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60:veritas odium parit

※毒物とか女装とかの辺りのエルスの設定的に、ちょっと注意。今更か。

(何だろう……様子がおかしい)


 南下を急ぎながら、アルドールは考える。一人馬を走らせての旅は、とても心細い。それと同時に安心もした。仲間が傍にいないなら、失う心配もない。少なくとも目の前で……俺の無力を嘆くことはない。ユーカーはいつも、こんな気持ちだったのかな。そんな風に考える。


(いや、そんなことより……だ。やっぱりおかしいよ)


 俺は囮だ。殺しておくべきカードが一人で彷徨いているのだから、誰だって俺を狙うべき。だと言うのに、誰の邪魔も入らないのは変だ。最低でもタロック。最悪道化師が現れることも考えた。あいつがまだ来ないっていうのは希望的観測であって事実じゃない。あいつがAを同士討ちにしたいだろうっていうのは、ジャンヌとパルシヴァルを納得させるための言葉。


(道化師は俺を憎んでいる)


 なのに来ないのは、どうしてなんだ?


 *


 日は落ちて、夜も更けた。それでもエルスが帰ってこない。代わりに戻ってきたのは別の男だ。


 「あんたの息子、随分と派手にやるな」


 レクスは、室内に現れた密偵……ヴァンウィック=アロンダイトに言う。しかしこの中年男、なかなか食えない。余裕のある笑みを浮かべて先の言葉に応える。


 「それはどちらの息子の話かな」

 「あっちの美形の方だ」

 「こっちの息子もなかなかの美形だと思うんだが、どうだね?」

 「はっはっは!あんた面白いな。あの兄ちゃんとは大違いだ」


 極々自然な仕草で下半身を露出させる中年にレクスは腹を抱えて爆笑しながら、涙を拭う。

 このおっちゃんはまだ愛嬌があるが、その息子のランスは実に恐ろしい。

 自分を他人を客観的に見る術を覚えたのだろう。その上であの作戦を練った。堅物の双陸と自分を重ねた……それならあいつにとってのセレスは誰だ?心を許している相手は誰だ?ローザクアでの無血開城。そこに関わったのはエルス。あの残虐趣味のエルスが双陸に協力する。そこから二人の繋がりをあの男は察したのだ。


(如何に堅物の双陸だろうと、エルスが惨い目に遭えば……計算では動けない)


 兵を連れて北上は無い。しかし……狂王にとってもエルスは大事な相手。あの忠臣が公私どちらに置いてもエルスを見捨てられないのだとすれば……あいつは絶対現れる。単騎の奇襲くらいはやってのける。振り分けられた元素の力を使ってな。

 優秀な指揮官を失えば、ローザクアからタロック兵は撤退するより他にない。エルスを人質に、ランスは指揮官自らここに誘き寄せるつもりだ。

 城が開かぬなら、都を落とせないのなら。向こうから来て貰えば良い。そりゃそうだ。だがよそいつは……ちょっと悪魔懸かっちゃいないか?指揮官も一人の人間である。それを認め……人の心を理解した上でのこの鬼畜策。これはあんまりだ。


(一応、褒めてるんだぜこれでも)


 そう。俺は褒めて居るんだ。これだけ優秀な兵がカーネフェルにいてくれるのは心強い。カーネフェルを滅ぼすために、ランス=アロンダイトは来るべき日まで見逃すべきだ。

 そんな天才鬼畜男の罠にどうして俺が気付いたって?そんなん簡単だ。阿迦奢がこんな所に来るはずがねぇ。信頼できる筋からの情報じゃぁ、彼女は結婚が嫌で天九騎士になったんだ。手柄は欲しくても、誰が花婿捜しにやって来るかよ。


 「あのランスって男があんたみたいなら、俺も簡単にセレスを奪えるんだがなぁ」

 「大して変わらんさ」


 あの男は大も小も切り捨てられる男だ。戦場においてのみ良い意味で、人の心がない冷徹漢だ。俺がそれを示唆すると、中年男は頭振る。


 「ん、そうかい?」

 「ああ。あれは私の子だからね。既に頭角を現しているが、あれの非情さはこの私を上回る」


 時が来ればセレスのことも見捨てるだろうと男は言った。それが解ると言わんばかりに。


 「あんたが親友だった男を捨てたからそう思うわけか?そいつが遺伝だって?」

 「……宿命だよ、レクス君」


 宿命ねぇ……格好付けて男は言うが、俺にはどうも納得出来ねぇ。何処の国でもお偉いさんは運命って奴を美化したがるもんなのかね。レクスは失笑し、背もたれに背中を預けた。


