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58:incedo per ignis suppositos cineri doloso

 「キール、一番大事なのは……時間稼ぎだ」

 「時間稼ぎ?」


 南下の途中、防音数式を張りながらランスは僕らにそう告げた。

 此方の声を隠すだけじゃない。雨の音に遮られないよう、外の音も弱めてくれる。純血の癖に、随分と機転の利く数術使いだと僕は驚きながら彼に従う。


 「ああ。俺達はアルドール様達が兵を連れ南下するまでの時間を稼がなければならない。最低でも一週間。出来れば二週間は欲しい」

 「そんなに僕らが処刑されずに済むと思うんですか?」


 捕まるのが前提の策なら、時間稼ぎなど無理だ。キールはそう言うが、ランスは唯笑うだけ。


 「タロックの将は、橋の建設が遅れている。それは何故か?」

 「遅れている?何故解るんですか?」

 「急いで橋を完成させたいのなら、普通は両岸から作るべきだろう?それを行わないのは、北部を支配下に置けていない自覚があるから」


 遠目に見る山々が切り開かれた跡はない。北部から建設材料が取られたようには見えないのだとランスが語る。


 「橋を完成させると此方から我々が攻め込むことも可能ですしね。まだ完成させたくないと言うことですか?」

 「勿論それもある。だけど……本当の狙いは運河だ」

 「運河?」

 「ああ。タロックはザビル河を後々運河として使うことを考えるはず。そのための建設を急いでいるから橋の方に回す人材が不十分なんだ。北部の軍が南下するに辺り、どうしてもあの河を突っ切らなければならない。そこを塞き止めた水を解放し、一気に押し流す」


 ザビル河はカーネフェルの大陸を南北二つに別つ河。そこを通行できるようになれば、タロックからカーネフェルへ向かう航路は最短の物となるだろう。けれどそれが出来ないのは……激しい水流のため。

 西から向かうには、水の流れが急すぎて横断しようものならすぐ沈む。東からは海流に阻まれ大きく迂回しなければカーネフェルには近づけない。タロックが地図では東路よりも近いはずの西路からカーネフェル攻めを殆ど行わないのはそのためだ。その油断と慢心が、今回の戦争の発端になったわけだが。


 「理由は分かりました。ですが、それが分かったところで時間稼ぎになるのですか?」

 「ああ、まずはここにいるシャルルスさん」


 ランスが示すは同乗者。彼の所為で僕の後ろにいるコルチェットが鬼の形相で舌打ちして居るんだけどその件についてどうにかしてくれないものか。


 「あの男……いつか、殺す」

 「お、落ち着けコルチェット!彼は一応男らしいから別に問題は……」

 「嗚呼、やっぱり正統派美形も良い物です。こういう人に抱かれたい……」

(問題しかなかったぁあああああああああああああああああ!)


 僕らの会話に割り込むように熱っぽく呟かれたシャルルスの言葉。僕の背に乗るコルチェットが僕の腹に凄い握力込めて抱き付いてくる。止めて!お兄ちゃんのあばら骨折れるっ!

 そのシャルルスって少年に、鼻息荒く抱き付かれていても表情一つ変えないランス。二人のその対極的な様子からかなりシュールな絵面である。彼は淡々と、何事もなかったかのように先の会話を続けるだけ。


 「彼は非常に珍しいタイプの混血だ」

 「げほっ……、こ、混血?」


 どこからどう見ても、カーネフェル人にしか見えない。彼はぱっと見、女性にしか見えないのに男性なのだという。そういう理由から見れば、容姿の整っている混血だから?という理由も確かに成り立つが。


 「君たちも知っているように、混血は男女の双子で生まれる。そうだったな?」

 「ええ、基本的には。それが何か?」

 「彼は、彼女であり彼だ」

 「え、ええと?」

 「しかしタロックの死んだ王子の事例とはまるで異なる。彼らは確かに二人で生まれた。だけど二人とも不完全だった」

 「不完、全?」


 聞き返すキールに、誰も何も答えない。何パターンかその言葉の意味を想像するが、どれも聞いていて気持ちの良い話とは言い難い。そんな想像のものばかり。


 「あの……」


 気まずい気持ちを抱える僕は、彼の方を見られない。それでもシャルルスは、俯いてランスにしがみつく。それを見て、僕の背骨にコルチェットが頭突きを始めた。


 「……だけど、二人はその分完璧でもある」

 「アロンダイト卿……」

 「ランスで構いませんよ」


 シャルルスのトラウマを、受け入れ肯定するようランスは力強く彼らを褒めた。その力が今、これから役に立つ。自分は、僕たちはそれを必要としているのだと。


 「で?幾ら数術で重力緩和をしたからって、走行距離は変わらない。それなりに馬は疲れているはずよ」


 馬が早く走れたのは、このシスターの数術のお陰だ。ランスは自分の前にシスター・ルキフェル。彼女はカミュルと同乗していた。男嫌いとのことだったが、カミュルとの相乗りは嫌がらなかった。彼女はランスに対する態度は酷いが、年下に?それか混血にはそこそこ優しいようだ。


