったと言い殺してしまおう。それで俺が死を賜っても仕方のないこと。王をぬか喜びさせるよりは余程良い。


(どんな鬼かは知らないが……悪く思うな)


 握りしめた太刀。それで鬼を斬り殺す自分の姿を想像しながら、目的の村まで進む。そこは既に炎に飲まれ、生存者など見当たらぬ様。けれど炎をの中に何かを見つけた我が君は、迷いもせずに愛馬ごと、炎の海へと飛び込んだ。


 「須臾王っ!!」


 慌ててそれを追う俺は、王より先に目的の……討伐すべき鬼を見つける。焼かれた村の中倒れ込んだ小さな童子の姿があった。思わず駆け寄り抱き起こし……俺は大声で怒鳴る。


 「こんな所で何をしている!危ない、逃げるぞ!」

 「…………何って。そんなの見てわからない?村を焼いてるんだよ」


 最初は、倒れていたその子が生存者かと思った。しかし遅れて気が付いた。此方を見上げる瞳は薄紅の、桜色……。紫を薄めれば、こんな色に見えるかも知れない。

 それは外見だけでは性別も解らない、綺麗な顔の子供だが、人間にあらざる目の色……この子は混血だ。


 「何の権利があってそんなことを……」

 「そんなの殺したいからに決まってるよ」


 人殺しを責める事は出来ない。俺も人殺しだ。けれどその子の言葉は、俺には理解できない事柄。


 「民はお前の物ではない。王の物だ。だから勝手に殺していいものではない。そんなこともわからないのか?」

 「それじゃああんたはどうして生きているの?」


 誰かのためではなく自分のため。自分のために生きていると言う鬼に、あの日の俺は酷く脅えた。狼狽したと言っても良い。


 「降ろして。僕は……お前なんかと違う」


 そう言って、その子は俺から飛び下り歩き出す。それから数歩、力尽きたのか……糸の切れた人形のように転がり倒れ、動かない。


(だが、まだ息はある)


 殺さなければ。これを王に会わせてはならない。

 握りしめた太刀。それが不思議なことに震えている。これまで何度だって人を殺したはずの手が、何を今更躊躇うか。

 まだ幼い、年下の子供。弟のことが思い出されて身体が震える。


(違う、こいつは化け物だ)


 言い聞かせても、震えが止まらない。そんな俺の手から誰かが太刀を奪った。振り返ればそこには血よりも赤い瞳の男。


 「わ、我が君!」

 「でかした双陸。よく鬼を見つけたな」


 だがそんな命令はしていないと主は俺を一睨み。倒れた鬼を抱き上げる。


 「それから離れて下さい!」

 「そう吠えるな双。桜は、我も嫌いではない」


 酒の一杯でも傾けたくなると、彼は珍しいことに柔らかく笑って見せた。俺ではなく、その鬼に。


 *


 「おい、聞いたか?」

 「へぇ、あの堅物騎士様が?」

 「おう。何でも書類さえ申請すれば色街への外出許可が得られるんだとよ」

 「ほぅ!やっぱあの方も男だったんだな!話が分かってるじゃねぇか!」

 「はっはっは!狂王の小姓時代に去勢でもされた番犬なんじゃないかなんて噂もあったのにな」

 「そりゃそうだ。だってここに来てからも略奪もしないわ、自分は店に行かないわ……何処で間に合わせてたんだか」

 「あはははは!そいつはあれだろ。第四騎士様は最近あの、王の小姓と仲良いみたいだしあの子だろ」

 「ひぇええ……あの双陸様が?おっかねぇ……真面目な顔してとんだ変態だな!」

 「ああいうのに限って結構マニアックなプレイ求めてきたりするもんなんだよ。だから普通の店じゃ満足できないし通えないっと」

 「なるほど!一理あるっ!!」

 「ないない、そもそもあの双陸様だぞ!?王の忠臣が王の寵姫に手を出すか?」

 「寵姫かぁ……。エルス様ってやっぱ王の……あれなのか?あの白い肌が、王に……いや、確かに可愛いけど混血だろ?王は混血嫌いじゃなかったのか?」

 「愛って奴だろ。うん。種族を越えた愛ってやつさ」

 「妙な理解示すなよ!気持ち悪いなお前!!」

 「お前の顔ほどじゃねぇよ!!」

 「なんだと!!」


 薄暗くなったローザクア。その市街を歩くタロック兵。彼らは何も遊んでいるわけではない。人を捜す仕事をしている。だというのに彼らは下世話な話をしてまわる。それを耳にした通行人が、小さく笑みを浮かべて過ぎる。