 「君もどうだい?私の領地では飲み足りなかっただろう?酒はなかったが、代わりに一杯……」


 作戦室の机は一つだが、席は幾らでもある。それでも隣に腰掛けて来る中年男は何を企んでいるのやら。差し出された紅茶を俺は拒絶する。


 「おいおい、止めてくれよ。さっきも緑茶飲んだんだ。カフェイン取りすぎて大事な時に眠れねぇからの、大切なときに寝むっちまうのも俺は御免だぜ」

 「ふむ、まさかこの私を疑っているのかい?変な物は少ししか入れていないよ」


 入れてんのかよ!……と胸の内で突っ込みながら、俺は愛想笑いで応じてやった。


 「何入れたんだ?変な物じゃないだろうなー?ま、どうでもいいがこんな夜更けだ。茶の飲み過ぎで下から水分出すなら俺は別の物でも出しに行きたいもんだな」

 「狙いはあの混血の可愛い子かい?それともうちの倅かね」

 「金髪はセレスで間に合ってるからなぁ。エルスちゃんなら一回くらい遊んでみてぇが、その時は陛下が怖ぇからなー」

 「なるほど、なるほど。エルちゃんは、須臾王のお気に入りなのだな」

 「ああ、俺は噂しか知らねぇけどさ。随分な入れ込みようだぜ」

 「これから其方に世話になる身としては、色々失礼がないよう知っておきたいものだ。教えて貰えないかね?」


 男が差し出すは、金ではない。しかし何かの束だ。


 「何これ」

 「繁華街のお姉ちゃんの名刺。私の名前を出せばサービスしてくれるよ。もみ放題触り放題、本番し放題」

 「残念。俺貧乳、もしくは無乳派なんだ。カーネフェリーのそういう店って胸とか尻でかけりゃ良いと思ってそうで俺は嫌だぜ」

 「安心したまえ。それはセネトレア支店だよ。ここだけの話……ごにょ、ごにょ」

 「何?女、装……無…乳……、テクニシャン?貧乳専門店も、ある?…………まぁ、男には冒険も大事だよな」

 「交渉成立ということだね」


 まぁ、相手方に情報をリークするのも俺の仕事の一つだしな。ここはこれで手を打っておこう。別におまけに釣られた訳じゃない。


 「で、何聞きたいんだ?」

 「まずは仕える王のこと、それから同僚諸君のことだね。私はこれから山賊レーヴェの後を継いで第七師団長兼第七騎士になるわけだろう?手始めにエルちゃんのことを知りたいな。スリーサイズとか、下のサイズとか、感度とか何処が弱いのかとか」


 何処まで本気なんだかなこのおっちゃん。うーん、この下ネタ全開さ……何処の国でもおっさんってのはおっさんなんだな。カーネフェルの若い男がどいつもこいつも童貞臭半端ねぇから誤解してたぜ。


 「……まぁ、そうだな。那由多殿下亡き後、王は妾のマリー姫に縋ったろ?でもそこで姫は不貞、処刑。そっから暴れた王を諫めた恒河様も処刑。正妻の珊若様がそれを咎めると彼女も処刑され……残った刹那姫が王の寵愛を受けるようになった。しかし彼女は政略結婚である実妹・珊若姫の……正妻の子。真に愛した女性の面影はない」

 「愛した女性、か。シャトランジアのマリー姫が、先の大戦の休戦の折りに陛下に嫁がれたのだったな」

 「その頃はあんたも戦ってたんだろ?うちの陛下とさ」

 「生憎ね、守りの任で直接は対峙していないのさ私は」

 「そうかい。まぁ、そんなわけで須臾王は刹那姫を可愛がってたんだが、何年前だったかな。七、八年くらい前?出掛けた先で村を焼いてるエルスちゃんを拾った。あの子の目が少し那由多王子に似ていたことから、過去の悔恨を重ねて猫可愛がりを始めた。それが事の顛末さ」