 「ラトゥールさん、それなら問題有りません」


 目的の場所に着いたところで、ランスは皆に指示を出す。


 「俺の馬はコルチェット、君に任せる。役目を終えたらこれで急いで逃げてくれ」

 「貴方の馬を?……ん」


 嬉しそうにもじもじと、僕の妹があの野郎の愛馬、その手綱を預かる。この野郎、人の妹を何だと思っているんだ。顔だけ男の癖に。


 「……」

 「カミュル、君にはこっちの馬を。この子はユーカーの馬です。後は頼みます。それから、これも」

 「……ふふふ」


 仕事の報酬にか、何やら怪しげなアルバムを譲り受けている僕の弟。詳しくは知りたくもないが、中身はどうせあの男の女装とかだろう。そんな弟の頭の中と、これからの人生が心配だ。お兄ちゃんは、カードだけどまだ死ねない。


 「アロンダイト様、この子は?私の乗ってるこの子は教会の馬だし、独りで帰ってくれるわ。待たせることも出来るけど?」

 「それじゃあその子はあっちに」

 「解った。それでどうやって河を渡る気ですか?私を連れてきたからには、私をこのキール君の傍に配置するんでしょ?」

 「ええ、それなんですが……」


 急遽作戦が変わったため、僕らは良く解らないまま連れ出されていた感がある。土壇場でのランスの説明に、僕らが絶句したのは言うまでもない。


 *


(僕は貴方が心底恐ろしいですよ、ランス)

(何の話だ?)


 此方からの念話数術に、相手はとぼけて笑う。その様子に狸めと、キールは心労を溜息として吐き出した。

 この男は本当に恐ろしい。猪突猛進の勇敢なる特攻と見せかけて、その実彼は一人ではない。いつも彼が連れている愛馬は白馬。そんな彼が珍しく黒馬も連れている。そうなれば敵の注意は黒馬に……つまりは視覚数術で黒馬を演じている僕に向く。その黒馬が迫力のある登場をすれば、怪しいのはそっちだと誰しも思う。そう。まず思わない。普通の白馬に見えた方も、人が化けていただなんて。この男は、自分の愛馬を撤退に使った。普通、こんな状況……万全の状態で望むべき。敵もそう思う。まさか愛馬を傍から離すはずがないって。

 そうだ。まず思ってもならない。それを実行に移したこの男は正真正銘の馬鹿で鬼畜で大馬鹿だ。この男は数術でのサポートがあったとは言え……人間二人に人間一人を担がせザビル大河を渡らせる。そんな拷問展開を発案したんだ。こんな馬鹿な方法で攻めてくるなんて、相手だって思わないさ。


(後は彼と彼女が……上手くやってくれれば)


 聖教会のあの教皇だって、自分の貸したカードをこんな風に使われるとは思っていなかっただろうな。そう、数術のエキスパート達に過酷な肉体労働を強いるなんて鬼だ!


(ははは、そんなに恨まないでくれ。後からちゃんと、君たちを迎えに行くから)


 ……うん、そうだった。あの男がとんでもない策士で鬼畜だというのは、この配置にある。僕の隣にあの美形騎士の姿はあれど、ここにランスはいないのだから。


 *


 「貴方は考える気がないの?」

 「俺の仕事は戦うことさ。生まれが卑しいんでね、そういう頭はねーのさ俺は」


 可愛い同僚からの言葉に、レクスは適当に答えを返す。ザビル河からそう遠くない場所にある砦。俺達はそこを拠点とし、ザビル河の守りを固めている。

 可愛い子鬼はあれからずっと、地図と睨めっこ。やはりカーネフェル王への借りを、百倍返しで返したいようだ。


(仲間が殺されたのが、そんなにショックかねぇ……お子様だな)


 山賊レーヴェ。彼女と親しかったエルスは、仇討ちも考えている。ランスを唯殺すだけでは駄目だ。カーネフェル側を精神的に抉るような手法がないかと。


(俺としても、そんなに早く決着が付けられちゃ困るんだよな)


 真面目に仕事をしている振りをしつつ、時間稼ぎをしなければ。タロックの圧勝じゃ、俺の主の立つ瀬がねぇ。あわよくば相打ち。漁夫の利を狙いたい。そのためにも上手いこと立ち回らなくては。

 などといかがわしい本を手に、だらける振りをして俺も色々考えているわけだ。


 「レクス様っ!大変です!!」

(おお!ナイスタイミングだぜ!)