 「くすっ……」


 それが気に障ったのか、兵の一人が女の腕を乱暴に掴み怒鳴った。


 「女!こんな時間に何処へ行く!その荷物は何だ!!」

 「これからお屋敷に呼ばれていますの。これはそのための道具です」

 「……竪琴?」


 兵の追求をさらりとかわすのは、長い金髪が美しい女だ。彼女の荷物の中からは竪琴が見つかった。こんな夜更けに女一人で何処へ行くというのだろう。何処からやって来たのだろうか?なるほど、怪しまれても仕方ない。


 「お前……この辺りで怪しい吟遊詩人を見なかったか?」

 「いいえ、知りませんわ」

 「……隠してもためにならんぞ?お前はそれをその男に預けられたのだろう!」

 「まぁ!言い掛かりです!そんな変な男の所為で私は大好きな琴も弾けなくなるんですか!?そんな男さっさと捕まってしまえば宜しいのに!!」

 「……そ、そうか。そこまでいうのなら人違いか。悪かったな」


 女の巧みな言葉に、兵達は納得し彼女から離れた。しかし一人だけは帰らない。それどころか帰りかけた仲間に向かってこんなことを言い出した。


 「おい、ちょっと待てよ。お前ら正気か?」

 「何だよ?」

 「この女の面をみろ。なかなかの上玉だ。しかも怪しい女だ。もっと調べる必用があると思わないか?」

 「何言ってるんだ?」

 「ブランシュ卿トリシュはかなりの美形だと聞く。なら、女に化けてる可能性もあるだろう」

 「馬鹿かお前!そんなの双陸様に知られたら」

 「バレないように部屋に連れ込んだら良いんだよ。当たりなら儲けもん、即手柄。外れでも美女を美味しく頂ける!取り調べなんだ。仕方ないだろ。それにあの鬼騎士はこの時間は書類仕事で籠もりっきり。適当な宿に連れ込めばまずバレないだろ」

 「おお……」

 「楽しそうな相談だな。それで、おまえ達は何処の隊だ?」


 流石に聞くに堪えず、双陸は会話に割り込んだ。これには兵達も驚き、青ざめた顔で此方を向く。


 「し、双陸様っ!!」

 「な、何故ここに!!城で缶詰だとか誰だ大嘘吐いたのは!!」

 「ひぃいいい!!」

 「話がまだだ。だが名乗らんならそれも良い」


 逃げようとした男を愛馬に回り込ませ、退路を奪う。そして背後から自分が迫り、既に鞘から抜いていたた刀で男を斬り殺す。名を聞く必要がないというのもつまりはそういう理由。残る者への見せしめだ。


 「まったく……いいか?一人でも何か問題を起こしてみろ。それがタロックの、引いては須臾王の名誉を汚すのだ!恥を知れ!」

 「で、ですが双陸様!それは陛下だって」

 「お、おい馬鹿止めろっ!」

 「王を侮辱するか?我が君は襲うために殺すことも、殺すために襲うことも無い!殺すために殺すだけ。それがお前達は何だ?」


 養殖の商売女では満足できないと宣い、天然物の女を襲おうなどとは全く呆れた者達だ。何のための譲歩なのだろう。国の大事に何を馬鹿げたことを。

 俺は主犯の男を殺し、他の兵を脅すように語りかけた。もう二度とこんな馬鹿な事を考えるなと睨む。


 「お、俺達ぃいい、み、見張りに戻りますぅうう!」

 「こ、こいつ片付けておきますねぇええええ!!」


 都攻めまでは兵をまとめていられた。だが都を落とした後も、何の報酬もないまま異国に残される兵士達。その中には次第に不満が生じてきている。直属の部下ならまだしも、他の騎士から預けられた輩は躾けに困る。此方が譲歩しても不満が出るのだ。