 「つまり、贖罪と言うことかい?」

 「どうだろうな。あの人は……、まぁ……俺も気持ちは解るけどな。そういうの。でもそれって贖罪じゃないと思うぜ。自分が……王が癒されたいだけなんだよ」

 「癒されたい……か。なるほど、そういう表現もあるかな」


 随分と訳あり顔だな、このおっちゃん。理由が状況が似通ってる、それでも違う結果になった相手のことが気になったのか?どうだろうな。


 「良く解った。つまりエルちゃんは、アルト王におけるセレス君だったというわけか」

 「え、おいおい俺のセレスをあんたらん所の王は寵姫にしてたのかよ」

 「何だね、その面白そうな話は」

 「……オーケー。うん、カーネフェルにはそういう風習無いよな。異文化コミュニケーション、おおいえーぃ!ざっつらいと!」

 「ほほぅ、あの美少年がねぇ……妻に先立たれて悲しい中年の操立てに協力するために“同性だからこんなの浮気にカウントされないんだからね!”と慰み者にという美味しい話なんだねレクス君!」

 「いや、そういう噂があるってだけで信憑性はないぜ。だって考えても見ろよ。愛した女を殺した後、他の妻を娶らないんだ。傍に置いたのがエルスちゃんってんなら、そういう風に訝しむ奴らも出てくるだろう」


 怪しまれて当然だ。普通無理だろ、そんなの。

 俺だって妹を失って……そのまま何も変わらず生きては行けない。新しく何かを好ましいと思ったり、気に食わねぇと思いながら生きて行くんだ。変わっちまうもんなんだ、人って奴は。本当に愛したつもりでも、その人を失えば、別の何かを愛していく。その人の面影を引き摺りながら、そういうのを他の誰かに求めながらさ。勿論それは正解の、百点満点の愛じゃない。間違い、大いに結構。その間違えで相手に百点分、自分を愛させられたらさ。相手を傷付けてでも、こっちは満たされるんだ。癒されるんだ。そいつはその傷さえ愛しいと、こっちを愛して許してくれるだろう。


(須臾王は、エルスちゃんを傷付けている。それは事実だ)


 それが間違っているから、ついこの間まであの少年は王を本気で殺すつもりで居たのだ。

 それを変えたのは、双陸とレーヴェ。切っ掛けを作ったのは、少年王……アルドール。良い意味でも、悪い意味でも。


(流れは変わった。後はここからどうなるかだな)


 タロックを俺一枚で守るのは正直きつい。エルスちゃんのために俺は心を鬼にしてるわけだ。

 エルスちゃんのあのしぶとさは、コートカードの幸運あってこそ。不確定のカード故の、保証と言っても良い。


 「ふむ、それは良かった」

 「何で?」

 「いや、何。そういう子に拷問されたらうちの倅が面白おかしいことになりかねないなと」

 「ははは!本当に面白いなあんた。拷問してるの、あんたの倅の方じゃないか」

 「解っていて助けに行かない君も相当だと思うがねぇ……」


 外道はお互い様だろう。そう言われればそれまでだ。俺は苦笑し席を立つ。そろそろここも潮時だ。


 「シャトランジアのあの子が神子なら、うちの呪術師様は巫子ってところだ」

 「ミコ……?どう違うんだね?」

 「漢字の繊細なニュアンスがわかんねぇカーネフェリーには解らんだろうな。……うーん、その辺は見てのお楽しみって感じか」


 「なぁおっちゃん。人の怨みは買わないに越したことはねぇ。俺はエルスちゃんの怨みを買う前に退散するよ。もう一仕事、増えちまった」

 「何だ、もう出掛けるのか?」


 席を立つ俺に、ヴァンウィックが「つれないな」と肩をすくめる。


 「タロックへの忠誠を示す意味でも、ここをあんたが守り抜いてみな。愛する女のために愛する我が子を犠牲に出来るなら……約束通り、天九騎士は喜んであんたをこっちに迎えるよ。第一騎士の俺が王に進言してやる。ランス=アロンダイトが死ねば、カーネフェルはまともな戦術も組めない。本当の終わりってことだな」