 慌てた兵が室内に飛び込んで来たのは、敵の騎士らを捕らえたその日の晩だ。表面上は面倒臭さを装いつつも、レクスは耳を傾ける。


 「まぁ落ち着けよ。それで?何だよ急に?」

 「レクス様!大至急、門までお越し下さい!」

 「ふーむ……まぁ、良いけどどんな用?告白なら予め断っておくぜ。あんた俺の好みじゃねぇんだ」

 「茶化すの止めてあげたら?この人の数値、本当に焦ってるし」


 俺の無駄な話術の意味の、三割は時間稼ぎなんだけどな。しかし兵士の顔色は悪い。かなり青ざめている。それでもうっすら頬だけ赤い。何だこの反応は。


 「おいおい、まさか本当にお前そっちの趣味が?」

 「そうではなくっ!!本国より、第二騎士様がお見えです!」

 「第二騎士ぃ!?……って誰だっけ?」


 エルスの方を見れば、彼も怪訝な表情で此方を見返す。


 「第二騎士って……阿迦奢アーカーシャのこと?」

 「エルスちゃん、知ってる?」

 「見たことはないよ。だってそんなの普通あり得ないだろ?狼の群れの中に生肉落とすようなものだし」

 「生肉?」

 「天九騎士の紅一点だよ。レーヴェが入るまで彼女だけが唯一、女の身で天九騎士入りしたんだ」

 「それでも俺は、脱がせるまでエルスちゃんが女の可能性が残っていることにワンチャン賭けたい派だな」

 「ボクのことはどうでもいいから、話戻すよ」


 軽いセクハラをスルーする余裕も出てきたか。この子段々俺のあしらい方上手くなって来ているな。くそ、今度無視したら着物という名のスカート捲るぞ。


 「そのアーカーシャ様がなんだってんだ。貴重なタロック女を、箱入り娘をこんな戦場に送り込む阿呆がいるのか?」

 「少なくとも須臾もそこまであれではないと思うけど。彼女は年頃の娘だ。考え得る可能性としては……婿探し?」

 「ええ!その通りです!!」


 エルスの言葉に、兵は大きく頷き返した。


 「アーカーシャ様はあなた方会いに来られたのです。この状況で国に引き籠もっている連中とは結婚できない。結婚するなら戦場で戦う勇敢なタロックの将!その活躍を間近で観察したいとのこと」

 「だってよ、エルスちゃん」

 「ボクは混血だし」

 「それなら俺だって平民出だ。御貴族様の相手には無理だろ。パス」

 「刹那姫様には劣りますが、アーカーシャ様もかなりの美姫です!血や出身など愛の前には関係有りませぬ!お二人だって、彼女の目の前で活躍されれば或いはっ!」

 「……胸はどのくらいだ?」

 「成長途中のBだとか」

 「却下!俺の好みは最低でもA以下っ!出来ればAA、それ以下なんだよ!!」


 今は戦争で忙しいし見たこともない女に興味はないと、結婚話を不意にする俺達に、兵士は呆れたように嘆息をした。なかなか失礼な兵だなこいつ。見所がある。


 「……仕方有りません。お二人が彼女に会いたくないのなら、私は彼女を都までお連れします。そこで双陸様に引き合わせましょう」

 「うっ!」


 どうしてそこで双陸の名前が出てくるんだよ。エルスちゃんはそう言いたげだ。それを言わなかったのは、彼自身解っていたんだ。そんな当たり前のことを口に出さなくても。


 「双陸様は血筋も家柄も良い。不器用な性格ですが、顔も性格も悪くはありません。そしてあの見事な采配を見れば、アーカーシャ様は必ずや……!ああ、それにそれは双陸様にとっても悪い話ではございませんね。彼は第四騎士。彼女は第二騎士。結婚で彼女が退役すれば……第二騎士に双陸様が出世なさることでしょう」


 おお、おお。随分と言ってくれるねぇ。エルスちゃんの顔が怒りで真っ赤だ。いや……あれは戸惑っている?青ざめてもいる?そうだ。あの顔は不安がっている、子供の目だ。


 「……解った。ボクがその女に会ってやる」

 「エルスちゃん、策は?」

 「一旦保留!文句言うなら貴方がやれっ!双陸はあれでも、カーネフェル支配の要だ。変な女に現を抜かして、仕事が疎かになってはならない。会わせる価値があるかどうか、ボクが見極めてやる。そいつどこにいるの!?」