(まぁ、無理もない)


 タロックで女というのは稀少だ。若い女を知らない兵も多い。異国の民でも若い女を見れば浮き足立つ気持ちは解る。そこを俺が無理を言い、略奪を禁じて都まで来た。まともな部下だって、いい加減限界だろう。


(俺への不満はよく耳にしていたな、同僚経由で)


 敵に情けをかけ、味方になんの飴も無し。真面目な騎士様は王の忠犬であっても、兵にとっては鬼畜に等しい。そんな話はエルスやレクスの口から聞かされていた。ここまで略奪を良しとせず目的を成し遂げたこと。それが新たな問題を生んでいる。

 ローザクアで治安を敷くためには、身内への罰も厳格な物にしなければならない。タロック人への憎悪、反感を抱かせないよう心ある支配を行う必要があった。無能なカーネフェル王より、タロックに従う方がマシだと思わせる。それが一番良いやり方だ。そうして現地の民の支持を得ていくはずが、次第に兵の統率が取れなくなって来ている気がする。俺の考えは、兵まで理解が及ばないのだ。


(色街への外出の許可は出したが……)


 それでは物足りない輩もいる。なかなか減らない問題事には参ってしまう。これでは僅かでも都を離れることなど出来ない。


 「すまなかった。兵が申し訳ないことを……最近兵も気が緩んでいるようだ。私からも詫びよう」

 「いえ……」


 襲われ掛けた女性に手を差し出すも、彼女はそれには触れず、立ち上がる。男が怖いか?いや、違う。それなら何故俺に問う?不思議なことに全く臆さぬ声で。


 「しかし、騎士様がこんな時間にどちらまで?」

 「聞くのは野暮では?」

 「……失礼しました!そうですよね。お会いしたい貴婦人の一人や二人、騎士様にもいらっしゃいますわね」


 一礼と妙な言葉を残し、楽師の女は俺の前から走り去る。彼女も居なくなったことで、辺りに人の気配はない。この静けさに迫られる。俺は決断を迫られている。今思えばそれは……あの日から、ずっとそうだったのかもしれない。

 今が夏であることが悔やまれる。通り過ぎた季節を蔑ろにしすぎた。今年の春は、俺は何をしていただろう?侵略の準備に忙しく、花見をする暇も無かった。桜の花を美しいと思うことも、もうずっと忘れていたように思う。エルスの瞳が、その色に……よく似ていたから。嫌悪していたんだ。逆恨みもあったかも知れない。鬼というのは俺の心その物か。

 それでも今、あの花が恋しい。共に、花見をしてやりたいと思うのだ。あいつと同じ、鬼になり……共に王に仕えようと。

 できる限りのことはした。もうすぐここに奴が戻ってくるだろう事も解った。奴が本気で都を守る気がないのも理解している。だからそこまで追い詰められてはならない、そのためにもやるべき事があるのだと。

 エルスはまだ失えないのだ。まともな数術使いが減れば戦況は悪くなる。


(城に残っているのは誰か)


 エルスを再び前線に送り込んだ奴は誰か。考えれば的は絞られる。天九騎士の中に裏切り者がいる。それがレクスの主である男。その男の企みを潰すためにも、エルスの力は必要だ。

 何が正しい判断か。王のための最善はどれ?考えに、考えた。それでも今もまだ、考えながら悩みながら歩いている。愛馬の待つ場所へと。


(会いたい貴婦人か)