 「……そうだなぁ、忠誠を示すには恰好の場だ。昔から私は人の信頼を失うことが得意でねぇ……ここらで一発見返すか」

 「おう、頑張ってくれよ」


 ヴァンウィックに声援を送る俺だが、はなから俺はこのおっちゃんにあの男が殺せるとは思っていない。この中年はカードですらないのだ。

 ここでランスが死んだらカーネフェルは終わり。となると内外のカードの始末が多少は面倒臭いが、それはそれでまぁ良し。ここでランスがヴァンウィックを殺すなら……それはこれからのカーネフェルに、暗雲を投じることになる。そうなればしめたもんだ。少年王と騎士の間に、埋まることのない隔たりが生まれる。


 そのために俺は敢えて、エルスちゃんを見捨てているというわけだ。そうそう、心を鬼にしてな。鬼なら仕方ないよなエルスちゃん?鬼仲間無罪ってことで、なんてな。これら全ては別に……仕えるご主人様の私情のためだけじゃないんだぜ?

 エルスちゃんにも覚醒して貰わなきゃ困るんだよ。こっちとしても。


 「……む?あれは……」


 突如、爆発するような元素反応。それは建物全体を包み込むような……とんでもない数値の桁。その属性は……火。


 「エルスちゃんはペイジだぜ?考えようによっちゃあの子は俺より怖いカードだよ。何たってあの子は人外からはとんでもなく愛されてるからな」

 「精霊憑きの才能があるわけか」

 「才能なんてもんじゃねぇ。あれは化け物だ、正真正銘の」


 カーネフェルとシャトランジアの連中が、小細工使ったところでどうしようもない。エルスちゃんが鬼と呼ばれるにはそれ相応の理由がある。本人がどこまで覚えているかは定かじゃねぇが、鬼になった理由もな。


 「もう一度言う。可愛い成りだがあの子は、化け物だ。ああ言う子に無理矢理踏み込むと、きっと痛い目遭うぜ」


 有能な混血は、生まれ持った才能だけじゃない。それ相応のトラウマなくして数術使いは生まれない。


 「あの子が一体、どれだけの村を焼いたと思う?風属性なのに」


 俺の一言に、中年男が青ざめる。そして飛び出す先は……最愛の女性が囚われている場所だろう。

 そうだな。それが賢明だ。

 あの子がどうしてカーネフェルに投入されたか解るか?

 あの子は風に愛された数術使い。つーことは……炎との相性が半端ねぇってことだろうに。


 「本物のカードになった、あの子は怖いぜ」


 もう聞こえないだろう、ヴァンウィックの背中にそう投げて……俺も窓から外へと脱出をする。近くの森に隠しておいた馬に飛び乗れば、みるみる砦が遠離る。


(ランス、アロンダイト……)


 縁があればまた会うこともあるだろう。また手合わせしたいもんだな。


(名残惜しいが、さぁ行くか)


 もう一仕事を始めるために。



 *



 「そんな、馬鹿な……っ!!」


 理論も概念も正しく理解した。無理矢理ではあるが、大凡の式も間違っては居ない。

 しかし引き起こされたのは想定外の結果。半ば噛ませ犬と馬鹿にしていた敵将相手に、初めて恐ろしさをランスは覚える。


(混血を、軽んじたのが誤りか)


 教皇の恐ろしさは知っていた。しかしそれは彼女が抜きんでているだけだと考えた。現に胡弓弾き達はそこまで恐ろしくはない。トリシュやユーカーでも何とかなった相手なのだ。

 エルスもその程度だろう。そう考えていた……教皇の残した切り札があればどうにでもなると、油断……?慢心していた?