 「此方でございます!さぁ……」


 兵士に誘導されるまま、エルスは作戦会議室を飛び出した。


 「何か今日のエルスちゃんエロいと思ったら、髪解いてたんだな」


 今気が付いたが、髪飾りのリボンをしていない。いつもは女の子にしか見えないが、今日はなかなか勇ましくも見える。髪飾りがないだけで、より中性的に見えるから混血というのも面白い。本当に脱がせてみるまで性別解らんなぁ、あれは。


(……それでもガキはガキか)


 まぁ、ありがたいことだ。何処の誰かは察しが付くが、ありがたく時間稼ぎに俺は乗らせて貰うことにしよう。


 *


 「……はぁ」


 イグニスは、机に突っ伏し息を吐く。シャトランジアに帰国してから、休む暇もない。数術で抑えている身体の怠さも、疲れのためかぶり返している気がする。原因の大部分が心配なのか知恵熱のためなのかはわからない。


(シャルを前線に出すのは初めてか)


 サポート任務ばかりをさせていたが、それには訳がある。彼らはそのままだと目立ちすぎるのだ。かといって、終盤に配置するには彼らの優位性が失われる。出すならここで。そう思ってジャンヌの傍に配置したのだが……今の彼は別所に置かれたらしい。ランス様は彼らを上手く使ってくれることだろう。戦争には、英雄が必要だ。彼には本物の英雄になって貰わなければ。

 戦車はどこで走る?戦場以外にあり得ない。あそこで暴れるのが、彼らの役目だったんだ。そう、諦めるしかないだろう。本来なら、その役はマリアージュにさせる予定だったんだ。その計画が狂った以上、他の手を使うしかなかった。


 《ひゃっはああああああ!久々の娑婆の空気は美味いぜぇええええええ!》

(あ、アルマ。久しぶり)

 《悪いな、神子!今お前の相手はしてらんねーんだ。帰ったら可愛がってやるから、拗ねずに待ってな》

(うん、待ってないから安心して。あ、通信切れた。大丈夫かな……)


 突然頭に繋がる通信数術。相手はシャルルスではない。

 やっぱり不安だ。大事なカード達が何枚も手元を離れている。まだこんな序盤で、カードを失いすぎた。守りでジリ貧になるよりは、攻めに回った方が良い。せめて部下の命が無駄ではなかったと思いたい。大事な部下を犠牲にした分、生き残った彼らには意味のある働きを僕は望む。

 マリアージュのこと、エフェトスのこと。ランス様は少しは気に病むはずだ。早々にシャルやルキフェルを切り捨てる算段は実行できないだろう。そう思っても、相手が相手だ。万が一と言うこともある。


(ああ、久々だよ)


 こんなに胃が痛いのは。道化師の奴め。要所要所で邪魔ばかりをして来るな。あれじゃあセレスタイン卿はしばらく使い物にならないだろう。頭も痛くなってきた。


(こういう時、ルキフェルが居てくれたら)


 回復数術を使えるわけではないのに、彼女は結構癒してくれる。僕より背が高いけど、子犬みたいで可愛いんだ。ちょっとだけ、アルドールと出会う前のギメルを思い出すよ。あの頃のギメルは僕の後ろをついて回って来て可愛かった。今だって「神子様、お茶にしませんか?」と、彼女が声を掛けて来るような……そんな幻聴さえすると、自分の具合の悪さを自嘲する。

 ずっと第一聖教会に隠していた彼女を、カーネフェルに残して来てしまった。他の部下達だって危険な目に遭わせた。遭わせている。彼女だけ特別扱いというわけにはいかない。公平な心を持たなければと思いながらも、やっぱり心配だ。そう思うのは、彼女が一番最初に僕に仕えてくれた人だから。やっぱり感情移入してしまう部分は大きい。


(彼女だけは、どうしてか欺せない)


 今の彼女は未熟だ。それでもその目を僕は信じている。だからこそ、あの時も今も……彼女に見せたくもないものを見せるのだ。


(あの日は……泣きながら、帰って来た)


 勝てるとは思っていなかったし、敗北は想定内の出来事だった。だけど僕に護衛を任されて、彼女は気合いを入れて任務に望んだ。そして……守れなかった。

 アージンさんのことを、ルキフェルは気に病んでいるだろう。救えれば良し。駄目でもそれは彼女の糧になる。それは巡り巡ってアルドールを守る力に変わる。僕が見据えるのは夏じゃない。審判の決着も差し迫る、冬に向けての投資。そう思っての命令だった。だけど彼女はそこまで理解が及ばない。僕の期待を裏切った。目の前で救える命を見殺しにしたと自分を責めているだろう。