 そんな大それたものじゃない。唯、桜に会いたくなっただけ。あの春の日の中に。


 「シュタルク!」

 「ヒヒーン……なんちゃって」

 「な、何者だ!」


 愛馬の上に、影がある。暗闇に慣れた目には、金髪の少女が見えていた。


 「私?貴方とははじめまして……だったかな。私は誠実な人の味方なの」


 差し出された手。馬から下りようとしているのか?思わず手を取ると、彼女は飛び降り勢い余って此方に抱き付き、そして……小声で密談するよう囁くのだ。


 「簡単に言うとカーネフェル王の敵」

 「て、敵?」

 「そ。アルドールったら酷いんだよ。ああ見えて女癖が悪いの」


 ああ見えてと言われても、実際顔を合わせたことがないので想像出来ない。


 「私のことはお遊びだったんだって。混血だからって」

 「……」


 暗いため色ははっきりしないが、涙を浮かべた少女の瞳は確かに、純血の物とは違う色合いに見えた。

 混血だから。その言葉が今は鋭く胸を刺す。見知らぬ少女の声を通じて、エルスから……かつての自分が責められているよう。


 「都を取り戻したら他の女と結婚するんだって。だから邪魔してあげようと思って」


 にこりと笑う少女。抱き付かれても違和感を覚えなかったのは、鼻が麻痺していたからか。赤く染まった彼女のドレスからは、人殺しの匂いがした。



 「南部の援軍は潰しました。信頼のための手土産としては十分じゃありませんか?これ、お土産です」


 パチンと彼女が指を鳴らすと、空中から現れた生首が、ごろごろと地面を転がった。これは彼女が俺に、自身の力を見せつけるには十分だった。彼女は物を、人を移動させられる。


 「セレスタインの現当主、その妻、娘二人に、見栄えの良い跡取り息子」


 転がった首は五つ。その中には若い娘や赤ん坊の首まである。俺でもここまではやらない。外見だけは愛らしい少女の恐ろしさに、昔のエルスを重ね見る。


 「ねぇ、赤い瞳の騎士様。貴方は……空間転移、必要ですよね?」


 決断を促すように彼女が俺を見上げ、見つめる。この娘を、信じて良いのだろうか。いや……


(もはやそんな状況は越えている)


 レクスを出し抜くためにも、彼女の力は必要だった。俺はその場に跪き、彼女に頭を下げる。それがお気に召したのか、彼女はご満悦気味に「くるしゅうない」と笑ってみせる。


 「協力感謝する。私は双陸。君の名は?」

 「私はギメル。ギメル=ベルンシュタイン。父様は通称古伯……王様から貰った渾名は琥珀卿。お姉様の名前はアーカーシャ、母親は違うけどね」

 「……っ!?……君が、あの第二騎士の!?」

 「私が王様派の貴方の前に現れたの、解ってくれました?」

 「ああ……、そちらの土産品より余程信頼できる」

 「そ、良かった!」


 微笑む彼女に両手を取られ、辺りが光に包まれる。光っている物は何か。よくよく見てみれば、それはカーネフェリーが用いる形の数字。あまりの眩しさに目を伏せる。

 瞳を開けばそこに、少女の姿はない。愛馬と自分だけが、草原に投げ出されていた。


 「シュタルク……?」

 「ヒヒーン!」


 愛馬が見つめる方にはザビル河。その手前には燃え上がった……砦が見える。


(あれは……)


 近づけば、次第に大きくなる。聞こえるのはブンブンという虫の羽音。目には見えない虫が飛ぶ。その傍ら、ゆったり舞うものがいる。そっれは、光る鱗粉を纏った蝶だ。蝶は炎の中から生まれるように増えては増えて、破壊を加速させていく。


(虫……?)


 都で確か、エルスは虫を使った。カーネフェル人の価値観ではそういうタイプの使役物はいないだろう。ならばこれはエルスの数術だ。しかしこんな数術は初めて見た。

 エルスの数術代償は、生け贄。つまるところ血肉。導き出される答えに、俺は青ざめ、炎の中に駆け込んだ。

イリスちゃんがゲームの時よりろくでもない女に成り下がってしまった。都入った時のおかしくなったエルスとか、いろいろの抵抗のなさを考えたら最終的にこんな事に。相変わらずろくな女いない小説。


空想精霊さんな夏の悪魔さんは狐なのか、虫なのか。その辺はまぁ後々。

エルスは作中のいろんなキャラクターの対比に用いられている一種の物差しなので、まぁ……このくらいの目には遭っているだろうなと。それでもまだ道化師よりはマシ。比べること自体なんとやらとハルシオンさんに言われそうですが。

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