(違う……俺は混血を正しく理解していなかったんだ)


 混血を、今の今まで人間だと思っていた。イグニス様が人間らしい表情を見せるから。彼女の部下の混血達も、みんなそう。才能がありすぎるだけの人間。勝手に崇められたり恐れられたりする……俺の上位互換的な悲しみを背負った者なのだと考えた。それが誤りだったと言うのか。


 「馬鹿アルマっ!だから言ったのに!こんな非人道的なやり方!うちの自白弾使えば良いって言ったのに!」

 「うぁちち熱ちちちちちっ!!そうは言うけどよルキフェル!あれこそ即廃人だろが!」

 「情報数術って視覚数術なんかよりもっとレベルが馬鹿高い恐ろしい技なんだから!イグニス様だからこそ出来るようなものを純血なんかが調子乗ってやらかすからっ!!」

 「二人とも、少し黙っていてください!!旋律が消えるし僕の集中力が乱れますっ!」

 「ええい水数術弾っ!くそっ!!全然効かないっ!!」

 「だからここは僕の音楽数術で術者である少年を眠らせて無効化させます!ああ!だからいい加減静かにしてっ!!」

 「痛みで暴走してるなら、回復させればいいんじゃないのかよ?」

 「馬鹿アルマっ!さっきそれでそこの顔だけ騎士が回復したら、余計大技繰り出して来たじゃないっ!!」

 「キールっ!ルキフェル、アルマっ!撤退だっ!!」


 とてもじゃないが、エルスを攫えない。ルキフェルさん、アルマさん、キールの三人に守られながら、俺は一時撤退を余儀なくされる。情報を抜き出すことで、こんなに疲労するなんて。河を渡っただけでも既に疲労が蓄積している……そんな三人は怒りながらも此方の指示には従う。


 「ランスっ……僕は貴方なんか大嫌いだっ!こんな所によくも連れてきたなっ!!早く妹と弟の所に帰りたいっ!!」

 「私だって教会帰りたいっ!イグニス様ぁあああああ!!!」

 「っち……良いからお前ら落ち着け!撤退了解した!ほらっ!しっかり立ちやがれ!」


 アルマさんに担がれ、ようやく見える景色が変わる。いや、その先も……相変わらず赤い。燃えている。燃やされている。


(くそっ……抜かった)


 エルス=ザインは風使い。従えているのは風の精霊オンリー。四季を操り元素を手玉に取るという情報はあった。けれど……彼自身が炎を扱えるとは思わなかった。


(いや……違う)


 俺が火属性でありながら、水の元素を操るように、それは不可能ではない。恐らくは……風の数術の殆どは精霊の技。エルス自身の扱う数術が炎。タロック数字とカーネフェル数字の混ざった複雑怪奇な彼の式。それを俺が解読することは不可能。第一、これは彼が狙って紡いでいるのではない。混血である彼の血が、防衛本能が紡ぎ出した式。だから数字が混ざっている。


 「なぁアロンダイト卿、あんたあの子の中で何を見たんだ?」

 「……どうして、それを?」


 逃げながら、アルマさんが俺に聞いてくる。今それに答える必要があるのかと問えば、必要だと彼女は言った。


 「聞かないと対処の仕様が無い。この式、止めないとまずいことになると思う。この火の本質を理解しないと消火が出来ねぇ。消火出来なきゃ、森を伝って都まで到達する。いや、南部全てを焼き兼ねないだろ」


 *


 動けない。置き去りにされて炎に囲まれる。こんな風に燃える建物を僕は、見たことがある。

 でも、カーネフェル王に燃やされた時のように、炎は僕を焼かない。僕の周りには風が吹いている。その風に煽られて炎は流れ広がっていく。


(う、あ、ぐぁ……あ、ああああああああぁああああっ!!)


 頭が痛い。目が痛い。高熱を孕んだ両目が赤く光り出す。地に伏せたエルスは、荒い呼吸を繰り返す。

 手足の損傷が激しく、動けない。縛られてすら居る。そんな状況で四肢に埋め込まれた弾。その上から回復数術をかけられ、抉り出すことも出来ない。

 精霊に助けて貰うことも無理。相手は元素。此方が指示を出せるだけの集中力を発揮出来なければ意味がない。その集中力を奪うため、奴らが埋め込んだ弾は、電気を流して定期的な刺激を与える。この電気の所為で、痛いのに気を失うことも出来ない。


(それ……より、も)


 あの男に頭を掴まれてからは、両手両足の痛みより頭が目が痛い。毎秒僕は頭を鋭く重い鈍器で殴られている。両目に針を突き刺されている。頭の中に誰かの手がある。その手に剥き出しの脳を揉まれ爪を立てられ引っかかれている。そんな痛みに発狂寸前。嗄れた咽からはもう悲鳴も出ない。涙も出ない。流れるのは血液だけだ。