 そんな風に、思い込んだらあらぬ勘違いをしてしまう子ではあるが、ルキフェルは誰より僕を見ている。僕はそれを気付いている。恋は盲目と言うけれど、その分他の人は気づけないようなことも、彼らは凝視しているんだ。彼女の好意をも計算の内に入れるのは忍びない。だからこそ、僕はこの二年間……彼女を僕の傍、教会の膝元に置いたんだ。

 他の運命の輪達を、敢えて苦境の中に置き……時が来るまで助けずにいた僕が、彼女だけは真っ先に助けた。同じ事を繰り返している。それが彼女と僕の関係における最善手だと信じるからだ。


 「僕は、過保護すぎると思うかい?」


 傍に現れた精霊にそう尋ねれば、彼女は微妙な反応を返す。やはり僕と風の元素は相容れないか。こんな普通の会話にすら彼女は、剣のような棘を持たせて僕に答えた。


 《それはルキフェルに対してのことでしょうか?それともあの少年王?》

 「本当、君とは相性が悪いね僕は」

 《そんなことより神子様、私の部下Calma=Veletaから連絡が来ましたわ》

 「ありがとう、シルフ。風無(カルマ)=風見鶏(ベレタ)は何だって?」

 《アルドール様の采配で、リスティス卿から離れ、ユリスディカに同行しているそうです》

 「アルドールにしては考えたね。国家予算を費やした甲斐があったよ」


 カーネフェルまで、一緒に旅をした意味があったというものだ。友人が僕に頼らず頑張っている話を聞いて、負けて居られないとそう思った。僕は上体を起こし、山のような書類に向き直る。

 僕が留守の間も部下達は頑張ってくれた。餌に食い付いた国王陛下も、年の割りには随分と働いてくれていた。最盛期には及ばないが、それでもこの位働けるなら普段からもっとやる気出して欲しい。勿論、敵としてではなく味方として、ね。

 書類相手の格闘を再開した僕の首筋に、ひやりとした嫌な感じの風が吹く。思わず後ろに肘打ちし、第六感のままに後ろ回し蹴りを放つっ!……が、その足を、冷たい皺だらけの手に掴まれる。


 「ほっほっほ!……流石は神子様。本日も、レースの白……っと。なるほどなるほど。それは結構結構。天使のような外見の貴方にはぴったりですじゃ。しかしのぅ、これではいまいち決め手に欠けると言いますか、色気がいまいち。気になる彼との急接近の際、相手の気分が盛り上がらないかもしれぬのぅ!ラッキーカラーは黒。ラッキーアイテムは紐のティーバック」


 天気予報とか占いみたいな言い方しても、セクハラはセクハラだ。僕はそのまま靴と靴下ごと、妖怪爺を引き剥がし、窓の外へと放り投げる。

 ガシャンと言う音の後、もう何も聞こえない。割れた窓の外には美しい景観。青い空、青い海。うん。今日も良い天気だ。

 ……などと言い、一度深呼吸。再び仕事に戻りかけた僕の視界の片隅に、妖怪は何食わぬ顔で壁を上って部屋までやって来る。そう言えば地上にこの爺が打ち付けられた音、しなかったよね。


 「ほっほっほ。神子様は少々お転婆でいらっしゃる」


 死刑のないこのシャトランジアで国のトップが殺人事件を引き起こすところでしたよと、奴は大げさに言うがそんなことはない。この男はそう簡単に死なないし、第一あんなセクハラ野郎は死んでも仕方ないと僕は思う。僕の正体を知ってそれでまだセクハラするんだからこの爺、さっさと殉死させたい。運命の輪でこの老人だけが唯一、僕のスカウトした手駒ではない。№0、ザック=ザ=クロート。……この“死に損ないの愚者”は、僕が先代達から引き継いだ精霊同様、主を変えて生き延びたろくでもない爺なのだ。


 「出たな妖怪糞爺」

 「これこれ神子様。疲労で心の声が出ていますぞ」

 「わざと言ったんですよ」


 これは僕なりの冗談。疲労がピークでうっかりしていたのは事実。ていうかこの色呆け爺、主のパンツ盗み見るとか何考えてるんだろう。僕には理解できない。マリアージュやラハイア、ラディウスの代わりにこいつを殉死させたかった。

 でもこの爺、任務を命じようにも「持病の腰痛が」とか「今日は物忌みなので」とか何だの言い訳して何処かに消える。その度、いかがわしい繁華街とかで発見されたりするから本当に腹立たしい。一応№最上位なわけだから、こいつ純血だけど数術使いとしては化け物クラスなんだけど、餌を与えなければ働かない。その、餌というのが問題なんだ。