 痛みは感覚を鋭敏にする。痛みを紛らわすため、別の気持ちを拾おうとする。楽になるために、ちょっとした陶酔、快楽を無理矢理拾ってそれに浸るのだ。それを続けながら限界を超えると、痛覚は境界を見失う。解らなくなるのだ。痛いって何だっけ。どういう物だった?よくわからない気持ち悪さ。その薄気味悪さが笑えてくる。頭がおかしくなっていく。何故だかとても愉快な気分。悩みも嫌なことも全部忘れて、腹の底から大爆笑。そんな爽快な気持ちになる。それが壊れる一歩手前ギリギリの……反転する感覚だ。


(炎の、赤……)


 目の前の風景と、いつかの景色が重なり揺れる。揺れる、揺れる、脳味噌が。

 焼いた、焼いた。何を焼いた?僕は人間を焼いた。焼いた、焼いた……、どうして焼いた?

 お腹空いたお腹減った咽渇いた水が欲しい咽がカラカラどうにかなりそう、何でもするから誰か“助けて”。


(あっ……あはははははははははははははは!!!)


 脳裏に浮かんだ情けない言葉。そんな懇願、どこから来た?言ったことが無ければ台詞は出て来ない。僕はそれを口にしたことがあるんだ、きっと。誇り高い鬼に相応しくない、あんな言葉を、何時僕が?

 問いかければ、鷲掴みにされた脳味噌が言う。僕にこっそり教えてくれる。囁く声は甘く優しい。だけどその事実が胸を抉った。


(ああそっか!そうだった!)


 見えないものが見えるから、見えるものが見えなくなった。僕が見ていたのは、幻想だ。山桜に囲まれて、みんなでどんちゃん騒ぎ?そうだね、だけど僕じゃない。僕はその輪にいない。僕は見ていた。見ていただけだ。そして何も見ていなかった。そう、何一つ……見てはいなかった。虚ろな瞳で、目に映る風景全てを憎んだ。


 「っち!今日の稼ぎはこれだけか!湿気てやがんな糞ガキがっ!!」

 「ご、ごめんなさい……」

 「さっさと寝ろ!朝になったらまた同じ仕事だ!良いな」

 「あの……ご飯は?」

 「追い出されないだけマシだと思え!」


 蹴り飛ばされた、腹が痛い。腹部を押さえて蹲る。その背に頭に足が振る。

 あの頃の僕はいつもお腹を空かせていた。餓死寸前の僕を拾ったのは、優しく残酷な妖怪達ではなく……山の向こうの村に暮らす破落戸だった。


 「可哀想にお嬢ちゃん。ほら、飴をあげよう。甘くて美味しい飴だよ」

 「ありがとう!」


 でもそこには優しい人も居た。乱暴にされた僕を哀れんで、僕に飴をくれるんだ。それが甘くて美味しいから、僕は嬉しくなる。でもそれでお腹は膨れない。甘い物を食べた所為で咽がもっと渇いてしまう。それなのに、それを食べるともっと飴が食べたくなって、落ち着かなくなる。牢の前で飴をなめている人が居る。それが欲しくて欲しくて堪らなくなる。頭がおかしくなりそうだ。その感覚を思い出して、身体が震えた。


(僕は鬼だっ……ほ、誇り高いっ……鬼なんだっ!!)


 こんなの嘘だ!信じない。僕は絶対信じない。流れ込む記憶の景色に目を瞑り、その場から逃れようとする。でも駄目だ。声は絶えず僕を追いかける。

 飴が欲しいなら何をすればいい?嗚呼、今日は水飴だ。もう何日も何も食べていない。床だろうが指だろうが……どこに落とされた、塗られた飴だって舐めたくて堪らなくなる。


 「可愛いねぇ……良い子だねぇ、エルちゃんは」

 「そうそう、その調子だ。嗚呼、勿体ないな。これで女ならこのまま買って帰るのに」

 「いや、これはこれで……」


 「あんな女みたいな顔で男かよ。何の役にも立ちやしない」

 「純血の女かと思ったら、混血の男とは……おいおいどうしてくれんだ。貴族様に売りつける予定だったってのに、詐欺だって言いがかり付けられたら大変だ!」

 「ううむ。そういう趣味の方に売り飛ばすには、もっと教育が必要だな。あいつは口も悪いし訛りもある。顔だけ良くても意味がねぇ」


 気色悪い猫なで声。僕を罵倒する奴らの声。どっちも嫌い!大嫌い!!