 「護衛が居ないからと、そんなに儂を警戒せんでも……スカートを捲ったりスリットに手を差し入れつつ下着の中から尻を撫で回すくらいしかしませんぞい」

 「ねぇ、クロート。最前線に行きたい?ていうか逝きたい?」


 笑顔の僕の脅しに、微塵にも奴は臆さず……にたりと嫌らしい笑みを浮かべ僕を見る。


 「数術の乱用は控えなされ。寿命を削る気かのぅ?」

(この爺っ……)


 僕を視ただけで、そこまで解るか。僕がこいつをいまいち信用しきれないのは、こいつが見え過ぎるから。そして、僕にも見えているから。こいつが僕に忠誠を誓っているわけではないことを。それでも教会への忠誠だけは本物だから、こうして置いてやっているんだけれど。


 「お転婆も良いですがのぅ、神子様は性格は最悪でも顔だけは良いのですじゃ。たまには大人しくしてみては?おお!そうじゃそうじゃ!すっかり忘れておったわい」

 「何、これ」

 「セネトレアで回収した、例の物で作らせた薬ですじゃ。後はこれを培養して増やせば問題ないでしょう」

 「……っち」


 この呆け爺、痴呆が始まっている。何でもっと早くに報告しない。っていうかこの顔、わざとだな。鼻の下が伸びている。


 「……僕は、それをシノ経由である男に頼んだはずなんだけど」

 「王子様へのセクハラついでにのぅ、血を奪って儂が作ったんですが何か問題がありましたかのぅ?」

 「狸爺が」

 「ほっほっほ。敵の敵は味方とは言え、最終的には敵でしょう。恩を売っても恩を買う必要はないのでは?」

 「変態爺に借りを作るのも僕としては真っ平だ」


 こいつ、仕事は出来るんだ。くそっ……あの任務の時にそんなことを企んでいたなんて。煩悩メインのこいつの行動は、読めるけど読めない。ルキフェルやソフィアが居ないこの状況で、これを持ち出すとは……この変態、考えてやがる。いつも耄碌している癖に、なんでそういう変なことばかりは頭回るんだよ最悪だ。


 「では……報酬を。ほっほっふぉおお」

 「くそっ!ああ、いいさ!僕の下着くらい見たければ見ればいいだろっ!?」

 「ひょっっほぉおおおお!!!これこれこれじゃあああああ!!!」


 唯、下着を見るだけなら容易い。だがスカートめくりやセクハラとは違う。相手が恥じらいながらも自らスカートをたくし上げる様が興奮を煽るのだと変態は言う。これくらいで働いてくれるなら、仕方ない。腹を括るかと僕が裾を持った時だった。


 「しばし待たれぇえええええい!!!」

 「ぐげぶぉぇええええええええええええええええええええええええ!!!」


 床下から這い出してきたのは、青白い顔の老人。彼は僕の前任……今はもう寝たきりのはずの先代、神子だ。


 「先代様!!」

 「イグニス君、話は全て聞かせて貰った……ごほっごほっ!」

 「ち、チャリス!貴様まだ生きておったか!!」

 「ふん。私とて、死に損ないのお前だけには言われたくないわっ!」


 先代神子の登場に、たじろく妖怪。

 彼は隠し通路を使い、僕の部屋まで這って来てくれたらしい。流石は先代先読みの神子。世界情勢や世界の明日を読むことは出来なくなっても、変態の行動を先読みするくらいは容易なのか。


 「あ、ああああ悪魔じゃ!!!悪魔の絶対領域じゃああああああ!ぬわああああああああ!!」


 しかしこうやってみると、神子の衣装って酷いよな。僕だから似合っているようなもので、これを年老いた先代様が着ていると視覚的ダメージが半端無い。若い頃は先代様も似合ったのかも知れないけどさ、今はちょっと、流石に……いえかなり無理がある。現に、クロートは口から吐血して痙攣している。


 「無理をなさらないでください。貴方は……」

 「ああ。もう暫くの命。余命幾ばくもないことは解っている。だ、だからこそっ!後継者である君のため……儂が身代わりになろうぞ」

 「先代様……」

 「さぁ!見るが良いぞクロート!私にも長年仕えてくれたお前の趣味は存分に理解しておるわ!!」

 「目が腐るぅうううう!誰が老いぼれ爺なんかの下着を見たいものか!タロックから輸入したふんどしか!?」

 「甘いわぁあああああ!今流行らしい、はいてないという奴じゃあああ!」

 「ぐわああああああああ!!目がああああ!目ぐぁあああ腐るぅううううううううう!!!」

 「あ」


 変態爺が窓から転げ落ちて脱走した。やはり落下音はしなかったから、数術で逃げたのだろう。


 「先代様!」

 「無事だったか、イグニス君」

 「は、はい!ご助力感謝いたします」

 「良いか、あの男はこのようにあしらうと良い。基本的にあやつは信用は出来んが、シャトランジアの不利になるようには動かないから、その点だけは安心しなさい」

 「はい」

 「……ははは」

 「先代様?」


 倒れた男に肩を貸し、部屋まで運ぶ最中……彼が忍び笑いを漏らす。僕が先代の顔を見れば、彼は優しい目で僕を見ていた。


 「君を指導するには時間が足りなかった。いや……十分すぎたか。君の力は、采配は……歴代神子の中でも群を抜く。君ならばこの国を……この世界を、良い方向に導いてくれることだろう」

 「先代様……」

 「解るんだ。もう先が見えなくなった今でも。これが私の最後の預言だ」

 「……はい、ありがとうございます」


 僕は苦笑し、廊下を進む。その間も先代は、様々な話をする。

 今日は随分と加減が良いのだろう。いつもは起き上がるだけでやっとなのに、こうして楽しそうに話をされて……

 彼を裏切っているようで、心が痛む。この人は盲目だな。何度聞かされても慣れないよ。貴方の最後の預言は……まだ一度だって、叶えられた試しがない。


 「ああ、そうだ。イグニス君!この前の私の預言を外させたな!恥を掻いてしまったぞ」

 「申し訳ありません」

 「いやいや、まさか最後の最後で私を出世させてくれるとは思わなかったよ」


 先代は少し嬉しそうだ。神子から教皇に出世した事じゃない。死の預言を僅かでも僕が覆したことだ。自身の力の衰えを知って、僕への期待を更に高めた。そんな所だろう。

 カーネフェルでは僕が教皇と名乗ったが、正確にはまだ違う。先代様が生きている今、一応彼が教皇だ。僕はその後継者。今は代理に過ぎない。


 先代という言い方は、教会の裏側を知っている僕らにとっての言い方で、現に裏方の指揮を執っているのは僕。だから僕らは彼を過去扱いしているが、表舞台ではそうじゃない。まだ大多数の一般人は、この方を教会のトップと思っている。そう、それが多方面への書類が滞っている理由の一つだ。

 王のことはもう従えたが、国王派の貴族達はまだ五月蠅い。これは聖十字だけの戦いではないのだ。戦争を始めるにも、物資の確保にも、しなければならない事は沢山あって……それは表舞台でも僕がトップと知れ渡らなければ意味がない。この間の聖人アピールが、どの程度噂として伝わっていることか。それなりの効果はあるのだろうけれど、貴族達を動かすには決め手に欠ける。


(アルドール……)


 君の力が必要だ。シャトランジアの人々にとって、カーネフェルは助けるに値する国だと思って貰うためにも……僕の協力無しに、君たちだけで都を取り戻して貰いたい。必要な力は置いてきた。君たちならやれる。そう、その前に……乗り込む船が泥船ではないことを、華々しい勝利のイメージを此方まで届けて欲しいんだ。君たちの作ったその勢いで、此方の世論も僕は塗り替える。

 カーネフェルに協力しないと僕らが共倒れになるから。民にはそれで良い。貴族共には別の理由が必要だ。だからそれをこれから示す。


(カーネフェルは勝てる。これから戦うのはセネトレア)


 それを分かり易く伝える。そのためにも……


 「先代……チャリス様。お願いがあります」

 「ほぅ……見事な数値配列だ」


 先代の部屋に付いた僕が施す防音、盗聴防止数術を見て、彼は嬉しそうに頷いた。


 「それで?秘密の相談とはなんだねイグニス君?」

 「聖十字以外の軍隊。義勇軍と言う名の、国王派の軍を作らせて欲しいんです。相手の下調べも出来ず、信頼できないような人間をいきなり聖十字に組み込むことは、内部機密のためにも危険です。今は一人でも多く兵が欲しいのは事実。しかし聖十字の評判を下げるような輩を入隊させられません。ですから、この書類にサインを」

 「……その目的は?」

 「聖十字は略奪を行わない。でも義勇軍は十字法で縛らない。名の知れた英雄になることも、この戦争で財を得ることも彼らには可能です」

 「ふむ……なるほど。人を欲で釣る、か。しかしそれは正義ではないのでは?」

 「大義の前には……清濁も飲む。それが僕の正義です」


 奴隷上がりの聖職者。そんな僕が今更綺麗事だけで物事を変えられるとは思わない。僕はずっと、見てきたんだ。汚くて醜い……ぶっ壊したくて堪らなかった、それでも美しいこの世界のことを。


(アルドール……)


 もうすぐ君も見ることになる。もう目を背けられない。でもそれは、君が何度だって乗り越えてきたことだ。君には君を支えてくれる仲間もいる。僕が傍に居なくても、君はもう……大丈夫なんだよ。君もそれを、知るべきだ。そういう時が、やって来たんだ。