 近寄るなっ!こっちに来るな!!

 でも、寂しい。そうじゃない。そういう風にじゃない。もっとちゃんと……僕を見て!!

 僕は道具じゃない!人形じゃないっ!人間なんだ!!どうして解ってくれないんだ。解ってくれないなら、要らない。殺してやる、殺してやる、殺してやるっ!!人間なんか、皆殺しだっ!!

 小さな僕は思う。咽が渇いた。もう何でも良い。咽が潤えば何でも良い。血でも泥水でももっとおぞましい何かでもいいや。何でも美味しい。美味しいって何?お腹が空いた。噛み付いた。視界が霞んで良く解らない。もう何でもいいや。噛み付いて噛み付いて、胃袋に入れてしまおう、と。


 「ぎゃああああああ!!こ、この化け物めっ!!」

 「な、何だ何だ!?」

 「こいつ、舌を噛み千切りやがった!!」

 「俺の指がぁあああ!」

 「うわっ!こっちのは頸動脈噛み切られてる!!」

 「この、人食い鬼めっっ!!」


 鬼が生まれる。作ったのは人間。噂するのも人間。殺しに来るのもやっぱり人間。ここにいたら殺される。逃げ込んだ山の中。寂しさに耐えかねた鬼は、想像を形に変えた。


(なに、これ……気持ち悪い)


 僕が僕を見ている。今よりずっと幼い僕を、薄汚れた僕を、僕は見ている。

 食べるのが好き。眠るのが好き。人の不幸が好き。愉しいことも大好き。

 大嫌いなことを人に強いる。僕が加害者になる。僕は被害者にならずに済むから。僕が助かりたいために、僕は生贄を捧げる。話題の中心から僕は逃げる。身代わりを置くことで僕は傍観者の立ち位置を得る。それが生き延びるための術。

 優しい妖怪達は、僕が作り出した幻だ。存在はするけど存在していない。僕が元素に僕の望んだ形を与え、僕の欲しい言葉を、行動を取らせていただけ。僕の思い通りの脚本で、踊る可愛い人形だ。走馬燈のように流れる風景。昔は読めなかった数式が読める。あれは歪んだ人形遊びだ。悲しいお飯事だ。

 何言ってたんだ。馬鹿みたい。馬鹿みたいだ、僕は。そうだ。そうだよ。そうだったんだ。最初からそんなもの、居なかったんじゃないか。妖怪なんて。居たのは人間だけだ。

 あの山にも、故郷の村にも……誰一人、いなかった。僕のためには居なかった。僕の帰りたい場所なんて……何処にもなかったんだ。


(助けて、助けてっ!助けてっ!!助けてっ!!)


 鬼は妖怪は僕だけだ。助けてくれる人は誰もいない。駆け寄り庇い、消えていく妖怪達。全ては簡単な絡繰り。僕の集中力が、数術代償が途切れたから形を維持できなくなっただけ。


(須臾の声だ……誰かと話してる)


 須臾に拾われてから、暫く僕は寝たきりだったようだ。大きな数術を知らなかった僕が、村を焼いたのだ。人を殺したのだ。それは初めて無茶な数術を使った副作用だったのかも知れない。

 意識はあっても心ここにあらずと、廃人のように生き存えていたのだと、自分も忘れていたことを見せられる。隣室の声が漏れて来るのも気にせずに、幼い僕は天上を見つめるばかり。


 「城の薬師の調べでは、これは依存性の強い毒物を常用させられていたようで……毒欲しさに何でもする躾けられた犬です」

 「恒河、其方の目は節穴か。あの目を見よ。あの日のあれの目は獣の目だった。死に損ないのな。此方を食らいついて噛み殺してやろうとギラギラと輝いておった。我の喉元を狙っている……実に可愛らしい子鬼よ」