 「イグニス……君はこの世界をどう思う?」

 「僕は……私は、お世辞にも美しいとは言えません。しかし、守るべき価値のある者はいる。だからまだ、この世界はこんなにも綺麗なんだと思います」


 傾いた日によって、ステンドグラスが床を鮮やかに染めていく。色とりどりのその光……それはこの世界に生きる人々の瞳の色のようだと思う。


 「そうか。私はね……この世界ほど醜いものはないと思った。そして恥じた。人の堕落を……主から賜った土地を汚した人間の業の深さを」


 情熱を持って、この方は仕事をされて来た。かつて神子の権威が国王を上回ったのもその活躍のためだった。タロックとカーネフェルの仲裁に入り、両者の話を聞いた。平和を願って、マリー姫をタロックに嫁がせることを王に強いた。その結果、平和は出来ただろうか?


(そんなことはなかった)


 今日まで、まだ戦争はこの世界から消えては居ない。彼の理想が生んだのは、多くの罪と悲しみと……平和呆けしたろくでもないこのシャトランジア!


 「だからこそ思った。世界を美しく、正しく変えていきたいと……私は長らく正義を示して来た……そのつもりだった。しかし……君たちのような子が生まれた」


 そこまで言って、彼は僕を見た。許しを乞うような、苦悶の表情で。


 「君は……この教会が生んだ罪の化身だ」

 「……ええ、そうですね」

 「君は教会を、私を恨んでいることだろう」


 君に神子の力が備わったのは、私に対する罪以外の何ものでもない。先代はそんな苦悩を吐き出した。この人が作り上げた仮初めの平和は正義を貫き人命を尊ぶあまり、人を死なせ、人の心を傷付けた。僕らなんか生まれなかった方が、母さんは幸せだっただろう。そもそも審判だって、もうちょっとマシな結果になっていた。……僕らさえ、いなければ。


 「そうですね。一度も恨まなかったと言えば嘘でしょう」


 僕の正直な感想に、彼は僅かに安堵している。慰めの言葉などより、本心を言ってやることが必要なときもある。


 「辛いことは沢山ありました。生きる意味を見失いかけた日もありました。それでもその度に思い出すんです。あの……海の色を」

 「海の、色……?」

 「僕はあの海を、怨みを込めて見つめたこともある。だけど今は……懐かしいと思うんです」


 手を伸ばしても届かない。触れられるのに掴めない。波はまたやって来るけど、また離れ離れになってしまう。永遠にそれを繰り返すだけ。この審判は僕にとって、そういう拷問なのだ。


 「先代様。貴方の罪は僕が引き継ぐ。非難は僕が受けましょう!ですから最後に貴方も泥を被って下さい」


 胸の奥を語っている。こんな時でさえ君は計算をしているのかと、先代は苦笑い。人の罪悪感まで、計算に組み込むか。一本取られたと彼は両手を挙げて形だけの降参をする。


 「なんとも……君らしい。そうだな。君は間違ってはいない。その割り切りの良さが、君の美徳の一つだろう」

 「はっ、ありがとうございます」

 「それで、続きを聞かせて貰えないか?そう容易く裕福層が納得するだろうか?君のやり方で、本当の平和は作れるのかを……」

 「はい。国王派に教会兵器は、数術技術は流せない。戦争後のことも考えてです。ですから、海上戦は僕ら聖十字がやる。上陸部隊としての捨て駒を、集めるための撒き餌です」


 名誉と金のためならば、貴族も賛同するだろう。そんな僕の企みに、先代様は小さく唸る。

 教皇の権利が議会を王を上回った今、法改正は容易い。しかし、それはまだ僕ではなくこの人にとってのことなのだ。


 「そこで非人道的な行為をするようなら、終戦後法で裁くか。国内の悪人の炙り出しも出来る。前戦で死ぬなら結構。生き延びても逃さない。本当に、君らしい手だ」

 「如何……でしょうか?」

 「……残念だが、私はサイン出来ない。君の目が真実を見抜く力があって、それが最善だとしても、今は賛同できないよ」

 「チャリス様!」

 「……こんなおいぼれの口より、若い君の言葉の方が伝わる物もあるのではないかね?」


 それは彼なりの譲歩だったのだろう。もう暫くだけ、時間をくれ。僕はそう言われている。


 「イグニス君。最期に民の顔を見たい。五日後が良い。そのくらいあれば、この小国のどこからでも、第一聖教会まで来たい者は来られるだろう。私はそこで、君の紹介もしよう」

 「え、ですが……」

 「たまには外の空気も吸いなさい。私もそうしたい」

ランスの策略が進行中。

書類と部下に振り回されるイグニスさん回。

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