 「で、ですがっ!!混血の廃犬などっ!!こんな物を傍に置いては父上の威厳が失われます」

 「威厳だと?ふ……もうとうに皆が我を嘲笑っておるわ。狂った王よと」

 「そ、そんなことは……」

 「……まだ何か言いたそうだな」

 「……治療と並行して毒を飲ませて、教育しているようですね」

 「我の傍に置くのだ。可愛がり殺さない程度には毒が必要だろう」

 「父上は……、あんな薄色の……紛い物の廃人那由多を連れてきて、跡継ぎにでもするおつもりですか!?あんな王家の血も入らぬ溝鼠に、俺の刹那を与えるとでも仰るのか!?そんなのは貴方の気休めだ!!つまらん悔恨で贖罪だ!!そんな気持ち悪い妄執に俺の妹を巻き込むな!!」

 「……恒河、其方にあれは嫁がせん。今決めた。ああ、お前だけには嫁がせん!!我がタロック王家は滅ぶべくして滅ぶのだ!!血を重んじるばかりにマリーを狂わせ、那由多を死なせた忌まわしきタロックよ!!」

 「……っ、お前の国は終わった!!俺のタロック!俺の刹那を貴様如きが縛り付けるなぁああああああああああああっっっ!!!」


 刃のぶつかり合うような音。鈍い音が、襖の向こうから聞こえる。やがて駆けつける誰かの声。何かが引き摺られ、遠くで扉の閉まる音。そして……


 「……那由多」


 血まみれの男が……まだ若い須臾が泣きながら僕を抱き上げる。


 「しばらく見ぬ内に、大きくなったなぁ那由多。ますます面差しが、マリーに似て……辛いことはなかったか?こんなに泣いて……可哀想に」


 それは僕の涙じゃない。貴方の物がこぼれ落ちてそう見えるだけ。

 頬ずりされて、あいつの涙が肌に染みこむ。それも毒なのだろう。身体が痺れるようだ。でもその強すぎる毒が、僕を苦しめていた毒を殺してくれたのだ。


 「……?」


 嗚呼、ここからは覚えている。目を開けた先、男が笑っていた。抱き締められていて、なんだか暑苦しかった。馴れ馴れしくて、我が物顔の態度がとても気持ち悪かったのを覚えている。


(須臾……)


 でも、こうして遠くから眺めると、初めて見えてくるものがある。

 嘘だ、こんなの。須臾がこんなに優しい目で僕を見るはずがない。信じられないと僕は場面を凝視した。


(偽者だ。代用品だ。解ってる……それでも)


 優しい声。優しい言葉。僕をちゃんと見てくれる。それは……きっと今もだ。須臾はいつも、僕をこの目で見てくれていた。

 帰りたい。タロックに帰りたい。須臾に会いたい。もう一度ちゃんと、話をしたい。

 あの人がそれを望むなら、僕がはじめて役者になってあげても良い。傍観者でも脚本家気取りの僕でもない。僕が貴方の那由多になってあげても良い!!貴方がそれで、癒されるならっ!!


(須臾、僕はっ……!!)


 僕は貴方の騎士だ。タロック天九騎士団、第六騎士だ!!貴方に忠誠を誓い、生涯貴方を楽しませる道化だ!!猫のように気紛れに、貴方に仕え、貴方を愛そう。

 痛い、痛い、痛いよ。痛いよ。死にたくない、こんな所で死にたくない。嫌だ嫌だ嫌だ。


(死にたくないっ!!)

というわけでエルスを壊しかけた覚醒?回。


年齢制限付けてないのでちょっと心配な回。表現はマイルドに押さえました(大分今更)。

薬物(毒)で奴隷教育されつつ、妖怪設定とか全部幻とか悲しい子ですね。

空想を元素で人口的な精霊にして話し相手にしていたとか。どこまで凹ませる気だと。

(いや、可愛い子には鞭を振るえって言うじゃない(←言わない))

エルスちゃんのエロ展開がどの辺までだったかはご想像にお任せします。最低でもキスくらいはしてるけどな(依存薬入り飴欲しさに)


リフルの正の対がラハイアなら、負の対がエルスちゃん。

その設定のために性別男の子で決定してしまいました。いやロリもいいなぁと一時期悩んだんだけれども。


恒河王子が死んだ後にエルスが現れたんじゃなくて、エルスが来てから恒河が死んだっていうちょっと大事な時系列説明回。

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